夜中、斎田は薫のために心を込めた料理をたくさん作った。薫は感動して涙が出そうになった。斎田と同居を始めたこの間、薫はずっと自ら手料理して、斎田に気を配っていた。斎田がただ一度料理をしただけで、薫の感動を簡単にもらえた。でも彼女は忘れていた。結婚してから、薫の食事はずっと俺が担当していたことを。薫は酸っぱいものが好きだから、俺は車で数十キロ走って彼女の大好きな酸っぱいあんずを買いに行ったことがある。慢性胃腸炎を患っている薫に、俺は毎日早起きして温かいお粥を作ってあげた。薫が仕事に行くと、デスクのそばにはいつも俺が作った温かいお弁当がある。五年間、一千八百二十五日。毎日毎食、俺は彼女のために心を込めて用意していた。春から冬まで、俺は一日も休まずやり続けてきた。そして現在。薫は目尻の涙を拭った。斎田は彼女にお粥をよそった。食べた瞬間、薫の顔色がわずかに変わった。「丹吾さん……このお粥に海鮮類が入っているの?」斎田は得意げな笑みを浮かべた。彼は薫が自分の意図に気づいたと思ったのだ。「この季節はちょうど海鮮が美味しい時期で、わざわざ外国から取り寄せたんだ。このロブスターだけで二万以上かかったよ!」価格をわざと強調した斎田は、薫を見つめた。その目つきは褒めてもらいたいというものだった。いつも彼を甘やかしていた薫は、黙って海鮮粥を置き、返事をしなかった。斎田の目に一瞬失望の色が浮かんだ。俺は冷笑した。薫は海鮮アレルギーだった。だから、いくら海鮮が好きでも、家では海鮮料理を一切作らなかった。ある時、薫が誤って海鮮の入った料理を食べてしまい、全身に赤い発疹ができたことを覚えている。真夜中に、俺は薫を車に乗せて、命がけで車を走らせ病院へ向かった。夜露が冷たく、薄いシャツ一枚しか着ていない俺は、車にあった唯一のジャケットを薫にかけた。その時は、俺が薫の温かい表情を見た数少ない瞬間だった。彼女は俺の腕の中に横たわり、俺の首をしっかりと抱きしめ、温かい頬を俺の胸に寄せていた。点滴を受けている時、薫が突然俺の手を握った。一瞬、彼女が心変わりしたのかと思った。家に帰る途中、俺はずっと考えていた。もしかしたら、俺たちは本当に普通の夫婦のように、愛し合いながら年を重ねることができる
海鮮粥を置いた後、薫は手を伸ばして料理を取った。一口目を飲み込むと、薫は再び眉をひそめた。しかし、斎田の切実な目を見て、やはり飲み込んだ。料理が強い唐辛子の匂いがした。斎田は薫が食べたのを見て、彼女が好きだと思い、笑いながら薫のお碗にたくさんの料理を入れた。「薫、君が辛いものが大好きなのを覚えているよ。この炒め鶏には特別にたくさんの唐辛子を入れたんだ」この言葉が出ると、雰囲気が少し固まった。薫は箸を置き、斎田を見つめた。「でも、私は辛いものが好きじゃない」「あなたに言った覚えがある」斎田は一瞬呆然とした。明らかに、彼は薫の好みと他の彼女たちの好みを混同していた。薫は辛いものが食べられない。辛いものを食べると胃が痛くなり、時には一晩中痛くて眠れないこともあった。この点を知っているので、たとえ自分が辛いものが好きでも、料理に唐辛子を一切入れなかった。薫はこの数年間、俺にとてもよく世話をされていたから、自分が胃痛を感じた時のことを忘れてしまった。今、薫の額にはうっすらと汗がにじみ、唇は少し青白くなってきた。俺は知っている、彼女の胃が痛み始めたことを。けど斎田は少しでも薫の気持ち悪さに気づいていなかった、斎田は気まずそうに笑いながら説明した。「海外にいた時期はよく眠れなくて、記憶力も少し落ちてしまったんだ」「じゃあ、辛い鶏肉炒めはやめて、あっさりしたものを食べてって」そう言って、斎田は一皿の冷菜を薫の前に差し出した。激しい胃痛で薫の顔はすでに血の気を失っていたから、冷たい料理を見て、彼女の顔色はさらに悪くなった。「食べてみて」斎田は熱心に薫を見つめながら言った。「僕が作ったんだ。夏にぴったりで食欲をそそるよな」今回は、薫は斎田に従わなかった。彼女はゆっくりと立ち上がり、不快を押さえた。「ちょっと疲れたから、先に部屋に戻って休みます」斎田の目に一瞬驚きが走った。彼が帰国して以来、薫はいつも彼に従順だった。でも今回は、どうしてこんなに異常なの?斎田は突然危機感を覚えた。
