1年前、小松里香は記憶を失った男性を道端で見つけ、自宅に連れて帰った。 広い肩幅と長い脚を持ち、ホストになれば一晩で10万元も稼げそうなルックスの男性に、里香は恥ずかしさを抑えつつも電撃結婚を決意した。 それにもかかわらず、記憶を取り戻した男性の最初の行動は、里香と離婚し、家を継ぐことだった。 もう呆れた。 離婚したければそうすればいい。どうせ金持ちでいい男なんて他にもいるし、この人にこだわっても仕方がないでしょう。 離婚届を出したその日、里香の書いた一言が冬木市のビッグニュースとなった。 【相手の体がしっかりしてないため、満足できない】 離婚後、男に囲まれた日々を送っていた里香は、「再婚する気はないの?」と尋ねてきた親友に、 「再婚を持ちかけた方が犬」と嘲笑した。 深夜、鳴り響くスマホを手に取った里香。 「誰だ」 「ワン!」
View More二宮おばあさんはゆっくり持ち上げた手をそっと下ろし、濁った目でじっと里香を疑うように見つめた。「本当にそうなのかい?」おばあさんが動かなくなったのを見て、里香はそっと支えながらベッドのヘッドボードにもたれさせた。「うん、もうすぐ離婚するの」「それで……いつ?」「あと7日だよ」二宮おばあさんは指を折りながらぽつりぽつりと数え、それから再び里香を見つめた。「本当に?騙してないね?もし騙したら、また叩くからね!」里香は思わず顔をしかめた。叩くなら叩けばいいじゃないの!ため息まじりに椅子を引き寄せ、腰を下ろすと、おばあさんのしわだらけの顔をじっと見つめた。「本当に私のこと、全然覚えてないの?」おばあさんは仏頂面のまま、ぷいっと顔を背けた。「なんで覚えなきゃいけないんだい?あんた、そんなに大事な人なの?」その言葉に、里香の胸がぎゅっと締め付けられた。そうだよね。私はそんな大事な人じゃない。覚えてるかどうかなんて、どうでもいいんだ。部屋にしんと静寂が広がった。里香は目を伏せたまま、何も言わずに座っていた。その時、ふわりと頭に何かが乗る感触がした。「そんなに気を落とすなよ。これ、あげるよ」ぎこちない声で、二宮おばあさんがぽつりと言った。「ちゃんと大事にしなよ。壊れたら怒るからね」まるで子どもみたいな口ぶりだった。里香は一瞬驚いて、そっと手を伸ばし頭の上の物を取った。花冠。「これ……誰がくれたの?」おばあさんはつんとそっぽを向いて、「知らないよ!」と一言。ちょうどその時、介護士が部屋に入ってきた。「それは以前小松さんが編んで差し上げたものですよ。おばあさまはずっと大切に保管されていました。でも、ある時から花冠のことを口にしなくなって……代わりに保管していたんです。今日突然『花冠が欲しい』っておっしゃったので、お渡ししたらずっと手に持って眺めていらっしゃいましたよ」介護士の言葉を聞いた瞬間、里香は目を見開いた。私が編んだものだったの?すっかり忘れてた……手のひらに載った花冠は、乾いてすっかり色褪せていた。丁寧に保管されていたのが伝わるけど、枯れた花びらはもうかつての美しさを留めていなかった。胸の奥がじんわり熱くなった。気づいた時には、目に溜まった涙がぽろぽろと零
正式な離婚が決まるまで、あと一週間。里香は毎日忙しく、朝早くに出かけて夜遅くに帰る日々を過ごしていた。二人のインターンも一緒に仕事に追われ、慌ただしい毎日を送っている。この日の午後、里香のスマホが鳴った。「もしもし?」少し訝しげに電話に出ると、受話器の向こうから落ち着いた女性の声がした。「小松さんですか?私は二宮おばあさんの介護士です。今お時間ありますか?おばあさんがあなたにお会いしたいとおっしゃっています」「おばあちゃん……私のこと覚えてるんですか?」思わず問い返すと、介護士はあっさりと答えた。「いらっしゃれば分かりますよ」それだけ言って、さっさと電話を切ってしまった。突然の呼び出しに疑問は残ったが、深く考えずに雅之にメッセージを送った。しかし、なかなか返信は来なかった。