泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜 のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

81 チャプター

無意識の優しさ-03

届いたブックカバーはあまり仰々しくならないように簡易ラッピングをして、アルバイト先に持ってきていた。ただ、いつ、どのタイミングで渡したらいいのか考えあぐねてしまう。そして今週も杏介は来てくれるのかどうか、ラーメン店の制服に着替えながら紗良は変に緊張してエプロンを結ぶ指が震えた。(さすがに仕事中に渡すことはできないよね。ほかのお客さんもいるし)とりあえずロッカーに突っ込んで、ホールへ向かう。十八時から働く紗良だが、いつも杏介が来店するのは二十一時前後。チラチラと時計を気にしていたのは最初だけで、客の入りが激しくなるにしたがってそんなことはすっかりと抜け落ちて仕事に励んでいた。ピークが過ぎ一息つくころ、ガララッと自動ドアが開く音で反射的に「いらっしゃいませ」と笑顔を向ける。「あっ」「こんばんは」紗良が声を上げたことで杏介も気づいて挨拶をする。「空いているお席へどうぞ」声をかければ杏介はいつもの窓際のカウンター席へ。普段ならばテキパキとそのまま接客するところ、杏介にどう切り出したらいいか考えているうちに他の店員が注文を取りに行ってしまう。(やばい。出遅れた。しゃべるチャンスがない)焦ると余計に普段の仕事ができなくなり、無駄に箸を落としたり水をこぼしたりと落ち着かない。「ちょっと石原さん、大丈夫?」「すみません、すぐ片づけますっ」(落ち着け、私)どうにかこうにか平常心を取り戻しているうちにラーメンが出来上がり、紗良は杏介のところまで配膳した。「失礼します。チャーシュー麺になります」「ありがとう」コトリと置いたまま動かなくなった紗良を見て、杏介は首を傾げる。「石原さん、どうかしました?」「あ、えっと……」「?」「私、今日二十二時で上がりなんです。それでその、少しだけお時間ありますか?」「じゃあいつものコンビニで待ってます」「ありがとうございます」すんなり了承を得られ、ようやく紗良は胸を撫で下ろす。少し待ってもらうことにはなってしまうが、とりあえずは杏介に渡す目途がついてよかった。 ぴったり二十二時で仕事が終われるように、紗良はいつも以上に気合を入れて働いた。
last update最終更新日 : 2024-12-21
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無意識の優しさ-04

紗良のほっとしたような表情に、杏介はまた海斗のことでなにかあるのだろうかと思った。先日もらった父の日の似顔絵はせっかくなので棚の上に飾ってある。 子供が自分のために一生懸命描いたのだろうと想像すると顔がほころび、子供を相手に仕事をすることが多い杏介にとってそれは活力源にもなる。自分が必要とされているような、そんな気分になって明日も頑張ろうと思えるのだ。ラーメンを食べ終えてコンビニへ行き、ブラックコーヒーを手に取る。(石原さんは何が好みだろう?)自然とそんなことを考えて、ハタと手が止まる。(あ、いや、仕事終わりで疲れているだろうし、そういう意味だし……)などとどうでもいい言い訳を考えながら、最近美味しいと話題の抹茶ラテが目に入った。自分が買おうとしていたブラックコーヒーはやめて、抹茶ラテを二本購入する。(……最近話題だからな)と、これまた言い訳じみた考えを巡らせながら、紗良の仕事が終わるのを車の中で待った。ロッカーに突っ込んであった紙袋の中身をチラリと確認して、 紗良はよしと気合を入れる。仰々しくなっていないだろうか、 受け取ってもらえるだろうかと、ドキドキする胸を抑えながら 超特急で着替えてコンビニへ向かった。紗良が姿を見せるとすぐに杏介が車から降りてくる。距離が近づくにつれドキドキと暴れ出す心臓は紗良をますます緊張に追いやって行った。「お待たせしました」「いえ、お疲れ様です」杏介の方こそ仕事終わりだというのに、疲れを微塵も感じさせない爽やかな笑顔を見せられて紗良は体の奥がザワリと揺らめく。「あ、えっと、これ、この前のお礼です」「お礼?」差し出された小さい紙袋を受け取りながら杏介は首を傾げた。「はい、海斗の絵を貰っていただいたし、 スイーツもたくさんいただいたので。だから……」「えっ、すみません。 逆に気を遣わせてしまいましたか?」「いえ、そんなんじゃないんです。 本当に嬉しかったから。だから、ほんの気持ちというか……貰っていただけますか?」「ではありがたくいただきます」「あの、趣味に合うかどうかわかりませんけど」「見てもいいですか?」コクリと頷くのを確かめてから、杏介は包みを開ける。中から出てきたブラウンレザーのブックカバーを見て思わず顔が綻んだ。「すごくおしゃれなブックカバーですね」「えと、いつも文
last update最終更新日 : 2024-12-22
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無意識の優しさ-05

