侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。 *こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。 文字数が倍になっています。
View More侯爵家のマリア・ローレは、同じく侯爵家のカーステン・クライトンと婚約している。
それは、マリアの父であるローレ侯爵とクライトン侯爵が同じ侯爵同士だからと、物心ついた時から決められていた。
しかし、婚約者のカーステンは王都に住み、マリアの住むローレ侯爵家の邸は片田舎で遠いため、二人はまだ一度も直接会ったことはなく、手紙でのやり取りのみ続けられていた。
ある時、クライトン侯爵から、ローレ侯爵に書状が届く。
すると、ローレ侯爵は、マリアを執務室に呼び出してこう告げた。
「マリア、申し訳ない。
クライトン侯爵から書状が届いて、大切な次期侯爵当主を妾の子のマリアとは、結婚させらないと書いてある。
残念だけど、お前達の婚約は、一方的に婚約破棄されてしまったようだ。
私は、その事を最初に話したつもりなんだが、聞いていないと大変お怒りの様子でね。
だから、お前をちょうどいい療養中の次男との婚約に変更するって書いているんだ。
婚約をこんな一方的に変えるなんて酷いとは思うが、貴族としては世間体を重視せざるを得ないから、そう言われてしまえば従うしかない。
力になれなくてすまぬ。」「お父様、カーステン様とは直接お会いしたことはありませんが、お手紙のやり取りを続けて来ました。
ですから、私はカーステン様と結婚したいと思っておりましたが、妾の子である私には彼らに何かを申し上げることはできませんね。
本音を言えば、こんな一方的な婚約破棄なんて嫌だと言いたいけれど、…わかりました。」
私はカーステン様と直接会ったことはないけれど、彼とお手紙のやり取りを重ねるうちに、彼のことを好きだと感じていた。
彼から送られる手紙には、学問や武術に励む日々の様子が綴られており、その頑張る姿を応援するそんな恋だった。
でも、私は確かに妾の子だから、侯爵家の方が否と言えば、カーステン様には不釣り合いなのだろう。
だから、私はこのまま諦めるしかないのだ。
彼のことを好きだと思っていたから、つらいけれど。私の出生だけは、どうにもならない事実なのだから。
「それでなんだが、お前達の婚約は世間にも広く知られていたから、カーステン卿をこのまま婚約破棄の状態にしておくわけにはいかない。
だから、代役として妹のハリエットを婚約者に立てたいそうだ。
お前からすれば、妹に婚約者を奪われる形になってしまい、本当に申し訳ない。」
お父様は、さすがに気が引けるのか、私の顔をチラチラ見ながら私の反応を伺っている。
ということは、カーステン様と私は、これから義兄妹として顔を合わせることもあるってことなの?
さすがに、結婚できなかった方と別の立場で顔を合わせ続けるなんてつらいわ。
よりにもよって、義兄妹だなんて。
これでは、彼を忘れ去ることもできない。 私の運命はなんて過酷なの。「それは、カーステン様も承諾しているのでしょうか?」
「わからん。
書状にはそこまで書いていないからな。 だか、カーステン卿も侯爵家当主の決定には逆らえまい。」「そうですね。
カーステン様も私と同じ立場ですものね。 わかりました。」私は、貴族令嬢としてこの決定を受け入れるしかない。
心の中の思いはどうであれ。「それでな。
先ほどの話には続きがあって、お前が婚約した次男は、療養中だと伝えたと思うんだが、その者は寝たきりなんだそうだ。それで、その者の世話が必要だから、すぐにお前に来てほしいと書いてある。」
「えっ、私にですか?」
「ああ、本当に申し訳ない。
こちらが、妾の子だと秘密にしていたことになっているから、立場が弱くて断れない。
お前も結婚すれば、遅かれ早かれその者の世話をすることになるんだからいいだろ?」
「そんな…。」
私はおしゃれをして婚約者と王都の街でデートをしたり、夜会でダンスを踊ったりすることを夢見て来た。
でも、私の婚約者は寝たきりで、お世話を必要とする方なのですね。
冷静になって考えると、やはりショックだった。
カーステン様と結婚できない上に、お世話が必要な方だなんて。
ご病気の方と結婚することも、結婚してから怪我や病気になりお世話することも、最初からその方と言われていたなら、多分私は受け入れた。
