39歳独身悠人の家に突然、幼馴染小百合の娘、18歳になった小鳥がやってきた。 5歳の時に悠人とした、悠人のお嫁さんになると言う約束をかなえるために…
view more「悠〈ゆう〉兄ちゃん、泣いてるの?」
夕焼けに赤く染まった公園。
ベンチに座り、肩を震わせている男に少女が囁く。
「悠兄ちゃん寂しいの? だったら小鳥〈ことり〉が、悠兄ちゃんのお嫁さんになってあげる」
そう言って、少女が男の頭をそっと抱きしめた。
* * *3月3日。
終業のベルがなり、作業を終えた彼、工藤悠人〈くどう・ゆうと〉が事務所に戻ってきた。
「お疲れ様でした、悠人さん」
悠人が戻ってくるのを待ち構えていた、事務員の白河菜々美〈しらかわ・ななみ〉が悠人にお茶を差し出す。
「ありがとう、菜々美ちゃん」
悠人が笑顔で応え、湯飲みに口をつける。
その横顔を見つめながら、菜々美が深夜アニメ『学園剣士隊』について話し出した。感想がしっかり伝わるよう、一気にまくしたてる。「やっぱり悠人さんの言ってた通り、生徒会が絡んでるみたいでしたよね。最後のシルエット、あれって生徒会長ですよね」
悠人に心を寄せる菜々美にとって、悠人と話せる昼休み、そして終業後の僅かな時間は貴重だった。
工場主任で、作業が終わってから書類整理の仕事が残っていると分かってはいるが、限られた時間、少しでも悠人と話したいとの思いに負け、こうして話し込んでしまうのだった。 机上の納品書に判を押しながら、悠人もそんな菜々美の話に、いつも笑顔でうなずいていた。アニメの話がひと段落ついた所で、菜々美が映画の話を切り出してきた。
「実家からまた送ってきたんですよ、優待券」
「ほんと、よく送ってきてくれるよね、菜々美ちゃんのお母さん」
「民宿組合からよくもらうんですよね。で、よかったらなんですけど……悠人さん、また一緒に行ってもらえませんか」
「そうだね……次の連休あたりになら」
「あ、ありがとうございます!」
菜々美が嬉しそうに笑った。
* * *コンビニに入った悠人は、ハンバーグ弁当と味噌汁、コーラをカゴに入れてレジに向かった。
家のすぐ近くにあるこのコンビニの店長、山本とはここに越してきた頃からの付き合いだった。「奥さんが留守だと大変だね。弥生〈やよい〉ちゃんは今、東京だったよね」
「ええ、池袋の方に行ってるそうです。あさってには帰ってきますけど、また遠征話で盛り上がりそうです……って、だから嫁さんじゃないですから」
「あはははっ。早く結婚しちゃいなよ、あんたたち」
「こんな40前のおっさんなんて、20歳の弥生ちゃんにはかわいそうでしょ。人生倍も違うんですよ」
「あらそう? でも弥生ちゃんの方はまんざらでもないんじゃない?」
「勘弁してよ、おばちゃん……」
* * *悠人は部屋の7階まで、健康の為にいつも階段を使っていた。このマンションに越してきて10年、毎日続けているおかげで、階段を上る足取りは40前とは思えないほど軽やかだった。
隣の弥生ちゃんは東京遠征、しばらく家も静かだな……そう思いながら7階に近付いた時、悠人は人の気配を感じた。「……?」
過疎マンションのこの階には、悠人と弥生しか住んでいない。
気のせいか? そう思いながら廊下を歩いていくと、悠人の部屋の前で座っている少女の姿が目に入った。「え……」
いかんいかん、アニメの見過ぎで妄想がここまで来たか。
一度足を止めた悠人は、ひと呼吸入れて再び玄関に目をやった。幻覚ではない。確かにそこに少女がいた。
ショートカットの黒髪、赤のダウンジャケットに薄紅色の手編みマフラー。そして黒のリュックを背負ったその少女の横顔には、どこか懐かしい面影を感じた。
