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結城 芙由奈
結城 芙由奈
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結城 芙由奈の小説

悪女の指南〜媚びるのをやめたら周囲の態度が変わりました

悪女の指南〜媚びるのをやめたら周囲の態度が変わりました

20歳の子爵家令嬢オリビアは母親の死と引き換えに生まれてきた。そのため父からは疎まれ、実の兄から憎まれている。義母からは無視され、異母妹からは馬鹿にされる日々。頼みの綱である婚約者も冷たい態度を取り、異母妹と惹かれ合っている。オリビアは少しでも受け入れてもらえるように媚を売っていたそんなある日悪女として名高い侯爵令嬢とふとしたことで知りあう。交流を深めていくうちに侯爵令嬢から諭され、自分の置かれた環境に疑問を抱くようになる。そこでオリビアは媚びるのをやめることにした。すると徐々に周囲の環境が変化しはじめ――
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Chapter: 75話 嘆く父
「そう言えばお父様。先程熱心に新聞を読んでおられましたが、何か気になる記事でもあったのですか?」珍しく食後のお茶を飲みながら、オリビアはランドルフに尋ねた。「ギクッ!」ランドルフの肩が大きく跳ねる。「ギク……? 今、ギクと仰いましたか?」「あ、ああ……そ、そうだったかな……?」かなり動揺しているのか、ランドルフは自分のカップにドボドボと角砂糖を投入し、カチャカチャとスプーンで混ぜた。「あの、お父様。さすがにそれは入れ過ぎでは……?」しかし、ランドルフは制止も聞かず、グイッとカップの中身を飲み干す。「うへぇ! 甘すぎる!」「当然です。先程角砂糖を7個も入れていましたよ。それよりもその動揺具合……さては何かありましたね? 一体何が新聞に書かれていたのですか?」オリビアはテーブルに乗っていた新聞に手を伸ばす。「よせ! 見るな!」当然の如く、新聞を広げて凝視するオリビア。「……なるほど……そういうことでしたか」新聞記事の中央。つまり一番目立つ場所にはランドルフの顔写真付きの記事が載っていた。『ランドルフ・フォード子爵、別名美食貴族。裏金を受け取り、実際とは異なる飲食店情報を記載。被害店舗続出』大きな見出しで詳細が詳しく書かれている。(マックス……うまくやってくれたみたいね)オリビアは素知らぬ顔でランドルフに尋ねた。「お父様、こちらに書かれている記事は事実なのですか?」「……」しかし、ランドルフは口を閉ざしたままだ。「お父様、正直にお答えください」すると……。「そう、この記事の言う通りだ! 私は『美食貴族』として界隈で名高いランドルフ・フォードだ! 私のコラム1つで、その店の評判が決まると言っても過言では無い! 店の評判を上げて欲しいと言ってすり寄ってくるオーナーや、ライバル店を潰して欲しいと言って近付く腹黒オーナーだって掃いて捨てる程いる! だから私は彼らの望みを叶える為にコラムを書いてやった! これも人助けなのだよ!」ついにランドルフは開き直った。「それなのに……一体、どこで裏金の話がバレてしまったのだ……? そのせいで、もう私は『美食貴族』の称号と、コラムニストの副業を失ってしまった。それだけではない、この町全ての飲食店に出入り禁止にされてしまったのだよ! もし入店しようものなら……け、警察に通報すると! もう駄目
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 74話 選ばれた人達
 翌朝――朝食の為にオリビアがダイニングルームへ行くと、既にランドルフが席に着いて新聞を食い入るように見つめていた。食事の席は父とオリビアの分しか用意されていない。オリビアが席に着いてもラドルフは気付かぬ様子で新聞を読んでいる。(一体、何をそんなに熱心に読んでいるのかしら?)訝しく思いながら、オリビアは声をかけた。「おはようございます、お父様」「え!?」ランドルフの肩がビクリと大袈裟に跳ね、驚いた様子で新聞を置いた。「あ、ああ。おはよう、オリビア。それでは早速食事にしようか?」「はい、そうですね」そして2人だけの朝食が始まった――「あの……お父様。聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」食事が始まるとすぐにオリビアはランドルフに質問した。「何だ?」「今朝はお兄様の姿が見えませんね。まさか、もうここを出て行かれたのですか?」「そのまさかだ。ミハエルは夜明け前に自分が選別した幾人かの使用人を連れて、屋敷を去って行った。多分、もう二度とここに戻ることはあるまい」オリビアがその話に驚いたのは言うまでもない。「何ですって? お兄様が1人で『ダスト』村へ行ったわけではないのですか?」「私もミハエル1人で行かせるつもりだった。だが、あいつは絶対に自分一人で行くのは無理だと駄々をこねたのだ。身の回りの世話をする者がいなければ生きていけるはず無いだろうと言ってな。いくら言っても言うことをきかない。それで勝手にしろと言ったら、本当に自分で勝手に使用人を選別して連れて行ってしまったのだよ」そしてランドルフはため息をつく。「そんな……それでは誰が連れていかれたかご存知ですか?」「う~ん……私が分かっているの2人だけだな。1人はミハエルの新しいフットマンになったトビー。もう1人は御者のテッドだ。後は知らん」「えっ!? トビーにテッドですか!?」「何だ? 2人を知っているのか?」「え、ええ。まぁ……」知っているどころではない。トビーをミハエルの専属フットマンに任命したのはオリビア自身だ。そして御者のテッドは近々結婚を考えている女性がいるのだから。「何て気の毒な……」思わずポツリと呟く。「まぁ、確かに『ダスト』村は何にも無いさびれた村だ。だが、存外悪くないと思うぞ? トビーは身体を動かすのが大好きな男だ。あの村は開拓途中だからな、
