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恋の罠にかかったら社長の愛から逃れられません
恋の罠にかかったら社長の愛から逃れられません
著者: てんてん蘭

第1話

もし、奥さんと心から愛する人が同時に水の中に落ちてしまったら、どちらのほうを助ける?

広瀬雫は数日前に友人が言っていたこの言葉を思い出し、心が締め付けられてまた息が苦しくなった。

広瀬雫はずぶ濡れのまま体を硬直させて、パーティ会場に立っていた。ブルーのきれいな膝丈ドレスが体にピタリとはりついて、見るに堪えない酷い姿になっていた。

周りにいる同僚たちは軽蔑の目線を送り、彼女を冷笑し小声で囁き合っていた。

彼らが後ろで何を言っているのか耳をそばだてるまでもなく、はっきりと分かっていた。

社長を誘惑してのし上がろうとするなんて......

社長の女を水の中に落とした極悪女......

普段、高潔な態度でいるくせに、こんなに人でなしだったなんて......

少し前にロイヤルパレスの裏にある庭園で、有賀悠真の新しい恋人であり、今人気絶頂の女性アイドル白石玲奈に行く手を阻まれてしまった。

「広瀬雫さん、あなたが悠真の形だけの妻だってことは知っているわ。もし私があなただったら、恥ずかしくて彼とはもう離婚しているわよ。こうやって毎日毎日、彼が他の女性と一緒にいるのをずっと見てて面白いわけ?」

有賀悠真と結婚してからというもの、このようなシーンをずっと見続けてきた。

広瀬雫は彼女から言われた途端に、胸がズキズキと痛み、何か言い返そうとしたが、さっきまで勢い付いていた白石玲奈のその気迫が瞬く間にしぼんでいき、様子がガラリと変わった――

「広瀬さん、あなたが悠真のことを好きだっていうことは知ってるわ。悠真もあなたのことが好きなら、私だってあなたたちの間に割って入るようなことなんかしない。でも、彼はあなたのことを嫌っているのよ。あ、あなた何を......きゃあ!誰か助け――」

その言葉の続きが聞こえる前に、広瀬雫は目の前にいる女に引っ張られて一緒に水の中へと落ちていった。

次のシーンはまさに白馬の王子様登場、となるはずだが、残念なことに王子様に助けられるそのヒロインは広瀬雫ではなかった。

広瀬雫は目尻を拭い、誰にも気づかれないようにそっと涙を払った。そして、そう離れていないところからパーティ会場の入口を見つめていた。

彼女は正面から見ることはできなかったが、有賀悠真の高くスラリとしたその後ろ姿が、大切なものを触れるかのように優しく白石玲奈を抱き寄せ、彼女の額にキスをするのが見えた。直接見るまでもなく、この時の有賀悠真が腕の中の彼女を慈しむ表情を広瀬雫は容易く想像することができた。

彼もまた自分が白石玲奈を水の中に落としたのだと思っているのだろうか?

彼女は心臓をギュッとつかまれたかのように苦しくなり、広瀬雫は握り締めた拳で胸のあたりを押さえた。拳を作っている手の甲は、骨が浮き出ていて血の色も引いてしまっていた。

......

家に帰ると、家政婦が笑顔で迎えた。「若奥様、お帰りなさいませ」

「ええ」広瀬雫は頷き、玄関にあった黒い革靴に目線を移した。

家政婦の大宮さんは微妙な笑顔を作って言った。「有賀夫人はお出かけになられました。若旦那様は先ほど戻られて、若奥様に書斎まで来るようにとおっしゃっていましたよ」

今日は彼女の誕生日だ。

広瀬雫は大宮さんのその表情を見て、喉の奥がつかえたような感じがした。

「あら!若奥様、どうなさったのですか?ずぶ濡れじゃないですか。先にお風呂に入られてください」

広瀬雫は頷くと、上にあがって行き、有賀悠真の書斎の前を通る時に少しその足を止め、目をつぶってそのまま素通りした。

急いでシャワーを浴び、服を選んでいる時に、広瀬雫は無意識に水色で左の腰あたりに小さなジャスミンの花が刺繍してあるミニワンピースを手にとった。

さっき大宮さんが彼女にタオルを持ってきた時に、こっそりと彼女に教えてくれたのだ。今日悠真が青いバラの花束を買ってきて書斎に置いているらしい。

広瀬雫は少し緊張していた。

彼女がドアをノックしようとすると、書斎のドアが先に開かれた。

すると、有賀悠真が無表情で書斎の入口に立っていた。

彼は笑っていない時、いつも人に圧迫感を感じさせる。彼の目は切れ長で、感情がこもっているはずのその瞳の奥から、いつも凍えるような冷たさを感じた。彼はスーツを着たままで、全身黒に包まれたその姿はオーラを放ち、天性の高貴さを感じさせた。

「帰ってきたのに、どうしてすぐにここに来なかった?」

広瀬雫は驚き、耳を少し赤くさせた。「......さっきパーティで服が濡れてしまって。先にシャワーを浴びてたの......」

彼女の話が終わるのを待たずに、男は書斎に入り、広瀬雫に冷たい背中を見せていた。

広瀬雫は口を開いたが、黙って彼に続いて中へと入っていった。

書斎のレイアウトは完全に有賀悠真のスタイルそのものだった。風格があり、華やかさも備えている。部屋全体が暗めなトーンのダークブラウンで、装飾品も統一感がある。テーブルの上に置かれた青いバラの花束だけが異彩を放っていた。

広瀬雫はその花束を見て、一瞬戸惑い、ネクタイを整えている男のほうへ向かって歩いていった。

「悠真、今日が私の誕生日だって、あなたは覚えてないと思ってたわ」

この時、祝賀パーティで受けた苦しみはほとんど消えてしまった。そして、広瀬雫が有賀悠真のネクタイを受け取ろうとしたが、それを避けられてしまった。

「君の誕生日だって?」有賀悠真はこの時ようやく広瀬雫の格好に気づいたようで、すぐそばにあるバラの花束をチラリと見ると、笑っているのかいないのか分からない微妙な表情で広瀬雫のほうに目線を移した。「まさかその花束がもらえるなんて思っていないよな?」

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