水鏡の星詠

水鏡の星詠

last updateLast Updated : 2025-03-28
By:  秋月 友希Updated just now
Language: Japanese
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 幼い頃、森で過ごし、自然との深い結びつきを感じていたリノア。しかし成長と共に、その感覚が薄れていった。ある日、最愛の兄、シオンが不慮の事故で亡くなり、リノアの世界が一変する。遺されたのは一本の木彫りの笛と星空に隠された秘密を読み解く「星詠みの力」だった。リノアはシオンの恋人エレナと共に彼の遺志を継ぐ決意をする。  星空の下、水鏡に映る真実を求め、龍の涙の謎を追う。その過程で自然の多様性に気づくリノアとエレナ。  希望と危険が交錯する中、彼女たちは霧の中で何を見つけ、何を失うのか? 星が導く運命の冒険が今、動き出す。

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プロローグ ①

 リノアは幼い頃、初めて自然の声を聞いた。それは母親と一緒に森を訪れた日のことだった。森の奥深く、陽光が木々の隙間から柔らかく差し込む場所で、リノアの母はリノアの手を引きながら歩いていた。「リノア、ここで少し待っていて。お母さんが戻るまで動かないでね」 母の声は優しかったが、どこか切迫した響きを帯びていた。母はリノアを太古から存在するオークの木の根元に座らせ、膝に手を置いて微笑んだ。「お母さん、どこに行くの?」 リノアが尋ねると、母は首を振って答えた。「すぐ戻るから、ここで待っていて。約束だよ」 そう言って、母はリノアに背を向け、木々の間へ消えていった。背中が遠ざかるにつれ、リノアの小さな胸に不安の波が寄せ始めた。 リノアはその言葉を守り、静かに待ち続けた。 太陽が少しずつ傾き、森に長い影が伸び始める。オークの木の根はごつごつしており、苔の柔らかな感触が彼女の手をくすぐった。 鳥のさえずりが遠くに聞こえ、心地よく感じる。しかし母が戻って来ないことで、リノアの心の中に不安の感情が芽生え始めた。「お母さん、どこ?」 リノアが小さな声でつぶやく。 涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえながら、リノアは周囲を見回した。森は静かで、ただ風が木々を揺らす音だけが響いている。母の気配はない。「お母さん!」 我慢しきれず、リノアは立ち上がり、母が消えた方向へ駆け出そうとした。その瞬間、耳元で声が響いた。 「リノア。まだ、ここにいた方がいいよ」 驚いたリノアは足を止め、辺りを見回した。「誰?」 姿が見えない。風の音と川のせせらぎなど、自然の音だけが聞こえる。 聞いたことのない声だ。だけど温かくて、どこか懐かしい響きがする。「もう少しだけ、ここにいて」 声が再び森に響き渡った。姿は見えないが、確かにそこにいる。リノアは目を細めて周囲を見回したが、やはり何も見つけることはできなかった。「どうして? お母さんのところに行きたい」 リノアが訴えると、声は静かに答えた。「ここにいたら安全だから。僕たちが君を守ってあげる。お母さんも心配しなくて良いよ」 その言葉にリノアは不思議な安心感を覚え、彼女は再びオークの根元に座り込んだ。 目の前には小さな川が流れ、水面が陽光を反射してキラキラと輝いている。 リノアは手を伸ばし、水にそっと触れた。ひ...

