Chapter: 第20-1話 自壊遠鳴警察署留置場。 留置場では夕方になると夕飯が出て来る。警官たちが配膳をしていると、金田が身体が痒いと言い出した。「身体が痒い……」 ボリボリと腕を掻く音立てながら、格子越しに警官に薬をくれるよう頼み込んでいた。「夕飯を食べた後に塗り薬をやるから、それまでちょっとの間ぐらい我慢してろ」 取り調べにあたる刑事たちと違って、留置場の見張り当番の警察官は親切だ。面倒見もとても良い。それでも、あれこれと注文の多い金田に、辟易していた警官はぶっきらぼうに答えたのだった。「腕が痒い……」 さっきは足だったじゃないかと言われると、痒いところが移動してるみたいだと言い出した。「身体の中を虫が這いまわっているみたいなんだ…… なあ、なんとかしてくれよ……」 金田は気弱になりつつあった。ボリボリと身体を掻いているらしい音が、絶え間なく聞こえていた。「なあ、顔…… 顔が痒い…… 痒いんだ……」 警官が金田の顔を見ると真っ赤になっているのが判る。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!?」 金田は身体を掻く音と共に呻き声を上げ始めた。「何とかしてやんなよ」「煩くてかなわん……」「薬ぐらい良いだろが」 他の留置房からも声が出始める。退屈な留置場生活の中での唯一の楽しみが食事だ。それを邪魔されるのが嫌だったのであろう。「夕食の食い物にアレルゲン物質があったのかも知れないですね……」 留置場の当番警官の一人はそう言った。ひょっとしたらアレルギー性の痒みの可能性があるなと思ったのだ。「今、担当医を呼ぶから静かにするように」 古参の当番警官が扉の外から声をかけた。医者を呼ぶ事にしたのだ。 ほうっておいて虐待したなどと言われると、人権屋の弁護士に付け込まれてしまう。すると奴らはせっかく捕まえた犯人を釈放させてしまうのだ。当然、自分が始末書を書かされるはめになる。始末書はめんどくさいし、昇格試験の成績に響いてしまうのが嫌だった。「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!!」 金田は返事の代わりにうめき声で答えた。留置場の中からは相変わらず、”ボリッボリッ”と身体を掻いているらしい音が聞こえていた。 留置場の中で被疑者が自傷行為に走るのはよくある事だ。反省のあまりに自傷行為に走るのでは無い。そんな愁傷な奴は最初から犯罪など起こさない。 裁判を少しでも有利に運ぶ為にするのだ
Last Updated: 2025-03-10
Chapter: 第19-0話 虚ろな目遠鳴市遠鳴警察署。 霧湧村で逮捕された泥棒は、隣街の遠鳴警察署で取り調べを受けていた。村にある駐在所には、犯人を留置する施設が無い。もちろん取調室などもないからだ。そこで、検事へ送致するような犯罪を犯した者は、遠鳴市の警察署が一手に引き受けている。この泥棒もその一人だった。 担当刑事が取り調べで話を聞こうとするが、肝心なところになると日本語が判らない振りをする。まことにタチの悪い泥棒だった。そこで、大きな街から通訳を呼んでくることになっているのだが、到着するまで時間がかかる。 そこで雑談で泥棒の気心を掴もうとしていた。ところが泥棒は気もそぞろで、落ち着きが無く目線も泳いでいた。何やら様子がおかしいのに、気が付いた刑事は尋ねてみた。「どうした? 随分と落ち着かないな?」 泥棒は黙っている。しかし、時々後ろを振り返ったりしている。何かに怯えているようだった。「…… なあ、さっきから俺の後ろを通っているのは誰なんだ?」 泥棒はとんちんかんな事を言い出した。基本的に取調室には刑事と被疑者の泥棒しかいない。無関係な人物が入り込むことなど有り得ない。「…………」 刑事は薬物中毒を疑って泥棒を改めて見つめた。汗を掻いている風も無い、呼吸が乱れている訳でも無い、視線が落ち着かないのは、逮捕拘束した奴にありがちな事なので良しとする。薬物中毒を疑ったがそうでは無いようだ。「お前の後ろにあるのは窓だ。 防弾の奴だから誰も通れやしないよ」 取調室を誰かが通り抜けるなど有り得ない。入り口のドアは刑事の後ろに一つあるだけだし、窓は嵌め殺しの曇りガラスだ。覗き込むことすら出来ない。「で? どうしてお前は警ら中の警官に自首したんだ?」 しかし、泥棒は再び黙り込んでしまった。自首して置いてダンマリを決め込むのは、この手の泥棒に良くある手口だ。自分が時間を稼いでる間に、盗品を持った仲間を逃がすのだ。こうすると証拠不十分となり、立件を諦めさせて釈放させる。それを狙うやり方だ。(今回も時間が掛かりそうだな……) 刑事はため息を付いた。 その警察署の留置場では、若い警官とベテランの警官と、二人体制で留置場に居る被疑者を見張っていた。別に取り調べとかをする訳では無く、被疑者が送検されて拘置所に行くまでの間、見張っているのが仕事だ。 刑事たちの厳しい取り調べを終えた金田は留置
Last Updated: 2025-03-09
