All Chapters of 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜: Chapter 51 - Chapter 60

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初めての恋-04

いつもと同じように杏介は紗良を車で迎えに行った。違うことといえば、今日は海斗がいないこと。その海斗は朝から元気いっぱいに保育園へ登園している。だから誰に断ることもなく、自然と助手席は紗良専用になった。助手席に乗るのは初めてではないはずなのに、この空間に杏介と二人きりであるという事実が胸をざわりと揺らす。「お休みのところすみません。えっと、映画なんですけど、海斗いると行けないので」「今日はデートだと思っていいですか?」「でっ……は、はい。よろしくお願いします」紗良自身もこれはデートだと思っていた。けれどいざ杏介の口から『デート』だと言われると、やっぱりそうなんだと変に意識してしまって落ち着かない。運転する杏介の横顔を見れば、端整な顔立ちに綺麗な二重の切れ長の目と思いのほか長い睫毛にトクンと胸が高鳴る。少しくせ毛の髪の毛は柔らかく流れ、思わず手を伸ばして触ってみたい衝動に駆られた。「紗良は……」「はっ、はいぃぃっ」急に話しかけられて、宙をさまよいかけた手を慌てて膝の上に戻す。「どうかした?」「あ、いや、えっと、……なっ、名前呼びだったのでっ」「呼び捨ては嫌だった?」「あ……ううん。ちょっとドキドキしちゃって」「紗良も、俺のこと呼び捨てでいいよ?」「ええっ!……き、杏介」おずおずと名前を呼ぶと、杏介は手を口元に当て「……思ったよりドキドキする」と呟く。とたんに恥ずかしくなった紗良は顔を赤らめながら慌てて「……さん」と付け加えた。「いや、なんで」「だってやっぱり恥ずかしいんだもん」「そう? よかったのに」残念がる杏介だが、その言葉とは裏腹にとても楽しそうに笑った。
last updateLast Updated : 2025-01-02
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初めての恋-05

絨毯張りの映画館は特別感を感じさせる。 どこからか甘い匂いも漂っていて、気持ちをわくわくさせた。「楽しみです。映画なんて学生のとき以来」「そう言われると俺もしばらく映画館には足を運んでなかったかも。何か買う?」「じゃあ飲み物だけ」紗良はメニューを覗く。 よくある定番の飲み物が並んでおり、「オレンジで」と伝えると、杏介が店員に注文してくれる。「アイスコーヒーとオレンジジュースで……」「ああっ、ちょっとまってください。やっぱりオレンジじゃなくてコーラでお願いします」「はい、アイスコーヒーとコーラですね。六百円になります」紗良がお金を出そうとすると杏介が目配せし、ささっと支払ってしまった。「いいんですか?」「いいよ。はい、コーラ」「ありがとうございます」「紗良、そろそろ敬語はやめようか。お互いに」「あ、はい。……じゃなくて、うん?」「そうそう」気恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったい気持ちになって、紗良はストローに口を付ける。 ゴクリと一口コーラを飲めば、シュワッと炭酸が強烈に鼻を抜けた。「ん~、炭酸だ!」「コーラが炭酸って知らなかった?」「ううん、違うの。久しぶりに飲んだから」紗良はふふっとはにかんで笑う。 海斗はまだ炭酸が飲めないため、たいていオレンジジュースかリンゴジュースを注文する。 それも一人で飲むには多いため紗良と半分こすることも多い。(私ったらいつも海斗に合わせてたんだなぁ)まさか飲み物の注文ひとつでそんなことを実感するとは思わず、紗良は感慨深い気持ちでまた一口コーラを飲んだ。
last updateLast Updated : 2025-01-03
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初めての恋-06