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プロローグ ①
 リノアは幼い頃、初めて自然の声を聞いた。それは母親と一緒に森を訪れた日のことだった。森の奥深く、陽光が木々の隙間から柔らかく差し込む場所で、リノアの母はリノアの手を引きながら歩いていた。「リノア、ここで少し待っていて。お母さんが戻るまで動かないでね」 母の声は優しかったが、どこか切迫した響きを帯びていた。母はリノアを太古から存在するオークの木の根元に座らせ、膝に手を置いて微笑んだ。「お母さん、どこに行くの?」 リノアが尋ねると、母は首を振って答えた。「すぐ戻るから、ここで待っていて。約束だよ」 そう言って、母はリノアに背を向け、木々の間へ消えていった。背中が遠ざかるにつれ、リノアの小さな胸に不安の波が寄せ始めた。 リノアはその言葉を守り、静かに待ち続けた。 太陽が少しずつ傾き、森に長い影が伸び始める。オークの木の根はごつごつしており、苔の柔らかな感触が彼女の手をくすぐった。 鳥のさえずりが遠くに聞こえ、心地よく感じる。しかし母が戻って来ないことで、リノアの心の中に不安の感情が芽生え始めた。「お母さん、どこ?」 リノアが小さな声でつぶやく。 涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえながら、リノアは周囲を見回した。森は静かで、ただ風が木々を揺らす音だけが響いている。母の気配はない。「お母さん!」 我慢しきれず、リノアは立ち上がり、母が消えた方向へ駆け出そうとした。その瞬間、耳元で声が響いた。 「リノア。まだ、ここにいた方がいいよ」 驚いたリノアは足を止め、辺りを見回した。「誰?」 姿が見えない。風の音と川のせせらぎなど、自然の音だけが聞こえる。 聞いたことのない声だ。だけど温かくて、どこか懐かしい響きがする。「もう少しだけ、ここにいて」 声が再び森に響き渡った。姿は見えないが、確かにそこにいる。リノアは目を細めて周囲を見回したが、やはり何も見つけることはできなかった。「どうして? お母さんのところに行きたい」 リノアが訴えると、声は静かに答えた。「ここにいたら安全だから。僕たちが君を守ってあげる。お母さんも心配しなくて良いよ」 その言葉にリノアは不思議な安心感を覚え、彼女は再びオークの根元に座り込んだ。 目の前には小さな川が流れ、水面が陽光を反射してキラキラと輝いている。 リノアは手を伸ばし、水にそっと触れた。ひ
last updateLast Updated : 2025-03-10
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プロローグ ②
「何、あれ?」 リノアは立ち上がって、目を凝らした。 何が起きているのか分からず、リノアは遠くに見える孔雀のように美しく燃える炎を見つめていた。 火の粉が空高く舞い上がる。やがて、その一部が森の木に飛び移ると、次から次へと炎が燃え広がり、見渡す限り一面の炎となった。 木々の隙間から熱風が吹き込んでくる。周辺の木々が一つ、また一つと炎に包まれ、リオナの逃げ道を狭めていく。 炎と煙の壁がそびえ立ち、それらがゆっくりと近づいてくる……。「熱いよ……」 リノアは動くことができなかった。煙で息が苦しくなり、熱が肌を焼く。恐怖が彼女の心を支配した。「お母さん……助けて……」 小さな声で呟くが、誰も助けに来てくれない。「お母さん……」 諦めそうになった瞬間、再びあの声が聞こえた。「大丈夫だよ、リノア。僕たちがいるから」 突然、強風が吹き荒れ、炎が龍のように渦を巻いて上空へ舞い上がった。 空が暗くなり、大粒の雨が大地を叩く。「あっ、雨だ!」 まるで自然がリノアを守るかのように雨が彼女を包み込んだ。 炎が消え、煙が薄れていく。濡れた髪が頬に張り付き、リノアはその場に呆然と立ち尽くした。「リノア、僕たちを感じて。僕たちもリノアと共にあるから。その気持ちを忘れないで」 声が優しく心に響いた。 リノアは心の中でその言葉を繰り返し、そして言葉を発した。「うん、わかった」「でも気をつけて。僕たちの声が届かなくなる時が来るかもしれないから」 風がリノアの髪を撫で、そっと飛び去った。 リノアは母の言いつけの通り、母が戻って来るのを待ち続けた。しかし太陽が沈み、森が闇に包まれても母が戻って来ることはなかった。「どこに行ったんだろう……」 リノアは膝を抱え、オークの木にもたれかかった。リノアの呟きは風に溶け、自然の音だけが静かに寄り添った。
