Chapter: 124話 このことは内緒に リカルドはとても焦っていた。(一体、あの状況は何なのだ……)自分で馬車を走らせ、リカルドはここまでやってきた。するとイレーネが警察官と共に見知らぬ青年と対峙している場面に遭遇したのだ。(何故イレーネさんは警察官と一緒にいるのだろう? それにあの青年は誰だ? 何やら問い詰められているようにも見える……とにかく、今は隠れていた方が良さそうだ)そう判断したリカルドは、大木の側に馬車を止めてると急いで身を隠して様子を伺っていたのだ。「おや? 帰って行くようだ」少しの間、見ていると青年はそのまま立ち去って行った。そしてイレーネと警察官は何やら話をしている。その姿は妙に親し気に見えた。(気さくなタイプの警察官なのかもしれないな……)そんなことを考えていると、警察官が自分の方を振り向いた。「……というわけで、そこの方。貴方もいい加減出てきたらどうですか?」(え!? バレていた……!? そ、そんな……!)しかし、相手は警察官。下手な行動は取れないと判断したリカルドは観念して木の陰から出てきた。「は、はい……」「まぁ! リカルド様ではありませんか? どうしてそんなところに隠れていたのですか? どうぞこちらへいらして下さい」イレーネが笑顔で呼びかける。「はい、イレーネさん」おっかなびっくり、リカルドは二人の前にやって来た。一方、驚いているのはケヴィンだった。「ひょっとして、お二人は知り合い同士なのですか?」「はい、そうです。こちらの方はリカルド・エイデン様。この家の家主さんです」イレーネは笑顔でケヴィンに紹介する。そう、イレーネから見ればリカルドはこの家の家主に該当するのだ。「え? 家主さんだったのですか!?」ケヴィンはリカルドを見つめる。「は、はい……そうです……」(家主? 確かに私はこの家の家主のような者だが……何故、ルシアン様の名前を出さないのだろう? ハッ! そういえば、お二人は世間を騙す為の結婚……つまり、偽装結婚をする関係だ。そして目の前にいるのは警察官。もしかして偽装結婚は犯罪に値するのだろうか? それでイレーネさんはルシアン様の名前を出さなかったのかもしれない!)心配性のリカルドは目まぐるしく考えを巡らせ、自分の中で結論付けた。「はい、私はイレーネさんにこの屋敷を貸している(今は)家主のリカルド・エイデンです」早
Last Updated: 2025-04-22
Chapter: 123話 出てきて下さい――16時「大分、痛みがひいたみたいね」イレーネは立ち上がると歩いてみた。「これなら農作業用具を片付けられそうだわ」エプロンを身に着けている時。――コンコン突然部屋にノックの音が響き渡った。「あら? 誰かしら? もしかしてルシアン様かしら」イレーネは少しだけ足を引きずりながらへ向かうとドアアイを覗き込み、驚いた。「え? ケヴィンさん?」何と訪ねてきたのはケヴィンだったのだ。イレーネは慌てて扉を開けた。「いきなり訪ねてすみません、イレーネさん」ケヴィンはイレーネの姿を見ると笑みを浮かべた。「ケヴィンさん、一体どうなさったのですか? まだ制服姿ということはお仕事中ですよね?」「ええ、そうなのですが……イレーネさんの怪我が気になってしまって、訪ねてしまいました。大丈夫ですか?」「ええ。自分で手当をしたので大丈夫ですわ」イレーネは包帯を巻いた足を少しだけ上に上げてみせた。「そうでしたか……それなら良かったです。あの、実はコレを届けたかったのです」ケヴィンは恥ずかしそうに紙袋を差し出してきた。「あの、これは……?」躊躇いながら受け取るイレーネ。「はい、ドライレーズンです。確か、今夜はレーズンパンを作るつもりだと仰っていましたよね?」「まぁ……それでは、わざわざ買って持ってきて下さったのですか? それではすぐに代金を支払いますね」イレーネが部屋に取って返そうとした時。「あ! 待ってください!」突然呼び止められた。「どうかしましたか?」「イレーネさん。お金なんて結構ですよ」「ですが、それでは私の気持ちが収まりませんわ」「それでしたら……あの、もしよければ……今度イレーネさんが焼いたパンを僕にも分けていただけたら嬉しいです。僕がパンを好きなのは御存知ですよね?」「そうですね。それでは今、持ってきますね。レーズンを入れていないパンなら、もう焼いていたんです」「本当ですか? ありがとうございます」笑顔になるケヴィンを玄関に残し、イレーネは家の中へ入っていった。「どうもお待たせいたしました。どうぞ、ケヴィンさん」紙袋にパンを入れたイレーネがケヴィンの元へ戻って来ると、差し出した。「うわあ……パンの良い匂いがしますね。それにまだ温かい」「はい、30分ほど前に焼き上がったところですから」「ありがとうございます。味わっ
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 122話 私が行ってきましょう「どうもありがとうございました」別宅の前に馬車が到着し、イレーネは馬車代を支払うと痛みを押さえて降り立った。「大丈夫ですか? お客様」男性御者が心配そうに声をかけてくる。「ええ、大丈夫です。ご心配頂きありがとうございます」「では、失礼します」互いに挨拶を交わすと馬車は走り去っていった。「……何だか痛みが酷くなってきたみたいだわ。早く治療しなくちゃ」痛む足を引きずりながら、イレーネは家の中へ入っていった――** 帰宅したイレーネは、湿布を作るために台所で材料を探していた。「え〜と、小麦粉にビネガーは……あ、あったわ」早速小麦粉をビネガーと混ぜて練り合わせると用意していたガーゼに塗ると、ガーゼを痛めた足首にそっとあてる。「つ、冷たい……でも我慢我慢」自分に言い聞かせ、包帯を巻きつけた。「……出来たわ。どうかしら?」早速イレーネは少しだけ歩いてみた。「だいぶ痛みは和らいだみたいね。やっぱりお祖父様直伝の湿布は効果があるわ」窓の外を見ると、そこには農作業用道具が畑の側に置かれている。「……こんな状態じゃなければ、マイスター家に戻っていたのだけれど……」買い物から帰宅後は、すぐに畑仕事が出来るように用具を出して出掛けてしまっていたのだ。「痛みがひいたら、片付けをしなくちゃ」イレーネはポツリと呟いた。****「今日もイレーネさんは別宅に泊まられるのですね」仕事をしているルシアンに紅茶を注ぎながらリカルドが尋ねた。「そうだ。……別宅という言い方をするな」ムッとした様子でルシアンがリカルドを見る。「それは失礼致しました」「全く……イレーネはあの家が好きなようだ。毎回楽しそうに行っているからな」「つまらなそうな顔をして出掛けられるより、余程良いではありませんか」リカルドの言葉に、ルシアンは呆れ顔になる。「あのなぁ、俺はそんなことを話しているんじゃない。……もしかして、あの場所には何かあるんじゃないだろうか?」「何かとは?」「それが分からないから、何かと言ってるんだろう?」「ルシアン様……」じっとリカルドはルシアンを見つめる。「な、何だ?」「本当に、イレーネさんのことを気にかけてらっしゃるのですねぇ?」「それは当然だろう? 何しろ彼女とは契約を結んだ婚約者の関係だからな。今月開催する任命式で、正式にイレーネ