「暗いから足元気をつけて」おもむろに手が繋がれ紗良の胸はドキリと跳ねる。言うほど館内は暗くないけれど、杏介に握られた手に素直に従った。ずっと触れたいと思っていた杏介の手。こんなにも簡単に触れることができるなんて、まるで夢でも見ているようなそんなふわふわした気持ちに紗良の胸はまたきゅんと痺れる。指定された座席に座ると、目の前の巨大なスクリーンでは映画が始まる前の注意喚起やCMが次々に流れている。ぼんやりと眺めながら、紗良はいつか聞こうと思ってずっと聞きそびれていたことを口にした。「杏介さんって、何歳ですか?」「俺は二十八。紗良は二十五でしょう?」「え、なんで知ってるの?」「前にお母さんがそんなこと言っていたよね?」「あ、そっか……」以前ウォーターパークへ行ったとき、紗良の母は娘のことをぺらぺらと明け透けにしゃべっていた。それを思い出し、思わず苦笑いを浮かべる。「ちょうどいいね」「ちょうど、いい?」杏介の言葉の意味を汲み取る前に館内にブザーが響き渡り照明がぐっと落とされた。何がちょうどいいのか。ちょうど映画が始まるから?それとも歳の差が?妙にどぎまぎしてしまって、映画が始まってもそのことばかり考えてしまう。こっそりと横目で杏介を覗き見れば、暗闇の中、スクリーンからの光彩で浮かび上がる杏介の端正な顔。映画なんかよりずっと見ていたい、と考えてハッと我に返る。(だ、ダメだ。映画に集中しよう)紗良は落ち着くためにコーラを一口飲む。炭酸がしゅわっと弾けて鼻から抜けていき、気持ちを切り替えさせた。
last updateLast Updated : 2025-01-03
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初めての恋-07

映画の後は近くのレストランへ向かった。紗良はメニュー表を凝視し、うむむと悩みこむ。 時折ハッとしたり、困ったような表情になったり、顔面が忙しい。 そんな紗良の姿に杏介はふっと笑みを漏らした。「ん? 何?」「いや? 紗良が百面相で面白いなって」「はっ! 私、そんな顔してた?」「うん。でも、なんか嬉しそうだなーって」「そうかな? やだ、恥ずかしい。……私、海斗を育てるって決めたときからずっと海斗が一番で、自分のことは後回しにしてきたから、今日こうして杏介さんとデートできるなんて夢みたいで。外食も自分の好きなもの食べていいんだと思ったらつい嬉しくなっちゃって」「そっか」「あ、別にいつも我慢してるとかいうわけじゃなくて。……なんか、私の人生にもそういう彩りがあったんだなって思ったら、つい。今日は付き合ってくれてありがとうございます」「紗良が嬉しいなら俺も嬉しい。食べたいものは決まった?」「これにする。担々麺!」「じゃあ俺は――」本当に夢のようだと思った。 海斗を引き取ると決意したあと、紗良の将来に『恋愛』や『結婚』はもうないのだろうと思っていた。 むしろあってはならないのだと自分に言い聞かせてきた。子供を育てることはわからないことだらけ。 制約されることだらけ。けれどそんな日々の中でも、今日こうして杏介と二人でデートができている。 たくさんの偶然が重なって出会えたことが奇跡に思えた。
last updateLast Updated : 2025-01-04
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初めての恋-08

「紗良、まだ時間ある?」「今日はお迎えの時間十七時だから、まだ大丈夫」時刻は十三時。高い太陽からは日差しが燦燦と降り注いでいる。「じゃあ今度は俺に付き合ってくれる?」「もちろん」自然と二人手を繋いで、まるでそれが当たり前かのように杏介の車に乗り込む。たわいもないおしゃべりをしながら少しドライブをして、きっと三十分くらいは走っていたはずなのにあっという間に目的地に着いた。時間の流れるスピードが速い。そう感じているのは紗良だけではなく、杏介もまた同じように思っていた。小高い丘の舗装された緩やかな階段を上っていくと開けたウッドデッキが広がる。小さな展望台になっていて、まわりは緑で囲まれており風が吹くたびに木々がサワサワと揺れる。ウッドデッキの手すりから顔を覗かせれば、公園の花壇に咲く花がよく見えた。「わあ、綺麗! 風が気持ちいい」「ここ飛行機がすぐ近くを飛ぶんだけど、知ってる?」「ううん、初めて来た。飛行機?」空を見上げればちょうど遠くの方に飛行機の影が見える。「あの飛行機こっち来るの?」「来るよ。きっと驚くと思う」しばらく飛行機の行方を追っていると、どんどん姿がはっきりして高度も落ちてくる。ゴォォォ――地響きのような爆音が耳を震わせ、同時に紗良の真上を飛行機が通り過ぎていく。それはもう、手を伸ばせば届くのではないかと思うほどに近い。「すごい! かっこいい! 飛行機の下、初めて見た!」「すごいよね。すぐそこに空港があるから、低い位置で飛行機が見られるんだって。ここ、休日になると飛行機を見るために結構賑わうらしいよ。今日は平日だから人がいないけど」「じゃあラッキーだったね。私と杏介さんで貸し切り」屈託なく笑う紗良は眩しいくらいに輝いていて、杏介はぐっと息をのむ。(この笑顔が見れるなら、本望だ――)紗良の笑顔は杏介の心をいとも簡単に絡め取る。紗良に癒やしを求めた。見ているだけでいいと思った。紗良の事情を知らずにラーメン店に通っていた日々が今となっては何だか懐かしい気さえする。紗良が一児の母だろうが、同僚からよく考えろと忠告されようが、そんな頭の片隅で燻っていたことは一瞬でもうどうでもよくなった。誰が何と言おうと、この気持ちは止められそうにないからだ。
last updateLast Updated : 2025-01-04
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初めての恋-09

