ざまあされた廃嫡王太子と悪役令嬢の夫妻が田舎村で生きる力を取り戻すまで

ざまあされた廃嫡王太子と悪役令嬢の夫妻が田舎村で生きる力を取り戻すまで

last updateLast Updated : 2025-03-08
By:  灰猫さんきちCompleted
Language: Japanese
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王都から田舎に追放された廃嫡王太子夫妻が自然の中で生きる力を取り戻していく物語。 わがままな侯爵令嬢シャーロットは、婚約者である王太子エゼルが政争に敗れたために一緒に田舎村に追放されてしまう。 王都に比べて何もかもが不便な田舎村で、かんしゃくを起こすシャーロット。エゼルは無気力。 王都への返り咲きを諦めないシャーロットは、行動を起こそうとするが…… これは、都会の温室育ちだった2人の若者が自然の中で生きる力を取り戻す物語。

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第1話 事の始まり

 街道の上を馬車がゴトゴトと音を立てて進んでいく。 舗装された石畳の道はとっくに終わって、今は踏み固められた粗末な土の道になっている。おかげでしばしば、ガタンと傾いたりわだちにはまりかけて止まったりする。 シャーロットは揺れる馬車の窓から、深い常緑樹の森とその奥にそびえる山脈を見て、深いため息をついた。 今は早春。未だ溶けない雪のかたまりがあちこちに残っている。「どうして侯爵令嬢たる私が、こんな片田舎の領地に押し込められないといけないのかしら。納得がいかないわ。 ねえ、聞いてらっしゃる? エゼル様」 シャーロットの隣に座る青年が、億劫そうに目を開ける。 彼は衣装こそ豪華だったが、まだ若いのに覇気のない表情が、奇妙にくたびれた雰囲気を醸し出していた。「聞いているよ。もう何度も聞いた。僕たちは王宮での立場争いに負けて、このシリト村の領主にさせられた。体のいい追放だ。 分かりきったことじゃないか……。諦めて運命を受け入れよう、シャル」 そう言ってまた目を閉じてしまった。 シャーロットは不満を込めてまた何度も文句を言ったが、もはやエゼルは聞こうともしない。 彼女は特大のため息を吐いて、ここに至るまでの経緯を思い出した―― シャーロットは名門貴族、デルウィン侯爵家の生まれで、今年18歳になる。  シャーロットはストロベリーブロンドに水色の目をした、とても可愛らしい少女。何一つ不自由することなく甘やかされて育った。 そんな彼女には、幼い頃に決められた婚約者がいる。 ソラリウム王国の第一王子、エゼルウルフ王太子である。年は同い年の18歳。 2人の仲は可も不可もなく。特別に絆が深いわけではないが、喧嘩をするほどでもない。 当人たちも周囲の大人たちも、彼らが未来の国王と王妃であると信じて疑っていなかった。 エゼルには弟王子がいた。名をデルバイスといい、兄よりも文武ともに優れた素質を示していた。 だが、安定期にあるソラリウム王国は、長子相続の慣例を破ってまで優秀な弟を取り立てようとはしなかった。 転機となったのは、デルバイスが自らの未来の妻としてセレアナという少女を連れてきたこと。 セレアナは莫大な魔力量を誇る「水の聖女」だった。 ソラリウム王国では、高い魔法の素質と自然の化身たる精霊と交信する能力を持つ女性を「聖女」と呼ぶ。 聖女は国...