寝室に戻ると、薫は床に落ちた結婚写真の前に立ち、ぼんやりと長い間見つめていた。しかし最後に、彼女は割れた写真立てを拾わず、斎田にメッセージを送った。「丹吾さん、さっきは気分があまり良くなかっただけで、あなたを無視したわけではないよ」「謝ります。深く考えないでください」心臓に小さな穴が開いたようで、風が吹くと鈍い痛みを感じた。俺は三ヶ月間行方不明になり、まだ死んで間もないのに、妻である薫は一度も電話をかけてこなかった。しかし、初恋の斎田に対して、薫はこれほどまでに卑屈になることができる。この瞬間、俺は突然理解した。これまでのあらゆる忍耐や妥協は、ただの自己満足に過ぎなかったことを。たとえいつか薫が俺の死を知っても、彼女は喜ぶだろう。やっと堂々と斎田と一緒にいられるのだから。メッセージを送信した後、薫はインスタを開いた。彼女の高校の同級生であり、俺の同僚が新しいストーリーを上げた——今日は会社の社員旅行。載せたのは会社みんなの集合写真だった。薫は突然気づいた、中には俺がいないことに。同僚はとても親切に文字まで添えた。「友の勝俊が社員旅行に参加できなかったので、ここで彼の世界旅行の成功を祈ります!」薫は目を見開き、まるで首を絞められたようだった。勝俊は怒って3ヶ月間家に帰らなかったのが、実は世界一周旅行に行っていたと?結婚して五年、無数回の喧嘩をしてきたが、薫の気性がどれほど悪くても、いつも最初に頭を下げて謝るのは勝俊だった。でも今回は、勝俊がなんと3ヶ月も連絡を取らず、彼女に内緒で旅行に行ったと。くっさ、よくもそんなことをできるんだ。薫は胃の痛みを気にしなくなった。彼女は勝俊に一度目にもの見せてやらねばと思った。俺は薫がキャビネットの中で何かを探しているのを見た。そして薫が離婚届を取り出した。俺はフッと笑った。彼女はすでに準備ができていて、ただきっかけが必要だっただけだ。薫は離婚届を写真に撮り、俺にラインで送る準備をしている。しかし、彼女は返事をもらうことはなかった。薫は自分がブロックされてないかとチェックし、そして目を大きく開いた。「よくも私をブロックするなんて、本当に冷徹だわ」彼女は忘れていたのは、彼女自身が喧嘩して腹を立たせ、俺の連絡先を削除したこ
ドアを開けたのは俺の姉だった。姉の知子は薫を見た途端、顔に怒りが溢れてそうだった。「何しに来たの?この家はあなたなんか歓迎してませんよ!」そう言って、知子はドアを閉めようとしたが、薫に止められた。「私は勝俊と離婚の話をしに来ました」彼女は得意げに手に持った離婚届を振って見せた。「勝俊は夫として、三ヶ月も家に帰ってない。私はもう耐えられないから、離婚を考えていますが、問題ありますか?」「勝俊に早く教えてください。サインしてもらったらすぐに区役所に行って離婚手続きをします。この生活はもう一日も続けられません」知子は無表情で薫を見つめていた。「離婚したら、あなたも幸せに初恋の人と復縁するんでしょ?」薫は呆然とした。思いが見破られて、彼女は少し恥ずかしかった。「私は丹吾さんと何もないです。彼は私の初恋の人だったとしても、私は今結婚しています。なぜあなたたちはいつも偏見を持って私たちを見ているんですか?これは偏見だ!」「嘘つけ」知子は笑った。「あなたも自分が結婚していることを知っているし、自分が勝俊の妻であることも知っているはず」「浮気をする人は誰も自分が浮気をしているとは思わず、いろんな言い訳をして自分を正当化する」「結婚後に何度も他の男と祝日や誕生日を過ごすことが浮気でないなら、何が浮気になるんだ?」「あなたの心の中では、最後の一歩を踏み出さなければ浮気にならないと思ってんのか?薫、言っておくけど、精神的に他人を好いたらそれも浮気に入るんだよ。あなたは本当に浮気性の女だ」薫は言葉を失った。でも彼女は諦めきれなかった。ここまで来て勝俊に会えないなんて、しかも彼の姉に叱られるなんて納得できない。すると、彼女は突然知子を押しのけて、俺を探しに部屋に入ろうとした。薫が部屋のドアを踏み入れたその瞬間、彼女は立ち止まった。リビングの真ん中に、白黒の遺影が置かれているからだ。遺影の中には、まさに彼女の夫、勝俊の写真だった。俺の全身の血が沸騰しているようだ。この三ヶ月間、幽霊になってから、妻が他の男と一緒にいるのを見るたびに、俺は考えていた。薫が俺の遺影を見たら、どんな反応をするだろう。俺は大きく目を見開いて、薫の顔をじっと見つめ、答えが明らかになるのを待っていた。薫は冷笑し、