でも、私はカーステン様と結婚できると思っていたから、違い過ぎる未来に愕然とする。
私は、お父様に何も言葉を返すことができないまま、彼の執務室を後にした。
すると、廊下には心配そうな表情のハリエットが私を待っていた。
「お姉様、私とカーステン様の婚約について、お父様から聞いた?」
「ええ。
あなたが代わりに彼と婚約したみたいね。」「うん、お姉様ごめんなさい。
お姉様の婚約者を奪う形になってしまって。でも、私達はお互いに結婚しても、姉妹であることに変わりないわ。
私が義姉になるけれど。」「そうね。
言われてみればハリエットが私のお姉様になるわね。」結婚後の序列は絶対だ。
私が手に入れるはずだった全てのものが、代わりに侯爵家当主夫人となる彼女に、与えられることになる。 地位、名誉、財産。その一方で次男の妻となる私には、ただの貴族夫人という肩書きだけ。
これから先、二人の立場には大きな隔たりができることを意味している。「お姉様、これからもよろしくね。」
「そうね、よろしく。
ああ、そうだわ。ハリエット、これであなたにも婚約者ができたことになるわね。
婚約おめでとう。私は婚約破棄からの新しい婚約で、少し混乱してしまって、あなたにお祝いの言葉をかけるのが遅くなってしまったわね。
ごめんなさい。」「いいのよ。
お姉様が大変なことはわかっているわ。」「ええ、実は私はすぐにクライトン侯爵家に行くことになったから、その準備など色々あって、ハリエットとゆっくり話す時間がないの。
またいずれ、クライトン侯爵家で会いましょう。」
「わかったわ。
お姉様。」本当は、ハリエットとお茶を飲みながら、お互いの婚約についてゆっくりとお話したい気持ちがある。
けれども、すぐにクライトン侯爵家に向かう準備しなければならないし、申し訳ないけれど、今、私には話している時間などない。
カーステン様との婚約破棄や、新しい婚約者の世話をしなければならないことを考えると、心の余裕がなくなってしまった。
そして翌日には、新しい婚約者の世話をするために、クライトン侯爵家の迎えの馬車に乗り、王都へ向かった。
「タイラー様、お話してもいいですか?」 タイラー様の居室には、タイラー様とロドルフがいて、マリアを迎えた。「どうぞ、座って。」 そう話すタイラー様は、微かに笑みを浮かべているが、瞳は何も映さず、心は見せない。 その姿はいかにも貴族だ。 彼の部屋に入って、今ここにいつもの三人でいるけれど、私の心は一人ぼっちで、タイラー様の気持ちが遠くにあるのがわかった。 そう感じたのは、この部屋で初めて出会ったばかりの時以来だった。 いや、違う。 あの頃ですら、私を受け入れてないのにも関わらず、タイラー様は婚約破棄され、傷ついた私を気遣ってくれた。 今、目の前にいるのは、それよりももっと遠い存在の人。 どう言葉を紡げば、再びいつもの優しいタイラー様の心を取り戻せるのかわからない。 「これからのことを自由に考えて。」と彼は言っていたけれど、もう心の中ではすでに、私との決別を決めてしまったのだろうか? カーステン様との話し合いを終わらせて、タイラー様に伝えたい想いがたくさんあるから、それを胸にこの部屋に来たけれど、もうそれさえもあなたには終わってしまったことなの? 手を伸ばせば届く距離にいるのに、到底彼に近づくことなどできそうにもない。 今ここにいるタイラー様は、ちょっとした知り合いのような心の見えない侯爵令息そのもので、私は彼といるのに切なくて、話すこともできずに泣き出した。「ちょっと待って。 どうしたの? 話を聞くから。」 そう言って、慌ててハンカチを差し出して、私を慰めようとするタイラー様はいつもの優しい彼で、私は涙が止まらなかった。 タイラー様と心が離れるということは、こんなに胸が苦しいのね。 私もタイラー様のように冷静に自分の気持ちを伝えようと思ってここに来たのに、口から出て来るのは、私の心の奥底の一人ぼっちの寂しがりな自分だった。「だって、タイラー様が私と距離を置こうとしているのよ。 私は、タイラー様といつものようにしていたのに。 私を一人にしないで。」 タイラー様は、そんな私を慰めようとしてくれる。「わかった。 わかったから、まずは座ろうか。」 優しく促されてソファに座らせると、タイラー様は、並んで一緒に座ってくれる。 私は、タイラー様の手をぎっちり掴む。 優しい彼と離れるのが、怖くてたまらない。「何があったの?