Last Updated: 2025-04-20
Chapter: 121話 イレーネとベアトリス イレーネがベアトリスをじっと見つめていた時。「サイン下さい!」突然イレーネの後ろにいた男性が前に進み出てきて、ぶつかってきた。「キャア!」小柄なイレーネはそのまま、前のめりに転んでしまった。はずみで持っていた買い物袋も地面に落ち、袋の中からリンゴがコロコロとベアトリスの足元に転がっていく。「まぁ! 大変!」ファンにサインをしていたベアトリスはリンゴを拾うと、イレーネに駆け寄ってきた。「大丈夫ですか?」イレーネに手を差し伸べるベアトリス。「は、はい……ご親切にありがとうございます」その手を借りてイレーネは立ち上がると、次にベアトリスはぶつかってきた男性を睨みつけた。「ちょっと! 貴方はレディにぶつかって転ばせてしまったのに、手を貸すどころか謝罪も出来ないのですか!?」「え? す、すみません!!」ベアトリスにサインをねだろうとした男性はオロオロしている。そんな男性を一瞥するとベアトリスはイレーネに笑みを浮かべた。「申し訳ございません。お詫びの印にサインをしてさしあげますわ。どれにすればよろしいですか?」「え? サ、サインですか!?」そんなつもりで並んでいなかったイレーネは当然戸惑い……ふと、閃いた。「あの、でしたらこのメモに書いていただけませんか?」イレーネは買い物メモをひっくり返して手渡した。「あら? これにですか?」怪訝そうな表情を浮かべるベアトリス。「はい、まさかこのような場所で大スターにお会いできるとは思ってもいなかったので他に持ち合わせがないのです。でも、額に入れて飾らせていただきます!」「まぁ。そこまで言って頂けるなんて嬉しいわ。ではこのメモにサインしましょう」ベアトリスはイレーネからメモを受け取ると、サラサラとサインをして手渡してきた。「はい、どうぞ」「ありがとうございます……一生の宝物にさせていただきますね」「フフフ。大げさな方ね」そのとき――「劇団員の皆様! お待たせ致しました! 迎えの馬車が到着いたしました!」スーツ姿の男性が大きな声で呼びかけてきた。「行こう、ベアトリス」そこへ黒髪の青年が現れて、ベアトリスに声をかけてきた。「そうね、カイン」そしてベアトリスはカインと呼んだ男性と共に、その場を去って行った。「あ〜あ……サインもらいそびれてしまった……」「やっぱりベアトリスは美
Last Updated: 2025-04-19
Chapter: 120話 意外な場所で あの嵐の日から、早いもので3ヶ月が経過していた。イレーネは半月に一度は、リカルドから譲り受けた家に通うようになっていたのだった。「それでは、今日もあの家に行くつもりなのか?」朝食の席でルシアンがイレーネに尋ねる。「はい、行ってきます」笑顔で返事をするイレーネ。「だが、何もそんなに頻繁に行かなくても……」言葉をつまらせるルシアンにイレーネは理由を述べた。「あの家は空き家ですから、定期的に訪れて管理をしないと家の維持は難しいですから」「そうか……」正直に言うとルシアンは、イレーネにあまりあの家には通って欲しくは無かった。その理由はただ一つしかない。「心配しなくても大丈夫です。明日にはまた戻りますので」「……分かった。なら気をつけて行くといい」「はい、ルシアン様」イレーネは笑顔で返事をした。**** イレーネは今夜の食材を買うために、1人で町に出てきていた。「えっと……バターは買ったし……あ、そうだわ。ドライフルーツを買わなくちゃ。今夜はレーズンパンを作るんだったわ」買い物メモを確認すると、イレーネはポケットにしまった。「それにしても、今日の駅前は凄い人手ね。一体何があったのかしら?」駅前には大勢の人々が集結していた。しかも大騒ぎになっており、警察官たちまで警備にあたっている。「もしかして、有名人でも来ているのかしら?」好奇心旺盛なイレーネは、一度気になったものは確認してみなければならない性格をしている。「ドライフルーツは後で買えるものね……行ってみましょう」そしてイレーネは人だかりの方へ足を向けた。**「皆さん! 落ち着いて! 押さないで下さい!」「道を開けて下さい!」騒ぎの中心から大きな声が聞こえている。「サインして下さい!」中にはサインをねだる声まである。「え? サイン? もしかして有名人でも来ているのかしら?」イレーネは誰が来ているのか、見たくても人だかりが出来ているので確認することも出来ない。そのとき――「あれ? イレーネさんじゃありませんか!」不意に声をかけられた。「え?」驚いて振り向くと、警察官姿のケヴィンが自分を見つめている。「まぁ! ケヴィンさん、こんにちは。偶然ですわね」「こんにちは。もしかしてイレーネさん……見物に来たのですか?」「は、はい……。何事か興味があったの
Last Updated: 2025-04-18
Chapter: 119話 ほんのお礼です 2人で庭の後片付けの作業を開始して約1時間後――「ありがとうございます、お陰様ですっかりお庭が綺麗になりました」イレーネがケヴィンに礼を述べた。「いえ、いいんですよ。地元住民として協力しただけですから。それではそろそろ帰りますね」ケヴィンが軍手を外し、帰り支度を始めるのを見てイレーネは声をかけた。「あ、そうですわ。少し、お待ちいただけますか? すぐに戻りますので」「え? ええ、いいですけど?」イレーネはケヴィンをその場に残すと、いそいそと家の中に入っていった。そして数分後、トレーを手にして戻ってきた。「これ、ほんのお礼です。どうぞ」トレーの上にはグラスに注がれた飲み物に、スコーンが乗っている。「え? 頂いてもよろしいのですか?」「はい、これはミントティーです。疲れた身体にいいですよ? こちらのスコーンも私のお手製です」するとケヴィンが笑った。「アハハハハッ。大丈夫ですよ、僕の職業をお忘れですか? 警察官で体を鍛えていますからこれくらい、どうってことないです。でも折角なのでいただきますね」「ええ。どうぞ」ケヴィンは早速グラスを手に取ると、ミントティーを口にした。余程喉が渇いていたのか、そのまま一気に飲み干しとグラスをトレーに戻した。「さっぱりした味で美味しいです。ありがとうございます。あの、スコーンはお土産に頂いて帰ってもいいですか? 家に帰ってからの楽しみにしたいので」「それでしたらもっと持って行って下さい。まだ沢山ありますので。今取ってまいりますね」「い、いえ。何もそこまでして頂かなくても……」しかしイレーネは最後まで聞かずに家の中に入ると、今度は紙袋を手に戻ってきた。「どうぞ、ケヴィンさん。5個差し上げますわ」そして笑顔で差し出す。「え? そんなに頂いてもいいのですか?」「ええ、勿論です。ケヴィンさんには今までにも色々お世話になっておりますから。どうぞお持ちになって下さい」「……どうもありがとうございます。では、遠慮なく頂きますね」顔を薄っすら赤らめながらケヴィンは受け取った。「それでは僕はこの辺で」「はい、今日は本当にありがとうございました」ケヴィンは馬にまたがると、イレーネを見つめる。「イレーネさん」「はい。何でしょう?」「今日は……一緒に働けて楽しかったです。それでは失礼しますね」「え?
