「実を結ぶ花の名を持つ癖に、何をしても結果は出せない」 「努力さえ結ばず、恩さえ仇で返す」 全て無駄、よって徒花。と、蔑まれる伯爵令嬢キルシュは、〝忌々しい古き信仰の名残〟とされた能力と、孤児の出自ゆえ、学院にも養家族にも冷遇された嫌われ者。 ある日、彼女は義兄の言葉に傷付き家出した。 ひとりぼっち彷徨う真夜中の森。この世の者と思えぬ奇っ怪な生き物に襲われ、そこを救ったのは、自立し思考する機械人形――まるで機械仕掛けの王子様。 彼との出会いが、孤独な少女に初恋と運命を芽吹かせる。しかし、宿命は二人を残酷な終末へと導き、絆の結実を許さない。 儚く甘い。産業革命・近世ヒストリカル風×ファンタジーロマンス。
View More大聖堂に響き渡る鐘の音は、まるで終りの時を知らせるように寂しい音を響かせていた。
誰も居ない筈の場所で、いったい誰が鳴らしているかは分からない。 それはまるで、計り知れぬ悲壮に慟哭しているかのように聞こえてしまった。眼下に望む見慣れた錆色の町並みは、まさに終末と呼んで良い程……。
横殴りの雪が降りしきる中で赤々とした炎の群れが至るところで広がり、崩れた落ちた建物から黒煙が上がっていた。そんな終末の大聖堂──頂点へと続く途方もなく長い石造りの階段を茜髪の少女はひたすらに駆け上っていた。その合間も砲弾が撃ち込まれる鈍い音と、尋常ではない振動が襲い来る。
来た道を振り向けば、石造りの階段はバラバラと崩れ落ち、ぽっかりとした虚ろができていた。 もう引き返せない。そう思いつつも、彼女は前を向き再び階段を駆け上る。窓の外に見える、屋根の上に佇むものは教会の雨樋〝ガーゴイル〟を彷彿させる姿の怪鳥だった。
しかしそれは、鉄錆びた色合いの機械仕掛け。極めて人工的な姿をしていた。……彼女自身も認めたくない事実ではあるが、これが彼女の愛した青年の成れの果てだった。
──ケルン。
少女は身を焦がす程に恋した青年の名を呟き、溢れ落ちた涙を拭って再び階段を駆け上る。
実を結ぶ花の名を持つ癖に、何をしても結果を出せず、努力さえ実を結ばず恩さえ仇で返す。よって〝徒花〟と、不名誉にも呼ばれた日々の事。彼と過ごした半年ばかりの短くも幸せ過ぎた日々の事。そして、忘却の彼方にあった断片的な記憶の数々。
茜髪の少女、キルシュ・ヴィーゼは一つ一つを思い返した。
「あ、起きた」 片や、自分を覗き込む彼はしれっとした平坦な調子だった。 しかし、どうしてだ。先程までソファに座して二人で話していた筈なのに場所が変わっている。背中に感じる柔らかさ、そして彼の顔の向こうに見える見慣れぬ絵は恐らく天蓋裏。視界の隅に透けた素材のレースを諄い程にたっぷりとあしらったベール……間違いなく、ここがベッドの上だと悟ったキルシュは、かぁあっと頬を赤く染めてぶんぶんと首を振る。 「──ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待って!」 どうしてこうなったのだ。 本当にこれでは、半裸の彼に組み敷かれているようで……。 あたふたとしたキルシュはプルプルと首を横に振って抵抗しようとしたが──「は?」 いったい何の事なのか……と、いった具合にケルンは神妙な面持ちで小首を傾げる。しかし、キルシュの言いたい事を理解したのだろう。彼は、「くく」と喉を鳴らして笑い声を漏らしたかと思うと、途端に噴き出すように笑う。「……え?」 いったい何が何だか。キルシュは横たわったまま訝しげに彼を見る。一頻り笑うと、彼は眦にほんのり滲んだ雫を拭ってキルシュを見下ろした。 「……悪い。運んだ後、寝かせたらスカートの裾が乱れてたから直したんだ。何だか苦しげな顔をしてたから心配になって覗き込んでたんだよ。確かに体勢が悪かった。しかし、想像力が豊かだな」 変な事なんかしていない。ときっぱり言うと、彼はすっと身を引く。 つまりは全部勘違いだったのか。キルシュはホッとするが、自分の早とちりが恥ずかしく堪らない。 しかしだ。〝不完全だから厭らしい事を考える〟だとか〝ずっと好きな子〟だとか言われてしまうと、嫌でもそう考えてしまうだろう。変に意識をしてしまうのだって当たり前だ。キルシュはケルンをジト……と睨んだ。 しかし、焦って恥じているのが自分だけ。何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
