「それは気にしなくていいよ。君が気に入ってくれたならそれでいいんだ」吉沢蒼真は凛子をちらりと見て、すまなそうな顔をしていた。三人はエレベーターで一階へと上がっていった。地下一階を過ぎる時、エレベーターの扉が突然開いた。とても広い駐車場は多種多様な高級車で埋め尽くされていた。吉沢蒼真は驚いて息をのんだ。ここは有名な高級車のディーラーが店でも開いているのか?篠崎暁斗はさっき駐車して、エレベーターのほうへ向かって来ていた。社長専用のエレベーターは従業員用の右側にある。普段なら、従業員用のエレベーターがこの階に止まることはないのだが、今日はエレベーターがどうやら故障しているらしい。吉沢凛子はさっき誰かがエレベーターに乗ろうとして、突然後ろを向いたのが見えた。そして、エレベーターはまた自動で閉まった。その人を一目見て、吉沢凛子はちょっと見覚えがある気がしたが、すぐに否定した。あの人はアステルテクノロジーの社長だ。その風格は篠崎暁斗を何人集めても、敵うはずはないだろう。さっきの一瞬の光景に篠崎暁斗は驚き、全身に冷や汗をかいていた。そして彼は車の中でまた少し待ってから、エレベーターに乗り一階に上がって行った。この時には吉沢凛子と蒼真はすでに会社を去っていた。矢吹佳奈はいてもたってもいられなくなって更衣室に行って、その茶褐色のブレザーに着替えた。彼女はさっき社長を怒らせてしまったので、後で社長が地下から上がってきたら、彼に良い印象を与えようと思っていたのだ。篠崎暁斗はシワ一つない、ピシッとした紺色のスーツを着てエレベーターから出てきた。サングラスをかけて、颯爽と歩いて行き、彼の放つ大物オーラが一階にいた従業員たちの目を釘付けにした。「篠崎社長が来たわ。はやく、きちんと立って」エレベーターの前には8つのセキュリティゲートがあり、その中の一つは篠崎暁斗専用のゲートだ。矢吹佳奈は受付から出てきて、篠崎暁斗に挨拶をしようとしていた。しかし、篠崎暁斗は彼女を一目も見ることなく、セキュリティゲートの前で突然振り返ると、彼女の服をじいっと見つめた。矢吹佳奈は服が汚れているのかと思って、下を向き確認したが、特に汚れてはいなかった。篠崎暁斗は吉沢凛子に買ってあげた服を他の女が着ているのを見て、怒りは頂点に達していた。
相田おばさんは少し困ったような様子で口を開いた。「こんな時に言うのはちょっとどうかと思うんですけど、でもこの仕事は本当に疲れるんです。だから、給料がここより多くて、やることも少ない家に移りたいと思ってるんですけど」吉沢凛子は少しあっけにとられた。相田おばさんが給料を上げてほしいと言っているのか、それとも本当にここを辞めたいと思っているのか、すぐには判断できなかった。「どこか他に見つかったんですか?」相田おばさんは首を横に振った。「いまのところ何軒か条件が良いご家庭があるんですけど、まだどこに行くかは決めていないんです」相田おばさんはちょっと話を止めて、また話し始めた。「篠崎家で働いてもう3年経ちますけど、ずっとお給料は変わらずです。本来はおじいさんのお世話をするだけで良かったんですが、今はあなたと篠崎さんも一緒に住むようになって、仕事量が増えたんです。だから、吉沢さん、篠崎さんと相談して、私のお給料を上げてもらえませんか?」「どのくらい上げてほしいんですか?」「今あるご家庭は月に30万くれると言っているんです」吉沢凛子は少し口角を上げ、ニヤリとした。「相田さん、私に対して何か言いたいことがあるのでは?」「吉沢さん、どういう意味ですか?」「相田さんの記憶力はあまりよくないみたいですね。私がここへ来てすぐ、私にこれからは一日三食を担当するように言ってきましたよね。