Last Updated: 2025-04-17
Chapter: 79話 一番大切な存在 <完> ランドルフ、ミハエル、ゾフィーが逮捕されて一カ月後――「オリビア様、お疲れ様です。お茶を煎れて参りました」専属メイドのトレーシーが紅茶を運んで書斎に現れた。「ありがとう、トレーシー」書類から顔を上げ、オリビアは笑みを浮かべる。「どうぞ」机の上に置かれた紅茶を早速口にした。「……美味しい、ありがとう」「いえ。それでお仕事の方はいかがですか?」「そうねぇ。学業との併用は中々大変だけど、領地を運営するのも当主である私の役目だから頑張るわ」 ランドルフもミハエルも不正を働いた罪で、フォード家は危うく爵位を取り上げられそうになった。しかし侯爵家のアデリーナの口添えと、フォード家に唯一残されたオリビアが優秀ということもあり、取り潰しが無くなったのである。そして今現在、オリビアがフォード家の女当主とし切り盛りしているのであった。「でも大学院にいかれないのは残念ですね」「あら、そんなことはもういいのよ」トレーシーの言葉に、オリビアは首を振る。「え? よろしいのですか?」「勿論よ。第一、私が大学院に行こうと思っていたのは、家族や私を見下す使用達と暮らしたくは無かったからよ。けれど家族は一人残らず出て行ったし、私を見下す使用人はもう1人もいないわ」「ええ、確かにそうですね。今や、この屋敷の使用人達は全員、オリビア様を尊敬しておりますから」「そういうこと。だから、もうこの家を出る必要が無くなったのよ。それに大学院にいこうとしていたのはもう一つ理由があるのよ。より高い学力があれば、就職に有利でしょう? だけど今の私はフォード家の当主という重要な立場にあるの。つまり、もう仕事も持っているということになるわよね?」「ええ、確かにそうですね。ところでオリビア様、本日は卒業式の後夜祭が行われる日ですよね? そろそろ準備をなさった方が良いのではありませんか?」書斎の時計は15時を過ぎたところだった。後夜祭は19時から始まる。「そうね。相手の方をお待たせしてはいけないものね。トレーシー、手伝ってくれる?」「ええ。勿論です」トレーシーは笑顔で頷いた――****――18時半ダークブロンドの長い髪を結い上げ、オレンジ色のドレスに身を包んだオリビアは後夜祭のダンスパーティーが行われる会場へとやって来た。既に色とりどりの衣装に身を包んだ学生たちが集まり
Last Updated: 2025-03-03
Chapter: 78話 逮捕してください! 大学から帰宅したオリビアは異変を感じた。屋敷の前に見たこともない馬車が3台も止められているのだ。「あら? あの馬車は一体何かしら?」いやな予感を抱きながら、扉を開けて驚いた。エントランスには大勢の使用人が集まっていたのだ。「あ! オリビア様! お帰りなさいませ!」「お待ちしておりました! オリビア様!」使用人達が口々にオリビアに挨拶してきた。「ただいま。一体、これは何の騒ぎなのかしら?」すると一番古株のフットマンが手を上げた。「私から説明させて下さい。実は先程、警察の方達がいらしたのです」「え!? 警察!? ど、どうして警察が……って駄目だわ、思い当たることが多すぎるわ」片手で額を抑えてため息をつく。今は屋敷を追い出されてしまったが、義母のゾフィーは違法賭博にのめりこんでいた。兄のミハエルは裏金を積んで王宮騎士団に裏口入団し、父ランドルフは裏金を貰って、でたらめなコラムを書いていたことで閉店に追いこんだ飲食店もあるのだ。「それでは、屋敷の前に止められた馬車は警察の馬車ということね? それで警察の人達は何処にいるのかしら?」「はい、皆さんは旦那様とミハエル様、それにゾフィー様の部屋にいらしています」「何ですって!? 全員なのね!? もしかしてお父様だけかと思っていたけれど……とにかく、挨拶に行った方が良さそうね」そのとき。「いえ、それには及びませんよ」背後で声が聞こえて、オリビアは振り返った。すると10人以上の警察官が、紙袋やら箱を手にしている。「失礼、あなたはこちらの御令嬢でいらっしゃいますか?」先頭に立ち、口ひげを生やした警察官がオリビアに尋ねてきた。「はい、私はこの屋敷に住むオリビア・フォードです」「留守中にお邪魔してしまい、大変申し訳ありません。実はフォード家の人々に買収と賭博の容疑がそれぞれかけられまして、証拠物を押収させていただきました」「そうでしたか。ご苦労様です」ペコリと頭を下げると、警察官は不思議そうにオリビアを見つめる。「あの、何か?」「いえ、随分冷静だと思いまして。驚かれないのですかな?」「ええ、勿論驚いています。それで証拠が見つかればどうなりますか?」「勿論賭博も買収も犯罪ですからね。逮捕されるのは時間の問題でしょう。既にランドルフ氏は連行されていきましたから」その言葉に、オリビアはニ
Last Updated: 2025-03-03
Chapter: 77話 あなたのおかげ 2 その日の昼休みのことだった。「アデリーナ様!」大学併設のカフェテリアで待ち合わせの約束をしていたオリビアは、こちらに向かってくるアデリーナに笑顔で手を振った。「オリビアさん、遅れてごめんなさい」小走りで駆け寄って来たアデリーナが謝罪する。「そんな、謝らないで下さい。私もつい先ほど到着したばかりですから」本当はアデリーナに会うのが待ちきれずに15分程早く到着していたが、そこは内緒だ。「フフ、そうなの? それじゃ中へ入りましょうか?」「はい!」オリビアは大きく返事をすると、2人は店の中へ入った。「あら、結構混んでいるのね?」カフェテリア内は多くの学生たちで溢れ、空席が見当たらなかった。「その様ですね。アデリーナ様、他の店に行きましょうか?」そのとき。「アデリーナ様! 私達もう食事が終わったので、こちらの席をどうぞ!」すぐ近くで声が聞こえた。見ると、2人の女子学生が食事の終わったトレーを持って手招きしている。そこで早速、オリビアとアデリーナは女子学生たちの元へ向かった。「どうも私たちの為に席をありがとうございます」「ありがとうございます」アデリーナが丁寧に挨拶し、オリビアも続けて挨拶した。「いいえ、私達アデリーナ様のファンですから」「お役に立てて嬉しいです」女子学生たちは笑って去っていき、その姿をオリビアは呆然と見つめていると、アデリーナが声をかけてきた。「オリビアさん、食事を選びに行きましょう」「は、はい!」返事をしながらオリビアは思った。アデリーナのような人気のある女子学生と、子爵家の自分が一緒にいてもいいのだろうか――と。** 食事が始まると、早速話題はミハエルの話になった。ミハエルがアデリーナの兄、キャディラック侯爵にズタボロにされ、王宮騎士団をクビにされたこと。帰宅してみると大泣きしして暴れた後に、開き直って引きこもり宣言をしたものの、父から『ダスト村』への追放宣言を受けた事。そして夜明け前に幾人かの使用人を連れて旅だったことをかいつまんで説明した。「まぁ! たった1日でそんなことがあったのね? でも、何だか申し訳ないわ……オリビアさんのお兄様が追放されたのは、兄のせいなのだから」アデリーナは申し訳なさそうにため息をつく。「そんな! アデリーナ様は何も悪くありません。私が望んだことですし、そ
Last Updated: 2025-03-02
