ディミトリは三十五歳。傭兵を生業としている彼は世界中の戦場から戦場へと渡り歩いていた。 彼の記憶の最後に在るのはシリアだ。ヨーロッパへの麻薬配給源である生産工場を襲撃したまでは作戦通りだが撤収に失敗してしまった。 仲間の一人が敵に通じていたのだ。ディミトリは工場の爆発に巻き込まれてしまった。 ディミトリが再び目が覚めるとニホンと言う国に居た。しかも、ガリヒョロの中学生の身体の中にだ。街の不良たちに絡まれたり、老人相手の詐欺野郎たちを駆逐したり、元の身体に戻りたいディミトリの闘いが始まる。
View More「まあ、似たようなモノらしい……」 ディミトリに現実を突き付けられた大串は俯いてしまった。彼にも思う所が有るのだろう。「そんな事をやってるとは知らなかったんだ……」 大串が言い訳を付け加えてきた。(まあ、普通に考えてパパ活やってますなんて彼氏に言う奴はいないだろうな) そんな事を考えながらディミトリは返事に困ってしまった。 売春をやめさせたいと言われても相談にはのれないからだ。(それに、自分の彼女が売春をやっていたなんて事は信じがたいもんだよな……) だが、ディミトリは自分が呼ばれた訳が分からなかった。 他人のカップルの痴話喧嘩なんぞに興味が無かったからだ。 そもそも大串にも興味が一片の欠片も無い。「で?」 早くも教室に戻りたくなってきたディミトリは話の続きを促した。「それで、新しく引っ掛けた相手がクスリの売人だったみたいなんだよ……」 日本の学生というのは向こう見ずな所が在るらしい。 初めて合う相手に何の準備もせずに会いに行って、そのまま殺されてしまうという事件が時々マスコミを賑わせたりしている。(まあ、学校も親も教えないからなあ) 日本の教育というのは道徳を教えるが危険を教えない。 だから、何が危険なのかを知らずに育ってしまうのであろう。(それしても何でケツ持ちも置かないで危ない商売するかなあ……) 外国の売春婦は個人で営業する事が無い。客はスケベでどうしようもないクズだと知っているからだ。 客との間に揉め事が起きた時には、解決するための手段を持ち合わせている物だ。 そうしないと簡単に殺されてしまう。 危ないことをしたがる変態も多いし、殺しそのものを楽しむ狂人も同じ数だけ居るのだ。 だから、地元のマフィアに用心棒代を支払って身を守る。 厳しい現実を生き抜いていく為の知恵である。「それで、クスリをかっぱらおうとして、ブツを駄目にしてしまったらしい」 きっと、相手の男が自分を大きく見せようとして見せびらかしたのであろう。 チンピラなどに良くいるタイプだ。 実力以上の器を示して自分の虚栄心を満足させるのだ。 そして、女の方はそれを見て邪な考えに至ったという感じであろうか。 ディミトリは話の続きを聞いてズッコケてしまった。「えーーーーっと……」 突っ込みどころが多すぎて迷ってしまったのだ。 薬を売り捌
自宅。 追跡装置取り出しの手術が終わって数日は普通どおりに過ごしていた。監視の目がどこに在るのか不明だからだ。 朝、学校に行って体力づくりをして飯を食って寝る。普通の中学生を演じているつもりだ。 追跡装置は腕時計風にしておいた。日中は身につけておいて、追跡装置の存在に気が付いてない振りを装う為だ。 ある日の朝。学校に行くと大串たちが集まって何やらひそひそ話をしている。 ディミトリが通りかかるとピタリと止まったので、きっと良からぬ相談でもしているのであろう。 ディミトリは目の端で見えていたが無視をしていた。 午前中の授業が終わり昼休みになると大串の子分のひとりがディミトリの所にやってきた。「ちょっと屋上まで付き合ってくれ」 彼は何やら思いつめた表情ながらも、ぶっきら棒にで言ってきた。どうやら彼は、ディミトリと会話するのが苦手なのだろう。 顔にそう書いてあるような態度だったのだ。(まったく、懲りない連中だ) 朝の大串たちの様子からして、また喧嘩を売りに来たのだとディミトリは解釈したのだ。 