きっと仕事で忙しいのだろう。午後の予定は特になく、今抱えている案件のほとんどは二人のインターンに任せていた。二人とも努力家で、初めての大きな案件に関わる中で必死に学ぼうとしている。その姿勢は頼もしく、里香にとっても大きな助けになっていた。ひと息ついた里香は、そのまま療養院へ向かうことにした。数日前に降った雪がまだ地面に残っていて、踏みしめるたびにギシギシと音を立てる。その音が妙に心を落ち着かせた。マフラーを整えながら足早に療養院の中へ入った。二宮おばあさんの部屋の前に着くと、ノックをしてしばらく待った。やがて介護士がドアを開けて、にこやかに迎えてくれた。「いらっしゃったんですね。どうぞお入りください」「おばあちゃん、最近お元気ですか?」「相変わらずです。時々はっきりしていて、時々ぼんやりしています」介護士の言葉に軽く頷き、部屋の奥へと進んだ。小さな居間を抜けて寝室のドアを開けると、ベッドに寄りかかる二宮おばあさんの姿が目に入った。手には花冠を持ち、皺だらけの顔にはどこか嬉しそうな表情が浮かんでいる。その姿に、里香の動きが一瞬止まった。かつて自分が花冠を編んであげた時のことが蘇った。あの時もおばあさんはぼんやりとしていたけれど、花冠だけはとても気に入ってくれた。 「おばあちゃん」余計な感傷を振り払って、そっと近づきながら声をかけた。すると、おばあさんは顔を上げたが、その瞬間、眉をひそめて怒りの表情を
二人の距離はすぐそばまで縮まり、雅之の淡く清涼な香りにほんのりタバコの匂いが混ざり合い、里香をふわりと包み込んだ。細長い目がじっと里香を見つめる。漆黒の瞳は底知れない古井戸のように深く、人を引き込んだら最後、決して解き放たないような危うさを秘めていた。里香の長いまつげがかすかに震えた。すぐに後ろへ一歩引き、顔を背けたまま静かに言った。「後悔なんてしない」そう言い終えると、そのまま書斎へ向かって歩き出した。雅之は黙って彼女の背中を見つめる。毅然とした口調のはずなのに、胸の奥にどうしようもない虚しさが広がっていく。この女の心は、本当に石でできてるのか?自分が変わったことに、ほんの少しも気づいていないのか?雅之はゆっくりと後を追いながら、ぼそりと呟いた。「景司が今こんな話を持ちかけてるけど……もし本当の妹が君だって知ったら、きっと後悔するだろうな」「そんなの、どうでもいい」里香の声は相変わらず淡々としていた。両親の情なんて、とっくに期待していない。親子関係を証明しようとしたのも、ただ自分を陥れ続けた人間たちが、これ以上のうのうと裕福な人生を送るのを許せなかったから。奪われたものは、取り返す。景司が後悔しようがしまいが、そんなこと自分には関係ない。雅之は黙ったまま、じっと彼女の横顔を見つめた。しばらくしても何も言わず、その沈黙が妙に重くのしかかった。書斎の入り口にたどり着いたところで、里香はふと立ち止まり、振り返って冷ややかに尋ねた。「まだ帰らないの?」「あと半月で離婚する。もう少し一緒にいたい」そう言いながら、ためらう素振りもなくずかずかと近づいてくる。「邪魔しないから、好きに仕事すればいい」言い終えるや否や、そのままソファに腰を下ろした。里香:「……」ますます冷めた表情のまま、無言でパソコンに向かい、電源を入れると黙々とキーボードを叩き始めた。仕事に集中している時の里香は、周囲に誰がいようとお構いなし。目の前のことにただ没頭するだけ。雅之はそんな彼女を堂々と見つめ続けた。目の奥に浮かぶ笑みはどんどん深くなり、隠しきれない想いがにじみ出していく。その熱すぎる視線に、どれだけ鍛えられた里香でも微かに影響を受けてしまう。耐えきれず顔を上げ、じろりと睨んだ。「ここにい
