出血していたので、流産を防ぐ処置が必要となった。このことはまさに、とわこをパニックに突き落とした晴天霹靂だった。「先生、もしこの子が要らなかったら、どうしたらいいでしょう」もうすぐ奏と離婚することになったから、腹の中の子は、実に間が悪かった。問いかけられたお医者さんは、彼女を一瞥した。「理由を聞いてもいいですか?世の中には、赤ちゃんがどんなに欲しくても、授からない人々がどれだけいるかわかります?」彼女は視線を少し下のほうに向けて、沈黙を選んだ。「ご主人は一緒に来ていませんが、どうかしましたか?」と医者に問われた。「赤ちゃんが欲しくないのも結構ですが、まずは夫婦二人で話し合ってから決めましょう」とわこは顔を顰めた。彼女がかなり困っていたように見えて、その医者はやっと彼女の病歴本を手に取り、目を通した。「まだ21歳か!結婚はしていませんよね?」「してい…一応その枠に入れます」もうすぐ離婚するのを思い出して、とわこはそう答えた。「人工流産手術も立派な手術です。今日決まったところで、今日中にすぐできるわけではありません。手が空いてません。一旦帰って、じっくり考えのをおすすめします。彼氏さんとどう揉めているのが知りませんが、赤ちゃんにはなんの罪もないです」お医者さんは病歴本を彼女に渡した。「今出血しているので、処置をしないと、これから流産する可能性もあります」とわこの態度もふっと柔らかくなった。「先生、処置というのは?」お医者さんは再び彼女の顔を見た。「人工流産する希望じゃなかったか?もう気が変わりましたか?三千院さん美人ですし、赤ちゃんもきっと綺麗でしょう。流産を防ぐのなら、まずは薬を処方しますので、一週間の間安静にしてください。一週間後まだ再診に来てください」…病院から出てきた彼女は、明るい日差しで目が眩んだ。彼女の背中からは、止まらないほど、生汗が出ていて、両足は鉛のように重く感じた。今の彼女はすごく迷っていて、どこに行くべきかも、誰に相談するべきかもわからなかった。ただ唯一確定できたのは、これは奏に乗ってもらってはいけない相談だった。彼に教えたら、彼女は確実に彼の用心棒に、手術台に乗せられた。彼女は子供を産む決心をついたわけではないが、ただ今の彼女は頭が混乱していて、一旦落ち着いてから決めよ
奏はパスワードを設置していなかった。立ち上がるスピードも早かった。早すぎて、彼女の心拍に乱れが生じた。彼女は深呼吸をしながら、USBメモリーを挿入し、自分のSNSアカウントにログインした。ちゃんと登録したのを確認でき、彼女は迅速にファイルを先輩に送った。怪しいほど順調だった。ファイルは12時前に、無事送信だれた。1秒でも、書斎に長く居残る勇気、彼女にはなかった。電源を落とした時、マウスを取った手が震えたのかもしれなかった。その拍子で、とあるフォルダをクリックしてしまった。あるフォルダがいきなり表示された。彼女はそのつぶらな目を大きく開けて、好奇心に誘われ、フォルダの中身を見てしまった。…5分後、彼女は書斎から出てきた。三浦婆やはほっとした。「ほら、若旦那様はそんなに早く戻りませんって」とわこの内心はいつもよりも複雑だった。彼女は奏の秘密に触れてしまったようだった。そんなことになったとわかっていたら、絶対彼のパソコンは借りなかった。「三浦さん、奏さんの書斎には監視カメラはあるか」「書斎の外にはあります」とわこの顔色は思わず悪くなった。「じゃ私が書斎に入ったの、きっと彼にバレる」「若旦那様が帰ったら、若奥様のほうから、積極的に説明すれば問題ないと思います。この三浦婆やが時間を見ていました。10分も経っていません。お怒りにならないはずです」とわこは三浦婆やに慰められた。「チン」と携帯の通知音がなった。携帯を手に取ったとわこは、振り込みの通知を目にした。先輩から四万三千円の振り込みが来た。報酬がこれほど高かったのが予想外だった。たかが二時間で、まさか四万三千円をゲットしたとは!この振り込みは、タイミングよく、彼女の内心を虜にしたパニックをはらってくれた。わざと彼のパソコンを使ったのではなかったし、それに、わざと彼のパソコンの中身を見たのでもなかった。彼が帰ってきたら、ちゃんと説明しようと気合を入れた。彼が怒らないことをも、とわこは祈った。何しろ、彼女はもう離婚するのに承諾したので、離婚したら、もう二度と会うこともなかったはず。彼がどれだけの秘密を抱えても、彼女には関係のなかった話だった。昼飯の後、とわこは部屋に戻り、ドアを閉めた。彼女は鏡台の前に座り、頭を傾
