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それだけが、たったひとつの願い のすべてのチャプター: チャプター 41 - チャプター 50

79 チャプター

第四十二話

「食事をして帰ろう」 買い物が終わり、日も暮れてちょうどお腹がすいてきた時間にジンがそんな提案をした。 どこか行きたいお店があるのかと尋ねると、意外にもファミレスがいいと言われ、ショッピングモールを出て一番近いファミレスへと移動することにした。 ジンにとっては普段行かない場所だから珍しいらしく、行ってみたいと思っていたのだそう。「激混みだな」 お店に到着すると、ジンが困った顔で苦笑いの笑みを浮かべる。 お正月だから私たちよりも若い世代の子たちが集まっているせいでファミレスは満席で、順番待ちの人が入り口にあふれかえっていた。「ジン、どうする?」「いや、これは無理だから帰ろう。ファミレスはまた今度」 私もそれが正解だと首を縦に振った。 順番を待つのなら、相当な待ち時間が予想されるから。 踵を返して帰ろうとする中で、私はとある人物とバチっと目が合ってしまった。「由依?」 向こうも私に気づいたらしく、声をかけながら近づいてくる。「すごい偶然だね」 その人物はカフェのバイト仲間の武田くんだった。 彼は友達数人と食事をしたのか、ちょうど出てきたところで私と偶然鉢合わせをしたみたいだ。 明けましておめでとう、と挨拶した私よりも、武田くんは私の後ろに立つ人物が気になったようで、なぜかジンの姿に視線を送り続けている。 自分の友達には先に行くように促し、武田くんは私の手首を掴んですぐそばの出入り口から外に連れ出した。「あれは誰だ」 いつもより幾分武田くんの声が低いように感じた。「誰って……」「俺がいくら飯を誘っても行かないと思ったら、いつの間に彼氏ができたんだよ」 武田くんは私とジンの仲を勘違いしたのだ。 だからといってなぜ彼が怒るような口調になっているのかは全然わからない。「知らなかったな。由依がこんなに面食いだとは」「違うから」 なんとなく誤解されたままなのが嫌で否定の言葉を口にするけれど、それを邪魔したのはジンの腕だった。「由依、スーパーに寄ってから帰ろう。夕飯は家でふたりで作ればいいよ」 私と武田くんが話している最中だというのに、ジンはわざとらしく背後から腕を回して私の腰に巻き付け、自分のほうへ引き寄せたのだ。
last update最終更新日 : 2025-01-01
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第四十三話

 バランスを崩した私は後ろへ引っ張られる形になり、ポスンとジンの胸に背中を預けてしまう。私の視界には、寒空の下で眉間にシワを寄せる武田くんが映っていた。「由依、なにが違うんだよ。同棲してるのか?」 あきれたように武田くんがポツリと呟く。 先ほどのジンの言葉といい、この態勢といい、弁解するどころかさらに誤解されたと思う。 私は手をブンブン横に振り、ジンの腕から逃れようとするけれど、ジンはギュッと私の腰を掴んで離さない。 その行動がまるで恋人みたいで、カーッと私の顔に熱が集まってきた。 そっと友達のフリでもしてくれればいいのに、ジンがなぜわざわざ誤解を招く行動を取るのかまったく理解できない。「由依が作った鍋が食いたい」 ジンは腕の力を緩めるどころか、後ろから私の肩に顔をうずめる。 これでは後ろから抱きしめられているのと同じで、まるでイチャついているカップルみたいだ。「というわけだから。またね、由依の“お友達くん”」 私たちに怪訝な視線を注ぎ続ける武田くんに対し、ジンはキラリと光る綺麗な笑みを浮かべた。 あの眩しい笑顔に誰が太刀打ちできるだろうと思うほどのキラースマイルで、事実武田くんはなにかを言いかけてそのまま口を閉じてしまった。 ジンが腕をほどき、その代わりに私の左手をしっかりと握ってそのまま私たちはファミレスの店先をあとにした。「寄せ鍋、最高だったな。 シメのうどんがうまかった」 スーパーで食材を買い込んで、マンションでふたりで鍋を囲んだ。 前から思っていたけれど、ジンはなんでもおいしそうに、しかもよく食べる。 そんなに食べて、なぜその体型が維持できているのか本当に不思議だ。「ねぇ、さっきなんであんなことしたの」 鍋を完食したあと、使い終わった食器類をシンクに運びながら私はジンに尋ねた。「さっきって?」「武田くんの前で、わざと私に抱きつくようなこと。 あれじゃ誤解されるよ」 ファミレスでのことをあきれ混じりに糾弾してみたけれど、ジンは緩やかに笑みを浮かべて私を見ていた。 この際百歩譲って、彼女でもない私に抱きついたことは一旦置いておくとしても、なぜわざわざあんなことをしたのかその理由は知りたい。「へぇ、そんな名前なのか。で、その武田くんとは誤解されると困る関係?」「武田くんは高校の同級生で、今はただのバイト仲間」
last update最終更新日 : 2025-01-01
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第四十四話

