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第9話

彼女は低い声で笑っていた。その笑い声はとても冷ややかだった。「有賀悠真、あなたは私に無関心だと思ってたけど。それとも、まだ私なんかのことを気にしてくれているのって聞くべきかしら?」

有賀悠真は何も言わず、唇を固く歪めていた。

広瀬雫はとても苦しくなり、仏頂面でそれ以上は何も言わず、そのまま上の階にあがっていった。

長時間冷たい水に当てられていたせいなのか、この日の夜広瀬雫は微熱が出て、眠りについてからしばらく夢を見ていた。有賀悠真と初めて出会った時のこと、それから彼が他の女性と愛し合っているのをただ黙って見ていた時のこと、そして最後に彼とやっと一緒になり結婚したこと、最後は結婚式の情景だった。

有賀悠真は両目を真っ赤にさせて、疲れた表情に彼女を憎む目つきで冷たく彼女に尋ねた。「もう一度言え。俺に何か申し開きできないようなことをしなかったか!?」

彼女は手を握り締め、力いっぱい頭を横に振って否定した。

有賀悠真の顔色は一瞬にして暗くなった。「わかった。おまえの望むようにしよう」

彼の憎しみに満ちた顔が夢の中に再び現れ、広瀬雫はようやく驚き目を覚ました。

広瀬雫は体を起こし、ブランケットを抱きしめ、深く呼吸をした。時間を見ると、まだ明け方の4時だったが、それからはどうしても眠ることができなかった。

次の日の朝起きる時、目の周りにはやはり大きなクマができていて、ファンデーションを厚塗りしてやっと誤魔化すことができた。

下の階では、有賀悠真がちょうど食卓で朝食をとっていて、有賀恭子が隣でブツブツと小言を言っていた。

小言はどうせ彼に毎晩早く帰って来るようにとか、広瀬雫に一人で寂しくさせないようになどの話でしかない。

普段の有賀悠真はそれに耐え切れなくなり、有賀恭子の話を遮ってしまうのだが、今日は珍しくそれに反発することはなく、階段の上にいる広瀬雫の姿を見て、これまた珍しいことに「分かった」と一言答えた。

有賀恭子はとても嬉しそうにしていた。彼女は振り返って階段の踊り場にいる広瀬雫を見ると、すぐに喜色満面になり彼女に手招きをした。「雫ちゃん、早く降りてきて朝ごはんを食べましょう」

明らかに自分の息子が理解してくれたと思っているようだった。

広瀬雫の表情は乏しく、有賀恭子に軽くお辞儀して低い声で言った。「お義母さん、今朝は用事があるので、家でごはんを食べる時間がないんです」

そう言い終わると、有賀恭子の話を待たずにそのまま別荘の外へと歩いていった。

有賀恭子はそれを見ると、憎たらしいといった目つきで有賀悠真を睨みつけた。「あなたのせいよ。あなたがいつもいつも雫ちゃんに冷たく当たらなければ、彼女が怒ることはないのに。今日は絶対に彼女に許してもらいなさい。夜彼女と一緒に帰ってこなかったら、今後はもうこの家に帰ってこなくていいですからね」

有賀悠真は広瀬雫が去っていく後ろ姿を見て、彼の瞳には瞬時に妙に複雑な感情が湧き上がってきた。

......

昨夜風間グループが有賀グループのサニーヒルズプロジェクトデザイン原稿を採用したこのニュースがすぐに社内に伝わり一番ホットな話題になっていた。しかもそれを成し遂げた功労者は広瀬雫だということも、もちろん皆に伝わっていた。

朝早くから、広瀬雫はあまり元気が出なかった。彼女は会社に向かう途中で解熱剤を購入し、薬を飲んだ後睡魔に襲われた。しかし、デザイン原稿の第一関門を突破したことを思い出すと、彼女は元気を取り戻し、その原稿の修正を始めた。

ある箇所のデータを計算している時に、自分のデスクの上で「パンッ」と音がし、上に置かれていた書類がどさどさと床に落ちてしまった。

彼女が顔を上げると、怒り狂った春日部咲が自分を見ていた。

「なんの用?」

広瀬雫は椅子を引き、淡々と尋ねた。春日部咲に対して、彼女はそんなにおおらかでいられないという自覚があった。。仮に二人の間に以前特にいざこざがなかったとしても、彼女に対していい顔なんてできなかった。

「あんた、まさか私に何があったか聞くつもりなの?」

春日部咲の厚化粧の顔が少し歪み、目から火でも吹き出てきそうな勢いだった。「昨日の午後、風間グループにサニーヒルズプロジェクトの商談に行く時、どうして私を待たなかったのよ!」

春日部咲の顔には不自然な赤が滲んでいた。彼女は二回軽く咳をすると、すかざずペンを下ろした。「私は待てるけど、風間グループのプロジェクト部門とはもう会う時間を決めていたのよ。風間グループがあなたを待ってくれるとでも思ってるの?」

昨日の午後、自分が確かに有賀悠真と一緒にいたいと思い、ぐずぐずと会社に戻ってこなかったことを思い出し、春日部咲は一瞬少し弱気になった。しかし、広瀬雫の得意な表情を見て、更に怒りを増してしまった。昨日の功績を、みんなはただ広瀬雫だけのものだと思っているのが気に食わない!

「そうだったとしても、じゃあ、夜は?風間グループの人たちと一緒に食事をしたんでしょ。どうして私を呼ばなかったのよ!?」春日部咲は広瀬雫を指さした。「このプロジェクトは私とあなたが共同責任者でしょう?どうして私に言わないのよ!」

「ああ、あなたもこのプロジェクトが私たち共同で責任負ってるって分かってるのよね。じゃあ、昨日の午後は一体どこへ行っていたのよ?」広瀬雫は彼女にぎゃあぎゃあ騒がれて頭が痛かった。それでただ冷ややかな目つきで春日部咲を見ていた。

「私......私は用事があって有賀社長と話していたのよ。信じられないっていうなら、社長に聞いてみればいいわ!話題をそらさないでくれるかしら。私が言っているのは昨日の夜のことよ。どうして私に知らせてくれなかったの。なんで一緒に連れて行かなかったのよ!」

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