婚約者に裏切られた彼女は、夜中に誰の手にも負えないと噂の、ある男の部屋をノックし、一夜限りの快楽に身をゆだねる。 それは彼女にとっては、ただ婚約者に対する当てつけのつもりだったのだが、それがこの男に陥れられ、いくらあがいても出ることのできない落とし穴の中へと引きずり込まれていくのだった。 如月瑠莉(きさらぎ るり)は常葉市で美人として知られていたが、残念なことに彼女はプライドすら捨てて婚約者に尻尾を振る女だとみんなから言われていたのだ。 婚約者に裏切られた彼女はここ常葉市で笑い話になっていた。 彼女のその状況が180度ガラリと変わり、まさか強大な後ろ盾ができるなどと誰が考えてみただろうか。 本来、一夜限りの関係で、それ以降は関わり合うつもりはなかったのだが、この男はその日から執拗に彼女に纏わりついてくるようになる。 ある日の夜、男は彼女の家へと向かった。彼の冷たいその表情からは不満の色がうかがえた。「なんだ?そっちから俺に関わっておいて、逃げる気か?」 そして彼女はこの日から、この男の魔の手から逃れることはできず、毎晩のように求めらるようになるのだった。 誰かこの冷たい男はどうしてこんなに始末に悪いのか教えてちょうだい!!
View More近寄ると男からは凛とした香りが漂ってきた。彼女はまるで可愛らしい小さな妖精のように剛輝の身体に寄りかかった。「どうであれ何回も関係を持った仲でしょう。桐生さん、これからはそんな鬼の形相で私を見つめないでくれる?私が怖がっちゃいますよ」実際、普段の彼女はこのようなことは言わない。今このように純粋な女の子を演じているのは、剛輝を気持ち悪がらせるためだ。彼女の声はそもそも生まれつき優しい。特にわざと甘えた声を出すと男はすぐにコロリとやられてしまう。剛輝は彼女のほうへ顔を下に向け、意味ありげに彼女を見つめた。男は嘲笑い、ふいに彼女を自分の懐に引き寄せ、二人の視線が合う位置まで彼女のおしりを支えて抱き上げた。瑠莉はそれに驚き、反応する前に薄ら笑いする男と目が合った。「見たところ、まだまだ余力があるようだな」そう言い終わると、剛輝は彼女を壁に押し付け、瑠莉の唇をむさぼるようにディープキスしてきて、窒息してしまいそうなほどだった。剛輝には全く敵わない彼女は心の中でさっき自分が彼をからかったことを後悔していた。……瑠莉が急いで会社に着いた時、すでに開始時間を一時間以上過ぎていた。琴葉が彼女を迎えた。「どうしたの?どうして電話がずっとつながらなかったのよ?」瑠莉はため息をついた。「何も聞かないで」琴葉は瑠莉にブラックコーヒーを入れながら、彼女のほうへやって来て、仕事の報告をした。「今日あるお客様が……」「その口どうしたの?」琴葉はこの時、瑠莉の唇が少し赤く腫れていることに気付いた。瑠莉はデスクの上の鏡を掴んで自分の顔を映してみた。そしてうんざりしたように「なんでもないの。犬に噛まれただけ」と言った。琴葉「……」彼女は腰をかがめて瑠莉のデスクの上に頬杖をつきながら彼女を見た。「あなた、昨日の夜どこの馬の骨とも知らない男と一緒にいたんじゃないでしょうね?」もう大人だから、相手が何をしたのかきっと察すことができるだろう。気付かないほうが嘘っぽい。瑠莉は普段大っぴらで結構厚かましい性格だが、彼女にこう言われて少し顔を赤くした。「仕事に戻って。プライベートなことは後でね」琴葉は意味深な笑みを浮かべた。そして体をまっすぐと起こして真面目に今日の仕事の連絡をした。午前の仕事が終わって琴葉はまた瑠莉と食事の約
