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第5話

吉沢凛子は篠崎暁斗が怒っているように感じた。さっきはかなり率直すぎたんじゃないかと後悔した。給料用のカードをもらったばかりだから、少しでも節約しようと思っていたのだが、その結果、感謝はされず逆に怒らせてしまったらしい。

「シャー」という水が流れる音を聞きながら、吉沢凛子は突然眠気に襲われた。

彼女はカードをしまい、風邪薬を2錠飲んで、パジャマに着替えるとベッドに上がった。そして布団をベッドの真ん中に縦にまとめて、寝る場所を二つに分けた。

彼女は壁側のほうに横になり、反対側を篠崎暁斗が寝やすいように残しておいた。

本当は篠崎暁斗が出てくるのを待って、一言二言話してから寝ようと思っていたのだが、吉沢凛子は風邪薬を飲んだせいか、それからすぐに眠りに就いてしまった。篠崎暁斗はわざと時間稼ぎをするために、長くシャワーを浴びてようやく風呂から上がってきた。

うとうとしている中で、吉沢凛子は突然ベッドが少しへこんだのを感じた。でも、彼女は眠すぎて目を開けることができず、すぐにまたぐっすりと寝てしまった。そしておばあさんの夢を見た。

夢の中で、彼女はおばあさんの腕の中に飛び込み、子供の頃と同じようにおばあさんの首に手を回して甘えた。

おばあさんの懐はとても暖かく、ボディソープの良い香りがしてとても気持ちが良かった。

しかし、おばあさんは少し嫌そうに彼女を押し返していた。しかし、彼女を押せば押すほど、力強く抱きついてきた......

明け方、篠崎暁斗の目は開いたままだった。彼の懐に吸い付いて離れない『タコ』が彼にしっかりとしがみついていて、一晩、全く寝ることができなかったのだ。

彼は何度も吉沢凛子を外に放り出そうと思ったが、彼女が夢の中で「おばあちゃん」と呼ぶのを聞いて、結局は堪えてしまった。

この一晩、篠崎暁斗は徹夜の仕事よりも疲れた気がした。

そして翌朝のこと。

篠崎暁斗は起きて仕事に行く準備をしていた。

一方、吉沢凛子はまだ起きてこない。おそらく風邪薬の影響だろう、ぐっすりと眠っていた。

篠崎暁斗は本気で彼女をたたき起こしてやりたいと思った。

この時、相田おばさんが篠崎暁斗にアイロンがかかったスーツを持って入ってきた。

「篠崎さん、吉沢お嬢さんは起きましたか?」相田おばさんは寝室に目を向けて言った。

本来、相田おばさんは自分の姪っ子の相田紬を篠崎家に紹介して嫁がせようと計画していた。

相田紬は海外から戻ってきた医学博士で、きれいな女性だ。

しかし、篠崎家のおじいさんは全く彼女の姪っ子を嫁として迎える気はなく、なんとネット上に広告を出して、その中から相手を選んでしまったのだ。

それで相田おばさんはとても機嫌を悪くしていた。

特に昨晩、おじいさんは吉沢凛子が篠崎暁斗の子供を身ごもったら、この邸宅も彼女にあげるとまで約束したのだ。

相田おばさんはこの事でかなり腹を立てていて、一晩中、一睡もできなかった。

こんなに美味しいぼた餅は、彼女の姪っ子である相田紬の頭に棚から落ちて来るべきじゃないのかと何度も何度も考えていた。

それで彼女は朝早く起きて、スーツを届けるのを理由に、二人が昨夜関係を持ったかどうかを確認しようと思って部屋までやってきた。

篠崎暁斗の目にはクマができていて、元気がなく、彼は服をそのまま受け取ると、全く相田おばさんの相手をしなかった。

相田おばさんはドアの隙間から、雪のように白い腕がベッドの外に伸びているのだけを確認できた。

さらに篠崎暁斗が連続であくびするのを見て、昨夜二人が関係を持ったことを確信した。

それが非常におもしろくなかった。

「篠崎さん、昨日管理人が半年分の共益費を払ってくださいと言っていましたよ」と相田おばさんは言った。

「これからはこういうことは吉沢凛子さんに言ってくれればいいです」

「でも......」

相田おばさんはまだ何か言いたげだったが、篠崎暁斗の鬱陶しそうな様子を見て、相手を怒らせるのを恐れて口を閉じた。

篠崎暁斗が出かけてからすぐ、吉沢凛子は相田おばさんに布団をめくられて起こされた。

「吉沢さん、そろそろ起きてください。朝ごはんの準備をしないと」

吉沢凛子が目をこすると、相田おばさんが凶悪な顔つきでベッドの前に立っていたものだから、凛子はびっくりしてしまった。

「相田さん、びっくりさせないでくださいよ」吉沢凛心はベッドから起き上がり座った。「今度から部屋に入るときはノックしてもらってもいいですか?」

「あなたったら、あんな死んだように眠ってしまって、ノックしても聞こえないでしょう?」相田おばさんは堂々と言った。

「でも、こういうのはとても失礼なことだと思いませんか?」吉沢凛子はこんなに横柄な家政婦さんを見たことがなかった。家政婦というより、母親やおばあちゃんみたいだ。

「わかりました。次は気をつけます」相田おばさんは白目をむいて言った。「じゃあ、今朝は誰が朝食を作りますか?」

「今までは誰が作っていたんですか?」

「もちろん私ですよ。でも、今朝篠崎さんに伺ったら、彼は今後は一日三食、吉沢さんに担当してもらうとおっしゃっていましたけど」

吉沢凛子は意味がよく分からなかった。

篠崎暁斗はそんなことを彼女に言ってなかったけど?