「次の日になって雨が止み、釣り人が川辺に来て、彼の遺体を発見し通報した」知子は声の詰まりを必死に抑えた。俺の思いは引き戻され、姉のすでに赤くなった目元を見つめた。トランクの中で、薫の言葉を直接聞いたとき、俺は絶望していた。七十二回も刺されて、涙を流さなかった。ただ、心臓に穴が開いたように、悲しみは心の死よりも大きかった。薫はその場に立ち尽くし、耳にしたことが信じられないようだった。あの日、確かにスマホが鳴ったが、彼女はそれが勝俊からの電話だとは知らなかった。彼女はただ、斎田が机の端に置いた自分のスマホを手に取り、一瞥してから淡々と言ったことを覚えているだけだった。「またセールスの電話だわ。切っておくよ」薫は気にしなかった。今になって。薫は硬直した首を回し、震える声で話した。「そんなことはありえない、勝俊は死んでいない、きっとあなたたち兄弟がグルで私を騙しているんだ」俺は薫の微かに震える背中を見て、彼女がすでに動揺していることをわかった。知子は冷たく薫を一瞥し、彼女にある場所の住所を教えた。舟城拘置所。「弟を殺害した犯人はここに拘留されてる。信じられないなら見に行ったらどうだ」そう言って、知子は薫を追い出した。
薫は3回連続で赤信号を無視した。俺の魂は助手席に座っていて、薫の焦りを感じた。道中、彼女は眉をひそめ、斎田の電話をいくつか切った。電話が再び鳴った。今回は薫が電話に出ることにした。斎田の声が聞こえてきた。「薫、胸が少し苦しい感じがするんだけど、君は……」「体調悪いなら病院に行ってください、私はお医者さんではない」薫は淡々とこの言葉を投げかけ、相手が反応するのを待たずに電話を切った。俺は少し驚いた。昔は、斎田が電話をかけてくると、薫はどんなに忙しくても斎田のそばに飛び込んだ。でも今、俺は薫のことが少しわからなくなってきた。車は猛スピードで走り、最後に拘置所の前で止まった。意図を説明した後、警察の案内で薫はある面会室に向かった。拘置所は静かで、足音しか聞こえなかった。警察が一歩前に進むと、彼女もついて一歩進む。ダダ、ダ。いきなり、薫が口を開いた。「あのすみません、西村勝俊の……遺体を本当に見たのですか」警官は振り返り、疑わしげな口調で言った。「あなたは亡くなった方の妻で、彼がすでに3ヶ月前に殺害されていたことを知らなかったのですか」「この事件は悪影響を及ぼし、犯人は数日間追跡された後に逮捕されました。テレビ局も報道したはずです」「西村さんは今まで知らなかったのですか?」薫は足元が少しふらつき、危うく倒れそうになった。俺が亡くなってからのこの三ヶ月間、薫は会社を他人に任せっきり、家で斎田と二人の世界に専念していた。薫が斎田に愛情たっぷりの朝食を作っているとき、俺の遺体が発見され、体には傷だらけだった。薫が斎田を寝かしつけるために優しくあやしているとき、俺の姉は軽い骨壺を抱えて火葬場で泣き崩れていた。薫は俺が電話に出ないことで腹を立たせているとき、犯人がちょうど逮捕され、彼の家で大量の人体の破片が発見された。俺の体の破片。遺体が不完全で、あちこちから集めたため、俺の骨はほんの少しの灰しかならなかった。姉はとても怒っていた、このことは薫に伝えなかった。足音が止まり、代わりにすすり泣く声が聞こえた。涙が薫の頬を伝って流れ落ちた。突然、苛立ちを感じた。生きているときに俺を大切にしないで、死んでから後悔して涙を流してくれても、何の意味もないのに。俺
