「美奈、早くこっちに来なさい。もうすぐ雨が降るよ」スーパーの入り口に立っている母を見つめながら、私はゆっくりと歩いていった。目の前にはスーパーの階段がある。高くはなく、たった四段だけ。この高さがちょうどいい。母に大きな怪我をさせずに、お腹の中の悪魔を取り除くことができる。完璧な計画だ。でも、私の手は思うように動かない。母の横顔はとても優しい。手は震え続け、まるで重い石を抱えているかのように、腕を持ち上げることができない。タクシーがゆっくりと近づいてくる。ぼんやりと見ていると、それが弟の運転するおもちゃの車に見えてきた。彼の顔には陰険な笑みが浮かんでいて、母にまっすぐぶつかっていく。母が足を押さえて倒れ、苦しむ様子を見ると、弟はさらに嬉しそうに笑った。私は迷うことなく手を押し出した。驚きの声が響き、母は見事に地面に倒れた。彼女のスカートの裾はすぐに血に染まっていく。だから、この悪魔は死ぬのだろうか。母の痛みに満ちた叫び声が、私を現実に引き戻した。「美奈......あなた......」 母の顔は恐怖で歪んでいた。その時初めて、自分が口元に微笑みを浮かべていることに気づいた。私は慌てて笑みを抑え、口では慌てて助けを求めた。
まさか、あの子の生命力がこんなに強いとは思わなかった。医者から「赤ちゃんは無事です。あとは安静にしていれば大丈夫でしょう」と言われた。心の中で失望感が止まらなかった。おばあちゃんは嫌味たっぷりに母を責めた。しかし、母はただ黙ってすべての責任を背負い込んでいた。私は母の体から生気が抜けていくのを感じた。まるで今にも私の前からいなくなってしまいそうだった。罪悪感、自己嫌悪、そして不安――言葉では表現できない感情が押し寄せてきた。私は耐えきれず、母の手をそっと握り、小さな声で「お母さん」と呼んだ。母はぼんやりしていたが、私に気づき、優しく微笑んでくれた。その瞬間、私はほっとして、母の手の甲に顔をそっと寄せた。
次の「悪魔を除く」計画を立てる暇もなく、私は祖母の家に送られた。「行きたくないよ!お父さんとお母さんと一緒にいたいの!嫌だ、嫌だ......」「美奈、いい子だから。今はお母さんが君の面倒を見れないの。もう少し経ったら、迎えに行くからね」「嫌だ!お母さんに会いたくなったら、どうするの......うぅ......」母は迷いを見せたが、私がさらに訴える前に、大きな手に抱き上げられてしまった。「いい子にして、母さんを困らせるな。少ししたら、お父さんが迎えに来るよ」でも、彼らが言っていた「少し」は半年以上も経ってしまった。迎えに来たのは、弟の初めてのお祝いの日だった。母は弟を抱え、父はその隣に立っている。周りの人たちは、みんな順番にお祝いの言葉をかけていた。二人とも満面の笑みを浮かべ、弟を囲んで幸せそうな家族に見えた。祖母は私の背中をそっと押した。「あら、私の可愛い孫娘じゃないの。おいで、たっぷり可愛がってあげるわよ」私はよく分かっていた。おばあちゃんに「可愛い孫」と呼ばれるのも、すべて弟のおかげだということを。「美奈、お腹すいてないか?パパが美味しいものを取ってくるよ」「美奈、欲しいプレゼントはある?ママが買ってあげるよ」父と母の言葉はぎこちなく、それでも熱心だった。私は口を開けたが、突然何も言うことがないように感じた。ふと、祖母の家に戻りたくなった。宴会が終わり、私は祖母の手を引いて一緒に帰りたいと言った。「美奈、祖母はもう年を取っていて、この間、君の世話でかなり疲れているんだ。少し大人になって、私たちと一緒に帰ってくれないか?祖母には休んでもらおうよ」そうして、私はまたあの家に戻ることになった。母は私に対して警戒しているようだった。私が少しでも弟に近づくと、すぐに私を遠ざけた。正直、この頃、弟を「除く」ことを諦めようかと思うこともあった。だって、まだ小さい彼は白くてぷくぷくしていて、香りも良くて柔らかく、とても可愛かったから。でも、あの日、彼がフォークを持って、おばあちゃんの目に突き刺したあの日までは。
弟は今、自分でお箸やフォークを使って食べる練習をしている時期だった。私が洗面所で手を洗っていると、突然リビングから悲鳴が聞こえた。慌てて駆けつけると、おばあちゃんが床にうずくまり、手で目を覆っていた。指の隙間からは真っ赤な血が溢れ出していた。弟は赤ちゃん用の椅子に座り、大喜びしていた。まるで、とても面白いものを見つけたかのように、楽しそうに笑っていた。ぼんやりと見ていると、彼の笑顔が前世で私を階段から突き落としたときの、あの歪んだ笑みと重なった。私はすぐに前に飛び出し、彼に思い切りビンタを食らわせた。怒りが込められたそのビンタは強烈で、彼の体がぐらつき、次の瞬間には耳を裂くような泣き声が響き渡った。すぐに異変に気づいた。彼の耳のあたりから、少しずつ血が流れ出していたのだ。突然、強い力で私は押し飛ばされ、頭をコーヒーテーブルに激しくぶつけた。頬の痛みには気づかないままだった。父が大声で泣き叫ぶ弟を抱き上げ、私に向かって殺気立った目を向けた。「美奈、死にたいのか!」父の怒りは、私を燃え尽きさせるほど強烈だった。恐怖で体が震え、私は腕で自分を抱きしめ、言葉を発せずただ首を振るばかりだった。母の焦った声が聞こえたとき、ようやく私はそっと顔を上げた。しかし、その光景は私を殺すよりも辛かった。母は慌てて弟を抱きしめ、「大丈夫、どこが痛いの?」と何度も繰り返し、涙が次々と床に落ち、それが私の心にも重くのしかかった。母は一度も振り返って私を見てはくれなかった。冷たい。なぜこんなに冷たいのか。もう冬になったのだろうか。耳元には父がおばあちゃんを支え、母が弟を抱きしめる音が聞こえ、しばらくして部屋は静かになった。私は頭を上げ、空っぽの部屋を見つめた。瞬間的に、この世に私しかいないように感じた。
