大学生の月野美良(つきのみら)は卒業論文作成の為に北関東の村に取材に行った それから美良の身辺に異変が起きる様になり、遂には失踪してしまう 美良の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)と共に妹の月野姫星(つきのきら)が村に捜索に出かける そこで、村の神社仏閣に押し入った泥棒が怪死した事を知る 美良が訪ね歩いた足跡を辿りながら、村で次々と起こる異変の謎を二人が解いていくミステリー・ホラーです
View More遠鳴市遠鳴警察署。 霧湧村で逮捕された泥棒は、隣街の遠鳴警察署で取り調べを受けていた。村にある駐在所には、犯人を留置する施設が無い。もちろん取調室などもないからだ。そこで、検事へ送致するような犯罪を犯した者は、遠鳴市の警察署が一手に引き受けている。この泥棒もその一人だった。 担当刑事が取り調べで話を聞こうとするが、肝心なところになると日本語が判らない振りをする。まことにタチの悪い泥棒だった。そこで、大きな街から通訳を呼んでくることになっているのだが、到着するまで時間がかかる。 そこで雑談で泥棒の気心を掴もうとしていた。ところが泥棒は気もそぞろで、落ち着きが無く目線も泳いでいた。何やら様子がおかしいのに、気が付いた刑事は尋ねてみた。「どうした? 随分と落ち着かないな?」 泥棒は黙っている。しかし、時々後ろを振り返ったりしている。何かに怯えているようだった。「…… なあ、さっきから俺の後ろを通っているのは誰なんだ?」 泥棒はとんちんかんな事を言い出した。基本的に取調室には刑事と被疑者の泥棒しかいない。無関係な人物が入り込むことなど有り得ない。「…………」 刑事は薬物中毒を疑って泥棒を改めて見つめた。汗を掻いている風も無い、呼吸が乱れている訳でも無い、視線が落ち着かないのは、逮捕拘束した奴にありがちな事なので良しとする。薬物中毒を疑ったがそうでは無いようだ。「お前の後ろにあるのは窓だ。 防弾の奴だから誰も通れやしないよ」 取調室を誰かが通り抜けるなど有り得ない。入り口のドアは刑事の後ろに一つあるだけだし、窓は嵌め殺しの曇りガラスだ。覗き込むことすら出来ない。「で? どうしてお前は警ら中の警官に自首したんだ?」 しかし、泥棒は再び黙り込んでしまった。自首して置いてダンマリを決め込むのは、この手の泥棒に良くある手口だ。自分が時間を稼いでる間に、盗品を持った仲間を逃がすのだ。こうすると証拠不十分となり、立件を諦めさせて釈放させる。それを狙うやり方だ。(今回も時間が掛かりそうだな……) 刑事はため息を付いた。 その警察署の留置場では、若い警官とベテランの警官と、二人体制で留置場に居る被疑者を見張っていた。別に取り調べとかをする訳では無く、被疑者が送検されて拘置所に行くまでの間、見張っているのが仕事だ。 刑事たちの厳しい取り調べを終えた金田は留置
「人間は不安を感じたときに、自分が見えてたものを、自分の恐怖の記憶に置き換えるのさ。 その幻覚を勝手に解釈して霊現象だとしたがるんだ」 雅史は姫星の手を引いて本堂を出ようとしている。今はアプリのおかげで抑えているが、根本的に解決している訳では無いからだ。「…… じゃあ、幽霊なんかいないの?」 姫星は尋ねた。心霊体験をしたという友人を何人も知っているし、自分でも見た……と、思っているからだ。「そういう訳ではないよ。 本人が見たというのなら、きっとそうなんだろうと思うよ? でもね、確証の無い話を、むやみ信じては駄目だということだ」 雅史は合理的に考える人間だが、他人の信仰まで否定するつもりも小馬鹿にするつもりも無い。 自分に影響が無ければ、勝手にすれば良い考えているタイプだ。だが、他人に自分の信仰を強要する奴は大嫌いだった。「今は防止されているんで見えなくなったのさ」 雅史は姫星に説明しながら周りを見渡した。何も異常が無いが姫星をここに留めておくのは、危険なのかもしれないと思い始めたのだ。