『キルシュの力って本当に綺麗だなぁ……』 少年の感嘆とした声が脳裏に心地良く響く。 玻璃を貫く斜陽は赤や黄、青に緑に白と複数の光を落としていた。やがて映し出されるのは、昨晩見た景色と同じ、木造立ての礼拝堂の中だった。 聖母の美しいステンドグラスの正面の座席に腰掛けているのは〝人であった頃のケルンと思しい少年〟と幼い自分の二人だけ。 幼いキルシュは、自分の名と同じ桜桃の花を手にひらから萌やしては光に還す……と、自分の力で遊んでいた。『なぁ、キルシュって確か、見た事のある花は何だって、出せるんだよな?』『うん、そうだよ?』 幼いキルシュは花咲く笑顔でふわふわと答えた。 ──キルシュの持つ能有りの力は、草花を芽吹かす力。しかし、これは〝キルシュ自身が見た事がある植物のみ〟という限定的な条件がある。 恐ろしい事があれば、蔓薔薇の茨となり身を守ろうなんて事もあるが、これだって見た事があるものだから具象できる。 しかし能有りの力は感情に左右されるもの。大袈裟に肥大し、実物を上回る恐ろしい大きさになる事もあるが、意図的に具象する分には普通の花の大きさと変わらない。 手のひらから出す事もできるが、地面に手を置けば、辺り一面を花畑にもできる。使いどころは不明で本当にどこまでも無駄な力だが、確かに綺麗な力とはキルシュ自身も思っていた。 能有りになんて生まれたくなかった。そうは思うが、素直に花は好きだった。 どこまでも無害で罪が無くて、美しい。その気持ちは幼い頃も変わらず同じだったのだろう。幼いキルシュは得意げになって今度は大量のかすみ草の花を芽吹かせて宙に散らす。 ふわふわと小さな花が降り注ぐ様は雪のよう。床に落ちると光に還り、キラキラと空間に漂った。 その光景を見て、ケルンだった少年は『すげぇ』なんて言って目を輝かせる。『なぁ! そうだ、キルシュ。おれさ、向日葵って花が見てみたい!』 前のめりになる彼に、幼いキルシュは首を傾げる。『
「な、なんでよ……」 唇をわなわなさせてキルシュが訊くと、彼はニタリと悪戯げに笑う。 二十歳前後の年端だが、唇の端を吊り上げていると、何だか悪戯小僧さながらの面影がある。「舐めたら甘そうな身体を無防備に見せてきた癖に。いいだろ別に」 ──キルシュって反応が面白いな。そのくらいの仕返しさせろ。なんて少しばかり意地悪に付け添えて、ケルンは笑う。 恥ずかしくて堪らない。キルシュは真っ赤になって、ケルンを睨む。 確かに、自分のやらかしに違いない。それでも、何だか腑に落ちない。キルシュはむっと頬を膨らませた。 しかし、舐めたら甘そうって……。その言葉を反芻してしまい、キルシュは更に頬を赤くした。 「……機械人形の癖に変態よ、不浄よ。ファオルと関わりがある時点で、貴方って一応は刻の偶像に関わりがある神聖な存在なんでしょ?」 対するケルンは、目を細めてどこか気まずそうに顎を掻く。 「あのなキルシュ。さっきも言ったが、俺は〝出来損ない〟だ。完全じゃないんだよ。だから、人と同じ成長してるし、普通に男として機能はあるんだよ」 ──無防備なおまえが心配になる。でも、そういう事も普通に考えるのは構造上、仕方ないだろ。……なんて、彼はふて腐れたようにブツブツと言った。 こうも精悍な面なのに、表情をコロコロ変えている所を見ていると、本当に人間らしいなと感心してしまう。しかしこれを言っていいものか。キルシュは、彼に着せてもらったシャツの裾をきゅっと握って居住まいを正す。「確かに貴方の事は、元が人間だと分かっているけど……」 ……自立し思考し、自我を持つ。それは人と何ら変わらない。それに、呼び覚ました記憶の中の彼は間違いなく人だった。今と髪色も瞳の色も違うが、それでもはっきりとした面影があり、大人へと成長した姿なのだろうと分かる。 しかし、どうしてそんな姿になってしまったのだろう……。 きっと、相応の理由があるのは、考えなくとも理解できた。 蘇った記憶の断片では元親友。とはいえ、自分にはこれまでの記憶なんて一つも無いし覚えていない。出会ってたったの一日だ。 ──元が人間だの言わない方が良かった。キルシュはすぐに後悔した。「ごめんなさい、私、とても無神経だった」 キルシュは素直に詫びた。気分を害してもおかしくない事だ。