Chapter: 76話 あなたのおかげ 1 いつものように自転車に乗って大学に到着したオリビア。1時限目の授業が行われる教室へ行ってみると、入り口付近にマックスがいた。彼はオリビアの姿を見つけると、笑顔で手を振ってくる。「オリビア!」「おはよう、マックス。どうしてここにいるの? ひょっとして同じ授業を受けていたかしら?」「いいや、俺はこの授業を受けていない。オリビアを待っていたのさ」「そうだったのね。でも良かったわ。私も丁度あなたに会いたいと思っていたのよ」「え? 俺にか?」「ええ、そうよ!」そしてオリビアはマックスの右手を両手でしっかりと握りしめた。「お、おい! どうしたんだよ?」顔を赤らめて狼狽えるマックス。「ありがとう! 全て貴方のお陰よ! 感謝するわ」「え? 俺のお陰……?」「そうよ。父が裏金を受け取って、全くでたらめなコラムを書いていたことを暴露してくれたのでしょう?」「まさか……もう新聞に載っていたのか!?」「ええ、今朝食事の席で父が新聞を凝視していたのよ。何を読んでいるのかと思えば、自分に関する記事だったのよ。散々な事を書かれていたわ。コラムニストの職を失ったばかりか、この町全ての飲食店を出入り禁止にされたそうなの。それが一番ショックだったみたいね」「そうか……実は新聞社の知り合いに記事の件を頼んだと伝える為にオリビアを待っていたんだが、まさかもう記事になって出回っていたとは思わなかったな」マックスは感心したように頷く。「もしかして、薄々気付かれていたんじゃないかしら? それですぐ記事にすることが出来たのよ。そうに違いないわ」「やけに嬉しそうだな。だけどオリビアはそれでいいのか?」「え? 何のことかしら?」「決まっているだろう? 仮にも父親だろう? 自分の親が窮地に立たされているのに、オリビアはそれで大丈夫なのか?」「ええ、勿論よ」「げっ! 考える間もなく即答かよ……」「だって私は生まれた時からずっと、フォード家で酷い扱いを受けてきたのよ。父からは無視され、兄からは憎まれ、義母や義妹に使用人達すら私を馬鹿にしてきたのよ。だからもうフォード家がどうなっても構わないわ」「そうか……中々闇が深いんだな」腕組みしてマックスが頷く。「だからアデリーナ様には本当に感謝しているの。私が変われたのは、あの方のお陰だもの」「なるほどな……それじゃ、俺は…
Last Updated: 2025-03-01
Chapter: 75話 嘆く父「そう言えばお父様。先程熱心に新聞を読んでおられましたが、何か気になる記事でもあったのですか?」珍しく食後のお茶を飲みながら、オリビアはランドルフに尋ねた。「ギクッ!」ランドルフの肩が大きく跳ねる。「ギク……? 今、ギクと仰いましたか?」「あ、ああ……そ、そうだったかな……?」かなり動揺しているのか、ランドルフは自分のカップにドボドボと角砂糖を投入し、カチャカチャとスプーンで混ぜた。「あの、お父様。さすがにそれは入れ過ぎでは……?」しかし、ランドルフは制止も聞かず、グイッとカップの中身を飲み干す。「うへぇ! 甘すぎる!」「当然です。先程角砂糖を7個も入れていましたよ。それよりもその動揺具合……さては何かありましたね? 一体何が新聞に書かれていたのですか?」オリビアはテーブルに乗っていた新聞に手を伸ばす。「よせ! 見るな!」当然の如く、新聞を広げて凝視するオリビア。「……なるほど……そういうことでしたか」新聞記事の中央。つまり一番目立つ場所にはランドルフの顔写真付きの記事が載っていた。『ランドルフ・フォード子爵、別名美食貴族。裏金を受け取り、実際とは異なる飲食店情報を記載。被害店舗続出』大きな見出しで詳細が詳しく書かれている。(マックス……うまくやってくれたみたいね)オリビアは素知らぬ顔でランドルフに尋ねた。「お父様、こちらに書かれている記事は事実なのですか?」「……」しかし、ランドルフは口を閉ざしたままだ。「お父様、正直にお答えください」すると……。「そう、この記事の言う通りだ! 私は『美食貴族』として界隈で名高いランドルフ・フォードだ! 私のコラム1つで、その店の評判が決まると言っても過言では無い! 店の評判を上げて欲しいと言ってすり寄ってくるオーナーや、ライバル店を潰して欲しいと言って近付く腹黒オーナーだって掃いて捨てる程いる! だから私は彼らの望みを叶える為にコラムを書いてやった! これも人助けなのだよ!」ついにランドルフは開き直った。「それなのに……一体、どこで裏金の話がバレてしまったのだ……? そのせいで、もう私は『美食貴族』の称号と、コラムニストの副業を失ってしまった。それだけではない、この町全ての飲食店に出入り禁止にされてしまったのだよ! もし入店しようものなら……け、警察に通報すると! もう駄目
Last Updated: 2025-02-28
Chapter: 74話 選ばれた人達 翌朝――朝食の為にオリビアがダイニングルームへ行くと、既にランドルフが席に着いて新聞を食い入るように見つめていた。食事の席は父とオリビアの分しか用意されていない。オリビアが席に着いてもラドルフは気付かぬ様子で新聞を読んでいる。(一体、何をそんなに熱心に読んでいるのかしら?)訝しく思いながら、オリビアは声をかけた。「おはようございます、お父様」「え!?」ランドルフの肩がビクリと大袈裟に跳ね、驚いた様子で新聞を置いた。「あ、ああ。おはよう、オリビア。それでは早速食事にしようか?」「はい、そうですね」そして2人だけの朝食が始まった――「あの……お父様。聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」食事が始まるとすぐにオリビアはランドルフに質問した。「何だ?」「今朝はお兄様の姿が見えませんね。まさか、もうここを出て行かれたのですか?」「そのまさかだ。ミハエルは夜明け前に自分が選別した幾人かの使用人を連れて、屋敷を去って行った。多分、もう二度とここに戻ることはあるまい」オリビアがその話に驚いたのは言うまでもない。「何ですって? お兄様が1人で『ダスト』村へ行ったわけではないのですか?」「私もミハエル1人で行かせるつもりだった。だが、あいつは絶対に自分一人で行くのは無理だと駄々をこねたのだ。身の回りの世話をする者がいなければ生きていけるはず無いだろうと言ってな。いくら言っても言うことをきかない。それで勝手にしろと言ったら、本当に自分で勝手に使用人を選別して連れて行ってしまったのだよ」そしてランドルフはため息をつく。「そんな……それでは誰が連れていかれたかご存知ですか?」「う~ん……私が分かっているの2人だけだな。1人はミハエルの新しいフットマンになったトビー。もう1人は御者のテッドだ。後は知らん」「えっ!? トビーにテッドですか!?」「何だ? 2人を知っているのか?」「え、ええ。まぁ……」知っているどころではない。トビーをミハエルの専属フットマンに任命したのはオリビア自身だ。そして御者のテッドは近々結婚を考えている女性がいるのだから。「何て気の毒な……」思わずポツリと呟く。「まぁ、確かに『ダスト』村は何にも無いさびれた村だ。だが、存外悪くないと思うぞ? トビーは身体を動かすのが大好きな男だ。あの村は開拓途中だからな、
Last Updated: 2025-02-27