あの時の私の態度が悪かったことは認めます。その後、私は篠崎さんからあなた達が交わした家政婦サービスの契約書をもらいました」その契約書にははっきりと全ての家事、一日三食の食事も含まれると書いてあった。おじいさんの世話をするだけだとは全く書かれていなかったのだ。当時、篠崎暁斗のおばさんも一緒にここに住んでいたと聞いたから、今人が以前よりも多くなったとは言えないはずだ。相田おばさんの顔はこわばった。「吉沢さん、あなたが言っていることは事実です。でも、あなたが来る前におじい様にお給料について相談していたんです。そして篠崎さんが結婚するから、奥さんに彼のお世話をしてもらって、私の負担を減らすと言ってくれていたんです。それから吉沢さんがやってきました。あなたがこの結婚を受け入れたということは、おじい様のお世話をするのにも納得されたわけでしょう。これでも、あなたに三
「相田さんは30万にしてほしいって、これは私たちにはちょっと高すぎますよ」「じゃあ、相田さんを雇うのをやめればいいんじゃないか。君が家でじいちゃんの世話をしてくれていればいいんだから。そうだ、じいちゃんは明日の午前中、検査に行くから家族が付き添う必要があるんだ。俺は明日の午前中は忙しいから、君が休みを取ってじいちゃんを連れて行ってくれ」「明日は無理です」「吉沢凛子、俺が君と結婚したのは、じいちゃんの世話をすることが第一条件だったはずだ。あれもダメ、これもダメって、俺はなんのために君と結婚したんだよ?」吉沢凛子はぐうの音も出なかった。「おばあちゃんが手術をするから、明日は病院に言って付き添わないといけないんです。手術が終わったら、仕事を辞めておじいさんのお世話をしますから」「俺は待てるが、じいちゃんは待てないんだ」篠崎暁斗の目はだんだん冷たくなっていき、怒りを顕にさせた。「吉沢凜子、わがままを言わないでくれないか。君のおばあさんが病気で世話が必要って、じゃあ俺のじいちゃんは?俺たちが結婚した時、君は俺に何と言って約束した?」「あの、1000万の結納金をもらった時に、どうしてもっと考えなかったんですか?約束したんなら、ちゃんとやらないと」相田おばさんは傍らで加勢していた。吉沢凛子の目にはだんだん涙が滲んできた。昨日は身を挺して彼女を助けた人が、今日はこんなに冷血になってしまった。彼女は彼に期待しすぎていたのかもしれない。「分かりました。明日おじいさんを連れて検査に行ってきます」と言うと、吉沢凛子は泣きながら走って部屋に戻っていった。相田おばさんは冷たい声でふんと鼻を鳴らした。「篠崎さん、絶対、あれに騙されちゃあダメですよ。ああいうどこの馬とも知れない女は自分のことばかり考えていて、他人の事なんて一切考えないんですから」篠崎暁斗は冷たい目で相田おばさんを見た。「相田さん、どんな事にも程度というものがあるだろ、やりすぎには気をつけろよ。人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ」篠崎暁斗の全てお見通しだという瞳に相田おばさんはビビってしまった。吉沢凛子はこの時とても辛く、苦しんでいた。明日おばあさんに付き添えなくなったからではなく、篠崎暁斗のさっきの態度に耐えられなかったのだ。もし、篠崎暁斗が彼女にちゃんと相談して