おばあちゃんの左目は失明し、弟は医師の素早い対応で聴力は保たれたものの、耳鳴りの後遺症が残ってしまった。事態が落ち着いた。後、私は寄宿学校に送られた。寄宿学校には、1週間に1度、2週間に1度など、帰宅の頻度が違うところもあるが、私が送られた学校は1ヶ月に1度しか帰れないところだった。前世でも弟が原因で寄宿学校に送られた。「食うか食われるか」が社会の常識であり、学校でもそれは変わらなかった。学校ではトイレに頭を押しつけられたり、服を剥がされて写真を撮られたりした経験が、再び頭をよぎった。私は必死に両親に泣きついて懇願したが、おばあちゃんに平手打ちをくらった。「まだ演技してるのか。こんなに小さいくせに、なんて悪意のある子だ。泣く資格なんてない!お前のせいで私の目が見えなくなったんだぞ!」私はその一撃に呆然とし、さらに彼女の断言に頭が混乱した。おばあちゃんは私を「厄介者」と罵り続け、最後には平手打ちがどんどん重くなっていった。それでも母が「子供にそこまでしなくても」と一言言って、ようやくおばあちゃんは手を止めた。「行きなさい」これは私が家を出るとき、母が私に言った唯一の言葉だった。私は「厄介者」というレッテルを背負ったまま、寄宿学校に入った。
私はできる限り自分の存在を消しながら、年を繰り返し過ごしていたが、それでもトイレで誰かに待ち伏せされた。化粧が濃く、未成熟な顔立ちにそぐわないほど、煙草を吸っていた彼女たち。「お前が美奈?大した顔でもないな。しかも顔に傷があるじゃないか。ブスがよ」隣の女の子が彼女に耳打ちすると、彼女は急に怒りをあらわにし、私の頬をぐっとつかんだ。「学校一の美少女?今日からは、ただの笑い者にしてやるよ」内心で突然、ほんの一瞬だけ挫折感を覚えた。ずっと前世の悲劇を変えようと必死だったのに、運命の歯車は何一つ変わっていなかった。でも、その挫折感は一瞬だけだった。もう一度生き直して、ここで怯むわけにはいかない。タイミングを見計らって、トイレにあったモップを掴み、狂ったように振り回した。彼女たちは近づくことができなかった。「近づかないで!」「一人しかいないじゃない。みんなで一斉に行けば大丈夫よ!」モップがトイレの穴に入ってしまい、強烈な臭いに思わず吐き気がこみ上げた。後ろにモップを振り回すと、あたり一面に悲鳴が響き、耳膜が破れそうなほどだった。モップにくっついた汚物で誰かを突けば、その場で倒れそうなほどの威力があった。「あなたたち、何をしているんだ!!!」教頭先生のピカピカに輝く頭には、無関係な汚物が数滴飛び散っていた。もし怒りが実体化するなら、私はその場で燃え尽きていたかもしれない。「親を呼び出しなさい!」
父は教頭先生との話を終えると、厳しい表情で私の方を振り返った。私は負けずに父を睨み返した。どうせ男女差別なんだろう。好きに怒ればいい。「お前のおじいちゃんが......」父は一瞬、言葉を詰まらせ、なかなか続きを口に出せなかった。「おじいちゃんが亡くなったんだ」その時の心情はよく覚えていない。ただ、足がガクンと崩れ、涙が自然に溢れ出てきた。
おじいちゃんの葬式は、田舎の実家で行われた。遺言通り、故郷に眠りたいとのこと。弟が生まれてから、家の中で私に優しくしてくれた唯一の人が、おじいちゃんだった。昔の記憶の中では、夕方になると農作業を終えたおじいちゃんが、よく私を肩車して村の東から西まで散歩に連れて行ってくれた。学校に通ったことがないおじいちゃんは、村の人々に「うちのお姫様を連れて散歩だ」と誇らしげに言っていた。夕陽が沈む中、鼻歌を歌いながらおじいちゃんが私をあやすと、いつも私は笑い声をあげていた。あの曲がまだ頭の中で響いているようで、涙がまた視界をぼやけさせた。「いつまでここにいるつもりだよ。もう死んでるんだから、さっさと片付けろよ」ぼやけた視界の中、弟の佐藤俊一が眉をひそめ、苛立ちを隠せない様子でおばあちゃんにそう言いながら、手で何度も叩いていた。そうだ、前世でも、彼が言い争いになり、怒りに任せておじいちゃんに拳を振り、罵声を浴びせ続けたせいで、心臓の悪かったおじいちゃんが亡くなったのだ。今世ではなぜか、その出来事が早まってしまった。でも、俊一が関係していることに違いはない。怒りが頭にのぼり、私は俊一の襟をつかんで、その首を絞めた。「お前だろう!お前がまたおじいちゃんを怒らせたんだろう、この悪魔め!なんでお前が死なないんだ!」力を込めると、彼の顔はすぐに紫色に変わり、目は白目をむき始めた。