ゆかりは自分の部屋に戻るなり、スマホを取り出して苛立った様子で電話をかけた。「前に助けてくれるって言ったよね?それなのに、どこにいるの?なんとかしてよ!まさか、私を騙してるんじゃないでしょうね?」電話の向こうからは、いつもの落ち着いた男の声がゆっくりと返ってきた。「そんなに焦るなよ。お前、もう誰かに目をつけられてるの、分かってるか?この前やったこと、もう調べがついてるぞ」「ありえない!」ゆかりは勢いよく立ち上がり、強気な表情を作って言い返した。「あの時は完璧にやったの。バレるはずがない!あんた、まさか私を脅すつもりじゃないでしょうね?」「はっ!」電話の向こうで、みなみが鼻で笑ったのが聞こえた。「お前、雅之が何者か分かってるのか?アイツは自分の親父から二宮グループを奪い取って、挙句に親父を脳卒中で入院させるような男だ。あんな奴の実力を甘く見たら、痛い目見るぞ」ゆかりの表情が強張った。「それじゃ、もう私がやったってバレてるの?すぐに暴露されたりしない?」「今のところはまだな。でも、いずれバレるのは確実だ。ただの時間の問題だな。だから今はおとなしくしてろ。俺からの知らせを待ってな」ゆかりの心はひどく乱れていた。もし自分のしたことが父に知られたら、どれほどの怒りを買うか、想像するだけで震えが止まらない。この二年間、父は何度となく自分の顔をじっと見つめては、ため息をつきながら首を振っていた。その理由なんて分かってる。亡き母の面影を自分に重ねようとしていたからだ。でも、失望するのも無理はない。自分は母にはまるで似ていないのだから。もし父が、身分を偽っていたこと――それどころか、里香を殺そうとしていたことまで知ったら、烈火のごとく怒り狂い、自分が手に入れたすべては一瞬で崩れ去るだろう。そんなの……絶対に許されない!必死に手に入れたものを失うわけにはいかない。「分かった。言う通りにする」今、頼れるのはみなみだけ。彼の言うことを聞くしかない。電話が無言のまま切れると、ゆかりはソファへと腰を下ろし、とにかく様子を見ることにした。---里香が家に帰ると、ちょうど玄関先で雅之と鉢合わせた。「何か用?」不思議そうに問いかけると、雅之は壁にもたれかかり、片手をポケットに突っ込みながら煙草をふ
妹の話題になると、景司の顔にはどこか甘やかしと無奈が入り混じった表情が浮かんだ。里香はそんな彼の様子をじっと見つめ、少し間を置いてから口を開いた。「実は……聞きたいことがあるの」「何?」景司は穏やかな眼差しで里香を見つめた。なぜか分からないけど、里香といると、不思議と親しみを感じる。どこか懐かしいような、心がほっとする感覚。だからなのかもしれない。彼女の前では、いつもより少しだけ優しくなれる気がしていた。里香はしばらく考え込んだあと、ぽつりと話し始めた。「知り合いの話なんだけど、その人の身分が誰かに乗っ取られたの。それで、全部奪われた上に、命まで狙われてる。放火されたり、薬を使われたり、あらゆる手を尽くしてね。そういう場合って……どうすればいいと思う?」景司の眉がわずかに寄った。話を聞くうちに、表情が少しずつ険しくなっていった。「そりゃ、相手の悪事を暴いて、本来の自分の人生を取り戻すべきだろ」里香はじっと彼を見つめたまま、ゆっくり問い返した。「本当にそう思いますか?」「もちろんだよ」景司は迷いなく即答した。「そんなやつ、ろくでもない人間だ。他人の身分も家族の愛情も奪った挙句、それでも足りなくて命まで狙おうとするなんて。そんなの、絶対に許されるはずがない」静かな声の中に、はっきりとした怒りが滲んでいた。里香はふっと目を伏せ、長いまつ毛が感情を隠すように影を落とした。「そう思ってくれるなら、いいんです」「その知り合いって、誰?もし助けが必要なら、俺に言ってくれ」里香はかすかに微笑み、首を横に振った。「大丈夫。もう対処する方法は考えてあるから」「そうか……なら、よかった」景司は軽く頷くと、そのまま話題を変えるように切り出した。「さっきの話に戻るけど、言ったこと、ちゃんと考えてくれないか。雅之は、君には釣り合わない」里香は淡々とした表情のまま答えた。「考えてみます」その瞬間、ちょうど店員がノックをして料理を運んできた。不思議なことに、里香と自分の好みはかなり似ていた。それが妙に嬉しくて、彼女への親近感がまた少し強くなった。食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。街の灯りがきらめく中、景司は車で里香をカエデビルまで送り届けた後、そのままホテルへ戻った。部