続けてまたドアをノックした。今度は中から篠崎暁斗の不機嫌そうな声が聞こえてきた。「何か用?」「夜は冷えるから、ブランケットを持ってきました」吉沢凛子がそう言っても、中からは何の反応もなく、しばらく待ち続け、彼女は寒さに震えてきた。篠崎暁斗はドアを開ける気がないと思い、彼女は背を向けて部屋へ戻ろうとした。そして、この時ようやく扉が開いた。篠崎暁斗はボサボサの頭でドアのところに立っていた。彼のシャツは緩み胸元が大きくはだけていて、衰弱しきった様子で今にも倒れそうだった。「どうしたんですか?」吉沢凛子は緊張して篠崎暁斗の額に触れてみた。額に触れた瞬間、篠崎暁斗にその手を払われてしまった。「なんともない」篠崎暁斗は吉沢凛子が持っていたブランケットを受け取ると、ドアを閉めようとした。吉沢凛子は手を伸ばしてドアが閉まるのを止め、緊張した声で尋ねた。「風邪引いたんじゃないですか?」「吉沢凛子、もう俺のことを気にかけるフリはしないでくれないか。勘違いしてしまいそうだ......」「何を勘違いするんですか?」吉沢凛子は、ぽかんとした。篠崎暁斗は彼女がまだとぼけているのを見て、彼女に期待し過ぎていたと思い、笑えてきた。この世でおじいさんを除いて、誰が本気で彼のことを気にかけてくれるだろうか?すると、篠崎暁斗は思い切りドアを閉めた。吉沢凛子は考える間もなく手をドアの隙間に伸ばしたが、少し遅かった。扉は固く閉じられ、彼女の指二本が挟まれて腫れてしまい、その痛みに叫んでしまいそうだった。吉沢凛子はまた少し待ってみたが、篠崎暁斗がドアを開けるつもりはないことが分かり、身を翻してその場を去るしかなかった。翌日、吉沢凛子は朝早く起きて、弟の蒼真に連絡し、おばあさんの手術前検査に付き添うように伝えた。それから、書斎へ行きドアに鍵がかかっていないのを見て、中へ入っていった。吉沢凛子はこの時、篠崎暁斗の書斎に初めて入った。中はとてもシンプルで、デスクとシングルベッド、そして壁一面の本棚だけしかなかった。シンプルではあったが、全ての家具はマホガニーでできていて、高そうなものばかりだった。デスクの上には風邪薬とコップ半分の水が置かれていたから、篠崎暁斗は朝薬を飲んで出かけたのだろう。吉沢凛子が部屋から出ていこうとした時、デス
吉沢凛子からそう聞くと、おじいさんは、やはり自分は人を見る目があったのだと確信した。しかし、同時に篠崎暁斗が、もしこのような女性を逃してしまったら、きっと深く後悔するだろうと気がかりだった。この時、吉沢凛子の携帯に大沢康介から電話がかかってきて、手術前に親族がサインをする必要があると伝えた。吉沢凛子は、今朝頼んでいたのに弟の蒼真が来ていないことを今になってようやく知った。おじいさんは吉沢凛子が焦っている様子を見て、自分は一人でここで待っているくらいなら大丈夫だから、先に彼女の用を済ませるように言った。国際部門の病棟はおばあさんが入院している棟からそんなに離れていない。吉沢凛子は早く済ませてこようと思い、看護師におじいさんのことを任せてそこを離れた。おばあさんの手術はリスクがとても大きいので、大沢康介はできる限り詳しく彼女に説明し、いつの間にか30分も過ぎていた。突然、催促の電話が鳴り響いた。吉沢凛子は急いでその電話に出た。こちらから何か言う前に、篠崎暁斗の冷ややかな声が聞こえてきた。「今どこにいるかは知らないが、5分以内に来なかったら、今後二度と帰ってこなくていい」そう言うと、篠崎暁斗は電話を切った。吉沢凛子は立ち上がると外へと駆け出した。彼女は篠崎暁斗の怒りが込もった声を聞き、おじいさんに何かがあったのだと悟った。大沢康介は何が起きたのか分からず、すぐ彼女の後を追った。二人は息を切らしながら国際部門の病棟へやってくると、篠崎暁斗が救急室の入口に立っていた。「おじいさん、どうしたんですか?」吉沢凛子は慌てて尋ねた。「どこに行ってたんだ?」篠崎暁斗は暗く冷たい顔つきだった。「じいちゃんのことは君に任せただろ、なのに放ったらかしにして。さっき待合室で倒れたんだ。もし俺が来るのが遅かったら......」「ちょっと離れただけなのに、どうしてこんなことに?」「ちょっと離れただけ?看護師は君は40分は離れていたと言っていたぞ」篠崎暁斗の目は少し赤くなっていた。「吉沢凛子、責任を持てないなら、結婚前にはっきりと言うべきじゃないのか」「失礼ですが、このような突発的なことは誰も予想なんてできませんよ。全ての責任を凛子さんに押し付けるべきではないと思いますが」と大沢康介は少し興奮した様子で言った。篠崎暁斗は冷たい目