Chapter: 9-20 航の変化 2 朱莉は今、ベビー用品を取り扱っている専門店へとやって来ていた。「え、と……新生児用の肌着に紙おむつ、ベビー布団、ベビーベッド、おくるみ、抱っこ紐……」揃える品物があまりにも多すぎて、朱莉はクラクラしてきた。けれど……。「フフフ……。赤ちゃんか。すごく可愛いんだろうな……」だが、朱莉が育てるのは自分で産んだ子供ではない。明日香が産んだ子供なのだ。そして契約書通りに明日香の子供が3歳になったら、翔と明日香に子供を託し、朱莉は離婚をして、あの億ションを出ることになる。朱莉は溜息をつくと思った。(きっと3歳で私と別れれば、その子の記憶に私は残ることは無いんだろうな。だったら私との写真は撮ったら駄目だよね。お母さんに写真をもし見せるなら赤ちゃんだけの写真を撮って見せてあげよう……)つい数年先の未来を思い描き、暗い考えが頭をよぎる。朱莉は頭を振ると、買い物メモを見ながら、慎重に商品を選び始めた—―****その頃――「ふう~……疲れた……」航が機材を抱えながら朱莉のマンションへと帰って来た。「朱莉? 次の仕事まで時間が空いたから一度戻って来たぞ」しかし、部屋の中はしんと静まり返り、時折ネイビーがおもちゃで遊んでいる音が響くばかりである。「朱莉? いないのか?」機材を置くと航はリビングへ足を踏み入れた。「何だ。パソコンがつけっぱなしじゃないか……」朱莉のパソコンは電源が入りっぱなしで、沖縄の海の映像がスクリーンセーバーとして映し出されている。「全く……電源入れっぱなしで……」うっかり航はマウスに触れてしまい、画像が切り替わった。それは姫宮から届いた契約書の文面を表示した画像だった。その内容を目にした航の顔色が変わる。「な、何なんだ。この契約書は……うん? 待てよ。これは訂正前の契約書なのか? それにしても……」朱莉が翔と交わした契約婚の書類を航は悪いと思いつつ、ザッと目を走らせるように内容を読みこんだ。そして読めば読むほど、翔に対して激しい怒りが込み上げてきた。「い、一体何なんだ? この鳴海翔と言う男! 6年後には離婚? 明日香が産んだ子供は朱莉が産んだことにして手がかからなくなるまでは朱莉が1人で世話をするだって!? し、しかも恋愛禁止、必要以上に異性と親しくするなって……何考えてるんだよ! 本当に朱莉はこんな条件を飲んで契約婚
Last Updated: 2025-04-22
Chapter: 9-19 航の変化 1 翌朝――「……君。航君……」誰かが呼ぶ声で航はゆっくり目を開けると、何とそこには朱莉が航を覗き込むように見下ろしていた。「な・な・なんだよ! お……驚かすなよ!」航はガバッと起き上がると朱莉に抗議した。「あ、ごめんね。勝手に部屋に入ったりして。ただ、今朝は何時に起こせばいいのか分からなかったから」「え?」航は慌てて部屋にかけてある時計を見ると驚いた。何と時刻は8時を過ぎている。「や……やべ! 寝過ごした!」そして飛び起きようとして朱莉を見た。「おい、いつまでここにいるんだよ……」「え? いつまでって?」「俺……着替えたいんだけど」「あ、ごめんね。気付かなかった。すぐ出るね」朱莉は立ち上がると、素早く部屋の外へ出て、ドアをパタンと閉めると呟いた。「朝ご飯……食べる時間無いかな?」そこで、朱莉は手早く支度を始めた—— 一方航はかなり焦っていた。「くそ! 寝過ごすとは!」航は急いで機材のチェックをし、本日の対象者の予定を書き記した手帳を確認する。「え~と確か今日は古宇利島へ愛人と行くって言ってたな……。全く婿養子のくせにいいご身分だ。こんなことしてられない!」慌てて着替えて、部屋を飛び出して朱莉に言う。「悪い! 朱莉。朝飯は……」航が言いかけた時、朱莉が水筒とランチバックを差し出してきた。「え?」航が戸惑った顔を見せると朱莉は笑顔になる。「食べる時間が無いでしょう? おにぎりと今朝のおかずを詰めたから時間がある時に食べて。一応保冷材はいれてあるけど暑いから早めに食べてね」「朱莉……」航は思わず胸に熱いものが込み上げてきて……ぐっと拳を握りしめると顔を上げた。「悪いな、朱莉。ありがと」「気にしないで。それじゃ気を付けて行って来てね」そして航は笑顔の朱莉に見送られてマンションを後にした―― 航が仕事に出かけた後、朱莉は自分の朝食を食べ、洗濯をしようとして気が付いた。「そうだ。今日航君が帰ってきたら洗濯物のこと言わないと。ひょっとして私に気を遣ってコインランドリーを使ってるかもしれないし」 洗濯物を回し、部屋の掃除をする為に片づけをしているとリビングのソファの椅子の下にチケットらしきものが落ちているのを発見した。「どこのチケットだろう……?」拾い上げてみると、それは朱莉が行きたいと思っていた『美ら海水族
Last Updated: 2025-04-22
Chapter: 9-18 朱莉の気遣い 2 その頃、航は今まさに朱莉が検索していた「美ら海水族館」に来ていた。建物の外から身を隠す様に望遠レンズカメラで対象者の浮気現場をカメラに抑えていた。そして何枚か証拠画像を取ると、汗を拭った。「ふう~……本当に沖縄は暑いな……」先程自販機で購入したスポーツドリンクを飲むと木陰に移動し、機材チェックをしながら周囲をチラリと見た。水族館を訪れている客は全員がカップルかファミリー層である。航のように1人で来ている客は誰もいなかった。「全く……皆が羨ましいな。遊びに来ているのに俺は男の浮気現場の証拠写真を撮りに来ているなんて……」もっとも、安西家はこの仕事で生計を立てているので文句を言えないが、航はまだ22歳の青年。遊びたい盛りである。沖縄のビーチで泳ぎたいし、海岸線をドライブだってしてみたい。(一緒に朱莉と出掛ければもっと楽しいだろうな……)そこまで考えて航は我にかえる。「な、何でそこで朱莉の顔が浮かんでくるんだよ! 全く……あんな天然女……九条は何処が良かったんだ!?」航は自分自身に腹を立てながら、先程撮影した画像のチェックを始めた—―****—―23時 航はフラフラになりながら朱莉の住むマンションへと戻って来た。つい先ほどレンタカー会社によって車を返却し、そこから歩いて帰って来たので、もう身体は疲れ切っていた。「全く……那覇市から海洋博公園まであんなに遠いとは思わなかったぜ……高速に乗っても2時間以上かかるんだから……」朱莉から預かったカードキーを差し込み、ロック解除すると自動ドアが開く。航は中へ入るとコンシェルジュの男性と目が合った。その目は何となく航を値踏みするような視線に見えたが、知らんぷりをして航はエレベーターホールへと向かう。5Fのボタンを押し、欠伸を噛み殺しながらエレベーターに乗り込んだ。腕時計を確認すると時刻は23時半になろうとしている。(朱莉は多分もう寝てるだろうな。連絡位入れれば良かったか?)やがてエレベーターは5Fで止まり、航は朱莉の住む部屋のドアを開けて中に入ると驚いた。何と朱莉がキッチンのテーブルの椅子に座り、テーブルに頭を乗せて居眠りをしていたからだ。朱莉の前にはラップのかかった食事が置かれている。(ま、まさか、俺を今迄待っていたのか……?)「おい……。寝てるのか?」航は朱莉に近寄ると声をかけた。し