「紗良、今日だけじゃなくて、これからも二人で出掛けないか?」「え?」「紗良、好きだよ」飛行機が通り過ぎた後の気流風が二人の間を抜けていく。 さっきあんなに近くに飛んでいた飛行機はあっという間に遠くへ行き、展望台には静寂が戻った。紗良はぎゅっとシャツの裾を握る。 杏介に「好き」だと言われて嬉しくないわけがない。 だってとっくに紗良も杏介のことを好きになっていたのだから。「……わ、わたし」紗良は考えあぐねるように杏介から視線を外す。 だがそれも定まらず、曖昧にさまよった後、また杏介の元へ行き着いた。本当はすぐにでも頷きたいしその逞しい胸に飛び込みたい。そう思うのに、杏介への気持ちは喉元で引っかかる。まるで魚の骨が刺さっているかのようにチクチクと痛い。「……海斗がいるから……」ようやく出てきた言葉は自分が思った以上に重くて残酷だった。 自分自身の心までもえぐり取られるような、そんな感覚に顔をしかめる。けれど杏介は、ふっと微笑んで紗良の頭をぽんぽんと優しく撫でる。「……わかってるよ。それでも俺は紗良が好きだよ。海斗のことももちろん好きだけど。……今一瞬だけ海斗のことを忘れて、紗良の本当の気持ちを聞かせてくれないか?」「……私も、好き。今、一瞬だけ海斗のことを忘れた私は、杏介さんのことが好きです。だけど、海斗を思い出した今は、杏介さんのことは好きだけどお付き合いはできないです」「そっか。でもよかった。俺のこと好きになってもらえて」「……杏介さんは、優しくてかっこよくて、……大好き」「……紗良」引き寄せられたのか自ら近寄ったのか。 唇から触れ合う体温は、甘く優しくあたたかだった。
last updateLast Updated : 2025-01-05
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初めての恋-10

展望台を下りると、公園の脇に小さな売店があった。飲み物やお菓子、空港に関連するグッズが控えめに並んでいる。「海斗、飛行機好きかな?」「乗り物は好きだから好きかも」「じゃあこれ、お土産で買ってあげよう」杏介は飛行機のデザインされたキッズ靴下を手に取る。いつも海斗のことを気にかけてくれる杏介のことをありがたく思いながら、紗良もお土産を選ぶ。「私は映画のチケットくれた同僚にお土産買おうかな」「紗良ってしっかりしてるよね」「そんなことないと思うけど、そう見えるならそれは海斗がいるから……なんだと思う」「今度は海斗も一緒に来ようか?」「うん、絶対喜ぶと思う。……でも、あの、……こんなこと言うのは矛盾してると思うんだけど……」「うん?」「また二人でデートして貰えますか?」こんなの自分勝手だと思っている。こんなに自分本意な考え方は迷惑極まりない。そう思ったけれど言わずにはいられなかった。今日で杏介との繋がりが消えてしまったら嫌だから。「お付き合いはできない」と断ったけれど、杏介を「好き」な気持ちは本当なのだ。杏介は一瞬驚いたような顔をしたものの、「もちろん、喜んで」と、くしゃっと笑った。優しさに溢れたその笑顔は紗良の胸をぎゅうっと締めつけ、涙がこぼれそうになった。
last updateLast Updated : 2025-01-05
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初めての恋-11

ほっとしている紗良と同様に、杏介もまた別の意味でほっとしていた。紗良に告白したのは『覚悟』を持ってのこと。紗良を好きになったら必然的に海斗もついてくる。海斗が邪魔だとか嫌だとか、当然そんな気持ちは持ち合わせてはいないが、いくら母親と一緒に育てているとはいえ子供がいたら普通のお付き合いができないのは想像できる。昼間は仕事を調整すれば会えるかもしれないけれど、夕方にはお迎えが待っている。休日には海斗がいる。泊りで出掛けることも、できないか、もしくは子供付き。それらをひっくるめて、杏介は『覚悟』を決めたつもりだった。それだけ紗良のことが好きだと思ったからだ。けれど紗良の意志は固い。杏介が思っているよりももっと意志が強くて、海斗への思いが深くて。そこへ足を踏み入れるにはハードルが高すぎた。(俺にはまだ紗良への愛情も海斗への愛情も、そして覚悟すらも足りないのかもしれないな)子持ちと付き合うというのは、前途多難なのかもしれない。杏介にとっても紗良にとっても。それぞれの想いがあり、決意があり。そしてその先に海斗がいて。「はあ、難しいな……」だから諦めるという恋ではないけれど。まだ紗良を好きになったばかりなのだ。紗良も杏介のことを好きだと言ってくれている。これからゆっくりと距離を詰めていくのも悪くないかもしれない。焦ることはない。紗良も杏介も、初めての恋だから。だからゆっくりと歩んでいく。二人の目指す未来はまだ見えなくとも。向いている方向は一緒なのだから。
last updateLast Updated : 2025-01-05
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好きな気持ち-01

