さっき見た、ドアの外の友樹の姿が頭に浮かぶ。まさか、あいつはまだ俺たちを許してないってことなのか......俺はスマホを掴み、警察に通報しようとした。しかし冷たいAIの声が無情に告げる。「おかけになった番号は存在しません......」え?110すらないのか、この世界は?絶望が一気に押し寄せた。「カタン」という音がして、カーテンの向こうから何かが転がってきた。近づいて確認すると、それは俺が以前、青葉にプレゼントしたキツネのブローチだった。あの日、彼女が俺を振ったときにも着けていたものだ。心臓の鼓動が一気に速くなる。このブローチがどうしてカーテンの後ろから出てきたんだ?まさか、青葉がさっきまでベランダにいたのか?俺は勢いよくカーテンを引いた。しかし目の前にあったのは、血の気のない友樹の顔だった。奴はカーテンの後ろ、ベランダの引き戸に寄りかかって、まるで俺を待っていたかのようだった。恐怖が足元から頭頂まで突き抜け、思わず震えが走った。どうやってこいつ、入ってきたんだ?その瞬間、青葉の言葉が頭をよぎった。「他の人は外から君の部屋のドアを開けられないけど、ガラスは通り抜けられる」俺と友樹の部屋は同じベランダを共有している。あの引き戸は床から天井までのガラスだ!もしかして、青葉が言っていた奇妙なルールは全部本当なのか?考える暇もなく、俺は反射的に逃げ出した。だが、ドアにたどり着く前に強烈な力で引き戻された。振り返ると、思わずまた友樹の手に目がいった。すると友樹が笑った。「なんでずっと俺の手を見てるんだ?何かおかしいか?」声の震えを必死に抑えながら俺は答えた。「な、なんでもない。お前の手、綺麗だな......友樹、話せばわかるだろ?」友樹は俺より頭ひとつ分背が高い。俺は恐怖を押し殺し、冷静を装って顔を上げた。すると、友樹がまたニヤリと笑った。その笑顔に俺は心臓が止まりかけた。友樹の口元は、耳まで裂けていた。目玉が飛び出さんばかりに膨らみ、歯はまるで鋸のようにギザギザに変形し、そこから気味の悪い液体が滴っていた......だが、その恐ろしい表情も一瞬で消え、友樹はまるで何事もなかったかのように無表情で俺を見つめ、「話すか?」と尋ねた。俺は意を決して、友樹の目を見つめ返し、今までの人生で一番強気な態度
「ガンッ!」という音がして、俺は思い切り鉄のドアにぶつかった。目の前がクラクラしていたが、何とかドアを押し開けると、そこには階段があった。俺は手すりにしがみつきながら、下へと進んでいった。何度も階段を回り、やっと平坦な廊下にたどり着いた。前方に微かな光が見える。おそらく、防犯ドアだ。ここを抜ければ、外に出られる―そう思うと、少しだけ安堵した。しかし、近づいてみると、それは全く外ではなかった。またしても、全く同じような暗い廊下が広がっていた。違うのは、廊下の奥に鏡が掛かっていることだった。俺は鏡の方へと向かった。すると突然、鏡に友樹の姿が映り込んだ!あの恐怖の笑顔が再び―しかも、今度は口から10センチ以上も垂れ下がった長い舌が見える!俺の前には誰もいない。ということは、友樹は俺の背後、見えない闇の中にいるということだ。俺は恐怖に駆られ、鏡の方へと全速力で走った。しかし、鏡の中の友樹も同じようにこちらに向かって猛スピードで近づいてくる。もうすぐ鏡にたどり着くというところで、ふと何かが引っかかった。この鏡には友樹しか映っていない―俺自身が映っていないんだ。友樹は俺の背後にいない!鏡が俺を引き寄せようとしているだけだ!その瞬間、青葉の声が脳裏をよぎった。「鏡を信じないで」俺は急ブレーキをかけ、反対方向に向かって全力で走り出した。背後からは、俺の名前を呼ぶ声が次々に響き、耳を殴りつけるようにこだましていた。それでも俺は振り返らず、ただ前へと必死に走り続けた。その時、右前方の「103号室」と書かれたドアが突然開いた。そこから顔を覗かせたのは、優しい笑顔の老婦人。「坊や、早く入りなさい。ここなら安全だよ」と手招きしてくる。このおばあさんはよく知っている。1階に住む独り暮らしの老婦人で、可愛い猫の「王子」を飼っていた。彼女はいつも王子と一緒に外のベンチで日向ぼっこしていて、俺も早く帰れた日は一緒に座ってお喋りすることがあった。おばあさんが危険なわけがない。俺は少しでも安全だと思って足を踏み入れようとした。だが、一歩足を踏み込んだ瞬間、リビングの真ん中に王子が座って俺を見つめ、「ニャー」と2回鳴いた。......おかしい。王子は先月、年を取って亡くなったはずだ。偽物だ!これもまた偽物だ!心