そして残念なことに、ここでも美良の痕跡は無かった。「さあ、寺から移動しよう。どうやらここいら一体に妙な音が出ているようなんだ」 雅史は姫星の手を取り先を促した。本堂から出ても若干の異常周波数が計測できている。だが、雅史は根本的な疑問があった。「しかし…… どうして、こんな高周波や低周波が発生しているんだ?」 雅史と姫星は本堂を出て来た。雅史は手元のタブレットのアプリを見てみた。するとさっきまでメーターを振り切る勢いだった、レベルメーターが平常値に戻っていた。本堂の中だけで謎の周波が発生していたらしいのだ。 原因を探るのに興味を惹かれたが、今は姫星の安全と美良の移動した痕跡の確認が優先した。「ほぉ、謎の異常音ですか……」「恐らく低周波音にやられたんだ。 この村には通常では有り得ない特殊な音が発生しているらしい。 なんだか、異常な高周波音と低周波音に包まれている感じだ」 雅史はタブレットを見ながら言った。「低周波音の影響を受けた脳が、幽霊を創り出していたんだよ」 力丸爺さんは話の途中から付いて行けなくなったが、どうやら姫星は大丈夫だとわかると、手に構えていた杖を元に戻した。「そこでアプリを使って逆送波を送り出して打ち消すようにしたのさ」 手にしたタ
宝来雅史と月野姫星の二人は、伊藤力丸爺さんに連れられて、月野美良が立ち寄ったとされる廃寺の毛巽寺へやってきた。 霧湧神社で見せた姫星の体調も気になるが、取り敢えず現地を確認しておく事にしたのだ。一度でも見ておけば考える際のヒントになると思うからだった。 何しろここまでの所、何も収穫が無い。折角、遠路はるばるやってきたのに、このまま手ぶらでは帰れないのだ。美良の母親への言い訳にも困ってしまう。 霧湧神社から伸びる細い路地を南に進み、更に蛇行した林道を進むと、鬱蒼と茂る草木に囲まれて毛巽寺はあった。毛劉寺のような門は無く、そこは古びた平屋建ての一軒家風で、ひっそりと言った趣で佇んでいた。そうは言っても近所の者が庭や境内を交代で掃除しているので荒れ果てた印象は無い。 そして、ここにも泥棒を警戒してなのか、新しい防犯カメラが設えてあった。「今は廃校になってしまったんじゃが、村の小学校が出来る昭和の初め頃までは、ここが学校代わりじゃったんだ」 力丸爺さんはここの卒業生だそうだ。雅史はそんな説明を聞きながら建物の外に居て写真を撮っていた。「バイパスが出来てからは、子供たちは村のバスで、隣町の小学校に通うようになってしまってのう……」 姫星は一人で本堂の中に入っていった。中に入るとそこは床板だけがあり、かつて仏像が設置されていた場所も、柵で囲われた板の間だけだった。見事に何も無い。何か手がかりになるようなものは無いかと部屋の中を見回していると、ぞわりと外とは違う空気の冷たさ感じた気がした。「え? また?!」 その時、姫星は何かが近づいて来る気配に気が付いた。何だろうと思って室内を見回しても何も無い。開け放たれている窓から外を見ると黒い足跡だけが、寺の境内を横切って本堂に向かって来ているのが見えた。ヒタッヒタッと音がする気がする。 やがて足跡は窓の下付近までやってきた。ガチャッと鍵が開く音がして、続いてぎぃーーーっと、木戸が開く音が聞こえ始める。しかし、姫星の周りには木戸などどこにも無い。自分から見える本堂には、襖と障子と木の床板だ。窓の方からはペタッペタッと足音がゆっくりと近づいてくる音がするのだ。 部屋の温度が更に下がったように感じた。間違いない何かが本堂に侵入して姫星に向かってきている。姫星の額から汗が一滴流れた。 姫星は目を凝らして正体を探っ