子分の後に続いて屋上に出る階段を上る。 こういった設備は施錠されているはずなのだが彼は屋上へと通じる扉を開けた。 鍵を持っているか、或いはこじ開けたのだろうと考えた。(まあ、人目を気にしているのはお互い様だけどな) 開け放たれたドアの外に大串は居た。 大串は屋上の真ん中で仁王立ちしていた。虚勢でも張っているのであろう。「で、なんの用だ?」 ディミトリは大串に尋ねながらも、周りに気を配っていた。注意を引き付けながら後ろから襲いかかるのは常套手段だ。 相手が厄介な奴の場合、ディミトリならそうするからだ。 子分の一人は、階段の入り口を見張るように残っている。大串の側には一人しかいなかった。「お前に頼みがあるんだ」 だが、大串の口から出てきたのは意外な一言だった。「え?」 大串たちはディミトリに喧嘩では無く、相談があって呼び出したようだった。 頭の中でどうやって迎え撃つか、シミュレートしていたディミトリは拍子抜けしてしまった。「実は俺のツレが揉め事に巻き込まれてるらしいんだよ……」「誰?」「いつだったか本町のカラオケ屋ですれ違ったじゃないか」 ディミトリは追跡装置の確認の為に行ったカラオケ屋を思い出した。その時に大串が誰かと一緒だ
前回、気を失ったのは強烈な頭痛の時だ。痛みが限界を超えると気を失ってしまうようなのだ。 距離が離れているとでも言い訳しておけば良いだろう。(クラックコアとやらと関係が有るんだろうな) そう言えば前回の検診の時に、頭痛の事をやたらと聞きたがっているのを思い出した。随分と不審に思ったものだ。 今、思えば関係者であるのだから当然だったのだろう。 脳に色々と小細工するのは、人類にとってはまだ手に余るに違いない。鏑木医師が死んだのは色々と残念だった。(この失神する問題は早めに対処しておかないと、その内拙い事になるな……) 原因と対策がどうしても必要なのだ。ディミトリは違う病院へ変えようかと考え始めた。 それと同時に帰宅してから、痛みに耐える訓練方法を探そうと決めた。(後は追跡装置をどう使って一泡吹かせてやるかだな) アルミホイルに包まれた追跡装置を手に持ちながら思った。 腕から取り出した追跡装置は壊さないでおく事にしている。こちらが追跡装置の存在を知っている事を悟られない為だ。 それは、万が一の時に囮に使えると思っているからだ。「まあ、問題のひとつは解決できたかな……」 ディミトリは自転車に跨って家路についた。 翌日から痛みに対する訓練もメニューに加えた。しかし、思いの外に手術跡の痛みが酷かったが我慢していた。 医学生と言っても、まだ素人に怪我生えた程度だ。病院で行うのとは訳が違う。熱が出なかっただけでも幸運であろう。 ネットで検索した訓練メニューを試してみたが、結果は期待通りには中々いかなかった。「ネットだと痛みは無視できるようになると書いてあったけど……」 痛みは防御のメカニズムとして機能している。所謂、生存本能の事だ。痛みを伝えることで、生存が脅かされていると知らせる為にある信号なのだ。 つまり、痛みの伝達を阻害することが出来れば、痛みを無視出来るようになる……はずだ。 ディミトリは痛みに注意が向かないよう、気を紛らわせる事が出来る訓練を模索していた。「痛いもんは痛い……」 痛みは動揺や不安や絶望といった感情を呼び起こしてしまう。それを正反対の感情、つまりユーモアで置き換えてしまう方法がある。 アメリカの学者が行ったひとつの実験がある。痛みを耐える実験を行ったのだ。一つのグループにはコメディを見せながら実験を行い、もう