last updateLast Updated : 2025-03-10
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届かない約束 ①
 リノアの人生は、あの森の火災から大きく変わった。彼女は自然と深く結びついていた幼少期の記憶を胸に日々を過ごしていた。 木の窓から差し込む陽光がリノアの小さな部屋を優しく照らし出す。 村の外れに立つこの家は、母と暮らした思い出深い場所だ。今はリノア一人で住んでいる。 壁に掛かった古びた織物や床に散らばる干し草の匂いが、過去の記憶を静かに呼び起こす。だが、その記憶はいつも途中で途切れてしまっていた。母が森で消えたあの日の情景で、いつも止まってしまうのだ。 母が森で消えたあの日の記憶は、いつも霞がかかったように曖昧だ。その記憶の断片に触れるたび、まるで目の前に現れる扉が突然閉じられるように、心の奥底で何かが引き裂かれる。 あの母の柔らかな笑顔と森の風の香り——そこから先を思い出そうとすると、心の中に冷たい静寂が広がってくる。 リノアはベッドから起き上がり、窓の外を眺めた。 朝の光が村の屋根を金色に染め、遠くからは井戸端の笑い声と手押し車のきしむ音が聞こえる。風に乗って運ばれてくるパンを焼く香ばしい匂いが、リノアの記憶をさらに揺さぶった。しかし、それでも「今」と「過去」の間に横たわる深い溝を埋めることはできない。 リノアは水瓶から水を汲み取り、その冷たさを喉で感じた。喉を滑る水の感触が森の奥を流れる小川の冷たさを思い出させる。 リノアは目を閉じて、その味に一瞬だけ母の笑顔を重ねた。 今日もまた、村での一日が始まる。 リノアは麻の服を身にまとい、手早く髪を後ろで束ねた。母親がいた頃は、いつも小さな手鏡を使ってリノアの髪を整えてくれた。その微笑みと優しい手の感触は今でも忘れることができない。しかし今はもう、そのような贅沢は許されない。 リノアは部屋の隅に置かれた籠を手に取り、扉を開けて外へ出た。 森に囲まれた小さな集落は、木々の緑に包まれ、家々は自然の一部となって息づいている。苔むした屋根は雨と時の流れを物語り、壁を這う蔦が生命の逞しさを表していた。 村人たちはそれぞれの朝の仕事に取りかかっている。 鍛冶屋のカイルが炉の火を赤々と燃やし、その煙が空の青に溶け込んでいる。その光景の先には、杖を頼りに歩く年老いたクラウディアと、いつものように馬の手綱をさばくレオの姿が見える。レオの手際はすっかり板についているようだ。 皆がそれぞれの役割を果たし、
last updateLast Updated : 2025-03-10
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届かない約束 ②
 村の広場に足を踏み入れたリノアの目に、不意に小さな物が飛び込んできた。それはシオンの形見だった。広場の端に立つ古い木の根元に、ひっそりと置かれた小さな笛。素朴な木彫りの装飾が施されている。シオンの手作りの笛だ。誰かがそこに供えたのだろう。シオンは幾つも笛を作っていた。 リノアは思わず足を止め、笛を凝視した。胸が締め付けられるような痛みが波のように押し寄せる。 リノアにとってシオンは兄のような存在だった。血は繋がっていなかったが、幼い日々を共に過ごし、母が姿を消してからも、いつもそばにいてくれた唯一の人だった。その優しさと力強さが、リノアの小さな世界を支えていた。 だが、それも今は失われた。