職場で回ってきた忘年会のお知らせメールに、紗良は悩む間もなく欠席と返答をした。と同時に今回幹事である依美がすっ飛んでくる。「ちょっとちょっと~。紗良ちゃんもたまには飲み会出なよ~。ていうか少しくらい悩みなよ」「うーん、機会があれば、また……」「却下! もうちょっと考えてから返事しなさい!」「ええ~?」悩むことなんてないのに……と思いつつも、確かに職場の行事ごとにあっさりと返事をしすぎなのかもと考え、一応頭を捻ってみる。 けれどやはり参加するということが現実的ではなく、申し訳なくもそのまま欠席となった。社会人になってから飲み会の類は一度も参加したことがない。 それが嫌かと言われれば、そういうわけでもなくて……。学生の時に友達とご飯を食べに行ったりすることはあったけれど、社会人になってからそういうこともすっかりなくなった。急に誘いがなくなったわけではない。 行きたくないわけではない。だったらどうしてと、その根底を辿れば『海斗がいるから』に終始してしまうわけなのだが。自分が育てると決めたのだから、母にも迷惑はかけられない。 だから別にいいのだ、飲み会なんて行かなくたって。それで職場環境が悪くなるわけでもないし、紗良は海斗と母親と、三人で年越しをして慎ましやかな新年を迎える。 それがいつもの流れなのだから。ただ今年はいつもとはちょっと違って――。
last updateLast Updated : 2025-01-06
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好きな気持ち-02

【あけましておめでとう。今年もよろしく】そんなメッセージが杏介から届き、携帯を眺めてはニマニマ顔になっていた紗良を見た母親が紗良以上にニマニマとする。「ねえ、今年はお節作りすぎちゃったと思わない? 食べきれないから杏介くんでも呼んでちょうだいよ」「へっ? き、杏介さん?」急に出てきた名前にドキンと心臓が脈打ち、思わず携帯を落としそうになった。しかも変に動揺してしまう。「年末年始はプールもお休みでしょ?」「そうだけど、でも実家に帰るかもよ?」「聞くだけタダだし聞いたらいいじゃない」「う、うん」などと母親から誘導されるがまま紗良は杏介に連絡を取り、連絡を受けた杏介は喜び勇んで紗良宅へ訪問したのであった。「せんせー!」「海斗、あけましておめでとう」「あけましておめでとー」「ございます、でしょ。杏介さん、わざわざ来てもらってごめんね」「いや、新年から紗良に会えるなんて今年はいい年になりそうだなって思ったよ。あ、お母さん、あけましておめでとうございます。お邪魔します」「いらっしゃい杏介くん。さあ、あがってあがって」母に促され、杏介はリビングへ入る。テーブルの上には所狭しとおせち料理がずらりと並び、伊達巻や昆布巻き、なますなどが彩を添える。「ちょっとはりきって作りすぎちゃったのよ。だから食べてくれる?」「お母さんの手作りですか?」「そうなのよ。手作りだから味は雑かもしれないけどねぇ」「かいとはねぇ、たまごまいた! おてつだいした!」「おっ! すごいな。上手にできてる」「私はローストビーフ作ったんだけど、ちょっと味が濃くなっちゃったかも」「紗良も作ったの? すごいな。俺、全部食べるよ」それぞれの主張に杏介はひとつずつ丁寧に答え、「いただきます」とありがたく箸をつける。おせち料理なんて食べたことがないに等しかった杏介は、物珍しそうに少しずつ取り皿に盛った。色とりどりのおかずを前にした杏介の箸の行方を、紗良はドキドキとしながら見守る。「うん、美味い!」杏介がニッコリ笑うのを見て、ようやく紗良は胸を撫で下ろした。
last updateLast Updated : 2025-01-06
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