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店員と常連客-05

last update 最終更新日: 2024-12-10 18:14:38

翌日のプール教室は午前十時半から。

保育園で知り合ったママ友の弓香と観覧席でおしゃべりをしながら、紗良は子供たちの様子を見学していた。

弓香は紗良よりも十歳も年上で、子どもは二人。上のお姉ちゃんはもう小学校六年生という子育ての大先輩だ。

紗良と弓香は保育園の送り迎えの時間が同じで、挨拶を交わすうちに仲良くなった。歳の差なんて気にしちゃだめよとフレンドリーに接してくれる弓香のおかげで、頼りになるありがたい存在だ。

「海ちゃん順調だね。もー、うちなんてまだまだ顔付けがダメでさー」

「ありがたいことに、先生とも相性いいみたいで」

「滝本先生ね! あの人、格好いいわよね。体引き締まっててさ、ありゃ絶対プロテイン飲んでるわ」

「弓香さん、プロテインって」

「うちの旦那もああいう締まった体にならないかしら。もうお腹がボヨンボヨンなのよ~」

「あはは! 旦那さんが聞いたら泣いちゃうかもよ」

弓香のジェスチャーに、紗良はボヨンボヨンの弓香の夫を想像してクスクスと笑う。

プール教室の先生はみな水泳キャップを被っているため、かっこいいと言われても紗良には正直顔の違いがよくわからない。いつも海斗ばかり見ているためあまり先生の顔を見ていないというのもあるけれど。

「先生ってどれも同じ顔に見えない?」

「紗良ちゃん、よく見てよ。全然違うって」

「うーん」

弓香に言われ改めて先生の顔を観察してみる。と、海斗のクラスの担当である滝本先生は他の先生に比べて確かに綺麗な顔をしているような気がする。それに男性らしく大きな背中に引き締まった手足。

あれはプロテインのおかげなのか、はたまた普通の男性はみんなあんな感じなのか、紗良にはさっぱりわからない。

ただ、ほんの少し、かっこいいかもと思ってしまったことも事実で。

今までそんな目で先生を見ていなかった紗良は、急に心臓が変な音を立てて騒ぎ出す。

(違う違う、そういうことじゃなくて)

慌てて目線を海斗に戻し心を落ち着けていると、弓香がカラカラと笑いながら耳打ちする。

「でも私は滝本先生より小野先生の方が好みかな」

「もー、そんなことばっかり言って、旦那さんが怒るよ~」

「あっはっはっ! 内緒ね~」

悪びれることもなく明るく笑う弓香につられて、紗良も一緒になって笑い転げた。

だけどこっそりと、

(私は小野先生よりも滝本先生の方が好みかな)

なんて思ったりもして――。

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    「今日はパパが迎えに来てるから」「また保育園でねー」プール教室の出入口で弓香と別れ、紗良は海斗と手を繋いだ。「さて、海斗、今日はご飯食べて帰ろっか」「おそとでごはん? やったー!」「さーて、何食べに行こうかなー?」「かいとねぇ、ポテト! ポテトたべたい!」ファストフードかショッピングセンターのフードコートでも行こうかと思考を巡らせていると、『海斗くん』と背後から呼ぶ声が聞こえ振り向いた。「水着忘れてるよー!」「あっ、せんせー!」海斗の水着を掲げながら走ってきた『先生』は、プール教室のユニフォームであるTシャツと短パンを履いていて、髪はしっとりと濡れている。海斗は紗良の手を振りほどき先生へと駆け寄った。慌ててプールバックの中身を確認すると、確かに水着が入っていない。「わ~、すみませんでした。ありがとうございます」紗良も急いで駆け寄るが、先生に妙な既視感を覚えしばし頭がバグる。先生も紗良を見て固まり――。しばしの沈黙の後、紗良と先生は声を揃えて叫んでいた。「あっ! 常連さん?」「店員さん?」お互い驚きのあまりまた声を失う。先に口を開いたのは滝本先生の方だった。「海斗くんのお母さんだったんですね」「私も、常連さんが海斗の先生だとは知りませんでした」まさかの顔見知りで変に緊張するというか恥ずかしいというか。お互いぎこちなく愛想笑いしかできない。「かいとねぇ、いまからごはん、たべにいくんだー!」「おー! いいなぁ。いっぱい食べてこいよー」滝本先生は海斗の頭を優しく撫で、バイバイと手を振った。それに合わせて紗良もペコリとお辞儀をし、海斗と共にその場を後にする。「さらねえちゃん、ポテトポテト~」「あー、はいはい、ちょっと待ってよ」ファストフード店で海斗のリクエストであるポテトを注文し、ハンバーガーや飲み物をシェアしながら、紗良は先ほどのことを思い出していた。(本当にびっくりした。まさかラーメン店の常連さんが、海斗のプール教室の先生だったなんて、まったく気づかなかったなぁ)水泳キャップを被るだけで雰囲気がガラリと変わる。常連として見ていたときは綺麗な顔の人だなと思っていたけれど、プール教室の先生として見たときはまた違ったかっこよさだった。半袖シャツから見えていた引き締まった腕は、そういうことだったのかと妙に納得