アオイの部屋。 ディミトリはボンヤリという感じで目を覚ました。 朧気な意識の中で見たのは、無機質な白い天井が有るだけだった。(知らない天井だ……) ディミトリの部屋にはアイドルのポスターが張ってある。それが此処には無い。 一瞬、病院かなと考えてみたが違う部屋である事を思い出した。(しまったっ!) ディミトリは息を吐き出すかのように起き出した。あまりの激痛に失神したようだ。 時間にして三十分程度であろうか。自分では平気なつもりだったが、新しい身体は慣れていなかったようだ。(まさか、気を失っていたとは……) 彼はすぐに自分の身体を調べた。左腕の手術跡には包帯が綺麗に巻かれている。 身体から取り出したと思われるものは、アルミホイルに包まれて机の上に置かれていた。 その横には自分の銃が置かれていた。 手にとって見ると弾倉は差し込まれたままだし、薬室には銃弾が装填されたままだった。(使い方を知らなかったとかかな?) 何より目出し帽が取られていて額にタオルが当てられていた事だ。 ディミトリの顔がアオイにバレてしまったようだ。適当な時期まで秘密にして置きたかったがしょうがない。「?」 ディミトリが訳が分からず戸惑っていると、アオイが部屋に入ってきた。 直ぐにディミトリが目を覚ましたことに気がついたようだ。「何故、銃を取り上げなかった?」「……」 彼女は壁に寄りかかったまま黙っている。 自分を脅していた相手が、少年だと分かったので恐怖心が無くなったのであろう。「手術なら終わったわ…… 上着を着たら出ていって頂戴ね……」「……」 彼女はそれだけを言うとディミトリを睨みつけた。「あの…… ありがとう……」「……」 ディミトリは礼を言ってペコリと頭を下げた。彼女はニコリともせず腕を組んだままだった。 銃で脅してきた相手が子供だとは思っていなかったのであろう。 ディミトリは踵を返して部屋から出ていったのだった。彼が持ち込んだ物はバッグの中に詰め込まれてある。 乗ってきた自転車の所まで来て、改めて痛みが残る左腕の包帯を眺めた。丁寧に巻いてある。(轢き逃げ犯とは思えないな…… 今後の事を考えたら俺の口封じをした方が良いだろうに……) どうやら彼女はディミトリのように悪知恵は回らないようだ。(自分だったら銃を奪って、最低でも
「準備が出来たよ」「じゃあ、上着を脱いで背中を向けてちょうだい……」 ディミトリが上着を脱ぐとアオイが息を飲むのが分かった。背中には手術の跡が縦横無尽に走っているからだ。 すべて交通事故の跡なのだが彼女には分からない。それは彼女が入った時には、ディミトリが退院した後だったのだ。「……」 銃を手に持った男が入ってきて、手術しろと言われたら訳アリの男だと分かったのだろう。 手術跡の事は何も聞いてこなかった。「そんなに深くには埋まってないはずだ……」「……」「指で触ると分かるぐらいだからね」「ええ、有るわね……」 アオイは腕を指で押しながら答えた。「皮膚の下、五ミリ程の所に筋肉に載せるような感じで埋まってると思う」「麻酔無しだから相当痛いよ?」「ああ、ある程度は覚悟している……」 ディミトリは自宅から持ってきたナイフを渡した。入念に砥石で研いでおいた奴だ。 手術用のとは比べて切れ味は劣ると思うが、普通の家にある包丁よりはマシなはずだ。「これがバレたら医師免許が取れなくなるわ……」「バレなきゃ良いのさ……」 アオイは少し深呼吸をして、ディミトリの腕にナイフを充てがい力を込めた。 ディミトリの上腕に何か冷たい感覚が走り抜けた。 ホンの数秒遅れで激痛が腕を駆け上がってくる。「そうなったら恨むわよ……」「大丈夫。 人に恨まれるのは生まれた時から慣れている……」 そう訳の分からない事をいった。「……」「グッ……」 アオイの荒い息使いが聞こえてくる。彼女も手術には慣れていないようだ。「麻酔も無しで……」 ブツブツ言いながら手術を続けている。 どんなものかは不明だが、簡易型の超音波検査機にかかるぐらいだ。金属片で有ることは間違いない。(そう言えば、犬の首に埋め込むタイプの盗聴器があると、ロシアの連中に聞いた事があるな……) 体液に含まれる塩を分解して発電するタイプで微弱な電波なら出せるらしい。 それを近くで受信して増幅してから送り届けてくれるすぐれものだ。 諜報機関の技術開発は凄まじい勢いで進化している。信じられないものが盗聴器だったりするのだ。(犬に可能なら人間でも可能か) 自分は犬と同じ扱いなのかと思うと笑いが出てきてしまった。 アオイは腕を切られようとしてるのに、クスクス笑いをするディミトリを不思議そうに