Chapter: 第18-0話 毛巽寺「人間は不安を感じたときに、自分が見えてたものを、自分の恐怖の記憶に置き換えるのさ。 その幻覚を勝手に解釈して霊現象だとしたがるんだ」 雅史は姫星の手を引いて本堂を出ようとしている。今はアプリのおかげで抑えているが、根本的に解決している訳では無いからだ。「…… じゃあ、幽霊なんかいないの?」 姫星は尋ねた。心霊体験をしたという友人を何人も知っているし、自分でも見た……と、思っているからだ。「そういう訳ではないよ。 本人が見たというのなら、きっとそうなんだろうと思うよ? でもね、確証の無い話を、むやみ信じては駄目だということだ」 雅史は合理的に考える人間だが、他人の信仰まで否定するつもりも小馬鹿にするつもりも無い。 自分に影響が無ければ、勝手にすれば良い考えているタイプだ。だが、他人に自分の信仰を強要する奴は大嫌いだった。「今は防止されているんで見えなくなったのさ」 雅史は姫星に説明しながら周りを見渡した。何も異常が無いが姫星をここに留めておくのは、危険なのかもしれないと思い始めたのだ。そして残念なことに、ここでも美良の痕跡は無かった。「さあ、寺から移動しよう。どうやらここいら一体に妙な音が出ているようなんだ」 雅史は姫星の手を取り先を促した。本堂から出ても若干の異常周波数が計測できている。だが、雅史は根本的な疑問があった。「しかし…… どうして、こんな高周波や低周波が発生しているんだ?」 雅史と姫星は本堂を出て来た。雅史は手元のタブレットのアプリを見てみた。するとさっきまでメーターを振り切る勢いだった、レベルメーターが平常値に戻っていた。本堂の中だけで謎の周波が発生していたらしいのだ。 原因を探るのに興味を惹かれたが、今は姫星の安全と美良の移動した痕跡の確認が優先した。「ほぉ、謎の異常音ですか……」「恐らく低周波音にやられたんだ。 この村には通常では有り得ない特殊な音が発生しているらしい。 なんだか、異常な高周波音と低周波音に包まれている感じだ」 雅史はタブレットを見ながら言った。「低周波音の影響を受けた脳が、幽霊を創り出していたんだよ」 力丸爺さんは話の途中から付いて行けなくなったが、どうやら姫星は大丈夫だとわかると、手に構えていた杖を元に戻した。「そこでアプリを使って逆送波を送り出して打ち消すようにしたのさ」 手にしたタ
Last Updated: 2025-03-08
Chapter: 第17-0話 黒い霧 宝来雅史と月野姫星の二人は、伊藤力丸爺さんに連れられて、月野美良が立ち寄ったとされる廃寺の毛巽寺へやってきた。 霧湧神社で見せた姫星の体調も気になるが、取り敢えず現地を確認しておく事にしたのだ。一度でも見ておけば考える際のヒントになると思うからだった。 何しろここまでの所、何も収穫が無い。折角、遠路はるばるやってきたのに、このまま手ぶらでは帰れないのだ。美良の母親への言い訳にも困ってしまう。 霧湧神社から伸びる細い路地を南に進み、更に蛇行した林道を進むと、鬱蒼と茂る草木に囲まれて毛巽寺はあった。毛劉寺のような門は無く、そこは古びた平屋建ての一軒家風で、ひっそりと言った趣で佇んでいた。そうは言っても近所の者が庭や境内を交代で掃除しているので荒れ果てた印象は無い。 そして、ここにも泥棒を警戒してなのか、新しい防犯カメラが設えてあった。「今は廃校になってしまったんじゃが、村の小学校が出来る昭和の初め頃までは、ここが学校代わりじゃったんだ」 力丸爺さんはここの卒業生だそうだ。雅史はそんな説明を聞きながら建物の外に居て写真を撮っていた。「バイパスが出来てからは、子供たちは村のバスで、隣町の小学校に通うようになってしまってのう……」 姫星は一人で本堂の中に入っていった。中に入るとそこは床板だけがあり、かつて仏像が設置されていた場所も、柵で囲われた板の間だけだった。見事に何も無い。何か手がかりになるようなものは無いかと部屋の中を見回していると、ぞわりと外とは違う空気の冷たさ感じた気がした。「え? また?!」 その時、姫星は何かが近づいて来る気配に気が付いた。何だろうと思って室内を見回しても何も無い。開け放たれている窓から外を見ると黒い足跡だけが、寺の境内を横切って本堂に向かって来ているのが見えた。ヒタッヒタッと音がする気がする。 やがて足跡は窓の下付近までやってきた。ガチャッと鍵が開く音がして、続いてぎぃーーーっと、木戸が開く音が聞こえ始める。しかし、姫星の周りには木戸などどこにも無い。自分から見える本堂には、襖と障子と木の床板だ。窓の方からはペタッペタッと足音がゆっくりと近づいてくる音がするのだ。 部屋の温度が更に下がったように感じた。間違いない何かが本堂に侵入して姫星に向かってきている。姫星の額から汗が一滴流れた。 姫星は目を凝らして正体を探っ
Last Updated: 2025-03-07
Chapter: 第16-2話 幻影虫「きゃっ!」 姫星の目の前に虫が飛んで来た。大きさは二センチ位の黄金色をした虫だ。それを姫星は右手で思わず払いのけてしまった。(ご、ゴキブリ?!) 一瞬であろうと姫星にはそう見えていた。しかし、払いのけたと思った虫は、姫星の右手に引っ付いたままで、ブンブンと手を降っても離れなかった。「ちょ、 何これっ?」 それどころか姫星が見ている目の前で、右手に同化し始めた。最初は手足の部分が手の皮膚に溶けて、次に胴体が溶け始めた所で姫星が悲鳴を上げた。「ちょっと取って! 取って! この虫、取ってよぉーーーーー」 姫星は手を振り回してベソを掻き始めた。「え! えっ?! 何も付いていないよ?」 だが、雅史の目には何も見えておらず、力丸爺さんに至ってはオロオロするばかりだ。「手に付いてる! 手に付いてるっ!」 姫星が左手で右手をパシパシと叩き始めた。「取り敢えず、外に出よう!」 