警官は薫を面会室に連れてきた。俺を殺したあの男が、今ガラスの向こうに座っている。「あなたは西村の妻ですね、とても綺麗ですよ」「俺は西村のスマホの待ち受けであなたの写真を見たことがあります」薫は無表情で向かいの席に座り、何も言わなかった。犯人は悪魔のような微笑を浮かべ、続けて言った。「西村は本当に男らしかったですよ。俺が彼の指を一本ずつ折っても、彼は一言も言わなかったです。恐れを知らない獲物なんて、つまらなかったです」「だから脅迫したんです、叫んで命乞いしてくれなかったら、お前の妻も誘拐して殺すと」「どう思いますか?西村が泣きましたよ、ハハハハハハハ!」「被害者の家族を刺激するな!」警官は立ち上がって制止した。薫は無表情で犯人を見つめ、ゆっくりと口を開いた。「彼に話させてください」薫の眼差しはとても静かで、静かすぎて少し怖い感じがするほどだ。犯人は口元を歪めて笑い、「知ってるんですか?最後に俺が彼の心臓にナイフで突き刺した時、彼は薫という名前を叫んでいたんです」「薫、あなたの名前ですかね?」人は死ぬ前に、走馬灯が頭の中に流される。生命の兆候が消えかけたその瞬間、たくさんの人々のことを思い出していた。俺の姉、俺の友人、俺の人生に足跡を残したさまざまな人。でも最後に、俺の心にはある光景が焼き付いていた。その光景の中、薫は純白のウェディングドレスを着て、俺と結婚すると言ってくれた。広大な原野を、列車が疾走し、俺の声をかき消した。最後に「薫」と叫んだ声は、犯人だけが聞こえた。……面会室内に、薫は椅子に釘付けにされたように、微動だにしなかった。俺はイライラしながら薫の周りを行ったり来たりしていた。俺は彼女が無表情で立ち上がり、無表情でドアの外に向かって歩いていくのを見ていた。外ではしとしとと小雨が降っていて、薫は傘をさしていなかった。立て続けの打撃が、薫を麻痺させたのかもしれない。彼女は無表情で雨の中を歩いていた。怒りもせず、泣きもせず、ただ静かに歩いているだけで、その瞳には生気がなかった。突然、眩しい車のライトが薫に当たった。トラックの運転手が車を止めて怒鳴った。「目がついてないのか、真昼間に赤信号を無視して、車に轢かれるのが怖くないのか!」薫は道路
薫が家に帰ったのはすでに夜の11時だった。斎田は薫が入ってくるのを見て、すぐに駆け寄って彼女の手を握った。「薫、どこに行ってたの?心配でたまらなかったんだよ。知ってる?一日中君のことを考えてたんだ……」薫は冷たく手を引っ込めた。斎田の笑顔が瞬時に固まった。彼の目には不満が閃いた。昔は斎田が甘い言葉を使わなくても、薫は必ず従順だった。けれど今は違った。斎田は数日前の薫の異常な行動を思い出した。電話で勝俊に関する連絡を受けてから、薫は変わり始めたようだ。斎田は歯を食いしばり、それでも追いかけた。「ごめんね、薫。もしかして、また僕のせいで勝俊さんと喧嘩したの?今すぐ勝俊さんに説明しに行くから……」薫は顔を上げた。「勝俊はもう死んでる」一そう言い終えると、斎田はその場で呆然とした。「ああ、それは本当に……」斎田の演技はあまり上手ではなく、むしろひどいと言ってもいい。今、斎田は力を込めて目を細めたりしていたが、それでも涙の一滴も出てこなかった。「それは本当に残念だね、勝俊さんはまだ若いのに」斎田はため息をつき、悲しそうに見えるように努めた。「でも薫、そんなに悲しまないで。勝俊さんは生前とても楽しく過ごしていたみたいだし、あんなに多くの国や都市を旅行して、僕は本当に羨ましかったよ……」これは斎田がよく使う手口だ。薫の前で軽く「勝俊さんが元気に過ごしている」と言って、薫の心の中のわずかな罪悪感を打ち消そうとする。しかし今日は、この手が効かないようだ。薫は斎田を見つめ、その目はかつてないほど冷たかった。「聞くけど、あなたの誕生日の日に勝俊が私に電話をかけてきたのに、どうしてそれをセールスだと嘘をついた?」斎田は表情を硬くし、すぐに説明した。「薫はあの日勝俊さんと喧嘩しただろ、彼からの電話が来たらもっと怒るんじゃないかと心配して、それで……」「じゃあ、どうしてまた応答ボタンを押して、わざと勝俊に私たちの会話を聞かせたの?」「私はその日の通話記録を見つけたよ。その電話は確かに接続されていた」薫は斎田をじっと見つめ、相手の顔に穴を空かせようかのようだった。斎田はしばらくごもっていたが、最後に歯を食いしばって言った。「僕はうっかり応答ボタンに触れてしまったみたいだ