思いもよらず、吉沢凛子はそのドイツ語を聞き取ることができた。彼女は大学で第二外国語としてドイツ語を選択し、検定試験1級を持っている。彼女はとても流暢なドイツ語でドイツ人医師と意思疎通し、おじいさんの病状をすぐに理解した。「彼はなんて?」篠崎暁斗は吉沢凛子の高レベルなドイツ語に非常に驚いていた。「おじいさんは今のところ命の危険はないそうです。でも、楽観視はできないですが、ドイツ製の特効薬で少しは緩和できるかもしれないって......」「じゃ、俺たちが中に入ってじいちゃんの様子を見ることはできるか?」吉沢凛子は彼に代わって通訳した。ドイツ人医師は頷き、彼ら二人を連れて救急室へ入っていった。おじいさんはもう目覚めていて、吉沢凛子と篠崎暁斗が一緒に入ってきたのを見ると、彼らに微笑んだ。「私は大丈夫だから、心配しないで」ドイツ人医師スミスの通訳はまだ到着していなかったので、彼は篠崎暁斗と吉沢凛子をオフィスへ招き、ドイツ語に精通している凛子に通訳を頼んだ。スミスはおじいさんの症例を並べ、篠崎暁斗にその病状の注意点とこれからの治療方針を説明していった。吉沢凛子の通訳のおかげでコミュニケーションがスムーズにいった。世界的に優れた名医を前にしても、吉沢凛子は臆することなく、落ち着いていた。篠崎暁斗もさすがに彼女のその様子に刮目して見た。最後に、篠崎暁斗は医者とおじいさんの手術の日程と今後の治療について確認した。スミスは吉沢凛子の通訳を絶賛し、しごろもどろの日本語で彼女を見目麗しいとほめたたえ、診察時に彼女を専属通訳として雇いたいとまで言い出した。しかし、吉沢凛子が返事をする前に、篠崎暁斗にやんわりと断られてしまった。スミスはとても残念そうにしていて、最後に吉沢凛子の連絡先を受け取った。おじいさんの今の状態を鑑み、病院側は一週間入院して精密検査をすることを提案した。篠崎暁斗は吉沢凛子がおじいさんの世話をするのは不便なことを思い、一人ヘルパーを雇うことにした。こうすれば、凛子がおばあさんの世話もすることができる。病室から出ると、篠崎暁斗は吉沢凛子の手を引いた。「今日は君のおかげで助かったよ。俺......朝は冷静さに欠けていた」篠崎暁斗は口ごもりながら、激怒したことを謝りたかったが、なかなか口に出てこなかった。
手術は8時間近くに及び、夜10時過ぎにやっと終わった。吉沢凛子は水すらも口にせず、その間ずっと手術室の入口に立っていて、足もしびれていた。そして、ようやく手術室の扉が開いた。大沢康介は疲れ果てた様子だった。彼はマスクを外し、手術は無事成功したと吉沢凛子に伝えた。「手術は成功した」と聞いた瞬間、吉沢凛子のピンと張っていた弦が緩んだ。同時に足の力が抜け、目の前が暗くなりふらふらと倒れそうになったところを、大沢康介が受け止めた。「大丈夫ですか?」大沢康介は緊張した声で尋ねた。その瞳からは彼女を心から心配している様子が伺える。「大丈夫です。ただめまいがしただけで」吉沢凛子は大沢康介を押しのけようとしたが、全く力が入らず彼の懐に寄りかかった。頭がぐるぐる回っていて、ちょっとでも動くと吐きそうだったので、吉沢凛子は動くことができなかった。