番外編(深澤修二)俺が中学一年生の頃、父はある大企業の社長の娘のために、母と離婚しようとあらゆる手を尽くした。そのために、母に不倫や浮気などの汚名を無理やり着せ、母は噂に耐えきれず、自殺未遂にまで追い込まれた。俺がそれに気づいたときには、すでに遅く、命は救えたものの、母には重い後遺症が残った。絶望に沈む母を見ながら、幼い自分が無力でたまらなく憎かった。その後、俺はこっそりと外祖父母に連絡を取った。二人の祖父母はすぐさま夜通し列車に乗り、俺と母を迎えに来てくれた。家からおよそ二千キロ離れた安木市から、全く見知らぬ都市である港川市に移り住むことになった。そこでの生活は、まるで自分が異物であるかのように感じられた。すべての力を勉強に費やし、疲れ果てて他のことを考えないようにすることだけが、心の中でいつでも噴き出しそうな虚無と苦しみを押さえる手段だった。そんなある日、小柄でツインテールの江村結衣という名の女の子が、無邪気で明るく俺の灰色の心を照らし出した。彼女はいつも俺のそばにいて、屈託のない笑顔で話しかけてくれた。放課後にはこっそりついてきて、文房具や日用品を理由をつけてくれたり、朝食やお小遣いを学校の「ご褒美」としてそっと差し出してくれたりした。俺のプライドを傷つけないように、それらをすべて黙ってやってくれていた。彼女は知らなかったが、実は俺はすべて知っていた。彼女の笑顔が、どれだけ美しく、どれほど輝いていたか。その笑顔は、まるで夏の生い茂る茨のように、俺の心を包み込み、痛みすら感じるほどの渇望をかき立てていった。ところが、俺がその小さなバカが告白してくるのを待ち焦がれていた矢先、彼女は急に俺から距離を置き始めた。彼女が俺のそばにいなくなり、他の人と笑い合っている姿を見るたびに、どれだけ怒りを感じていたか、彼女は知らないだろう。自分に「ゆっくり行こう、怖がらせるな」と言い聞かせていた。ある日の放課後、彼女が他の男の子とふざけ合っているのを見て、俺の中で張り詰めていた理性の糸がプツンと切れた。俺は彼女を無理やり引き寄せ、その小さな体を抱きしめながら、静かに安堵の息を漏らした。ずっと空虚だった心が、その瞬間にやっと満たされた気がした。そして、俺の緊張した、震えた声が自分の耳に届いた。
結衣が帰国したと聞いたとき、そして、彼女のかつての婚約者である高橋志保が、新しい婚約者ができたと公表したとき。何とも言えない興奮や悲しみが湧き上がり、俺はすぐさま結衣を探しに行った。彼女の久しぶりに見る輝くような瞳に、胸の中は嫉妬と執着でいっぱいになった。だから、彼女を侮辱するために、母の治療費を口実にして、彼女に「飾りとしての新婦」になるよう要求した。彼女はどうやら金が必要だったようで、あっさりと了承した。それ以来、俺は彼女に接近しつつ、あらゆる方法で彼女を傷つけようとした。新婚初夜、俺は酒をたくさん飲み、友人たちが俺のために怒りの声を上げる中、衝動的に他の女を連れて家に帰った。翌朝、目が覚めたときには、罪悪感と後悔で胸がいっぱいだったが、結衣の平静な表情を見ると、どうしようもなく怒りがこみ上げてきて、彼女に皮肉を言い放った。自分でも分からなかった。まだ結衣を愛しているのかもしれない、どうしてこんな人間を愛せるのか?彼女には憎しみしかふさわしくないと、自分に言い聞かせ続けた。その結果、俺は愛しているはずの結衣を、何度も何度も傷つけることになった。だから、結衣は失望し、再び俺を離れようとした。今度は永遠に。俺が涙を流して言葉を失い、離婚届にサインするのを拒んでいるとき、あの憎き志保が俺を部屋から引きずり出した。真相をすべて話してくれた。そうか、俺の結衣は、俺を見下したことなんて一度もなかったのだ。俺のために、彼女は自分の持てるすべてを与えようとしてくれていたのだ。俺の結衣は、自分の作品を売ったお金で、密かに俺を支えてくれていたのだ。母の治療費が足りなくて結婚を承諾したわけではなく、俺ともう一度やり直すために応じたのだ。なのに、俺は何をしてしまったのか?頭が混乱し、何もかもが曖昧だった。いつ離婚届にサインしたのか、志保がいつ帰ったのか、何も覚えていなかった。その晩、俺は目を開けたまま朝を迎えた。翌日、心ここにあらずの状態で、結衣との離婚手続きを終えた。何度も彼女に謝りたい、許しを乞いたい、もう一度やり直せないかと懇願したかった。でも、彼女の瞳が再び輝きを取り戻したのを目にすると、どうしても口に出せなかった。市役所の前で、結衣は最後に「さよなら、修二」と告げて去って行った