しかも、ひと月18万も払って雇っている家政婦が朝ごはんさえも作らないのか?

吉沢凛子は相田おばさんを見て尋ねた。「私が食事を作るなら、あなたは何をするんです?」

「私が何をするかは、あなたに関係ないのではないですか?あなたは自分のことをちゃんとしていればいいんですよ」

「じゃあ、分かりました。あなたの18万のお給料の半分は私がいただきます。私がこれから一日三食を担当しますので」

吉沢凛子はどうして相田おばさんが、自分にこうも突っかかってくるのか分からなかった。もしかしたら、篠崎暁斗の意向なのかもしれないが、このようなバカげたことを見て見ぬふりはできないのだ。

相田おばさんはそれを聞くとすぐに烈火のごとく怒り出した。

「どうしてあなたに私の給料を持って行かれなくてはいけないんですか?あなたにご飯を作ってもらうのは篠崎さんにそう言われたからです。私があなたにさせているわけじゃないんですから」

「じゃあ、後で篠崎暁斗さんに電話で確認してみます」吉沢凛子は不機嫌になって言った。「出て行ってもらえますか?私、服を着替えたいんで」

相田おばさんは、吉沢凛子は見た目はおとなしくて優しそうなのに、まさかこんなに一筋縄ではいかないとは思ってもみなかった。

相田おばさんが部屋から出ていった後、吉沢凛子は起きて服を着替え、適当に片付けをした後、キッチンへと向かった。

篠崎家のキッチンはとても広く、ミシュランに掲載されるような高級レストランの厨房のようだった。

吉沢凛子は10代から自分でご飯を作っていたから、朝ごはんなど彼女にとっては正に朝飯前なのだ。彼女はすぐYoutubeで栄養満点の朝ごはんの作り方を見て習び、篠崎おじいさんのところへと運んで行った。

おじいさんは大喜びして、吉沢凛子の料理の腕前をほめたたえた。

本当は吉沢凛子に恥をかかせるつもりだったのに、逆に褒められるという結果になって、相田おばさんの怒りがさらに増してしまった。

吉沢凛子がおじいさんの部屋から出てきた時、相田おばさんも一緒に出てきた。

「吉沢さん......」

「私のことは奥様と呼んでもらえますか?」吉沢凛子は無表情で相田おばさんを見ながら、この18万円もする家政婦を雇うのは本当に無駄だと感じた。

相田おばさんは内心そうしたくはなかったが、やはり呼び方を変えた。「奥様、お作りになった朝ごはんは二人分ですけど、私の分は一体?もし、朝ごはんを私に自分で用意しろとおっしゃるなら、篠崎さんにお願いしてお給料を上げてもらいます」

「18万の給料なら、一日三食分くらいは足りるでしょう」吉沢凛子は仕事に遅れそうだったので、彼女と無駄話をこれ以上はしたくなかった。そして、身を翻して去って行った。

この時、相田おばさんは突然彼女の腕をつかんで、涙声で訴えた。「篠崎奥様、私にそのような態度を取らないでください......」

「放しなさい」吉沢凛子は相田おばさんの突然の行動に頭が混乱して、力強く腕を振り払った。それで思いがけず相田おばさんは勢いよく後ろに転倒してしまった。

傍から見ると、まるで吉沢凛子が相田おばさんを押し倒したように見えた。

「吉沢凛子!」後ろから篠崎暁斗の冷たく厳しい声が響いた。

吉沢凛子が後ろを振り向くと、一度出かけてまた戻ってきた篠崎暁斗が大股で向かって来て、床に倒れ込んだ相田おばさんを助け起こした。

「相田さんは年配者だぞ、何かあるならちゃんと言葉で言えばいいだろ。どうして手を出すんだ?」

吉沢凛子は瞬時に理解した。相田おばさんは戻ってきた篠崎暁斗を見て、さっき突然あのような演技をしだしたのだ。

「どうして何も言わない?」篠崎暁斗は吉沢凛子が言い訳もしてこないので、顔つきが厳しくなった。

「私は彼女を押していません。自分で倒れたんですよ」吉沢凛子は濡れ衣を着せられてどうも申し開きするのがとても難しかった。この年配の家政婦がまさかこんなに腹黒い人だとは。

「篠崎さん、違うんです」相田おばさんは、この時目を少し赤くして、まるで自分の父親が亡くなったかのように辛そうな演技していた。ここまでやる人間がいるとは。

「一体どういうことなんだ?」篠崎暁斗は少し怒っているようだ。

「篠崎さん、今朝、吉沢さんはおじいさんに気に入られたくて一日三食の食事を担当したいと言ってきたんです。それから、今後は私はご飯を作る必要がないと。でも、お給料を半分に減らすって言うんです。あなたも私の家庭状況をご存知でしょう、息子は今年大学受験だし......」

篠崎暁斗はそれを聞いてだいたい理解した。彼は昨晩、吉沢凛子がずっと家政婦の給与が高すぎるから家政婦を他の人に変えたいと言っていたのを思い出した。それで、こんなに朝早くから予想外の問題を起こしているわけだ。

「私と一緒に来てください!」篠崎暁斗は吉沢凛子を入口に止めてあった車の中に連れて行った。彼はおじいさんに彼女と喧嘩するのを聞かれたくなかったのだ。

「君が新しい家政婦に変えたいのは知っているけど、こんなやり方じゃダメじゃないですか」

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