再び目を覚ますと、俺は白いベッドの上に横たわっていた。友樹がベッドのそばに立っている。さっき起こった出来事を冷静に思い返してみたが、友樹は俺を害そうとしていたわけじゃない気がする。彼が帰ってきた時、俺が電気をつけないように止めただけだし。エレベーターの前では、あいつが突然声をかけなければ、俺は間違いなくそのまま乗っていただろう。中で何が起きるかわからないが......鏡に引き寄せられた時、彼が鏡の中に現れたからこそ、俺はその異常に気づくことができた。一階のおばあさんの家のドアを閉めた後も、彼はまた現れ、俺が走り続けるきっかけをくれた。今この瞬間も、友樹はすぐそばにいるが、何もしてこない。ただ、そこに立っているだけだ。......俺は、青葉が電話で言っていたことを思い出した。「この世界は危険よ、智彦。それは、私たちを殺そうとしている!」それ?それとも彼?もしかして、俺は何かを誤解していたのか?俺は何度か深呼吸をして気持ちを落ち着け、言葉を絞り出した。「友樹......ごめん。お前、何か苦しんでるんだろ?教えてくれ。俺にできることがあれば、手伝うから」友樹は一瞬驚いたように目を見開いた。そして、口を開いた。「智彦......お前は、今も昔も、俺の一番の友達だ。でも、ここを離れるんだ。振り返らずに、必ず出ていくんだ」聞き返す暇もなく、突然凄まじい笑い声が俺たちの会話を遮った。その時気づいた―その声は、友樹自身から発せられていたのだ。彼の姿は再び恐ろしいものに変わっていく。頬には血の涙が流れていたが、なぜか俺は前ほど恐怖を感じなかった。これは、きっと本当の友樹じゃない。俺は彼の名前を大声で呼び、「友樹!友樹!」と叫びながら、必死で彼の肩を揺さぶった。友樹は苦しそうな顔をして、奇妙に変形した指で自分の髪を掴んでいた。「智彦!早く逃げろ!俺はもうコントロールできない!俺を放っておけ!早く逃げろ......」その言葉が終わるか終わらないかのうちに、友樹は突然狂ったように俺の首を掴もうとした。俺は慌てて手を放し、ベッドから転がり落ちた。友樹の爪は空を切り、ベッドの板に深々と食い込んだ。彼の突き出た目が俺をじっと見つめる。その視線を感じながら、冷や汗が額を伝って流れ落ちた。友樹の顔は次々と入れ替わる。
車のロック解除音が鳴り、俺はそちらに目を向けた。ライトが点滅したのは、友樹の車だ。友樹が車の横に立っている。その友樹は......普通に見える。さっき、彼が家の中で叫んでいた言葉を思い出した―「お前が外に出れば、俺は助かるんだ!」もしかして、すべてが元に戻ったのか?「何してんだよ、まだ座り込んで。早く乗れよ、日の出に間に合わなくなるぞ」そうだ。今日は日曜日だ。俺たちは朝早くからキャンプに行く予定だったじゃないか。もしかして、俺はもう普通の世界に戻ってきたのか?「早くしろよ、智彦。何ボーっとしてんだ?」俺は立ち上がり、ズボンについた土を払う。友樹は右手を掲げて、車のキーを指でクルクル回しながら、いつものように笑って俺に話しかけている。俺は車の方へ歩き始めた。しかし、近づけば近づくほど、何か違和感を感じ始めた。......そうだ、分かった!そいつは本物の友樹にそっくりだ。キーをクルクル回す癖まで完全に再現されている。でも―友樹は左利きだ!俺はその場で足を止め、「お前は友樹じゃない!お前は誰だ!?友樹をどこへやった!」「ちぇっ、またバレちゃったか。お前には騙せないな」そう言うと、その「友樹」は車のキーをしまい、車に乗り込んだ。俺のアパートはすぐ近くにある。そいつが車を発進させてすぐ、道の角に差し掛かった瞬間―どこからともなくトラックが飛び出してきて、「ドンッ!」と激しい衝撃音が響いた。そいつが本物の友樹ではないと分かっていても、俺の心は針で刺されたような痛みを感じた。俺は無意識のうちに、友樹の名前を叫びながら車に向かって走り出した。すると、突然強烈な白い光が視界を覆い、俺は思わず目を閉じた。世界が光に包まれていく......
