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第3章 宇野椿

皐月の話し声が絶えてすぐ、奈央は既にオフィスを出て、救急外来へ向かった。

瞬く間もしなかったうちに、二人は救急外来の入口のところについた。

目の前にあったのは、救急外来の医療チームがとにかく大勢に囲まれていた光景だった。微かに聞こえてきたのは、誰かの泣き声だった。

「先生、お願いします。どうか主人を助けてください。まだ四十五なんだ!このまま

先立たれたら、私どうしようか」

「奥さん、いったん落ち着いてください。今、ご主人は身体検査を受けています。容体について、診断結果が出るまでは、お教えることはございません」

現場の様子を良い頃合いまで見守り、皐月はDr.霧島の手を取って人混みの中をすり抜けた。

「どういてください。お医者様のご到着です」

皐月の言葉を耳にして、家族の方たちは一斉に道を退けた。奈央もそのおかげで、無事救急外来に入った。

「患者さんの容体は?」

余計なことを挟まずに、奈央は単刀直入に聞いた。

「車の事故による脳部出血です。出血量はまだ出ていませんが、かなり危険です」

救急外来の当番の先生は奈央のことを知らなかったが、彼女の左胸ポケットにぶら下がっていた職員証に脳神経外科副主任が書いてあったから、何も聞かずに患者の容体について話してくれた。

「頭部CTスキャンの結果が出ました」

この看護師の一言と共に来たのは、検査結果の診断書だった。

診断書を手に取り読んですぐ、救急外来の先生は顔を顰めた。

「これは大変です。大量失血で、高頭蓋内圧による脳ヘルニアが見られます。一刻も早く手術をすべきです」

その診断書に目を通した奈央は、救急外来の意見に頷いた。

「早速オペの準備を!」

「ですが......」救急外来の先生の顔には、不自然な気まずさがあって、

「うちの病院では、このような手術は無理なんです」

開頭手術なんて、誰でもできる芸当ではなかった。

「この患者さんをもっと大きな病院に転送するべきです」

例の救急外来の先生は奈央を納得させようとした。

「既にできてしまった脳ヘルニアは、呼吸中枢を圧迫する。オペを受けないと、患者さんは三十分以内に死ぬ。それでももっと大きな病院に転送するって主張するのか」

眉間に皺を寄せていた奈央は、改まった口調で問いかけた。

「それは仕方ないことでしょう!?うちの病院には、そんな手術ができる医者なんていませんし、そうする以外、方法ないでしょう?」

彼だってそんな判断をしたのが、本意ではなかった。

「私がやる!」というのは奈央の答えだった。

「君が?」彼女を見つめていた彼の目には、疑いで満ちていた。

この病院に脳外科の副主任が一人やってきたのは、噂で聞いたが、今自分の目の前にいるこの女の先生で間違いないだろう。けど、この女の腕前を信じて本当にいいだろうかと救急外来の彼は忖度した。

「手術だと?何の手術?」

ずっと側に立っていた患者の妻は、手術という単語を耳にして初めて状況が分かってきた。その顔に書いてあったのはパニックだった。

奈央はその奥さんのほうへ向いて、丁寧に説明し始めた。

「奥さん、ご主人の容体はかなり危険です。今は脳内失血で、高頭蓋内圧による脳ヘルニアが発生しています。そのため一刻も早く、開頭手術を受けるべきです」

「今なんと?」

その奥さんは目を見張って、さらにパニクった。

「ダメなんだ!そうはいかない。開頭なんて聞いているだけで危険そうな手術、万が一でも夫がこのまま起きることができなかったらどうしよう?」

それに、今自分の目の前にいるこの女医の若さは、マスク越しで彼女の声で伝わった。こんな複雑そうな手術を彼女にお任せして本当に正解なのかと、その奥さんは気を揉んでいた。

「奥さん、いったん落ち着いてください」

奈央は突然大声で話すことで、周囲を黙らせた。

「お気持ちは重々に分かります。ですが、ご主人は今、一刻の迷いも許せない状態なんです。今すぐ手術を受けないと......」

「は泉ヶ原市立病院脳神経外科の副主任、Dr.霧島というものです。ご主人の手術は私が執刀医を担当させていただきます。必ず全力を尽くすと約束しますので」

医者というものは、従来軽々しく手術は無事成功しますなんて言葉を口にすることがない。たとえ彼女でさえも例外なく。

「何がDr.霧島なんだ?聞いたことがない」

「そうなのよ、きっと金目当てのハッタリでしょう。たかが車の事故ぐらい、開頭手術なんて大袈裟だよ」

「きっとそうよ、医者なんてお金のためなら、息をするように嘘をつく。何でもすぐ手術に結びつくから」

もうこれから腹をくくって、サインをして主人に手術を受けさせるところを、背後にいた親戚たちの物言いを聞き入れて、その奥さんは躊躇ってしまった。

「お義姉さん、転院しましょうよ。もっと大きな病院へ」

親戚の中の誰かがこんな一言を無責任に言った。

「それは絶対ダメです!」

奈央は咄嗟に一握でその奥さんの手首を掴んで、声を尖らした。

「ここから再寄りでもっと大きな病院までは、少なくとも二時間はかかります。残念ですが、ご主人はそれまで待ちません!」

「お義姉さん、そんな小娘のハッタリに乗っちゃダメよ」

「ここで患者の生死を語るとは、何様のつもりだ!」

「院長先生がこの小娘の保証人になってくれるのなら、信じてやれなくもないが。できないのなら、さっさと転院手続きを」

状況からして、その奥さんが親戚の子の言葉で動揺していたのは明明白白だった。もし院長先生が本当にこのDr.霧島の保証人になったら、これはこの女医にはそんな実力があるという証になるのではないかと彼女は考えていた。

一方で、奈央は頭が割れそうな気分だった。もう尻に火がつくところだったというのに、この人たちの考えていたことに呆れた。時間は命そのものなんだ!

携帯を取り出した奈央は、院長先生に電話しようとした。何しろその場での一大事は、患者さんの命を救うことだった。

「俺が彼女の保証人になってやります!」

その低い声の元をたどり、後ろへ振り向いた全員の目に映ったのは、身長が185センチの男性の姿だった。寸法に合わせて裁たれた洒落な黒いスーツ姿の男は、威厳と迫力そのものだった。

「宇野グループ、代表取締役宇野椿です。この俺が彼女の保証人になるのは、いかがでしょうか」

彼は手前に立っていたその奥さんを見て、一段と低い声で聞いた。

彼女を声援した男は宇野グループの代表取締役社長の宇野椿だった!

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