午前二時過ぎ。静かに部屋を出たキルシュは、手燭を持って台所に向かった。 夕食の時に『ベリーのジャムと黒いパンは作り置きが沢山あるからいくらでも食べて』なんてシュネに言われた事を思い出したのだ。 きっと、頭に糖分が足りていない。だから、こんなにも暗い気持ちが押し寄せるのだろう。一人で納得したキルシュは、軋む音が鳴らないように螺旋階段を足早に下って台所で向かった。 この教会は〝歪んだ真珠の文化〟そのものの仰々しい装飾だらけだが、構造は単純で最低限の部屋しか設けられていない。 二階には部屋が四つ。下には台所と礼拝堂があるだけで、あとは廊下だけ。だから、たった一度の案内でも全てが把握できた。 難無く台所まで辿り着いたキルシュは、真鍮のドアノブを捻り、扉を引いたと同時だった──ゴソリと闇の奥で何かが蠢く気配を感じ取ったのだ。 何事か。まさか、狂信者だろうか。 だが、彼らはこの教会近辺にまず近づかないとは聞いた。手燭を握る手はカタカタと震え、掌から手首を這ってゆっくりと蔦が萌え始める。 「……誰かいるの?」 臆しながらキルシュは問いかける。すると、台所の奥深くの闇に二つの黄金の光がポッと灯った。 正体は不明。だが、それが目だと分かり、キルシュは『ひっ』悲鳴を出しかけた途端だった。〝何か〟が音も立てずに恐ろしい勢いで接近してきたのだ。 そうして、瞬く間にキルシュは背後から羽交い締めにされ、唇を塞がれた。「──ん!」 悶えながらキルシュは上を向く。すると間近で黄金に光る瞳と視線が交わった。(ケルン?) 間近に映る彼の精悍な顔立ちと、神秘的な輝きを宿して光る瞳にキルシュの鼓動は高鳴った。「……騒ぐな。シュネが起きる」 何かを口に含んでいるようなモゴモゴとした喋り方にキルシュは違和を覚えたと同時、ベリーの甘酸っぱい香りが鼻腔をつきキルシュは目を瞠る。 キルシュは腕まで巻き付いた蔦の具象を解く。すると、彼もキルシュを離した。
その日の夕食は、穀物の練り込まれた黒いパンに、キノコのスープ。それから魚を焼いたものと腸詰め肉にベリーのソースを添えたものだった。 シュネは、基本的に自給自足と物々交換の生活を送っているらしい。森でとれたキノコやベリーをレルヒェの市場へ持って行き、小麦や肉類、衣類などと交換しているそうだ。また、魚に関しては、夕飯時になると台所に置かれているそうで……恐らくケルンが湖で釣ってくるのだろうと言っていた。 ケルンの生活は、五年半の月日をともに暮らしているシュネでさえも大して把握していないそうだ。 分かる事は、今日のように晴れた日の日中は教会周辺で眠っていて、夜になれば動き出す……と、まるで野生動物のような生活を送っているらしい。 しかし、ケルンは動物とは違う。無機物だ。 それ故か、彼が食事を必要としないらしい。全く食べられないというわけではないらしいが、要らないと……。 ゆえに、これだけともに長く暮らすシュネでさえ彼が何かを食べている場面は一度も見た事が無いそうだ。 間違いなく後天的。とは言っても、機械に支配された身体なのだから、食べ物がエネルギーになるとは考え難い。いったい何が動力源なのだろうか……と、そんな疑問が浮かんでくる。 しかし、連想できる事は一つだけあった。 ──あの時、彼は力の解放にキルシュの〝心〟を喰った。 その時にされた行為はさておき。あの時『回復するのに』という言葉を言っている時点で、通常時は自然に動力を回復されているのだと思しい。 昼間は眠っている事が多いと聞くので、睡眠が大きいのだろうとは想像できた。 そもそも、〝機械仕掛けの偶像になり損ねた〟なんて発言や、神秘的生物のファオルとの接点などを考えると、もっと神秘的で神聖で人知を超えたものが絡んでいるのだろうとも考えられる。 しかし、あまり彼の事は考えないようにしよう。 どうにも、キスの事ばかり思い出してムズムズしてしまうのだ。 キルシュは湯浴みの後、与えられた部屋の中、ベッドの上に転がってお気に入りの古書を読み始めた。 今キルシュが纏っているものは、シュネが貸してくれた卵色のナイトドレスだった。 喩えるのであれば、その形状は森に咲くホタルブクロの花を連想する。胸や腰周りはぴったりとしているが、裾にいくほど幾重にも