彼女はこの日8時に剛輝と約束していることを忘れるところだった。あの男は心が狭く細かいことにうるさい。この間自分が酒に酔ってしまっただけなのに、怒って契約を白紙にしようとしてしまったのだ。もし今回も遅くなってしまったら……彼女は唇をぎゅっと結んだ。「えっと、ちょっと用事があるから、急いで行かなくちゃ。ごめん、あなたはここで降りて、時間がないのよ」琴葉は彼女がとても焦っているのを見て、たまらず尋ねた。「どうしたの?私も手伝おうか?」瑠莉は一瞬どう返事をすればよいのか分からず、軽く咳をした。「大丈夫よ。ちょっと予定があるの」あの男と寝るという予定だけどね!琴葉は頷いた。「じゃあ、気を付けてね」彼女はひたすら車を走らせて、たった25分でホテルに到着した。瑠莉が腕時計を見ると、針が7時50分を指していて、ホッと胸をなでおろした。ホテルの入り口で瑠莉は深呼吸をし、部屋の前まで行ってノックした。少ししてから、ドアが開いた。そしてそこに立っている究極の美形男子が目に飛び込んできた。ただ、彼はどうやらあまり機嫌がよくなさそうだった。薄い唇の口角は少しへの字に曲がっていて、手には赤ワインを持っていた。瑠莉は笑って、手を彼の方へとさし出し腕時計を彼の目の前に見せて、ニヤリと笑った。「私、遅れてないですよ」剛輝は鼻をふんと軽く鳴らし、体を横にずらして彼女が部屋に入る空間を作った。部屋に入ると、彼女は借りて来た猫のようにおとなしく剛輝の後ろに立った。「なにぼけっと突っ立ってるんだ?」剛輝は振り返って彼女を見ると、冷たい声で言った。「シャワーを浴びてこい」瑠莉「……」彼女はこの時、剛輝が桐生家にいる多くの同世代たちの中から、どうやってのし上がってきたのかよく分かった。速攻即決の彼のこの行動スタイルは、誰にも何も奪わせないという感じだった。しかし、今彼に借りが出来ているので、衝突するような真似をしないほうがいいと思い、かばんを置いてバスルームへと向かった。シャワーを浴びている途中で、剛輝が入ってきた。彼女がその音を聞いて後ろを振り返り、まだ相手をはっきりと見る前に剛輝はすでに彼女に近寄ってきていた。瑠莉「!!!!」しかし、それから剛輝の取った行動が、彼女の思考力を奪い取った。彼は体をピタリと彼女につけ
「お父さん、おばさんもこう言ってることだし、あの家が一体どうしたのか、ちゃんと聞かせてくれない?」彼女は立ち上がり、細くたよりない身体をピシッとまっすぐにして、姿勢を正した。邦博は少し気まずそうにして、突然顔を上げて瑠莉のほうを睨んだ。「瑠莉、お前の中には私という父親はちゃんと存在しているのか?」瑠莉「???」その一つの反応ですべてが明らかになった。彼女は邦博のこの反応からすでにあの家に何か自分にとってよからぬことがあったのを悟った。しかも、それはきっと言えないようなおおごとなのだ。彼女は黙って、ただただ淡々と邦博を見つめていた。まるで答えを待っているかのように。邦博は唇をぎゅっと結び、立ち上がった。「私はまだ死んでいない。なのに、毎日毎日私の財産のことしか考えていないのか?あの家のことはもう話題に出すな。お前のものになる時が来れば、お前にやるから」安奈はそれを聞くと、顔をあげ邦博のほうをちらりと見て、彼を引っ張った。邦博は彼女のその手を強く振り払い、怒って上に行ってしまった。リビングには瑠莉と安奈が残され、お互いに睨み合っている。邦博が去ったので、安奈はもう演技をすることなく冷笑して言った。「本当に面白いわね。家族にものを要求するだけの娘だなんて初めて見たわ」瑠莉は口喧嘩で負けたことがなかった。それでも怒らず口を手で覆ってクスリと笑った。「だったら、今日ようやくお目にかかれてよかったわね。だけど、あれは私の父と母の家よ。あんたに関係あるの?」彼女は慌てず白目を向けて、新車の鍵を指で揺らした。「まあ、いいわ。今日は新車が手に入って気分がいいし、あんたと言い争うのはやめとく」そう言うと、彼女は腰を左右に揺らしながら余裕な様子で優雅に家を出て行った。新車は邸宅を出たすぐそこの道に止めてあって、家を出るとすぐにその車が目に入った。車に乗り、彼女は琴葉に電話をかけた。「もしもし、夜一緒にご飯食べよう」琴葉は彼女の明るい声を聞いて尋ねた。「何かいいことでもあったの?」「父さんが新しい車を買ってくれたの。あなたと一緒にドライブに行くわ」彼女は言った。「もし、必要ならこの車貸してあげるからイケメンとデートでもしてきなよ」彼女はいつもこのような感じだから、琴葉はとっくに慣れていた。二人は食事をす