内側へとドアが押し開かれて、外に立っていた大奥様は、部屋の中を覗き込んだ。体育座りをしていたとわこは、体を丸めて、壁に寄りかかっていた。下ろされた彼女の髪は、ぼさぼさになった。外からしてきた物音に気付き、彼女は呆然としながら、顔を向いてきた——「とわ!どうしたの?!」白紙のような蒼白な顔色をしていたとわこを見て、大奥様の血圧はあっという間に上がった。「何にをどうしたらこんな様子になるの?まさか…奏の馬鹿者に…虐められたの?」そう言いながら、大奥様の声がやや震えてきた。前の会った時より、彼女はすっかりと痩せた。彼女の面には、血色が少しもなく、唇には浅いながらひび割れができてしまった。何かを言いたがっていたそうで、彼女の胸が起伏していたが、声が出なかった。三浦婆やは温まった牛乳を持ってきて、飲ませようとして、彼女の口元に押し付けた。「若奥様、まずは牛乳を。大奥様がきてくれましたから、もう安心してください。ご飯を食べさせてもらえます」大奥様は眉を顰めた。「これはどういうことなの?!奏はとわにご飯を食べさせないの?こんなにも痩せてしまって!とわを餓死させる気か?」大奥様はこのことで、大いに驚かれた。彼女は今までになかった速さでリビングに行き、息子の責任を追究するために、彼の前に立った。「奏、とわは私の決断であなたの妻になってくれたの。こんなふうに扱われたら、お母さん面目ないわ!」「過ちを犯したら、罰を受けて当然だ。あの女を今まで、放置してやったのは、もう十分にお母さんの気持ちを配慮した結果だ」彼の声はそっけなくて冷徹だった。奏にとって、丸二日何にも食べさせなかったという罰は、とわこの腕を折るよりは、相当に軽い処罰だった。彼女は自分が触るべきではなかったものを触ってしまって、彼の逆鱗に触れたから、簡単に許せるはずがなかったのだ。「過ち?とわには一体何の非がある?」大奥様の知っていたとわこは、大人しくて気の利いた女性で、積極的に奏の顰蹙を買うような愚か者ではなかった。奏は口を閉じて、沈黙で母親に返事をした。「お母さんわかってるの…奏くんが結婚して子育てするのを拒む理由を…お母さんちゃんと知っているから、奏くんがこうやって一人になることが許せないんだ…とわはいい子だよ。愛してやれなくてもいい、お母さんただ奏
前回検査を受けた時には、胎嚢はまだ一つしかなかった。たかが一週間過ぎたというのに、お腹の子が双子になったとは。とわこはカラー超音波検査の結果を手に取り、廊下のベンチに座っていて、ぼうっとしていた。双子を授かる確率は極めて低いと、先生から聞いた。今回妊娠中絶したら、もう二度と双子を授かれない可能性があった。とわこは心の中で、苦く笑った。これは全部、常盤家のプライベートドクターたちの傑作だった。当初、受精卵を移植された時には、双子を産ませるという一言も彼女は聞かされていなかった。もしかしたら、彼らの認識の中での彼女は、最初から最後まで、常盤家に後継を産む道具でしかなかった。彼女は先週の出血を生理だったと勘違いして、話したから、常盤家のプライベートドクターは移植が失敗したと判断したようだった。意識を取り戻した奏は彼女と離婚しようとしていたから、常盤家のプライベートドクターたちも、それ以来彼女のところにこなかった。産むのか、産まないのか、これは全部彼女次第だった。病院で一時間ほど居座ったら、カバンの中の携帯が鳴った。彼女は携帯を取り出して、立ち上がって、病院を出た。「とわ、お父さんがやばいの!早く家に戻ってきなさい!」携帯の向こうから伝わってきたのは、母のかれがれで急かされたような声だった。とわこは一瞬ピンとこなくなった。お父さんがもうダメだって?どうしてこんなことになったの?お父さんが会社のことでストレスを受けて、気病みで倒れて入院したから、自分の結婚式にすら出なかったのは知っていた。しかし、ここまでの重病だったとは。とわこは混乱に陥った。父親が不倫したため、彼女は父親とは親しくなかった。とわこは不倫した父のことを一生許すことができなかっただろう。しかし、突然父が重病だと聞かされたら、心臓が強く刺されたように心が痛むのだった。…彼女が駆けつけた三千院家のリビングは、ひどく荒らされた。母親の美香の後ろについて、彼女も主寝室に入った。ベッドの上で寝ていた父親の三千院太郎は、いつでも息の根を絶ってもおかしくなかったようだった。目を細くしていたその老人は、とわこを目にしたら、彼女に向けて腕を上げた。「お父さん、病気だったら、どうして病院に行かなかったの?」父の冷たい手を握った瞬間