「……小鳥?」
悠人がそうつぶやいた。その声に振り向いた少女は、悠人の姿に大きな瞳を輝かせた。
「悠兄ちゃん!」
そう叫ぶやいなや、立ち上がった少女は悠人に飛びついてきた。
「え? え?」
いきなり抱きつかれた悠人が、思わず声を漏らす。しかし混乱する頭の中で今、少女が言った言葉がこだましていた。
――悠兄ちゃん――
俺をそう呼ぶ人間はこの世でただ一人。やっぱりこいつは小鳥だ。
「悠兄ちゃん! 久しぶり!」
過疎化しているマンションに、少女の声はよく響いた。なんてテンションだ、この娘は……そう思いながら悠人は、少女の両肩をつかんで離し、
「なんで小鳥がここにいる」
そう言った。しかし少女はそれに答えず、キラキラ光る瞳で悠人の顔を見て、再び抱きつき頬ずりしてきた。
「やっと会えた! 小鳥、ずっと会いたかったんだから!」
「会いたかったってお前、学校は」
「小鳥はめでたく高校卒業。昨日卒業式だったんだよ。それでね、どうしても卒業旅行がしたくって、お母さんに無理言ったの」
「卒業旅行……と言うことは小鳥、大学は?」
悠人の問いに、小鳥が照れくさそうにVサインをした。
「無事合格、4月から花の女子大生です」
その言葉に、悠人が安堵の表情を浮かべた。
「そうか、合格したのか、よかった……よく頑張ったな、小鳥」
悠人が小鳥の頭を撫でる。その仕草に、小鳥が顔を真っ赤にして微笑んだ。
「にしても早いな。最後に会ったのは5歳だから、あれからもう13年も経つのか」
「お母さんも賛成してくれたんだ、卒業旅行。小鳥、嬉しくて興奮しっぱなしだったんだ」
3月とはいえまだまだ寒い。それにいくら過疎マンションでも、玄関先での会話はマナー違反だ。とにかくここではと、悠人が小鳥を家に入れた。
「悠兄ちゃんのお家、なんか緊張しちゃうね。おじゃましまーす」
靴を脱いだ小鳥が、そう言って部屋に入ろうとした。その小鳥の腕を悠人がつかむ。
「この部屋に入るからには、お前にもルールを守ってもらうぞ」
悠人はそう言って小鳥を洗面所に連れていき、うがいと手洗いをさせた。
「風邪、まだ流行ってるからな」
「悠兄ちゃん、お父さんみたい」
台所の先に和室があり、悠人は小鳥と入っていった。
「その辺に適当に座っていいよ。ところで小百合〈さゆり〉……母さんは元気にしてるのか?」
「うん、元気元気すこぶる元気。母さんも今旅行中なんだよ。女一人旅」
「そうか、元気ならまあいいや。で小鳥、その卒業旅行っていつから行くんだ? 友達と海外にでも行くのか?」
「違うよ。小鳥の旅行、もう始まってるよ」
「え?」
「小鳥の卒業旅行はここ。悠兄ちゃんのお家」
「……は?」
「そして今から、悠兄ちゃんに重大発表があります」
「ちょっと待て、ここが旅行ってなんの」
「はいこれ」
聞く耳持たない小鳥が、一枚のDVDを悠人に突き出した。
この勢い、母親と全く同じだ。そう思いながら受け取った悠人は、デッキにDVDを入れた。「……」
なぜかハリウッド映画会社のオープニングが流れ、その後画面にアニメ「魔法天使〈マジック・エンジェル〉イヴ」のフィギュアが映し出された。
そして聞こえる懐かしい声。小百合だった。「悠人―、ひっさしぶりー! 元気してるー? 悠人の永遠のアイドル、水瀬小百合〈みなせ・さゆり〉ちゃんでーす!」
相変わらずの元気な声。悠人の顔がほころんだ。
画面はイヴのフィギュアから動かない。時折画面の端に、白い指が意地悪そうに入ってくる。「とまあ、出だしの挨拶はこれぐらいにして……ゴホンッ。悠人は今、小百合の顔を見たいと思ってるよね? でもでも悠人と離れてはや10年、流石の小百合も非情な時の流れには勝てず……まぁ美貌は健在なんだけどね。小鳥と相談してね、悠人の大切な初恋の夢を壊さない為、今回は声だけのメッセージにしました」
