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夫のブラックリスト旅
夫のブラックリスト旅
Author: 心音織夢人

第1話

「23番の渡辺さん、ご家族とは連絡が取れましたか?」

看護師が何度目かの確認をしてきた。美穂はスマホを見下ろし、秀一の電話がまだつながらないことを確認した。

江城市北部環状三号道路の高架橋で起きた多重追突事故では、バスが横転し川に落ち、数十名の負傷者が病院に搬送された。家族たちは次々と病院に駆けつけるが、彼女の家族だけはまだ連絡が取れていない。

事故現場の恐怖は今も脳裏に焼き付いているが、それ以上に心に冷たいものが広がっていた。

ふと、今日この事故で自分が死んでいたら誰も自分の遺体を引き取りに来ないんじゃないか、と思った。

「渡辺さん?」

美穂はハッと我に返った。彼女の顔は血で汚れており、そのせいで白い肌がより透き通って見えた。そんな彼女はかすれた声で、だが品位を失わずに言った。「すみません、彼は今忙しいかもしれません。私一人でサインしてもいいですか?」

「申し訳ありませんが、ご親族のサインがない場合は、入院して様子を見ていただくことをお勧めします。脳震盪は軽視できませんので、私たちも安全のため最善を尽くします」

美穂は唇を噛んだ。「もう一度電話してみます」

彼女は病室を出て、スマホを片手に廊下を歩いた。そこを通り過ぎた二人の看護師が器具を運びながら話しているのが聞こえた。

「16番の病室、誰だか知ってる?」

「誰?」

「松本愛子!大スターだよ!最近大ヒットしたドラマ、『ミステリアス・ラバー』の主演女優!」

「すごい!怪我はどうなの?」

「腕が少し擦りむいただけ。遅れて来たらもう治ってたかも。でも、彼女は大スターだし、私たちみたいな普通の人間とは違うよね。私もあんなに綺麗だったら、全身に保険をかけるわ!」

「そういえば、彼氏も見かけたよ!あの湖畔の別荘で一緒に撮られた人ね!」

美穂の足が止まった。

「背が高くてハンサムで、お金も持ってそうな感じ。しかも、彼女をすごく大事にしてるの。事故が起きた直後に駆けつけて、病院のVIPルートを通って全力で付き添ってたんだって。同じ女なのに、何でこんなにも人生の差があるんだろうね......」

二人の声は遠ざかり、美穂は手に持ったスマホをギュッと握りしめ指の関節が白くなっていた。

16番の病室の外で、秀一は愛子のマネージャーと話をしていた。遠くからで何を話しているのか聞こえないが、美穂は直感的に、彼が愛子の事故のことで責任を追及しているように感じた。

彼女はスマホを取り出し、秀一に電話をかけた。

秀一は一瞬電話に目をやり、もともとしかめていた眉がさらに深く寄った。

彼は電話を取り、苛立った声で言った。「何だ?」

「今どこ?」

美穂の声はかすれており、その調子にはどこか脆さが感じられた。

しかし、秀一はそれに気づかず、冷たく答えた。「会社にいる」

「藤井さんの会社って、病院業界にも関わってたっけ?」

秀一は一瞬動きを止め、表情が険しくなった。「俺を尾行してるのか?」

美穂は思わず笑いそうになったが、目には涙が浮かんできた。彼の嫌悪感がはっきりと伝わり、胸が締め付けられた。

「藤井社長に私は信頼されてるんですね」彼女は少し間を置いてから続けた。「ニュースで見かけたの。あなたに似てる人がいて、気になっただけよ」

秀一は「くだらない」とだけ言い残し、電話を切って病室に戻っていった。

美穂は自嘲気味に笑った。確かにくだらない。何もかも見ていたのに、わざわざ電話して自分を惨めにするなんて。

最終的に美穂を迎えに来たのは白石美帆だった。親族に連絡がつかなければ、友人に頼るしかなかったが、本当は友人に迷惑をかけたくなかった。誰も自分の崩れた生活を見せたくはない。嘲笑されるにせよ、同情されるにせよ、それは彼女にとってはただの屈辱に過ぎない。

