Chapter: 未練 02仕事が終わった春花は迷わず静のマンションへ帰った。渡された合鍵でエントランスの自動ドアを解除する。スッと音もなく開くドアは高級感に溢れており、エントランスの天井は高くクッション性の良さそうなソファーが優雅に出迎えてくれた。自分のアパートとは違う感覚は、春花の心を幾ばくか緊張させる。玄関のドアさえも重厚な造りで力を込めないと開かなかった。「た、ただいまぁ」遠慮がちに呼び掛けてみるも、部屋はしんと静まり返っていて人の気配はない。「お、お邪魔します」そろりそろりと入っていくと、ピアノルームの扉が開いていた。そっと中を覗くと自動で照明が点き、春花はわあっと声を上げた。部屋の真ん中に立派なグランドピアノが置いてある。照明が反射してキラキラと光っている様は、音楽室を彷彿とさせた。そっと蓋を開け鍵盤を弾くと、ポンと体の芯まで響いてくるような重厚な音が鳴った。「……トロイメライ」高校のとき静と連弾した曲を思い出し、春花は微笑む。まさかこんな形で静と再会するとは思っても見なかったが、昔と変わらない優しさは春花の心に安心感を与えている。本当は静と音大に行きたかった。静と一緒にピアノを弾きたかった。もしもあの時一緒に音大に進学できていたら、自分はどんな人生を歩んでいたのだろう。ピアノ講師としてかろうじてピアノは続けているが、静との実力は雲泥の差だ。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-23
Chapter: 未練 01静のマンションには防音設備の整ったピアノ専用の部屋がある。その他にも二部屋あり、荷物を置かせて貰うだけでもありがたいというのに、静は春花に一部屋使って良いと開け放した。初め遠慮した春花だったが、マンションは職場からさほど遠くない位置にあり通勤にも困らない。下手にリビングに居座るよりも自分の部屋で静かに過ごすことの方が迷惑にならないのではと考えて、春花は次の家が決まるまでありがたくここに住まわせてもらうことにした。「俺は夕方から外出するけど」「あ、私も夕方から仕事なの」「ん、じゃあこれ渡しておくよ」差し出された手を両手で受ける。と、固くてひんやりとした感触に目を疑った。「こ、これ……」「うん。鍵」「だ、ダメだよ」「どうして? 鍵がないと困るだろ」「でも……」「自由に使っていい。俺は仕事の時間がバラバラだから」そのまま握らされ、合鍵に良い思い出のない春花は戸惑いながらも大事に受け取る。無機質なモノなのに、やけに心が騒がしいのはなぜなのか。ぽっと灯る柔らかな温もりはゆっくりと浸透していくように、春花の心を包み込んでいった。夕方、レッスンのために出勤した春花を見た葉月は眉根を寄せ、手招きしつつ春花を呼びつけた。「ちょっと山名さん、何だか顔色悪いけど大丈夫?」指摘され、春花は頬を両手で押さえる。昨晩高志にアパートを追い出されビジネスホテルに泊まったわけなのだが、全くといっていいほど眠ることができなかった。今朝は朝食もそこそこにアパートへ戻り荷物の整理をしていたのだ。昼食もとっていないことに今更ながら気づく。「あ、ちょっとプライベートでいろいろあって。すみません、仕事に迷惑かけて」「別に迷惑はかけられてないけど。これからレッスンよね、大丈夫?」「それは大丈夫です。それより店長、今度レッスン風景を見学したい方がいまして」「体験レッスン? いつも通りやってくれて構わないわよ。」「あ、じゃなくて、見学したいのは桐谷静さんなんですけど」春花の言葉に、葉月は作業中の手を止める。改めて春花と目を合わせると、不思議そうに首を傾げた。「……え? 桐谷静ってピアニストのじゃないわよね?」「はい、そのピアニストの」「……え、山名さんとどういう関係なの?」「実は高校のときの同級生なんです」「やだっ! 何でそれを早く言わないのー? もしかして一曲
Terakhir Diperbarui: 2025-03-22