アオイの部屋。 アオイが帰宅して部屋の明かりを点けると、部屋の真ん中にマスクを被った男が居た。「やあっ!」「誰?」「しぃーーーーっ……」 マスクの男はディミトリだ。 彼は静かにしろというように口元に指を当てながら、銃をベッドの方に向けて引き金を引いた。パスッ!「ひぃっ」 軽い音を立てて葵のベッドに有った枕が跳ね上がった。 後、何発撃てるか分からないが減音器は役に立っているようだ。「おもちゃじゃないよ……」 そう言って銃をアオイに向けた。「お金はあんまり持ってないです……」 銃を向けられた葵は怯えている。実社会に置いて実銃を向けられた経験を持つ者は多くないはずだ。 アオイも無機質な銃口を向けられてパニックに成ってしまっている。「まあ、座ろうよ。 君をどうこうしたい訳じゃないんだ……」「……」 ディミトリは部屋の中央にあるテーブルの前に座りながら手招きした。 アオイは大人しくディミトリの前に座った。「あの病院関係者の駐車場で車を見つけてさ……」「……」「お姉さんは医療関係の人何でしょ?」「……」 アオイはコクンという感じで頷いた。「何やってる人なの?」「医学部に在学中の医者の卵です……」 医学生と睨んだ通りだった。次週から始まるインターン研修の為に病院に来ていたのだそうだ。 女は兵部アオイと名乗った。推測した通りだ。ディミトリの銃を恐ろしげにチラチラ見ている。「この写真を見てくれ……」 ディミトリは追跡装置が写っている画像のプリントを見せた。簡易超音波検査機で自分の腕をスキャンした画像だ。 モノクロの画像だが何やら四角いものが写っているのは分かる。「?」「ここに写っている四角い奴を取り出して欲しいんだ」「なんですかコレは?」「腕の中に埋め込まれている」「そういう事でしたら病院に行ってください……」 取り出すということは手術が必要だと理解できたようだ。 まだ、経験が浅いアオイは当然断ってきた。 切除手術など家で気軽に出来るものでは無い。 手術ということは身体にメスを入れる事だ。剥き出しの患部では病原菌に感染しやすくなってしまう。 一般家庭で無菌状態など作り出せないからだ。「それが出来ればそうしてるさ」 ディミトリは説得を続けた。自分では手術が出来ないので仕方がなかった。「私には無理で
手袋をした手でドアをそっと開け、素早く室内に潜り込んだ。 人目に付くのを避ける為に扉は極力静かに閉める。開閉の音や振動は案外響くものだ。 もちろん、目は室内を睨んだままだ。(どうも~お邪魔しま~す) ドアの前でしゃがんで室内の様子を伺った。もし、誰かが居るようならすぐさま脱出する為である。 身体を動かさずに首だけをゆっくりと動かし、人の気配を探っていたディミトリは立ち上がった。(誰も居ないんですよね~) おもむろに室内に足を踏み入れる。 空き巣狙いであれば、室内の物色にかかるところだが今回は違う。 部屋の主に用事がある。なので、部屋の中を調べていく事にする。(さあ、どういう人物が住んでいるのかな?) 誰も居ないことは確認済みだが、静かに部屋の中を移動していく。 ベッドに机にちゃぶ台・タンスと質素な暮らし向きらしかった。余計な装飾品が無い。 トイレや台所も清潔に保たれているようである。(ええ、真面目な人なの?) 室内の本棚には医療関係の本が多かった。それも家庭用ではなく医者の使う専門書の類だ。 中には外国語で書かれた背表紙も見受けられる。(睨んだ通りに医者の卵という事か……) 次にタンスの引き出しを下から開けていく。上から開けると上段の引き出しが邪魔になるからだ。 因みにコレは窃盗犯が行うやり方だ。短時間で家探しが出来るのだ。 ベテランになると五分もあれば一部屋分の家探しが完了するらしい。