漆黒を貫く冷たい眼孔、闇を誘うかのように揺れる長く黒い髪 唇に薄く引く紅は男の為では無く、死神に捧げる祝詞を唱える為だ 彼女の名前は「QUCA」 死の匂いを黒い外套で包み、短めのスカートを覘かせる彼女を人々は『死神の娘』と恐れ畏怖した そんな彼女は幼い頃に両親と行った外国で孤児になり、某国の研究機関に拾われて暗殺者として育てられた 任務先で研究機関を裏切り、監視チームを殲滅したのちに脱走する 国際テロリストとして指名手配された彼女が何故か日本に現れた 彼女を捕まえるべく奮闘するのは、家族を事故で失い天涯孤独となった中年の刑事 そんな二人のお話です。ハッピーエンドではありません
Узнайте больше夜中過ぎに雨が降って来た。その雨音でクーカは目を覚ましてしまった。(え? ここは何処だっけ………) そこまで考えた時に先島の部屋に来ていたのを思い出した。(しまった……) 目が覚めたクーカは素早く周りを見渡した。傍には誰も居ない。自分は一人でソファーで寝ていた所だった。 先島の方を見ると椅子にもたれ掛かったまま寝ている。傍には空の酒瓶が見える。酩酊したまま寝てしまったのを思い出した。 安心したクーカは雨を見詰めていた。(あの時も雨が降っていたな……) 幼い日。両親がいきなりクーカを起こしグズル自分を建物の外に追い出した。 訳も分からずにドアに縋ったが、室内からいきなり男の怒鳴り声と父親の怒鳴り声が聞こえ始めた。 怯えた彼女はゴミ箱の中に隠れてやり過ごした。しばらくするとぐったりとした両親が抱えられるように、車に運び込まれて行くのを見ていた。 やがて、雨が降って来てビニールシートの切れ端に包まりながら、小声で母の名を呼び続けていたのを覚えている。 翌日から見知らぬ異国での過酷な日々が始まった。面倒を見てくれる人も無く、ゴミ箱から腐った残飯を漁る日々。夜中に星の数を数えながら過ごした日々。言葉が分からず大人たちから怒鳴られ怯える日々。 餓えで死にそうになりフラフラしていたら、見知らぬ女に捕まって施設に放り込まれた。周りには似たような子供ばかりの所だった。 辛い事ばかりだったが、食料と粗末ながらも毛布があったのが有難かった。 愛想を振りまいても冷たくあしらわれるだけなので、何時しか表情が消えていったのもその頃だったと思う。 訓練は辛かったが雨に濡れないのだけは良かった。 優秀な成績を収める事が出来たクーカは、専門の軍事訓練所に入れられる事になった。良く分からない注射を受け続け、何年かすると戦場へと連れまわされるようになっていった。 初めて射撃した相手は少年兵だ。スコープの中に映った少年の目と視線が合ったような気がした。しかし、次の瞬間には彼の頭部の半分は吹き飛んでいった。 その時は何の感情も沸かなかった。そして、今も何も感じる事は無い。(何も無い…… 何も無い…… 私には何も無いんだ……) クーカは生まれた時から何も持ち合わせていなかったのだ。悔しいのは自分でもその事が分かっている事だった。(貴方は何を信じて毎日闘っているの
「それは妻と娘だ……」 クーカは先島をちらりと伺った。「そういえば交通事故で死んだって言ってたわね……」 以前に先島の部屋に着た時に言われたことを思い出した。「ああ……」 先島の口から素っ気ない返事が返って来た。「俺の誕生祝をしようとケーキを買いに行ったんだそうだ」 先島は直接は知らなかった。後で警察で事故の詳細を言われたのだ。「ところが、携帯電話に気を取られたトラックに正面衝突されて…… それでお終いだ……」 先島は台所に行って酒とグラスを持って来た。「そう……」 クーカは大人しく話を聞いていた。「当時の俺は事件の張り込みをしていて、連絡が取れたのは翌々日だった」 写真を見ながら先島は当時を思い出すように話す。「妻のご両親には散々恨み言を言われたよ」 勿論、両親は先島の職業は知っている。知っているだけに怒りの持っていきようが無い感じだ。『君の仕事の事は理解しているつもりだ。 