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29 Chapters
第1話 事の始まり
 街道の上を馬車がゴトゴトと音を立てて進んでいく。 舗装された石畳の道はとっくに終わって、今は踏み固められた粗末な土の道になっている。おかげでしばしば、ガタンと傾いたりわだちにはまりかけて止まったりする。 シャーロットは揺れる馬車の窓から、深い常緑樹の森とその奥にそびえる山脈を見て、深いため息をついた。 今は早春。未だ溶けない雪のかたまりがあちこちに残っている。「どうして侯爵令嬢たる私が、こんな片田舎の領地に押し込められないといけないのかしら。納得がいかないわ。 ねえ、聞いてらっしゃる? エゼル様」 シャーロットの隣に座る青年が、億劫そうに目を開ける。 彼は衣装こそ豪華だったが、まだ若いのに覇気のない表情が、奇妙にくたびれた雰囲気を醸し出していた。「聞いているよ。もう何度も聞いた。僕たちは王宮での立場争いに負けて、このシリト村の領主にさせられた。体のいい追放だ。 分かりきったことじゃないか……。諦めて運命を受け入れよう、シャル」 そう言ってまた目を閉じてしまった。 シャーロットは不満を込めてまた何度も文句を言ったが、もはやエゼルは聞こうともしない。 彼女は特大のため息を吐いて、ここに至るまでの経緯を思い出した―― シャーロットは名門貴族、デルウィン侯爵家の生まれで、今年18歳になる。  シャーロットはストロベリーブロンドに水色の目をした、とても可愛らしい少女。何一つ不自由することなく甘やかされて育った。 そんな彼女には、幼い頃に決められた婚約者がいる。 ソラリウム王国の第一王子、エゼルウルフ王太子である。年は同い年の18歳。 2人の仲は可も不可もなく。特別に絆が深いわけではないが、喧嘩をするほどでもない。 当人たちも周囲の大人たちも、彼らが未来の国王と王妃であると信じて疑っていなかった。 エゼルには弟王子がいた。名をデルバイスといい、兄よりも文武ともに優れた素質を示していた。 だが、安定期にあるソラリウム王国は、長子相続の慣例を破ってまで優秀な弟を取り立てようとはしなかった。 転機となったのは、デルバイスが自らの未来の妻としてセレアナという少女を連れてきたこと。 セレアナは莫大な魔力量を誇る「水の聖女」だった。 ソラリウム王国では、高い魔法の素質と自然の化身たる精霊と交信する能力を持つ女性を「聖女」と呼ぶ。 聖女は国
last updateLast Updated : 2025-02-08
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第2話 領主の館
 ソラリウム王国は島国である。島といってもかなりの広さを誇り、中央部付近には山脈が走っている。 エゼルとシャーロットの領地とされたシリト村は、島の北西部、山脈のふもとにある辺鄙な場所だった。 山脈に抱かれるような場所にある村は、畑に適した平地があまりない。 また、奥深い森がすぐそばまで迫っているために、村は狭い耕作地でほそぼそと生計を立てていた。 北の地にあるため森は背の高い常緑樹が多く、昼なお暗い鬱蒼とした雰囲気になっていた。「何よ、これ! 私にこんな所に住めって言うの!?」『領主の館』に到着して、シャーロットは不満の叫びを上げた。エゼルも呆然としている。 そこはひどく古めいた建物だった。2階建てで、大きさだけならば貴族の邸宅と言えなくもない。 ただしひと目見て分かるほどに荒れ果てていた。 石造りの壁はところどころが崩れ、枯れた雑草が顔を覗かせている。放置しておけば今年も元気に芽を出すだろう。 古臭いテラコッタの瓦葺きの屋根は、遠目に見ても破れ目があった。 庭の手入れも一切されていない。まさに荒屋である。 わがままお嬢様のシャーロットでなくとも、逃げ出したくなる有様だった。「シリト村にようこそ。王子ご夫妻様」 あばら屋、もとい領主の館のまえに2人の人影が立っている。 年配の男性が一歩前に出て、あまり丁寧とは言えない礼をした。