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 9-17 朱莉の気遣い 1 朱莉と航は向かい合って食事をしていた。献立は白米に根菜の味噌汁、浅漬けに焼き鮭と厚焼き玉子。「うん。どれも美味いな」航は素直に言った。どれも優しい味わいで、朱莉の性格を現しているかのようだった。「ねえ、航君」「何だよ?」航が顔を上げて朱莉を見ると、またもや朱莉の顔が赤くなっている。「な・な・なんだよ?」(だから何で顔を赤くするんだよ!?)「こうして二人で向かい合って食事していると……」「え……?」一体朱莉は何を言い出すのだろう……? 自然と航の心臓の音が高鳴ってきた。「仲の良い姉と弟って感じがしない?」そう言って朱莉はにっこり微笑んだ。「お……弟……?」航は開いた口が塞がらなくなってしまった。「あ、ああ! そうかい!」航は自棄になって箸を進めた。(くそ! 結局俺は弟扱いかよ!)航が仏頂面で食事する姿を見て朱莉は首を傾げた。「航君……もしかして何か怒ってる?」「べっつに!」しかし、航は自分が弟扱いされて、何故こんなにイラついているのか不思議で仕方が無かった――**** 玄関を出る時、航が言った。「朱莉、今日はちょっと遠くまで行くんだ。だから何時に帰れるか分からないから食事の支度は別にしなくていいからな? 先に寝てろよ」「え? そうなの? 何だ……一緒にご飯食べたかったのに、ちょっと残念だったな……。でも仕事だから仕方が無いね」俯き加減で言う朱莉に、何故か航は罪悪感を抱いてしまう。「し、仕方が無いだろう? 仕事なんだから……。で、でも……なるべく早く帰って来れるようには……」俯き加減でいいながら、航はチラリと見ると朱莉は嬉しそうにこっちを見ている。それはまるで犬だったら尻尾を振ってそうな勢いである。「な、な、何だよ! その顔は……」「うううん。なるべく早くって言葉が嬉しかっただけだから。それじゃ念の為にご飯は用意しておくね」朱莉は嬉しそうに言う。「あ、ああ」(何だよ……そんなに俺と一緒に食事がしたいのか? 変な女だな……)「行ってらっしゃい。あ、そうだ。航君。手、出して」「?」航が手を出すと、朱莉はカードキーを手渡してきた。「朱莉、これは……?」「スペアのカードキーよ。これがあればマンションの出入りは自由だから」「お、おい! そんな大事な物俺に預けていいのかよ? もし……俺が悪い奴だった
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 9-16 琢磨との記憶 2「うん、そうだよ。ところで航君。仕事の続きはいいの?」朱莉に促され、航はまだ作業が途中だったことを思い出した。「あ!やべっ!こうしちゃいられなかった!」慌ててリビングへ戻ると再び航はPCと向き合って、色々検索を続けた。その間に朱莉は空き部屋へ行くと、航の寝る部屋の準備をした。幸い、寝具は全て揃っている。ベッドに布団を敷き、エアコンの温度を26度に設定すると部屋に戻って来た。時計を見ると時刻は23時半を示している。「ねえ……航君はまだ寝ないの?」朱莉は遠慮がちに声をかけた。「ああ。もう少し調べることがあるから。朱莉は俺に構わず寝ていいよ。電気は消しておくからさ」航はPCから顔を上げると答えた。「航君。明日は何時に起こせばいい?」「へ? お、起こす…子供じゃないから1人で起きれるって!」航の顔が赤く染まる。「そうなの? それじゃ何時に起きるの?」「う~ん……6時半には起きるかな?」「ねえ、航君は朝はパン派? それともご飯派?」「え……? ま、まさか俺に朝ご飯考えてたのか……?」「うん。当然じゃない」「お、俺はコンビニで適当に買ってこようかと思っていたんだけど……」「だって私も朝ご飯食べるんだから一緒に食べようよ。それで、パンとご飯どっちがいい?」「そ、それじゃ……ご飯で……」航は赤くなった顔を見られないようにフイと横を向きながら答える。「うん、ご飯ね。それで何時に出掛けるの?」「8時には出るよ」航は素っ気なく答える。「8時ね。了解。それじゃ私、もう先に寝るね。お休みなさい」「ああ、お休み」その言葉を聞くと朱莉は顔を赤くした。「朱莉……?」(な、何で赤くなってるんだよ!)「フフ……」次の瞬間朱莉は笑みを浮かべ、嬉しそうに自室へと向かった。その後姿を見ながら航はポツリと呟いた。「やっぱり……朱莉が何考えてるか分からねえ……」朱莉が自室へ行って約1時間後——「ふう~…」航はPCを閉じると、伸びをした。「そろそろ寝るか……。朱莉はもうとっくに眠ってるんだろうな?」リビングの電気を消して、与えられた部屋へと向かった。そして部屋へ入ると航は呟く。「やっぱり住む世界が違うな……」8畳の広さがあるフローリングの部屋。ベッドはいかにも高級なイメージを醸し出したダブルサイズ。備え付けの家具も全て立派だ。「全く…
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 9-15 琢磨との記憶 1 朱莉がお風呂に入っている間、航はリビングでPCを前に明日向かう場所のチェックをしていた。すると、程なくして朱莉がお風呂から上がってくると航に声をかけた。「航君、仕事してたの?」「ああ。事前に準備しておかないとな。ルートとか……対象者見失う訳には……って何言わせるんだよ」航が顔を上げると、丁度キッチンで朱莉が麦茶を飲んでいるところだった。「朱莉は本当に酒飲まないんだな」「う、うん。飲み会とかそんなの行ったことが無いし、1人で暮してると中々お酒飲むことって……。あ、そう言えば沖縄に来て初めて居酒屋に入ったんだっけ」朱莉の頭に九条の記憶が思い出された。(九条さん……まさか社長になってるなんて……)「朱莉」その時、ふいに声をかけられ、顔を上げるといつの間にか航がリビングからキッチンに移動していた。「びっくりした。いつの間にここに来てたの ?何?」「まさか1人で居酒屋へ行ったのか?」真面目な顔で航が尋ねる。「え? まさか。一度もお酒を飲んだことが無い私が1人で居酒屋へ入れるはずないよ」「それじゃ誰かと行ったんだな? 誰とだ? あいつ……鳴海翔とか? いや……そんなはず無いな。だってあの男は朱莉を顧みるような男じゃ無いからな」「航君……?」妙に棘のある言い方をするなと朱莉は思った。「誰と行ったんだよ?」航は尚も追及してくる。「え、えっと、九条……琢磨さんだけど?」「九条……九条ってあいつか!?」航の顔が険しくなる。明日香と翔の関係を調べる際に、九条の事を調べたのも航だ。エリートの上、顔が整っている優男。いかにも女受けするタイプの男だ。「あ、そうか。航君は九条さんのことも調べたんだもんね。だから知ってるんだ」「いや、知ってるのは俺だけじゃ無いぞ? 今や世間で知らない人間はいない位有名人だ。連日ニュースで騒がれてるじゃ無いか。あの大手通販会社『ラージウェアハウス』に入社して、たった1カ月で新社長に任命されたんだ。しかもあのルックスだろう? 連日ネットで騒がれてるぞ? それにこの間もビジネス誌に5ページにも渡って、あの会社の特集が組まれていて顔写真も載っていたしな。あの時の雑誌の売り上げは前月号の2.5倍あったそうだ」航がまくしたてるように言うのを朱莉は半ば唖然と聞いていた。「わ、航君て……すごいね」「凄い? 俺の何処がだ?」