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 73話 追放宣言
「そ、そんな! それだけのことで追い出すなんて、俺は何処に行けばいいのです!? まだ卒業もしていないし、無職決定なのに! それに、第一俺がここを出て行ってしまったら誰がフォード家の後を継ぐのです!?」ワインの注がれたグラスを手にしたまま、喚くミハエル。かなり興奮しているのか、グラスのワインが今にもこぼれそうなほどに揺れている。「卒業だと!? お前はもう退学だ! もはやお前の居場所はここにはないのだ!」ランドルフがビシッとミハエルを指さす。「酷いじゃないですか! 来月卒業なのですよ? 中退なんて恥ずかしいです! せめて卒業くらいさせて下さいよぉ! 働き口を無くしてしまった哀れな息子を追い出さないで下さい! 俺がどこかで野垂れ死んでしまってもいいのですか!?」「黙れ! 大学に残る方が余程恥ずかしい事だと思わないのか!? 後ろ指をさされ、踏みつけ、詰られて石をぶつけられても良いのか!? 退学はお前の為でもあるのだ!」青筋を立てながら怒鳴るランドルフ。その様子をオリビアはワインを飲みながら冷静に見つめていた。(さすがにそこまではされないのじゃないかしら。でも中退させるのが兄の為だと言っているけれども……嘘だわ。きっと大学ヘそのまま通わせるのはお金がもったいないと思っているのよ)2人の言い合いはまだ続き、無言で食事を続けるオリビア。(全く、うるさい2人ね……さっさと食事を終わらせて退席しましょう)ランドルフもミハエルもワインを飲みながら口論するので、徐々にヒートアップしてきた。「分かりました……それでは百歩譲って、退学をするとしましょう。ではその後は? 追い出された俺は一体どこで暮らせばいいのです!」そしてミハエルはグイッとワインを飲み干す。「そんなのは知らん! ……と、言いたいところだが私もそこまで鬼ではない。ミハエルよ。お前には『ダスト』の村へ行ってもらう! あの村もフォード家の領地であることは知っているな!」「え……? 『ダスト』村……? ひょっとしてまだあの村が残っていたのですか!」ミハエルが目を見開く。『ダスト』村はの話はオリビアも聞いたことがある。フォード家は広大な土地を所有していたが、ぺんぺん草すら生えない荒地が半数を占めている。その中でも特に『ダスト』村は最も貧しい村だった。畑を耕しても、瘦せた土地ではサツマイモやジャガ
最終更新日: 2025-02-26
Chapter: 72話 最後の晩餐 
――その日の夕食の席のこと。フォード家では基本、食事は家族と一緒にという家訓の元、オリビアは嫌々ダイニングルームへやってきた。「よぉ、オリビア。待っていたぞ」テーブルには「引きこもり宣言」をした兄、ミハエルが陽気な声で挨拶してくる。既に引きこもり生活に突入したつもりでいるのか、襟元がだらしなく着崩れた姿の兄を見て、オリビアは眉を顰める。「お兄様、もうテーブルに着いていたのですね。お早いことで」嫌味を込めて言ったつもりだが、ミハエルには通用しない。「まぁな。俺は今日から引きこもりになると決めたから暇人なんだ。今や、一番の楽しみは食事になってしまった。だからいち早くここに来たと言う訳さ。それにしても見て見ろ。今夜は御馳走だぞ?」「確かにそうですね……」着席しながらテーブルに並べられた料理を見つめるオリビア。フォード家の食事はもともと豪華だが、今夜はいつも以上に豪華だ。しかも料理の品数も2~3品多い。(どうして今夜はこんなに食事が豪華なのかしら……? まるでお祝いの席みたい)そこまで考え、ハッとした。(まさか、お父様は兄が王宮騎士団から追放されて、引きこもり宣言をしたことに気付いていないのかしら?)「それにしても、一体今夜はどうしたっていうのだろう? まるで祝いの席の様だ。ひょっとして俺の引きこもり生活の門出を祝う席でも設けてくれたのだろうか? いや、流石にそれはないだろう。ハッハッハッ!」まるでアルコールで酔っぱらっているような兄に、オリビアは思いっきり軽蔑の眼差しを向けた。「お兄様……ひょっとして夕食の前から既にお酒を召されているのですか?」「失敬な! 今の俺はシラフだぞ。それは確かに……王宮騎士団をクビにされ、帰宅した直後に少々ワインは飲んだが……今はとっくに、酔いは冷めている!」「はぁ……そうなのですね」つまり、ミハエルがあれ程吠えていたのは、酔いも手伝ってと言う事だったのだ。「それより、父は遅いな……いつもならとっくに席に着いているのに……」ミハエルがそこまで口にしたとき。「待たせたな」父、ランドルフがダイニングルームに現れて着席した。「それでは、早速食事にしよう」ランドルフの言葉に給仕達が現れ、温かい料理を運んでくる。その様子を嬉しそうにミハエルは眺めているが、父は浮かない顔をしている。(変ね……いつものお
最終更新日: 2025-02-25