だが、家族を犠牲にしてまで、何を守っているというんだね?』 泣く事も出来ず唖然とする先島に妻の父親が尋ねて来た。先島は何も言い返せないでいた。「…… 何気ない一日の終わりに、お前の家族は居なくなりました…… そんな事を急に言われてもな……」 先島は手にしていたグラスに酒を注ぎ入れている。「俺には理解できなかった」 酒の力を借りないと眠れない日々が始まりだった。「そのトラックの運転手には逢ったの?」 クーカが尋ねた。「ああ、相手の住んで居るマンションに訊ねて行った」 最初の一口を飲み込んだ。「最初は気が付かなかったけど、俺の風貌を見て誰なのか分かったみたいだった」 先島は寝る時以外に酒は飲まない。実は苦手だったのだ。「そのまんまマンションの廊下に土下座して謝りはじめたんだ……」 酒を飲むというより流し込むと言う方が合っている気がするとクーカは思った。「俺は紋切り型の謝罪が聞きたい訳じゃない。 あの日に何があったかを聞きたっかったんだがな……」 謝罪されても被害者は帰って来ない。残された遺族を納得させることが出来るのは真実だけだ。「そしたらさ…… 運転手の幼い息子が部屋から出て来て、両手を広げて俺の前に立ちはだかるんだ……」 先島が両手を広げて見せた。手にしたグラスから酒が零れていった。「パパを虐めるなってね」 自分の家族を奪
先島の自宅。 先島が自宅に帰るとベランダの戸が開いていた。「……」 先島が部屋の中を見回すと、隅にクーカが居た。膝を抱えて座って居る。「ごめんなさい……」 クーカも言い過ぎたと分かっているのだろう。素直に謝って来た。足元を見るとスリッパをちゃんと履いていた。「宮田も済まなかったと言っていた。 許してやってくれ、世の中にはああいうタイプも必要なんだ」 先島は十人居たら十通りの答えが有っても良いと考える方だ。むしろ全員が同じ事を考えていたら、そちらの方が気持ち悪いと感じてしまうたちだ。「もう気にするな…… さて、今夜は何にしようか?」 先島は気持ちを切り替えようと夜のご飯の話を始めた。 誰のせいでも無いのに議論しても無駄だからだ。「お腹空いたーーっ」 クーカが先島の考えを見たかのように返事をした。「ん? ちょっと待ってろ……」 先島は空に近い冷蔵庫から野菜とコロッケを取り出して来た。作るのはコロッケ卵とじだ。「凄いーーっ」 クーカは目を丸くしていた。何も無いに等しい冷蔵庫の中身で先島は料理を作り出したのだ。「ん? どうした?」 出来上がった野菜炒めを皿に盛り付けていた。「ひょっとして料理は苦手なのか?」 そう話しながらフライパンを水洗いをする。料理を作りながら調理器具を片付けるのは常識だ。 しかし、クーカの生い立ちを知っている先島は質問を間違えたと思ってしまった。「したことがありまっせぇーーん」 クーカは人が料理する所まじまじと見たのは初めてだった。クーカのテンションが妙に上がっていた。「しかも、美味しいし!」 先島がよそ見をした隙に野菜を一欠けら口に運んでいた。先島はニコニコしながらコロッケの卵とじを作り始めた。 先島は魔法使いなのかも知れないとクーカは思ったのだった。 料理を食べ終えた二人はデザートのケーキを食べ始める。ひょっとしたらクーカが来るかもしれないと帰りがけに買って来たのだ。「甘いものを食べないと身体が燃料切れ起こしちゃうの……」 クーカが美味しそうに食後のケーキをぱくついていた。確かにクーカの身体能力は群を抜いて凄かった。 代謝機能がずば抜けているので、カロリー消費がもの凄いのだ。だから、カロリーバーなどを常に携帯している。「それで何時も甘い匂いがするのか……」 うっすらと甘い匂いを残し
