梶原茉衣 28歳 × 浅野一樹 25歳 最悪の失恋をしたその夜、茉衣を救ってくれたのは、3歳年下の同僚、その端正な容姿で、会社一の人気を誇る浅野一樹だった。 「抱きしめてもいいですか。今それしか、梶原さんを慰める方法が見つからない」 「行くところがなくて困ってるんなら家にきます? 避難所だと思ってくれればいいですよ」 成り行きで彼のマンションにやっかいになることになった茉衣。 徐々に傷ついた心を優しく慰めてくれる彼に惹かれてゆき…… 超イケメンの年下同僚に甘く翻弄されるヒロイン。 一緒にドキドキしていただければ、嬉しいです❤️
Lihat lebih banyak熱心に誘ってくれる彼を見つめながら、わたしは首をかしげた。「どうしてそこまで言ってくれるの?」「うーん。一人にするのが心配だから、かな」「一人にするのが心配って……えっ? わたし、自殺でもしそうな顔してる?」「そんなことないですよ、今は。でも一人になったら衝動にかられるかも知れないでしょう。ね、お願いだから俺の言うことを聞いてください」お願いまでされてしまった。これ以上、押し問答を続けること自体が迷惑か。結局、わたしは彼の好意に甘えることにして、「わかった。じゃあ、お願いします」と頭を下げた。彼は顔をほころばせて、頷いた。 「家、大崎なんでちょっと遠いけど。この時間なら渋滞もないし、時間そんなにかからないと思いますよ。車、あっちに停めてるんで」彼はわたしのキャリーバッグを手にすると、駐車場を目指して歩きだした。それから20分ほどで、目的地に到着した。 「ここです」 浅野くんは、そびえ立つ高層マンションの駐車場に車を進めた。 え、ここってもしかして、最近できたばかりの話題のタワマンじゃない。まさか、自分でここ、借りてるんじゃないよね!?「驚いた。すごいところに住んでるんだね」 「もちろん親名義ですよ。節税対策とかで。俺としては早く親がかりから卒業したいんだけど」やっぱり。でも節税で都心の新築タワマンって。 彼の家、どれほどの金持ちなんだろう。
「あの……抱きしめてもいいですか。今それしか、梶原さんを慰める方法が思いつかない」 答える前に彼はわたしを引き寄せた。コートを隔てていても彼の体温が伝わり、わたしを優しく包み込む。「あ……さの……くん」 彼はわたしの頭に手をおいて、優しく撫でてくれる。「ひどい目に合いましたね。かわいそうに」心地よすぎて、また涙が溢れ出す。 まずい……涙と一緒に鼻も出る。 「コート、汚しちゃう」鼻をすすりながら、わたしは言った。「そんなの、どうでもいいですよ。梶原さん、行くところがなくて困ってるんですよね。じゃあ俺の家に来ます?」「えっ?」驚いたわたしは、思わず彼を見上げていた。 彼は腕をほどき、身体を離した。 「下心はないですよ。この状況につけこもうなんて、まったく思ってない」 わたしは即座に答えた。 「ううん、それはぜんぜん心配してないけど」その言葉に彼は苦笑を漏らす。 「そこまではっきり肯定されるのも、男としてはどうなんだろうと思いますけどね」「違うよ。そういう意味じゃなくて、浅野くんはモテるから、わたしみたいなアラサーは範疇外だろうと思っただけで」 彼は肩をすくめた。 「まあ、遠慮せずにシェルターだと思ってくれればいいですよ」
「本当に誰にも言わないでね。家に帰ったら……わたしたちの寝室で宣人と岡路留奈が抱き合ってたの。それで後先考えずに飛び出してきてしまって……」浅野くんが小さく息を飲んだのがわかった。 そして吐き捨てるように言った。「なんだよ、それ」思いがけなく強い口調だった。思わず振り返ると、彼はまるで自分がひどい目にあったように眉を|しかめていた。嬉しかった。この苦しさを理解してくれる人がいる、今のわたしに一番必要なのはそのことだと気づいた。「……本当に酷すぎますね。それで、伊川さんは梶原さんに見られたこと、気づいたんですか」「うん。ベッドにいたふたりに鍋で水ぶっかけて飛び出してきたから」浅野くんは目を見張り、そしてさっきまでのけわしい表情をちょっとゆるめた。「水を? やるな。さすが梶原さん」「そんなことで感心しないでよ。だから今から、今晩、泊まるところを探さなきゃいけないんだ」 わたしは大きなため息をついた。また情けなさと悔しさと一緒に涙がこみあげてきた。 もう隠す必要はないので、わたしは手で顔を覆って泣きじゃくった。「もうほんとに……信じられない……よ、こんなの」「梶原さん……」 ひくひくとしゃくりあげるわたしの両肩に、浅野くんはそっと手をかけてきた。それでも下を向いたまま泣き続けるわたしの耳元にそっと囁いた。