邦博はテーブルの上に置いてあった車の鍵を彼女に渡した。「これは今日私がお前に買ってきた新車の鍵だ。この間、お前が怒ったのも理解できる。お前のあの車も、もう何年も乗っているだろうから、そろそろ替え時だ。お前が響也君との婚約に同意したのだから、この車はその婚約祝いにしようと思う」瑠莉は何か思うところがあるように邦博の手にある鍵をじっと見つめた。あら、しかもポルシェじゃない!萌香のあの車よりも高級だが、値段的にはそこまで大差はなかった。邦博はやはり「平等」な人間らしい。ただ自分のあのBMWが安過ぎたから可哀想に思ったのか、それとも瀬戸家に嫁ぐ時に相手から自分はひどい扱いを受けていると誤解されないように買ったのかは分からない。しかし、それがどういう理由かなどは別に重要なことではない。彼女は笑って、邦博の手を掴み軽く左右に揺らした。「ありがとう、お父さん。お父さんが私を一番気にかけてくれてるって分かってるからね」母親が他界してからというもの、彼女は邦博に甘えたことなどなかった。邦博は少し戸惑い、ぎこちない様子で咳をした。瑠莉は下に視線を向けて、少し考えて、わざとまたため息をついた。邦博はそれが理解できなかったらしく、彼女のほうに目を向けて言った。「どうしたんだ?」瑠莉は鼻をすすった。「お父さんは萌香のことだけが好きなんだって思ってたから」邦博の表情は少しこわばり、またすぐに笑顔になった。「そんなわけないだろう。お前は私の娘なんだから。どうして父さんがお前のことを嫌いになれる?」「それ、本当?」瑠莉は彼のほうを見上げた。邦博は頷いた。瑠莉はそれを聞いて、軽くため息をついた。「お母さんがいた頃の生活が懐かしいなぁ。あの頃、お母さんは私が成人したら、南区にあるあの別荘を私にくれるって言ってた。私が結婚したとしても、いつでも帰れる場所にするんだって言って……」それを聞き、邦博は顔をこわばらせた。「お父さん、あの家には長いこと行ってないわ。暇な時に一緒に見に行かない?」彼女のその言葉の意味は明らかだった。ただ、いつになったら自分名義に書き換えてくれるのかと直接言っていないだけだ。その家は、当時母親が自分の成人祝いに用意してくれたものだった。その家の一つ一つ、細かいところまで母親が内装を考えてくれてい
やはり、彼女がその場を離れてすぐ、萌香が待っていましたと言わんばかりに柱の陰から出て来た。響也は彼女に気付くと、驚き焦った顔をして、瑠莉が去っていった方向を確認していた。瑠莉はすぐに隠れたので、彼は瑠莉には気付いていなかった。そして彼はホッとして萌香のほうを向くと少し怒った口調で「何しに来たんだ?」と言った。萌香はすぐに目を赤くした。「響也さん、あ……あなた、本当にお姉ちゃんと婚約するの?」響也はうんざりして「うん」とひとこと返事をし「もちろん瑠莉と結婚するさ」と言った。「じゃあ、私は?」萌香は目を真っ赤にさせて尋ねた。「それなら、私は一体何だったの?」響也は萌香から詰問されて、煩わしくて苛立った目つきをし、他の感情は含まれていなかった。「あれは君から誘ってきたんだろ。萌香ちゃん、ただの火遊びだろ、もう忘れてくれ。なんでこんなにしつこく付き纏ってくるんだよ?」萌香はまさか響也からそんな言葉を聞くとは思っておらず、ショックを受けて彼を見つめた。「響也さん、そんなふうに私のことを思ってたの?わ……私、本当にあなたのことが好きなの」瑠莉は遠くにいたので、彼女の話はよく聞こえなかったが、視力はいいので、心の中で萌香の演技に100点満点をあげた。やはり林原安奈からしっかり受け継いでいるだけのことはある。二人が一緒にいても瑠莉は全く腹が立たなかった。ただただ、それを面白がって見ていたのだ。役者が揃ってようやく面白いドラマが見られるのだから。彼女は携帯を取り出すと、録画し始めた。響也は萌香の様子を見て、本当に頭に来たらしく、少し考えてから言った。「金が欲しいのか?」萌香は顔を真っ青にさせた。「響也さん……あなた……」響也は口をきつく結び、瑠莉が去った方角を確認し、また腕時計を見た。彼は少し考えてから萌香のほうを向いて言った。「分かったよ、今夜いつもの場所で会おう。その時によく話し合おうじゃないか、だからもう帰ってくれ」やっとのことで瑠莉をなだめることができたというのに、瑠莉がトイレから戻ってきてこのシーンを見られたらまずい。萌香は今夜会えると聞いて、最後はおとなしく彼の言うことを聞いた。弱々しく鼻をすすり、そのきれいな顔に悲しそうな表情が浮かんだ。そして言った。「分かった、私も響也さんに話したいことが