保安室。 外線が着信し電話が鳴った。「はい、青山三丁目警備保障です……」 電話に出たのは沖川だ。青山三丁目警備保障とは対外的に名乗っている『会社』の名前だ。『謀略大好き公安です』と名乗る訳にはいかないからだ。だが、沖川の顔つきが直ぐに曇り出した。「先島ですか? はい、ちょっとお待ちください……」 しかし、沖川は電話の応対をしている内に首を傾げ始めた。「大光スーパーの警備室からよ?」 保安室の近くに有るスーパーだ。良く昼の弁当を調達するのに全員が使っていた。 焼肉弁当の大盛が先島のお気に入りだ。「はい、替わりました。 先島です…… えっ? 娘がそちらにお邪魔してる?」 先島が怪訝な表情になった。身に覚えが無いからだ。首も捻ってしまっている。「?」 保安室にいた室員全員が先島の会話内容にキョトンとしている。先島が家族を失ってからずっと独身なのは知っているからだ。「ひょっとして隠し子?」 藤井と沖川がきゃあきゃあ言い合っていた。他の人もニヤニヤ笑いが止まらない。真面目を絵に描いたような先島が慌てているからだ。「はあ…… クーカですか…… それは御迷惑をおかけしました。 すぐ迎えに上がります」 先島が電話にそう答えると、室長が口からお茶を拭いてしまった。 先島がクーカを連れて保安室にやって来た。スーパーまで迎えに行ったらしい。 保安室の扉を開けると室長を始めとする全員が整列して待っていた。 室員たちは緊張の面持ちで出迎えている。 何しろ『世界最凶の殺し屋』と呼ばれる『死神の娘』がやって来るのだ。緊張するなと言う方が無理だ。 クーカは逃げ出す事も無く大人しく先島に付いて来た。「えー…… みんなが会いたがっていたクーカさんです」 クーカがぴょこんと頭を下げる。それに釣られて全員が頭を下げた。 そして珍しい生き物を見るかのようにジロジロと見ていた。見た目は普通の少女だ。先島の娘と言われても違和感は無い。 クーカは恥ずかしいのか先島の影に隠れようとした。「大光スーパーで暴漢に襲われて、相手を大根・キャベツ・ゴボウで撃退したようです」 室員たちにクーカを紹介しながら、スーパーでの出来事を説明した。「ええと…… 災難でしたね……」 他に言いようが無かった。全員が呆れたように聞いていたのだ。(襲撃相手が生きていると言うのはビ
「お名前と学校名を教えて貰えるかな?」「……」 クーカは黙ってしまった。クーカは学校に行ったことが無いし、名前を名乗る訳にもいかないのだ。まず、日本に住所など持って無いので、そこから違う問題に発展してしまう。黙秘する以外に方法が無かった。 それより目下の問題はあの女性警察官からどうやって逃げるかだ。「学校で格闘系の部活に入っているとか……」「無いです……」 学校では無く米軍の特殊部隊仕込みなのだが、それも言えないというか信じて貰えないだろう。 クーカは襲われた方なのに、何だか取り調べを受けるのが気してきた。憮然とし始めている。「あの…… 何か特殊な職業に付いた経験があるとか無いですか?」「無いです……」 まさか世界中で指名手配されている殺し屋ですとは言えない。 他に何も言えないので壊れたテープレコーダーのように繰り返すクーカ。そろそろ飽きて来た。 敵に捕まった時に備えての訓練も受けた事が有る。 その時には自分の名前と所属を繰り返して答えろと言われた。尋問官の目を見ずに机の端に視線を向けるのがコツだと教わった。 目を見てはいけないのは反抗的だと取られて尋問が厳しくなるからだ。暖簾に腕押し状態だと相手が折れてしまうのだそうだ。 しかし、これは敵に捕まった状態では無いので、どうやって脱出すれば良いのかが分からかなった。まさか、殲滅する訳にもいくまい、クーカは日常生活に不慣れなのだ。「無いですか…… そうですか……」 警備員はクーカが頑なに協力しないのでため息をついてしまった。「じゃあ、警察の方に被害届を出して貰えませんか?」「いいえ、大した被害は受けていないので出しません……」 結構な暴れ具合だったが被害は無いと言う。確かにクーカが殴られた場面は無い。むしろ襲撃犯の方が肉体的にも精神的にもダメージを受けているはずだ。 第一被害届を出すには住所が居る。これも出せない理由だ。 検索されると密入国している事まで判明してしまう。そろそろ取り調べを止めて欲しかった。「そうですか…… 仕方ありませんね」 警備員は書類に何かを記入してバインダーを閉じた。彼も自分の職務以外には関心が無いようだった。 どうやら、取り調べが終りそうな雰囲気にクーカは内心ほくそ笑んだ。「では、余り過剰な攻撃は止めて下さいね。 過剰防衛になると危険が危ないで