番外編(江村結衣)「ねえ、結衣!最近知り合ったイケメンがめちゃくちゃカッコいいんだよ。今度会わせてあげるから、目の保養して!」横で水島城也がジトッとこちらを睨んでいるのを盗み見しながら、私はこっそりと百合の腕をつついた。「何よ結衣、どうしてつつくの?」まったく私の意図を察してくれない百合は、呑気に話を続け、イケメンの話をもっと聞かせようとする。城也が今にも怒って百合を部屋から放り出しそうになったその時、突然インターホンが鳴った。「百合、ドアに出て!行ってきて!」私は急いで百合にドアを開けに行かせ、嫉妬でむくれている城也の顔にそっとキスを落とした。「ほら、もう怒らないで。百合を追い出したら、あとで絶対に口をきいてくれなくなっちゃうよ!」私は笑いながらなだめた。城也は鼻を鳴らし、何か言いかけたところで、志保がリビングにずかずかと入ってきた。「おや、城也もいたのか?」彼が意地悪く言うと、さっき落ち着きかけていた城也の顔がまた険しくなった。「志保、わざわざ火を付けに来たのか?」私は頭を抱えて呆れたように言った。「いやいや、結衣の回復具合を見に来ただけさ。それと、ちょっと話があるんだ」彼は悪びれもせず言った。「わざわざ君が来る話って何?」私は少し興味をそそられた。「それはね……」志保はわざと城也と、ちょうどドアから戻ってきた百合を見回して、追い出す気満々の表情を浮かべた。私は呆れ笑いしながら、城也はさっさと百合を連れて二階へと上がっていった。「ふむ、君の新しい彼氏は……なかなかいいんじゃないか」志保は驚いたように言った。「もういいから、さっさと用件を言いなさいよ」私は彼に冷ややかに視線を送った。城也は確かに素敵だ。でも、その分、これからもいろいろと彼をなだめるのは私の役目になりそうだ。「深澤修二、完全に狂ったらしいよ。彼は今、幻想の君と話し続けているそうだ。精神病院の部屋で、一日中、君のこと以外には反応しないんだ」志保は私の顔色を見て、ほとんど反応がないことを確認すると、続けた。「彼、白川雪奈を階段から突き落として、流産させたんだ」「ほかの人の証言によれば、白川雪奈が何かしらの見返りを要求したが、深澤修二は彼女を無視し続けた。彼女が苛立って結衣はもう死んだと言っ
今日は深澤修二と結婚してからの一年目の記念日だ。私は自ら台所に立ち、たくさんの料理を作り並べた。でも、料理でいっぱいのテーブルの前で、一人ぽつんと料理を見つめる私だけ。時計の針が無言で動き、時刻はすでに八時を過ぎている。彼とのメッセージ画面には、午後五時半に送った私のメッセージが止まったままだ。「修二、今日は結婚記念日だけど、帰ってご飯を食べてくれる?」それに対する返信は一切なかった。その前に残っているのは、半月前に彼が送ってきた振込記録だけ。体を丸め、笑おうとするが、笑えない。特にしんどいわけでもない。ただ、少し麻痺したような疲労感があるだけ。どうせ慣れっこになっているのだから、違うか?一年前、復讐のためだけの結婚が始まったときから、修二は私の感情と尊厳を幾度となく土の中に踏みにじってきた。結婚式の夜、彼はさっそく一人の女性を連れ帰り、私たちのベッドで夜を過ごした。その夜、私は客室で音を聞きながら、目を開けたまま夜明けを迎えた。あのときから私ははっきりと悟った。私たちはもう決して過去には戻れない、と。修二は、もうあの頃の私が心から愛した、まっすぐで純粋な少年ではなくなってしまった。それから私は、泣きもせず騒ぎもせず、ただの静かな飾りとしての役割を自覚して演じることにした。彼が次々と女性を変えるのを冷静に見つめながら。客室で黙々と自分のことをしながら、彼が連れ帰ってくる女性たちに、素直に場所を譲ってきた。この一年の出来事が、もはや私の中から余分な怒りや嫉妬心を取り去ってしまったのだ。