「ああ、喧嘩したんですね。宣人さんと」 「そんな自信ありげに」彼はやはり形のいい唇の端を少し持ちあげた。「だって、もろ顔に出てますよ。正直な人なんですね、梶原さんは」わたしはちょっと肩をすくめた。「なんかバカにしてない? まあ、いいけど。喧嘩、ならまだましだったんだけどね」とつい口にしてしまった。しまった。これじゃ話を聞いてくれって言っているようなものだ。案の定、浅野くんは「何かあったんですか? 俺でよければ、話、聞きましょうか」とわたしの顔を見つめてきた。興味本位な口ぶりではなかった。 心から心配してくれているのが伝わってくる真剣な声音だった。「うーん、ありがとう。でも、いいよ」彼も同じ部の同僚。 あまりにも身近すぎて打ち明けるのをためらった。それでも、浅野くんは引き下がらない。「部内一のしっかり者、梶原女史が泣くなんて、よっぽどのことでしょう? 話したほうがすっきりしますよ。心配しなくても誰にも言いませんから」そう言って、柔らかく微笑んだ。そんな彼の優しさが、弱っている心にモロに響いた。また涙がこぼれそうになり、慌てて後ろを向いた。 そして欄干に手をおいて暗い川に目をやった。浅野くんはその後ろで、ただ静かにわたしが口を開くのを待ってくれている。 わたしは、彼の方は見ずに話し始めた。
「暗いのに、よくわたしだって気づいたね」 鼻をすすりながら、わたしは尋ねた。「まず、遠くから見て、全体のシルエットに見覚えがあるなと思って。それにそのコートも、梶原さん、よく着てるでしょう。あ、でも決め手は、スマホの光で顔が照らされたからですよ。こんな時間に、誤って知らない女性に声をかけるのはさすがにヤバいので」その観察力と冷静な判断、いかにも彼らしい。 ぼんやりとそんなことを思いながら、ふたたび尋ねた。「で、浅野くんは? こんな時間になんでこんなところに?」「これです」と言ってから、彼は肩にかけていたカメラをわたしの前に差しだした。 わたしが首をひねると、彼は言った。「俺、趣味でカメラやってるんです。特に夜景を撮るのが好きで。前から、永代橋からリバーシティを撮りたいと思ってて」「へえ、初耳」 「誰にも言ってないから。夜景撮るのが趣味、ってなんか暗くないですか」「そうかな。そんなことないんじゃない?」その返事が、いかにもおざなりに聞こえたんだろう。 浅野くんは形のいい眉を少しだけしかめた。「どうでもいいって感じの答えですね。俺に興味ないのが見え見え。まあ仕方ないか。宣人さんの彼女ですもんね、梶原さんは」ふいに宣人の名前を出されて、つい表情を歪めてしまった。 そんなわたしの反応に、彼は納得顔で頷いた。
キャスターをがたがた言わせながら門前仲町のマンションから茫然と歩きつづけ、気づいたときには永代橋まで来ていた。勝ち組の象徴のようなタワマンの明かりが暗い川面を彩っている。 嫌になるほど、ここから見る夜景は美しい。落ち着いて考えれば、わたしが飛び出す必要はまったくなかった。23時近いので、人通りは少ない。たまに通りかかる人も、不審げに視線を向けるだけで声をかけてはこない。当たり前だ。夜更けに橋の上で泣いている女なんて地雷以外の何ものでもない。そのまましばらくそこにたたずんで、走り去る車を見るともなしに眺めていた。でも、今は2月。それも深夜だ。今年は暖冬で、昼間は異常なほど暖かい日もあったけれど、夜は冷え込む。だんだんと指先やつま先の感覚が無くなってきた。ひとまず24時間営業のファストフード店かファミレスを探そう。 ようやくそんな気が起こり、ポケットからスマホを出し、かじかむ手で検索をはじめた。そのときだった。 向こうから足音が近づいてきたのは。「やっぱり、梶原さんだ」親し気に声をかけてきたのは、浅野くんだった。「えっ、浅野くん?」うわ、こんなときに知り合いに会うなんて最悪。まずそのことが頭にのぼってきた。そして、今さら無駄だとは知りつつ、わたしは慌てて手の甲で涙をぬぐった。
どういうこと……いつの間にあの二人……わたしはあの日の留奈の視線を思い出し、ハッとした。横取りを狙ってたってこと?頭に血が上るって、こういうことを言うのか。 「うわっ!」 「キャーッ! やだ、な、何!」驚いてこっちを見た宣人は、ベッドの横で仁王立ちになっているわたしを見て目をむいた。 「茉衣。おまえ、帰るの明日じゃ……」手に持っていた鍋を放り出すと、テーブルに当たって派手な音を立てた。その勢いのまま、わたしは宣人の頬を平手で思いきり打った。 手のひらがじんとするほど強く。「最低!」そう言い捨てたところまではしっかり記憶に残っている。でも、それからあとのことはよく覚えていない。こんなところには、一秒たりともいたくない。頭にあったのは、それだけだったように思う。で、ショルダーとキャリーバッグを手に、勢いで飛び出してきてしまった。戻って、二人を叩き出す?でも、今からあそこに帰って、あの二人とやり合うなんて、考えられない。そこまでの気力は残っていなかった。それにしても、さっき耳にした二人のやりとりが頭にこびりついている。 ふたりの部屋であんなことするなんて、あまりにもひどすぎる。裏切られた悔しさが、ふたたび身の内に溢れかえってくる。 あんな奴らのために泣くなんてもったいないと思うのに、涙が勝手に頬を伝ってしまう。
