薫が家に帰ったのはすでに夜の11時だった。斎田は薫が入ってくるのを見て、すぐに駆け寄って彼女の手を握った。「薫、どこに行ってたの?心配でたまらなかったんだよ。知ってる?一日中君のことを考えてたんだ……」薫は冷たく手を引っ込めた。斎田の笑顔が瞬時に固まった。彼の目には不満が閃いた。昔は斎田が甘い言葉を使わなくても、薫は必ず従順だった。けれど今は違った。斎田は数日前の薫の異常な行動を思い出した。電話で勝俊に関する連絡を受けてから、薫は変わり始めたようだ。斎田は歯を食いしばり、それでも追いかけた。「ごめんね、薫。もしかして、また僕のせいで勝俊さんと喧嘩したの?今すぐ勝俊さんに説明しに行くから……」薫は顔を上げた。「勝俊はもう死んでる」一そう言い終えると、斎田はその場で呆然とした。「ああ、それは本当に……」斎田の演技はあまり上手ではなく、むしろひどいと言ってもいい。今、斎田は力を込めて目を細めたりしていたが、それでも涙の一滴も出てこなかった。「それは本当に残念だね、勝俊さんはまだ若いのに」斎田はため息をつき、悲しそうに見えるように努めた。「でも薫、そんなに悲しまないで。勝俊さんは生前とても楽しく過ごしていたみたいだし、あんなに多くの国や都市を旅行して、僕は本当に羨ましかったよ……」これは斎田がよく使う手口だ。薫の前で軽く「勝俊さんが元気に過ごしている」と言って、薫の心の中のわずかな罪悪感を打ち消そうとする。しかし今日は、この手が効かないようだ。薫は斎田を見つめ、その目はかつてないほど冷たかった。「聞くけど、あなたの誕生日の日に勝俊が私に電話をかけてきたのに、どうしてそれをセールスだと嘘をついた?」斎田は表情を硬くし、すぐに説明した。「薫はあの日勝俊さんと喧嘩しただろ、彼からの電話が来たらもっと怒るんじゃないかと心配して、それで……」「じゃあ、どうしてまた応答ボタンを押して、わざと勝俊に私たちの会話を聞かせたの?」「私はその日の通話記録を見つけたよ。その電話は確かに接続されていた」薫は斎田をじっと見つめ、相手の顔に穴を空かせようかのようだった。斎田はしばらくごもっていたが、最後に歯を食いしばって言った。「僕はうっかり応答ボタンに触れてしまったみたいだ
翌日、薫は俺の遺品を整理することに決めた。俺に関するすべてのものは、薫によって物置に移された。彼女は数ヶ月間入っていなかった物置を開けたが、俺の物はすでに厚い埃に覆われていた。その埃を見て、薫はふと俺が亡くなって三ヶ月が経ったことを思い出した。三ヶ月の時間は、春の芽が枝を伸ばすのに十分あり、氷水が溶けるのにも十分あり、俺の遺品に厚い埃が積もるのに十分だった。しかし彼女は俺の死を全く知らなかった。薫は震えながら一つの段ボール箱の前に歩み寄った。その中には俺のすべての物が入っていた。勝俊は物欲が非常に低く、29年間生きてきて、残したのは数着の単色コートと、色あせたシャツだけだった。薫はそれらの衣服を広げて、畳んだ。広げて、また折りたたむ。十数回繰り返した後、薫は顔がしっとりと湿っているのを感じた。手を伸ばして触れると、それが涙だと気づいた。なぜなら、彼女が今手に持って折りたたんでいるのは、かつて彼女がアレルギーで病院に運ばれたときに、俺が彼女にかけたあの服だったから。薫はこの五年間、勝俊にとてもよく世話をされていたことに気づいた。この5年間、勝俊は自分の食事を担当しており、お粥はいつも温かく、料理はいつも美味しく、さらには自分の生理周期もはっきりと覚えてくれて、白粥に補血のための黒糖を加えてくれていた。でも、どうして今まで気づかなかったのだろう。薫の体が止まらなく震えていた。遅かった、すべてが遅かった。彼女は何度も婚姻生活を乗り越えようと、真実の愛を追い求めようとしたが、結局、自分を最も愛してくれていた人が一番近いところにいたことに気づいた。ずっと、彼女を静かに見守っていた。誇り高い薫が、今はとても落ち込んでいるように見えた。彼女は服をきちんと畳み、箱に戻そうと振り返ったが、箱の底に黄ばんだノートが横たわっているのを見た。薫は、勝俊がこのノートに頻繁に何かを書いていたのを思い出した。しかし、その時薫は全く気にせず、書かれた内容にも関心を持ったことはなかった。今。薫はそのノートを手に取った。俺の魂は焦りながら周囲を漂い、彼女の行動を止めようとしていた。しかし所詮魂は魂だ、手に触れられるのは虚無だけ。薫はノートを開いた。存在しない俺の息が止まった。