中堅スーパーの警備室。 女子高生が暴漢に襲われたとの通報があったため何人かの警察官がやって来た。しかし、暴漢たちは撃退されて逃げ出している為、警官たちは肩透かしを食らった形だった。 そこで犯人の特徴を捉えようと防犯カメラを見る事にしたのだ。 スーパーの防犯カメラの映像を見た警官たちは絶句した。「……」「……」「……」「何者だよ、この女子高生……」 それは、まるでアクション映画の撮影でもしてるかのようだった。闇雲に逃げているように装って、狭い通路に誘い込み一対一の格闘に持って行っている。 襲撃犯は人数がいるので容易く型が付くと驕っていたのであろう。瞬く間にかずを減らしていった。 そう見えるくらいにクーカは襲撃犯を易々と撃退して行っているのだ。しかも、動きには一切の無駄が無かった。まるで格闘家対素人の試合を見ているようだ。話にならないのは一目瞭然だった。 だが、これでも時間が掛かっている方だった。今までのクーカなら躊躇する事無く襲撃犯たちをあの世に送っている。 今回は武器が無いので仕方なく格闘したのだ。別に格闘戦が苦手な訳では無い。クーカが武器を使うのにはそれなりの訳があった。 クーカは体格が小柄なので体力が無い方だ。体力を猛烈に消耗する格闘戦は持久力に問題があったのだ。後、一分程度に襲撃犯が粘ったら、へたばってしまうのはクーカの方だった。それくらい危うい状態だったのは誰も分からなかった。 男たちは何故か拳銃を出さなかった。目の前で驚異的な強さを見せるクーカに恐れをなして忘れていたのかもしれない。「おぉぉぅぅぅ……」 クーカが襲撃者の一人の股間を蹴り上げた瞬間。室内にいた男性警官たちが呻き声を漏らした。何かに共感したのだ。 男共が何に畏怖したのか、理解できない女性警官はキョトンとしている。「すげぇ、強いな……」「本当に女子高生かよ……」「……俺たちでも敵わないんじゃないか?」 防犯カメラの映像を見ていた全員が口々に絶賛していた。 ナイフとは言え武装した男たちを、野菜で撃退する女子高生に驚愕していたのだった。「取り敢えずは被害届を出してもらっておこうか……」 一番年配の警官がそう言った。 一方、スーパーの警備室では事情聴取が行われている。灰色の壁だけの味気ない部屋だった。「襲われた襲撃犯たちに心当たりはありますか?」
その隙にクーカは小型の玉ねぎをビニール袋に入れて足で踏み潰した。 潰した玉ねぎを入れたビニール袋を両手に持って立ち上がるクーカ。 まず、左側の男目掛けて投げつけた。簡易な薄い袋は直ぐに破け中身は男の顔にかかった。「うがああああっ!」 ぶつけられた男は両手で目を抑えていた。 玉ネギ絞り汁の主成分は硫化アリルで、催涙ガスの元になるぐらいに刺激が強い。これは目潰し代わりになるのだ。 クーカは次に右側の男に袋ごと殴りつける様に叩きつけた。破れた袋から飛び散った玉ネギ汁が男の目を刺激する。クーカはそのまま身体を回転させ、左腕の肘で左側の男の顎を正確に打ち抜いた。「うがっ!」 目が効かない所で、いきなり脳を揺さぶられた男はそのまま膝をついて突っ伏した。気絶したのだ。 クーカは身体の回転を止め、逆に回転して右側奥の男の股間を蹴りぬいた。もちろん渾身の力を込めてだ。「はぅっ!」 男は悲鳴を上げることが出来ない位に悶絶してしまった。「この野郎!」 そう叫びながら後ろからナイフを構えて襲ってきた者もいる。 クーカは手短な所に有った大根でナイフを受け止めた。直ぐに大根を手を放すと刺さったとナイフと共に床に落ちて行く。 アンバランスな荷重のかかり方に相手の手首が追い付けないのだ。 ナイフを落とした男の喉に手刀をお見舞いした。息が出来ない男はゼヒゼヒ言いながら床を転げまわっている。