君が目覚めるまではそばにいさせて

君が目覚めるまではそばにいさせて

last updateDernière mise à jour : 2025-04-21
Par:  結城 芙由奈Mis à jour à l'instant
Langue: Japanese
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大切な存在を失った千尋の前に突然現れた不思議な若者との同居生活。 『彼』は以前から千尋をよく知っている素振りを見せるも、自分には全く心当たりが無い。 子供のように無邪気で純粋な好意を寄せてくる『彼』を、いつしか千尋も意識するようになっていく。 やがて徐々に明かされていく『彼』の秘密。 千尋と『彼』の切ないラブストーリーが始まる——

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1-1 祖父の死

君の明るい笑顔を見るのが大好きだっただけど、人一倍寂しがりやだったね辛い時、悲しい時は我慢しないで泣いてもいいんだよ君が目覚めるまでは側にいるから――**** 桜の木々に囲まれた葬儀場に参列者達が集まっていた。「家の中で倒れている所をお隣の川合さんが発見されたそうよ」「他にご家族はいないの?」「それが千尋ちゃんがまだ小学生だった頃に両親が交通事故で亡くなったから、幸男さんが娘の子供を引き取ったのよ」「父方のご両親は何故ここに来ていないんだろう?」「千尋ちゃんのご両親の結婚に猛反対だったらしくて絶縁状態だったのよ。でもさすがに自分の息子のお葬式には来たけれど、幸男さんと大喧嘩になって大変だったみたいね」「千尋ちゃんも成人して働いているから先方も幸男さんの葬式に来ないのかもな……」葬儀場で近所の人々が会話をしている。青山千尋は、椅子に座って窓から見える美しく咲いた桜の木々を眺めながらぼんやりと聞いていた。昨夜のお通夜には千尋の友人達も大勢駆けつけてきてくれたが、平日の告別式となると彼等の参加は難しい。結局千尋から告別式には顔を出さなくても大丈夫だからと断ったのである。人が少ない会場での会話は全て千尋に筒抜けとなっていた。(そっか……だから向こうのお爺ちゃんやお祖母ちゃんに一度も会った事が無かったんだ……)千尋の両親が事故で亡くなったのは、彼女が小学生の時。修学旅行に行っていた最中の出来事だった。両親の死で独りぼっちになってしまった千尋を引き取ってくれたのが祖父の幸男である。千尋は突然の両親の死を受け入れることが出来ず、二人の葬式にもショックで参列出来なかった。千尋は祖父の遺影を見つめた。そこには笑顔でカメラに写っている祖父の姿があった。専門学校を卒業したお祝いの席で千尋が撮影したものであった。『上手に撮れたなあ。よし、爺ちゃんの葬式の時はこの写真を使ってくれよ』生前の祖父の言葉が頭をよぎった。あの時は、そんな縁起でもないことを言わないでと祖父に怒って言った。だが、たったの1年で現実の出来事になるとは思ってもいなかった。堪えていた涙が出そうになり、千尋はぐっと両手を握りしめたそのとき。「千尋ちゃん」聞きなれた声で呼びかけられ、千尋は振り向いた。「川合さん」声の主は祖父が家の中で倒れているのを発見し、救急車を呼んでくれた近所の...