Chapter: 守るもの 09 どれくらい経った頃だろうか。ぼんやりとヘタりこんでいる春花の元に、静が息を切らしながらやってきたのは。「山名」名前を呼ばれて見上げれば、静が険しい顔で春花を覗き込む。「事情はだいたい理解した。まずは荷物を持って俺のところに避難しよう。ここは今月で契約解除すればいい」春花の腕を取って立ち上がらせようとするが、春花はフルフルと首を横に振る。「でもそうしたら高志が住めなくなる」「そんなの知ったことじゃないだろ? 今月末で退去の旨を知らせておくだけで十分だ。山名が責任を感じることはない。むしろ乗っ取られてるんだから訴えても良いくらいだ」「だけどこれは痴情のもつれというか」「山名」「夫婦喧嘩は犬をも食わないみたいな」「山名」「私がちゃんとしてなかったから」静がいくら呼び掛けても、自暴自棄になっている春花は答えようとしない。静はすうっと息を吸い込むと凛とした声で名前を呼んだ。「春花!」その声に、まるで時が止まったかのように静寂が訪れる。春花は目をぱちくりさせながら恐る恐る静に視線を合わせると、静はふと表情を緩めてから柔らかく春花を自分の胸に引き寄せた。「春花、落ち着け」「う、ううっ……」改めて名前を呼ばれ、春花の感情は大きく揺さぶられる。「昨日連絡先を聞いておいてよかったよ。春花は俺が守るから」静が抱きしめる腕の力が強まる。 暖かく包まれているうちに、春花の中にあった禍々しい感情がすっと落ち着いていくのがわかった。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-21
Chapter: 守るもの 08ポロ、ポロ……と涙が溢れ落ちた。泣きたいわけじゃない。ただ悔しくてやりきれない想いが春花の心をぐちゃぐちゃにする。電子ピアノをスタンドから降ろしてカバーを付けソフトケースに入れる。両親が離婚して引っ越しをする際、ピアノを売ることになったあのときの気持ちとよく似ている。今回ピアノは売らないが、突然訪れた出来事に頭がついていかない。喪失感が春花を支配し、理解することを拒絶しているようだ。――ブブブ、ブブブ、突然携帯電話が震え出し、春花はビクッと肩を揺らした。恐る恐る手に取ると画面には【桐谷静】と表示されており、春花は涙を拭ってからそっと通話ボタンをタップする。「……もしもし」『山名? 昨日イヤリング落としてないか? 楽屋の忘れ物で届けられてたみたいなんだけど』「え? あ、うん」『山名?』「うん」『泣いてる?』「……ううん」『嘘だ』「……桐谷くん」穏やかで優しい静の声は春花の耳にたおやかに響き、やがて体全体へ浸透していく。その安心できる声に、一度止まった涙が再び溢れ出した。『どうした?』「うっうっ、桐谷くんどうしたらいいか……」『……山名、今どこにいる?』静の声色が緊迫したものに変わる。静にこんな話をしていいものかと一瞬躊躇ったが、それよりも今は誰かに話を聞いて貰いたいことの方が気持ちが大きい。春花は泣きながら現状を伝え、事実を口にするたび悔しさが込み上げてきて時々嗚咽が漏れた。『山名、ゆっくりでいい、落ち着いて』耳に響くその声はしっとりと優しく、すがりたい衝動に駆られた。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-20
Chapter: 守るもの 07 翌日、幸いにして夕方のレッスンまで仕事はない。春花は荷物をまとめるためにアパートへ戻った。そろりと鍵を開けると、そこはもぬけの殻だ。あんなモラハラ高志だが、彼は仕事にはちゃんと行くことを春花は知っていた。仕事中の高志の態度は全く知らないが、きちんと出勤するということは最低限のルールは守っているのだろう。「……はぁ。本当に意味がわからない」なぜ自分が出ていかなければならないのか。考えれば考えるほど理不尽でたまらないが、高志とこれ以上争う気は微塵も起きなかった。しかも高志は合鍵を持っているのだ。我が物顔で彼が入り浸る家には、もういたくない。だが、新しい家を探すにも日数が必要だし、なによりまとまったお金がないと動けない。「はぁー」ため息しか出てこない。 考えると高志に貢いでばかりだった。大企業勤めで寮暮らしをしている高志は、お金がないわけないのにいつも金欠だと言っていた。入った給料はスロットで使い果たし、春花にプレゼントひとつしたことはない。幸い銀行のカードは財布の中、パスワードは教えていない。まずは自分の財産に安堵し、荷物の整理を始めた。元々そんなに私物は多くなく、荷物くらい簡単にまとめられると思っていた。だが、いざ整理し始めるとどうしたらいいかわからなくなる。荷物が少ないといっても、さすがにカバンひとつでどうにかなるものでもない。「どうしよう」一日ですべてをこなすのは無理だ。夕方からはレッスンが入っている。それを休むわけにはいかない。春花はその場にペタンと座り込み、荷物を前にして途方にくれた。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-19