Chapter: 71話 妹の慰め
「成程、引きこもりですか……?」オリビアは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら頷く。何しろ王宮騎士団に入れるのは、全員貴族と決められている。国王直属の騎士になるのだから、当然と言えば当然のこと。その貴族たちの前で恥をさらされたのだから、ダメージは相当のものだろう。王宮騎士団に入団すると言うのは、大変名誉なことだった。高学歴も必要とされ、大学を卒業見込みの者がまず試験を受ける権利を貰える。脳筋バカでは国王に仕える者として、失格なのだ。毎年入団試験を受ける者は1000人を超えると言われている。まず、最初の筆記試験で半数が落とされ、剣術の実技試験で更に半数。最後の面接で半数が落とされると言われている。「お兄様、正直に話して下さい。いつの段階で、裏金を支払ったのですか?」未だにグズグズ泣くミハエルに静かに尋ねるオリビア。「グズッ……そ、そんなの決まっているだろう? 筆記試験の……段階で、金を支払ったんだよ! 裏口入団に顔の利くブローカーを見つけて……ウグッ! 悪いとは思ったが、家の金庫に深夜忍び込んで……ウウウウッ! 後で返済しようと思って……ヒグッ! 拝借したって言うのに……何も、何もあんな大勢の前で俺を糾弾して、排斥することはないじゃないか! せめて、人目のつかない所でやってくれればいいのにぃぃっ!! 俺はもう駄目だ!! 引き籠るしかないんだよぉおおおっ!! 誰だっ!! 密告した奴は!! ちくしょおおおお!!」年甲斐もなく涙を流しながら吠えまくるミハエルに、もはやオリビアは呆れて物も言えない。(密告したのは私だけど……それにしても呆れたものだわ。実力も無いのに、王宮騎士団に入ろうとしたのだから自業自得よ)けれど、これではうるさすぎて堪らない。そこでオリビアはミハエルを慰めることにした。「落ち着いて下さい、お兄様。確かに恥はかいてしまいましたが、私はこれで良かったと思いますよ?」「何でだよ!! 何処が良かったって言うんだよぉお!!」「だって、考えてみて下さい。お兄様は実力も伴わないのに、高根の花である王宮騎士団に入ろうとしたのですよ? 仮にこのまま騎士になれたとしても、いずれすぐにボロが出て不正入団が明るみに出ていたはずです。もしそうなった場合、国王を騙した罰として、不敬罪に問われて処罰されていたかもしれませんよ?」「な、何……不敬罪…
最終更新日: 2025-02-24
Chapter: 70話 引きこもり宣言
「お兄様、一体何を大騒ぎしているのですか?」オリビアは咆哮を上げている兄、ミハエルに声をかけた。「え……? あ!! オリビアッ! お、お、お前……何故この部屋にいるんだよ!!」ミハエルは涙でぐちゃぐちゃになった顔を向けてきた。「プッ」その顔があまりにも面白すぎてオリビアは吹き出す。「オリビア……今、お前吹き出しただろう? つまり笑ったってことだよな!?」「いいえ、笑っておりません。クッ……クックク……」とうとう我慢できず、オリビアは俯き肩を震わせた。「ほら見ろ!! やっぱり笑っているじゃないか! それに一体何だ! 何故勝手に人の部屋に入って来ているんだよ!! 俺は誰にもこの部屋の立ち入りを許した覚えはないぞ!!」顔を真っ赤にさせて涙を流すミハエル。オリビアは今にも笑い出したい気持ちを必死に抑えて話を始めた。「私がこの部屋に来たのは、部屋の扉が全開だったからです。そこで中を覗いてみると、お兄様が狂ったように泣き叫んで暴れる姿を目にしたので部屋に入ったまでですが?」「何? 部屋の扉が開いていただって? 嘘だ!! 扉は閉まっていたはずだ!!」「いいえ、開いておりました。お兄様は物を投げて当たり散らしていましたよね? 恐らく何かが扉に当たり、はずみで開いたのではありませんか? そう、丁度このクッションのように」平気で嘘をつき、足元に落ちていたクッションを拾い上げた。「そうだった……のか……?」未だに涙を滝のように流している兄、ミハエル。「ええ、そうです。それでお兄様? 一体何をそんなにないておられるのでしょう?  もう妹にみっとも無い姿を見られているのですから、この際胸に秘めた思いを口にしてみてはいかがですか?」「わ、分かった……聞いてくれるか? オリビア……」袖で涙をゴシゴシ拭うミハエルに、オリビアは笑顔で頷いた。「はい、何でも聞きましょう」「今日は……し、新人騎士団の……ヒック! 初めての顔合わせの日だったんだよ……そ、それで他の新人たちと整列して、憧れのヒグッ! キャデラック団長を待っていたんだよぉ……」グズグズ泣きながら、ミハエルは語りだした。泣きじゃくりながらの説明だったので若干分かり辛さはあったものの、詳細が明らかになった。ミハエルは高揚した気分で憧れて止まないキャデラック団長を待っていた。そこへマントを羽織
最終更新日: 2025-02-23
はじめまして、期間限定のお飾り妻です

はじめまして、期間限定のお飾り妻です

【あの……お仕事の延長ってありますか?】 貧しい男爵家のイレーネ・シエラは唯一の肉親である祖父を亡くし、住む場所も失ってしまう。住み込みの仕事を探していたときに、好条件の求人広告を見つける。けれどイレーネは知らなかった。この求人、実は契約結婚の求人であることを。そして一方、結婚相手となるルシアンはその事実を一切知らされてはいなかった。呑気なイレーネと気難しいルシアンの期間限定の契約結婚が始まるのだが……?
