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店員と常連客-01

last update Last Updated: 2024-12-10 11:56:10

明日への活力など寝て起きればもうリセットされているわけで――。

紗良は五時半の目覚ましでむくりと起き上がった。

身支度を整えながら、夜のうちにタイマーをかけておいた洗濯物をベランダに干す。

それが終われば朝食の準備にとりかかるが、朝からあれこれ作る余裕はないため今日はピザトーストだ。

オーブントースターで焼いていると紗良の母が起きてきて、あとを母に任せて紗良は寝室へ。

「海斗、起きなさーい。朝だよー」

寝相悪く布団から半分飛び出しながらもまだぐーすか寝ている海斗を揺り起こす。

「……うーん」

どこでそんな技を覚えてきたのだろうか、ごろんと寝返りを打ちながら器用に布団に丸まる海斗。

「保育園遅刻するよー」

容赦なくぺりっと布団を剥がし、寝ぼけ眼の海斗を着替えさせる。抱っこでダイニングまで運び、焼き上がったピザトーストを食べさせつつ紗良も急いで胃に流し込んだ。

「今日は午後から雨みたいよ。傘持っていきなさいね」

朝の情報番組のお天気コーナーを見ていた母がのんびりとお茶を飲みながらそんな事を言い、紗良はそれを頭の片隅に置いておきながら海斗の身支度を整える。

「ほら、海斗行くよ」

「おばーちゃん、いってきまーす」

「はいはい、いってらっしゃい。ほら、紗良、傘忘れてる」

「あっごめん、ありがとう」

自分のカバンに傘に、海斗の保育園の着替え一式。軽自動車の助手席に雑に起き、海斗を後部座席へ乗せた。

保育園までは車で五分ほどだ。近いけれど、海斗を車へ乗せたり降ろしたりする動作は意外と時間がかかる。四歳児だがまだまだ一筋縄ではいかないことが多い。

保育園の門が開くと同時に海斗を預け、紗良は急いで職場へ向かう。朝の時間帯は交通量が多く、渋滞になりそうな道を時間と戦いながら安全運転で進み、職場の駐車場から執務ビルまではダッシュだ。

そうして始業時間ギリギリに席に座り、汗だくのまま仕事が始まる。

これが紗良の毎朝の風景だ。

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    「……杏介さんがいてくれたらいいのにって思っちゃって。……呆れちゃうよね?」「いや、どうして?」「だって、そんな都合のいい話はないじゃない」「都合よく俺のこと好きでいてもらえると嬉しいけど」「私は杏介さんが好きだけど、でもそれは心の奥底では海斗の父親を求めているのかもしれない。そんな風に考えちゃう自分が嫌なの。……ごめんなさい」胸がヒリヒリと痛かった。紗良が誰かを好きになるということは必ず海斗がセットでついてくる。 紗良は誰かに海斗の父親を求めてはいないけれど、海斗を切り捨てることは絶対にない。 この先一緒に生きていくには結局のところ海斗の父親になってもらうということ。 たとえ表面上でも、だ。けれど杏介は「いい」という。杏介の優しさが紗良の鼻の奥をツンとさせた。「そんな風に謝るなよ。俺はそうやって利用してもらっても構わないよ。その話を聞いてますます紗良が好きになった」「……好きになる要素がどこにあるの?」「いいんだ。俺が好きだから。紗良がなんと言おうと口説いてみせるよ。だからまたこうしてデートしよう」「……うん、ありがとう」今度こそ紗良は鼻をすする。 こんなにも理解があって優しい人が、自分のことを好きだと言ってくれる。 待っていてくれる。 その事実がありがたいし申し訳ない。「くそ、今が運転中じゃなければ抱きしめられたのに」「物好きだよね、杏介さんって」「そうかな?」「そうだよ。普通こんな女面倒くさいでしょ」「うーん」杏介は首を傾げる。 ちょうど信号で止まり、ずっと前を向いていた杏介が紗良を見た。 視線が絡まると杏介の目元はくっと緩み、紗良の胸はドキンと悲鳴を上げる。杏介はすっと腕を伸ばし、紗良の髪を優しく撫でた。 ぐいっと引き寄せたいのを我慢し、代わりに心からの想いを告げる。「好きだよ、紗良」「っ!」そんなストレートな言葉は紗良の心を優しく包み込む。 とんでもなく胸がしめつけられて体の奥底から熱いものが込み上げてくるような、そんな気持ちになった。