タイラーが、マリアに想いを告げ、マリアが居室から出て行くと、部屋にはタイラーとロドルフだけが残った。 部屋は静まり返り、沈黙が二人を覆う。 僕はきっといつかこんな日が来ることをわかっていた。 だから僕は無意識に、この邸に戻り兄とマリアを会わせるのを、できるだけ後回しにしていたんだ。 マリアを失うのが、怖かった。「タイラー様、どうしてマリア様に、これからのことを好きに選んでいいって言ったんですか? 今はタイラー様と婚約中なんだから、何も言わなければ、マリア様は、このままタイラー様の婚約者でいてくれたかもしれないのに。」 そう言うと、ロドルフは悲しげに僕を見つめ、目に涙を浮かべる。「どうして、ロドルフが先に泣くの?」「だって、僕ですよ。 タイラー様を、ずっと見てきた僕ですよ。 タイラー様が、マリア様に相応しい男になるために、陰でどれだけ運動も、領地経営も頑張ってきたかを、ずっと見てきた僕ですよ。 こんなにもマリア様を大切にしてきたって、僕ならいくらでも語ることができます。」「そうだったね。 ロドルフ、泣いていい。」「タイラー様~。」 ロドルフは、椅子に腰掛けているタイラーに抱きついて泣きだした。 長い付き合いだけど、ロドルフがこうやって泣く姿を見せるのは初めてだった。 以前は一人で僕を看病し、負担に感じていた時もあっただろう。 その時だって、僕の前でこのように感情を見せることはなかった。 なのに今、僕のために涙するロドルフは僕より僕の心に正直だ。 それに、いつも僕とマリアがうまくいくように、手助けしてくれていた。 そんなロドルフの気持ちを僕は裏切ってしまったのかな。 でも、頑張っても手が届かないこともあるし、変えられないものもある。 それでも、感謝だけは伝えないと。「マリアとのことをいつも応援してくれたね、ロドルフ、ありがとう。」「タイラー様、かっこつけないで、マリアは僕のものだって、言えば良かったじゃないですか。 絶対に誰にも渡さないって。」 泣きつくロドルフの背中を撫でながら、静かに口を開く。「僕は、かっこつけたわけじゃない。 本当にただ、マリアの幸せを優先したかっただけ。 僕は、彼女と知り合ってから、たくさんのものをもらった。 この動くようになった体も、皮膚がボロボロでも、受け入れてくれる女性がい
私は、タイラー様とのことも気がかりだけれど、それと同じぐらいハリエットのことが心配だった。 カーステン様を頼りにして、クライトン家に身を寄せていただろうに、その彼にあんなことを言われて、この侯爵邸で一人、さぞ傷ついて、心細い思いをしているのではないかと思った。 今私は、カーステン様のことは置いておいて、侍女に案内してもらい、ハリエットの部屋を訪れた。 すると、ドアは閉まっているが、中から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。 私が慌てて居室に入ると、ハリエットが暴れていて、部屋の調度品を薙ぎ倒し、部屋は無残なありさまだった。 周りにいる侍女達は、彼女の暴力に恐れながらもそれを必死におさめようとしていた。「ハリエット、落ちついて。」「来たわね、私を笑いに。」 ハリエットは、お酒に酔っているらしく、私を見つけると焦点の定まらない目で睨みつけながら、ふらふらと近づいて来る。 とりあえず暴れることはやめたので、ハリエットをソファに侍女達と共に座らせる。「ハリエット、お酒を飲みたくなる気持ちはわかるわ。 でも、侍女達に迷惑をかけたり、物に八つ当たりしてはいけないわ。」 私は、ハリエットが落ち着いて来たようなので、目配せして怯える侍女達を下がらせた。 そして、侍女に託された水の入ったコップをハリエットに手渡す。「相変わらずね。 