Chapter: 守るもの 06足取り軽くアパートに戻った春花だったが、玄関を開けた瞬間に体が強張った。春花は電気を消した状態で外出したはずだが、部屋の明かりは煌々と灯り玄関には脱ぎ散らかした男物の靴がある。まさかと思っているうちに、奥から不機嫌そうな顔をした高志がのっそりと現れ、春花は一歩後退りをする。「……どういうこと?」「やっぱり浮気か」「何言ってるの?」「どこへ行っていた?」「コンサートだけど」「そんなお洒落していくかよ」高志は春花の服装を指摘する。今日の春花はフォーマルに近いワンピースにパンプス、そしてイヤリングを付け、髪は編み込みのアップスタイルでパールのついたバレッタを付けている。ピアノのコンサートだからといってドレスコードしなくてはいけない決まりはなく、カジュアルスタイルでもちろん入場できるのだが、静に会えるという気持ちで普段より服装に気を遣ったことは否めない。春花はバツが悪い気持ちになるが、そもそも高志とはもう恋人ではないのだから罪悪感を感じる必要はないのだ。春花は強い意思を胸に、高志を睨んだ。だがそれ以上に冷たい視線が春花を射ぬく。「……私たち別れたんだから、合鍵返して」「ああ、俺達別れたんだから、お前が出ていけよ」「え……待って。私の家だけど? あなたは寮があるじゃない」「はあー。二十八までしか入れないんだよね。だから結婚して寮を出ようと思ってたけど、お前にあんなこと言われちゃなぁ」「結婚?」「そう。春花と結婚しようと思って寮は解約した。だからここに住むことにした」「……何言ってるの? 意味がわからない」「春花は俺と結婚する気ないんだろ?」「ないよ」「だったらこの家は俺が住むから、お前が出ていけって話」「そんな……。だって、出てくにしても荷物とか」そういう問題ではないのだが、高志の強引で強気な態度に圧されて春花はどんどん弱気になっていく。高志は面倒くさそうに髪を掻き上げると、親指で部屋の奥を指差した。「確かにお前の荷物は邪魔だよな。じゃあ明日俺が帰るまでに荷物なくしておけよ。荷物があったら捨てる。お前がいたら追い出す。わかったか、くそ女」「え、ちょっと……」高志の勢いに圧され、春花はそのまま玄関を出た。と同時にガチャンとドアが閉められる。そしてあてつけかのように乱暴にチェーンが掛けられる音が聞こえた。閉じられた玄関の
Terakhir Diperbarui: 2025-03-18
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-11カシャカシャカシャッその音に、紗良と杏介は振り向く。そこにはニヤニヤとした海斗と、これまたニヤニヤとしたカメラマンがしっかりカメラを構えていた。「やっぱりチューした。いつもラブラブなんだよ」「いいですねぇ。あっ、撮影は終了してますけど、これはオマケです。ふふっ」とたんに紗良は顔を赤くし、杏介はポーカーフェイスながら心の中でガッツポーズをする。ここはまだスタジオでまわりに人もいるってわかっていたのに、なぜ安易にキスをしてしまったのだろう。シンデレラみたいに魔法をかけられて、浮かれているのかもしれない。「そうそう、海斗くんからお二人にプレゼントがあるんですよ」「えっへっへー」なぜか得意気な顔をした海斗は、カメラマンから白い画用紙を受け取る。紗良と杏介の目の前まで来ると、バッと高く掲げた。「おとーさん、おかーさん、結婚おめでとー!」そこには紗良の顔と杏介の顔、そして『おとうさん』『おかあさん』と大きく描かれている。紗良は目を丸くし、驚きのあまり口元を押さえる。海斗とフォトウエディングを計画した杏介すら、このことはまったく知らず言葉を失った。しかも、『おとうさん』『おかあさん』と呼ばれた。それはじわりじわりと実感として体に浸透していく。「ふええ……海斗ぉ」「ありがとな、海斗」うち寄せる感動のあまり言葉が出てこなかったが、三人はぎゅううっと抱き合った。