深冬に入り、初雪が舞い始めた。里香はマフラーで小さな顔をすっぽり包み込みながら、ビルのエントランスを出た。空はすでに薄暗く、少し離れた場所に停まっている車が目に入った。ふと足を止めると、黒いコートを着た景司の姿を目にした。「瀬名さん」声をかけながら近づき、微笑みながら言った。「お待たせしちゃいました?」景司は穏やかに微笑み、車のドアを開けた。「いや、ちょうどよかった。とりあえず乗って」「はい」里香は頷いて車に乗り込んだ。今日、景司が突然連絡をくれて「会いたい」と言ってきた。正直、少し驚いた。でも、断る理由もなかった。血の繋がりでいえば、景司は自分の兄。だったら、彼の本当の考えを探るには、ちょうどいい機会かもしれない。車内は暖房が効いていて、寒さで冷えた体がじんわり温まっていく。マフラーを外しながら、自然と肩の力が抜けた。二人は車でそのままレストランへ向かった。レストランに着いて個室に入ると、景司が口を開いた。「急に戻ってきて驚かせなかった?」「ううん。安江でのお仕事、もう片付いたんですか?」里香が尋ねると、景司は頷いた。「ああ、全部終わったから戻ってきた」そう言いながら、真正面からじっと里香を見つめた。端正で上品な顔立ち。ナチュラルメイクが基本だけど、ときどき鮮やかなリップを引くことがある。それでも――いや、むしろだからこそ、彼女の美しさは際立っていた。柔らかな眉、澄んだ瞳。今も何の警戒心もなくまっすぐ自分を見つめている。景司は、一瞬言葉を飲み込んだ。本題を切り出そうとしていたのに、この瞳の前では妙にためらいが生まれてしまう。沈黙が流れ、耐えかねたように里香が口を開いた。「瀬名さん、私に会いたいって……何かご用ですか?」景司は軽く息をつき、ゆっくりと切り出した。「君は……雅之と別れるつもりはないの?」里香はスプーンを持つ手を止めた。話したかったのは、それ?「どうして?」静かに問い返すと、景司は少し申し訳なさそうに目を伏せ、それでも真剣な顔つきで答えた。「君はアイツと一緒にいても幸せになれない。きっと辛い思いをするだけだ。だから、別れたほうがいい」まさか、離婚を勧めに来たの?あと半月もすれば、離婚の手続きは終わる。それさえ済めば、正式に婚姻関係は解消
里香はかおるを見て、優しく声をかけた。「先にお風呂に入って、それからゆっくり寝なよ。他のことは起きてから考えればいい」「うん……」かおるは小さく頷くと、そのまま以前泊まっていた客室へ向かった。里香も主寝室に戻り、シャワーを浴びた後、ドレッサーの前に座ってスキンケアをしながらぼんやりとかおるのことを考えていた。かおる、自分の考えた方法を受け入れてくれるかな……でも、今は他に方法はない。月宮が家族のプレッシャーに耐えてでも、かおると一緒にいるって決断してくれれば話は別だけど。でも、それができるの?月宮は雅之とは違う。幼い頃から厳しい教育を受けて育ち、そのすべてを月宮家に与えられてきた。彼の今の立場も、財産も、生活のすべてが家族に支えられたもの。そんな月宮が、自分のすべてを捨ててまでかおるを選ぶ覚悟があるのか?それは、天に昇るより難しいことかもしれない。考えれば考えるほど答えの出ない堂々巡りに、里香はそっとため息をついた。もう考えるのはやめよう。布団をめくってベッドに入り、ゆっくりと目を閉じた。うとうとと眠っていた真夜中、スマホの振動音で目が覚めた。眉をひそめながら手探りでスマホを掴み、目を細めて画面を確認してから通話ボタンを押した。「誰?」