お姉様は、どんな時でも正しくて、イライラするわ。」「まずは、お水を飲んで落ち着いて。 話ならいくらでも聞くから。」「ねぇ、お姉様の頭の中はいつまでお花畑なの? もしかして、まだ、気づいてないの? どうして、クライトン侯爵に、お姉様が妾の子であるとバレたと思っているの?」「さぁ? わからないけれど、事実だから気にしても仕方ないと思っていたわ。 お父様が話したのかどうかもわからないし、考えても答えが出るとは限らないし。」「もう、お姉様はどうしていつもそうなの? どこまでも聖人で腹が立つわ。 もっと怒ってよ。 どうして婚約者を奪われても、そんなに平然としていられるの?」「声を荒げるのはやめて。 みんなビックリして集まって来てしまうから。 私だって冷静でいられたわけじゃなかったわ。 私はカーステン様のことを想っていたから、あの時は随分ショックを受けたのよ。 私の痛みは見えにくい、ただそれだけだわ。」
次の日、目を覚ますと自分が使っているベッドの中だった。 そのすぐそばにはタイラー様がいて、すでに目を覚まし私を見つめていた。「おはよう、マリア、ぐっすり寝れたようだね。」「おはようございます、タイラー様。 あれっ、私、どうしてここに? ごめんなさい、帰りの馬車で寝てしまって。 それに、どうして今まで起きなかったのでしょうか? きっとタイラー様に、ご迷惑をおかけしましたよね?」「迷惑だなんて思っていないよ。 昨日のパーティーの祝杯で酔ってしまったんだね。」「すみません、口をつける程度にしたつもりですが、お酒は今まで飲んだことがなかったのでこうなるとは、わかりませんでした。 私、お酒にかなり弱いんですね。」「飲み慣れていないから酔いがまわったんだよ。 その後、ダンスも踊ったし、王都に来てからの疲れも溜まっていたのだろう。」「それにしても、私どうやってこのベッドまで来たのですか?」「それは、もちろん僕が運んだんだよ。 僕はマリアを抱いて歩くと、めちゃくちゃ遅いし、力もまだ弱いから、ロドルフに支えられながらだけど、他の誰とも君を抱く役目を代わりたくなかったんだ。」「そうだったんですね。 すみません。 私、その間も全然起きなかったのですね。」「ああ、僕とロドルフが大騒ぎしながら運んでいても、君はスヤスヤと気持ち良さそうに寝ていたんだ。 今思い出すと、ちょっと笑えるよ。 君には、お酒に慣れるまで僕がいない時は、外で飲むのを控えてもらうかな。」 そう言って、タイラー様は笑う。「はい、約束します。」 私は、そんな優しい彼に苦笑いするしかなかった。 なんて恥ずかしいの。 その様子を邸の者達は、微笑ましく見守っていたのだろう。 そう思っただけで、顔が熱くなる。 こちらの邸の人達の前では、令嬢らしく振る舞いたかったのに、早速、失敗してしまったわ。「昨日は色々あったけど、馬車の中でマリアを初めて抱きしめられたし、その後も抱っこして運んだり、寝顔も久しぶりに見れた。 僕にとっては、とても素敵な一日の締めくくりだったよ。 マリアは、以前僕の傷に練り薬を塗ってくれたことがあったけど、僕から君に触れたのは、手を繋ぐことぐらいだからね。 昨日は、君が心配で思わず抱きしめてしまったけれど、嫌じゃなかったかい?」「そんなタイラー様が