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Chapter: 67話 イレーネVS(?)ブリジット
「ちょ、ちょっとどういうことよ! ルシアン様の婚約者だなんて……! そんな話、初耳よ!」ブリジットは興奮のあまり、立ち上がる。「ええ、そうですよね? 何しろつい最近、私とルシアン様の婚約が決まったばかりなのですから」そのとき――「あ、あの……お茶とお茶菓子をお持ちいたしました」メイドのアナがワゴンに2人分のとびきりのお茶と焼菓子を乗せて応接室に現れた。「まぁ、アナ。どうもありがとう」ニコニコしながら声をかけるイレーネ。「い、いえ。では失礼いたします」アナはいそいそと2人の側に行くと、紅茶と焼菓子をテーブルに乗せ……チラリとブリジットを見た。「何よ?」ジロリと睨むブリジット。「い、いえ。何でもありません! し、失礼致しました!」ペコリと頭を下げると、アナは逃げるように応接室を後にした。「まぁ……美味しそうなお茶にケーキですね。ブリジット様、一緒に頂きましょう」「……は?」唖然とするブリジットにイレーネは声をかけると、早速カップに口をつけると笑みを浮かべた。「……まぁ。香りも素敵だし、味も最高だわ」「ちょっと待ちなさい!! あなたねぇ……よ、よくもこんな状態でお茶なんか飲めるわね!」ブリジットは興奮のあまり、髪の毛同様頬を赤く染める。「ブリジット様、このお茶本当に美味しいですよ? 温かいうちに飲まれたほうがよろしいかと思います」しかし、イレーネはブリジットの興奮する様子に動じることもなくお茶を勧める。「……なら頂くわ」(そうね。お茶を飲んで少し冷静になりましょう)ブリジットはおとなしく座ると、早速紅茶を口にした。それはとてもフルーティーな香りで、飲みやすい紅茶だった。「……確かに美味しいわ」「ですよね? それなら焼き菓子も頂きましょう……まぁ! とっても美味しいわ!  この紅茶と本当によく合います。ささ、ブリジット様もどうぞお召し上がりになってみて下さい」イレーネがあまりにも美味しそうに焼菓子を口にするので、ブリジットも食べてみようと思った。ただし、強気な態度は崩さずに。「ふ、ふん。食べ物なんかで私がつられるとでも思っているの? こう見えても私は色々な美味しいスイーツを食べ歩いているのだから」そしてフォークで焼き菓子を口に運び……。「! 美味しいじゃない……」「ですよね? お茶も焼き菓子も最高に美味しいです
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 66話 驚く令嬢
 イレーネは上機嫌で型紙を当てて生地を裁断していた。「フフフ……こんなに素敵な布地にハサミを入れるなんて初めてだわ。今までは貰い物か安物の生地で服を作っていたから」 その時。――コンコン扉がノックされた。「あら? 誰かしら?」テーブルにハサミを置くと、イレーネは扉を開けに向かった。「お待たせしました。あら? あなたは確か……」扉を開けると、目の前にはメイドのアナが立っている。「はい、イレーネ様。私は本日、イレーネ様のメイドを務めさせていただきますアナと申します。よろしくお願いします!」元気よく挨拶をするアナ。「アナさんね? はじめまして。こちらこそ、これからよろしくね。でも今のところ、手伝ってもらうことは何も無いので大丈夫よ。何かあるときは呼ばせていただくわね?」笑顔でイレーネは扉を閉めようとしたので、アナは慌てた。「あ! ちょ、ちょっとイレーネ様! お待ち下さい!」「え? 何かしら?」扉をしめかけたイレーネは首を傾げた。「実は、ルシアン様に会いにお客様がいらしています。ですが、ただいまルシアン様は不在ですよね?」「ええ、そうね」「それで、代わりにイレーネ様がお相手して頂けないでしょうか? ルシアン様が不在の今、このお屋敷の代理主人はイレーネ様を置いて他にいらっしゃいませんので」アナの言葉にイレーネは少し考えた。(私はルシアン様と1年間の雇用関係を結んだだけの関係。けれど、それでも仮とは言え妻になるわけだし……)「分かりました、そういうことでしたらお客様のお相手をさせていただきます」イレーネはにっこり笑みを浮かべる。「本当ですか!? ありがとうございます! お客様は居間でお待ちになっております」「あまりお待たせするのはいけないわね。ではすぐに案内してもらえる?」「はい! イレーネ様!」「それで、どなたがいらしたのかしら?」イレーネは廊下に出ると、尋ねた。「はい。その方は……」アナはブリジットの名を口にした――****「……全く、いつまでこの屋敷の人たちは待たせるのかしら。今日はリカルド氏もいないみたいだし……あら? 美味しいお茶ね」ブリジットがティーカップに口を付けた直後……。「お待たせ致しました、ブリジット様」イレーネが居間に現れた。「え? あなたは誰?」突然現れた見知らぬ女性に、ブリジット
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 65話 その頃の使用人たち
「ブ、ブリジット様。ほ、本日はどのような御用向きでこちらにいらっしゃったのでしょうか?」本日、ドアマンを勤めるフットマンがビクビクしながら作り笑いを浮かべる。「どのようなですって? そんなことは決まっているじゃない。ルシアン様に会いに来たのよ」きつい目をますます吊り上げるブリジット。「で、ですがルシアン様は本日から出張で不在なのですが……」「そんな嘘、通用するとでも思っているの? 今日こそ会ってもらうまで絶対に帰らないわよ! そんなことよりいつまで客をエントランスに立たせておくつもり? 早く部屋に通しなさい!」我儘伯爵令嬢、ブリジットは強気な態度を崩さない。「か、かしこまりました……」弱気なフットマンは心の中で泣きながら、しかたなくブリジットを応接間に案内することにしたのだった――****「何故、ブリジット様を居間に通してしまったんだ!?」リカルド不在の間、筆頭執事を努めることになった第二執事ハンスの声が詰め所に響き渡る。