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1-1 祖父の死
君の明るい笑顔を見るのが大好きだっただけど、人一倍寂しがりやだったね辛い時、悲しい時は我慢しないで泣いてもいいんだよ君が目覚めるまでは側にいるから――**** 桜の木々に囲まれた葬儀場に参列者達が集まっていた。「家の中で倒れている所をお隣の川合さんが発見されたそうよ」「他にご家族はいないの?」「それが千尋ちゃんがまだ小学生だった頃に両親が交通事故で亡くなったから、幸男さんが娘の子供を引き取ったのよ」「父方のご両親は何故ここに来ていないんだろう?」「千尋ちゃんのご両親の結婚に猛反対だったらしくて絶縁状態だったのよ。でもさすがに自分の息子のお葬式には来たけれど、幸男さんと大喧嘩になって大変だったみたいね」「千尋ちゃんも成人して働いているから先方も幸男さんの葬式に来ないのかもな……」葬儀場で近所の人々が会話をしている。青山千尋は、椅子に座って窓から見える美しく咲いた桜の木々を眺めながらぼんやりと聞いていた。昨夜のお通夜には千尋の友人達も大勢駆けつけてきてくれたが、平日の告別式となると彼等の参加は難しい。結局千尋から告別式には顔を出さなくても大丈夫だからと断ったのである。人が少ない会場での会話は全て千尋に筒抜けとなっていた。(そっか……だから向こうのお爺ちゃんやお祖母ちゃんに一度も会った事が無かったんだ……)千尋の両親が事故で亡くなったのは、彼女が小学生の時。修学旅行に行っていた最中の出来事だった。両親の死で独りぼっちになってしまった千尋を引き取ってくれたのが祖父の幸男である。千尋は突然の両親の死を受け入れることが出来ず、二人の葬式にもショックで参列出来なかった。千尋は祖父の遺影を見つめた。そこには笑顔でカメラに写っている祖父の姿があった。専門学校を卒業したお祝いの席で千尋が撮影したものであった。『上手に撮れたなあ。よし、爺ちゃんの葬式の時はこの写真を使ってくれよ』生前の祖父の言葉が頭をよぎった。あの時は、そんな縁起でもないことを言わないでと祖父に怒って言った。だが、たったの1年で現実の出来事になるとは思ってもいなかった。堪えていた涙が出そうになり、千尋はぐっと両手を握りしめたそのとき。「千尋ちゃん」聞きなれた声で呼びかけられ、千尋は振り向いた。「川合さん」声の主は祖父が家の中で倒れているのを発見し、救急車を呼んでくれた近所の
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1-2 祖父の死 2
「美味しい……」ここ数日、余りにも色々な出来事があった為、まともに食事することすら忘れていた。そもそも食欲など無かったが、差し入れのおにぎりは女性の気遣いが感じられ、今の千尋には何よりのご馳走であった。食事を終え、空いたお盆とお茶を給湯室に置きに行こうと席を立った時。「青山さん!」会場に響き渡るような大声で千尋を呼ぶ声がした。「あ……店長!?」花の専門学校を卒業した千尋は自宅周辺の最寄り駅である花屋で働いていた。そこの店長――中島百合が葬儀場に現れたのである。年齢は35歳で細見で長身、ショートカットの髪型の為か年齢以上に若く見える中々の美人。ちなみにまだ独身で、婚活中。「どうしたんですか? 店長。お店が忙しいので参列されなくても大丈夫ですってお話しましたよね?」千尋が働いている花屋『フロリナ』は全国規模の大型チェーン店の花屋である。どのような商品を売るかは、店長が自由に決めることが出来るスタイルを取っている。店長の中島はセンスが良く、フラワーアレンジメントや流行りのハーバリウムそしてブリザードフラワーといった商品の品を多く揃えたことにより、常に客が絶えない人気の店となっていた。更に男性達からは『若くてとびきり可愛い看板娘がいる』と評判の店であったが当の本人、千尋は全くその事実には気が付いていない。そんな人気の花屋をパートの女性を含め、たった3人でまわしているわけである。当然、自分も含め店長まで不在となれば皺寄せは一気にパート女性にのしかかってくる。「大丈夫よ。だって昨夜のお通夜には参加出来なかったんだもの。今日は本社に連絡して臨時休業にさせてもらったのよ。渡辺さんには休んで貰ったから、実は今一緒に来てるんだ。ほら、渡辺さん。こっちこっち」店長が手招きしている方を見ると、パート女性の渡辺真理子が大急ぎで向かってくるのが見えた。背はあまり高く無く、太めの体系の為に喪服のパンツスーツがかなり窮屈そうな様子である。3月末とはいえ額に汗をかき、ハンカチで汗を拭きながらやってきた。年齢は40代前半、夫と高校生・中学生男児二人の子供を持つ女性である。忙しい主婦の身ながら週5日、11時~18時まで働いてくれているので、千尋や店長にとって、とても頼りになる人物だった。「千尋ちゃん!」女性は千尋の側に小走りで駆け寄ると、千尋を力強く抱きしめた。「可
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――その後 葬儀場の職員と49日の法要等の手続きを済ませ、千尋が家に帰ってきたのはすっかり日も暮れていた。祖父と暮らしていた家は築45年の古い木造家屋で平屋建て。全ての部屋が和室であるが、部屋数は2人で住むには十分な数があり、幸男の趣味の家庭菜園が出来る程の広い庭付きの家である。「ただいま」真っ暗になった家の玄関の鍵を開けて、中に入ると白い大きな犬が千尋に飛びついてきた。「ワン!」「ヤマト、ごめんね。すっかり帰りが遅くなって」千尋はヤマトの前にしゃがみ、頭を撫でるとヤマトは嬉しそうに尻尾を振った。「ヤマト……」そのまま黙ってヤマトの頭を撫で続けている。「キュ~ン」するとヤマトが鳴いて千尋を見上げた。その時になって初めて千尋は自分が泣いている事に気が付いたのである。「あ……私、泣いて……」そこからは堰を切ったように後から後から涙があふれきた。「ヤマト……。お爺ちゃん死んじゃった……私独りぼっちになっちゃったよ……。こんな広い家でたった1人で、私これからどうしたらいいの……?」するとヤマトは千尋の顔をペロリと舐めてジ~ッと見つめた。その姿はまるで(大丈夫ですよ。私がいます)と伝えているように見えた。「そうだったね。私にはヤマトがいるものね。独りぼっちじゃなかったんだ……。ありがとう、ヤマト。」千尋はヤマトをきつく抱きしめた。「ヤマト、帰りが遅くなっちゃったからお腹空いてないかな?」今朝家を出る時に1日分の餌と水を用意して出かけたのだが、量が足りたのか千尋は気がかりだった。餌と水を見るとすっかり空になっていたので、すぐに台所に行くとヤマトも後を付いてくる。千尋がドッグフードと水を用意してヤマトの前に置くと、嬉しそうにすぐに餌を食べ始めた。「ごめんね、やっぱりお腹空いていたんだね」ヤマトが餌を食べている様子を見届けると、千尋は風呂に入る準備をした。 部屋着に着替えて居間に入ると餌を食べ終えたヤマトが寝そべっていたが、千尋の気配を感じると起き上がって尻尾を振った。「お風呂が沸く間テレビでも見よっかな」千尋はリモコンに手を伸ばすと、たいして面白くも無い番組を見ていたが内容は少しも頭に入ってこなかった。(お爺ちゃん……)ともすればすぐに頭に浮かんでくるのは無くなった祖父のことばかりである。祖父のことを思い出すと、再び目頭が
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1-5 新しい生活 2
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