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第2話

広瀬雫はそれを聞いた瞬間うろたえてしまい、全身をこわばらせた。

彼女が大宮さんからこの花束の話を聞いた時には少し期待していた。

しかし、そんなことは有り得ないということを知っていたはずだ。どうして毎回彼に期待してしまい、恥をかくようなバカな妄想をしてしまうのだろうか。

「あなた......一体何の用なの?」彼女は喉の奥がつかえていた。

「大人しくすると思っていたのに、まさかもっと行いがひどくなるとはな。玲奈は今回の件に関しては気にしないと言っていたが、俺はもう二度とこんなことが起きてほしくないね」

有賀悠真は書斎のデスクの引き出しを開けながら、冷ややかな声でそう言った。

彼の横髪はきちんと整い、鏡越しに冷たく無表情な顔が確認できる。いつもと同じように彼女に対して冷たいあの顔だ。

書斎に静かに置かれた青いバラの花束は何も言わずきれいに咲き誇っていた。

広瀬雫は平気なふりをしながらも、夫に誤解され心が張り裂けそうだった。

「私じゃないわよ」

彼女は小声で言った。

有賀悠真は引き出しの中から赤いベルベットのハート型ケースを取り出した。彼は身なりをきちんと整えてあり、長身でスラリとしたその姿はばっちりきまっていた。

ただ腕時計で時間を確認し、顔を上げた時のその顔は面倒そうで氷のような冷たさもあった。「広瀬雫、あんな汚い手を使って俺の女に手を出すなよ。結婚したいというからしてやっただろう、まだ何か不満があるのか?

もしおまえが俺が欲しいって言ってもな、悪いがそれは叶わないぞ。もし俺の心が――」

「言ったでしょう。私は白石玲奈を押して水に落としたりしてないって!」

この男がさらに彼女を傷つける言葉を吐き出す前に、広瀬雫は目を閉じ、歯をぎりぎりと噛みしめて彼の話を遮った。

彼女の唇はそのせいで血の気を失い、今にも倒れそうなくらいに体を震わせていた。

そして有賀悠真の顔つきは怒りに満ちていた。

「彼女が嘘をついているとでも言いたいのか?」

と言って鼻先で笑いながら振り返った有賀悠真の目には嫌悪感があった。

「彼女が全く泳げないってことを知ってるか。もし一瞬でも遅ければ彼女は溺れていたかもしれないんだぞ。そうなればおまえは、ここにこうやって何事もなかったように立ってはいられなかったぞ」

「悠真、あなたには私がそんなに酷い人間に写っているの?」受け続けてきた辛さと苦痛で彼女はもう我慢の限界だった。抑えてきた感情が一気に爆発してしまい、苦しみの表情で有賀悠真を見つめた。「私は白石玲奈を押したりしてない。彼女が私を巻き込んで飛び込み、私のせいにしようとしたのよ。あなたから私を引き離そうと考えているの。私は一度たりとも彼女に手を出したことなんてないわ!」

彼女の頬はやつれていたせいか、見開かれた瞳を一層大きく見せていた。その瞳には苦痛が溢れていた。

有賀悠真はこの女性の失望にギラギラと鈍く輝く瞳を見て、しばらく驚き、次の瞬間表情を更に悪くさせた。目の前にいるこの女性の強く屈することない表情を見て、白石玲奈が彼の腕の中で震えながら広瀬雫を責めないでほしいと言っていた様子を思い出し、すぐ苛立ちを覚えた。その突然の苛立ちから、思わず彼女を振り払ってしまった。

「今までおまえみたいな陰険な女を一度も見たことはないな!」

「パンッ――」という音が聞こえたかと思うと、広瀬雫は足がよろけて危うく床に倒れてしまうところだった。彼女の顔色は一瞬にして青ざめてしまった。

有賀悠真はやはりただ冷たい目で彼女を一瞥し、デスクの上に置かれたバラの花束を持って外へ向かって歩いていった。

広瀬雫はどこから度胸が湧いて出てきたのか分からないが、手の痛さも無視して走って有賀悠真を追いかけ彼の前に立ちふさがった。「こんな時間なのに、どこへ行くつもり?」

有賀悠真はこの時、氷のように冷たい目で言った。「そこをどけ!」

広瀬雫の瞳は涙に滲んだ。ついでにこの男をさえぎっている自分の手に目線をずらし、指にはまっている指輪を見た。

それはただの銀でできた指輪だ。ある小さな店で、当時彼らの関係が今のようにギクシャクしていなかった頃、彼が適当に選んで彼女に買ってあげたものだ。彼女はそれを宝物のように大事にしていた。それから結婚する時には、彼はすでに彼女のことを嫌っていて、きちんとした結婚指輪さえも彼女に買ってくれなかった。それで彼女は仕方がなくこの指輪を手にはめているのだった。

「有賀悠真、あなたはもう結婚しているのよ。今あなたが何をしようとしているか分かってるの?」

広瀬雫はもう我慢の限界だったので、彼に向かって怒鳴りつけた。

結婚してからのこの二年間、彼女は一日たりとも楽しい日を過ごしたことはなかった。毎日目を開けると、見えてくるのはただ彼と他の女性が一緒にいる浮気写真のゴシップばかりだった。

再び激しく手を振りほどかれ、有賀悠真の真冬の寒さのような凍った声がドアが閉じられる音とともに聞こえてきた。「おまえが有賀家に嫁いできたあの日から、結婚生活がどんなものになるかくらい想像できただろうが」

広瀬雫は全身を震わせ、そこにそのまま呆然と立っていた。

一階の玄関のドアが閉まる音が聞こえ、大宮さんが憐れむような顔つきで書斎に入ってきて、小さくため息をついて言った。「若奥様、大丈夫ですか?」

広瀬雫はゆっくりと姿勢を正すと、顔を触った。すでに涙は枯れ果てていた。彼女は生気のない表情で頭を横に振り、書斎を出て自分の寝室へと戻っていった。

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