眠気と不機嫌さが入り混じった声で問いかけると、通話の向こうから低くて落ち着いた声が返ってきた。「里香、会いたい」雅之だった。いつものように心地よい声。でも、どこか掠れている。里香は目を閉じたまま、深いため息をついた。「頭おかしいんじゃない?」そう言い捨てて、容赦なく通話を切った。夜中に何やってんの、ほんとに。スマホを枕元に放り投げ、そのまままた眠りに落ちた。朝、しっかり熟睡できたおかげで目覚めは悪くなかった。キッチンに立ち、朝食の支度をしていると、ベランダからふらふらと魂の抜けたようなかおるが降りてきた。パジャマ姿にボサボサの髪、目の下にはくっきりとしたクマ。「一晩中、寝てないの?」驚いたように尋ねると、かおるは小さく頷き、そのままふにゃっと抱きついてきた。ひんやりとした体温が肌に伝わった。「一晩中考えてた。私、本当に月宮のことが好き。でも、彼はきっと、そんなに私のことを好きじゃないの。私に対する気持ちは『興味』
里香の表情が一瞬止まった。「もう吹っ切れたの?」かおるは里香の肩に腕を乗せ、ほろ酔いでほんのり赤くなった小さな顔を、チラチラと光るライトの下で照らされながら、ぼんやりと前を見つめていた。「実はね、月宮の家の人が私に会いに来て、初対面から圧かけてきたんだよね。庭で二時間も待たされて、やっと会ってくれたと思ったら、何も話さずにいきなりお嬢様たちの写真をどっさり見せてきてさ。ほんと笑えるよ、私に月宮の未来の妻を選ばせようとしたのよ?」話しながら、かおるの目からポロっと涙がこぼれた。慌てて手で拭いながら、続けた。「里香ちゃん、私はね、自分がまさか月宮のことを好きになるなんて思ってなかったの。あの人たちの見下した態度なんて気にも留めないと思ってたし、むしろバカみたいって笑えるくらいだと思ってた。でも、違ったのよ。その瞬間、本当に心の底から『惨め』って何なのかを思い知らされたの」かおるは赤くなった目で里香を見つめながら言った。「何も言われなかったし、直接バカにされたわけでもないのに、どうしてか耐えられなかった。里香ちゃん、私、もうダメなのかな?」「うん、ダメだね」里香はそう言うと、かおるは即座に「うわぁぁぁ!」と叫びながら、里香にしがみついた。「じゃあさ、どうすればいいの? もしかしてこのまま、月宮と愛憎劇を繰り広げる羽目になるわけ? それ、ほんとドラマじゃん!」里香はじっとかおるを見つめ、しばらく沈黙した後に言った。「とりあえず家に帰ろう。シラフになったら、解決策を考える」かおるは両腕を里香の首に回し、上目遣いでじっと見つめてきた。「今じゃダメ?」里香は首を振った。「ダメ。今のあんた、冷静じゃない。この状態で決めたことなんて、大体後悔するから」かおるは口をとがらせた。「……なら仕方ない。今日、一緒に寝よ」「いいよ」里香は頷き、かおると一緒にカラオケの店を出た。ところが、店を出た瞬間、路肩に停まっている一台の銀灰色のマイバッハが目に入った。車の横には、キャメル色のコートを着た月宮が立っていて、手にスマホを持ち、電話をしている。その視線はずっとこちらを見ていた。里香たちが出てくるのを見ると、電話を切り、二言ほど告げた後、歩み寄ってきた。「お前たち、一緒に飲むと必ず酔っぱらうよな。で、帰ったら俺
まだ確信が持てなくて、とりあえず証拠は全部保存しておくことにした。どうせ錦山にはすぐ行けないし。ここ数日忙しなく動き回って、ようやく原稿が完成。ワイナリーの工事もついに始まった。里香はデザイナーの面接をスタート。一人ずつ確認していったものの、なかなか満足のいく人材には出会えなかった。アイディアはあっても現実離れしていたり、突飛すぎる発想が多かったり……創造性はあっても、実現できるかどうかは別問題って感じだ。そんなある日、かおるから食事の誘いが来た。グツグツと煮えたぎる火鍋から立ち昇る熱気に、芳醇な香りが食欲をそそる。目の前に広がる光景だけで、もうお腹が鳴りそうだった。