「私はオーウェン。王都より派遣され、執事の役を務める者です。こちらはメイドのメリッサ。 私ども2人と村人たちの手を借りて、ご夫妻のお世話をいたします」 オーウェンに示されたメリッサが、やはりやや雑なお辞儀をした。黒髪にくすんだ青い目をした、愛想のない娘だった。「執事にメイドがたった1人!? そんなので暮らしていけるわけないじゃない。衣装係は? 入浴の付き添いと美容係は? こんな幽霊屋敷でメイドが1人だなんて、どうするの!」 シャーロットは興奮して言い立てたが、オーウェンは涼しい顔で受け流した。「さてはて。雨露がしのげる家があり、多少の人手もある。これ以上、いったい何を望むと言うのです」「だから……!」「シャル、もういい、やめろ。僕は長旅で疲れた。早く休みたい」 エゼルがうんざりとした口調で言った。「では、こちらへ。ご夫妻の居室については、最低限の修繕を済ませておりますので」 馬車の御者から荷
last updateLast Updated : 2025-02-08
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第3話 役立たずの使用人たち1
 やがて夕暮れ時が過ぎて夜になった。 薄暗い中で明かりの灯し方も分からず、シャーロットとエゼルがやきもきしていると、メリッサがやってきて部屋を明るくしてくれた。 メリッサが持ってきたのは、魔道具のライトだった。王都で流通しているものよりずいぶん古い型である。「お腹がすいたわ。晩餐はまだ?」「まだです。今作っています」 無礼な言い方だったが、もう文句を言う気力もなくしていたシャーロットは、黙ってうなずいた。 それからさらにしばらくして、ようやく夕食の準備ができたとオーウェンが告げに来た。「やっと食事……。こんなに腹を減らしたことはない」 エゼルがぼそっと言う。 今までは食事の時間はきちんと決まっていて、合間に菓子をつまむのもできた。空腹がこんなにままならないものだったとは知らなかった、と彼は思う。 そして、案内された食卓の質素さに愕然とした。「本日の献立は、麦粥。レンズ豆のスープ。きゅうりとキャベツの酢漬けでございます」「たったこれだけ? 家畜小屋の豚だって、もっとマシなものを食べてるわ」 シャーロットが震える声で言った。「これで全てです」 と、オーウェン。 しかも食事は素朴な木製の器に入っていた。スプーンやフォークも木製である。豪奢な陶器と銀の食器に慣れた2人は、気味が悪くてなかなか手が出ない。 それでも空腹に負けて、まずエゼルがスプーンを取った。「お味はいかがですかな?」「…………」 エゼルは無言で首を振った。空腹だから食べられるが、王宮の料理の味と比べ物になるはずがない。 ぐぅ~、とシャーロットの腹の虫が鳴る。 気位の高い彼女は赤面して、オーウェンとメリッサを睨んだ後に麦粥を口に運んだ。「何なの、この味! 薄くて食べた気がしないわ。おいしくない!」「では、もう下げますか?」 メリッサがさっさと食器を片付けようとしたので、シャーロットは焦った。ぺこぺこのお腹は「もっと食べたい」と主張していたが、貴族令嬢のプライドが素直にそう言うのを邪魔したのだ。 彼女は仕方なくやせ我慢をした。「ええ、もう下げなさい。食べられたものじゃないわ。料理人を呼んで、罰を与えなければ」「料理人はいません。作ったのはあたしです」「……え」 料理人がいない? 予想外の答えにあっけに取られているうちに、メリッサは食器を持って行ってしま
last updateLast Updated : 2025-02-08
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第4話 役立たずの使用人たち2