「読書好きなんですけど、大人になったらなかなか読む時間がなくて、ああいう隙間時間に読んでるんです」「わかります。大人になると本当に時間がないですよね」「海斗くんのお母さんは家事や子育てをされているから、余計に時間がないでしょう?」「そうですね。……そうかもしれないです。毎日仕事して海斗のことだけで手一杯になっています。本当にわからないことだらけで試行錯誤しています」「でもそうやって愛情をもって育てていらっしゃるから、海斗くんいつも楽しそうに笑っているんですね」本当に何気ない言葉だった。 いや、杏介にしてみたら特に意識などしていないただの感想のようなものだったのに、目の前の紗良の瞳からは大粒の涙がぽろっと零れ落ちる。「えっ、僕なにか変なこと言いましたか?」焦る杏介に紗良は慌てて涙を拭う。 紗良の方こそ、無意識に零れ落ちた涙に動揺していた。「違うんです。すみません。えっと……」この気持ちは何だろうか。 急に目の前が開けたような、救われる気持ち。 報われる気持ち。意識はしていなくとも、紗良の心の奥底ではずっと不安な気持ちが渦巻いていて、人知れず悩み苦しんできた。 それが、ふっと軽くなるような、そんな杏介の言葉だったのだ。「あの、 嬉しくて。海斗の母親だって認めてもらえたみたいで」「認めるもなにも、海斗くんのお母さんじゃないですか」「はい、先生にはちゃんとそう見えているんですよね?」「……はい」「ありがとうございます」「い、いえ……」どう受け答えしていいかわからず杏介は口ごもる。 紗良は目じりを拭い鼻をすすると、ニコリと笑顔を見せた。「すみません。 お引き留めして」「あ、いえいえ。ああ、そうだ。これ、飲んでください。今日もお仕事お疲れ様です」「いいんですか? ありがとうございます」先ほど買った抹茶ラテを渡すと、紗良はパッと花が咲くように微笑む。 その笑顔はやはり可愛くて癒しで、別れるのが名残惜しくなってしまうほど。だが、杏介はぐっと感情を抑えて 「ではまたプールで」 とクールに対応する。紗良はぺこりとお辞儀をして小さく手を振りながら、抹茶ラテを大事に抱えて杏介の元を去った。
last update最終更新日 : 2024-12-22
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無意識の優しさ-06

「あの、 嬉しくて。海斗の母親だって認めてもらえたみたいで」「認めるもなにも、海斗くんのお母さんじゃないですか」「はい、先生にはちゃんとそう見えているんですよね?」「……はい」「ありがとうございます」「い、いえ……」どう受け答えしていいかわからず杏介は口ごもる。紗良は目じりを拭い鼻をすすると、ニコリと笑顔を見せた。「すみません。 お引き留めして」「あ、いえいえ。ああ、そうだ。これ、飲んでください。今日もお仕事お疲れ様です」「いいんですか? ありがとうございます」先ほど買った抹茶ラテを渡すと、紗良はパッと花が咲くように微笑む。その笑顔はやはり可愛くて癒しで、別れるのが名残惜しくなってしまうほど。だが、杏介はぐっと感情を抑えて 「ではまたプールで」 とクールに対応する。紗良はぺこりとお辞儀をして小さく手を振りながら、抹茶ラテを大事に抱えて杏介の元を去った。紗良の後ろ姿を見送りながら、杏介の頭の中は先ほどの紗良の涙のことでいっぱいになっていた。(嬉し泣き……なのか?)すんなりと納得できず、真意が気になって仕方がない。確かに一人で子供を育てるのは大変なことだろうと思う。母親なのに自信がない、とか?母親に見られないことを悩んでいる、とか?杏介なりにいろいろ考えてみるも、まったくもって答えに辿り着かない。だけど理由を聞くのも何かおかしい。杏介が首を突っ込むべきではないだろう。(旦那さんが亡くなって必死で育てているのかな。だから経済的にも困窮してダブルワークをしているとか? いや、だとしたらスイミングスクールなんて通わない気もするし……いや、そういうものでもないか?)ぐるぐると巡る思考で頭の中がパンクしかける。考えたって何ひとつ答えは導き出せない。ラーメン屋でアルバイト中、海斗はどうしているのだろう。家で一人なのだろうか?「……いや、まさかそんなわけないよな」結局何もわからないまま、杏介は悶々とした気持ちで小さく息を吐き出し抹茶ラテを口にする。「……甘っ」甘いものは好きではない。けれどこれを紗良も飲んでいるのかと思うと、妙に嬉しい気持ちになって自然と顔が綻んだ。
last update最終更新日 : 2024-12-23
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無意識の優しさ-07