このままでは混乱するばかりだと、雅史は泣きべそを掻いてる姫星を抱える様にして、本堂の外に連れ出した。そして、明るい日差しの下で、改めて姫星のメイド服に、虫が付いてないか見てみたが何もいない。「ねぇ、姫星ちゃん…… 虫なんかいないよ?」 それを聞いた姫星は自分の手を見てみると虫は居なくなっていた。手を振って見たが何とも無い。「あれ?」 自分のメイド服をパタパタとしてみたが、虫はおろか何も落ちてなど来ない。「…… ? ……」 姫星は首を傾げてしまった。確かにゴキブリに似ている黄金色をした虫だったはずだ。「疲れが出てるのかもしれないね…… 一旦、休憩しに山形さんの家に行こうか?」 そんな様子を見ていた雅史は、姫星の体調が悪くなり始めているのでは無いかと、心配になって来ていた。「また、熱中症になりかかっておるかも知れんからのぉ、休んだ方がええじゃろ……」 力丸爺さんが心配そうに姫星を覗き込みながら言った。「ううん、大丈夫。 宝来兄さん…… 次のお寺に行きましょう」 姫星は腑に落ちない様子だったが、先を急ぐ事にしたのだ。何しろ昨日・今日と探索をしているのに、美良の行方を探す手掛かりが何も見つかっていない。「でも……」 雅史は心配顔で言いかけた。「大丈夫だってばっ!」 狼狽えた自分が恥ずかしかったのか、姫星は顔を赤らめて先に歩いて行ってしまった。 雅史は何がな
Last Updated: 2025-03-06
Chapter: 第16-1話 霧湧神社霧湧神社。 昔話を聞いていた姫星は、怯えているが崇めてもいる。村人たちの神様への畏怖を込めた祭りなのだと思った。「そして、降臨してくださった神様を、昔の人はウテマガミ様と呼んでいたそうじゃ」 力丸爺さんによると、神様が山から下りて来ると信じられていた時代に、修験道者が神卸の儀式のやり方を伝え、村は豊穣に恵まれる様になったと聞いていると話した。「そのウテマガミ様を奉納していたのが、霧湧神社だったんですね」 感心したように雅史がうなづいた。 そんな事を話している内に、三人は霧湧神社に到着した。本殿は平屋の一階建で、泥棒たちに荒らされた為なのか、雑然とした印象を受けた。忍び込むために扉は壊されており、窓に至っては中から外されて外に転がっていた。「あっこに監視カメラとやらを付けたそうじゃ」 力丸爺さんが指差した方に、真新しい監視カメラが付けられている。本殿の扉の上あたりだ。姫星は監視カメラに手を振って見た。『はーい、見えてますよー 姫星さん』 笑い声を堪えているような、山形誠の声が聞こえて聞こえて来た。「にゃっ!」 姫星はビックリしたらしく、その場でピョンと跳ねている。(しっぽがあったら膨らんでそうな位にビックリしてるな……) 雅史はクスリと笑って監視カメラに手を振っている。誠が用があると言っていたのはこれだったのかとも思った。恐らく役場の人間が当番制でカメラの前に座って居るのであろう。『泥棒が入っても誰かが駆けつけるまでに、時間が掛かり過ぎるんで、盗みをする前に声をかけて、退散させる事にしたんですよ』 泥棒をするような人種は、監視カメラで記録されるのを嫌う習性がある。それを利用する為に監視カメラにスピーカーを付加させているらしい。『それでは後程お会いしましょう。 失礼します ―ブチッ―』 スイッチを切る音が聞こえて監視カメラが沈黙した。確かに手軽に出来る防犯方法だなと雅史は思った。 本殿の中に入ると、そこはガランとしていて、一番奥には壊された祭壇があった。祭壇の扉は無理矢理こじ開けられた為、蝶番が外れて斜めになっていた。もちろん祭壇の中は何も無くぽっかりと空間が出来ているだけだ。「結局、御神体は見つかっていないのですか?」 雅史は祭壇の中を見ながら力丸爺さんに尋ねた。「御神体の石は見つかってはおらんかったんじゃ、催事に使う
Last Updated: 2025-03-05
Chapter: 第16-1話 馬鹿にしてるの? 食品倉庫。 指定された倉庫は国道沿いにあった。そこは商店街からも住宅街からも離れている。ただ、高速道路の入り口が近いと言う理由で選ばれたらしい。 夜になると街灯と防犯用のライトに照らし出されただけの寂しい場所だ。 しかし、夜間だと言うのに門が開いていた。守衛所には人影が無い。(どうやら歓迎会の準備が整っているようなのね……) 歓迎会とは銃でお互いの健康を祝福し合う形式に違いないとクーカは思った。 門を抜け指定された倉庫に行くと扉の所に男が一人いた。体育会系なのかやたらと身体が大きかった。 なおも近づくと自分の後ろに二人付いて来ているのに気が付いた。もっとも、門の影にいるのは分かっていた。 わざわざ、姿を見せて待ち伏せしていたらしい。(愛想のない事……) 映画のように『良く来たな』ぐらいは言っても良いのにと思えたのだ。 ヨハンセンは電話での会話の中に合図を紛れ込ませていたのだ。それはトラブルの合図だ。 クーカが仕事に失敗した事など一度も無い。ヨハンセンが巧く行ったのかと質問する時には、自分がトラブルに巻き込まれているとの合図なのだったのだ。 彼女が探すと言ったのは、ヨハンセンを監禁した相手である。 身に降りかかる火の粉は根元から消してしまうに限るのだ。 扉の男は何も言わずに開けてくれた。扉の中に入ると後ろの男も付いて来ている。 倉庫は見た目が三階建てくらいの高さで、壁にはキャットウォークもある。倉庫の中は空っぽだった。二十メートル四方の少し暗め空間が開かれていた。 クーカは倉庫の中から漂ってくる殺気に気が付いていた。自分の正面には三人いる。彼ら以外からも気配はあった。(女が一人。その両隣に男が二人……) 男たちは武器を持っているのにも気が付いた。スーツを着ているが胸の部分が妙に膨らんでいる。それに、前ボタンを嵌めていないからだ。これは銃を持っている事を意味している。素早く抜けるようにだろう。(ヨハンセンのいけ好かないオードトワレは匂って来ないわね……) クーカの鼻は訓練で敏感に出来ている。聴覚と違って意識的に感度の上げ下げが出来ないのだ。 だから、香水やたばこの煙を嫌がる。(別の場所に監禁されているのか…… もう、何やってんのよ……) ヨハンセンは元傭兵なのだ。アチコチの戦場を渡り歩き実践も豊富のはずだった。 日本