 夜、眠る前になってシャーロットはトイレに行きたいと思った。 旅の最中は、衝立と簡易便器のようなものを用意して野外で済ませていた。シャーロットにとっては初めての体験で、非常に不快だった。 だからやっと我が家――と認めるのも嫌なくらいのボロ屋だが――に腰を落ち着けて、トイレくらいは普通に済ませられると思っていたのだが。「お手洗いはこちらです」 メリッサに案内された先は、臭い・暗い・汚い・怖いと四拍子揃った離れの小屋であった。 短い渡り廊下の先にぽつんと建つ、みすぼらしい小屋である。 シャーロットはショックを受けてよろけた。ストロベリーブロンドの髪がふるふると震えている。「何よこれ……どうしてトイレがこんなに臭いの……」「汲取式ですから。この家が長く放置されていたせいで、排泄物を溜める穴が半端に埋まってしまっていますね」「水洗じゃないの!?」「当たり前でしょう。この村は水道が通っていません」「そ、そんな……」 ソラリウム王国はインフラ建築に長けた国で、王都はもちろん地方都市でも上下水道が整備されていた。 けれどドがつく田舎のシリト村はさすがに例外である。「あたし、もう帰りますね」 案内が終わったメリッサは、さっさと母屋に戻ろうとする。シャーロットは必死で引き止めた。「嫌よ! こんな怖い所に置いて行かないで!」「はぁ。じゃあ、待ってますからさっさと済ませて下さい」「うぅぅ」 トイレ小屋に入る。とても臭い。備え付けの魔道ランプは古臭くて、頼りない明かりを放っている。 やっとのことでトイレを終わらせたシャーロットは、ほとんど半泣きになっていた。 真夜中。エゼルと同じベッドに入ったシャーロットは、夫からなるべく身を離すように端に寝ていた。 王都を追放される直前に無理やり結婚させられたけれど、夫婦はまだ初夜を済ませていない。 王都を追い出されるまではそれどころではなかった。 シリト村に向かう道中は時間だけはあったが、2人ともそんな気になれなかった。 今もまた、先行きが見えない絶望感で互いに目をそらしてばかりいる。(これからどうなるのかしら) シャーロットはみじめな空腹感に苛まれながら考えた。 王都とその近郊や、整えられた別荘地しか知らなかった彼女にとって、この村と館の有様はカルチャーショックどころの騒ぎではなかった。(こ
last updateLast Updated : 2025-02-08
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第5話 初めての朝1
 翌朝、朝日のまぶしい光でシャーロットは目を覚ました。 少し距離を置いたベッドの端では、エゼルが背中を丸めて眠っている。 シャーロットは寝起きの喉の乾きを覚え、いつも通りベルを鳴らして使用人を呼ぼうとして――ベルもなければ来てくれるメイドもいないのだと思い出した。 不満をぶつぶつと愚痴の形で吐き出して、彼女は起き上がった。 着替えは、自分でやろうと決めた。どうせメリッサを呼んだところで、手を貸してくれないだろう。 トランクを開ける。衣装はクローゼットに吊るしていないおかげで、畳みしわが出来てしまっている。 シャーロットはイライラしながらドレスを取り出し。「どうやって着ればいいのかしら……」 完全に困ってしまった。華美で複雑な形のドレスは、いざ1人で着ようと思うとどこから袖を通していいかすら分からない。「エゼル様、エゼル様! 起きて下さいまし。着替えたいのです。お手をお貸し下さい」「起きたくない」 すぐに返事があったところを見ると、眠っていたわけではないようだ。いつも覇気のない彼だが、今日は特に平坦な声だった。「どうせ僕が手伝ったところで、役に立たない。寝かせておいてくれ。そうすれば、現実を見ずに済む……」 シャーロットは呆れた。彼女とてこのとんでもない環境の中で生き抜いて、王都に返り咲く決意をしたというのに。「そうですか。では勝手になさって。私は朝食をいただいてきます」 そう言い放って、彼女はネクリジェにガウンを羽織った姿のままで部屋を出た。 よく晴れた日のようで、屋根の破れ目から青空が見える。 水たまりも昨日より減っていたせいで、スリッパ履きの足でも転ばずに食堂までたどり着けた。 昨夜は食べそこねてしまったせいで、シャーロットのお腹は限界までぺこぺこになっていた。「おはようございます、奥様。ちょうど朝食が出来上がったところです」 食堂の隣の厨房から、メリッサが顔を出す。 シャーロットは無言で席についた。今までは使用人が椅子を引いてくれたのに、誰もいないので、仕方なく自分でやった。「オーウェンは?」 メリッサが配膳をしに来たので、シャーロットはぶっきらぼうに聞いた。「庭掃除をしています。今の季節は、雪の下に埋もれていた枯れ葉や埃が目立ちますから」「そんなもの、庭師に――」 言いかけて、シャーロットは顔をしかめた。