つい先日、シオンは突然の事故で命を落としたのだ。悲しみと喪失感が、まるで深い霧のようにリノアの心を覆い尽くしている。 村人たちは「森での落石に巻き込まれた」と口々に言う。  リノアもそう信じていた。最初のうちは…… リノアはそっと笛を手に取り、その滑らかな木の感触を指先で確かめた。冷たい木の表面が、どこか彼のぬくもりをまだ宿しているように思える。 シオンが亡くなったなんて、まだ実感として理解することはできない。 シオンがこの笛を彫り上げた日を鮮明に覚えている。彼は笑みを浮かべながら、ふざけた調子で言ったのだ。 「リノア、これを吹けば、どんな遠くにいても僕はすぐに駆け付けるよ」  リノアは笛を胸に抱き、そっと目を閉じた。心に広がるのは冷たく重い孤独。もうシオンはこの世にいない。笛を吹いても、彼の姿も声も戻ってくることはないのだ。 シオンを失った今、リノアは本当の意味で天涯孤独の身になったのだと実感した。 「リノア、おはよう」 柔らかな声に反応し振り返ると、そこにエレナの姿があった。 エレナはシオンの恋人、村の薬師見習いでもある。少し年上の彼女は、穏やかな瞳と落ち着いた雰囲気が印象的だが、その内面には芯の強さが宿っているのを、リノアは知っていた。「おはよう、エレナ」  リノアは笛をそっと元の場所に戻し、微笑みを返した。その微笑みがぎこちないことにエレナは気づいたようだったが、彼女は何も言わずに寄り添うように隣に立った。「今日も森へ行くの?」 「うん。もちろん」「気をつけてね。最近、森が落ち着かない感じがするから」 エレナの声には心配の色が滲ん
last updateLast Updated : 2025-03-10
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届かない約束 ③
 リノアはエレナに別れを告げると、森への道を一人歩き始めた。 村の喧騒が遠ざかり、木々の影が彼女を包む。 籠を握るリノアの手がほんの僅かに震えている。それは寒さのせいではない。母が消え、シオンを失い、一人でこの村で生活する寂しさが心に重くのしかかっているからだ。 幼かった頃に聞いた、あの自然の声が再び聞こえることを、リオナはどこかで期待していた。それが何を意味するのか、どうして私に聞くことができたのか、それがどうしても知りたかった。 リノアは村の外れに広がる森の入り口に立った。 木々の間から吹く風がリノアの頬を撫で、かすかな湿った土の匂いが鼻をくすぐる。リノアは深呼吸し、籠を肩にかけるとゆっくりと一歩を踏み出した。 足元の草が柔らかく沈み、靴底に小さな土の粒が付着する。 森の姿は、いつもと何一つ変わらないように見えた。高くそびえる木々の緑、鳥たちの影、そして淡い光が差し込む薄暗い道。しかしリノアの心には何か引っかかるものがあった。 風の音は高く、耳をかすめるように響き、木々のざわめきにはいつもより鋭さが感じられる。 リノアは母親から教わった道をたどり、薬草の生える場所へ向かった。 木々が密集するその奥には、傷を癒すカミツレや熱を下げるヨモギが静かに息づいている。まるで母の手ほどきを再び受けるような気持ちで、リノアは木々の間を縫うように進んだ。 頭上の枝葉が風に揺れ、陽光がまだら模様を描きながら地面に降り注ぐ。時折、小鳥が飛び立つ羽音が森の静寂を破った。 その瞬間、心にわずかな緊張が走った。森は時として優しく、そして無情だ。リノアは身構え、そして耳を澄ました。 森に流れる音の中に、かつて聞いた自然の声が混ざっていないかと期待したが、耳に届くのは風のささやきと小鳥たちのさえずりだけだった。 あの幼い日に聞いた優しく包み込むような声が、今は遠いものに感じられる。
last updateLast Updated : 2025-03-10
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届かない約束 ④