    最終更新日 : 2024-12-10
  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   店員と常連客-07

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    最終更新日 : 2024-12-10
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    最終更新日 : 2024-12-10
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    「えーっと、ここにお父さんって書いてあるじゃん。滝本先生はお父さんじゃないでしょ」「えー、あげたいあげたい。かいと、がんばってかいたもん。あげるもん。こんどのプールきょうしつにもってくの」「いやいやいや、濡れちゃうし」「わーたーすー」「ダメだって」「ヤダヤダ」言い合いをしていると、だんだん海斗の顔が曇ってくる。そしてついに不機嫌な顔でその場を動かなくなった。「ちょっと海斗、帰るよ」「やだっ」「置いてくよ」「やだっ」「保育園に泊まる?」「やだっ」「もうっ、どうしたいのよっ」「だってたきもとせんせーにわたしてくれないんでしょ」「だって渡せないじゃない」「やだっ」テコでも動かない海斗と譲らない紗良。だけど先に根負けしたのは紗良だった。「あーもう、じゃあ今度聞いてみるから。それでいいでしょ?」「……いい」「……帰ろ?」「かえる」ようやく靴を履いてくれた海斗と手を繋ぎ、駐車場へと向かう。(ああ、変なことを引き受けてしまった。寝たら忘れてくれないかしら)一気に疲れてしまった紗良は、どんよりとした気分のまま家路についた。杏介はいつものラーメン店でいつものように接客してくれた紗良を見て、首を傾げた。 上手く言い表せないのだが、何だか今日は紗良の様子がおかしい気がする。妙にソワソワしているというか、落ち着かないというか。そんな彼女は意を決したかのように口を開いた。「あの、先生にお願いがあって……」「はい、何でしょう」「あ……、えっと……」エプロンの裾をぎゅっと握りしめて、モゴモゴと口ごもる。言いづらそうな雰囲気にここでは話しづらいことなのかと思い、杏介はひとつ提案した。「今日は何時までですか

    最終更新日 : 2024-12-15
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    最終更新日 : 2024-12-16
  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   父の日-05

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    最終更新日 : 2024-12-17

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  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   いちばん大事なことは-02

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    毎日の負担に加えて土日はラーメン店でのアルバイトがある。本業の仕事が忙しくなるにつれていろいろと余裕がなくなり、気づけば紗良はバイト先で杏介に会えることが唯一の楽しみになっていた。季節は夏。夏の夜でも暑さは昼間よりほんの少し和らいだ程度。仕事終わりにコンビニの前で立ち話をしていてもじわりと汗が滲む。「杏介さん、ぎゅってしてもいい?」「いいけど、どうした?」「ちょっと疲れちゃって……充電させて?」紗良から積極的に杏介に甘えるのは珍しい。一歩近づいた紗良を、杏介は優しく腕に絡め取った。思ったよりも華奢な紗良と思ったよりも筋肉質な杏介。ぎゅっとさせてと言ったのは紗良の方なのに、ドキドキと鼓動は速くなる。今は夏で夜でも汗ばむというのに、二人くっついている感覚は不思議と暑さを感じない。むしろ肌のぬくもりが心地良いとさえ感じてしばし微睡んだ。「紗良?」コテンと杏介の胸に頭を預ける紗良が微動だにせず杏介は声をかける。「――紗良」「はっ!」呼ばれて慌てて頭を上げる。「大丈夫?」「なんか気持ちよすぎて一瞬寝ちゃってた気がする」「前から思っていたけど、働きすぎなんじゃないか?」「そんなことないよ」「バイト、続けないとダメなのか? ダブルワークはしんどいだろう?」「うん……でも、やめたら……困っちゃうし。私が働かないと」アルバイトを辞める選択肢を考えたことがないわけではない。実家暮らしで母親と共同生活をしているため派遣の給料で賄えないことはないのだ。けれど海斗が成長するに従って必ずお金はかかる。小学校、中学校、高校と、今のうちに貯金できるならしておくことに越したことはない。そう思って続けているのだけど。最近は本業の方が忙しく疲れがたまっていることを自覚している。松田が上司に人を雇ってほしいと申し入れたが、なかなか難しいようだ。

