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元夫の心を燃え立たせた
元夫の心を燃え立たせた
著者: 林未央

第1章 バツイチになった

発行たての離婚届受理証明書を手に取り、霧島奈央は市役所から出てきた。

「若......霧島様」と彼女に丁寧に声をかけた執事の渡辺さんは気まずそうな顔をしていた。「霧島様に渡してくれと大旦那様が」

話の続きに、彼女の目の前に一枚のキャッシュカードが差し出された。この行動の意味は、いわずもがなだった。

この状況に戸惑った奈央は、一瞬うっそりしてやっと返事をした。

「受け取りません。渡辺さん、私の代わりに、大旦那様に礼を申し上げてください。この二年間は大変おせわになりましたと」

言い終えると、彼女は、真っすぐ道端のほうへ向かい、長く待たされていた黒いマイバッハに乗った。

車に乗ってきた奈央は、車内に乗っていた二人の様子を見て、呆れ笑いをしながらこう言った。「翔兄、お兄、バツ一つつけたくらいで、ここまで緊張しちゃってて、大袈裟じゃない?」

「奈央、離婚したって本当か」運転係の柊和紀は振り向いて、話のついでに彼女のほうを見た。彼の目には未だに隠しきれない疑いがあった。

奈央は頷きながら、笑った声で相槌を打ってあげた。「さっき離婚届受理証明書をもらったばかり、発行たてだよ」

そう言った側、彼女はバッグから白い受理証明書を取り出して、二人の目の前で揺らした。

「よくぞやった!」と和紀は豪快に笑った。「もっと早く離婚したらいいのによ」

「違う!最初からあんな結婚するべきじゃなかった!」前言を撤回した彼の口からこの言葉が出てきた。

彼に一瞥して、奈央は何かに急かされたかのように口を利いた。「お兄、運転に集中して、婚姻の墓場から解放されて間もなく、本格的な墓場に眠らされるのはごめんだわ」

「それに、離婚ってめでたいことじゃないし、何もそこまでウキウキしなくても......」彼女は遠慮なく胸の内を吐いた。

寺を一軒壊しても、人の結婚を壊してはいけないって、みんながいつも言っているでしょうというのは彼女の心の声だった。彼女の感覚では、なんと二人のお兄さんは自分の離婚をずっと前から期待していたようだった。

「そりゃ、ウキウキするよ」

思い切り頷いた和紀は、後ろの席でずっと無口な男に目線を配った。「だってオレだけじゃなく、兄貴も相当嬉しいようだぜ」

奈央からの目線を感じた大賀翔は反論せずに、首を縦に振って、話に入った。「カズの言った通りだ。最初から結婚しなかったらよかった」

翔の話を聞いて、奈央はため息をついた。彼女はどうしようもなかい口振りでとあることを切り出した。「これはお爺さんの遺言だ。それに背けることはできなかったの、分かってくれるよね」

奈央がお爺さんのことを口にしたのを聞いて、男の二人は一時、沈黙を保つことしかできなかった。暫くして、和紀のほうが愚痴半分に、呟いた。

「ったく、爺さんも爺さんで、何を考えていたかわかるもんじゃない。まさか本当に宇野椿のやろうと結婚させるとは」

「結婚していた二年間、あいつは完全にお前を透明人間のように扱っていたなんて、人を馬鹿にしやがった真似を!」

奈央が止めに入ってこなかったら、彼は遠の昔にあの青二才をボコボコにしていた。

和紀の怒りを自分の目で納まっていたご本人、奈央はかなり冷静沈着だった。

「私的にはなんてこともなかったよ。お互いに気を配る必要もなく、気楽な二年間だったよ。結婚して以来一度も宇野邸に寄ったこともなかったの。多分、妻であった私の顔も知らないでしょうね」

ちゃんと考えると、とんだお笑い話だった。二年間夫婦だったというのに、本来なら最も親しいはずだった二人は、一度も顔を合わせたことがなかった。これは、誰にとっても受け入れ難くて、屈辱的なことだった。

「あいつがこんな真似をするクソ野郎って分かっていたら、何にを言われても結婚なんてさせなかったんだ」和紀は再び口を開いた。椿への彼の恨みは明明白白だった。

「爺さんったら、どうしても結婚させるのなら、オレとでもよかったんじゃない?」にこりと笑ったあと、彼は言い残した言葉を一気に出した。「なんなら、兄貴と結婚するのもありじゃん?つまりオレらは宇野椿のクズよりずっとましな人間だっていうことだ」