東京に到着したのは土曜日の午後10時ごろ。 列車に乗ったとき、宣人に連絡を入れたけれど、まだ既読はついていない。この時間だから、もうとっくに食事は終えているだろうと思い、自分も駅で適当に済ませてから、帰宅の途についた。 部屋についたとたん、目に入ってきたのは、見覚えのあるレースをあしらったベビーピンクのパンプスだった。そして…… 寝室のドアの隙間から漏れているのは、光だけではなかった。 女の甘ったるい声も耳に飛び込んできた。「あ、宣人さん、ねぇ……そんなことしたらだめだって……あァんっ!」 「だめなんて思ってないくせに、ほら……もっと脚、開けよ」 「やん、エッチぃ」会話だけではなかった…… 衣擦れ、肌と肌がぶつかり合う音。荒い息遣い。 そんな、あからさまに淫らな物音も、否応なく耳に入ってくる。「肌、すべすべで真っ白だな」 「ねえ、梶原さんとどっちが綺麗?」 「そりゃ……留奈だ。手触りが違う」 「あーん、もお、宣人さん大好き」互いを貪ることに夢中になっている彼らは、玄関ドアが開いたことなど、全く気づいていないらしい。はじめて覚える感覚に卒倒しそうになりながらも、足音を忍ばせてキッチンに行き、ガスコンロに置きっぱなしになっていたパスタ用の大鍋を水で満たした。そして、鍋を両手で持ったまま、足で乱暴に寝室のドアを開け、ベッドで絡み合っているふたりの上に一気にぶっかけた。
「茉衣、帰ってこられるか。母さんの具合がよくなくてな」父から電話がかかってきたのは、翌週の水曜日の午後のことだった。母は昔から心臓が悪く、わたしが大学を卒業したころから、入退院を繰り返すようになっていた。「わかった。休暇もらえるように頼んでみる」母が病気であることは前から上司に話していた。繁忙期ではなかったので、その日の半休と木曜、金曜の休暇がもらえた。 わたしは急いで部屋に戻り、荷物をまとめ、新幹線で2時間あまりの実家に向かった。外回りに出ていた宣人(のぶと)には「日曜日に帰る」とだけ連絡して。 病院に着いたとき、母の容態は好転していた。早めに処置したことが幸いしたようだ。「お母さん、大丈夫?」と、わたしは母の手を握った。「茉衣、帰ってきてくれたんだね。ごめんね」弱々しいながらも、母はしっかりとわたしの手を握りかえした。父が戻ってきて、スツールを引き寄せて、わたしの横に座った。「会社を休ませて悪かったな。お医者さんの話では今回は問題ないようだ」「ううん、大丈夫。有給がだいぶ溜まってたし。お母さんの顔が見られて安心した」その日から2日間、実家に滞在した。その後も母の具合は良好だったので、わたしは予定を切り上げて1日早く帰ることにした。急な外出で家事もたまっているし、早く宣人の元に帰りたかった。
「はい。冴木システム開発SS事業部、梶原です。はい……浅野ですね。少々お待ちください」ここは大手家電メーカーSAEKIのグループ企業、冴木システム開発株式会社。主な業務はSAEKIの社内システムの構築や管理だけれど、うちの部は主に中小企業向けのシステムを個々の会社にカスタマイズして提供している。電話を取ったわたしは梶原茉衣(まい)。入社して5年の28歳。この事業部の事務全般に携わっている。「はい、ありがとうございます。では、すぐに手配いたします」浅野くんが電話を置くと同時に、山田課長が声をかけた。「さんざんごねてた社長、とうとう折れたのか」「はい。何度か社長に直接お会いして、説明を重ねて、ご納得いただいたようです」「さすが浅野だな、よくやった」浅野一樹。わたしより3期後輩の25歳。最近、めきめきと頭角を現している営業社員だ。わたしも彼の営業力は相当なものだと、常日頃、感心している。製品に関する知識が豊富で顧客の希望に的確に応えるし、アフターフォローも完璧だし、クレームにも誠心誠意対応して、逆に相手の信頼を勝ち得ている。評判が評判を呼んで、彼を指名してくる新規の顧客もいるぐらい。そして、とびきり美形の彼は、クライアントだけでなく、社内の女子たちの憧れの的だ。「ちっ、顔のいい奴は得だよな」そう言いながら、書類を手にわたしの席にやってきたのは、同期の伊川|宣人(のぶと)。彼も営業だ。...
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