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    分担した仕事は思いのほか重く、残業のできない紗良は毎日必死にこなしていた。 いくらまわりにサポートするからと言われても未経験の作業を教えるには時間がかかるし、効率的ではない。 紗良とて慣れない作業が発生しているため、自分のことで精一杯なのだ。最初、二週間の期間限定だという話だったが、気づけばそれは一ヶ月に延び、さらに二ヶ月目に入ろうとしていた。さすがにそこまで時間が経てば紗良も時間配分など上手くさばけるようになってくる。 だがそれは余裕で仕事ができているわけではなく、努力して頑張っているからだ。 当然、松田然りである。そんなとき、再び主任に呼び出された紗良と松田は、依美が切迫流産で入院すると聞かされた。 そのため、負担は変わることなくそのまま紗良と松田の仕事になってしまった。「岡本さん、妊娠してたのね。まあ、薄々そんなんじゃないかと思っていたけど」「そうなんですか? てっきり大病でも患ったのかと思ってました」「切迫も大変だけどねー。無事に乗り越えられるといいわよね」「本当ですよね」「まあでも、私たちの負担は変わらずだなんて、主任もひどいと思わない? 他に人雇ってくれたらいいのにねぇ」「松田さんは仕事大丈夫です? だいぶ負担じゃありません?」「しんどすぎでしょ。もうお婆だからさ、無理させないでほしいわよ。しかも帰ったら親の介護が待ってるのよ。ほんとしんどいったらありゃしない。そういう石原さんこそ、息子さんいるんでしょ」「はい、なかなかにバタバタな日々を送っています」「やっぱり私、主任に訴えてくるわ。もう一人雇ってくださいって。だいたい派遣の私たちに仕事押しつけすぎなのよ。ねっ?」「……そう、思います」決して依美が悪いわけではないことはわかっている。 わかってはいるのだが、一言くらいメッセージをくれてもいいのに、と紗良は小さくため息をついた。 疲れはピークに達していた。

  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-08

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  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-07

    「……杏介さんがいてくれたらいいのにって思っちゃって。……呆れちゃうよね?」「いや、どうして?」「だって、そんな都合のいい話はないじゃない」「都合よく俺のこと好きでいてもらえると嬉しいけど」「私は杏介さんが好きだけど、でもそれは心の奥底では海斗の父親を求めているのかもしれない。そんな風に考えちゃう自分が嫌なの。……ごめんなさい」胸がヒリヒリと痛かった。紗良が誰かを好きになるということは必ず海斗がセットでついてくる。 紗良は誰かに海斗の父親を求めてはいないけれど、海斗を切り捨てることは絶対にない。 この先一緒に生きていくには結局のところ海斗の父親になってもらうということ。 たとえ表面上でも、だ。けれど杏介は「いい」という。杏介の優しさが紗良の鼻の奥をツンとさせた。「そんな風に謝るなよ。俺はそうやって利用してもらっても構わないよ。その話を聞いてますます紗良が好きになった」「……好きになる要素がどこにあるの?」「いいんだ。俺が好きだから。紗良がなんと言おうと口説いてみせるよ。だからまたこうしてデートしよう」「……うん、ありがとう」今度こそ紗良は鼻をすする。 こんなにも理解があって優しい人が、自分のことを好きだと言ってくれる。 待っていてくれる。 その事実がありがたいし申し訳ない。「くそ、今が運転中じゃなければ抱きしめられたのに」「物好きだよね、杏介さんって」「そうかな?」「そうだよ。普通こんな女面倒くさいでしょ」「うーん」杏介は首を傾げる。 ちょうど信号で止まり、ずっと前を向いていた杏介が紗良を見た。 視線が絡まると杏介の目元はくっと緩み、紗良の胸はドキンと悲鳴を上げる。杏介はすっと腕を伸ばし、紗良の髪を優しく撫でた。 ぐいっと引き寄せたいのを我慢し、代わりに心からの想いを告げる。「好きだよ、紗良」「っ!」そんなストレートな言葉は紗良の心を優しく包み込む。 とんでもなく胸がしめつけられて体の奥底から熱いものが込み上げてくるような、そんな気持ちになった。