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 2-26 クリスマスイブの約束 2近藤は手を振りながら千尋と渚の前に姿を現した。「あ、近藤さん。こんばんは」千尋が頭を下げた。「あれ? どうしたんですか? ん? 後ろのいるのは里中さんですか?」渚は近藤の後ろに隠れるように立っていた里中に気が付いた。「こ、こんばんは……」渋々里中は千尋と渚の前に姿を見せた。「凄い偶然だな~。俺達飯でも食べようかって一緒に駅まで来たんだよ。そしたら間宮君が千尋ちゃんと一緒の所を見かけて声かけたんだよ、な? 里中」近藤はその場で考えた嘘をペラペラと喋った。「あ、う、うん。実はそうなんだよ」仕方ないので里中も話を合わせる。「ふ~ん、やっぱりお二人ってすごく仲がいいんですね」千尋が近藤と里中を交互に見ると、渚が教えた。「うん。近藤さんと里中さんは大体いつもお昼ごはんを一緒に食べに来るんだよ」「なあ、どうせなら皆でこれから飯食べに行かないか? 俺美味いラーメン屋知ってるんだ? 千尋ちゃんはラーメン食べるかい?」近藤が尋ねる。「そうですね……。私はラーメン好きだけど、渚君は食べる?」「うん、千尋が食べるなら僕も食べるよ」二人が顔を合わせて話すのを里中は暗い気持ちで見ていた。その様子に気が付いたのか、近藤が明るい声を出した。「よおし! それじゃ皆で行こうか。間宮君、実は俺前から君と話がしたかったんだよね~」近藤が渚の隣に並んで話しかけてきた。「え、何ですか? 話って」「まあ、歩きながら話そうぜ」そして強引に渚を連れて先頭を歩き出した。後ろを振り返った時、近藤は里中に目配せした。(頑張れよ)そう応援しているかのように見えた。(先輩……俺の為に?)里中は近藤に勇気づけられて千尋に向き直った。「俺達も行きましょう、千尋さん」「そうですね。行きましょうか?」(どうする? でも一体何を話せば良い?)本当は話したいことは沢山あった。けれどもいざ千尋を前にすると緊張の為か何を話せば良いか分からない。でも黙ってるのも気まずい。「あ、あの千尋さん」里中は思い切って口を開いた。「はい?」「千尋さんはラーメンは何派ですか? 俺の中ではやっぱりラーメンと言えば豚骨味噌味が一番ですよ」「そうですね。私だったら、あっさりした醤油ラーメンかな?」「あー醤油もいいっすね~。特に刻み葱がたっぷり乗って大きなチャーシューがトッピングされてい
Last Updated: 2025-04-22
Chapter: 2-25 クリスマスイブの約束 1 夜の公園で話をした後、里中は仕事の合間に渚を注意深く観察することにした。理由は渚のあの時の言葉の真意を測る為である。自分に残された時間は少ない等と意味深なことを言われては気になるのも無理はなかった。なので自分と帰る時間が重なる時は待ち伏せして様子を見ることにしたのである。今日がその第1日目であった。 通用口で渚が出てくるのを見張っていたその時。「何だよ、里中。お前探偵にでもなったつもりか?」近藤が後ろから肩をポンと叩いてきた。「うわあああっ!」里中は驚いて大声を出してしまった。「先輩! 脅かすのはやめてくださいよ! 心臓に悪い!」「な、何言ってるんだよ。あんな大きな声で叫ばれたこっちの方がおどろいたじゃないか」余程驚いたのか、近藤は胸を押さえている。「ところで、お前まだ千尋ちゃんの男を見張ってるのか?」「まだ千尋さんの男と決まったわけないじゃないです」「お前なあ、若い男女が二人きりで一つ屋根の下に暮らしてるんだぞ? 本当に何も無いと思ってるのか?」「言わないで下さいよ! 想像もしたくない!」里中は両耳を押さえる。「俺は今、間宮の動向を探るので忙しいんですから」再び里中は通用出口に目を移した。「お前、本当に暇人だなあ。なあ、そんなのやめて今から俺と飲みに行こうぜ?」「嫌ですよ。先輩酒に弱いじゃないですか。もう先輩のおもりするのはごめんです。あ! 出て来た」里中は現れた渚に注目した。「先輩、俺はあいつの後をつけるんで失礼します」「ふ~ん。俺もついてこうかな? どうせ今夜は暇だし」「駄目です、ついてこないで下さい」「それじゃ、なぜ間宮君を見張ってるのか教えてくれたら、ついてくのやめてやるよ」「それは……」「あ~っ! そんな事より見失うぞ!」近藤に言われて、慌てて里中は後を追った。当然のように近藤もついてくる。「なあ、こんなことして意味あるのか?」「先輩、文句があるならついてこないで下さいよ」渚はバス停で止まった。「あ、バスに乗るみたいだな? どうする? 俺達も乗るのか?」「勿論、乗りますよ」バス停には20人前後の人々が待っていた。里中と近藤は前方に並んでいる渚よりも10人程後ろで並んだ。やがてバスがやって来ると列に並んでいた人々がぞろぞろ乗り込んだ。渚も乗ったので、里中と近藤も後に続く。バスに揺られな
Last Updated: 2025-04-21
Chapter: 2-24 月明かり、濡れた瞳 3 退勤後――里中は寒空の下、職員通用出口で渚が出てくるのを待ち伏せしていた。こんな事をしていても無意味なことは分かっていたが、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。暫く待っていると渚が出て来た。「おい、お前!」里中は渚の前に立ちふさがる。「……少し、時間くれるか?」「あれ? えっと、君はさっきの……?」渚は首を傾げた―― 二人は人気の無い公園に来ていた。里中は口火を切った。「俺はリハビリステーションスタッフの里中だ」「うん、そうだったね。ところで僕に何か用なのかな? 悪いけど、千尋が家で待ってるからあまり時間はとれないんだ」何気なく言った渚の言葉は里中の神経を逆なでした。里中はグッと両手を握りしめると言った。「やっぱり、二人は一緒に暮らしてるのか?」「そうだよ。今は一緒に暮らしてる。僕が料理担当で千尋は掃除と洗濯担当だよ。千尋はね、すごく僕の料理を褒めてくれるんだ。だからもっともっと美味し料理を作って千尋を喜ばせたいと思ってるよ」当然その話に増々里中のいら立ちは募る。「俺………お前よりもずっと前から千尋さんの事が好きだった。俺だって、彼女のこと喜ばせたいよ。くっそ、俺の方が早く出会っていたのに……」「君も千尋のこと好きだったんだ。僕も千尋のことが大好きだよ。一緒だね?」渚はさらりと笑顔で言う。「お前なあ、自分で何言ってるか分かっているのか?」「うん、良く分かっているつもりだけど?」「く……」里中は唇を噛んだ。(何だ? こいつの思考回路は少しおかしくないか?)「もう帰っていいかな? 千尋が家で待ってるから」渚は踵を返した。「お、おい! 待てよ! まだ話は終わってないぞ!」里中が渚を引き留めようとすると、渚の足がピタリと止まった。「……悪いけど、あまり待てないんだ」渚の口調が突然変わった。「え?」振り向いた渚の顔からは表情が消えていた。「僕には、君と違って時間が無いんだ。だから、少しでも長く千尋の側にいたい」「え? お前一体何を言ってるんだ?」「僕にとっては君の方が羨ましいよ。だって……僕にはあまり彼女と一緒にいられる時間が残されていなんだから……」月明かりを背に、渚の瞳は涙で濡れているように見えた。「! お前、何言って……」「それじゃ、里中君。また明日ね」次の瞬間渚の顔からは悲しみの表情が