紗良の目からはポロリポロリと涙がこぼれる。杏介も瞳を潤ませ、海斗の頭を優しく撫でた。ようやく本当の家族になれた気がした。いや、今までだって本当の家族だと思っていた。けれどもっともっと奥の方、根幹とでも言うべきだろうか、心の奥底でほんのりと燻っていたものが紐解かれ、絆が深まったようでもあった。海斗に認められた。そんな気がしたのだ。カシャカシャカシャッシャッター音が軽快に響く。「いつまでも撮っていたい家族ですねぇ」「ええ、ええ、本当にね。この仕事しててよかったって思いました」カメラマンは和やかに、その様子をカメラに収める。他のスタッフも、感慨深げに三人の様子を見守った。空はまだ高い。残暑厳しいというのに、まるで春のような暖かさを感じるとてもとても穏やかな午後だった。【END】
Terakhir Diperbarui: 2025-03-23
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-10その後はスタジオ内、屋外スタジオにも出てカメラマンの指示のもと何枚も写真を撮った。残暑の日差しがジリジリとしているけれど、空は青く時折吹く風が心地いい。汗を掻かないようにと木陰に入りながら、紗良はこの時間を夢のようだと思った。「杏介さん、連れてきてくれてありがとう」「思った通りよく似合うよ」「なんだか夢みたいで。ドレスを選んでくださいって言われて本当にびっくりしたんだよ」「フォトウエディングしようって言ったら反対すると思ってさ。海斗巻き込んだ壮大な計画」「ふふっ、まんまと騙されちゃった」紗良は肩をすくめる。騙されるのは好きじゃないけれど、こんな気持ちにさせてくれるならたまには騙されるのもいいかもしれない。「杏介さん、私、私ね……」体の底からわき上がる溢れそうな気持ち。そうだ、これは――。「杏介さんと結婚できてすっごく幸せ」「紗良……」杏介は目を細める。紗良の腰に手をやって、ぐっと持ち上げた。「わあっ」ふわっと体が浮き上がり杏介より目線が高くなる。すると満面の笑みの杏介の顔が目に飛び込んできた。「紗良、俺もだよ。俺も紗良と結婚できて最高に幸せだ」幸せで愛おしくて大切な君。お互いの心がとけて混ざり合うかのように、自然と唇を寄せた。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-22
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-09カシャッ「じー」小気味良いカメラのシャッター音と、海斗のおちゃらけた声が同時に聞こえて、紗良と杏介はハッと我に返る。「あー、いいですねぇ、その寄り添い方! あっ、旦那様、今度は奥様の腰に手を添えてくださーい」「あっ、はいっ」カシャッ「次は手を絡ませて~、あっ、海斗くんはちょっと待ってね。次一緒に撮ろうね~」カシャッカメラマンの指示されるがまま、いろいろな角度や態勢でどんどんと写真が撮られていく。もはや自分がどんな顔をしているのかわからなくなってくる。「ねえねえ、チューしないの?」突然海斗がとんでもないことを口走るので、紗良は焦る。いくら撮影だからといっても、そういうことは恥ずかしい。「海斗、バカなこと言ってないで――」と反論するも、カメラマンは大げさにポンと手を叩いた。「海斗くんそれいいアイデアです!」「でしょー」カメラマンと海斗が盛り上がる中、紗良はますます焦る。海斗の失言を恨めしく思った瞬間。「海斗くん真ん中でパパママにチューしてもらいましょう」その言葉にほっと胸をなで下ろした。なんだ、それなら……と思いつつ、不埒な考えをしてしまった自分が恥ずかしくてたまらない。「うーん、残念」杏介が呟いた声は聞かなかったことにした。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-21