私はぼんやりと時計を見つめ、時刻が夜の八時半になっていることに気づいた。その瞬間、ある人物が修二の行方を知っているかもしれないと思い出した。スマホを開き、白川雪奈のインスタグラムを確認する。案の定、またコメントのない投稿が一つ。「今日も愛しの彼と映画デート!」下には、二人が指を絡ませた写真が添えられている。その男のすらりとした、骨ばった手を見つめると、なぜか心の中に安堵感が広がっていく。それは修二の手だった。彼の手の甲には私がつけた浅い傷跡があるからだ。私たちが付き合い始めたばかりの頃、あるケンカの最中に私が腹立ちまぎれに思いっきり噛みついた跡だ。当時、両親に愛され甘やかされていた私は、天真爛漫なお嬢様そのもので、怒りのあまり、加減もわからず彼の手の皮をかなり剥いでしまった。口の中に血の味が広がった瞬間、頭が真っ白になった。どうしていいか分からず、気づくと大粒の涙が次々とこぼれ落ちていた。この時、私は修二がきっと激怒するに違いない、絶対に別れると言われると覚悟していた。後悔と罪悪感、そして恐怖の入り混じった気持ちに堪えきれず、私は顔をしかめて号泣してしまった。けれど、次の瞬間、広くてしっかりした腕に包まれた。「ばかだな、結衣、俺は噛まれたのに、なんでお前が泣いてるんだ?」彼は顔を下げて、けがをしていない方の手で、そっと私の涙を拭ってくれた。「俺の方が悪かった、ごめんな。結衣を怒らせるなんて、俺が悪いんだ。ほら、もう噛んだんだから、この悪い彼氏を許してくれよ?」あの時、まだ少年だった修二は、手当もせずに泣きじゃくる私を静かに慰め続けた。私のすべての不安と悲しみを少しずつ消し去ってくれた。私は涙でぼやける目で、修二の顔をじっと見つめた。私だけの唯一無二の印をつけた、と優しく笑うその少年の姿が、少しずつ深く、消えない形で私の心に刻み込まれていった。でも今、その私の印がある修二の手は、別の女性としっかりと手をつないでいる。彼女と指を絡ませて一緒に散歩をし、食事をし、映画を見て、さらには彼女の手を握りながら最も親密な恋人同士の行為に浸っている。悲しむべきでないとわかっている。でも、私はまだ生きた人間で、鮮やかに鼓動する心臓は、どうしようもなく締めつけられてしまう。心が締めつ
疲れ果ててソファに横になり、うとうとしていた。突然、胃に鋭い刺すような痛みとねじれるような激痛が走り、一日何も食べていなかったことに気づいた。昼はほんの一口食べたもののすぐに吐いてしまい、夜はそもそも食欲が湧かなかった。医者からは一日三食の軽い食事をしっかり摂るように言われていたが、さもなければ今すぐ深刻な症状が現れる可能性があるとも忠告されていたことを思い出し、苦笑せずにはいられなかった。何か胃に入れようと起き上がりかけたその時、痛みが急に腹全体に広がっていった。思わず苦しみの声が漏れた。まるで腹全体がミキサーで刻み粉々にされているような耐え難い痛みで、私は再びソファに崩れ落ちた。それは言葉にできないほどの痛みで、全身が反射的に縮まり、唇を噛みしめるうちに、口の中に血の味が広がっていた。意識を失いかけるほどの痛みに耐えながら、無意識のうちにスマホを握り、緊急連絡先の一人目に電話をかけた。着信音がしばらく鳴った後、ようやく繋がり、まるで永遠にも感じられる時間が過ぎたように感じた。「修二、お願い、戻ってきて」ぼんやりとした意識の中、自分の壊れたような、屈辱的な声が聞こえた。「もしもし、どちら様?深澤社長をお探しですか?深澤社長は今お忙しいので、何かご用があれば私が伝えますよ」電話の向こうから、どこか作ったような優しい女性の声が響いた。私は絶望の中で目を閉じ、苦しい思いで電話を切った。今はもう、あまりの激痛に他に何かを恨む気力も残っていない。雪奈のことも、一生愛し守ると誓った修二のことも、もうどうでもよかった。結局、死にゆく者なのだから、もがくことに意味などない。もう十分に惨めで、悲しみも味わった。それなら、このまま終わりにした方がいいかもしれない。ぼんやりとした思考が漂う中。ふと脳裏に浮かんできたのは、白髪の父と母、遠くイギリスにいる友人の百合、そして学問と人生の先生であるエイリン。私の絵『脱皮』も。この世界には、修二以外にも私を気にかけてくれる人がたくさんいる。こんなふうに終わらせてはいけない。強く唇を噛みしめると、血の鉄臭さが少しだけ理性を取り戻させてくれた。震える手で二人目の緊急連絡先に電話をかけた。――プルルルルン活気ある着信音がわずか二秒鳴ったところで