彼は機嫌がよく、車の運転は少し荒っぽくなっていた。もし、以前であれば、瑠莉は彼に安全運転するようにと注意していたが、今はただ座席の横にある取っ手をぎゅっと握りしめているだけだった。運転が荒っぽくて、いつか事故で死にたいなら死んでしまえ。また病院送りになって、自分の前に暫く現れないのは彼女に対して好都合でしかない。しかし、響也は最後まで彼女の願い通りにはならなかった。店に着くまでずっとはらはらしていたが、何事もなく安全にモールの入り口にたどり着いた。モールの一階にはジュエリーショップがある。響也はまっすぐにそこに入り、機嫌よく店員に婚約指輪を出すように頼んだ。「カラットの一番でかいやつでいいから、出してくれ」店員は今日の売り上げが最高になるとみて、大きな笑顔を見せた。「かしこまりました、お客様。少々お待ちください!」間もなく店員はいくつも高額な指輪を出してきた。様々な色の宝石がそこに並び、ダイヤもサファイアもアメジストも何でも揃っていた。瑠莉は宝石にはあまり詳しくはなかったが、大きくて透明度の高いものほど高価だということは知っていた。彼女はちらりと響也を見て、また下に目線を落とした。細長い手をベルベットの布が敷かれたトレーにのせて、サッと目を通し、最後に一番大きなブルーサファイヤに目が留まった。彼女はそれを取り、雪のように白い指にはめてみた。それは鮮やかにキラキラと光り輝いていた。彼女は微笑んで響也を見た。「これが一番好きだわ」響也の表情が一瞬こわばり、乾いた笑いをして言った。「そんなに早く決めなくてもいいだろう。もっといろいろ見てみようぜ。絶対一番気に入るものが見つかるからさ」瑠莉は響也の顔に一発こぶしをお見舞いしてやりたかった。彼女は、自分がケチなことを綺麗事でこれほどうまくごまかせる人間を初めて見た。瀬戸家は確かに裕福だが、この指輪は数千万もするものだから、響也はもちろんそんなにお金を使うのは惜しいのだ。瑠莉はここ数年、彼に媚びを売りまくってくっついていたから、彼の表情を見た瞬間、彼がお金を出したくないと思っているのがすぐに分かった。彼女は笑ったが、指輪は外さず細く長い手をライトの下に出して揺らしていた。「ああ、私はね一目見て気に入ったものがやっぱり一番好きなのよ」響也はもはや笑顔を保つこと
瑠莉は用事があるからと断ろうと思っていたが、邦博が彼女に代わって勝手に返事をしてしまった。「ええ、ええ、瑠莉は午後ちょうど暇がありますから」両家の親は口を揃えて勝手に決めてしまい、全く瑠莉の意向などは聞くつもりはなかった。瑠莉はすぐに眉をしかめた。邦博は笑顔で彼女を引っ張ってきた。顔は笑っていたが、彼女に「お前は響也君と絶対に結婚するんだ」と言いつけた。「それから、母さんがお前に残したものを私によこすんだぞ」そう彼女を脅し、少し冷たい目で彼女を見つめ、軽く彼女の背中をぽんと叩いてなだめた。「それに、お前はずっと響也君のことが好きだっただろう?女性はな、ある程度怒りを発散させたらそれで終わりにしないとだめだぞ。あまり行き過ぎるなよ」このセリフを聞いて危うく瑠莉は笑ってしまうところだった。おかしくないか、これが自分の父親の口から出る言葉なんだぞ。彼女は冷ややかに笑って尋ねた。「そんなに萌香が好きなら、いっそのこと彼女を響也と結婚させればいいじゃないの。ちょうどいいでしょ?」邦博は厳しい顔つきになり、少し緊迫した声色になった。「適当なことを言うな、萌香を響也君と結婚させるわけないだろう」ほらみろ。