確かにそうだ。しばらく会ってないから忘れていたが、俺と小百合は同い年なんだ。
小百合ももう、そんな年か……感慨深げに悠人がうなずいた。「今悠人の隣にいる小鳥は、艱難辛苦を乗り越えて、念願叶って見事希望の大学に合格しました。悠人も気になってたと思うけど、小鳥の受験の邪魔しないって約束で、この一年連絡禁止にしてたから、きっとやきもきしてたでしょうね。でも悠人、あんたの協力もあって、小鳥は無事合格出来ました。ありがとね。
その小鳥に私、ひとつだけ何でも望みを叶えてあげるって言ったの。そして小鳥が出した望みがこれ。悠人、よーく聞くのよ。『私、悠兄ちゃんのお嫁さんになりたい』って」
「…………は?」
「悠人。あんた私たちが引越しする時、小鳥と約束したらしいじゃない。小鳥が大きくなったら結婚してあげるって。小鳥はね、ずっとその約束を忘れずに頑張ってきたんだよ」
「ちょっと待て、あれは小鳥が5歳の時の話だぞ」
「だから私は母として。可愛い娘の一途な想いに報いてあげたくて、今回の旅行に賛成しました。私もちょうど、温泉旅で女を磨きなおしたいって思ってたところだったし。今から私は陸奥〈みちのく〉一人旅、小鳥は浪速〈なにわ〉一人旅」
「なんだそれは。うまいこと言ってるつもりか」
「だけどもちろん、悠人もいきなり小鳥と結婚って言われても、はいそうですかとはならないよね。悠人は今でも小百合一筋、分かってるよ。小鳥から愛を告白されても戸惑うでしょう。だから悠人、小鳥にはひとつだけ条件をつけました。
今日から3ヶ月の期限付きです。それまでに悠人の心をつかめたならOK、もし3ヶ月経っても悠人の心が動かなかったら、その時は諦めて帰ってきなさい、そう言ってます。だから悠人、しばらく小鳥の面倒みてやってね。そして悠人の意思で、小鳥を選ぶかどうか、決めてあげてほしいの。一人の女の子として」「あ、あのなあ……」
「でも悠人、根性いれて小鳥と過ごしなさいよ。恋する女は強いからね。あ、それと小鳥、小鳥も頑張るんだよ。悠人は母さん一筋だけど、母さんの遺伝子を持ったあなたならだいじょーぶ。年の差なんて関係ない、恋する女は誰にも負けないからね。じゃあそういうことで悠人、小鳥、頑張ってねー」
好き勝手言うだけ言って、DVDは終わった。
朝。 何かがまとわりついている感覚に、悠人〈ゆうと〉が目覚めた。「げっ……」 ネグリジェ姿の沙耶〈さや〉が布団に潜り込み、悠人にしがみついていた。「また……お前か……」 沙耶を起こそうと体を向けると、胸元に視線がいった。ネグリジェがはだけ、沙耶の微乳があらわになっていた。「お、おい、起きろ沙耶」 赤面した悠人が、慌てて沙耶の肩をゆする。「う……うーん……」「ひっ……さ、沙耶……」 甘い匂いに動揺する。 沙耶の小さな唇が、悠人の耳元をかすめた。「ゆう……と……」 耳元に沙耶の声。顔には沙耶の金髪が、足には細い足が絡みつく。 ガンガンガンガンッ! 突然頭の上に、金属音が鳴り響いた。慌てて見上げると、小鳥〈ことり〉がフライパンとお玉を持って立っていた。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、おはよう」 意地悪そうに、ニンマリと笑う。「いや、これはその……違うんだ小鳥」「最高のお目覚めだね、悠兄ちゃん」「……この状況でそれを言うか? 知ってたんなら助けてくれよ」「だってサーヤ、今日引越しだからね。最後の夜だし、悠兄ちゃんを貸してあげようと思って」「貸してってお前……それは自分の持ち物って前提じゃないか」「ほらサーヤ。そろそろ起きないと、引越し屋さん来ちゃうよ」「ん……」「おはようサーヤ。よく眠れた?」「おはようございます、小鳥&hellip