紗良は杏介と別れてから、再び目頭を拭った。 まさか涙が出るとは思わなかった。海斗が保護施設に入れられそうになっているとき、海斗はずっと泣いていた。 どうして泣いていたのかはわからない。 親がいなくて泣いていたのか、はたまたこの先の未来を感じ取って泣いていたのか、二歳の海斗からそれを導き出すことは困難だ。けれどその姿が、紗良の脳裏に今でも色濃く残っている。海斗を引き取ると決心してから、ただがむしゃらに必死に子育てをしてきた。 自分が母親になるという実感は全くわかない。 だけどやっていかなくてはならない。日々の生活をどう接していけばいいのかわからなくなるときもある。 そんなときは、とにかく保育園のまわりのママたちを参考にしながら頑張ってきた。海斗を引き取ったのは紗良が大学を卒業して間もなくのこと。 決まっていた就職先は残業も出張もあり、その度に母親に頼ることになってしまう。 母も持病を抱えて日々の通院もあるため、あまり負担は強いられない状況だ。だから自宅から近くて定時で上がれる条件を満たす派遣社員に変わることにした。 ボーナスも手当もなく貯金は見込めない。 これだけでは将来的にやっていけないと考え、土日の夜は海斗のお風呂を入れてからラーメン屋でアルバイトをすることにした。 夕飯と寝かしつけは申し訳なくも母にお願いしている。そうやって海斗に不自由させないようにがむしゃらに走ってきた二年間。 だから、杏介の言葉が紗良の心を優しく包んでくれるようで胸がきゅんと締めつけられる。(誰かに認めて貰えることがこんなにも嬉しいだなんて……)紗良は抱えていた抹茶ラテをひとくち口に含む。「……美味しい」上品な甘さと渋みが仕事後の疲れた体を労るように優しく全身に染み渡っていった。
last update最終更新日 : 2024-12-23
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無意識の優しさ-08

プール教室で、紗良はいつも観覧席から海斗だけを見ていたはずだった。それなのに、なぜか最近では杏介を目で追っている瞬間がある。子供に向ける笑顔、真面目な指導、引き締まった体。ずいぶん前からまわりのママたちが口々に「滝本先生いいわよね」と騒いでいる意味がようやくわかってきた気がした。ふと、杏介と目が合った気がして胸がドキリと揺れる。無意識にまた見てしまっていたようだ。どうしたというのだ。今までそんなことなかったのに。紗良は慌てて視線を海斗に戻した。杏介も紗良が気になっていた。紗良が、というより、紗良と海斗の家庭の事情が、といった方が合っているかもしれない。目の前の海斗は今日も楽しく水に潜っている。他の子たちと何ら変わらない、事情さえ知らなければごく普通の家庭の子だと思う。というか、つい最近までそう思っていたのに。指導中は雑念を捨てるべきだと、杏介は無理やり頭を切り替える。だがレッスン終了後に生徒たちに夏休み短期スクールのお便りを配ったとき、その雑念が一気に引き戻された。「このお便りはお家の人に渡してね。はい、海斗も。お母さんに渡すんだぞ」受け取った海斗はじっと杏介を見ると無垢な眼差しで口を開く。「かいと、おかあさんいない」「うん?」それは父親のことかと思ったが、そうではなかった。「さらねえちゃんに、わたせばいいんでしょ?」「え? 誰だって?」「さらねえちゃん」「海斗にはお姉さんがいるの?」「いるよ、さらねえちゃん」と指差す先には観覧席に座ってこちらの様子を見ている紗良、――杏介の認識上、『海斗のお母さん』だ。 そういえば連絡先を交換したときに記憶した名前は「紗良」だったと思い出す。(前にコンビニで会ったときも海斗は紗良姉ちゃんと呼んでいたな)そのことを思い出し、さらに彼女たちの事情が気になるが、これ以上深く聞くわけにもいかない。ガラス越しに海斗に指をさされた紗良は、杏介に向かって小さくお辞儀をした。 まわりにいる母親たちに比べてやはり紗良は幾分か若く見える。(……母親なのか、姉なのか)ますます杏介の頭は混乱した。
last update最終更新日 : 2024-12-24
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晴れていく心-01