「そ、そんなことを言われても、相手はあのブリジット様ですよ? 断れるはずないじゃないですか!」半泣きになるフットマン。「全く……! 一体どうすればいいんだ? あの様子ではテコでも動かないだろうな……」事前にブリジットがいる部屋の様子を確認していたハンスは困ったように腕を組む。「それにしても、何故ブリジット様はルシアン様に会いにいらしたのかしら? もうイレーネ様という婚約者がいるのに……」メイド長がため息をつく。「それだ!」ハンスがパチンと指を鳴らす。「何がそれなんですか?」別のフットマンが尋ねる。「イレーネ様だよ。ルシアン様がいない今、あの方がこの屋敷の主人と考えてもおかしくないだろう? おまけに相手はルシアン様に想いを寄せているブリジット様だ。この際、イレーネ様に対応していただくのが一番じゃないか?」「なるほど! 言われてみればそうですね!」半泣きだったフットマンが手を叩く。「でも……大丈夫なのかしら……あの方は時々、大胆な行動を取られるから……」メイド長の顔に不安げな表情が浮かぶ。「だから、なおさらいいんじゃないですか。この際、イレーネ様がブリジット様にはっきり告げればいいんですよ。『ルシアン様は私の婚約者なので、もうまとわりつくのは金輪際、やめていただけませんか?』という具合に」妙に演
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 64話 気の強い令嬢
「おとなしく待っていてくれと言われたのだから、ルシアン様が戻られるまでは何処にも出かけずにいたほうが良いわね」ルシアンたちが出かけると、イレーネは少しの間思案した。「そうだわ、生地を沢山買ってきたのだから洋裁でもしましょう」そこでイレーネは鼻歌を歌いながら買ってきた生地をテーブルの上に広げて洋裁の準備を始めた。「どの色の生地で作ろうかしら……」イレーネは、うっとりしながら生地を見つめて笑みを浮かべる。ある人物が屋敷に近づいてきていることも知らずに――****――その頃。マイスター家の扉の前にはある人物が立っていた。「今日こそ、ルシアン様に会わせてもらうんだから! その為に今まで家で必死になってレッスンを受けてきたのですもの!」意気込んでマイスター伯爵家を訪れたのは、ブリジットであった。以前にリカルドに言い含められるように帰らされてから、彼女は家庭教師からの厳しいレッスンをサボることなく受けてきた。そしてようやく堂々と外出する権利を両親から得られることができたのだ。「ブリジット様、それでは私はこちらでお待ちしておりますので」ブリジットの御者兼、付き人をしている青年がエントランスに立つ彼女に声をかける。「いいわよ。ジョージ。あなたは帰りなさい。だって何時にこのお屋敷を出るか分からないじゃない」「え!? ですがそうなりますと、お帰りはどうなさるのですか?」「タクシーに乗って帰るわ」腕組みするブリジット。最近貴族令嬢の間では目新しいタクシーに乗るのが流行になっていた。「タクシーですか……?」ジョージと呼ばれた男性は首をひねる。「ええ、そうよ。この間アメリアと外出したときに、初めてタクシーに乗ったのだけど……」そこでブリジットは言葉を切る。何故なら、町で偶然出会った女性のことを思いだしたからである。その女性というのは……勿論イレーネのことだ。「……タクシーのせいでいやなことを思い出してしまったわ。全く、あの女……あんな貧しい身なりをしておきながらマダム・ヴィクトリアの店であんなに沢山買い物をして小切手を出すなんて……」「ブリジット様? どうされましたか?」背後から声をかけるジョージ。「いいえ、何でもないわ。とにかく、ジョージ。お前は帰りなさい」そう言ってシッシと手で追い払う素振りをするブリジット。ここで彼女に歯向か
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 63 話 釘を刺す男
 朝食後、書斎に戻ったルシアンはリカルドを呼び出した。「ルシアン様。お呼びでしょうか?」「ああ。リカルド、今日、明日のお前の予定はどうなっている? 何か外出する予定でもあるか?」姿見の前でネクタイをしめながら、ルシアンがリカルドに話しかけてきた。「いえ? 特に外出する予定はありませんが……」「そうか、なら出かけるぞ。お前も準備をしてくれ」「え? 本日もですか? 一体どちらへ行かれるのです?」「祖父のところだ……俺に婚約者ができたことを報告に行くのだ。イレーネにはメイドが……まぁ、日替わりだがつくことが決定したのだから俺とお前が不在になったとしても……多分大丈夫だろう」「え? ええ……そうかもしれませんが、これはまた随分と急な話ですね。どうなさったのですか?」するとルシアンが眉をひそめた。「ゲオルグの奴に先を越されないためだ。一刻も早くイレーネを祖父に紹介し、俺をマイスター家の時期後継者として認めてもらわなければならないだろう?」「なるほど……確かにその通りですね。分かりました。では早急に用意してまいります。ですが当主様に会いに行かれるのでしたら、日帰りは無理でしょうね。何しろ汽車で半日はかかる場所にありますから」現当主であるルシアンの祖父は、半年ほど前に体調を崩して今はマイスター家の別荘で療養生活を送っている。「そうだ。幸い、明日から連休に入る。その間に祖父に会いに行こうと思っている。……全く、電話があれば話は早くて済むのに……」ルシアンがため息をつく。「……仕方ありませんよ。当主様にとって、電話はまだ目新しくて抵抗があるかもしれませんね。では、すぐに私も準備をして参ります」「用意ができたら、また部屋に戻って来いよ」「はい、かしこまりました」そして、ルシアンとリカルドは慌ただしく準備を始めた――****――11時「まぁ、今から『ヴァルト』に行かれるのですか?」イレーネは突然部屋を訪れたルシアンを前に目を見開いた。「ああ。君と祖父を会わせる前に、祖父と話をしてくるつもりだ。俺には君という婚約者ができたということ伝えにな」「ヴァルトは、美しい森林で有名な場所でしたよね。そちらにルシアン様のお祖父様がいらしたのですか」「そうだ。『ヴァルト』にはリカルドも一緒に連れて行く……だから、その……」ルシアンの歯切れが悪くなり、