 薬草の群生地にたどり着くと、リノアは膝をついて籠を地面に置いた。 眼前には小さな白いカミツレの花が群生している。それらを摘み、リノアは一輪の花を指先で優しく潰した。 少し苦みのある香りが立ち上がり、懐かしい記憶を呼び起こす。母がよくこれを煎じて飲ませてくれたっけ。 リノアは目を閉じて、記憶の中に身を浸した。 母の優しい声と手の温もり。そして、森で消えていった母の背中――それだけが、くっきりと切り取られたように記憶に残っている。どうして母は戻ってこなかったのか。リノアは数えきれないほど、その問いを心の中で繰り返したが、答えは一度も見つからなかった。 ふと、母の言葉が頭に蘇った。「リノア、気をつけてね。あの森は優しいけど、時々気まぐれになるから」  気まぐれ……。 リノアはその言葉を反芻した。あの頃には理解できなかったその言葉の意味が、今になって少しずつ形を持ち始めている。 リノアは立ち上がって周囲を見回した。木々の葉が少し黄色く、地面の草がいつもより乾いている。季節の変わり目にしては早すぎる変化だ。 リノアはヨモギの葉を手に取って見つめた。その茎の硬さと乾いた感触に眉をひそめた。水分が少ない。いつもなら青々として柔らかいはずなのに……。「何か変だ……」 リノアは呟き、籠に草を詰めながら考え込んだ。シオンが亡くなったあの日から、森の様子がどこかおかしい。 シオンはよく森に入り、植物や土を丹念に調べていた。その手にはいつも分厚いノートがあり、小さな文字でびっしりと自然の変化が記録されていたのを覚えている。確かノートは今、エレナが持っているのではないか。 シオンの死は本当に事故だったのか、それとも……。 その疑問が胸の内で膨らみかけた瞬間、リノアは思考を振り払うように首を振った。「今日は、これだけにしよう。これだけ採れたら十分だ」 リノアは籠を肩にかけ、引き返すことに決めた。どこかで何かが潜んでいるような気がする。 リノアはノートに何か手がかりがあるのではないかと思い始めていた。村に戻り、エレナに会って話を聞こう。シオンの死に何か隠された真実があるなら、それが森の異変と関係しているかもしれない。
last updateLast Updated : 2025-03-10
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星々と笛の歌 ①
 村に戻ると、太陽はすでに中天に近づき、熱を帯びた光が広場を照らしていた。 子供たちが笑い声を上げて走り回り、女性たちが洗濯物を干す姿が目に映る。だが、その日常の喧騒はリノアの耳に遠く、どこか現実離れした響きに感じられた。 彼女の胸には森で見た異変が重く残っていた。 リノアはエレナの家に向かった。小さな木造の家は屋根に薬草を干す棚が設けられ、風に揺れた葉の香りが漂っている。扉を軽く叩くと、中からエレナの声が聞こえた。「誰? 入っていいよ」 扉を開けると、部屋は薬草の濃厚な匂いで満たされていた。机の上にはシオンのノートが広げられ、乱雑に置かれた紙や乾いたインク壺が散らばっている。「リノア、早かったね。森はどうだった?」 椅子に座ってノートを眺めていたエレナが顔を上げて尋ねた。 その声にはさりげない気遣いが混じっている。リノアは籠を床に置き、エレナを見据えた。「少し変だった。草が乾いてて、木も元気がないみたい」 エレナの表情が一瞬で曇り、眉間に細かな皺が寄った。彼女はノートを手に取り、ためらいがちにページを捲った。「シオンも同じことを書いてる。自然が弱ってるって。ここ数ヶ月、森の様子がおかしいと記録してる」 リノアはノートを覗き込んだ。シオンの丁寧な字で描かれた植物のスケッチ、細かく記された数字や日付が並んでいる。「シオンの死って、本当に事故なのかな」 リノアの落ち着いた声が静かに部屋を切り裂く。 その言葉にエレナの手が止まり、ノートを持つ指先に力がこもった。「実は私も怪しんでる。でも証拠がない……。村の人たちは事故だって信じてるし、まだ深入りするのは早いんじゃないかな」 エレナはリノアをじっと見据え、低い声で言った。「どうして?」 リノアの問いが鋭く響いたのか、エレナは一瞬、リノアから目を逸らし、言葉を選ぶように息を吸った。「シオンが何かに気づいていたのなら、それが原因で……ね」 エレナの言葉はどこか曖昧だったが、リノアの胸に冷たい刃のように突き刺さった。 リノアは立ち上がって窓の外を見た。子供たちの笑い声、洗濯物を干す穏やかな動き、村の風景は平和そのものだ。しかし、その下に何か暗いものが蠢いている気がしてならない。 風が窓枠を揺らし、遠くの森から届く微かなざわめきが、不穏な囁きのように耳に忍び込む。シオンの死と自然の異