2013年10月3日、晴れ今日、俺は薫と結婚した。この日を、俺はとても長い間待っていた。薫は知らないかもしれないが、僕が彼女を好きになったのは、彼女が「愛」という言葉を知る前のことだった。結婚式で、俺は彼女に、小学校で彼女の後ろの席に座っていたあのちょっとおかしな男の子を覚えているかどうか尋ねた。薫は首を横に振り、覚えていないと言った。しかし、俺は少しも失望していない。大丈夫、俺が彼女を愛していればそれでいい。俺はこの一生をかけて、彼女を愛し、敬い、大切にすると決めた。2014年7月6日、晴れ同時に5つのアルバイトをするのは、とても疲れた。タクシーは高すぎるので、歩いて帰ることにした。帰り道に薫が大好きなドリアンを買った。夕食の時、彼女はなぜ俺がドリアンを食べないのかと尋ねた。俺は笑って、自分が好きではないと答えた。実は食べたくないものなんてないんだよ。ただ最高のものを、最愛の人に残したいだけ。とても幸せだ。2015年3月1日、小雨のち曇り薫の会社がついに上場した。起業初期には、貯めた全ての金を使い果たしたが、それでも全てが価値あるものだった。薫が苦労の末に幸せを手に入れたのを見て、俺は本当に彼女のことを嬉しく思った。これから俺たちの生活は、もっと良くなるでしょう。2016年11月6日、大雨薫は最近ずっと携帯をいじって誰かとチャットしていて、恋をしているような笑顔を見せている。さらには、彼女は俺と別々の部屋で寝たいと言い出した。実はこの間、薫が俺に対して疎遠になっているのをうっすらと感じていた。俺たちの間には何かが横たわっているようだ。自分に言い聞かせようと努力してる、もしかしたら考えすぎかもしれない。薫を信じよう。薫を信じるんだ。2017年2月8日、曇り薫の初恋の相手、斎田が今日帰国した。ついにわかった、俺と薫の間にある壁が何なのか。俺が空港に駆けつけ、薫と斎田が抱き合っているのを目撃したとき、心が痛んだ。俺は何なの?俺と薫の過去は何だったのか。もしかしたら、それらはすべて俺の一方的な過去だったのかもしれないと思った。2017年2月9日、晴れ薫は今夜帰ってこなかった。薫を信じて、薫を信じるんだ。勝俊、彼女を
俺の魂は薫にぴったりとついていく。彼女は斎田の住居に着いた。ドアを開けると、来たのは薫だとわかって。斎田の目に一瞬の喜びが浮かんだ。薫は無表情で部屋に入った。斎田は薫に一杯の水を注ぎ、笑って言った。「薫、ついに心を入れ替えてくれたんだね」「人は死んだら生き返らない、ぼくたち生者は苦しみに浸る必要はない」「僕と結婚して、薫。僕は君を守るよ」薫はその水を受け取らなかった。ただ呆然と斎田を見つめていた。「丹吾さん、あなたが海外で負ったその賭けの借金は返済しましたか?」斎田は相手がこの質問をするとは思ってもみなかったから、その場で固まってしまった。薫の目に憎しみが閃いた。「私は本当に馬鹿だった、あなたに何年も騙されていた」「あなたが海外でやった悪事は、調べればすぐにわかるのに、私はあなたを信じて一度も調べたことがなかった」「勝俊が私に忠告したのに、私はそれでもあなたを信じることを選んだ」「斎田、勝俊はあなたが殺した」「あなたは殺人犯だ、なぜ彼の代わりに死なないのか!」薫の感情が徐々に制御不能になっている。彼女は怒りに満ちて立ち上がり、バッグから短刀を取り出し、狂ったように斎田に向かって突進した。斎田は薫が人を殺すとは全く思っていなかった。彼は避けることができず、刃先が腹部に刺さった。鮮やかな血の花が咲いた。斎田は地面に倒れ込み、苦しみながら助けを求めた。「痛い……」斎田が痛みを訴えるのを聞いて、薫の目が赤くなった。「あなたが痛いなら、勝俊はもっと痛い」「七十二回、彼はどうやって耐えたんだ!」斎田はすでに制御不能になった薫を見て、恐怖に駆られてドアの外へ這っていった。薫は何も言わず、ナイフを斎田の左脚に深く突き刺した。一回、またもう一回。薫の顔に血のしずくが飛び散った。「丹吾さん、あなたが何万回死んでも勝俊に対する罪の償いにはならない、あなたは殺人犯だ」もしかして今日逃げられないことを知っていたのかもしれない。絶体絶命の状況で、斎田の目つきは次第に凶悪になっていった。「薫、お前に僕を批判する資格があるの?」「お前も殺人犯だ」薫はその言葉を聞いて呆然とした。斎田は流血する腹部を押さえ、恐ろしい目つきをした。「薫、勝俊の身分証を俺に渡
