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第98章 話すことはないと思うが

戦場ヶ原尭之という男は、きっと人に殴られたことが一度もなかったのだ。そうでもない限り、あんなふうに軽々しく人を挑発するような発言はできないと奈央は思った。

深呼吸して、奈央は自分を強制的に仕事に潜らせた。椿が暗いのが苦手な原因に至っては、彼女は探求しないことにした。別に知りたいわけでもなかったし、彼女とは関係のない話なのだ。

病院で夜遅くまで働き続けた彼女は、運悪くマンションに戻った時に、椿と鉢合わせた。

引っ越すというのは、一刻も早く進めないといけないのだ!

エレベーターの中で、奈央は隅っこに身を寄りかかり、椿の存在を完全に無視した。

暫くして、我慢できずに、椿は先に口を開いてしまった。

「うちのお爺さんが電話したか」

「宇野さんは、私に話しかけていたのか」

奈央は顔をあげて、わざとそれを聞いた。

椿の顔色はなんとなく暗くなったが、彼は怒り出さないように自分の感情を必死に抑えていた。

「じゃなかったら、ここに他に誰がいるというんの?」

「あ、そう」

奈央は心ここに在らずに返事してから、こう言った。

「したけど」

「じゃ、行くのか」

椿はまた質問をした。

「お爺様のお誘いなので、行くに決まってる」

というのは彼女の答えだった。

椿がまだ何も言えなかったうちに、彼女はすぐ言った。

「宇野さんがもし私の顔が見たいないというのなら、私はできる限り宇野さんのことを避けて、必ず会わないようにすることを約束する」

この宴会の主人として、椿が自分の顔を見たくないのも無理はなかった。誰であって、自分のことをクソミソに罵った人に会うのが嫌だろう?

「霧島奈央、俺のことを誤解してるようだ。しかも、かなり深く」

椿は不意に奈央にそう言った。自分は一体何をどうしたらこの女にここまで誤解されたのか。本当のことは、彼女のほうが自分を会いたくないだろう?

奈央は肩をすくめて、椿の言葉をどうでも良く思った。

彼女と椿の間での誤解事はもうやまたくさんだった。一つや二つ増えたところで、痛くも痒くもないのだ。困難や悩み事など、いくら山積みしていても、なんとかなるので、心配することはない。

話をしているうちに、エレベーターが二人の住む階層に止まった。奈央は真っ先にエレベーターを降りて、一刻も早く家に帰ろうとした。これ以上椿にここで絡まれてはたまらないのだ。
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