「きゃっ!」 姫星の目の前に虫が飛んで来た。大きさは二センチ位の黄金色をした虫だ。それを姫星は右手で思わず払いのけてしまった。(ご、ゴキブリ?!) 一瞬であろうと姫星にはそう見えていた。しかし、払いのけたと思った虫は、姫星の右手に引っ付いたままで、ブンブンと手を降っても離れなかった。「ちょ、 何これっ?」 それどころか姫星が見ている目の前で、右手に同化し始めた。最初は手足の部分が手の皮膚に溶けて、次に胴体が溶け始めた所で姫星が悲鳴を上げた。「ちょっと取って! 取って! この虫、取ってよぉーーーーー」 姫星は手を振り回してベソを掻き始めた。「え! えっ?! 何も付いていないよ?」 だが、雅史の目には何も見えておらず、力丸爺さんに至ってはオロオロするばかりだ。「手に付いてる! 手に付いてるっ!」 姫星が左手で右手をパシパシと叩き始めた。「取り敢えず、外に出よう!」 このままでは混乱するばかりだと、雅史は泣きべそを掻いてる姫星を抱える様にして、本堂の外に連れ出した。そして、明るい日差しの下で、改めて姫星のメイド服に、虫が付いてないか見てみたが何もいない。「ねぇ、姫星ちゃん…… 虫なんかいないよ?」 それを聞いた姫星は自分の手を見てみると虫は居なくなっていた。手を振って見たが何とも無い。「あれ?」 自分のメイド服をパタパタとしてみたが、虫はおろか何も落ちてなど来ない。「…… ? ……」 姫星は首を傾げてしまった。確かにゴキブリに似ている黄金色をした虫だったはずだ。「疲れが出てるのかもしれないね…… 一旦、休憩しに山形さんの家に行こうか?」 そんな様子を見ていた雅史は、姫星の体調が悪くなり始めているのでは無いかと、心配になって来ていた。「また、熱中症になりかかっておるかも知れんからのぉ、休んだ方がええじゃろ……」 力丸爺さんが心配そうに姫星を覗き込みながら言った。「ううん、大丈夫。 宝来兄さん…… 次のお寺に行きましょう」 姫星は腑に落ちない様子だったが、先を急ぐ事にしたのだ。何しろ昨日・今日と探索をしているのに、美良の行方を探す手掛かりが何も見つかっていない。「でも……」 雅史は心配顔で言いかけた。「大丈夫だってばっ!」 狼狽えた自分が恥ずかしかったのか、姫星は顔を赤らめて先に歩いて行ってしまった。 雅史は何がな
霧湧神社。 昔話を聞いていた姫星は、怯えているが崇めてもいる。村人たちの神様への畏怖を込めた祭りなのだと思った。「そして、降臨してくださった神様を、昔の人はウテマガミ様と呼んでいたそうじゃ」 力丸爺さんによると、神様が山から下りて来ると信じられていた時代に、修験道者が神卸の儀式のやり方を伝え、村は豊穣に恵まれる様になったと聞いていると話した。「そのウテマガミ様を奉納していたのが、霧湧神社だったんですね」 感心したように雅史がうなづいた。 そんな事を話している内に、三人は霧湧神社に到着した。本殿は平屋の一階建で、泥棒たちに荒らされた為なのか、雑然とした印象を受けた。忍び込むために扉は壊されており、窓に至っては中から外されて外に転がっていた。「あっこに監視カメラとやらを付けたそうじゃ」 力丸爺さんが指差した方に、真新しい監視カメラが付けられている。本殿の扉の上あたりだ。姫星は監視カメラに手を振って見た。『はーい、見えてますよー 姫星さん』 笑い声を堪えているような、山形誠の声が聞こえて聞こえて来た。「にゃっ!」 姫星はビックリしたらしく、その場でピョンと跳ねている。(しっぽがあったら膨らんでそうな位にビックリしてるな……) 雅史はクスリと笑って監視カメラに手を振っている。誠が用があると言っていたのはこれだったのかとも思った。恐らく役場の人間が当番制でカメラの前に座って居るのであろう。『泥棒が入っても誰かが駆けつけるまでに、時間が掛かり過ぎるんで、盗みをする前に声をかけて、退散させる事にしたんですよ』 泥棒をするような人種は、監視カメラで記録されるのを嫌う習性がある。それを利用する為に監視カメラにスピーカーを付加させているらしい。『それでは後程お会いしましょう。 失礼します ―ブチッ―』 スイッチを切る音が聞こえて監視カメラが沈黙した。確かに手軽に出来る防犯方法だなと雅史は思った。 本殿の中に入ると、そこはガランとしていて、一番奥には壊された祭壇があった。祭壇の扉は無理矢理こじ開けられた為、蝶番が外れて斜めになっていた。もちろん祭壇の中は何も無くぽっかりと空間が出来ているだけだ。「結局、御神体は見つかっていないのですか?」 雅史は祭壇の中を見ながら力丸爺さんに尋ねた。「御神体の石は見つかってはおらんかったんじゃ、催事に使う