警察が薫を逮捕したとき、彼女は家で私の遺影を拭いていた。彼女は逃げなかった、逃げようとも思わなかった。彼女の手首には銀色の手錠がかかっていた。薫は安堵の表情を浮かべた。「警官さん、着替えの衣類を何着か持って行ってもいいですか?」警察は少し躊躇したが、同意した。俺は薫が寝室に入るのを見ていた。俺はすぐに追いかけたいと思ったが、ドアを通り抜けることができなかった。内心に不吉な予感が湧き上がった。果たして、数秒後に下から大きな音が聞こえた。すぐに、誰かが叫んだ。「飛び降りた……誰かが飛び降りた!」
警察が到着したとき、薫はすでに血まみれで倒れていた。彼女の目は大きく見開かれ、家の方向をじっと見つめていた。手に写真を握っていた。警察は大変な努力をして、やっと写真を引き出した。それは俺たち結婚写真だった。薫と勝俊のウェディング写真。……数日後、薫の事跡が報道された。誰もが言うには、薫は結婚中に不倫し、夫を死なせ、愛人を手にかけ、罪を恐れて自殺した。完全な……狂人だ。
俺の魂は薫のそばに囚われていたが、彼女は今死んでしまったため、俺の魂も消えるだろう。最後に空の夕焼けを一目見た。強烈で、輝かしい。出発前に、姉にも一目会いに行った。彼女は私の位牌を丁寧に拭き、両親の位牌の隣に置いてもらった。彼女に話しかけに行きたい、痩せた彼女を抱きしめたい。けれども。俺の魂は徐々に半透明になり、さらに薄まっていく。目の前にいる親族を見つめるだけで、抱きしめることができない。魂が消えるまで見続けた。……薫の魂は冥界をさまよっていた。通りかかる霊に会うと、彼女は相手の襟を掴んで、俺の行方を尋ねた。みんなが言うには、三途の川のそばに狂った女の霊がいると。ある日まで。彼女は俺にとても似ている後ろ姿を見た。薫は狂ったように追いかけていった。その姿はとてもぼんやりしていて、追えば追うほど遠ざかっていく。追えば追うほど、遠ざかる。「勝俊、あなたは本当に私を許してくれないのか?」薫が大きな声で叫んだ。「チッ」と俺は答えた。許さない、生まれ変わっても許さない。薫はその背中が徐々に遠ざかるのを見て、目に絶望の色が浮かんだ。彼女はためらうことなく振り返り、三途の川を渡らずに地獄の池に飛び込んだ。熱い溶岩が瞬時に彼女の霊を飲み込んだ。薫は転生できなくなった。それはつまり、来世ではもう彼女に会えないということだ。よかった。前世は薫のために尽くしすぎた。本当に自分を愛している人は誰なのか忘れたぐらいに。来世。俺はまだ知子の弟になりたい、志を同じくする友達と知り合って、本当の世界旅行をしたいと望んだ。これでいい、これでいいんだ。完
俺が死んでから三ヶ月経つが、妻の西村薫は全く気づいてくれなかった。彼女は俺がいない間に、初恋の斎田丹吾と一緒に、俺たちの新居に暮らしていた。斎田は寝間着を用意していなかったため、薫は俺の寝間着を彼に貸した。しかも斎田は眠りが浅いからって、薫は俺たちの新婚用ベッドで斎田の背中を優しく撫でながら寝かしつけた。まるで彼ら二人こそが本当の夫婦のようだ。しばらく続いて、ある日の出来事。斎田の胃病がまた発症した。薫は焦って家中の隅々までしばらく探していたが、薬箱は見つからなかった。彼女はようやく俺のことを思い出し、電話をかけた。「勝俊、家にある薬箱はどこに置いてあったの?」「ところで、いつまで私と揉めるつもり?私はただ友達の誕生日を祝いに出かけただけだったのに、あなたは3ヶ月も家に帰らないでどういうことなの?」「そんなに嫌なら私と離婚すればいいのに、冷たい態度で人を無視するなんて男らしくないわ」しかし、電話の向こうから返してきたのは俺の姉の声だった。「離婚するなら、勝俊は区役所に行けないと思うけど」「彼はもう死んでいるから」俺の死に様は惨烈だと言っても過言ではない。あの日、薫は斎田のために誕生日を祝っていた。俺は車のトランクに閉じ込められた。やっとの思いで縄をほどき、画面が割れたスマホを手に取り、薫に電話をかけた。電話を出てくれたのがいいものの、薫ではなく、見知らぬ男の声が聞こえてきた。「薫、僕の誕生日を祝ってくれて、西村さんに怒られない?」「彼のことを出さないで、今日は丹吾の誕生日に集中したいの」薫の声を聞いた瞬間、不意に絶望感に襲われた。誘拐される前に、俺と薫は結婚してからの32回目の喧嘩をした。喧嘩の理由はとてもシンプルだった。薫は俺が彼女を信頼していないと不満になり、結婚しても友達の誕生日を祝う権利があると考えていた。しかし彼女が言う友達とは、彼女の初恋の相手である斎田のことだった。薫に俺が疑い深く、理不尽に騒ぎ立てると言われた。俺と一緒にいる生活するのは退屈で味気ないとも言った。最後に、彼女は俺の制止を振り切って、斎田のところに行った。薫が去った後、俺は出かける時に誰かに叩かれて気絶させられ、車のドランクに運ばれた。トランクのドアが開かれた。俺の頬に