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第8話

「あ、ありがとうございます、副社長様」

鈴音は慌てて姿勢を正し、司が触れた指先がまだ震えていた。

「私は翻訳部の朝倉鈴音です。今回の商談では、全ての翻訳を担当させていただきます」

「そうか、よろしく頼むよ、鈴音さん」司は低く興味深げな声で応えた。

「こちらこそ、副社長様」鈴音はなんとか笑みを浮かべた。

幸いにも司は特に難しいことは言わず、そのままスイスの代表たちと一緒に歩き出した。鈴音はその様子に安堵の息をついた。

彼らの後に続き、鈴音は先導しながら個室へと案内した。

商談の出席者が多いため、鈴音は大きな個室を予約しており、全員を席に着かせた後、スタッフに二十分後に料理を出すよう指示を出し、再び個室に戻った。

しかし、席につこうとした瞬間、テーブルの前はすでに人で埋まっていた。

「鈴音さん、こちらへどうぞ」佐藤は自分の席を譲り、「今回の商談は鈴音さんに翻訳をお願いするしかありませんが、私も急用で出なければならなくて......」と付け加えた。

佐藤の席は司の隣であり、司のもう片側にはスイスの代表が座っていた。鈴音は断る余地もなく、その席に座るしかなかった。

今回の商談は海上輸送費用に関するものであった。

相手の会社は数年間、朝倉グループ傘下の企業から製品を購入していたが、今回はさらに大量の発注を希望しており、海上輸送費用の減額を求めてきたのだ。

ロマンシュ語は穏やかで柔らかい響きを持つため、代表が話す言葉は時折静かで、鈴音は聞き取るために前のめりにならざるを得なかった。

司の隣に座っているため、時折彼の腕と鈴音の腕が触れ合った。その薄いシャツ越しに感じる司の体温は熱く、鈴音はそれに気づくたびに顔が赤くなった。

頭の片隅に浮かんでくるのは、どうしてもホテルでの夜のこと。思い返すたび、全身が熱くなる。

いったい何を考えているのよ、しっかりしなきゃ!

相手の代表の言葉を司に伝え終えると、鈴音は無意識に後ろに体を引いた。顔が熱くて、気まずさを隠すために、彼女はテーブルにあったワイングラスを手に取り、思わず一口飲んでしまった。

次の瞬間、鈴音は視線を感じて、ゆっくりと司の方を見た。彼は片手で顎を支えながら、不思議そうな目で彼女を見ており、口元には微かに笑みを浮かべていた。

なぜそんな風に見ているのだろう?

鈴音は心の中で問いながら、ふとテーブルを見ると、自分のグラスはまだ左手に残っていて、彼女が持っているのはどうやら司のグラスだった。

「......」

まさか、司のワインを飲んでしまったとはな! だから彼はそんな目でこっちを見ているのか。

その瞬間、口の中のワインがまるで熱い鉄塊のように感じられ、吐き出すことも飲み込むこともできず、最終的に鈴音は何事もなかったかのようにそれを飲み下し、静かにグラスを置いた。

司は彼女の動きを見逃さず、興味深げに笑みを浮かべた。

この女、本当に我慢強いだな」

司が迅速かつ率直に対応し、相手の要求に応じて海上輸送費用の一部を減額すると提案したため、商談は予定よりも30分早く終了し、両社の代表たちはそのまま昼食を共にした。会談は終始和やかに進んだ。

部屋には人が多かったため、冷房が強めに効いていた。鈴音は料理を数口食べた後、胃の不調を感じ始め、額には冷や汗が浮かんでいた。その様子に司も気がついた。

「少し休んできたらどうだ? 商談は終わったし」

「ありがとうございます、副社長様」鈴音は感謝の言葉を口にして、胃のムカつきを堪えきれず、口を押さえて部屋から飛び出した。

司は彼女の後ろ姿を少しの間見つめ、眉をひそめた。

トイレに駆け込んだ鈴音は、ドアを閉める間もなく便器にしがみついて吐いた。吐き終わると、胃の痛みは和らいだが、振り返るとそこには司の姿があった。

「ふ、副社長様」ドアにもたれかかる司を見て、鈴音は慌てて言葉を詰まらせた。「ここは女性用トイレですよ、男性用は......隣です」

司はその時初めて顔を上げ、冷たい視線が鈴音の平らな腹に向けられた。

鈴音はさらに緊張した。

司はポケットに片手を入れたまま、鈴音に近づき、威圧的な視線を浴びせながら静かに問いかけた。

「妊娠したのか?」

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