last updateLast Updated : 2025-02-11
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第6話 初めての朝2
 寝室ではエゼルがまだベッドに入ったままだった。  シャーロットは彼を無視して、先程着るのを諦めたドレスを広げた。「どう、この美しいデザイン! 銀糸の刺繍も見事でしょう。こんな田舎じゃあ一生お目にかかれない、有名デザイナーの手による一級品よ!」 ドレスは青紫を基調として、咲き誇る花を思わせる華麗なものだった。  シャーロットのストロベリーブロンドの髪、空色の瞳によく似合う出来である。  このドレスは彼女のお気に入りだった。だから色んなものを諦めて王都を出た時も、これだけはと思って持ち出したのだ。「確かに素敵なお衣装です」 メリッサがうなずいたので、シャーロットは得意な気持ちになる。「でも、これを着てどこへ行くつもりですか? こんなに裾が長いと、家の中を歩くだけで汚れます。まして土の道は歩けません」「わ、私は土の道など歩かないわ!」「領主の妻なのに? 領民と顔を合わせ、言葉を交わさないのですか」「私が行く必要はないわ! 呼びつければいいのよ」 シャーロットは顔を真赤にしながら叫んだ。ほとんど唯一、手元に残ったお気に入りのドレスを着る機会すらないなんて、みじめすぎる。「それでは領民たちは心を開きませんよ。ただでさえ、ご夫妻は評判が良くないのに」「な……」 歯に衣着せぬとはこのことだろう。メリッサの直球の言葉にシャーロットは絶句した。「無礼者!! 出ていきなさい、今すぐに!」「仰せのとおりに」 シャーロットがドアを指差すと、メリッサはさっさと行ってしまった。「ありえない……! 謝罪の一言もなし? ここに鞭があれば、何度でも打ってやるのに!」 怒りがおさまらず、部屋の中をうろうろと歩く。  エゼルはこの騒ぎにも耳を塞いで、布団をかぶっている。  しばらくして気が落ち着いてくると、また不安が襲ってきた。 シャーロット1人ではドレスを着ることすら出来ない。ネグリジェでは出かけるのも不可能だ。  それではこの薄汚い部屋で
last updateLast Updated : 2025-02-12
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第7話 土の魔法1
 雪解け水でぬかるんだ道を歩きながら、シャーロットは今後の身の振り方を考えていた。  王都に戻って水の聖女セレアナに復讐をするには、どうしたらいいのか。  無能と悪女のレッテルを貼られて追放されたのだから、それらの悪評と反対のことをすればいいのでは?  この考えはなかなか名案に思えた。 無能の反対は有能。悪女の反対は聖女だろうか?「聖女は頭にくるから、やめましょう」 シャーロットは小さく呟いた。  このソラリウム王国において『聖女』とは、精霊と交信する能力を持った魔力の素質が高い女性を指す。  精霊交信能力は、魔力以上に生まれ持った素質がものを言う。ないものねだりをしても仕方ないと、こればかりはシャーロットも諦めていた。 では、悪の反対で善。慈悲深く心清らかな人といったところか。  なんだ、簡単じゃないの、とシャーロットは思った。  今のままでも私は十分に善人。  それならば、有能の方に力を入れよう。 有能を示すにはどうしたらいいか。派手に活躍して、誰もが認めざるを得ない功績を上げるのが一番だろうが……。  そこまで考えて、一つうなずいた。  この田舎の土地でたっぷり税を取り立てて、王都へ戻る資金にしよう。  