邦博は響也が良い結婚相手だとは全く思っていなかったのだ。彼は萌香をこのような女と遊びふけるような輩と結婚させたくなかった。この男と結婚すれば幸せにはなれないだろうと知っていて、瑠莉に強要しているのだった。邦博は瑠莉が自分を見つめる冷ややかな表情に気付いて、自分もこの話は少し焦り過ぎていると思い、また付け加えて言った。「瑠莉、もう気にするな。萌香と響也君はそもそも変な関係などないのだからな。響也君はお前の好きな人だろう?萌香が姉の好きな人を奪うような真似をするわけがないじゃないか」瑠莉は口元は微笑んでいても、目は笑っていなかった。彼女は邦博を睨みつけて「あらそう?私が響也のことを好きだから、結婚しなさいって言うこと?それとも、響也がぐうたら息子だから、萌香と結婚させるのは嫌だと思ってるの?」それを聞いた邦博の瞳が揺らぎ、その顔には言い当てられてしまったと書いてあった。「でたらめを言うな。響也君は良い子じゃないか」彼は少し腹を立てたようで、瑠莉とはこれ以上無駄話をしたくないようだった。そして、響也のほうへ向きを変
男の完璧に整った横顔を見て、瑠莉はご機嫌取りをするかのように笑った。「いいえ、何も!」少なくとも今のところはね!彼女は悲しい現実を突きつけられた。どうしていつも自分はこの男の前ではビクビク怯えていなければいけないのか?口をすぼめ、彼女は自分の身なりを整えて個室から出ると、トイレにある鏡で化粧直しをした。鏡に映る自分の少し赤く腫れた唇を見て、彼女は不適な笑みを浮かべた。さっき剛輝が気づかないうちに、彼女は彼にもちょっとした印を残していたのだ。彼が自分を不快にされるのであれば、彼女のほうも少しくらいは反撃しないと。あのどこぞの家かのお嬢さんが剛輝の襟元にある口紅の跡を見て、どんな顔をするだろうか。そう思い、彼女の気分はだいぶマシになり、トイレから出て行った。剛輝のいる個室の前を通りかかる時、彼女はわざわざその中をちらりとのぞいて見た。しかし、男はきちんとした様子で、少し微笑んで目の前に座る女性を見ていた。瑠莉は皮肉を交えてつぶやいた。「格好つけやがって!」そして自分の個室のほうへと向かった。入ると、響也の父親である瀬戸伸明(せと のぶあき)も来ていた。彼女は笑顔を浮かべ、形式ばった挨拶をした。「おじ様、こんにちは」瀬戸伸明は彼女に微笑みかけた。「瑠莉さん、本当にどんどんお綺麗になられますね」社交辞令なら誰だって言えるだろう。彼女は笑顔で返事をした。「おじ様ももっとお若くなられたようですわ」この時、響也は外から部屋に戻ってきて、彼女に尋ねた。「どこに行っていたんだ?トイレに行ってもいないし」瑠莉は邦博の隣に座って、感情のない表情に戻した。「隣にあるお店でちょっと買い物してたの」響也はホッとし、笑って彼女の横に座ってきた。料理が続々と運ばれてきて、響也は彼女のお皿におかずを取り分けてあげた。もし事情を知らない人がこの光景を見れば、彼はとても優しく気の利いた彼氏だと思うことだろう。瑠莉は黙って顔色ひとつ変えず、拒否もしなかった。しかし、彼が取り分けてくれたおかずには一口も手をつけなかった。邦博と伸明の二人は楽しそうに雑談していた。その話題のほとんどがビジネス関係のものだ。それを瑠莉は真剣に聞いていた。彼女の父親は人格は最低だが、それでもビジネスにおいては大先輩なのだ。二人の会話を聞いて彼女も少
彼女はそれに驚いて、慌てて顔を上げて鏡を見てみると、そこには剛輝の姿が映っていた。彼女はあまりに驚いていて、顔を洗おうとしていた手は空中で止まってしまっていた。「どうしてここに?」彼女はようやく我に返り、驚いた様子で剛輝に尋ねた。「デート中じゃないの?」すると次の瞬間、男は後ろ手でそのままトイレのドアを閉め、彼女を洗面台に押しやり唇を塞いだ。男からはひんやりとした息を感じ、まだ不慣れでもよく知っている匂いに瑠莉の心臓が止まりそうになった。彼女は剛輝を突き放し、息づかいは少し乱れていた。「こんなところでやめてよ他の人がいるから」彼女は言った。