「これはまた……面妖な味だな」 菜々美〈ななみ〉の淹れたコーヒーを口にして、沙耶〈さや〉がつぶやく。「北條さん、コーヒー駄目だった?」「いえいえ、違うんですよ白河さん。このサハラ砂漠、インスタントコーヒーなるものを飲んだことがないんですよ。なにしろお嬢様らしいですから。胸は平民以下ですけどね、おほほほほほっ」「そう言うお前は、こういう平民飲料水で無駄な色香を育てた訳だな」「二人ともほんと、何がきっかけでも会話が弾むよね」 小鳥〈ことり〉が笑う。菜々美もつられて笑った。「みなさんほんと、楽しいですね」「あははっ……でも白河さん、想像してた通りの人ですね」「私ですか?」「はい。悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、よく白河さんの話をするんです。その時の悠兄ちゃん、いつも楽しそうで。だから白河さんに会えるの、すごく楽しみだったんです。やっと今日会えて、悠兄ちゃんがあんな顔をする理由、分かった気がしました」「どんな風に分かったのか、聞いてもいいですか?」「白河さん、きっとすっごく優しくて、気遣いの出来る人なんだと思います。そして多分、どんなことにも一生懸命なんだろうなって」「……すごく壮大な分析ね」「私も白河さんのお話は伺ってましたが、確かにその時の悠人〈ゆうと〉さん、優しい顔をしてました。私結構、嫉妬全開でしたよ」 弥生〈やよい〉が入ってくる。「しかも白河さん……なかなかどうして、結構なものをお持ちなようで」 弥生の視線に、菜々美が慌てて胸を隠した。「な、なんですか川嶋さん、その目怖いですよ」「いえいえ、男所帯の町工場に咲く一輪の花。それを想像するに私、次の作品のいい刺激になると言うかなんと言うか……とりあえず白河さん、その胸をば少々触らせてもらっても」 ガンッという音と共に、弥生が頭を抑える。沙耶のトレイ攻撃だった。「ぷっ……」 菜々美が再び吹き出した。「あははははははっ」
(あれから気まずくなるかなって思ってたけど、悠人〈ゆうと〉さん、思ったより自然に接してくれて……嬉しいような寂しいような…… あれ以来告白してないけど、それでも、悠人さんの一番近くにいるのは私だって思ってた。だから変な安心感があったんだけど……最近、悠人さんから女の子の話をよく聞くようになって……私、このままでいいのかな……) コーヒーを飲み干し、悠人が立ち上がる。「よし。じゃあもうひと踏ん張りするね」「じゃあ悠人さん、頑張ってくださいね」「菜々美〈ななみ〉ちゃんもありがとね。うまくいけば、あと2時間ぐらいで片がつくと思う。菜々美ちゃん、いつでも帰っていいからね」「私、今日は最後までいます。いさせてください」「いてくれるのは嬉しいんだけど。菜々美ちゃんは大丈夫なの?」「勿論です。悠人さん一人に大変な思いはさせられません。何もお手伝い出来ないけど、せめて完成するのを見届けさせてください」「分かった。ありがとう、菜々美ちゃん」「それに……こうして一緒に、二人きりでいられるのも久しぶりですから……」 そう言うと菜々美はカップを持ち、足早に事務所に戻っていった。 * * * 菜々美は悠人の椅子に座り、膝を抱えて考え込んでいた。(思わずあんなこと言っちゃった……今までずっと自然に振る舞ってたのに、なんであんなこと言っちゃったんだろう……焦ってるのかな、私……) 菜々美は悠人の変化に動揺していた。最近の悠人はこれまでよりも優しく、強く、誠実さを増しているように感じる。それはまるで、人生において目標を見つけたかのような変化だった。 明らかに悠人は変わった。そしてその原因が、最近悠人が口にする「小鳥〈ことり〉」によるものなのか……そのことを考えると、言いようのない不安に襲われた。(幼馴染の子供、小鳥ちゃんか……) 時計を見ると21時をまわっていた。「そうだ、うっかりしてた!」