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-08ウエディングドレス用の、少しヒールのある真っ白なパンプスに足を入れた。かかとが上がることで自然と背筋もシャキッとなるようだ。目線が少しだけいつもより高くなる。「さあ、旦那様とお子様がスタジオでお待ちですよ」裾を持ち上げ、踏んでしまわないようにとゆっくりと進む。ふわりふわりと波打つように、ドレスが繊細に揺れた。スタジオにはすでに杏介と海斗が待っていた。杏介は真っ白なタキシード。海斗は紺色のフォーマルスーツに蝶ネクタイ。紗良を見つけると「うわぁ」と声を上げる。「俺ね、もう写真撮ったんだー」紗良が着替えて準備をしている間、着替えの早い男性陣は海斗の入学記念写真を撮っていた。室内のスタジオだけでは飽き足らず、やはり屋外の噴水の前でも写真を撮ってもらいご満悦だ。海斗のテンションもいい感じに高くなって、おしゃべりが止まらない。「紗良」呼ばれて顔を上げる。真っ白なタキシードを着た杏介。そのバランスのいいシルエットに、思わず見とれてしまう。目が離せない。「とても綺麗だよ。このまま持って帰って食べてしまいたいくらい」「杏介さん……私……胸がいっぱいで……」紗良は言葉にならず胸が詰まる。瞳がキラリと弧を描くように潤んだ。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-20
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-07そんなわけであれよあれよという間に着替えさせられ、今はメイクとヘアスタイルが二人のスタッフ同時に行われているところだ。あまりの手際の良さに、紗良はなすすべがない。大人しく人形のように座っているだけだ。(私がウエディングドレスを着るの……?)まるで夢でも見ているのではないかと思った。海斗を引き取って、一生結婚とは無縁だと思っていたのに、杏介と結婚した。そのことすらも奇跡だと思っていたのに。結婚式なんてお金がかかるし、それよりも海斗のことにお金を使ってあげたいと思っていたのに。そのことは杏介とも話し合って、お互い納得していたことなのに。今、紗良はウエディングドレスに身を包み、こうして花嫁姿の自分が出来上がっていくことに喜びを感じている。こんな日が来るなんて思いもよらなかった。この気持ちは――。嬉しい。声を大にして叫びたくなるほど嬉しい。ウエディングドレスを身にまとっているのが本当に自分なのか、わからなくなる。でも嬉しい。けれどそれだけじゃなくて、もっとこう、心の奥底からわき上がる気持ちは一体何だろうか。紗良の心を揺さぶるこの気持ち。(早く杏介さんと海斗に会いたい)心臓がドキドキと高鳴るのがわかった。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-19
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-06鏡に映る自分の姿がどんどんと綺麗になっていく様を、紗良はどこか他人事のようにぼんやりと見つめていた。一体どうしてこうなったのか。海斗の入学記念写真を撮ろうという話だったはずだ。それなのにウエディングドレスを選べという。掛けられていた純白のウエディングドレスは、そのどれもが繊細な刺繍とレースでデザインされている。素敵なものばかりで選べそうにない。「どうしたら……」ウエディングドレスを着ることなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。だから果たしてこんなに素敵なドレスが自分に似合うのか、見当もつかない。ドレスを前にして固まってしまった紗良に「ちなみに――」とスタッフが声をかける。「旦那様の一押しはこちらでしたよ」胸元がV字になって、透け感レース素材と合わせて上品な雰囲気であるドレスが差し出される。肩から腕にかけては|五分《ごぶ》くらいのレースの袖が付いており、デコルテラインがとても映えそうだ。レース部分にはバラの花がちりばめられているデザインで、それがまるで星空のようにキラキラと輝く。純白で波打つようなフリルは上品さと可憐さが相まってとても魅力的だ。「でも自分の好みを押しつけてはいけないとおっしゃって、最終的には奥様に選んでほしいとこのようにご用意させていただいております」そんな風に言われると、もうそれしかないんじゃないかと思う。杏介の気持ちがあたたかく伝わってくるようで、紗良は自然と「これにします」と答えていた。
Terakhir Diperbarui: 2025-03-18