「え、ウォーターパークですか?」いつものラーメン店で杏介の接客をした際コソコソっと話された話題に、紗良は目を丸くして驚いた。ウォーターパークとは、県内にある大型プール施設だ。流れるプールやウォータースライダー、キッズ専用屋内プールも充実していて人気がある。そのチケットを、杏介はくれるという。「仕事の関係上チケットをたくさんもらって。もし、よかったら、なんですけど。その、海斗くんプール好きですし」「とてもありがたいのですが、私泳げなくて。海斗を連れていってあげたいけど。どうしよう……」うむむ、と紗良は悩む。確かに海斗はプールが大好きだし、先日テレビでウォーターパークのCMが流れた際も「ここいきたい!」と騒いでいた。けれど自分が泳げないことがネックになっていて重い腰が上がらないでいたのだ。そんな紗良の様子を伺いつつ、杏介は数日前から考えていたことを思い切って口にする。「……えっと、もしご迷惑でなければ一緒にどうですか?」「え、先生とですか?」「はい。あ、えっと変な意味ではなく。僕は泳げますし。独り身なので暇ですし」こんなありがたい申し出があるだろうか。杏介が一緒に行ってくれるなら紗良が泳げなくてもなんとかなるだろうし、なにより海斗が喜ぶだろう。「あ、あの、ぜひよろしくお願いします」食い気味に頷けば、杏介は柔らかく笑みを落とした。翌週、ちょうど杏介が日曜日に休みがあり、それに合わせてウォーターパークへ行くことが決まった。杏介が車で迎えに来てくれ、ご機嫌な海斗はジュニアシートを抱えてちゃっかり助手席をゲットする。「車まで出していただいてすみません」「これくらい気にしないでください」「せんせー、はやくいこう! はやくいこう!」「海斗、ちゃんと大人しく乗ってるのよ」「わかってるよぉ。シートベルトした!」「じゃあ出発するぞ」紗良は後部座席から、今日がとても楽しい一日になるといいなと思いながら、海斗と杏介の会話を静かに聞いていた。海斗は終始しゃべりっぱなしで、そのテンションの高さが伺える。数日前から今日という日を指折り数えてきたのだ。その海斗のテンションに呆れることもなく、杏介も楽しそうに話を合わせてくれている。(さすが先生、子供の扱いが上手いわ)感心しているうちに、あっという間にウォーターパークへ到着した。
last update最終更新日 : 2024-12-24
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晴れていく心-02

人気の施設とだけあってなかなかに混んでいるし、駐車場から入口までも少し距離がある。荷物を持って海斗の手を引けば、杏介がするりと紗良の腕から荷物を抜き取った。「あっ、大丈夫ですよ、私持てます」「人が多いから、石原さんは海斗くんを見てあげてください」そう言われては杏介の言葉に甘えるしかなくなる。紗良は海斗の手を握り直し、「ありがとうございます」と伝えれば、杏介はふっと小さく笑みで返す。その柔らかで優しい表情はプール教室のときにさえ見たことがなく、紗良の胸をドキリとさせるには十分すぎるほどの破壊力があった。(……さすが推しメン。良いもの見させてもらったわ)などと余計なことを考えているうちに入口まで辿り着く。「海斗くんは僕が着替えさせるので、着替えたらあっちの入口で待ち合わせしましょう」「あ、はい」杏介は海斗の荷物を持つと、海斗と手を繋ぎ手際よく男子更衣室へ入っていった。紗良も慌てて女子更衣室へ入る。一人の更衣室は広々と感じられて、子供がいない身軽さを久しぶりに味わう気がした。途中で呼ばれることもなく、ただ自分の着替えをすればいいだけ。ほんの二年前まではこれが当たり前だったというのに、今やすっかり海斗に合わせた生活になっていることを実感させられた。
last update最終更新日 : 2024-12-24
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晴れていく心-03