last updateLast Updated : 2025-03-21
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星々と笛の歌 ②
 その夜、リノアは広場で村人たちと話をした。火を囲み、皆が一日を終えて集まっている。 クラウディアが杖をつきながら近づいてきた。「リノア、森はどうだった?」「少しおかしかったよ。草が乾いてて……。自然の元気がないみたい」 クラウディアは眉を寄せ、火を見つめた。「昔もそんな時があった。自然が警告を発するときだよ」 クラウディアは言いながら、空を見上げる。「警告?」 リノアは思わず聞き返した。「ああ……」 クラウディアは少し黙り込んだ。そして、ためらうようにリノアの顔をじっと見つめた後、言葉を続けた。「リノアの母がいた頃も、こんな風にね……。自然の声が耳に届いていたんだ」「母が……?」 リノアの胸にかすかな不安が広がった。母の話は村ではあまり触れられない。その話題を避けるかのように、大人たちは皆、母のことを口にしなかったのだ。「彼女は特別な存在だったんだよ、リノア。村でも珍しい役割を担っていた。語り部──それが彼女の役割だった」「語り部……どうして、そんなことを……?」 私の知らない母の一面だ。「彼女は自然の声を聞き、それを村の人々に伝えていた。それが語り部としての務めだった。だからこそ、リノアも……」 リノアは困惑と戸惑いの入り混じった目でクラウディアを見つめた。その意味を深く考える前に風が舞い上がり、二人の間に新たな静寂が訪れた。「彼女も自然の声を聞くことができたんだよ。リノアと同じようにね」「どうして、それを……」 自然の声を聞くことができるなんて、誰にも話したことはない。リノアはクラウディアの言葉に息を呑んだ。 リノアの胸が高鳴り、指先が微かに震えた。母も同じように自然と話をしていたなんて……。心の中に様々な疑問が浮かび上がっては消えていく。母には聞きたいことが沢山ある。 クラウディアはリノアをじっと見つめていたが、ふいに目をそらし、立ち上がって火のそばを離れた。 リノアは戸惑いを抱えたまま、ただ彼女の背中を見送るしかなかった。火の揺らめきが静寂をかき乱す。 火のそばに残されたリノアは村人たちの会話に耳を傾けた。小さな集団の中心でレオが苛立ちを隠さず言葉を吐き出している。「自然ばかりに頼っていても、村は良くならない。もっと外と交易すべきだ」 夕暮れの広場で焚き火の明かりがレオの顔を照らし出す。「その通りさ
last updateLast Updated : 2025-03-21
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星々と笛の歌 ③
 夜が更け、家に戻ったリノアは、ベッドに横になってシオンの形見である木彫りの笛を手に取った。窓の隙間から冷たい夜気が流れ込み、カーテンが揺れている。 リノアは笛の表面を指で撫でながら母の背中を思い浮かべた。あの優しい声、森の中で見せてくれた笑顔……。全てが今は遠い記憶となっている。 リノアは目を閉じ、風の音に耳を澄ませた。もし、また自然の声が聞こえるなら。何か教えてくれるのではないかと期待しながら。 窓の隙間から忍び込む冷たい夜気が彼女の頬を撫でる。 この風の中に混ざった微かな音は何だろう? 人の声ではない。もっと深く、根源的な響き……。 リノアはベッドから跳ね起き、窓辺に駆け寄った。霧と雲の切れ間から無数の星が輝く夜空が見える。 