(むむむっ! コレは……) とある引き出しを開けた時にディミトリの手が止まった。 そして、コレまで見せたことが無い様な険しい顔付きになっていった。「うーむ……」 その引き出しには色とりどりの下着が詰め込まれていたのだ。恐らくアオイのモノであろう。 何となく良い香りがするような気がする。(ををを…… 眼福眼福) 下着入れを開けてしまったディミトリは何故か喜んでしまっている。 一枚取り出して目の前に広げてみたりしていた。しばらくニヤニヤと眺めていたがハッと気がついたことが有るようだ。(いやいやいやいや…… 目的が違うし……) そんな場合では無いと、被りたい衝動を抑え込んで引き出しを元に戻した。 洋の東西を問わず年齢がいくつであろうと、男というのはしょうもない生き物なのだ。(ふん、男関係するものは何も無しか……) ディ
兵部アオイのアパート。 ディミトリは夕方になるのを待って目的のアパートにやってきた。 二階建てのアパートは部屋が上下合わせて十戸だ。極普通の安アパートという感じで独身者が好みそうだ。 出入り口は外に面しているが、隣家との間に壁があり人目は避けられる事に気がついた。(窃盗犯に狙われやすそうな作りだよな……) 住宅街に在る為なのか、幸いにも人通りはまばらだった。ディミトリはアパートが見える道路に自転車を止めた。 まだ、夕刻を少し過ぎたあたり。一般的な家庭なら夕飯の支度で忙しいし、勤め人なら帰宅の途中のはずだ。(まあ、それを狙ってやってきたんだが) そのタイミングなら部屋への侵入が容易であろうとやって来たのだ。 友好を求めて来た訳では無いので、相手が留守である必要があった。(よし、どの部屋も電気は点いていないな……) 目的の部屋に電気が点いている様子は無い。睨んだ通り留守のようだ。 ディミトリは自転車から降りて、まるで帰宅した住人のような雰囲気でアパートに近づいていった。 此処までで人とすれ違った事が無い。人通りが途絶える瞬間なのであろう。 ディミトリは誰かとすれ違うようなら中止して帰宅しようと考えていた。(確か、この部屋のはず……) アパートの安そうなドアを見ると、想像した通りのドアスコープが付いている。 これなら詐欺グループのマンションに入った時と同じ手口が使えると彼は安心した。(よしよし、想定内だ……) ディミトリはドアスコープを外し、穴から内視鏡を入れて鍵を外した。 内視鏡には簡易的に使えるマジックハンドが使えるので遠隔で操作するのに適している。(最初は操作するのに難儀したけど、今は楽勝だぜ) ドアを静かに開けて目的の室内に素早く忍び込んだ。 そのまま、ドアに張り付いて外の様子を窺う。誰かが近づいてくる気配が有れば見つかっていると言う事だ。 窃盗などで見つかるのは侵入する瞬間が多いと聞く。ディミトリにとっては緊張の瞬間であった。(まあ、アパートの住人は独身者だけだったみたいだけどな……) 幸いにも何も動きは無かった。まだ、誰も帰宅していないのであろう。だからこの時間帯なのだ。 ディミトリは安心したのか、一度深く深呼吸をしてから振り返った。 落ち着きを取り戻してから室内を観察する。朝から見張っている訳では無い
一日間を空けてデータを回収してくる。不審車は相変わらずディミトリの日常を見張っていた。 鏑木医師の盗聴をしていたのなら、ディミトリが同じ部屋に居たことを知っているはずなのに不思議だった。 だが、腕の方には電波遮断カバーを付けてあるので、ある程度は自由に行動できるのが有り難かった。 轢き逃げ女の調査と言っても、動画を見ているだけなので退屈だ。 ディミトリは先日回収した武器の手入れを始めた。祖母には玩具のエアソフトガンを買ったと言ってある。 実際に買って空箱だけ残しておいただけだ。中身は同じクラスのガンマニアにくれてやった。 こうしておけば部屋に本物が有っても区別が付かないだろうと考えたからだ。 その内、どこかに隠す必要がある。だが、それはまだ先だ。 