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 62 話 あまり変わりない
「え? 専属メイドをつけて欲しいとイレーネさんが仰ったのですか?」ルシアンの書斎に呼び出されたリカルドが目を見開いた。「そうだ。夕食の席でイレーネが頼んできたんだ。だからリカルド。お前が彼女にメイドを選んでやってくれ」「え? 私がですか?」「ああ。……何か問題でもあるか?」「いえ、問題というか……メイド選出については、私よりもメイド長が適任だと思います。それに相性の問題とか、色々あるでしょうから最終的にはイレーネさん本人に決めて頂いた方が良いのではありませんか?」「なるほど……確かに言われて見ればそうかもしれないな」リカルドの言葉にルシアンは頷く。「よし、それではリカルド。お前の方からメイド長に伝えてくれ」「はい、分かりました」「出来るだけ、早急にイレーネに専属メイドをつけるように言うんだぞ?」(彼女は大胆な性格だ……野放しにしておけば、何をしでかすか分からないからな)念押しするルシアン。「ええ、私もそのつもりでした。お任せください」(イレーネさんにお目付け役のメイドがいれば安心だ。これで我々一同ハラハラすることが無くなるだろう)口にこそ出さないが、ルシアンもリカルドも心の中で似たようなことを考えるのだった――****翌朝6時。イレーネはいつものように部屋で朝の支度をしていた。長い金の髪をブラッシングしていると、突然部屋の扉がノックされる。――コンコン「あら? 誰かしら?」ブラシを置くとイレーネは扉を開けに向かった。「はーい、今開けますね……え?」扉を開けたイレーネは驚いた。何故なら目の前にはメイド長を筆頭に、20人近いメイド達が勢揃いしていたからである。「あの……これは一体……?」イレーネは目をパチパチさせると、メイド長がにっこり微笑んだ――****――8時「イレーネ……今日は遅いな。いつもなら7時半にはダイニングルームに現れるのに」テーブルに向かい、新聞を読んでいたルシアンは壁の時計を見た。「まさか、また何か問題でも起きたのか?」(何しろ彼女の行動は全く読めないからな……部屋に様子を見に行った方が良いだろうか)思わず立ち上がりかけた時。「ルシアン様、おはようございます。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」イレーネがダイニングルームに現れた「あ、ああ。おはよう。それでは食事にしようか
最終更新日: 2025-02-26
偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした

偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした

父親を亡くし、入院中の母を養っている私――須藤朱莉は、ある大手企業に中途採用された。けれどその実態は仮の結婚相手になる為の口実で、相手は高校時代の初恋の相手だった。 二度と好きになってはいけない初恋の相手との、6年間の偽装結婚が始まった――
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Chapter: 1-10 翔の父親
――その日翔は久しぶりに海外支社に赴任中の社長である父親とPC電話で会話をしていた。『どうだ、翔。本社での様子は?』「はい、今のところは競合他社よりは我が社の方が同価格でも年間にかかるコスト費用を考えれば安く抑えられると相手側企業が判断してくれた為、我が社との取引を決断していただく事が出来ました」「そうか。それは良かったな。ところで翔。今から話す事は社長と副社長としての会話では無く親子としての会話だと思って答えてくれ』急に翔の父親は声のトーンを変えてきた。「ああ。分かったよ。父さん。で……話って何?」 『翔……お前結婚したんだってな?』ああ、やはりその話かと翔は覚悟を決めた。「そうだよ。相手は26歳の須藤朱莉って名前の女性だよ」『全く……何て勝手な事をしてくれたんだよ。会長はカンカンに怒っているんだぞ? 何故父親であるお前がちゃんと見張っていなかったんだ。監督不行き届きだと会長に怒られてしまったんだからな?』「ごめん……父さん。俺はどうしても勝手に結婚相手を決めて欲しくは無かったんだ。父さんのようにね……」すると翔の父は顔を歪めた。『翔……お前……やはり私の事を責めているのか? 勝手にお前の母さんと離婚して他の女性と再婚したことを』「いいえ、まさか。だって会長の命令だったんですよね? 仕方が無いですよ」それに―口には出さなかったが、翔は心の中で思った。(父さんが再婚してくれたから……俺は最愛の女性と知り合う事が出来たのだから)最愛の女性……それは明日香の事である。 元々翔の父親は学生時代から交際していた恋人がいた。2人は卒業後に結婚の約束をしていた。しかし、父親……翔の祖父から猛反対をされたのだ。それでも翔の父は言う事を聞かず、2人は強引に結婚した。結局祖父が折れた形となったのである。やがて2人の間に翔が誕生した。3人での生活がいよいよ始まるという矢先、祖父は翔の母親に対して離婚するように迫ったのである。もし息子を置いて家を出ないのであれば、強引に養子縁組を結んで翔を自分の息子として手元に置くと。翔の父は何とか妻を守ろとしたが、結局周囲の圧力に耐えかねた翔の母は離婚届に判を押し、泣く泣く1人で家を出たらしい。そしてその数年後……精神を病んだまま、実母はこの世を去る事となった。 祖父は息子の離婚が成立すると同時に、大々
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 1-9 将来の為に
