石原紗良の働くアルバイト先にはお気に入りの彼がいる。いつも窓際のカウンター席に座って、店の名物であるチャーシュー麺を注文し、運ばれてくるまでのあいだ静かに文庫本を読む一人の男性。 くしゃっと乱れた髪はくせ毛なのだろうか、少しハネているけれど、それが逆にあか抜けていておしゃれ。背は高くて半袖のシャツから覗く腕はほどよく筋肉質できゅっとしまっている。文庫本に落とした視線は伏せがちで、意外と睫毛が長い。男性なのに綺麗だなとついついそちらに視線をやってしまう紗良は、完全に彼のファンになっている。土日の夜だけこの店でアルバイトする紗良にとって、土曜日の夜に来てくれる彼は目の潤いであり癒しだ。(まあ、私が勝手に拝んで癒されているだけなのだけど。でも忙しい日々にそういう潤いは必要よね)世の中にはかっこいい人が存在するのだなと、紗良は彼を見るたびに思った。疲れた体に活力を与えてくれる彼はこの店の常連客だ。紗良が彼の座っていた席の片付けに入ったとき、一冊の文庫本が忘れられていることに気付いた。「店長、お客様の忘れ物届けてきます」彼はさっき店を出たばかり。追いかければまだ駐車場にいるかもしれないと店を飛び出したわけなのだけど、彼の姿はどこにも見えず。「あー、もう帰っちゃったかなぁ」半ばあきらめ状態で念のため駐車場をぐるりと一周してみると、ラーメン店の隣にあるコンビニから出てくる彼を発見した。少し遠目からでも分かるバランスの取れたシルエットは紗良の推しの彼に違いない。「すみませーん!」手を振りながらバタバタと駆け寄ると、彼は不思議そうな顔をして首を傾げた。「ん? 俺?」「そうです、お客様です。本、お忘れですよ」紗良が本を掲げると、彼は「あっ!」と短い声を上げた。クールに本を読んでいるか静かにチャーシュー麺を食べている顔しか知らない紗良は、初めて見る彼の表情に新鮮さを覚えて心臓がドキリと高鳴った。「すみません、うっかりしていました」声も初めて聞く。少し低くて、でも優しい声。彼の声が聞けるなんて今日はラッキーデーだ。「いえいえ、間に合ってよかったです。では――」「あのっ」ペコリとお辞儀をして戻ろうとしたところを呼び止められ、今度は紗良が首を傾げる。「はい?」「あー、えっと、またラーメン食べに行きます」「はいっ!ぜひまたいらしてく
Last Updated : 2024-12-10 Read more