まずは畑の様子を見に行こう。どのくらい税が取れるのか、確認しなければ。  少しばかりの距離を歩いて、シリト村の集落に着いた。  畑は日当たりが良い場所にある。建物の影や森の中ではまだあった残雪も、ここらではすっかり消えていた。  村人たちは畑に出て、土作りや耕作を始めている。  シャーロットは狭いあぜ道に入るのが嫌で、畑の手前で足を止めた。「皆のもの、ごきげんよう。私はシャーロット・フェリクス・ソラリウム。この土地の領主、エゼルウルフ様の妻ですわ」 正直に言うと彼女はエゼルと結婚した実感はまだないし、彼のことを見限り始めている。  けれども他に言いようがなかったので、シャーロットは無難な名のりを上げた。  彼女の予想では、美しい貴族のレディの姿に感服した下賤の民たちは、涙を流しながら平伏するはずだった。  しかし農民たちはろくに作業の手を止めず、形ばかりの礼を返してくるのみである。「メリッサ。あの無礼者たちは何なの? 私が王都にいた頃であれば、絶対に許さず鞭打ちをしたわ」
last updateLast Updated : 2025-02-14
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第8話 土の魔法2
 シャーロットはがっかりしながら、村人たちの農作業風景を見るとはなしに眺める。  皆が泥にまみれた服を着て、まだ肌寒い春の季節だと言うのに汗をかきながらクワを振るっている。遠くの方では牛が一匹だけいて、農具を引いて畑を耕していた。  シャーロットは落ち込みから回復してくると、だんだんと腹が立ってきた。  そんなに広い畑でもないのに、手作業でのろのろとやっているのが悪いのだ。だから収穫高が低くて、ろくに税も取れない。「お前たち、どきなさい」 シャーロットは畑に向かって踏み出した。柔らかい土に靴が汚れて顔をしかめる。「奥様。農民たちの邪魔をしては……」「邪魔じゃないわ! この私が、高貴なる令嬢の私が手本を見せてあげるのよ!」 言いながら、彼女は手のひらを地に押し付けた。しゃがみ込む際にスカートを押さえる動作が、この場所に不似合いなほど優雅だった。『母なる大地の土くれよ。御身をうねる波として、地表に波紋を描きたまえ!』 特殊な言語で紡がれた呪文が終わると同時に、シャーロットが触れた地面が震えた。それから水面に波が起こるように、一直線に土がうねっては掘り返されていく。  土の波はそれなりの距離を進んで、やがて止まった。  農民たちが息を呑んでいる。「こういう時こそ魔法を使いなさい。初級の土の魔法でも、十分に効果を発揮するわ」 手指についた泥を払い落としながら、シャーロットが言う。土の魔法は彼女が最も得意とする属性だった。  そして、驚きの目で彼女を見つける村人たちに気づいた。「……何よ?」「奥様。この者たちは魔法を使えません。平民で魔力の素質を持つ者はまれですから」 メリッサに言われて、シャーロットは目をぱちくりとさせた。  貴族はほとんどが魔力持ちである。魔法が使えない人間という存在に、彼女はピンと来なかった。 農民たちが口々に驚きの声を交わしている。「おい、見たか。あれが魔法だってよ」「すげえなぁ。あっちゅうまにこんなに耕せたぞ」「魔法、かっこ
last updateLast Updated : 2025-02-15
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第9話 知らず知らずの変化