一口肉を口に運んだところで、かおるがまたため息をつくのが耳に入った。「ねえ、どうしたの?ここに来てからもう28回はため息ついてるけど?」冗談混じりに言うと、かおるは驚いた顔でこっちを見た。「えっ、数えてたの?まさか……そんなに私のこと好きだったなんて知らなかった!」「バカ言ってないで。で、何があったの?」軽くいなして促すと、かおるはもう一度ため息をつきながら話し始めた。「月宮家の人たちに呼び出されちゃったの」「えっ?」里香は思わず箸を止めた。かおるは苦笑いを浮かべながら続けた。「数日前、祐介の結婚式に綾人と一緒に行ったじゃない?その時に月宮家の人たちに見られてたみたいで、その後で呼び出されちゃったの。『綾人とは釣り合わない』とか『彼のお嫁さんになる人は家柄が見合ってることが条件だ』とか……散々言われちゃった」里香は少し考え込んでから、「それで?何にため息ついてるの?」と尋ねた。かおるはムスッとした顔で箸をつつきながら言った。「だってさ、まさかここまで厳しいとは思わなかったんだもん。彼氏と付き合うたびにこんなふうに呼び出されて文句言われるの?時代錯誤もいいとこでしょ!今は恋愛も結婚も自由のはずなのに!」一気にまくし立てるかおるを、里香はじっと見つめて聞いていた。「綾人と結婚したいと思ってるの?」「そんなわけないでしょ!」かおるは即座に否定した。「そんなこと、これっぽっちも考えたことないわ!」「じゃあ、何をため息ついてるの?最初から三ヶ月だけ付き合うって決めてたじゃない。それなら、誰に何を言われても気にする必要ないんじゃ
「いつ彼女と離婚するの?」個室の中で、女の子は愛情に満ちた瞳で目の前の男性を見つめていた。小松里香は個室の外に立っていて、手足が冷えている。その女の子と同じく、小松里香は男の美しく厳しい顔を見つめ、顔色は青ざめている。男は彼女の夫、二宮雅之である。口がきけない雅之は、このクラブでウェイターとして働いている。里香は今日仕事を終えて一緒に帰るために早めにやって来たが、こんな場面に遭遇するとは予想していなかった。普段はウェイターの制服を着てここで働いている彼が、今ではスーツと革靴を履き、髪を短く整え、凛とした冷たい表情を浮かべている。男は薄い唇を軽く開き、低くて心地よい声を発した。「できるだけ早く彼女に話すよ」里香は目を閉じ、背を向けた。話せるんだ。しかもこんな素敵な声だったなんて。それにしても、やっと聞けた彼の最初の言葉が離婚だったなんて、予想外でした。人違いだったのかと里香は少し茫然自失していた。あの上品でクールな男性が、雅之だなんて、あり得ない。雅之が離婚を切り出すはずがない。クラブを出たとき、外は雨が降っていた。すぐに濡れてしまい、里香は携帯を取り出し、夫の番号にダイヤルしてみた。個室の窓まで歩いて行き、雨でかすんだ視野を通して中を覗いた。雅之は眉を寄せながら携帯を手に取り、無表情で通話を切ってから、メッセージを打ち始めた。メッセージがすぐに届いた。「どうして電話をかけてきたの?僕が話さないこと、忘れてたの?」里香はメッセージを見つめ、まるでナイフで刺されたかのように心臓が痛くなってきた。なぜ嘘をつく?いつ喋れるようになったのか?あの女の子とは、いつ知り合ったんだろう?いつ離婚することを決めたんだろう?胸に湧い上がる無数の疑問を今すぐぶちまけたいと思ったが、彼の冷たい表情に怖じけづいて、できなった。1年前、記憶喪失で口がきけない雅之を家に連れて帰った時、彼は自分の名前の書き方だけを覚えていて、他のすべてを忘れていた。そんな雅之に読み書きから手話まで一から教え、さらに人を愛することさえ学ばせたのは小松里香だった。その後、二人は結婚した。習慣が身につくには21日かかると言われているが、1年間一緒にいると、雅之という男の存在にも、自分への優しい笑顔にもすっかり...
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