山形誠の自宅。 朝だ。昨日の夕方に月野姫星の母親が、娘を迎えに来てくれる予定だった。だが、月野恭三がぎっくり腰で入院したため、迎えに来られないとの連絡があった。「分りました、先生にはお大事にとお伝えください…… はい…… ええ、姫星さんはいつもの通りです」 そんな挨拶を姫星の母親と電話口で交わしていると姫星がやってきた。「おっはよー」 姫星は昨日、ショッピングセンターで購入した服を着ていた。「おっはよー…… って、何その服?」 宝来雅史は起きて来た月野姫星の格好を見て目を丸くしている。 頭にヒラヒラの付いたカチューシャ。スクエアネックの黒ワンピースに付け襟とカフス。付け襟とカチューシャには水色の可愛いリボンを付けている。身に着けているエプロンは小振りで腰で結ぶタイプだ。「うん、可愛い…… じゃなくて、何でその服?」 思わず本音が出てしまった雅氏であった。「へ? メイド服だけど??」 姫星は雅史の目の前でクルリと回って見せる。スカートの裾がふわりと舞った。「いやいやいやいやいや、それは見てわかる。 しかし、何故にそのチョイスなんだ?」 確か府前市から車に潜り込んだ時には、黒を基調にしたゴスロリ服だった。今着ているのはメイド服。大して違いがないように思えたからだ。「ん? おねぇから宝来さんはヒラヒラ系の服が好きだと聞いてますが…… 何か?」 スカートの腰の部分をつまんでお辞儀して見せた。確かにヒラヒラ系の服は好きだが、この村の風景にそぐわないような気がしたからだ。それに目立ってしまう。「いえ、なんでも無いです……」 雅史は他にどんな事を伝えられているのだろうかと考え込んでしまった。「……」 どうやら雅史に気にられたと思った姫星はニコニコしていた。 姫星は未明の不審者の事は内緒にして置くことにした。雅史の性格上、姫星に危険が及びそうなら、中止して引き上げると言い出しかねないからだ。それでは肝心な月野美良の手掛かりが掴めない。 雅史は伊藤力丸爺さんに頼んで霧湧神社に付いて来てもらった。山形誠は役所の仕事があるので案内を頼めなかったのだ。 力丸爺さんは姫星の格好を見て『ほぉ、ほぉ、ほんにメンコイのぉ』と顔を綻ばせている。ほっとくと懐から小遣いを出しそうな勢いだ。 雅史は神社に向かう道中に霧湧神社に纏わる話を力丸爺さんに聞いた
山形誠の自宅。 その日の夜中。午前二時くらいだろうか。姫星はなんとなく目が覚めてしまった。 姫星は生来寝付きが良い方で一度寝てしまうと朝まで目が覚めることは無い。毎朝、姫星ママは姫星を起こすのに苦労しているくらいだ。 室内には月明かりがカーテンを通して漏れて来ている。屋内には物音一つしない。全員、眠っているのであろう。 壁時計の秒針が刻む音が僅かに聞こえているような気がしていた。「?」 別段トイレに行きたいわけでは無い。喉が乾いているわけでも無かった。「……」 誰かがスマートフォンにメッセージを寄越したのかと、端末を覗き込んでみたけどそんな事は無かったようだ。 何故か目が覚めたのだ。「ふー……」 少し溜息を付き、もう一度寝なおそうと布団を被りかけた。 その時。ジャッ…… ジャッ…… 窓の外からの聞こえて来る物音に気が付いた。それは砂利をゆっくりと踏む音だ。 誠の家の庭には、防犯用に敷き詰められている玉石がある。それが踏まれる音なのだろうと推測した。「…………」 姫星は目が覚めた理由が解った気がした。この不審な音に呼び覚まされたのだ。 それは、窓の外を誰かが歩き回っている気配だったのだ。(どうしよ……) 不審者が自分の部屋の外をうろついている。その事実に気がついた姫星は蒲団の中で固まってしまっていた。 いくら、活発だと言っても所詮は女の子だ。当然、不審者と体重計は恐い。