「智彦!智彦!起きて、智彦!」ぼんやりとした中で、聞き覚えのある女の子の声が耳に入ってきた。周囲は騒がしく、鼻には消毒液の強い匂いが漂っている。「智彦!聞こえる?!」「先生!先生!彼が目を覚ましそうです!」ゆっくりと目を開けると、眩しい白い光が目に入ってきた。さっき夢の中で見たあの強烈な光は、きっとこの蛍光灯のことだったんだろう。「青葉.....」―記憶が一気に溢れ出してきた。「友樹......友樹はどこだ!」俺は必死に起き上がろうとした。だが、医者が慌てて俺を押さえつけた。「君は重傷を負っているんだ、動いちゃダメだ!」体に激痛が走り、俺はベッドに押し戻された。青葉が泣きそうな声で俺の手を握り、「ごめんね......」と呟いた。ぼんやりとした意識の中で、散らばったピースを一つ一つ繋ぎ合わせるように記憶を辿った。青葉は俺と別れてなんかいなかった。ただ、3ヶ月前、彼女の会社に新しい同僚が入ってきて、彼と少し親しくなっただけだった。先週、青葉がその同僚とランチをしたとき、俺に事後報告してきた。それで俺は少し嫉妬して、数日間不機嫌になっていた。青葉は俺を宥めようと、友樹を誘って、日曜日に一緒にキャンプに行く計画を立てたんだ。彼女の会社に新しく入った女の子を、友樹に紹介するつもりだった。俺も、友樹との仲を修復する良い機会だと思っていた。俺にとって、友樹は本当に大切な友達だったから。記憶は今朝へと戻る。日の出を見るために、俺と友樹は早朝4時過ぎに出発して、青葉と彼女の同僚を迎えに行く予定だった。夜明け前の薄霧に包まれた空はどんよりと灰色で、俺たちは疲れを感じながらも、友樹がラジオでかけていた怪談チャンネルのおかげでなんとか目を覚ましていた。『血塗られた愛』と『祝い』の曲は、確かそのラジオから流れてきたものだった。青葉の家の近くには、交通事故がよく起こる危険な交差点があった。いつもなら、そこを通るときは注意深く運転していた。でも、今日は早朝で、車もほとんどいなかった。俺は眠気でぼんやりしていて、あまり気にしていなかったんだ。突然、耳をつんざくようなトラックのクラクションが鳴り響いた。だが、もう避ける余裕はなかった。横から突っ込んできた大型トラックがまっすぐこちらに向かってきたのを目にした瞬
「君は重傷だったんだ。あと少しで命を落とすところだったんだぞ。無理に動くな」医者は眉をひそめながら、俺の手を離した。その瞬間、俺はまるで深海から浮上して、ようやく呼吸が自由になったように感じた。周りには、規則的に滴る医療機器の音が響き、腕に刺さった点滴の針から冷たい液体が体に流れ込んでいる。俺は目を閉じて、思考を落ち着かせようとしたが、頭の中はまだ夢の映像でいっぱいだった。あまりにもリアルすぎて、涙が自然に頬を伝い、首筋にじっとりと張り付いた。「青葉......友樹はどうなったんだ?」青葉は俺の手を強く握りしめた。「大丈夫よ。さっき様子を見てきたけど、まだ目は覚ましていないけど、もう危険な状態は脱した」一週間後、俺は歩けるようになり、暇さえあれば友樹の病室を訪れて、最近話せなかったことをたっぷり話してやった。俺は友樹に、自分が見た夢のことを話した。すると、驚いたことに、友樹も同じ夢を見ていたと言うんだ。ただ、彼の夢では、俺が彼を助け続けていたらしい。入院している間、俺はあの夢に出てきたパラレルワールドのことを何度も思い返していた。量子論の「多世界解釈」という仮説が頭をよぎった。もしかして、あの世界で俺たちは本当に冒険をしていたのかもしれない。さらに一週間が過ぎ、俺たちは無事に退院した。そして、未完成だった計画を補うため、そして生還を祝うために、再びキャンプの計画を立てた。予想もしなかったのは、友樹が青葉の同僚と一目惚れしてしまったことだ。友樹は、とうとう人生初の恋を迎えることになった。長らくソロだった男に、ついに春が訪れたのだ。半年後、俺と友樹は正式にルームシェアを解消した。不動産屋が上下の階を貸し出している物件を紹介してくれて、俺たち4人は新しい隣人生活を始めることになった。