「てめえっ!」 もう一人のナイフはキャベツで受け止める。それを手首の反対方向にねじると相手はナイフを手放してしまった。 クーカは傍に有った長めの牛蒡を鞭の代わりに使った。相手が銃を取り出そうとしたので、手の甲を叩いてから顔を右に左にと殴りまくったのだ。 三撃目で牛蒡が折れてしまったので、足もとに落ちていたカボチャでぶん殴った。これは硬いので効いたようだ。殴られた男がよろけている。 最後は長ネギを構えて男たちを牽制していた。男たちはあまりの展開に唖然としてしまった。「あ? え? えええーーーっ!?」 男たちは狼狽してしまった。相手のあまりの強さにだ。 相手は見た目は普通の愛らしい少女だ。それが、あろうことか野菜で自分たちを撃退するなどとは夢にも思わなかったらしい。「こらっ! 貴様ら何をしているかあーーー!!」 そこにスーパーの警備員たちが駆け付けてくれた。女の子
中型スーパー大光の店内。 今後の対策を練ろうと先島のマンションに行ったのだが留守だった。 実は、先島のコーヒー目当て行ったのだが、自分で炒れるのは味気ないので止めにしたのだ。(それにしても……) クーカが不思議そうな顔で小首を傾げている。(どうしてベランダ側の窓に、スリッパが揃えられていたのかしら……) 猫柄の可愛らしいスリッパだった。先島の奇行には分からない物が有るとクーカは考えた。 もっとも、先島からすれば一向に玄関を覚えないクーカに、スリッパを履かせたかっただけなのだ。(ああ、普通の人は仕事している時間か……) 普通とは違う生活をしているクーカは曜日の観念がすっかり抜けていた。 そこで、先島が帰宅するタイミングを狙って訪問しようかと、彼の『会社』の近くに来たのだ。 このスーパーには片隅にコーヒーコーナーがあるのだ。クーカはそこを利用していた。 店内は夕飯の支度時間には、まだ間があるのか人影は疎らだ。「やあ、クーカちゃんだよね?」 見知らぬ男がクーカに声を掛けて来た。自分の席の前に座ると、前から二人後ろからも三人やって来る気配がしていた。 見た事も無い連中だった。全員が何故かニヤニヤしている。相手を小馬鹿にする時の笑い方だ。(ちっ……) 自分の名前を知っているという事は面倒事が起きるに違いない。先島の勤務先の近所で立ち回りをするのは正直気が引けた。 男四人に取り囲まれてしまったクーカは離脱するタイミングを考えていた。「お兄さんたちさあ、或る人に頼まれて迎えに来たんだよ……」 ヨレヨレのスーツの中身は派手なシャツ。本人は流行りのつもりのようだが、どう足掻いてもチンピラにしか見えなかった。「……」 クーカはそれを無視して席を立った。「まあまあ、お兄さんの話を聞いてよ…… ね?」 先頭に居た男二人がクーカの前に立ちはだかった。そして、腰に差し込んである拳銃をチラ見せしてきた。自分たちは武装してるんだぞ言いたいのは分かった。クーカの事をある程度は知っているらしい。(……トカレフ ……じゃなくて、レッドスター ……装弾数は八発……) 横目でチラリと見たクーカは瞬時に相手の武器を見破った。 レッドスターとは中国がコピー生産したトカレフ拳銃だ。性能は……まあ、弾は出る。(撃鉄も起きてないという事は装弾されていない…
「臓器を移植してやる代わりに帰依して言う事を聴けと、信者を増やしていったじゃないか」 鹿目は大関の動向を部下に見張らせているらしい。元々はそれなりに勢力を誇っていたが、最近は家族ぐるみで信者の入信が激増しているのだそうだ。『その見返りは十二分に答えているだろう?』 もちろん、非公式にだが自分の支持者に移植を希望する者が居る時には便宜を図ったりもした。「それに今回の事は君が部品では無く、生体を持って来たのが発端だと僕は考えているよ……」 部品とは移植用臓器の事だ。そして生体とは生きている人間の事だ。『生きの良い生体を望んだのは自分だろ? だから、そのまま密入国させてたのさ』 宗教を隠れ蓑して密入国までやっている。