「揃いも揃って騒がしいなぁ……」 続けて言った言葉は、欠伸を混じりの間延びした気怠げな声だった。 ストン。と、目の前の落葉樹の枝から音も上げずに降りた灰金髪の青年はゆったりとこちらに歩み寄って来る。 それは紛れもなく昨晩出会った〝機械仕掛けの偶像になり損ねた〟と自称する機械人形─ケルンだった。 彼の容姿は目立つ。なかなかの長身だ。それなのに、そこに居た事に気付きもしなかった。 否、そんな場所にいる事を誰が予想をするものか。だが、驚いているのはキルシュ一人だけ。それが彼にとっては日常なのだろう。「もう、ケルンってば。寝るなら部屋で寝ればいいのに……木から落ちたら危ないわ」 肩を竦めて呆れ気味に言うシュネにケルンは、伸びをしながら欠伸を一つ。「天気が良いから、昼寝は外の方が気分が良いんだよ」 …………機械人形も寝るんだ。と、どうでも良い感想が頭に浮かんだ。 だが、彼は間違いなく後天性。だから、別にそれが普通なのだろうと納得する。しかし彼の顔を……薄くも形の良い唇を見た瞬間に、キルシュの脳裏には昨晩の事が蘇った。 心をくれ。そう命じられて。上を向かされて、大人のするような、随分と情熱的で官能的なキスをされた。それも初めてのキスで……。 その唇は温かみがあった。食まれ、貪られるように何かを絡め取られ……と、生々しい程に鮮明な感触が途端に口の中に蘇り、キルシュは慌てて唇を押さえた。 (普通なら嫌な筈なのに。ファーストキスなのに。なんで私……) キスは心を通わせて両思いになった愛し合う男性とするもの。そういう常識があるのに。そうが良かった筈なのに、あんなに無理矢理……。キルシュは戸惑った。 ただ恥ずかしいだけで、決して嫌な心地が無かった自分に戸惑ってしまう。
昼食後、建物内の案内をするとシュネに言われて、キルシュはその後を付いて歩いていた。 誰もが近寄らぬ森の中に、建造物がある事自体にも驚いてしまうが、それ以上にこの建物の古典的で絢爛とした美しさに驚いてしまった。 ──月白の塗料に彩られた優美な曲線を描く螺旋階段は、歩めば軋んだ音が上がった。手すりの下の格子は唐草を思わせる飾り。そして、廊下に敷き詰められた臙脂色のカーペットも、通路の壁に設置された黄金の燭台も黒く煤けていて、かなり年季が入っている事を窺える。 ……見るからに、数世紀昔の屋敷のようだった。 華美なドレスのように、幾重ものレースがあしらわれた天蓋の付いた大きなベッドに、華やかな調度品の数々……。 それはどの部屋にも設置されていて、部屋の奥には蜉蝣の羽根のように透き通ったベールの付いた猫足のバスタブが置かれていた。 どの部屋も楕円型の間取りで窓までも丸みを帯びている。そして、目立つものといえば『これでもか』と言う程に施されたゴテゴテとした漆喰装飾だ。至るところに散りばめられた煌びやかさにキルシュは目眩を覚えた。 そうして、最後にシュネに案内された部屋にキルシュは圧倒された。 そこは、こぢんまりとした礼拝堂だった。 黄金と白を基調とした祭壇には天使や聖者の彫刻の数々が左右対称に配置されている。飾り柱にも細やかな装飾や聖人のレリーフの数々がひしめいていた。美しい彫刻の数々に促されて、そのまま宙を見上げて更に気圧された。 太陽が照りつける雲の上で数多の天使が歌う。 その反対側で茜髪の聖女が闇の中、輝かしい黄金の光を抱き茨の弓を引く──荘厳な天井画が色鮮やかに描かれていたのだ。 キルシュ自身、美術に深い関心がある訳でもない。それでも、この天井画は見惚れる程に美しいかった。しかしどういった訳だろう。この絵を見れば見る程どこか不安を掻き立てられる。キルシュはすぐに天井画を見るのをやめた。「綺麗でしょう? でもね、何だか不穏な気配がしちゃって私もキルシュちゃん同じ反応しちゃ