ここは鳴海翔のオフィス。ノックの音がして琢磨が部屋に入って来た。「ほらよ、お待たせ」来客用のガラステーブルの上に2人分のランチボックスを置くと琢磨はソファにすわり、奥にある小型冷蔵庫から缶コーヒーを取りだし、プルタブを開けた。「温かいうちのほうが美味いぜ」「ああ、分かったよ」琢磨に促され、翔もランチボックスの置かれているテーブルに移動してソファに座るとボックスを開けて中を見た。「ふう~ん。美味そうじゃないか」「そうだろう? 丁度こっちに戻って来る時に会社の前でキッチンカーが何台か来ていてな。一番行列が出来ている列に並んで買ってきたのさ」琢磨が買って来たのはケバブのランチボックスだった。ソースが良く馴染んだ肉が乗せてあり、サラダやフライドポテトも付いている。「よし、それじゃ食べるか」翔の言葉に琢磨もランチボックスを開けて、2人で食事を始めた。「翔。昨夜、あの後どうしたんだ?」食事をしながら琢磨が尋ねる。「あの後?」「会社の帰り、明日香ちゃんとオフィスビルの外で待ち合わせをして二人で食事して帰ったんだろう?」「それがどうした?」「朱莉さんに何か連絡はいれたのか?」一瞬、ピクリと翔は反応したが、すぐに食事を続けながら答えた。「もちろんだ。メールを入れたよ。一度時間がある時にお互いの事を知る為に一緒に食事でもどうでしょうか? ってな」「おお! お前にしては中々気の利いたメールを入れたじゃ無いか? それで朱莉さんは何だって?」翔は黙って朱莉から届いたメールの内容を琢磨に見せた。<はい、勿論です。よろしくお願いします>「随分シンプルな内容だと思わないか? この俺がわざわざ連絡を入れたって言うのに」どこかつまらなそうに翔は言う。「恐らく気を使っているんじゃないか? 明日香ちゃんにさ。親し気な内容のメールを送って中を見られでもしたらまずいと思ったんじゃないかな?」「え? なんだって明日香に……? 大体明日香が彼女のスマホを……」そこまで言いかけて翔は昨夜の明日香との食事の時の会話を思い出した。<須藤朱莉さんのスマホに私の連絡先を登録しておいたわ。これからは何か困った事があったら連絡を入れてちょうだいと伝えてあるのよ>「そういえば明日香が彼女のスマホに自分の連絡先を登録したと言っていたな……」翔の言葉に琢磨は顔をしかめる。
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 1-8 突然の来訪者
――翌朝 ピンポーン 午前10時。朱莉が引っ越しの荷物の荷解きをしていると玄関からチャイムが鳴った「え……? 誰だろう? 私の所にお客さんなんて……」(鳴海先輩のはずは無いし……九条さんかな?)インターホンの使い方が朱莉には分からなかったので、急いで玄関に向かってドアを開けると、そこには長い髪を茶髪に染めた、スレンダーな美女が立っていた。清楚なワンピースに身を包んだ彼女は正にセレブの姿だ。「貴女ね……? 翔の書類だけの結婚相手は?」じろりと睨み付けるように朱莉を見るその姿は――(明日香先輩!)朱莉にはすぐに彼女の事が分かった。「ふ~ん……。私達の住んでる部屋と殆ど変わらないわね?」明日香は『私達』をわざと強調するかのように値踏みしながら辺りをキョロキョロと見渡すと上がり込んできた。「え~と……。須藤朱莉さん……だったかしら? いずれ貴女がお役御免になったら、この部屋に私と翔が一緒に暮らすのだから、あまり汚さないように気を付けて使ってちょうだいよね。この億ションは私達の持家だけど、下の億ションは賃貸なんだから」明日香は応接室に入るとソファに座る。「はい、分かりました。気を付けて使うようにしますね」朱莉は俯きながら返事をした。(そうか……先輩達は将来この家で夫婦として暮らすのね……)「全く……それにしても地味な女ね。でも辺に見栄えがする女じゃ無くてある意味良かったわ。勘違いして私の翔を誘惑する事も無さそうだしね」この家の主人のように腕組みをしてソファに座る明日香は正に女王様のようにも見えた。「そ、そんな……私は決して鳴海さんの事を誘惑しようとは考えてもいません」慌てて顔を上げて朱莉が言うと、明日香は何処か小馬鹿にしたかのように笑みを浮かべる。「あら、嫌だ。冗談で言ったのに……まさか本気にしちゃった訳? 大体貴女みたいな地味女を翔が見向きするはずないじゃないの」「はい、仰る通りです。明日香さんは本当にお綺麗ですから……」「あら、意外と素直に認めるのね。所でお茶の一杯も出ないのかしら? この家では?」明日香の言葉に朱莉は真っ赤になった。「す、すみません……。まだ引っ越しの荷解きが終わっていないのと……じ、実は給湯器の使い方が分からなくて……」「あら、嫌だ。貴女、そんな事も知らなくて引っ越しして来たの? それじゃ昨夜食事は
最終更新日: 2025-02-28
Chapter: 1-7 呼び出し
その夜――21時 朱莉は1人で、億ションの広々とした部屋でベッドの上に丸まって眠っていた。初めはまるで巨大スクリーンに映し出されたかのような夜景に目を見張り、暫く見惚れていたのだが、この億ションはあまりにも広すぎた。朱莉は空しさを感じてしまい、まだ寝るには早すぎる時間なのに、そうそうにベッドに入っていたのである。 朱莉の今使用しているベッドは外国製の大型ベッドで寝心地は最高だった。この家具は、やり手秘書の九条が家具・家電を買いそろえる時間が朱莉には無いと思い、気を利かせて事前に全て買い揃え、部屋にセッティングしてくれていたのである。家具はどれも素敵なデザインばかりで、家電もとても使い勝手が良い物ばかりであった。だがそのどれもが自分で選んだものでは無かったので、ますますここが自分の新居とは思えずにいたのだ。(九条さんは良かれと思って用意してくれていたんだろうけど、出来れば少しくらいは自分で家具を見たかったな……。だけど私のような庶民が選んだ家具だといくら一緒に暮らさないとは言え、時々ここでお客様の接待があるならそれなりの家具じゃないと鳴海先輩に恥をかかせちゃうものね……) こうして1人で場違いなところにいると、何故だか無性に孤独を感じる。あの狭くて古かったけど、日当たりの良かった自分の賃貸アパートが懐かしい。