「冷凍物でも良かったんだがね」 一般に移植用の臓器は取り出してから数時間の内に使われる物だ。そうしないと移植対象に定着しなくなってしまうからだ。『苦労して持ち込んだ生体を逃がしたのは、お宅の部下だろ?』 どこの組織にも良心に目覚める者がいるものだ。「まあ生体を燃やし損ねたのは失態だったがね……」 鹿目はようやく自分の落ち度を認めたようだ。『一家全員を皆殺しにしておいてそれは無いだろう……』 大関が笑いながら言っていた。「ちゃんと事故として処理させたよ……」 鹿目は薄笑いを浮かべていた。『おまけに陰謀の匂いを嗅ぎ付けたライターも殺しているじゃないか……』 金が動く処には群がるハイエナが寄って来るものだ。「あのライターは金を掴ませて黙らせる予定だったのさ」 鹿目が笑いながら話す、今までもこうして来たからだ。金になびかない者などいないし、そういう奴は信用できないのも知っている。「酔っぱらって死んだのはこちらの落ち度じゃないね」 これは本当だった。きっと生活がだらしない奴だったに違いない。『……』 大関は黙ってしまった。返事が無いのが了解の印と受け取ったのか、鹿目は電話を切ってしまった。「ふむ……」 鹿目は静かにため息をついた。このところ不手際が目立ち始めている。仕切り直しの必要性を感じ始めているのだ。(そろそろ大関たちを排除するか……) 使えなくなった駒は捨てる。これが鹿目の生き方だ。親しい友人など必要とはしていない。 同じ時刻。鹿目邸付近の民家の屋根にクーカが居た。屋根の上で星を見上げるかのように寝転が
晴れた日の東京湾。 羽田沖の東京湾で釣りをしていると、頭のすぐ上を旅客機が通り過ぎているような錯覚を覚える。 何しろ発着便数は世界有数の巨大空港だからだ。空港を拡張してみたが需要にはまだまだ追い付かないらしい。 そんな羽田空港の周りは、マンションなどの高層ビル群や工場や倉庫が立ち並んでいる。 その様子から多くの人は、東京湾に無機質な印象を持ってしまう。だが、東京湾に面する羽田の沖合は立派な漁場だった。 昔は都市部から排出される生活用水などで、海が汚染されてしまい魚がいなくなっていた。だが、人々の弛まぬ努力の御陰で、水質の改善が進んでいった。 近年では魚も戻ってきており、江戸前漁師の仕事場として復活しているのだ。「今は魚がいっぱい居るよ。 俺たちにとっちゃあ、東京湾さまさまだよ」 そう言って東京湾で漁を営む漁師たちは笑っていた。 そんなある日、漁師の一人が手慣れた手つきでアナゴの仕掛けを引き上げていた。海からは次々と筒状の仕掛けが上がって来る。 ここ数日の天候は快晴。過ごしやすい日が続いていた。(海も荒れて無かったし、今日は大量になるかもしれんな……) そんな事を考えながら次々と上がって来る仕掛けを眺めていた。照り付ける太陽とささやかな海風が漁師の気分をほぐしいく。 昔はロープに結んだ仕掛けを手作業で引き上げていたが、今は船に設置したモーターでロープを引き上げている。(まったく…… いい時代になったもんだ……) 漁師は漁が終ったら馴染みの店に行って、カラオケでも歌おうかと鼻歌を口ずさみだした。 すると、何個かの仕掛けを上げ終わったところで、引き上げ用のモーターが異音を発し始めた。仕掛け用のロープに多大な荷重がかけられているのだ。「ん?」 漁師は怪訝な顔をした。仕掛け自体は重いものでは無いし、掛かった獲物が大きいと言っても限度がある。 アナゴ以外の物を引っ掛けてしまったのは明白だ。「アチャー。 また粗大ゴミでも引っ掛けてしまったか……」 昨日も小型冷蔵庫を引き上げたばかりだった。「……ったく、ゴミ代くらいケチケチすんなよ……」 今の日本ではゴミを捨てるのにもお金がかかる。少しでも節約したい人はどこかの空き地や川などに投げ込んでしまうのだ。 もちろん、不法行為で非常に迷惑な話だが、他人の迷惑など省みない人はどこにでもいる...
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