再び目を開けると、白い天井が見えた。胃の奥に残る細かい刺すような痛みが、さっきの出来事を思い出させる。病室のベッドのそばに目を向けると、案の定、やんちゃそうな美しい顔が見える。「おやおや、うちの純情乙女の結衣さんが目覚めたね?どう?俺でガッカリしたかい?心の中で思い焦がれていた旦那さんじゃなくて」高橋志保が意地悪く笑いながら言う。「何言ってんのよ!」白い肘が志保の腹を強く突いた。そちらを見ると、彼の隣に背が高く、優雅な長い髪の女性が立っている。私の視線に気づいたその女性が、こちらを向き、微笑んだ。「はじめまして、早川素香と言います。素香と呼んでくださいね。私は志保の彼女です。安心して、あなたに宣戦布告しに来たわけじゃない。私はあなたと志保の関係を信じてるし、彼が私を裏切るようなことはしないと信じているから」私は素香の目を見つめた。その瞳には、柔らかな申し訳なさと哀れみが宿っていた。「実は、あなたの作品に惹かれて、少し興味本位で志保からあなたのことを聞き出してしまった。ごめんなさい、少しプライバシーに踏み込んでしまったかもしれない。それについて、許さないでも、嫌いになっても構わない」「ここに来たのはただ、あなたに伝えたかったから。私はあなたの作品の中にある、そのどんな絶望にも屈しない勇気と希望にあふれた強さが好き。そして、あなた自身も大好きよ。あなたは数え切れないほどの人々に敬愛されるに値する人だと思う」「だから」彼女は穏やかながらも、力強く続けた。「どうしてそんなにも悲しみと絶望に囚われ続けているのかわからないけれど、きっとあなたは作品のように、希望を抱いて生まれ変わると信じているわ。そうでしょ?」私は唇を噛みしめ、涙を流した。長い間感じなかった心の鼓動が、確かな答えを告げていた。この一年間の屈辱と抑圧で、私は自分を見失いかけていた。でも、どれだけ麻痺しても、私の心はまだ燦々と輝く太陽と温かい愛を求めている。修二を愛しているけれど、自分を失うほど愛するわけにはいかない。彼を愛するあまり、私を愛してくれる人たちを犠牲にするわけにはいかない。「もちろんよ」私はそっと答えた。この返事は素香に向けてでもあり、私自身へのものでもあった。私はもちろん、心に太陽を抱き、炎の中から生まれ
志保と素香が去った後、再び眠りに落ちてしまった。私は、夢の中であの鮮やかで美しい日々に戻っていた。初めて修二のことを聞いたのは、中学二年生の頃だった。彼が転校してきて以来、他を圧倒する成績で学年トップを独占し続け、第二位など到底及ばない成績を収めていたからだ。その頃、私の中にあったのは、ただ学年一への憧れと好奇心だけだった。二年生の後期、私は体育館の壇上でスピーチをする修二を見つめ、彼の冷静で落ち着いた雰囲気と、冷たくも品のある顔立ちに、耳が赤くなるのを感じた。両親に甘やかされて育った私は、すぐに勢いよく彼に笑顔で連絡先を聞きに行った。けれども、修二は冷たく一瞥をくれると、「僕は恋愛に興味がない、ごめん」とだけ言って、私を避けるように去っていった。私はその場で顔を赤らめてしまった。しかし、負けず嫌いでわがままな性格が顔を出し、私は密かに、いつかこの学年一の彼を驚かせてやると誓った。それから、私は修二の“付きまとい”になった。休み時間になると彼の教室に駆けつけ、放課後には彼を追いかけて帰宅するまで見送り、週末には偶然を装って何度も彼の前に現れた。彼のことを知れば知るほど、最初はただ顔が好きで意地になっていた気持ちが、次第に本当の想いと好きという感情へと変わっていった。私は修二の冷静さと理知的なところが好きだった。彼の礼儀正しさと、ふと見せる優しさが好きだった。彼のひたむきさと向上心が好きだった。彼の芯の強さと鋭さが好きだった。そして、困難な状況に置かれても、心の中に不屈の優しさと消えない希望を宿すその姿が好きだった。……私は、深澤修二が好きだった。彼のすべての素晴らしいところも、不完全なところも、全部好きだった。修二が「成績の悪い子は好きじゃない」と言ったのを口実に、苦手な勉強にも必死に取り組んだ。彼を助けるため、何年も貯めてきたお小遣いを全て校長に渡し、彼が必ず受賞できるような賞を作ってもらった。彼のために、すぐに爆発しそうな短気やプライドを抑えることも覚えた。修二が毎朝朝食を食べられるように、誰よりも早く登校し、彼の机にこっそり彼の好きな焼そばパンと豆乳を置いて、「余分に買ったから、無駄にしないでね」と書いたメモを残しておいた。……修二の素晴らしさを知るうちに、