王子のご成婚披露パーティーの前日に、私達は王都のクライトン侯爵家に、馬車で到着した。 別邸へ向かった時と違って、タイラー様が、ゆっくりと歩いて馬車から降りると、クライトン侯爵、カーステン様、ハリエットが揃い、その姿を見守るように待ち構えていた。「よく帰ったな。 タイラー。 本当に歩けるようになったんだな。 肌も元通りに綺麗になって本当に良かった。 手紙ではそのことを聞いていたけれど、実際に見ると感極まるよ。」 クライトン侯爵は、目に涙を浮かべている。 彼のその反応には、別邸に移ってからの長い時を感じさせた。 それほどの間、私達は王都に戻らなかったということだ。「タイラー、良くやったな。 おめでとう。 疲れただろうから、応接室に行ってから挨拶をしよう。」「ああ、そうしてくれると助かるよ。」 私とハリエットは、お互いに笑顔を交わすと、クライトン侯爵家の方々と、応接室へと移動した。 それぞれ並んでテーブルを囲んでお茶を飲んでいると、上機嫌のクライトン侯爵が話し出す。「改めて、こうして全員が揃ったのは初めてだな。 息子たち二人が共に婚約中で、未来の義娘達を連れてこの邸に来てくれたことに感謝する。 私は、義娘達とは顔を合わせているが、息子達は初めてだろうから、それぞれ紹介してくれ。」「じゃ、僕から。 僕は、兄のカーステンです。 隣が婚約者で、マリアの妹のハリエットだ。 僕は、マリアとは手紙のやり取りをしていたけど、会ったのは初めてだね。 よろしく。」「次は、僕だね。 僕は、弟のタイラー。 以前は寝たきりだったけれど、マリアのおかげもあって、今はこの通り、ゆっくりなら歩けるようになったんだ。 今はマリアと別邸に住んでいる。 そして、隣にいるのが婚約者のマリア。 マリア達は、姉妹だね。 よろしく。」「それにしても、君達姉妹は全然似ていないんだね。 逆に僕達兄弟は似てるだろ? 眼の色が水色か、紫かの違いだけなんだ。」「そうですわね。 私達姉妹は、母親が違うからあまり似てないんです。 顔も性格も。」「性格なら、僕達も違うよ。 兄さんは昔から何でもできて、僕の憧れなんだ。」 穏やかな会話をしているが、テーブルの下でタイラー様は、私と手を繋いだまま離さなかった。 翌日の夜、王宮では王子のご成婚披露パーティ
楽しい旅から別邸に戻った後、タイラー様の歩行状況はどんどん良くなり、今では走るや踊る以外であれば、ゆっくりだがすべてのことができるようになっていた。 いつものように二人で手を繋いで庭園を散歩していると、これはお世話なのか、ただのカップルの手繋ぎデートなのか、もうわからない。 タイラー様は、顔のブツブツが消えてから、お顔が数段美しくなったので、日増しに私は、彼に見つめられると胸が高鳴り、意識せずにはいられない。 それだけではなく、以前のぎこちない立ち振る舞いが、いつの間にか美しい貴族の所作に変わって、さらに私を夢中にさせる。 でも、それを直接伝えるのは恥ずかしくて、タイラー様には内緒にしていた。 「タイラー様、もう安定して歩けるようになったから、歩く時に手を繋ぐのはやめますか?」 実は彼が、いつまでも私にお世話をされたくないと、内心では思っているかもしれないので、一応確認のために聞いてみた。 すると、「絶対にダメ。 僕の歩行訓練の意欲を奪うようなことを言ってはいけないよ。」 と珍しく強く拒否された。 こんなに否定されたのは、高熱を出している時は近づかないと約束させられた時と、護衛の数の話以来だった。 私は少し驚きながらも、多分タイラー様は、私と手を繋ぐのが好きなんだと思う。 だから、もうこれはカップルの散歩なのでしょう。 そう受け止めて、今日も彼とのデートを続ける。 だって私も、恥ずかしさはあっても、彼から求められる嬉しさは、私が欲しかったものそのもので。 そんなある日、王都のクライトン侯爵から、タイラー様宛に書状が届く。 それを見て、タイラー様はみるみる険しい表情を浮かべる。「マリア、僕達は王都に戻らないといけなくなった。 第一王子がご成婚されるそうだ。 だから、貴族は全員、ご成婚披露パーティーに出席しなければならない。 僕は、療養中だから無理しなくていいとあるが、兄とマリアの妹さんが、父の邸にいる。 君は、彼らと一緒にパーティーに出席しなければならないから、僕も行くよ。 父上にもう歩行は問題ないと伝えているが、まだ信じきれていないのだろう。」「そうですか。 一人では不安なので、タイラー様も一緒に来て頂けるなら心強いです。」「急いで僕達の夜会用の衣装を作ろう。」「はい。」 その日から、半年後のご成婚披露パー