(宝来さんは隣の部屋だし……) 宝来は遅くまで何かの資料を読んでいる音が聞こえていた。恐らく、今頃は夢の中に居るに違いない。 姫星は布団の隙間から部屋にある唯一の窓の方を見た。窓には薄緑色のカーテンが懸かっているはずだ。そのカーテン越しに人影が動いているのが見えていた。(どうする…… どうする……) 村に来てから常に誰かに見られている気配を感じていた。窓の外を移動する気配。不審者はカーテンの隙間が空いている事に気がついたらしく近づいていくのが見えた。不審者はカーテンにある細い隙間から中を覗こうとしているようだ。 姫星は手元にあった化粧ポーチを手に持って布団をそっと抜け出した。そのまま、忍び足でカーテンの脇にある壁に張り付いた。「……」 そして、ポーチの中を弄って携帯電話を取り出した…… はずだったが手にしたのは手鏡だった。(あっ、スベッターを
「いえ、足場も何もない木ですよ? 十メートル以上の高さで吊るされていたんです。 それに……」 日村は現場を知っているし、死体を降ろすのを手伝ったりもしていたのだ。「それに?」 雅史は言い澱んだ日村に先を促す。「全身の皮膚が剥がされていたんです」 日村の一言で聞いていた一同は黙りこくってしまった。「まさか、美良が殺したとか?」 突然、雅史が突拍子も無いことを言い出した。「いや、それは無いですわ。 十メートル以上の高さに吊るされていたんですよ。 女の子の力では無理ですわ」 日村が首を振って否定した。雅史は自分でもそう思っている。僅かな可能性でも潰しておくのが、人探しのセオリーだと聞いていたので、あえて質問したのだ。 日村の話では死んだ尾栗の死体を検視した結果、盗みをした当日に死んでいたのだという。そして、信じられないことに尾栗は生きたまま皮をはがされているらしい。検死した結果には、生活反応が有ったのだそうだ。「一番の分からないのは…… 吊るされていた尾栗が微笑みながら死んでいた事なんですよ」 警察の話では自殺の線で落ち着くのではないかとも言っていた。死体の表情が不可解でも他に考えようが無いのだそうだ。「え? それでも殺した犯人がいるんでしょう?」 雅史が驚いて尋ね返した。木にぶら下がっていただけなら自殺の線もあるが、全身の皮が剥がされているのなら話は別のはずだ。しかし、警察はそこまで踏み込んで捜査はしないらしい。「相手が人間ならねぇ…… 普通の人間にあれは無理でしょ、真実が常に正しいとは限らないんですよ」 日村は事も無げに答える。この村は神様との距離が近いのかもしれないなと雅史は思った。「じゃあ、泥棒一味は姉とは面識は無いんですよね?」 泥棒一味の話の顛末を聞いた月野姫星は日村に尋ねた。「日付も違うし出会う機会が無いと思いますよ」 日村は姫星に答えた。「木下に連れ去られたという可能性は無いですか?」 姫星が一番気になる点を聞いてみた。村に来た時に偶然出会う可能性もあるからだ。「それも無いと思います。 あんな不可解な目に逢ってるのに、いつまでも山の中を逃げ回るとは思えないので……」 恐らく神社に向かうふりをして脇道に入って、金田の目を逃れたのではないかと警察は推測しているらしかった。それに美良は一度自宅に戻っている。泥棒の
「お、おまえ………… 鍵、取りに行って来いよ」 仲間を迎えに行けでは無く、鍵を取りに行けという辺りに、金田のクズっぷりを物語っている。仲間の心配などは頭の片隅にも無いらしい。「え? 嫌ですよ。 金田さんが行って下さいよ」 木下は渋面を作って金田に抗議をした。木下も怖いものは嫌なのだ。「俺はあんな訳わからんもんに関わり合いたくねぇんだよ」「俺だって嫌ですよ」 木下は心底嫌がっていた。訳の分からないモノに関わりを持ちたくないのは誰でも一緒だ。何より、独りっきりになるのが怖かったのだ。こんな金田でも居ないよりはマシだったのだ。「うるせぇ、行けって言ってるだろうが……」 金田は拳を握って木下に見せた。言う事を効かないと殴るぞの意味であろう事は判る。