友樹視点:俺が人生で初めて好きになった女の子は、俺ではなく、俺の親友である智彦に惚れていた。智彦に当たってしまった後、俺はものすごく後悔していた。実は、智彦に怒っていたんじゃない。自分自身に腹が立っていたんだ。でも、一度感情が爆発すると、もうコントロールするのは難しかった。智彦と青葉がうまくいっている間に、俺の存在が邪魔になるんじゃないかって、俺はいつも怯えていた。それで、二人との距離を意識的に取るようになってしまった。でも、智彦は俺にとってずっと大切な友達だった。ただ、どうやってこの状況を解決すればいいのか、俺はわからなかったんだ。こんなことを続けるわけにはいかない。ちゃんと話して、元の関係に戻らなければならないんだ。そんな時、智彦が日曜日にキャンプに誘ってきた。青葉が同僚を紹介してくれるらしい。これを機会に、ちゃんと話をしよう。逃げてばかりじゃダメだ。その夜、俺はどうやって智彦との誤解を解くか考え続けて、結局、眠れなかった。翌朝、まだ暗いうちに家を出たが、ひどく眠かった。青葉の家の近くの交差点に差し掛かった時、突然、大きなトラックが視界の盲点から飛び出してきたんだ......その瞬間、時間が止まったかのように感じた。でも、智彦を守ることは俺にとって本能だった。強烈な衝撃が襲い、意識がぼやけていく中で、鋭い痛みが走った。何かが俺の手を貫いた感覚があった。そして俺は、恐ろしく長くて不気味な夢の中に落ちていったようだった。夢の中で、もう一つの意識が俺の体を操っていた。そいつは、ここがパラレルワールドだと言い、俺にこう告げた―「お前はここにいる全ての人間を、この世界に留めることができる」と。そいつはまず、俺にこの世界で青葉を見つけさせ、その力を証明してみせた。俺は全力でそいつに抵抗しようとしたが、次第に人間でもなく、怪物でもない存在へと変わっていった。本当に疲れていた。もうそいつに完全に呑み込まれる寸前で、家のドアの暗証番号すら思い出せなくなっていた。すべてを諦めかけていたその時―俺は智彦の声を聞いたんだ。「友樹!?こんな夜中に、外出してたのか?」智彦は、モップを抱えながら呆然と俺を見つめていた。そいつの意識が俺を支配して、真実を話すことができなかった。俺はどう説明すればいいかわから
俺はプログラマーだ。仕事のストレスは半端なくて、休むときはホラー映画を見てリラックスするのが好きなんだ。刺激もあって、気持ちも落ち着く。土曜の夜、俺は妹が義兄を好きになって姉を殺すっていう、まさにクソ展開の映画を見ていた。姉が真っ赤な花嫁衣装で復讐に来るシーンが始まったところで、友樹の部屋から突然、古い曲が大音量で流れてきた。『血塗られた愛』ってやつだ。昔はよくリピートしてたけど、こんなタイミングで聞くと心臓に悪い......俺は心拍を落ち着けてから、友樹の部屋のドアをノックした。「おい、友樹!音楽の音、下げろよ!ビビったじゃんか!」友樹はゲームをするとき、音楽を爆音で流しながらヘッドホンでプレイする癖があって、それがゲームのBGMみたいで最高だとか言ってたけど、ただのノイズキャンセリングがダメなだけだろう......誕生日に新しいのでもプレゼントしてやるか。何度かノックしたけど返事がない。どうせゲームに夢中で無視してるんだろうと、俺はそのまま映画に戻った。数分後、映画の冥婚シーンが始まった。いよいよ式が始まるってところで、友樹の部屋からまた音楽が変わった。今度は不気味な『祝い』だ......伊藤友樹は大学時代からのルームメイトで、一番の親友でもある。彼は昔からいたずら好きで、こういうことをやらかしても全然驚かない。でも、あの選曲だけは、さすがに俺の心をゾクッとさせた。もう一度、思い切りドアを叩いた。「おい!さっき俺の部屋覗いてただろ?無視してんじゃねぇよ!さっさとドア開けろ、音止めろ!」音楽がピタッと止んで、友樹が寝ぼけ眼でドアを開けた。「なんだよ、叩くなよ......昼寝中だったんだぞ」「昼寝だと!?音楽大音量で流してて寝れるわけないだろ!」「は?音楽?俺、音楽なんかかけてないけど......」友樹は頭を掻きながら、面倒くさそうに答えた。「嘘だろ、俺がドア叩いた途端に止まったじゃん。冗談はやめてくれよ......」友樹にイライラさせられて気が散った俺は、結局パソコンを閉じて寝る準備をした。だけど、またしても音楽が鳴り出した。今度は『一緒に踊ろう』って曲だ。イライラしながらスマホを見て、友樹にメッセージを送った。「おい、深夜12時だぞ!誰と踊ろうってんだよ?さっさと寝ろ!」メッセージを送ると音楽はピタッと