「好きとかじゃないから」「由依ってにぶいんだな。あれはどう見てもそうだった」 否定をする私に、まるで恋愛マスターかのようにジンが頬杖をつきながらニヤリと笑う。「武田くんとは高三のときに同じクラスで、それからずっと友達だもん」「じゃ、彼はそのときからずっと好きだったんだろ。今も」 武田くんと高校で出会ってからもう五年は経つのに、そんなことがありえるのだろうか。 高校卒業後、それぞれ進路が違ったから連絡は取り合っていなかったし、たまたま今は同じバイト先で働いていて交流があるだけの関係だ。 昔からずっと私のことを好きだったなんて、容易に信じることはできない。 そのまま絶句していると、玄関のチャイムが鳴り、インターフォンの画面を覗くと客人は甲さんだった。「ふたりとも、明けましておめでとう」 リビングに上がってきた甲さんは、相馬さんからの差し入れだと伝えて高そうなシャンパンを私に手渡した。「どうしたの、甲くん」「ちょっとふたりの様子をうかがいに。それと、ジンが出演したMVを由依ちゃんに見せてあげる約束をしてたから」 甲さんはジンににこやかに言い、DVDを鞄から出して顔の横まで持ち上げ、私にアピールをした。 するとジンは恥ずかしいのか即座に嫌そうな顔を見せる。 どうやらあまり見られたくないらしい。 ジンの弱点をつくように、私はわざとらしく「見たい」と甲さんに食いついた。「事務所に雑誌もあったから持ってきたんだ」 リビングのソファーに座るやいなや、甲さんが鞄から雑誌を取り出し、とりあえずDVDよりも先にそちらを拝見することにした。目の前に差し出されたのは、漢字ばかりが羅列された雑誌なのだけど、どうやら台湾の男性ファッション誌のようだ。「え?! ……これ……」「そう。ジンだよ」 その雑誌の表紙に写っている男性を見た途端、私は目を丸くした。 カメラ目線ではなく斜に構えつつも黒いコートの襟を立てて佇んでいて、誰もが目を奪われかねないそのモデルこそジンだった。「すごいですね。表紙を飾っちゃうなんて」 言いながら雑誌を右手でめくると、その私の言葉がずいぶん軽はずみだとすぐにわかる。 ジンが飾ったのは表紙だけではなく、巻頭数ページにわたってずっとジンばかりが取り上げられていたからだ。 
last update最終更新日 : 2025-01-02
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第四十五話

 書いてある言葉は中国語で、詳しい内容は私にはわからないけれど、日本でもよくあるインタビュー形式のようだった。 見れば見るほど驚きを隠せないし、それと同時に「すごいですね」などと陳腐で簡素な評価をしてしまった自分が恥ずかしい。「カッコいいでしょ、ジン」 プロのヘアメイクさんに髪を整えてもらい、撮影用の衣装を身にまとった彼は、普段とは雰囲気が全然違う。 さっき私と一緒に鍋を食べた人と同一人物だとは思えないくらいだ。「だけどこの人の名前、Harry(ハリー)って……」 写真の下に大きく表示された文字を指して、私は甲さんに尋ねた。「それがジンの英名。その名前で活動してるんだ。日本でもね」 どうやらそれは芸名でもあるらしい。「本名は公表してないから」 急に会話に入って来たジンの言葉尻から、今後も本名は公表するつもりはないのだろうと想像できた。「由依ちゃん、MVを見たらもっと圧倒されるよ?」 ジンは甲さんに先入観を植え付けすぎだと困った顔をして忠告していたけれど、静止画でこれだけカッコいいのだから、動画ならばどうなのかと少なからず興味が湧いた。「ジンがどんな感じでセリフを言ってるのか見てみたい」「セリフはないよ。MVだから、ずっとそのアーティストの音楽が流れてる」 ミュージックビデオなのだから、ジンの言うとおりで、我ながらバカな発言をしたと恥ずかしくなった。「このアーティスト、シンガーソングライターなんだ。ジンとも仲が良いんだよ」 甲さんがプレイヤーにDVDをセットし、いよいよ再生が始まる。 曲は男性アーティストが歌い上げるバラードだった。 歌詞の意味はわからないけど、ラブソングかもしれない。 歌っているアーティストは一切登場せず、とても綺麗な女の子とジンのふたりだけがずっと映っている。 ドラマ仕立てになっていて、ふたりが出会い、楽しそうに手をつないで街を歩いたり戯れたりしている。 シーンが変わり、今度はふたりが喧嘩をし、女の子がジンを平手打ちしていた。 そしてまたふたりが海辺で見つめあい、抱き合い、微笑み合って額をくっ付ける熱いシーンで終わっている。 内容はベタなものかもしれないけれど、甲さんの言うとおり私はその映像に圧倒された。 彼の表情や仕草、目力、すべてが魅力的で惹きこまれ、ジンのすごさが少しだけわかった気がしたのだ
last update最終更新日 : 2025-01-02
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第四十六話