その光に吸い寄せられるように、リノアの瞳が星を捉えた時、かつてシオンが教えてくれた星詠みの記憶が蘇った。「自然は星の言葉なんだ。リノア、耳を澄ませて星を見つめてごらん」 リノアは笛を握り、星の光に目を凝らした。北の空で三つの星が微かに揺れている。それらは他の星とは異なるリズムで瞬いている。 星が私に何かを伝えようとしている……。 衝動に駆られたリノアは笛に唇を当てた。 深く、そして沈み込んだ笛の音が風に乗り、霧の中を漂って行った時、北の空の星々が一斉に輝きを増した。まるで笛の音に呼応するかのように星々が歌い出す。 リノアは震える指先に力を込め、笛を吹き続けた。音が夜空に溶け、霧が揺れる。 リノアの耳に響く、微かな囁きの中で何かが蠢き、浮き彫りになっていく。それはシオンの声でも母の声でもない。自然そのものが語りかけるような声だ。 木々のざわめき、小川の流れ、遠くの鳥の羽音が笛の音色と共鳴している。 リノアは笛を下ろし、星空を見上げた。「これが……星詠み?」 シオンが教えてくれた力。星と自然を通じて感じる言葉にならない感覚。笛の音がその扉を開いたのだ。 霧が揺れ、星の光が彼女を包み込んでいく。自然の声はまだはっきりしない。でも、確かにそこにある。シオンの遺志か、母の想いか、それとも村を襲う危機の予兆か?リノアの心に小さな火が灯り、夜の静寂に希望が響き合った。
last updateLast Updated : 2025-03-21
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失われた足跡 ①
 リノアは眠りの中でも風の音を聴き続けていた。夢の中、木々がざわざわと囁き合い、遠くで誰かが呼んでいる。それがシオンの声なのか、母の声なのか、それともまったく別の何かなのか。はっきりしないまま、彼女は目を覚ました。 朝の光が木枠の窓から射し込み、部屋を淡く照らしている。けれど、その優しい光でさえも、昨夜の村人たちの声を振り払うことはできなかった。 エレナの曖昧な警告、クラウディアの謎めいた言葉、レオとカイルの軽率な態度……。それら全てがシオンの死や森の異変に繋がっているように思えてならない。 リノアはベッドから起き上がり、籠を手に取った。 今日はいつもの薬草採取の仕事より、シオンの足跡を追いたいという思いの方が強い。シオンが最後に森の中で何を見たのか、何をしていたのか、その答えを探さずにはいられない。 光が差し込む窓を背に、リノアは扉を開けて外の世界へと足を踏み出した。 リノアは村の外れを抜け、シオンが何度も足を運んでいた北側の一角へ向かった。そこは村人たちがあまり近づかない場所だ。木々が密に生い茂り、薄暗い雰囲気が漂っている。 小径の入り口に差し掛かった時、その場の空気が変わったのを感じた。風が木々の枝を揺らし、低い唸りのような音が辺りに響いている。鳥の声が少ない。代わりに葉擦れの音だけが聴こえる。 リノアは苔に覆われた足元を慎重に踏みしめながら進んだ。地面は湿り気を帯び、靴底にまとわりつく泥が歩みを重くする。 シオンのことが頭によぎる。シオンはこの道を何度も歩き、自然の秘密を追い求めていた。ノートに描かれた数多くの植物のスケッチや観察の記録が鮮明に蘇る。「シオン、ここで何を見つけたの?」 リノアの呟きは虚しくも風に流れて木々の間に消えていった。 太陽が木々の隙間から漏れ、地面に光を落としている。そのまだらな輝きの中、リノアは足を止めて周囲を見渡した。 ここはシオンが倒れていた場所に近い。 村人たちは「落石に巻き込まれた」と語っていた。しかし本当にそうなのだろうか。 風が再び吹き抜け、リノアの髪を揺らした。土と葉の香りが鼻先をくすぐる中、リノアはさらに奥深く進むことを決めた。 この場所には、まだ何かが隠されている。そう思わずにはいられなかった。
last updateLast Updated : 2025-03-22
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