Last Updated: 2025-04-20
Chapter: 2-23 月明かり、濡れた瞳 2「千尋ちゃん、今日も渚君の手作り弁当なの?」千尋と一緒にお昼休憩をとっている渡辺が声をかけた。「はい。渚君、自分の分はいらないのに、わざわざ私の分だけ作ってくれたんです」「あらま、自分の分はいらないってどういうこと?」「レストランで働いている人たちには、まかないがあるそうなんですよ」「へえ~羨ましいわね。ところで、今日は渚君迎えに来てくれるの?」「今日は私の方が帰りが早いので買い物して先に家に帰るつもりです」 「それじゃ、今夜の夕食当番は千尋ちゃんなの?」「はい、最初は渚君食事は全部自分で作るって言ってたんですけど、どちらか早く家に帰れた方が食事を作るってことに決めたんです」「ふふふふ……」渡辺が意味深に笑う。「な、何ですか?」「もう完全にのろけね、それは。いや~千尋ちゃん、愛されてるわ~」「そんなんじゃ、無いですよ! 私と渚君の間には何もありませんってば」千尋は顔を赤らめて抗議した。「そうかなあ~。誰の目から見ても、少なくとも渚君は千尋ちゃんに好意を抱いてるわよ? それとも千尋ちゃんは渚君に好かれると迷惑なの?」「そんな、迷惑だなんて思ったこと無いです」「嫌いじゃないんでしょ? 渚君のこと」「もちろんです」「だったら何も問題無いじゃない? 渚君に思われて悪い気はしないんでしょ?」千尋は頷いた。むしろ渚に好意を寄せられるのは嬉しい。けれど、渚は時々どこか遠い目をする時がある。近くにいるのに二人の距離は離れているように感じる時もある。後で自分が傷つくのでは無いかと思い、千尋はどうしても渚には深入りすることが出来なかった――**** 食事を終えて里中と近藤は職場に戻りながら話をしている。「それにしても驚いたな。まさかこんな場所で偶然会うなんて」「……はい」里中は神妙な顔で頷いた。「まあ、ライバルが同じ病院内で働いているのはお前にとってはあまり穏やかな気持ちにはなれないかもなあ?」近藤はニヤニヤしている。「先輩、面白がってませんか?」「そもそも、お前がもっと早く千尋ちゃんに告っていれば、間宮君と一緒に暮らすことにはならなかったんじゃないかな……っとやべっ!」近藤は慌てて口を押えたが手遅れだった。「先輩……」里中の瞳が鋭さを帯びた。「ヒッ!」近藤は小さく悲鳴をあげる。「一緒に暮らしてる……? 一体ど
Last Updated: 2025-04-19
Chapter: 2-22 月明かり、濡れた瞳 1「おはよう、青山さん」 11時、遅番の中島が出勤してきた。「おはようございます。店長」千尋は花の世話をしながら挨拶をした。「あら? 今朝は渚君の姿が見えないわね? いつも遅番の誰かが出勤してくるまでにはお店にいるのに」「実は渚君、新しい仕事が見つかって本日から仕事始まったんです」「え~そうなの? 仕事何処に決まったの?」「それが、何と山手総合病院にあるレストランで働くんですよ」「え? まさかあの病院のレストランで? 一体どういう経緯でそうなったの?」「この間、病院に生け込みの仕事に行ったときにリハビリステーションの野口さんからコーヒー券頂いて二人でレストランに行ったんです。その時に人手不足で困っている話を聞いて、その場で面接して採用されたそうですよ」「ふ~ん、それじゃ今日は初日ってわけね?」「はい。…上手く行ってるといいんですけど」千尋は新しい職場で働いている渚に思いをはせた……。****「おい、里中。今日の昼飯どうする?」昼休憩に入ろうとする里中に近藤が声をかけた。二人でお酒を飲みに行って以来、何かとつるむ仲になっていたのだ。「う~んと……特に考えてないすけどね」「それじゃ、新しく院内に出来たレストランに行ってみないか? ほら、職員割引がきくし」そこへ同じリハビリスタッフの30代の女性職員が声をかけてきた。「あ、お二人ともレストランに行くんですか? 私もさっき行って来たんですよ。何でも今日から若い男性が働いているらしくて、ものすごーくイケメンなんですって。院内の女性職員達が騒いでました。私はあいにくその男性に会うことが出来なくて残念だでしたよ」「へえーっ。そうなんだ。でもヤローには興味ないなあ。どうせなら若くて可愛い女の子が良かったのにな」女性職員が去った後、近藤は言った。「何言ってるんすか。先輩、彼女いるじゃないですか。いいんですか、そんなこと言って」「バッカだなー。勿論俺は彼女一筋だよ、でも目の保養する分にはいいんだよ」「まあ、イケメンはどうでもいいですけど新メニューは気になりますよね。行きますか? 先輩」「おう! 行ってみるか」****「うっわ! なんじゃこりゃ。すげー混んでるな」レストランのテーブル席は満席だった。しかも良く見ると女性客が多い気がする。「ふーん、皆そのイケメンとやらに興味があって来
Last Updated: 2025-04-18
Chapter: 2-21 共有した1日 3「う、うん……。別にいいよ?」千尋が手を伸ばすと渚はそっと握った。渚の手は大きく、千尋の小さな手はすっぽり覆われてしまう。(うわあ。大きい手、やっぱり男の人なんだなあ)渚を見上げると、耳を赤く染めている。「何だか……ちょと照れちゃうね」渚が顔を赤らめながら言うので千尋も何だか気恥ずかしくなってしまった。「そ、そう? それじゃやめる?」すると渚は千尋の手をギュっと握りしめた。「やめたくない、こうしていたい」何だか子供みたいにむきになっているようにも見える。千尋はそんな様子がおかしくて微笑んだ。**** それから二人は手を繋いで街を散策した。 本屋さんでは一緒に料理の本を探したり、未だにパジャマを持っていなかった渚の為にパジャマを選んだり、雑貨屋さんではお揃いのマグカップや食器を買ったりした。 お昼は最近テレビや雑誌でも取り上げられているアジアンテイストなカフェで渚が選んだ店だった。混雑時間を避けて行ったので、幸いにもすぐに店に入ることが出来た。この店はカフェであるが、ランチメニューには和食を提供すると言うことで話題を呼んでいる。 「渚君、いつの間にこんなお店見つけたの?」席に着くと早速千尋は尋ねた。「実はさっき、本屋に行ったときにこのお店が雑誌で紹介されていたんよ。今日の朝ご飯はトーストだったからお昼は和食がいいかなと思ってこの店を選んだんだ」渚と千尋は二人で<本日のおすすめ>を選んだ。木のお盆に乗せて運ばれてきたのは、玄米ご飯に豚汁、大根おろしの付いたホッケの焼き魚におひたしである。「うわあ……美味しそう。玄米ご飯なんて素敵」「そうだね、この店に決めて良かったよ」味は文句なしに絶品だった。渚は特に豚汁が気に入ったようで、どんな具材が入っているのかメモした程である。 食事を終えた後は、駅の構内にあるカフェに入り、二人でコーヒーとケーキセットを食べ……気が付くと時刻は17時を過ぎていた。「渚君、そろそろ帰ろうか?」千尋は椅子から立ち上がって声をかけた。「うん……そうだね」電車の中で、今夜のメニューは何にするか話し合った結果、家でパスタを作って食べることに決めた。「私が今夜は作るね。何味のパスタがいい?」「僕は千尋が作ってくれるならどんな味だっていいよ」「それじゃ、クリームパスタにしようかな? 材料買いたいか
Last Updated: 2025-04-17