飲み会が終わり。 菜々美〈ななみ〉は小雨の繁華街を、一人歩いていた。(悠人〈ゆうと〉さん、私のことをどう思ってるんだろう……やっぱり妹なのかな……) そんなことを考えながら信号が変わるのを待っていると、サラリーマン風の二人が近寄ってきた。「君、今一人?」「よかったら一緒にどう?」 明らかに酔っている二人が、菜々美の肩を抱いてきた。「あ、あの……やめてください」「いいじゃないの。どうせこうして声かけられるの、待ってたんでしょ」「楽しいからさ、一緒に飲みにいこうよ」 肩を抱く手に力を込める。 男に免疫のない菜々美の足が、がくがくと震えてきた。助けを求めたいが声も出ない。「あれ? ひょっとして震えてる? 大丈夫だよ、俺ら優しいから」 涙があふれてきた。「はいはいウブな真似はもういいから。行こ行こ」「……菜々美ちゃん?」 聞き覚えのある声がした。菜々美が顔を上げると、そこに悠人が立っていた。「ゆ……」 悠人の顔を見た瞬間、緊張感が一気に解け、その場にへなへなと座り込んでしまった。「うっ……」 口に手を当てると同時に、涙が頬を伝った。「ほんとに泣いちゃったよ」「てか、お前誰だよ」「何してるんだ……」「何だお前、喧嘩売るってか」「何してるんだっ!」 悠人が傘を投げ捨て、今にも飛び掛りそうな勢いで二人を睨みつける。 その勢いに、二人が一瞬後退る。しかしすぐに態勢を戻し、悠人に突っかかっていこうとした。「ふざけるなお前ら! 消えろ!」 悠人の大声に、通行人たちが足を止めて見物しだす。周りに人が集まってきたことに気付いた二人は、「けっ……格好つけてるんじゃねぇぞ!」 そう捨て台詞を残し、その場から去っていった。「……」 通行人たちも立
その日は朝から、冷たい雨が降っていた。 * * *「今日は早めに帰れるから。明日は沙耶〈さや〉の引越しで忙しいだろうし、今日は三人でゆっくりしよう」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、何時頃に帰れそうなの?」「明日出荷するやつも昼には片付きそうだし、トラブルがなければ18時にあがれるよ」「そうなんだ。私も18時あがりだから、ゆっくり出来るね」「沙耶は今日、どうするんだ?」「今日はネット三昧だ。ブログの更新も止まってるからな。生存報告をしておくつもりだ。 それはそうと遊兎〈ゆうと〉、お前は何の仕事をしているのだ?」「金型工だ。部品を作る為の型を作ってるって言えば分かるかな。たい焼きを作る金属の型みたいなやつ」「ほほう。遊兎の仕事はたい焼きの製造か」「耳に残った言葉だけで理解するな。これでもうちの会社は、世界で認められてるんだからな。明日納品するやつも、アメリカの航空会社の部品なんだぞ」「へぇー。難しいことは分からないけど、すごいんだね」「あそこが満足出来る精度の物を作れる会社は、日本でも数えるほどしかないんだからな」「よく分からぬが、すごいと言うことは理解出来た。遊兎、仕事に励むがよい」「褒められた気が全くしないんだが……とにかく今日は早く帰るよ」 * * * 昼休み。 食後に菜々美〈ななみ〉と話していると、工場長が血相を変えて食堂に入ってきた。 そう言えば午前中、工場長が電話でやりとりしていたが、何かトラブルでもあったのだろうか。そう思いながら悠人〈ゆうと〉が尋ねた。「工場長、どうかしましたか」「工藤、ややこしい話なんだが……」 話はこうだった。 明日納品する商品の中で、先方が発注漏れしていた部品があったらしい。先方のミスなのだが、無理を承知で頼み込んできた。何とか明日の納品に間に合わせてもらえないかと。「それで、そ