「ディクソン公爵様、初めてお目にかかります。 クライトン侯爵家次男タイラーと申します。」「やっと姿を見せたね、タイラー卿、君はどんな人物なのか、周囲の領主達も知りたがっていたよ。」 村の広場にタイラー様とマリアが立ち、馬車から降り立つディクソン公爵を出迎えると、早速、彼はタイラー様のところへ歩み寄り、握手を求める。 その後、タイラー様の姿を上から下まで鋭い目で観察している。「そう言っていただけるとは光栄ですが、私などただの領主でございます。」「いやいや、謙遜は無用だ。 この領地をクライトン侯爵から引き継ぎ、わずか数年でこのように街を栄えさせて、私の領地との差を見せつけてくれたんだ。 大したものだよ。 姿を見せないと有名だし、まさかこんな美しい女性を連れて現れるとは、大したものだ。」 ディクソン公爵は興味深々の様子で、タイラー様の隣に立つ私をじっとりと見ている。「紹介が遅れましたが、こちらの女性は僕の婚約者であるローレ侯爵令嬢マリアです。」「ローレ侯爵令嬢か…。 美人だけど、社交場に一切姿を見せない深窓の令嬢と噂で聞いたことがある。 なるほど、こんなところに隠していたのか。」「はい、彼女は僕の大切な女性ですので、公の場に出ることはしませんでした。」 私は薄らと貴族令嬢らしい笑みを浮かべる。 本当は妾の子だし、幼い頃から婚約していたから、お父様は私を社交の場に出さないようにしていた。 けれども、幼い頃から美人だと噂だけは広まっていたのだ。 だから、カーステン様と会うこともなく、婚約していたのもその噂が理由だった。 もう、彼とのことは過去だけど。 私は目立ちすぎると、美人だから逆に困ったことが起こるのだ。 高位の好色な貴族男性に妾の子だと知られ、自分の妾にと望まれる恐れがあることだ。 だから、お父様はその事実をなるべく伏せていたし、今はタイラー様が婚約者だと名乗ってくれることで守られている。 もし、タイラー様が私を手放すようなことがあれば、目の前のディクソン公爵は、すぐにでも私を手に入れようと動き出しそうだ。 私は彼のような男性がする女性を値踏みする冷徹な目つきがとても怖い。 女性を狙うハンターのように執拗で、陰険に感じる。 最近はタイラー様と過ごしているから、このような男性に接する機会がなかった。 初めてタイラー
タイラー達が広場で歩行訓練を続けていると、興味深そうに見ていた村の子供達が数人集まって来た。「とっても綺麗なお姉さん、こんにちは。」 子供達は、物おじすることなく、マリアに話しかけて来た。 マリアはどこに行っても、人の目を引くし、子供達にももれなく興味を持たれる。「あら、初めまして、ここの村の子達ね。 私はマリアで、こちらはタイラー様よ。 私達が気になる?」「うん、何してるの?」「この村のことを調べているのよ。 それで、お父さんやお母さん達とお話したいと思っているの。 ご両親はお家にいるのかしら? できれば、連れて来てほしいな。」 マリアは子供達に笑顔で話している。 すると、子供達は顔を見合わせて、すぐに頷いた。「わかった。 僕達が連れて来てあげる。」「ありがとう。」 子供達はそれぞれに家に向かって走り出した。「マリア、ありがとう、これならすぐに村の者達と話せそうだ。」 僕は元々人と接することが得意ではないし、ましてや子供達にはどう話しかけたらいいのかわからない。 