Last Updated: 2025-03-10
Chapter: 第15-0話 追跡の在り方 保安室。 先島はクーカと遭遇した事を室長に報告していた。「で、本人はクーカだと認めたのか?」 室長はかなり怒っているようだった。それはそうだろう。 クーカは保安室全員で追いかけているテロリストだ。目撃したばかりか接触までしているのに確保しなかったからだ。しかも、報告したのが、取り逃がした後だからだ。「いいえ、認めた訳では無かったですね……」 先島は分かっているだけに何も言わなかった。何を言っても取り逃がした事実が覆される事は無いからだ。 しかし、本当の理由は別の所に有る。 クーカが廃キャンプ場で見せた表情と、国際テロリストの側面とが合わないからだった。 先島は全員が常識と考える事には懐疑的になってしまう部分がある。 それは組織の裏切りに散々な目に逢って来ているせいかもしれない。(きっと裏がある……) クーカほどの殺し屋を日本に呼び寄せた組織があるはずだ。そう先島は考えていた。それが何なのかを探る方を優先する事にした。(目先の事に囚われて本質を見逃すのはもうごめんだしな……) 先島は他の室員には何も言わずにクーカの調査を続けようと考えているのだ。「それで、何か対策は取ってあるんだろうな?」 そんな先島の思いを無視して室長が質問をしてきた。「はい、発信器を彼女の服に付けました」 先島はクーカの外套に発信器を付けたらしい。彼女の行動を分析して、彼なりにクーカを理解しようとしているのかもしれない。「藤井。 発信器三十六番の信号を辿ってくれ」 発信器と言っても十二時間程度しか持たない超小型のものだ。絆創膏みたいな薄型でどこにでも貼り付けることが出来る。しかし、都会などの電波を拾えるエリア限定だった。 先島はシートベルトを締める手伝いをする振りをしてクーカの外套に張り付けていた。「はい」 藤井が返事をして発信器の信号を辿り始めた。 発信器の電波は携帯の無線局を利用して収集出来る仕組みだ。そうすれば三角測定で大まかな位置が特定できる。位置が判れば付近の防犯カメラを利用して対象を探し出せるのだ。 もちろん、違法スレスレな捜査になってしまうが保安室の面々は気にしないようだ。「んーーーーー?」 藤井の指先が軽快にキーボードを叩いている。彼女にとってはいつもの作業だ。 しかし、馴れない人間が見ていると魔法の呪文を打ち込んでいる魔
Last Updated: 2025-03-09
Chapter: 第14-3話 すれ違う思い「ああ、分かってる……」 とりあえず、返答してみた。我ながら間抜けな返事だと先島は思った。もっとも、気の利いた言葉がパッと出て来るのなら、もう少し出世できていたのかもしれない。「ああ、手伝うよ……」 シートベルトを締めるのに手こずるクーカを手助けした。「さっきはあの家族を巻き込まないでいてくれて有難う」 続いて、先島が意外な事を言いだした。クーカはビックリしてしまった。 ぱちくりとした目で先島を見詰めている。「何の事かしら……」 クーカは始めて逢った風を装っている。 闘い終わって褒められることは有ったが、闘わないのを褒められるのは初めてだったからだ。「ところで、日本では武器の所持は禁止されているんだよね……」 そんな先島が言い出した。「そんな物騒な物は持って無いわ」 クーカは助手席の窓を開けて外気を入れた。「自首するという手があるよ?」 先島が話を続けて来た。「何の罪で?」 クーカは素知らぬ顔で答える。「拳銃を持っていたじゃないか」 先程の駐車場での出来事を言っているらしい。「まあ、こんな愛くるしい少女に向かってなんて事を言うのかしら……」 クーカは取り調べを受けても平気なように銃は隠して来た。後で、回収に来れば良いと考えていたのだ。「しかも、殺し屋御用達の減音器まで付いていた奴だ……」 減音器の事を知っているのは流石だと思った。一般的な日本の警察官は銃には詳しくないと聞いていたからだ。「そんな物騒な物は持って無いわ……」 もちろん、減音器もククリナイフも一緒に隠してある。「俺に突きつけたじゃないか……」 クーカは先島を殺すつもりは無かった。そのつもりなら先島は車を運転する方では無く、載せられている方になるからだ。 銃を抜いたのは、先島の殺気に身体が反応してしまったせいだ。 自分でも拙かったと思っていたので、家族連れの接近を察知した時にすぐに退いたのだ。「突きつける? 何の事だか分からないわ」 依頼されても居ない仕事を、彼女はやらない主義だったのだ。それに目に見える脅威と言う程ではない。「あくまでも白を切るつもりなのか?」 先島がムッとし始めた。からかわれていると考えたからだ。もちろん、当たっている。「あら? それじゃあ私の身体検査でもなさる?」 クーカは自分のミニスカートを少しめくってみせた。