風呂からあがると、沙耶〈さや〉も小鳥〈ことり〉の部屋に入っていった。何やらこそこそと話をしている。悠人〈ゆうと〉はあえて突っ込まず、「二人とも湯冷めするなよ」 そう言って風呂に入った。 小鳥が来てからというもの、悠人は毎晩湯につかっていた。浴槽に湯をはるのは年に一度か二度だったが、いつの間にかそれが習慣になっていた。 冷えた体で湯船に入った時の感覚は、確かに贅沢この上ない物だ。目の辺りに水で濡らしたタオルを置き、そのまま肩まで湯船につかる。(あさっては沙耶の引越しか……引越しの手伝いなんて、小百合〈さゆり〉が田舎に引っ越した時以来だな……沙耶がどんな家具を持ってくるのかも気になる……まさかプリンセスバージョンのベッドとか、持って来るんじゃないだろうな…… それと……ここしばらく小鳥をほったらかしだから、明日は早めに帰って、ゆっくり付き合ってやるか……) 湯船から出て、体を洗い出したその時だった。 勢いよくドアが開かれたかと思うと、小鳥と沙耶が乱入してきた。「どわああああああっ!」 悠人が前を隠して絶叫する。見ると二人とも、どこから持ってきたのかスクール水着を着ていた。「お、お、お前ら!」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃーん、今日は二人でご奉仕してあげるねー」 沙耶は胸の辺りを両手で隠し、もじもじしていた。「お、おい小鳥……さ、さすがに少し……恥ずかしいのだが……」「だったらするなよ!」「可愛いから大丈夫だよ。胸の辺りにゼッケンつけて、平仮名で『ほうじょうさや』って書いたら完璧。悠兄ちゃんのストライクゾーンだよ」「意味不明だ小鳥!」「いいからいいから。さあ悠兄ちゃん、美
その時インターホンがなった。小鳥〈ことり〉がモニターを覗くと、弥生〈やよい〉の姿が見えた。「弥生さんだ」 小鳥がドアを開け、弥生を連れて戻ってきた。「悠人〈ゆうと〉さん、川嶋弥生、無事サークル打ち上げから帰還いたしました。二日ぶりであります、ビシッ!」 そう言って敬礼する。「いや、だから……ビシッって擬音はいらないと何度言えば」「いやー、しかしヲタ文化は奥が深いです。今回は別のサークルとの親睦会を兼ねていたのでありますが、そこにいたメンバーと熱く語っていく内に『ナイト・シド』の新しい魅力と方向性を発見した次第でありまして……やはりヲタも10人いれば10の見解があるものでして、それはもう新鮮で堪能出来たと言うかなんと言いますか…………ん?」 饒舌に語っていた弥生の目に、金髪のツインテール、小さな美少女の姿が入った。 弥生の顔が強張る。「な、な、な……悠人さん、なんですかこの、絵に描いたようなツンデレ幼女は」 警戒レベル5の面持ちで、弥生が沙耶〈さや〉を凝視する。「おいエロゲーお約束メガネ女。ひょっとしなくてもツンデレ幼女とは、私のことを言っているのか」 何故か沙耶も、臨戦態勢に入っていた。最初から毒全開である。「ほほう。メガネをお約束と言うからには、それなりに素養はお持ちのようですね。このシークレットブーツ愛用者」「ふん、貴様こそ分かっているのか無駄乳女。メガネは所詮、メインヒロインにはなれんのだぞ。よくてサブだ。死ぬまでその座に甘んじてみるか」「ツルペタ無乳未成熟女がなにやら吠えてますね。悔しかったらその発育不良な無乳を揉んで、発育の手助けでもしてあげましょうか」「おいおいお前ら、なんでいきなり喧嘩腰なんだよ」「悠人さん!」「遊兎〈ゆうと〉!」「は、はい……」