ディミトリはベテランの兵隊だったので、分解程度なら手元を見なくとも出来るように訓練されている。 これは暗闇の中で分解掃除する事になっても平気なようにするためだ。 今回はサビが付かないように、グリースをたっぷりと付ける事を目標にしている。 回収してきた動画を早送りで再生させていると問題の箇所に差し掛かった。「……夕方の時間で…… ここか…… 居た!」 『轢き逃げ女』は夕方には真っ直ぐに帰って来ていた。きっと真面目な人柄なのだろう。 録画する時にタイムスタンプを入れてあるので分かるようになっている。「兵部さんね…… これは葵(アオイ)と読むのだろうか……」 彼女がアパートの入り口から入っていたタイミングと、室内が明るくなった部屋を照合して名前を特定できたのだ。「初めまして兵部葵さん」 ディミトリは画面に向かって挨拶をしていた。これで彼女の行動パターンは手に入る。 次は彼女の家に押し入って手術に協力するように『お願い』するだけだ。 何かと上手くいかない日々だったが、今回はスムーズに問題が解決できそうだ。 彼は珍しく上機嫌だった。(あれ? 可怪しいな……) だが、ディミトリは直ぐに怪訝な顔になった。(住んでるのが此処だとしたら……) 地図を見るとアパートから病院までは道路一本で行けてしまうのだ。 詐欺グループの居たマンションには用は無いはずだ。だから、轢き逃げをした道路を通過する必然性が無い。 商店街に面しているわけでも無いし、病院に関係するものも無いごく普通の住宅街だ。
平日の昼頃。「う…… ううう~…………」 ディミトリ・ゴヴァノフは手酷い頭痛で目が覚めた。 彼は今年で三十五歳になる。傭兵を生業とするロシア出身の男だった。 もちろん、軍隊での戦闘経験は豊富で、退役する時には特殊部隊にも所属していた。 最後の作戦で戦闘ヘリコプターをお釈迦にしてしまい除隊させられてしまった。 学歴もなく手にこれといった技術を持たなかったディミトリは、仲間に誘われて傭兵に成ったのだ。 それについては別に不満は無かった。彼は戦闘行動が無類に好きだったのだ。 上官が学士学校上がりのガチガチ芋頭から、諜報学校上がりのピーマン頭に変わるだけだからだ。(馴染みの酒場で出された、安っすい酒の二日酔いより酷いな……) 頭の側でグワングワンと鐘を鳴らされているような頭痛の鼓動が迫ってくる。 身体が強烈に重くなるのも一緒だった。何とか動かそうとするも一ミリも動いた気がしない。(うぅぅぅ…… ここはどこだ?) ディミトリは眩しそうに目を開けた。眩しいのは自分の頭上にある蛍光灯のせいのようだ。 だが、視界が定まらないのかグルグルと部屋が回っているような感覚に襲われている。 ディミトリは目を瞑った。(1・2・3・4……) 目眩がする時には、目をつぶって深呼吸しながら数字をカウントするのが有効だと兵学校で教わった。 これは砲弾が近くに着弾した時に目眩に襲われやすいからだ。 戦闘時の目眩は爆風や爆圧で頭を揺さぶられてしまうので発生してしまう。そこで軍は初期教練で対象方法を教えている。 自分の少なくない経験でも知っていることなので冷静に対処法を実践してみた。 何回か目をシバシバと瞬きしていると、落ち着いて部屋の中を見ることが出来るようになった。(……………… 病院!?) 白を基調とした飾りっ気の無い部屋。消毒液の匂い。まあ、病院なのだろうと納得したようだ。(六人部屋だけどオレ一人だけか……) ディミトリがベッドの中でモゾモゾしていると、病室の中に入ってきた看護師がひどく驚いていた。 そして、彼女は慌てて部屋を出ていった。しばらくすると医師と他の看護師を連れて部屋に入ってきた。(ずいぶんと顔が平ったい黄色い連中だな……) 彼らを初めて見たときの印象だった。 ディミトリはロシアのクリミヤ生まれだ。 自分が生まれた街には白人...
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