 甲さんがDVDを入れ替え、テレビ画面にはジンの出演したCMの映像が流れ始めた。 チョコレートのCMなのだけれど、スタイリッシュな部屋の中で板チョコの角をかじり、ジンがとろけるようにほほ笑んでいる。 笑うときだけ現れる左頬のエクボがまた、彼の魅力を増幅させていた。 台湾で活躍するジンを私が知らなかっただけで、彼は人気芸能人だったのだ。「ジンね、こんな感じの露出だから、全然喋ってないんだよね」「あ、そうですね」「だから余計にミステリアスだって話題になってて、ついたあだ名が『声なき王子』」 どうやらイケメンだけど声は謎だという意味らしい。 謎に包まれた部分があると、人はそこを知りたくなるのかもしれない。「そうだ、ジン。ショウさんがたぶんドラマの話を持ってくるよ。今その話を向こうで詰めてる最中だと思う。ついに声なき王子の声が露わになるね」「長期間のドラマだったら俺……嫌なんだけどな」「大丈夫。二話限定のゲスト出演らしい」 正直、画面の中のジンに見惚れてしまい、途中から曲なんて耳に入らなかった。「……すごい」「でしょ?」 甲さんが自慢げな顔で私を見て笑みを浮かべた。 ジンも甲さんの言葉を聞いてホッと胸をなでおろしている。 もしかして歌だけではなく、ジンはドラマの仕事も嫌なのだろうか。「ドラマは嫌なの?」 私の質問に、ジンは困った顔のまま首を振った。「長期間なのが嫌なんだ。向こうのドラマは話数が日本より長い。最低でも十六話ほどだし、普通は三十話」 日本はだいたい十話くらいだから、三十話だと単純に三倍ということになる。「少なくとも半年は撮影で台湾にいなくちゃいけなくなる。日本で暮らせなくなるし、それが嫌なだけ。でも二話限定の脇役なら撮影も少ないから数日で終えて帰ってこられる」 初めてのドラマ出演で、しかも甲さんの話からするときちんとセリフのある役なのだろうけれど、ジンに喜んでる素振りは一切見られなかった。 普通はドラマ出演が決まったとなると、もっとうれしそうにするものだと思うのに。「ジンは俳優志望なんだから、今後はそんなワガママ言ってられなくなるぞ」「だったら日本のドラマの仕事入れてよ」「その要求はショウさんに」 ジンは軽く不平を口にしたけれど、ショウさんの名前を出されると途端に黙り込んだ。 仕事に関しては完全にショウ
last update最終更新日 : 2025-01-03
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第四十七話

 なぜ甲さんが知っているのかと驚きながらもジンに視線を送るが、彼は吹き出すように小さく笑っていた。「その件に関しては口止めされてなかったから」 たしかにバイトのことは口止めしたけれど、脚本についてはなにも釘を刺したりしていなかった。 ジンから冊子を取り返して、人目に触れないように今度は机の引き出しにきちんとしまったが、まさかジンが甲さんに話すとは夢にも思わなかった。 それに、『その件に関しては』という発言は、ほかに口止めしたことがあると言っているようなものだからやめてほしい。「ショウさんも一度目を通したいらしいよ。だから今日、俺にその脚本を預からせてほしいんだ」「……え!」 私は甲さんの言葉に驚きすぎて、なにが起こっているのか理解できずにうろたえてしまう。 きっとジンが話したのだろうけれど、すでにショウさんの耳にまで入っているだなんて、伝達のスピードが速すぎる。 もうこうなったら逃げられないと観念して私はガックリと肩を落とした。 素人の私が書いた拙い脚本なのだから、ショウさんに読まれてどう評価されても別に構わないと自分に言い聞かせ、冊子を甲さんに託した。「ジン、ショウさんが帰ってきたら仕事だから」 そう言葉を発しつつ、甲さんが帰り支度をして立ち上がる。「由依ちゃんはまだ冬休みを満喫すればいいからね。どこか友達と遊びに行っておいでよ。お姉さんとお母さんもふたりで温泉でゆっくりしてるんだから」「そうなんですか?!」 コートを羽織ろうとしていた甲さんの腕を、思わず掴んでしまった。「あの……姉と母、今温泉に行ってるんですか?」「知らなかったの?」 それは今、初めて知った。 私は何度か連絡していたけれど、姉とは音信不通だったから、ふたりがどう過ごしているかを知る手段はなかったのだ。「自分たちだけ正月に温泉旅行かよ。気楽なもんだな。由依はその間ずっと連絡を待ってたのに」 私の気持ちを代弁するように、ジンが不機嫌そうにつぶやいた。 ジンが憤慨する必要はないのだけれど、隣で話を聞いていて気を悪くしたらしい。「いいよ。お母さんが少しでも元気なら」 私はジンに向けて無理やり笑顔を作った。 母が家に引きこもって具合が悪くなっているよりは、温泉で楽しく過ごしているならそれでいいと思う。 姉はきっと私を置いてふたりで温泉に行くとは言えなか
last update最終更新日 : 2025-01-03
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第四十八話