  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-06

    お互いのことをよく知らない。表面上はよくわかっていても、その生い立ちや家庭環境までは踏み込んでいない。(杏介さんのこと、もっと知りたいかも……)そう思うのと同時に、紗良は自分のことも知ってもらいたいと思った。好きだから知りたい、好きだから知ってもらいたい。付き合うことはできないと断った後もこうして一緒にお出かけして、まるで付き合っているのと変わらないような関係が続いていることに自分自身喜びを覚えている、この矛盾した生活。自分のことを伝えたら杏介は呆れるだろうか。この関係は崩れるだろうか。だったとしても、今、伝えたい気がした。ずっと燻っている、紗良の気持ちを。紗良は海斗がぐっすり眠っているのを確認してから口を開く。「あのね、うちの両親は離婚してるの。私は母子家庭だけどお母さんが明るすぎて父親の存在なんて忘れちゃうくらい」「確かに、紗良のお母さんは底抜けに明るいよな」「でしょう。だからね、海斗を引き取るときも大丈夫だと思った。私もお母さんみたいにやれるって思ったの。でも実際はすごく大変でお母さんに頼ることも多くて全然できてないけど、でも私なりに頑張ってて……」「うん、すごいと思うよ。だって最初に出会ったときは海斗の本当の母親だと思ったから」「そう言ってもらえて嬉しいんだけど。でもね、最近はダメなの……」紗良は杏介を見る。運転している杏介の横顔は夕日に照らされてキラキラと眩しく、それでいて頼もしくかっこいい。(ああ、私ってこんなにも杏介さんのことが好きなんだ……)自覚すると胸がきゅっと苦しくなる。伝えるべきなのか、どうなのか迷う。だが杏介は「何がダメ?」と優しく問うた。

  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-05

    「 俺さ、母親がいないんだよね」「え?」「いや、正確にはいるんだけど。幼いころに病気で亡くなって父子家庭で育ってさ、数年後に父親は再婚したんだけど、新しい母親と上手くいかなくて。……いや、上手くいかないっていうか、俺が毛嫌いしているだけなんだけど。だからそういうお弁当は憧れだったんだ。長年の夢が叶ったような、そんな気持ち、かな」「そう、だったんだ」「引いた?」「ううん、全然。私、杏介さんのこと全然知らなかったんだなって思って」「そうだよな。あんまりこういう話ってしないし。まあ聞いてもつまらないと思うけど」世の中にはいろいろな人がいる。 誰一人として環境が同じなわけではない。 そんなことはわかっているけれど、紗良のような家庭環境は珍しいのではないかとどこかでそう思っていた。 きっと杏介も『普通』の家庭なのだろうと決めつけていた。 そんな風に考えていた自分を反省する。「……私たちってお互いのこと全然知らないよね」「そうかもしれないな」紗良は姉の子供の海斗を育てていて、実家暮らしで母と住んでいる。 平日は事務の仕事をしていて土日はラーメン店でアルバイト。杏介は海斗の通うプール教室の先生で、仕事終わりに紗良の働くラーメン店へよく訪れる常連客。 そして一人暮らし。今までの付き合いからこれくらいの情報はお互いに知っている。 けれどそれ以上深く聞くこともなかったし、自ら語ることもなかった。それがいいのか悪いのかわからないけれど、紗良の知らなかった杏介の内面の話は紗良の固定概念を崩すには十分だった。

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