ほんの一瞬で、リビングは心臓の鼓動が聞き取れるほど静まった。部屋に戻ったとわこは、強い力でドアを閉めた。「すぽん」と大きな音がした!別荘ごとがその音につれられて、揺れたような感じがした。常盤奏の別荘でドアスラムしたとは、この女は、肝が据わっていた。野次馬はこっそりと奏の顔色を伺った。本人は涼しい顔をしていて、怒ってはいないようだった。普段なら、彼の前でデシベル60を超えるほどの音を出した人物は、必ず彼の顰蹙を買ったのだった。先のとわこがドワをスラムした音は少なくともデシベル90を超えたというのに、なぜ奏は怒らなかった?それより最も問題になっていたのは、とわこに割られたこの四千万もするワインだった。まだ一口も飲んでいなかった。それをとわこは、躊躇せずに割ってしまったのだ。「そういえば…三千院さんのお父上は一昨日に亡くなられたって聞きましたが、今日は真っ黒な召し物で来ていますし、お葬式のお帰りではないでしょうか」なんとかして勇気を出して、沈黙を破った人がいた。白いドレスの女性は三木直美だった。彼女は、常盤グループ広報部でシニア経理職を努めっていた。今日は彼女の誕生日で、奏が目覚めたのを祝うのをも兼ねて、彼女が奏の友達を誘って、飲みにきたわけだった。つい先に、とわことのやり取りで、彼女は面目まるつぶれだった。奏は表では、黙って顔色一つも変えなかったにいたが、彼がいつ尻を巻いてもおかしくなかったというのは、彼のことをよく知っていた直美には、分かっていた。直美は彼の元に戻って、丁寧に詫びをした。「奏君、申し訳ございません。私、とわこさんのお父上が他界したのを知りませんでした」奏はタバコの吸い殻を灰皿に突っ込んで、火をもみ消した。その細くて長い指は、ついでにワイングラスをとった。彼はその勢いで、中にあったワインを飲み干した。ワイングラスがテーブルに置かれた音とともに、彼の低くてセックシーな声が直美の耳に入った。「誕生日おめでとう」直美の耳元が熱くなった。「ありがとう」「それと、三千院とわこに喧嘩を売って、無事に済むとは思わないように」奏は指を走らせ、シャツの襟を調整した。彼の声には、警告の脅しが含まれていた。「仮に彼女がこの常盤家の飼い犬だとしても、彼女に意地悪できるのはこの僕だけだ」直美の胸が詰
彼は腕を車窓から差し出した。細長い指を使って、ティシューパックをとわこに渡した。彼女は少し戸惑って、いらないと返事するつもりだったが、まるでもののけに唆されたかのように受け取っってしまった。「ありがとうございます」ティシューパックにはまで彼の掌の温もりが残っていた。彼はすぐ目線を彼女の顔から回収した。車窓も閉じられ、車は速いスピードで走っていた。朝10時。三千院グループ。社員たちは依然として、自分の持ち場で励んでいた。もう一か月以上給料が出ていなかったが、三千院グループは歴史を誇った企業だけあって、ネット上ではあらゆるイメジーをダウンするようなニュースが流されていたのにも関わらず、社員たちは諦めずに、最後まで会社と共に生きようといった姿勢を示した。もし会社が借金を雪玉のように積み重ねていたのを、とわこが知らなかったら、目の前の平穏な景色がフェイクだったというのは、彼女は想像すらできなかった。とわこは副総裁田中のお供で、会議室にやってきた。弁護士の先生は、とわこが入ってくるのを見て、単刀直入に言った。「三千院さん、ご愁傷様です。お父上に託されまして、今この場をもって遺言状を公表させていただきます」とわこは頷いた。弁護士先生は書類を出して、落ち着いた声でゆっくりと説明してくれた。「三千院さんのお父上は、不動産を六ヶ所、所持していました。場所はそれぞれ…これが書類です。ご確認を」とわこは書類を受け取って、ちゃんと確認し始めた。「他には、駐車位三つに」そう言いながら、弁護士先生は別の書類を渡してくれた。「店舗八軒に、車十二台です」実家の財産について、とわこは今までよく知らなかった。その理由の一つは、関心がなかったからだった。二つは、父が詳細について語ってくれなかったからだった。現に今、弁護士の先生が父の財産を、隅から隅まで教えられたら、彼女の内心では、なかなか平然にいられなかった。父がこんなにも財力を持っていたのは予想外だった。こんなにも固定資産を持っていたのなら、それがどうして病気の治療のために売らなかったんだ?ととわこは疑惑に思った。「先ほど、教えて差し上げた資産を除き、今僕たちがいるこの会社も」弁護士先生は少々間をとった。「お父上は、三千院さんに会社を継がせるつもりでしたが、今の会