  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-06

    お互いのことをよく知らない。表面上はよくわかっていても、その生い立ちや家庭環境までは踏み込んでいない。(杏介さんのこと、もっと知りたいかも……)そう思うのと同時に、紗良は自分のことも知ってもらいたいと思った。好きだから知りたい、好きだから知ってもらいたい。付き合うことはできないと断った後もこうして一緒にお出かけして、まるで付き合っているのと変わらないような関係が続いていることに自分自身喜びを覚えている、この矛盾した生活。自分のことを伝えたら杏介は呆れるだろうか。この関係は崩れるだろうか。だったとしても、今、伝えたい気がした。ずっと燻っている、紗良の気持ちを。紗良は海斗がぐっすり眠っているのを確認してから口を開く。「あのね、うちの両親は離婚してるの。私は母子家庭だけどお母さんが明るすぎて父親の存在なんて忘れちゃうくらい」「確かに、紗良のお母さんは底抜けに明るいよな」「でしょう。だからね、海斗を引き取るときも大丈夫だと思った。私もお母さんみたいにやれるって思ったの。でも実際はすごく大変でお母さんに頼ることも多くて全然できてないけど、でも私なりに頑張ってて……」「うん、すごいと思うよ。だって最初に出会ったときは海斗の本当の母親だと思ったから」「そう言ってもらえて嬉しいんだけど。でもね、最近はダメなの……」紗良は杏介を見る。運転している杏介の横顔は夕日に照らされてキラキラと眩しく、それでいて頼もしくかっこいい。(ああ、私ってこんなにも杏介さんのことが好きなんだ……)自覚すると胸がきゅっと苦しくなる。伝えるべきなのか、どうなのか迷う。だが杏介は「何がダメ?」と優しく問うた。

  • 泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜   お互いのこと-05

    「 俺さ、母親がいないんだよね」「え?」「いや、正確にはいるんだけど。幼いころに病気で亡くなって父子家庭で育ってさ、数年後に父親は再婚したんだけど、新しい母親と上手くいかなくて。……いや、上手くいかないっていうか、俺が毛嫌いしているだけなんだけど。だからそういうお弁当は憧れだったんだ。長年の夢が叶ったような、そんな気持ち、かな」「そう、だったんだ」「引いた?」「ううん、全然。私、杏介さんのこと全然知らなかったんだなって思って」「そうだよな。あんまりこういう話ってしないし。まあ聞いてもつまらないと思うけど」世の中にはいろいろな人がいる。 誰一人として環境が同じなわけではない。 そんなことはわかっているけれど、紗良のような家庭環境は珍しいのではないかとどこかでそう思っていた。 きっと杏介も『普通』の家庭なのだろうと決めつけていた。 そんな風に考えていた自分を反省する。「……私たちってお互いのこと全然知らないよね」「そうかもしれないな」紗良は姉の子供の海斗を育てていて、実家暮らしで母と住んでいる。 平日は事務の仕事をしていて土日はラーメン店でアルバイト。杏介は海斗の通うプール教室の先生で、仕事終わりに紗良の働くラーメン店へよく訪れる常連客。 そして一人暮らし。今までの付き合いからこれくらいの情報はお互いに知っている。 けれどそれ以上深く聞くこともなかったし、自ら語ることもなかった。それがいいのか悪いのかわからないけれど、紗良の知らなかった杏介の内面の話は紗良の固定概念を崩すには十分だった。

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