Last Updated: 2025-03-08
Chapter: 第14-2話 漏れ出す本音(しまったっ!) こちらの駐車場には来ないだろうと思っていたのだ。 先島に気が付かないのか普通に歩いている。きっと駅に向かうのであろう。 もちろん、先島はクーカと直接会った事は無い。 しかし、チョウが狙撃された現場に居た男の顔を彼女は知っているはずだ。 どうしようかと思ったが、ここで引き返すと益々不自然になる。 先島は知らぬ顔しながら、自分の車に戻る事にしたのだ。 クーカと先島がすれ違った。ふと、先島は何気なくクーカの方にに視線を向けてみた。「!」 なんとクーカは横目で睨みつけていたではないか。(ばれていたかっ!) やはり、クーカは先島に気が付いていたのだ。先島は咄嗟に振り向きざまに胸の銃を引き抜き構えた。「くっ!」 すると目の前に拳銃がある。しかも、減音器を付けた小型の拳銃だった。 クーカも銃を引き抜いていたのだ。「……」「……」 二人はお互いに銃を突きつけあったままで睨みあいになってしまった。(どうする……) 警察官の職務として、本来なら武器を捨てる様に勧告するべきなのだが出来ない。先に動いた方が負ける気がするからだ。 先島には無限に思える時間だったが実際は五秒ほどだ。 不意にクーカの目線が動いたかと思うと、自分の銃をさっさとしまってしまった。「?」 同時に先島の背後からなにやら賑やかな声が聞こえて来た。「……」 先島が振り返ると、どこかの家族連れがやって来る所だった。 子供二人を含めた親子連れだ。河原のバーベキューを楽しんで来たのだろう。 彼女が静かに銃をしまった理由が分かった。(無関係な人間を戦闘に巻き込むのは良しとしないのか……) 銃撃戦では狙いの逸れた弾や跳弾で普通の市民が怪我をする事が多いのだ。それは日本では考えられない事だ。 外国などの街中で銃撃戦が始まると、街をゆく人々は地面などに伏せるそうだ。 しかし、日本人だけはボォーっと突っ立て居るのだと聞く。身近に銃犯罪が無いので対処方が分からない弊害であろう。「ふぅ……」 先島がため息をついて振り返ると、クーカは歩いて駐車場を抜ける所だった。(応援を呼んで確保するか……) このまま行かせるかどうかを悩んでしまった。何しろ疑わしいだけでは逮捕できない。しかも、見た目は十代の少女だ。(まあ、それは…… 俺の仕事じゃないな……) 先島は
Last Updated: 2025-03-07
Chapter: 第14-1話 見つめる瞳 多摩川上流の川べり。 クーカは多摩川の上流に来ていた。インターネットで調べた廃キャンプ場跡に用がある為だった。 彼女は山奥に一人で来ていた。街中で焚火をするのは躊躇われるからだ。 ひとり焚き火をするのには訳があった。先日、海老沢から強奪した物ものを燃やしてしまう為だった。 廃キャンプ場跡であれば、人目も気にしないで良かろうと考えたのだ。 茶筒のような物の液体を捨ててから、中身を取りだして新聞紙にくるんだ。 それを焚き火の中に入れて、しばらくはジッと湧き上がる炎を見詰めていた。 薄く煙が空に昇っていく。それを風が攫って行っていた。 クーカの髪を風が撫でていく。それは幼い頃に分かれた母親の手のような優しさだ。「…………」 木々の間を抜ける陽の光。耳元をくすぐる様な暖かさに心が華やいだ。久しく忘れていた感覚だ。 クーカは風に誘われるように空を見上げた。トンビが遥かな高みを目指して飛び上がっていく所だ。(……あなたは風になれるの?) クーカは空を飛ぶ鳥に、心の中で密かに尋ねた。トンビは彼女の思惑など気にせず空を駆けてゆく。(自分にも羽が有ったら良かったのに……) クーカは風になりたかった。そうすれば何も考えずに済む。人の悪意に敏感な生活を送るのはウンザリしはじめているのだ。 暫く空を眺めている間に焚き火の火が小さくなった。クーカは焚き火に水をかけて消した。 消えた焚き火後を暫く見つめていたが、やがて踵を返して歩き去って行った。 その様子を見ている男が居た。先島だ。門田への事情聴取に来たのだが捗々しく行ってなかった。『彼女は男性に襲われたに等しいのですから……』 藤井にそう言われて、家から庭先に追い出されたのだ。男が居ると彼女が怯えてしまうと言われていた。 そして、庭先に出たところで煙に気が付いたのだった。(何だろう……) 煙が上がっている方に行ってみると、焚き火をしている少女がいた。 何となく気になって車に戻って双眼鏡を取りにゆき、木陰から不思議な少女を見てみた。(ん? ……泣いている?) 少女が目元を拭いて空を見上げている所だった。(煙が目に滲みたのか?) しかし、彼女の顔を見て驚愕した。 クーカだった。(本当にクーカなのか?) あれだけ探して見つからなかったのに、こんな人通り無い山中にいる意味が分からなか
Last Updated: 2025-03-06