それでも剛輝は身を屈め、軽々と彼女を連れてトイレの個室へと入っていった。この隠れ家的なレストランはもともと高級なお店で、トイレの内装もかなり豪華だった。それぞれのトイレの個室の防音性も優れていた。プライバシーがしっかり守られる仕様になっている。剛輝は彼女をドアのほうへ押しやり、細長い指先で個室の鍵を閉めた。瑠莉は彼がもうおかしくなってしまったのだと思った。「ここは女子トイレよ」しかし、剛輝はそれが聞こえていないかのように、彼女の顎をくいっと上げ、彼女に自分を見つめさせた。そして「どういうことだ?瀬戸とはヨリを戻したってことか?」と尋ねた。瑠莉は唇を固く結んだ。「そんなわけないわ」彼女が目線を下におろし、口を開く前に剛輝がまた慣れたように彼女にキスをし、その手は落ち着きのないように彼女の体の上を這っていった。彼女が普段身に着けている服はセクシー路線のもので、今日もいつものように背中が大きく開いたセクシーなワンピースだった。それで彼の粗っぽい指先が彼女の体の上を這う時、彼女は思わず戦慄を覚え、細い指で剛輝の袖をぎゅっと掴んだ。そして彼のピシッとアイロン掛けされた服にしわができた。この二人は数回寝ただけの関係だが、剛輝は生まれつき男女関係における手練れという感じで、どうやって彼女を従わせるか分かっているようだ。さあここからが本番という時に、ドアの外から突然響也の声が聞こえてきた。「瑠莉、中にいるのか?」響也のその声はまだ遠くから聞こえてきた。恐らくトイレの外から彼女を呼んでいるのだろう。瑠莉は錯乱した意識を瞬時に戻し、無意識に呼吸を止めた。剛輝は彼女
この町の誰もが知っている。如月瑠莉(きさらぎ るり)は恥もなにもかも捨て、瀬戸響也(せと きょうや)に媚びを売る卑しい女だと。だから彼女がセクシーなキャミワンピースを着て、桐生剛輝(きりゅう ごうき)がいるホテルの部屋をノックして扉を開けた時、彼は驚いた。「瀬戸響也にバレても大丈夫なのか?」瑠莉は自嘲的な笑い声をあげ、剛輝に自ら積極的にキスをした。キスをした瞬間、男からはタバコの匂いが微かにして、彼女はそれが良い匂いだと感じた。この町では誰もがこの桐生剛輝は遊び人だと知っている。瑠莉が彼のもとへ来たのは、まずこの男が瀬戸響也よりも地位が高く、実力もあり、響也を怒らせるのには十分だったからだ。それから、この桐生剛輝という男は、女遊びをするのも同じ女性と一カ月以上は続かないこともここへ来た理由の一つだった。彼は遊び飽きたらすぐに捨ててしまうタイプだ!瑠莉は自分の容姿やスタイルにかなりの自信を持っていた。それで響也と父親の再婚相手である女性の連れ子が肉体関係を持ったのを知ってから、すぐにこの剛輝のところへ来たのだった。響也は瑠莉が彼に尻尾を振って媚びを売ってくるのを、みんなに自慢していたではないか。瑠莉は世間の人たちに、彼女は瀬戸響也がいないと生きていけないわけではないと知らしめたかったのだ。剛輝はただ少し驚いただけで、すぐに彼の方が主導権を握り、彼女の細い腰をぎゅっと抱き寄せ、彼女を部屋へと連れ込んだ。ドアを閉めると、剛輝は彼女をドアへと押し当て、相手を見下すように不敵な笑みを浮かべた。「後悔するなよ」「あら、桐生さんったら何をそんなにもたもたと……、あ……」彼女が話し終わる前に、剛輝は彼女の唇を塞ぎ、彼女を抱きかかえベッドへ放り投げた。男が自分の体に覆いかぶさると、瑠莉は心の奥底でびくびくしていた。しかし、幸いなことに剛輝はこっち方面に関してはかなりの手練れで、最初に挿入される時には少し痛みを感じたが、それ以外は何も痛みは感じなかった。言ってしまえば、彼とのセックスはなかなか良かった。ただ剛輝は一体どういうわけか、明らかに彼と女性関係のゴシップは有り余るほどよく聞くというのに、今はまるで飢えた獣のように彼女を求めていた。2時間行為が続き、彼はようやく動きを止めた。瑠莉はその時には完全に疲れ切っ...
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