「秀一は?」美帆が聞いた。

「会社にいるらしいよ」彼女はそう言っていた。

美帆はハンドルを握りしめ、吐き捨てた。「あのクソ男!嫁が事故に遭ったってのに来やしない。金を稼いで自分の棺桶でも買うつもりか?」

美穂は冗談っぽく言った。「私のための棺桶かもしれないわ」

「美穂、冗談言ってる場合じゃないわよ!後ろの車では死人が出たんだから!」

「そうね......」美穂はうつむいて、軽くため息をついた。「あと少しで私も死んでたかも......」

美帆は急ぎの用事があったため美穂を送り届けるとすぐに去っていった。

美穂は家に着くと、家政婦に挨拶だけしてそのまま二階へ上がった。

シャワーを浴びて出てくると、北三環で起きた交通事故がすでにSNSのトレンド入りしていた。しかし、そのほとんどが愛子に関する話題だった。

公式メディアは事故の深刻さに焦点を当てているが、エンタメメディアは愛子の「ミステリアスな恋人」に注目していた。

秀一の正体についてはメディアも言及できないが、彼がかなりの資産家であることは、ほのめかされていた。愛子のファンは、恋愛を否定するコメントを忙しく投稿しながら、同時に彼女の怪我を心配するメッセージを各メディアのコメント欄に書き込んでいた。

美穂は笑いそうになった。看護師は愛子が軽い擦り傷だと言っていたのに、ファンたちは過剰に心配しすぎではないか、と。

しかし、すぐに美穂の顔色は変わり、心臓が締め付けられるように痛んだ。愛子がSNSに妊娠検査結果を投稿したのだ。

妊娠6週目。ちょうど6週間前、秀一と愛子が湖心の別荘で写真を撮られた日と一致していた。

美穂は呆然と画面を見つめ、心がぎゅっと縮み上がった。

三年の結婚生活は、ただの空白だったのか。

秀一は美穂と結婚する前から愛子と一緒にいた。藤井家の祖母が愛子の家庭背景を嫌い、二人を無理やり引き離したのだ。

失意の中、秀一は多くの名家の娘たちの中から、最も家柄の低い美穂を選び、家族に反抗する形で結婚した。

藤井家の庇護を求めた美穂と、秀一はお互いに利用する形で結婚した。

しかし、誰にも知られていないのは、美穂が求めたのは秀一その人だったということだ。

感情の勝負では、先に心を許した者が負ける。そして、愛子の存在は美穂にとって、結婚生活の中で常に刺さり続ける棘だった。

その棘が肉に食い込んでも、美穂はいつか治るだろうと努力して無視してきた。しかし、結局その棘は根を張り、彼女の結婚生活を崩壊させた。

彼女の忍耐は、最大の笑い話になってしまった。

秀一が帰ってきたのは、すでに夜の10時を回ったころだった。

家の中は静まり返っており、家政婦だけがいた。

「奥さんはどこにいる?」

家政婦が外套を受け取り、低い声で答えた。「奥様は帰ってすぐお部屋に戻られました。夕食もまだ召し上がっていません」

秀一は眉をひそめた。

「お粥を温めて、お部屋にお持ちしましょうか?」

「いいよ、必要ない」秀一は淡々と言った。「お腹が空いたら自分で降りてくるはずだから」

家政婦はそれ以上何も聞かなかった。

秀一はシャワーを浴びてから書斎でしばらく過ごしたが、11時を過ぎたころ、時計を見た。

いつもならこの時間に美穂が牛乳を持ってきていた。たとえ喧嘩をしていても、家政婦が届けに来るはずだ。

だが今日は、11時を過ぎても書斎の扉は一向に開かれない。

書類にも集中できず、何分か経ってから、彼はついに席を立ち、寝室へ向かった。

ドアを開けると、部屋は真っ暗で、かすかにベッドに横たわる人影が見えた。

美穂はドアが開いた瞬間に目を開けたが、動かずにじっとしていた。彼女は隣のベッドの沈み込む感触を感じ、秀一が横に横たわったのを知った。

彼女は身を翻し、手を彼のパジャマの中に差し込んだ。

彼の筋肉が一瞬で緊張するのを感じ、彼女の手はさらに大胆になった。

秀一の呼吸が荒くなり、彼女の手がさらに下に伸びようとしたその瞬間、彼は彼女の手をつかみ、彼女を押し倒した。「何をしてるんだ?」

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