彼の言葉で、奈央は呆れて、言葉も出なかった。

「お兄、もう揶揄うのやめてよ!自分の兄と結婚してどうする?」お兄の和紀の考えていたことを、奈央はさっぱり理解できなかった。

それに対して、和紀はいかにも何にも気にすることがなかったような顔で答えた。「血の繋がりがないし、結婚したって問題ないじゃん?」

奈央はじろりと和紀を白い目で睨みつけた。翔兄の翔もお兄の和紀も奈央のお爺さんに引き取られたとはいえ、三人は幼い頃から、一緒に育てられてきた。彼女の中では、血の繋がりのありかなしかに関係なく、この二人は自分の実の兄とは変わらない存在なのだ。

「もうふざけてないで、お兄。私の中では、翔兄もお兄も、ずっとお兄さんなのよ」

和紀ははなから冗談のつもりでいたし、奈央もそれは真に受けていなかった。ただ、二人とも、後ろの席での翔は終始この話題に参加することがなく、ずっと黙っていたことに気付いていなかった。

和紀が奈央に言った兄貴と結婚するという言葉が耳に入ってきた時、翔の目顔が少し違ったようになって、彼の視線も無意識のうちに、勝手に隣に座っていた彼女のほうに向いた。

けど、奈央の話を耳にした後、彼の目にはもう先の薄い光がなくなり、瞬く間に元のように戻ってしまった。

彼は自分の下心を隠すという課題を見事になしてきた。ここ数年、和紀も奈央も、自分のそういう感情を察したことがなかった。

「もう、この話はこの辺にしとけ。離婚のことはも済んだし、これからはどうするつもり?」翔の口から流れてきたのは、彼の人を惹きつけるような声だった。彼の声は、冬のお日さまの暖かさがした。聞いていると、気持ち良くなった。

「奈央、あの時お前は、結婚のために引退した。あれ切り、もう二年の歳月が経った。外で、奈央のことを探していた人々、もう乱心したと言っても過言じゃないぞ」

翔の言葉が引き金になり、奈央はため息を漏らした。もう抑えが効かなくなったかのように、昔の日々がひたすら懐かしくなってきた。「もうそんなに経ったか、このDr.霧島を覚えてくれる人がまだいるかしら」

「もちろん」

奈央を見つめていた翔の目には、読み取りにくい感情が湧き上がってきた。「奈央は、世界でも有名な脳外科医の一人だよ、二年だろうが二十年だろうが、いくら時間がたっても、完全に人々に忘れられる日なんて来ない」

「そうかな?」奈央の口元には微笑みが浮かんできた。彼女の目を輝かせたのは、今度こそ徹底的やろうじゃないかという眩い光だった。「それでは、再びメスを手に取ることに拍手!」

翌日、宇野グループ、代表取締役のオフィス内、助手の道上海斗は電話を切った後、デスクの向こうで取り込んでいる男に振り向いた。

「宇野様、宇野邸からのお電話でした。離婚届受理証明書はもうもらいましたとの連絡です」

助手の言葉を耳にしていても、男は一瞬でも手が止まったことがなくそのまま聞き返した。「そっか、で、いくら請求した?」

「渡辺さんの話だと、お金は一切請求しなかったそうです」

やはり、この返事を聞いた宇野椿は、お約束通り眉を顰めた。「一切請求しなかった?」

「はい、大旦那様は確かに金を渡そうとしていましたって渡辺さんが。ですが、向こうに断られました」助手の彼でさえも、この話が馬鹿不思議だった。

何しろ......

元若奥様だったあの女は田舎者出身だと聞いたから、さぞ貧乏な暮らしをしてきたのに違いなかった。なのに、どうして金を断ったんだろう?

椿は書類をめくっていた手を止めて、少々沈吟して口を開けた。「彼女を探して、街の西にある屋敷を譲ってあげて」

向こうは二年間ずっと大人しくて、騒ぎを立てずにしてくれたし、躊躇なく離婚してくれたし、ひどい仕打ちは当然あり得ない。

海斗は頷ことでボスの命令を覚えたつもりで、焦りもせずに、出発する様子もなくオフィスに留まった。

「また何か話でも?」助手に離れる気がなかったのを察して、椿は八の字を寄せながら聞いた。

「その通りです」

ボスの漆黒の両目に睨みつけられて、海斗の背中から生汗がぼたぼたと流れてきた。圧力に耐えずに、彼は早口で喋った。「先ほど、入った情報ですが、二年間姿を消してしまったDr.霧島が再び姿をあらわしてくれたみたいです」

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