夜9時。地に落ちた葉っぱは、秋風に包まれ、ざくざく地上を歩いた。タクシーから出てきたとわこは、ふっと体を襲った寒さで、ぶるっと縮こまった。彼女はバッグを手に取り、早いスピードで常盤家の門のほうへ歩いた。薄暗い夜は、赤いキャミソールドレス姿の彼女の色っぽさを引き立てた。朝出かけた彼女は、普通のシャツとスラックスを着ていた。彼女はよその男に気に入ってもらうために、あえてこんな姿になったと思ったら、奏は無意識に拳を握り締めた。玄関でスリーパーに履き替えた時、とわこはやっと、リビングでの奏の存在に気ついた。今日の彼は黒シャツを着ていた。高嶺の花のようなあっさりとした薄暗いオーラが、普段よりも強まった。彼はいつも通りに、そっけない表情を被っていたから、とわこは視線を長く彼の顔に置けられなかった。靴を履き替えた彼女は、彼に挨拶するかしないかって心の中で揉めた。なんと言っても、今朝は彼からティシュパックをもらった。彼女は不安を抱えてリビングに行き、ちらっと彼のほうを見た。今晩の雰囲気は流石に違っていた。彼女が帰ってきたら、三浦婆やが挨拶をしてくるのがお約束だった。まさか、三浦の婆や今日は留守かと想像した。彼女は彼に気つかないように深く息を吸ったが、緊張で心拍がやはり乱れていた。最終的には、彼に挨拶するのをやめると決めた。「こっちに来い」彼の凍りついたような声が聞こえてきた。リンビンには自分たち以外誰もいなかったことが明々白々なので、惚けようもなかった。「何か用ですか?」彼女は歩くのを止めて、そのつぶらな目で、彼を見た。「こっちに来いって言っているの」彼の口振りには、恐ろしい威圧感があった。彼女の緊張は一重上回り、体が勝手に動き出して、彼のいる場所に歩いた。彼の命令に逆らえるほど、彼女は器用ではなかった。だとえ、男は今車椅子を使っていて、自分にとってさほどの脅威ではなかったにも関わらず、彼女は単純に怯えていた。彼女は彼の側に近付き、そのハンサムと同時に改まった表情をした顔を見て、再び息を吸った。「なんのことかしら?離婚してくれるんですか?」彼女の話が終わったのと共に、彼は顔を顰めた。薄い酒の匂いが彼の鼻に入り込んだ。彼女の体からだった。彼女は酒を飲んだ。彼は突然頭を上げて、隠し
主寝室、バスルームタオルを手にした看護師が奏の体の汗粒を慎重に拭いた。両足にまだ力がなくて、看護師の支えがないと立つことすら難しい。事故以来、ずっとこの看護師に世話してもらっていた。40過ぎの男性で、細かで慎重な人だった。「常盤さん、足にあざがありますね」バスローブを着せて、手伝いながら看護師は彼とバスルームから出た。「塗布薬を取ってきますね」看護師が部屋を出た。ベッドサイドに座った奏はバスローブを引き上げ、足に青いあざが現れた。とわこにつねられたものだった。足に感覚が全くないわけではなかった。つねられたときに我慢して声を出さなかっただけ。頭の奥にとわこが泣いている顔が不思議に浮かんでいた。それに…彼女の体にある特別な香りはなかなか忘れられなかった。今まで、女に興味を持ったことがなかったのに。しかも、女のことで特別な感情を抱いたこともなかった。とわこは、彼の心を揺らした。まもなく離婚する女にこんな思いをするなんておかしいじゃないか。でたらめな自分を分からなくなった。でも、また同じことがあっても、やはりむかついて、彼女の服を破ってしまうに違いない。……翌日朝、7時。奏を避けて気軽に朝食をするため、とわこは早めに起きた。部屋を出て、まっすぐにダイニングへ行った。「おはようございます。若奥様もお早いですね。朝食は用意できました」三浦婆やが挨拶した。「も」という言葉に違和感があった。奏がいる。しょうがないから部屋へ戻ろうと思った。「若奥様、昨日脂っこい食事がだめとおっしゃったので、野菜サラダを作っておきました。お口に合うかどうかわからないですが、どうかお召し上がってみてください」彼女に熱心に勧められ、引っ張られてテーブルに座った。座っても不安でイライラした。奏の顔を見たくない。一目でわかるだろう。彼女と目を合わさなかったが、彼女からの嫌な雰囲気がすでに奏に伝わった。「朝飯終わって、挨拶に行くとき、お母さんに余計な話をするな」奏の声は冷たかった。「夕べ、あのドレスを弁償するお金いつもらえるの」とわこが直談判しかけた。大奥様に挨拶に付き合ってもよいが、先に清算してもらわないと。「そんな現金はない。どうしてもいるなら、携帯から振り込む」ミルクを飲み