Chapter: 第13-0話 影の在処 保安室。「みんな集まってくれ……」 室長が部屋に入って来るなり室員を全員招集した。それを聞いた室員は三々五々、室長の机の前に集合した。「もうすぐ東京でG8外務大臣会合が開催される。 ついては国際テロリストであるクーカの所在を明確にせよとのお達しだ」 そこへ出席する欧州の政治家へのテロが心配されていた。つい最近にも欧州の有力政治家が暗殺されたのだ。 もっとも手口がクーカに似ているだけで、彼女の犯行である裏付けは何も無かったらしい。 そのクーカが日本国内に潜伏しているのは、自分たちの国の外相を狙っているのではないかと心配しているのだ。 もっともな意見だった。「我が国の威信が掛かっている。 各員は国内の過激派などの情報の収集に努めてテロを未然に防ぐようにっ!」 参加国の治安機関側から、自分たちに捜査をやらせろとせっつかれたらしい。もちろん、日本の警察のメンツにかけてもそのような事は許すつもりは無い。 だが、CIAからの要求は執拗だった。クーカは自分たちの資源なので勝手に手を出さないようにと繰り返して言って来たのだ。(日本の治安機関の一つである我々がクーカの事を知るや遠慮しなくなった……) その割にはこちらの頼み事を聞かないでは無いかと言いたかったが室長はグッと堪えていた。 彼らの持つ情報網は魅力的だからだ。(恐らくはこちらへの根回し無しで勝手に暗躍してるんだろうがな……) 『失敗したら知らなかった。成功なら成果は自分たちに寄越せ』は彼の国の傲慢さを表していた。 室長はあの組織の怖さも知っているし、利用の仕方も心得ているのだ。「まあ、会場周辺や宿泊施設などの調査は警備警察の役割だ。 そこで、我々はこの事件を追いかける……」 室長が藤井に合図を送った。 画面に閉鎖された工場で起きた未解決事件が表示されていた。「この事件の特徴は被害に遭った男性三人が鋭利な刃物で切られている所です」 犯行現場写真が映し出された。そこには壁にまで飛び散る血痕と主の居ない右手が一つ転がっていた。「二人は出血多量で死亡しましたが、生存者がひとり残っています」 死亡した二人と生存者の写真が表示される。生存者はリーダー格の男だ。「彼は頭のイカレタ女に切られたと言ってます」 リーダー格の男はまだ入院したままのようだった。「頭のイカレタ女?」 室長が藤
Last Updated: 2025-03-05
Chapter: 第059-2話 秘密の区画(出てきた……) 銃撃戦となったら、物を言うのは弾幕だ。サブマシンガンを持っていない以上は両手に持った拳銃で戦うしか無い。 先頭の一人は拳銃を持っているのが見えた。(はいはい、チャイカの仲間なのは決定……) ひょっとしたら無関係な船員もいるかもしれないと思っていたが安心して殺せそうだ。 ディミトリは満面の笑みを浮かべて両手の拳銃から弾丸を送り込んでやった。 気分良く撃っていると頬を何かが掠めた。銃弾だ。後ろにも回り込まれてしまったのだ。 ディミトリは右手は出口、左手ではデッキの後方を撃ち出した。 やがて、左手に持ったトカレフの銃弾が尽きた。マガジンを交換している空きは無い。ディミトリは迷うこと無く銃を捨てた。 そして、右手の銃を懐にしまうと、下のデッキに移ろうとして飛び降りたのだ。「うわっと!」 ところが、デッキの下のデッキの手すりを掴みそこねて更に落下してしまった。「おっと……」 舷窓の枠に捕まる事に成功した。そして、腰にぶら下げておいた吸盤を張り付けた。 指先だけで窓枠に捕まるより楽なのだ。 そのまま海の中に逃げても良かったが、自分が泳ぐ速度より陸上を移動される方が早いに決まっている。(もう少し時間を稼ぐ……) ディミトリは窓に向かって銃を撃った。しかし、期待したような割れ方をしなかった。 窓ガラスを銃で撃つが穴が空くだけだった。荒れ狂う波風に耐えることが出来るようにガラスが頑丈なのだ。「くそっ、なんて頑丈に出来てやがるんだ!」 穴の開いた窓を蹴飛ばしながら怒鳴った。 ディミトリは窓の鍵があると思われる部分に、銃弾を集中して浴びせ腕が入る隙間を作り出した。 その間にも、ビシッビシッと銃弾が降り注ぐ音が通り過ぎていく。停泊しているとはいえ、波による揺れは多少はある。 彼らでは薄暗い背景に溶け込むような衣装のディミトリを撃ち取れないようだった。(よしっ! 開いた) 窓の鍵を開けて室内に潜入するのに成功した。(小柄な身体が役に立ったぜ……) 室内に降り立ったディミトリは立ち上がって見渡した。上下二段のベッドが並んでいる。船員用の寝室のようだ。 すると、一つのベッドで誰かが起き上がって来た。 室内に居たのは船員だった。ベッドの上で両手を上げて固まっている。 窓が割れたかと思うと男が入ってきたのでビックリしたら
Last Updated: 2025-03-10
Chapter: 第059-1話 紛れ当たりモロモフ号の甲板の上。 ディミトリはアオイの言った『取引に使うお金』に魅入られていた。「いやいやいやいやいや、駄目だ」 ディミトリが首を振りながら否定した。 確かにここで多額の現金を手に入れるのは魅力的だ。だが、アオイを守りながら戦闘するのは、余りにも分が悪すぎる。 確実に金になる戦闘しかディミトリはやらない。(やっぱり駄目か……) アオイとしては、船底に閉じ込められている子供を助ける事で、贖罪を果たしたかったのかも知れない。 だが、肝心の少年が腰が引けている以上は諦めるしか無いかと思った。「じゃあ、私はゴムボートで待っていれば良いのね?」「いや、近くにアカリさんが待っているから、彼女と合流していて欲しい……」「え? アカリが居るの?」「ああ、どうやって君が居る船に辿り着いたと思ってるの」「あっ、そうか」「この携帯で連絡を取って待っていて欲しい。 あの桟橋を回り込めば陸に上がれる階段が有るから……」「うん、分かった……」 アオイは縄梯子をそろそろと降り始めた。ディミトリは上から降りていくアオイを見ている。