ロドルフもいるから、そう言った部分は彼に任せておこうと考えていた。 けれども、僕達が大人と話し合いの場を持つために費やす時間を、マリアは一瞬で終わらせた。 これには、さすがと言うしかない。 何せ、マリアの人を惹きつける人柄を一番知っているのは、紛れもなく僕だから。 初めて出会ったあの日、相手が彼女でなかったらきっと僕は関わることすら、拒んでいただろう。 ボツボツの顔を人に、ましてや令嬢に見せるなんて、絶対に嫌だと思っていた。 でも、拒否したいと思いながらも、素直そうなその瞳と表情についつい引き込まれ、今がある。 だから、マリアと出会えて、本当に良かった。 そして、先ほどディクソン公爵と会う時に、「僕を支える。」と断言してくれた言葉に嬉しさが込み上げる。 歩行時にふらついてしまうかもしれない僕に、あらかじめ支えてくれると言うことで、僕を安心させ、守ってくれようとしている。 とはいえ、僕が本当にふらついてしまったら、いくらマリアが自分がふらついたと庇おうとしても、僕だとわかってしまうだろう。 それでもあえて、自分のせいにすると言ってくれる優しさがマリアらしい。 彼女は常にぶれずに僕を支えてくれようとする。 そんなマリアがいるから僕は、明日デ
「タイラー様、ここから先が例の村です。」 マリア達一行は、ディクソン公爵が譲り渡したいと言われる村に到着した。 実際に訪れてみると、何故ディクソン公爵が手放したいのか、わかる気がする。 道路を挟んで、クライトン領は整備された街が広がり、清潔な印象があるのに対し、反対側にある村は道がガタガタで整備されておらず、建物は古く、どこか寂れた雰囲気が漂っていた。「なるほどな。」「全体的に寂れていると言うことですか?」「うん、そう言うことだね。 おそらくディクソン領からの旅人は、昔は森を出た後、クライトン領に入る前の休憩所として村を利用していたのだろう。 けれども、今は僕達の領地の方が栄えているから、森を抜けた後、わざわざここで休む必要がなくなってしまったんだろう。 すぐにクライトン領に入り、賑やかな街で僕達のように宿をとればいいだけだからね。 わざわざ辺鄙な村に寄って、休む必要がないんだよ。 ディクソン公爵にとっては、広大な森の先にあるこの村に、整備するための資金や人手をかけるのが負担になったのだろう。 そうしているうちに、僕達の領地との格差がどんどん開いてしまったんだ。 それで、僕達にこの村を譲ろうと見切りをつけた。 実際、この村の住人達は、買い物や仕事を、僕達の領地で行っているみたいだから。 すぐ隣に便利な街があるんだ。 森を抜ける危険を犯してまで、ディクソン領の街まで行くとはと思えないからね。」「そうですね、タイラー様。 それで、この村を引き受けるのですか?」「ああ、構わないだろう。 このまま僕達の領地の一部として取り込んでしまおう。」「タイラー様、ディクソン公爵様は調印場所として、今いる広場を指定してきておりますが、何故でしょうか?」 ロドルフは広場を見渡しながら首を傾げている。 周りには特に目立ったものはないが、ただ足元にゴツゴツとした石が積み重なっている。 そして、場所によっては目に見えない高低差もある。 タイラー様は転ばないように慎重に歩いていた。 でもそれは、他人には気づきにくい。 彼は歩行に問題がないように見せるために意識的に隠して歩いている。 あくまで、私が彼のそばにいて、ずっと見守ってきたからわかることだ。「貴族同士の調印であれば、普通は街の応接室で行われるものだ。 だが、わざわざここを指定す
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