(一緒に行ってくれれば良いのに……) 木下はそんな事をブツブツと言いながら渋々山道を戻っていく。途中、何度も振り返って金田が来るのを待つ素振りを見せるが、その度に手で追い払われて、木下は緩い山道を登って行った。 だが、木下は十分経っても三十分経っても戻ってこなかった。 霧湧村村長の話。 村長の日村幸一は話し終えると温くなった麦茶を飲んだ。 泥棒の頭目金田は、いつまで経っても木下が戻ってこないので、動かない車を捨てて徒歩で逃げだした。そして、逃げている最中に駐在所の警察官に発見され、不審尋問されるとあっさりと白状して捕まったらしい。 自供した内容では逃げた仲間がいるとの事なので、警察と村の自警団で山の中を捜索したが、木下の行方は分からなかったらしいのだ。きっと山伝いに逃げ出したのかもしれないので、念の為に手配をかけているそうだ。「話の時系列から考えますと、美良が来た時には木下以外とは出会いの可能性が無さそうですね」 宝来雅史は月野美良の行方不明の原因が、泥棒一味との関係が薄そうだと思い始めていた。「はい、月野さんのお姉さまがいらした時には金田は捕まっていましたし、木下は行方不明のまま、尾栗に至っては死んでおりました」 日村はそう答えた。月野姫星は考え込んでしまった。泥棒の自供した内容が突拍子も無いことであるが、それと姉の行方不明が関係するのが分からなかったからだ。「尾栗が死んでいた?」 意外な結末に驚いた雅史が尋ねた。「はい、高い木に逆さまにされた状態で吊るされておりました……」 日村
府前市。 月野美良(つきの・みら)は、ずっと片頭痛に悩まされていた。 頭の奥底から荒々しく神経を引き吊り出されて来るような頭痛だ。良く判らないが他に形容の仕様が無い。片頭痛の痛みは、一般的な外傷と違って、当事者でなければ理解出来ないモノだ。 それでも片頭痛とは高校時代からの付き合いなので、今はある程度は対処が出来るようにはなっている。痛みが始まる前に鎮痛剤を飲んで大人しくしているという、実に消極的な方法だった。 それならば、鎮痛剤を常時飲んで居れば、良いのではないかと思われる。それも不味い。鎮痛剤に慣れてしまい効かなくなってしまうのだ。それに鎮痛剤頭痛という病気もある。脳が鎮痛剤を服用させるために頭痛を起こすのだ。 原因はストレスと言われているが、片頭痛に画期的な治療法は今の所見つかっていない。 そんな美良は府前大学文学部の四回生。今年は卒業論文を提出しなければ卒業が出来ない。片頭痛も痛いが、これも別の意味で頭の痛い問題だ。 そこで美良は卒業論文のテーマに『失われつつある農村の風習』にしようかと考えていた。 美良の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)は同じ大学の講師をしている。彼の研究テーマは『民俗学』である事から、色々と助言を期待して卒論のテーマに選んだのだ。 もちろん、雅史も賛成して全面的に協力を申し出てくれている。 地方の農村などに伝わる祭りなどを、昔からの風習や因習に結び付ける。それを、卒業論文にしようという、良く見かける在り来たりな論文だ。 それでも論文とするためには、ある程度の下調べは必要なので雅史に相談してみた処。『五穀の器』をメインのテーマにしてはどうかと言われた。『五穀の器』とは東北地方に伝わる風習で、五穀豊穣を願って盃に酒を満たしてお祈りをする物らしい。 雅史が研究の対象としている民間信仰の対象物の一つだ。「インターネットを使って情報を集めてみて、後は現地に取材に行って論文の形式にまとめれば楽勝だよ」 雅史は事も無げに言っていた。普段から彼が行っている活動の仕方だからだ。「そ・れ・に……現地取材に行く時には一緒に行くからさ」 どうやら雅史は一緒に旅行に行くという点に関心があるらしい。普段なら年頃の娘を思って門限にうるさい父親も、かつての教え子であり、婚約者でもある雅史が一緒なら簡単にOKしてくれるだろう。「でも...
Comments