あそこは全て朱莉が1人で選んだものばかりで、まさしく自分1人の城だったのだ。だけど、ここはまるきり自分の家とは思えない。6年経てば出て行かなければならない仮初の自分の住処。いや、状況によってはもっと早めにここを出て行く事になるかもしれない。その為に1年ごと結婚生活の更新と言う形になっているのだ。(今頃鳴海先輩は……この下の階の部屋で明日香さんと過ごしているのかな……?) 防音設備があまりにも整い過ぎているのか、物音ひとつ響いてこないだだっ広い部屋にベッドの中で身じろぎするシーツの音と、朱莉の溜息だけが聞こえるのみだった――****――同時刻 ここはとある高級ショットバー。九条は1人、カウンターでシェリートニックを飲んでいた。「悪い、遅くなったな」そこへ鳴海翔が現れた。「遅い、お前……どれだけ俺を待たせる気だ」仏頂面で九条は鳴海をジロリと睨み付けた。「仕方が無いだろう? 明日香の奴が中々解放してくれないものだから……」「チッ! の
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 1-6 引っ越し
 今日は朱莉が葛飾区のアパートから六本木の億ションに引っ越しをする日である。全ての梱包作業を終え、不動産業者の賃貸状況の査定も何とか敷金で賄えて、追加料金を取られる事も無かった。後はこれで引っ越し業者がやって来るのを待つだけ。今迄自分で使っていた家具や家電は全て処分してしまったので部屋に置かれている荷物は段ボール10箱ばかりにしか満たなかった。朱莉がこの部屋で使用していた家具、家電はどれも1人用の小さな物ばかりで、逆に持っていけば邪魔になるような物ばかりだったからである。「新しい家に着いたら家具を買いに行かなくちゃ」朱莉はぽつりと呟いた。 引っ越し期間があまりにも短すぎた為に結局朱莉はこれから引っ越す億ションの内覧すらしていなかった。なのでどんな家具を買えば良いのかも一切分からず、翔から預かったブラックカードはまだ一度も使った事が無い。がらんとした床に座りながら朱莉は3年間暮らしてきたアパートを改めて見渡した。初めてここに引っ越してきた時は、あまりに狭く、古い造りの部屋に気分が滅入ってしまったが、日当たりが良く、冬でも部屋干しにしていても洗濯物が乾く所が気に入っていた。「住んでいる時はすごく狭い部屋だと思っていたのに……こうしてみると広く見えるものなんだ……」その時、呼び鈴が鳴った。「はい」玄関を開けると引っ越し業者の人達がぞろぞろと現れたので朱莉は面食らってしまった。(ちょっと……一体何人でやってきたの!?)数えると7名もの人数で現れたので、朱莉はすっかり仰天してしまった。一方の引っ越し業者の方も朱莉の荷物の少なさに面食らっている。「あ……あの……引っ越しのお荷物は……?」一番の年長者の男性が朱莉に尋ねてきた。「あの……お恥ずかしい話ですが、段ボール箱……だけなんです……」朱莉は顔を赤くして俯いた。(ああ……恥ずかしい! こんな事なら九条さんに引っ越しの件で連絡を入れれば良かったかも……。でも九条さんも忙しい方だし、私が引っ越し業者に依頼するべきだったんだ……)「申し訳ございません。私からきちんとお話するべきでした」申し訳ない気持ちで一杯になった朱莉は何度も頭を下げるので、かえって引っ越し業者は恐縮する羽目になったのであった。その後、引っ越し業者のトラックを見送った朱莉はマンションの住所を頼に、電車に乗って新しく済む億シ
最終更新日: 2025-02-27
Chapter: 1-5 上を向いて
「おい、琢磨。お前……何勝手に結婚指輪なんて頼んでるんだよ」翌朝、社長室に現れた琢磨に翔はいきなり乱暴に指輪のカタログを投げつけてきた。「おい! 翔! いきなり何するんだよ!」琢磨は咄嗟に手で受け取った。「それはこっちの台詞だ! 誰がいつ結婚指輪を用意しろって言った? どんなデザインがよろしいでしょうか? って、いきなり宝石店の店長がメールを入れてきた時には驚いたぞ! しかもその後、そこの社員が受付嬢に俺にこのカタログを渡してくださいと置いて行ったんだからな!?」その言葉を聞いて琢磨の表情は凍り付いてしまった。「な……何だって? 翔……お前、今何て言った?」「だから、何故結婚指輪が必要なんだよ? そんなものがあったら相手が勘違いするだろう? 本当に俺の妻になったんじゃないかって!」「勘違いも何も書類上はお前と須藤さんはもう夫婦だろうが! 結婚式も無しの婚姻届けだけ。一緒に暮らす事も無く、その上結婚指輪まで渡さないつもりだったのか!?」琢磨のあまりの激高ぶりに流石の翔も異変を感じ、声のトーンを落とた。「お、おい……落ち着けよ。俺は別に本当に指輪など必要無いと思ったからだ。大体、あの女を見ただろう? 化粧っ気も無く、アクセサリーの類も何もしていなかった。だから指輪なんか必要無いと思ったんだよ」宥めるように琢磨に言うが、逆に翔の言葉は琢磨の怒りを増幅させただけだった。「何!? お前は結婚指輪をただのアクセサリーのように考えているのか!? 結婚指輪の意味はな……永遠に途切れることのない愛情を意味してるんだよ! 確かにお前と須藤さんは6年間の書類上の夫婦だけになるだろうが、もう少し彼女を尊重してもいいんじゃないのか? 優しくしてやろうとかは思わないのかよ!」「それは……無理だな。俺が愛する女性は明日香ただ1人なんだから。それに無駄に優しくしてあの女が俺に本気になったらどうするんだ? 俺に過剰に愛情を要求し出したり、6年後絶対に別れたくないと言って裁判でも起こされたら? いや、そもそも祖父の引退の状況によっては6年も経たないうちに離婚する事になるかもしれないのに。だから、あの女に必要以上に接触しないのは……むしろ、俺なりの……愛情のつもりだ」「……詭弁だな。それは」琢磨は憐みの目で翔を見た。「何とでも言え。俺は結婚指輪をつけるつもりはない。あの
最終更新日: 2025-02-27
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