入口へ行くとすでに二人は待っていて、大きな浮輪まで準備して楽しそうに談笑している。「さらねえちゃん、おそいー」「ごめんね。先生も、お待たせしました」「あの、ひとつ提案なのですが、今日は先生と呼ぶのはやめて名前で呼びませんか。僕も海斗くんのお母さんと呼びづらいですし」「あ、そうですよね。なんか変な関係に見えちゃいますよね。えっと……」「僕のことは杏介と呼んでください」「杏介さん。あ、私は紗良で……」「了解です、紗良さん」ドキリとしたのはなぜだろうか。 男性から名前で呼ばれることがない紗良は、慣れていないからか緊張してしまう。自然と早くなる鼓動に、落ち着けと何度も頭の中で唱えた。杏介が持ってきてくれた大きな浮き輪に、紗良と海斗は一緒に入った。 杏介は外側から浮き輪を持つ。流れるプールでくるくる回りながら流されるままに身を任せていると、海斗は浮き輪で弾みをつけたりバタ足を試みたりと落ち着きがない。「きーもちいー!」「海斗暴れないでぇ」「紗良さん、力抜いて。大丈夫だから。力を抜いた方が浮くから」「は、はいい」大暴れの海斗とは対照的に、紗良は必死に浮輪にしがみつく。 まるでプールに来ているとは思えないほど難しい顔をする紗良を見て、杏介は思わず吹き出した。「ぷっ、紗良さん本当に泳げないんですね」「笑わないでください。ていうか、絶対手を離さないでくださいね」「はいはい」「さらねえちゃんは、こわがりだからさ~」「海斗、余計なこと言わないで」「海斗は全然平気なんだな」「かいとはプールすきだもん! つぎ、あれやりたい」指差す先は、四人乗りのゴムボートにのって滑り台をラフティングするもの。 たちまち紗良の顔は青ざめる。「お姉ちゃん絶対無理!」「えー! じゃあせんせー、やろう?」「残念、海斗。あれは身長が足りないよ」「えー! かいとまえよりおっきくなったでしょ」「そうだな。でも子供用のプールにも滑り台あるから、そこ行こうか」「いくー!」上手く海斗を誘導できたと、紗良と杏介は目配せをして微笑んだ。
last update最終更新日 : 2024-12-25
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晴れていく心-04

キッズプールは屋内施設だ。まだよちよち歩きの子供でも楽しめるような噴水シャワーや浅いプール、角度の緩いスライダーやキッズ向けスライダーもある。「かいと、あれやる!」目をキラキラと輝かせた海斗はスライダーを気に入り、何度も何度も滑っては大笑いをする。「もっかい、いってくる」滑り降りた先で待っている紗良と杏介に元気よく伝えると、また一人で階段をのぼっていく。「海斗、走らないでよー」紗良が声をかけるが、聞いているのか聞いていないのか、そのスピードは落ちることを知らない。「ずいぶん気に入ったみたいですね」「こんなに喜ぶとは思いませんでした」「誘った甲斐がありますよ」くっと微笑む杏介に、紗良は感謝の気持ちでいっぱいになった。杏介がいなかったら間違いなくここには来ていなかった。例えチケットだけもらっても、紗良一人で海斗を連れてプールに来るなんてことはできなかっただろう。「さらねえちゃん、つぎはあそこにいこー!」「ちょっと海斗待って! ……きゃっ!」突然走り出す海斗を慌てて追いかける。が、紗良は足を滑らせてバランスを崩した。目の前の視界がぐるんと動き立て直すことは不可能だ。けれど予想よりも軽い衝撃と共に、紗良の視界はすぐに止まった。「危なっ! 大丈夫ですか?」「……! す、すみません!」斜め上を見上げれば、紗良の右腕を絡めるようにして受け止めている杏介の驚いた顔がある。「「……!!」」視線がぶつかれば、お互いあまりの近さに言葉を飲み込んだ。((ち、近いっ!))動揺してパッと離れれば、急激に心臓がドッドッと音を立てて暴れ出した。今まで意識していなかったのに、どういうわけか頬に熱が集まってくるようだ。(杏介さん、たくましすぎるんですけど!)(紗良さん、華奢すぎるんですけど!)お互いどぎまぎしながら、「もー、海斗ったらすぐにどっか行っちゃうんだから」「本当に」と、ぎこちなく笑うのだった。
last update最終更新日 : 2024-12-25
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