 シャーロットが目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。簡素で、彼女の感覚からするとみすぼらしい造りだった。「気が付きましたか」 メリッサの声に顔を横に向ければ、メイドは固く絞った手巾で額を拭いてくれた。ひやりとして心地よい。「どこよ、ここ」「村長の家です。奥様が魔力枯渇で倒れてしまったので、急遽運び込みました」 シャーロットは自分が寝かされていた寝台を見た。藁を詰めた箱の上にシーツをかけただけの、質素なベッドである。「藁の上に寝るなんて……」 言いながら彼女は身を起こした。まだ少しふらつくが、立てないほどではない。 それよりも調子に乗りすぎて人前で倒れるなんて、恥ずかしい。シャーロットはぐっと奥歯を噛み締めた。「村人たちは、耕すのが捗ったと喜んでいましたよ」「ふん」 メリッサがいつもの口調で言うので、シャーロットは鼻を鳴らした。自慢のストロベリーブロンドの髪に藁くずがついていたので、顔をしかめて摘み取る。 領主の館に帰ろう、そう思ってふと見ると、ドアの隙間から子供たちが覗いていた。フェイリムとティララの兄妹だ。「覗くのはやめなさい、無礼ですよ」 シャーロットは胸を張り、なるべく威厳を出すようにして言った。 メリッサがドアを開けて子供たちを部屋に入れてやる。「貴族の奥様、大丈夫?」「メリッサお姉さんに、魔法は使いすぎると具合が悪くなるって聞きました。知らなくてごめんなさい」 彼らの瞳には、純粋な心配と反省の色が浮かんでいた。 シャーロットは目をぱちぱちと瞬かせる。 ――子供たちの表情は、彼女の知らない種類のものだったので。 王都で暮らしていた頃、風邪を引いて熱を出せば両親も使用人たちも心配をしてくれた。 けれどもそれは、こんな風にただ気遣う心を向けるのではなく「早く良くなってくれないと、面倒だ」と言わんばかりのものだった。 ましてや魔法の使いすぎや不注意で転んだ時など、シャーロット自身の責任で具合を悪くした時は、慰められながらもどこか冷たいものを周囲に感じていた。 だから彼女は戸惑ってしまった。真摯で温かい思いを、つい先ほど知り合ったばかりの子供たちから向けられて。「別に……どうってことないわ。私、もう帰る」 ぶっきらぼうに言って、シャーロットは立ち上がった。 部屋を出て居間に行くと、村長と一組の男女が立ち上が
last updateLast Updated : 2025-02-16
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第10話 知らず知らずの変化2
 夕食はまたもや質素な内容だった。シャーロットはとりあえず文句を言ったが、完食した。  魔法を使うと魔力の他に体の力も使うので、腹が減るのだ。 エゼルは一応、起き上がっていた。けれど食事を取ろうともせず、ぼんやりとリビングの椅子に座っていた。「奥様、湯浴みはなさいますか?」 夕食の片付けを済ませて、メリッサが言う。「お風呂があるの?」「浴室はありませんが、たらいに湯を張ります」「ふーん。じゃあ頼むわね」 メリッサが案内したのはタイル張りの一室だった。古びてはいるが掃除はきちんとされている。「ここ、浴室じゃないの?」「洗濯室を兼ねています」「はぁ? そんなところで体を洗えと?」 シャーロットは抗議するが、実は半ば諦めている。今日は畑の泥で汚れた。なるべく早く身を清めたい。『優しき水の精霊よ、炎の精霊とともに踊り、その交わりの果実を我が手に注ぎ給え』 メリッサが呪文を唱えた。かざした手のひらからタライに向かって湯気の立つお湯が注がれていく。「あなた、魔法が使えたのね。平民の魔力持ちは少ないと言っていたのに」 シャーロットの言葉にメリッサは肩をすくめた。「この辺境で奥様のお世話をするには、魔法が使えないと不便ですから」「大した世話、してくれないじゃない」「食事を作って掃除をして、外出の際はついていきます。十分では?」 当然のように言い返されて、シャーロットはとっさに反論できなかった。「さっさと済ませますよ」 無礼な物言いも何だか慣れてきてしまった。  タライから湯をすくっては体に掛け、少しずつ汗と汚れを落としていく。  王都の広い湯船の浴室に比べれば、何とももどかしくてささやかにすぎる。  けれど温かな湯の感触がひどく心地よくて、シャーロットは知らず、笑みを浮かべていた。    
last updateLast Updated : 2025-02-17
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