キンッ 船の手すりを金属製の何かが掠める音がした。間違いなく銃弾だ。(銃撃!) ディミトリは咄嗟に撃ち返した。発射音は聞こえなかった。恐らく見張りに見つかってしまったのだろう。「見つかった!」「え、え、ええ……」 アオイはまだ縄梯子の半ば辺りだ。降り終わるのにまだ少し時間がかかる。 ディミトリは姿が見えない敵に銃弾を送り込んだ。 命中させることが目的では無い。アオイがゴムボートに乗るまでの時間稼ぎのためだ。(敵もサプレッサーを使っているのか……) その時、埠頭に灯りが倒れていく男を映し出した。紛れ当たりを引いたようだ。(俺も使ってるぐらいだから当然だわな) ディミトリは男に近寄っていく。死んだかどうかを確かめるためだ。(角度から考えると船の壁で跳弾したのが当たったのか……) 傍によると男は首から血を流して死んでいる。当たった場所から考えると跳弾であろうと思われたのだ。 ディミトリは男の銃と予備の弾倉を取り上げて眺めた。(トカレフか……) 無いよりはマシかと懐にしまった時に、海の方からアオイの悲鳴が聞こえた。「きゃあっ!」 ディミトリが慌てて駆けつけると、上のデッキからゴムボートに向かって銃を撃
Last Updated: 2025-03-09
Chapter: 第058-0話 違う形のヒーローモロモフ号。 船室の外に居た見張りは壁にもたれ掛かるように倒れている。その頭からは血が流れていた。 不意に少年が現れて問答無用で撃ってきた。声を上げる暇すらなかったようだ。彼は驚愕した表情のままだった。「若森くん……」 アオイは突然の登場にビックリしながらも、見慣れた顔の登場に安堵のため息を漏らした。「ちょっと、足を持ってくれるかな?」 ディミトリが手招きしてる。「?」 アオイが近づいて廊下を見ると見張りが倒れている。頭から血を流している所を見て、アオイは射殺されたのだと理解した。「顔が腫れているけど殴られたの?」 アオイの左頬が腫れているので聞いてみた。「うん、大声出して助けを呼んでたら殴られた」「女でもお構いなしかよ。 ヒデェ連中だな……」 ディミトリは見張りが持っていた拳銃を眺めながら呟いた。「連中は俺の事を探してるんだって?」「ええ、ロシア人が貴方の事をしつこく聞いてきた」 見張りの死体を運びながらそんな会話をする二人。アオイも死体を見たぐらいでは驚かなくなっている。 アオイも死が身近にある職業だとはいえ、慣れていく自分にどんよりとした気分になっていくのを感じている。「何、やったの?」 アオイが足を持ちディミトリが頭を持って死体を部屋の中に入れた。「ロシア人の母親とヤッたんだよ」「馬鹿……」 ディミトリはアオイに小突かれてしまった。彼女は下品なジョークが嫌いなようだ。 次にテーブルクロスで廊下の血痕を拭い去り、部屋を閉めて出ていこうとした。「ちょっとだけ待って……」 ディミトリは鍵を掛けてから、鍵を根本から折ってあげた。こうすると、室内に入ることが出来ない。本当は瞬間接着剤ぐらいで固定した方が良いのだがしょうがない。 アオイが部屋に居ない事は直ぐに露見してしまうだろう。少しでも時間を稼ぐ為の小細工だ。「まあ、お互いに聞きたいことは山程あるだろうけど……」 まず、何故引っ越したのか問い詰めたかったが、先に逃げ出すのが先だ。 敵の人数すら分からないのに彷徨くのは流石に拙い。金の行方は後で聞けば良いとディミトリは考えたのだ。「?」「とりあえず、逃げ出そうか?」 ディミトリが先に歩き、アオイは彼の後ろを付いて行った。「どうやって逃げるの?」「この船の傍にゴムボートを繋いである」「え?」「舷門(
Last Updated: 2025-03-08
Chapter: 第057-0話 自戒の念モロモフ号。 ディミトリは船の後方にボートを付けた。係留ロープを結びつける場所がないので、ロープの先に磁石を付けて船に貼り付けた。 これでボートは行方不明にならないはずだ。 それから、吸盤を取り出し船を登り始めた。 まず、右手側を貼り付けて、それを手がかりに左手側を上に貼り付ける。右手側を緩めて左手を手がかりにして上に貼り付ける。 そうやって、交互に貼り付ける事によってよじ登っていくのだ。手の力だけなので結構しんどいものがある。 それでも、何とか登りきって船の舷側から甲板に降り立った。 ディミトリは懐から拳銃を取り出した。警戒したままで、ゆっくりと歩きながら入り口に向かう。 ここで、見つかれば道に迷ったなどと言い訳が効かないからだ。 出発前に見かけた船の見張りは反対側にいるのか見当たらなかった。つまり、常時警戒しているのは一人ということだろう。 最低でも二人は見張りに付くものだと思っていただけに拍子抜けした。 船の中に素早く入ったディミトリは奥に進んでいく。遠くの方で話し声が聞こえるだけで、後は何かの振動音がするだけだ。 今の所、船が侵入されたなどと誰も気付いていないようだ。手短に船内を見て回るつもりだった。 人の声がしていたのは食堂と思われる部屋だ。灯りが点いているので何人かいるらしかった。 ディミトリが入り口の傍によると、中からロシア語の会話が聞こえてきた。『日本のカイジョウホアンチョウの検査は終わったんだろ?』『ああ、連中は気が付かなかったぜ』『じゃあ、さっさと荷物を受け渡してしまおうぜ』『連中に悟られ無いで助かったな……』『ああ、まさかブツを船底に貼り付けて運んでるとは思わないもんさ』(ふん、ソコビキって取引のやり方か……) ロシアの留置場に入れられた時に、隣の房に居た薬の売人に運搬方法を聞いたことがある。その一つに『ソコビキ』と言うやり方にそっくりだった。方法は簡単で薬なり銃器なりを防水箱に入れ、船の底に溶接してしまうのだ。見た目はスタビライザーに見えてしまうので誤魔化しやすいそうだ。(くそっ、ひょっとして違う船だったのか?) 彼らが話していたのは違法薬物か何かの取引らしい会話だった。興味が無いので他の部屋を探しに行こうとした。『ところで例の女はどうしてるんだ?』 中に居る一人が話し始めた。ディミトリ