……そうだ、キスしたのだ。 それも初めてのキスで舌を絡められて、随分と官能的なキスをされたのだ。 しかし不思議と不快ではなくて、少し……いいや、びっくりするほど気持ち良かった。自分でも本気で意味が分からない。 途端にキルシュは真っ赤になって唇を押さえる。 それにあの記憶の中の少年が彼と同一人物の〝ケルン〟というなら……。『いつか、おれの事を好きになってくれたら、お嫁さんになってほしい!』そんな言葉を言われた気がする。つまり、最初から自分に好意を持っていたという事になる。 そもそもだ。初めて出会った瞬間に彼は『見つけた』と言った。 ファオルの件もあって、ずっとこの日を待っていたように窺えてしまう。 しかし幻視を見るだの、非現実的な事が起きている。あれは本当に、同一人物なのか。何らかの変な力を使って、都合の良い夢でも見せられたのだろうか……。 キルシュは真っ赤になったまま黙考に耽る。だが、そんな様子に心配したのだろう。「キルシュちゃん、どうしたの?」 顔が真っ赤よ。と、シュネに心配そうに言われて、キルシュは我に返った。 同性とは言え初対面だ。『そのケルンに唇を奪われた』だのさすがに言えたものではない。 キルシュは慌てて首を横に振るう。 「大丈夫です、すみません。色々思い出してぼーっとしてしまって」「いいのよ。でも、びっくりしたでしょう……あまりにもよくできた機械人形だって」「……はい」「私も初対面は驚いたわ。確か、あれは五年程昔かしら……」 ──きっと、私たちは似たような立場だから話してもきっと問題なさそうね。なんて付け添えて、シュネは、薔薇色の唇を開いた。「私、北西部にあるシュトルヒ子爵領の牧師の娘なの。母は優しかったわ。けれど、父は能有りの私を疎く思って。二人は私の所為で喧嘩ばか
パタンと、静かに扉が閉まる音がした。 暖かで柔らかな、陽の光に促されてキルシュはゆっくりと瞼を持ち上げる。(私は……ここは) すぐに頭に過ったのは昨晩の二つの出会いだった。 喋る鳩に、自立し思考する機械人形。それも元人間、能有りと思しくて……。 どちらも、現実的ではないものだった。まるで夢でも見ていたかのように思う。だが、見知らぬ絵画の天井と身体を包む暖かで柔らかな掛け布団の感触に、ここが学院寮でも伯爵家の屋敷でもないとキルシュは改めて理解した。(……どこだろう) 疑問は湧き立つが、それ以上に空腹の方が気になってしまう。 どこからか、ベリーを煮詰めたような甘酸っぱい香りが漂ってくる。それがジャムだったら、パンにたっぷりつけて頬張りたい。そんな事を考えつつも、キルシュは寝返りを打つ。 それもそのはずだろう。最後の食事は前日の朝。帝都の寮で朝食をとったきりで何も口にしていなかったのだ。 せめて、部屋に運ばれた夕飯くらい食べればよかった……と、後悔して、キルシュはぺったんこになった自分の腹を摩ったと同時だった。 『ケケケ……。起きたか徒花の眠り姫』 軽い調子の声と共に、目の前にポッと光の渦がポッと灯った。そこから羽ばたいて姿を現したのは昨晩出会った、喋る鳩、ファオルだった。 (ああ、やっぱり夢じゃなかった) もしかしたら自分は頭がおかしくなって、変な幻覚でも見続けていたのかとさえ思っていた。そうではなかった、よかった。と、改めて思い、キルシュは自然と唇を緩めて、安堵した顔になる。 そんな顔に見かねたのだろうか。ファオルはツンとキルシュの額を嘴で突いた。「いだっ」 『何を惚けた顔してんだよ~おまえ本当にお気楽だなぁ』 愛らしい子どもの声だが、やはり憎たらしい。 突かれた額を擦りながら、キルシュは恨めしくファオルを睨む。 「った……何するのよ、痛いじゃないの」 『だってさぁ。なーんかキルシュを見てると、腹
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