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第5話

突然「ガタンッ」と音が鳴り、エレベーターが少し揺れた。

広瀬雫は少しぼうっとしていて、その衝撃で体のバランスを崩してしまい、横にいる男性のほうへ突然倒れてしまった。

彼女はあまりに突然のことだったので、エレベーターにある手すりを掴む暇もなく、すでに白シャツを着た男性の胸元まで顔が近づいていた。その距離はとても近く、広瀬雫は男性の香りが鼻に入ってきた。清々しく、少しタバコの匂いがした。

「広瀬さん!」

坂本美香は広瀬雫の後ろに安定して立っていて、彼女が倒れそうになったのに驚き、急いで手を引いた。

さっきバランスを崩したときに、広瀬雫は誰かの手が簡単に彼女の腰のあたりを抱きとめるのを感じた。その手は骨ばっていて、とても力強かった。

「広瀬さん、大丈夫ですか?」

坂本美香は心配して尋ねた。

幸いにも目の前の男性がすぐに彼女の体を支えてくれたおかげで完全に倒れてしまわずに済んだ。広瀬雫は有賀悠真以外の男性とは今までこのように肌が触れるような接触をしたことがなかった。彼女は体勢を整えると、坂本美香に大丈夫だと頭を横に振り、目の前の男性のほうを見た。その時も風間湊斗の表情には相変わらず余計な感情はなかった。のだが――

彼の手は、まだ彼女の腰に触れたままだった。

彼の手から熱い温度とその感触が伝わり広瀬雫は体を少しこわばらせた。

「風間社長......」

広瀬雫は少し気まずそうにしていた。

このように狭いエレベーターの中では誰かに当たってしまうことはよくあることだから、彼女も特別驚いたりはしないのだ。しかし、彼のその手は......

本来横目で見ていた男性は頭を彼女のほうへ向けると、まるでようやく自分の手が今どういう状況なのか気づいたようで、広瀬雫の顔を一瞥し、自然な動作で手を元の位置に戻し、冷たい表情を保っていた。

エレベーターにいる人たちは特に驚いていなかったので、広瀬雫もそれ以上は何も言えなかった。

エレベーターを降りて、坂本美香はまだ未練タラタラな様子ですでに閉じたエレベーターのドアを見つめ、自分の胸のあたりを叩きながら言った。「やっぱり、憧れの人は遠くから見ているのに尽きますね。毎日毎日こんなに至近距離で冷たくされたら、何回昇天してしまうか分かったもんじゃないですよ」

広瀬雫はニコリと微笑んでいたが、頭の中にはさっきの男性が自分を見つめた時の、澄み切った光が瞬時に浮かんできた。彼女は頭からそれを払拭させるかのように頭を横に振り、坂本美香を連れて、風間グループのプロジェクト部門へと足を向けた。

エレベーターはそのまま上層階のほうへ上がって行き、彼らは自分の階に到着すると急いで降りていった。

横山太一は上の階のボタンを押し、振り返ると同時に軽く一声かけた。

風間湊斗は視線を自分の胸元の白いシャツに向けた。胸元には薄いキスマークがついていて、まるでひっそりと咲くバラのようだった。

「風間社長......」

横山太一は少し不安で気が気でなかった。風間社長は少し潔癖症で、普段女性が彼の半径1メートル以内でも近寄ってくるのを嫌っていた。さっきの女性が彼のほうに倒れてきたのは言うまでもなく有り得ないことだったのだ。

風間湊斗は淡々と彼の目を見て言った。「先ほどの女性がどうして風間グループに来たのか調べてくれ」

「では、その服は......」

風間湊斗は白シャツのキスマークを軽くさすり、その顔からは何を考えているのか読み取れなかった。そして彼は無視し、そのままエレベーターを降りてしまった。

「......」横山太一は彼の『名残惜しい』ような手の動きを見つめながら、彼がさっき自分にエレベーターを止めるように言ったのを思い出していた......彼は何かを理解したようにひやっとする思いだった!

さっきの二人組の女性は......一体何者なんだ?

......

この日は初めて初稿を持って風間グループにやって来たので、広瀬雫は他の競争相手をすぐに振り落とせるとは期待していなかった。風間グループプロジェクトチームの今井マネージャーに簡単に挨拶をし、広瀬雫は坂本美香を連れて会社に戻った。

ただ車が会社の駐車場に着いた時、よく知った黒いランボルギーニが横から来てすれ違った。

車同士の距離が非常に近くなった時に、広瀬雫は助手席にセクシーな格好をした魅力的な女性が身を起こし、運転している男性の顔に濃厚なキスをするのを目撃した。

車の中の女性は白石玲奈ではなかった。もう新しく春日部咲に乗り換えたのか、もしくは二人はキープ状態なのかもしれない。彼はただ自分の妻である自分には触れようとしないだけだ。

大きなブレーキ音が聞こえ、となりにいた坂本美香は驚いた。「広瀬さん、大丈夫ですか?」

広瀬雫はこの時、無表情だったが、しかしその顔色は真っ青になっていた。

実は彼女はこの結婚生活を終わりにしたいと思ったことがあるが、しかし長年努力して彼を追い求め、こんなに長く一人の男性を好きであり続けることに慣れてしまった彼女はなかなか決心がつかなかった。有賀恭子はずっと彼女に対して悠真はいつかきっと彼女を理解し、彼女の良いところを認めてくれると言い続けていた。彼女は今まるで手の中にたったこの微かな希望である一つの浮木だけを持ち、海の中で溺れているかのようだった......

「大丈夫よ、上に行きましょう」

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