悠人〈ゆうと〉が帰宅すると、すでに食事の用意が出来ていた。 リビングでテーブルを囲んでいる小鳥〈ことり〉と沙耶〈さや〉。二人は仲良く談笑していた。「おかえりなさい、悠兄〈ゆうにい〉ちゃん」「ああ、ただいま」「遅かったではないか。その労働の対価として、正当な報酬をもらっているのだろうな」「いやいやいやいや。帰って早々、そんなややこしい話はやめてくれ」 * * * 三人での食事は賑やかだった。沙耶は終始上機嫌だった。「小鳥、お前の料理の腕はなかなかのものだな。このような物を食べるのは初めてだが、うちのメイドに勝るとも劣らぬ腕前だ」「サーヤってば本当、お世辞うまいね」「いや本当だ。この……なんと言ったか」「オムライス」「そう、オムライスだ。ケチャップソースと卵のふんわりとした食感の絶妙なバランス、絶品だ。スープもうまい」「ありがと」「それになんだ、初めは驚いたのだが、この料理はケチャップでメッセージを伝えるという面白みもあるのだな」「悠兄ちゃんへのメッセージ、今度サーヤが書いてみる?」「本当か。お前はいいやつだな」「しかし……」 悠人が口を挟む。「沙耶へのメッセージはまぁいいだろう。『サーヤ』だからな。でも俺のこれはなんなんだ?」 悠人のオムライスには『LOVE』と書かれていた。「この歳でこれを食うの、ハードル高いぞ。メッセージが重すぎる」「いいじゃない。新妻のオムライスだと思えば恥ずかしくないでしょ。そうだ悠兄ちゃん、今度お弁当も作ってあげる」「絶対紅生姜でハート作るだろ」「あ、分かっちゃった?」「分からいでか。って、会社で見られたらドン引きされるわ」「ぶーっ、せっかく気合入れようと思ったのにー」「小鳥。それは恋人が作るお約束の
「……なんか最近、小百合〈さゆり〉の夢をよく見るな……」 目覚めた悠人〈ゆうと〉がそうつぶやく。 そして起き上がろうとして、腕にまだ小百合の感触が残っているのに気付いた。 何やらいい匂いもする。「なんだ……俺、まだ寝ぼけてるのか……」 視線を腕に移す。 そこには腕にしがみついている、ネグリジェ姿の沙耶〈さや〉の姿があった。「え……」「ん……むにむに……」「……うぎゃああああああああっ!」 悠人の絶叫に、小鳥〈ことり〉が飛び込んできた。「どうしたの悠兄〈ゆうにい〉ちゃん!」「こ、これ……」「あーっ!」「ん……もう朝……か……遊兎〈ゆうと〉、小鳥……おはようございます」「おはようじゃない。お前、なんでここで寝てるんだ」「何を言う。お前は私の下僕なのだ、夜伽〈よとぎ〉は当然だろう」「な、な、何が夜伽〈よとぎ〉だお前!」「朝から大声を上げるでない。全く……これだから庶民は困る。もっとこう、優雅に朝を迎えようとは思わないのか」「平穏な目覚めを破壊したのはお前だ」「まあ聞け。私は昨晩、生まれて初めての土地に足を踏み入れたのだ。見知らぬ土地で初めての夜。心細くなって当然であろう。大体、一人で寝かせるお前が悪いのだ」「なんだその理屈は。心細いも何も、壁一枚隔てた隣の部屋なんだ。問題ないだろ」「ビルがいない」「……ビル?」「うむ。クマのぬいぐるみ、ビルだ。やつはまだ実家にい
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