大沢康介は彼女の様子を見て、急いで吉沢凛子の襟元のボタンを外し、楽にしてあげた。この時、誰もいない廊下には彼の胸に寄りかかる女性、この二人だけだった。男は彼女のほうを向き、とても優しい眼差しで見つめた。しかし、この時ちょうど階段の前にいた篠崎暁斗がこの一幕を見ていた。おじいさんから今日、吉沢おばあさんが手術をするのだと聞き、しばらく迷ってから、ようやく決心してここに様子を見に来たのだ。しかし、思いもよらずこのような微妙な雰囲気の場面に遭遇してしまったわけだ。篠崎暁斗は強く拳を握り締めた。しかし結局、何も言葉を発しなかった。そして彼らに背を向けて、その場から去っていった。しかし、飛ぶように速いスピードで歩いていたので、白衣を着た女性とうっかりぶつかってしまった。「ちょっとどこ見て歩いて......」相田紬は怒鳴りつけようとしたが、篠崎暁斗の超イケメンな顔が目に飛び込んで来た。ただこの時の顔つきはかなり恐ろしかった。「あなたは......篠崎さん?」相田紬はおばさんから篠崎暁斗の写真を見せてもらったことがある。その時、彼女は篠崎暁斗は写真を加工していると思っていた。そうでなければ有名人みたいにこんなに格好良いわけがない。でも、この時初めて会ってみると、写真よりもずっとイケメンじゃないか。「俺はあんたなんか知らない」篠崎暁斗はナンパされるのが大嫌いだった。「え?ちょっ
彼は吉沢凛子の風呂上りの色っぽい姿を見て、しばらくぼうっとしてから、やっと我に返った。「どうして帰ってきたんだ?」篠崎暁斗が尋ねた。「おばあさんには今夜からヘルパーさんをつけたので、しばらくは私がいなくても大丈夫なんです」「じゃあ、君は......」「あの、今夜......」二人は同時に声を出した。「先にどうぞ」篠崎暁斗はそう言いながら、ネクタイを外してソファの上に投げた。吉沢凛子はこの時、篠崎暁斗の襟元に口紅の跡のようなものがついているのに気がついた。おもわず凝視した。吉沢凛子は自分でも気づいていなかったが、彼女は篠崎暁斗の前では、すでに妻としての役割に自然となりきっていた。他の奥さんと同じように、浮気を疑い嫉妬心に駆られた。他の奥さん方と唯一違うことは、吉沢凛子は篠崎暁斗に説明するように強く言えないことだった。ただ心の中に抑え込むしかない。「今夜は書斎で休みますか?」吉沢凛子の声はとても素っ気無かった。篠崎暁斗は服を脱ぐ手を止めた。吉沢凛子は彼に出て行ってほしいと思っているのが分かった。「風呂に入ったら、すぐ出て行くよ」篠崎暁斗は何か我慢しているような声で言った。そして、無表情で引き続き服を脱ぎ始めた。一着、一着と脱いだ服をソファの上に投げ捨てていった。吉沢凛子は篠崎暁斗が彼女の目の前で服を脱ぐとは思っておらず、急いで背を向け見ないようにした。篠崎暁斗はパンツ姿で浴室へと向かった。吉沢凛子はこの時、浴室のドアの前に篠崎暁斗に背を向けて立っていた。篠崎暁斗は彼女の後ろに来ると、突然彼女の耳元で話しかけた。「君がここに突っ立ってるのは、俺と一緒にもう一度風呂に入りたいっていう意味か?」生暖かい息が耳元にかかり、こそばゆくなり、吉沢凛子は心が乱れて急いでその場を離れた。篠崎暁斗は浴室へと入っていった。シャワーの音が響き、吉沢凛子はソファの前まで行くと、あのシャツを見つけ赤い印を何度もじっくりと見つめた。最後にそれはやっぱり口紅の跡だと確信した。しかもその口紅の色は、若い女性が好きな色だ。篠崎暁斗は浮気している?吉沢凛子がシャツを持つ手は少し震えていた。林佑樹の部屋からコンドームを見つけた時ですら、このような感覚にはならなかったのに。あの時はただの怒りで、今は混乱