Last Updated: 2025-03-07
Chapter: 第056-0話 モロモフ号アカリの車。 サプレッサーを作り終えたディミトリはアカリに向かえに来てもらった。 これからアオイが閉じ込められている船を調べる為だ。車を走らせながらアカリに色々と聞き出しす。「どこの港に連れて行かれるか聞いた?」「いいえ」 車に強制的に乗せられて、直ぐにディミトリが追いかけたので詳しい話は出来なかったそうだ。 ただ、彼らがアオイと確保している事と、中学生の男の子を誘い出して欲しいとだけ言われたようだ。 彼らは只の使い走りのようで、若松忠恭の顔を知らなかったのは幸いだった。「じゃあ、車の中の様子で覚えていること無いかな?」「そう言えば、カーナビに臨海港って表示されていた」 メールか何かでアカリの居場所を教えられて、彼らはカーナビ頼りに走っていたのだろうと考えた。「ん? そう言えば奴らはアカリさんの顔を知ってたんだよね?」「ええ、スマートフォンに私の画像が有りました……」 見せられたのは、自分の画像とアオイの画像だったそうだ。「しかし、臨海港って言っても大きいよなあ……」 ディミトリたちは船であるとしか知らない。他には、相手がロシア系であるぐらいだ。「入港したばかりみたいな話をしてた」「ふむ、日付で検索してみれば良いか……」 ディミトリは携帯で船の入港情報を探り始めた。何か、手がかりが欲しかったのだ。「これかな…… 名前がそれっぽい……」 ディミトリが指差す先には『ナホトカ・モロモフ』とあった。とりあえずは見に行って見ることにした。 本来なら一週間ぐらいは観察をして、人数ぐらいは把握したかったが時間が無い。 アオイが人質にされているせいだ。「キプロス船籍で石炭運搬船とあるな……」 ディミトリは画面を見ながらブツブツ言っている。他にも船はあったが全体的に小さめの船ばかりだ。 きっと、外洋を渡るので大きい船だろう。「とりあえずはコイツに忍び込むか……」 ダメ元で乗り込むつもりだった。「ちょっと、寄り道してもらっても良いなかな?」「良いけど、何するの?」「ちょっと、お買い物……」 まず、釣具店に行きゴムボートを購入した。長さが二メートル程度で二人乗り。手漕ぎだが大した距離を漕ぐ訳では無いので平気だ。 目的の船にはロシア系の連中がいる。そして、彼らはディミトリが訪問するのも知っている。 大人しく入れてくれる訳が
Last Updated: 2025-03-06
Chapter: 第055-0話 お互いの立ち場自宅。 ショッピングセンターで乗り換えた車でアカリの車を取りに行った。いつまでも乗ってる訳にいかないからだ。 場所はアカリが誘拐されかかった場所だった。時間貸しの駐車場に停めていたようだ。「なんで、あそこに居たの?」 道中、ディミトリは気になっていた事を聞いてみた。「ん? 留学の下準備に行ったのよ」 ディミトリが見張っていた雑居ビルには、留学のコーディネーターが居るのだそうだ。 今日は打ち合わせに訪れていたらしい。「ふーん…… ところで、お姉さんはどこに引っ越したの?」「え……」 アカリは言葉を言い淀んだ。その様子から口止めされているのだろうと推測出来た。「ああ、言いたく無いのなら無理に言わなくて良いよ」 ここは無理する場面では無いと思い言い繕った。変に疑念を持たれて逃げ出されては金が手に入らなくなってしまう。 ディミトリは慎重に話を運ぶことにしていたのだ。「ゴメンナサイ……」「まあ、俺が君の立ち場だったら、こんな危ない奴と付き合うのはゴメンさ」 ディミトリは笑いながら答えた。アカリは俯いてしまっている。「駅前に漫画喫茶あるから、そこで待っていてくれる?」「はい」「ちょっと、家に用があるんだ。 それが済んだらお姉さんを助けに行こう……」「分かった」 アカリはディミトリを家に送った。降り際にディミトリは自分の携帯を渡した。アカリが使っている携帯は監視されている可能性が高いからだ。そして、そのまま漫画喫茶に向かっていった。 ディミトリにはどうしても自宅でやらなければならない作業がある。サプレッサー事だ。壊れたままでは拙い。 アオイを救出する際にはサプレッサーが必要になるのは目に見えている。その為にサプレッサーを作成しなおす必要だあるのだ。 自宅に帰ったディミトリは早速3Dプリンターでサプレッサーを作り始めた。 中身の構造を練り直す暇が無いので、複数個持っていく事にしたのだった。 今回持っていったサプレッサーを分解してみると案の定中で割れていた。やはり熱でやられるのは変わらないようだ。 それでも金属のケースには歪みは無かった。(サプレッサーが長持ちしなかったのは、蓋の構造が駄目だったんだろうな……) 銃弾を通すために穴に防音効果を高めるための硬質ゴムで蓋をしてある。ドアの様に銃弾が通過した後に塞がるようにしてある
Last Updated: 2025-03-05