 甲さんが帰っていった後、またもや玄関のチャイムが鳴る。 なにか忘れものでもしたのだろうかと、インターフォンの画面を覗き込んだら、どうやら宅配便で荷物が届いたようだ。「安田由依さん宛にお荷物が。八個口で届いてます」 送り主は姉だった。 玄関扉を開けると、ドライバーさんが次々と段ボールを中へ運び入れる。「なんだよ、これ……」 異変を感じてジンがリビングから玄関先まで出てくると、その荷物の多さに驚いて唖然としていた。 宅配便の送り状を見てみると、中身の欄には『衣類』と書いてある。 私が服を取りに行きたいと連絡していたから、姉が段ボールに詰めてこちらに送ってきたようだ。 私はそれらを見つめ、しばらく呆然としたけれど、とりあえず部屋に運ぼうとしたらひとつだけ重い段ボールがあり、気になってその場で開けてみた。 するとそこには私が就活用に使っていた本など、自室に置いていた私物がたくさん詰め込んであった。「引っ越し荷物みたいだな」 いつも柔和に笑うジンが、珍しく眉をひそめて段ボールを見つめている。「今日、服を買いに行ったのにね。届くとわかってたら買わなかったのに」 フフっと乾いた笑みを無理に浮かべると、逆に涙が出そうになった。 宅配便で送るなら、ひと言でもいいからメールをくれればよかったのにと、そんな気持ちが湧いて来てしまった。 無言で送りつけられるとさすがにつらい。 姉も忙しかったのだろうけれど、家族である私に対してもう少し思いやりがほしかった。「ジン、ごめん。部屋に運ぶの手伝って」 私の言葉になんの反応も示さないジンを不思議に思って見上げると、するどい視線でじっと射貫かれていて、そのまま身動きが取れなくなった。「まるで厄介払いじゃないか。なんだよこれ」 なんとか平静を装う私とは反対に、ジンが怒りの感情をむき出しにしている。 厄介払いだなんてはっきりと言われると、さらに悲しくなってきた。「これじゃ由依を家から完全に追い出したも同然だろ。実の妹を犠牲にするなんて俺にはまったく理解できない!」「……ジン」 今までジンが声を荒げた場面など見たことがなかった。 どんなときでも綺麗な笑みを見せ、臆することのない感じだったのに。 だけど今は私がジンをこんなふうにしてしまったのだ。 私はジンの気を静めようと、そっと彼の右腕に無言で手を
last update最終更新日 : 2025-01-04
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第四十九話

「由依には俺がいるだろ。俺がそばにいるから」 甘い言葉を紡いだ後、ジンがゆっくりと私の唇に自分のそれを重ねた。「絶対さみしくさせない」 ジンの唇はやわらかくて暖かくて、強弱のついた大人のキスに心も身体もとろけそうになる。 拒絶なんてしなかった。 なにもかもすべてを寛大に包み込むようなジンの行為に、私は心酔していた。「俺も寂しかったのかも。だから由依、俺のそばにいてくれ」 おでことおでこをくっ付けたまま、至近距離でジンが言う。 彼は明るい性格でカリスマがあるから、さみしい感情とは無縁の人だと思っていた。 ジンは芸能界という輝いた世界に身を置いていて、イケメンで女性からの人気が高い。それでも、ジンの中でさみしいと感じるなにかがあるのだろう。 翌々日の夕方、ショウさんがマンションに訪ねてきた。 甲さんが話していたジンの台湾のドラマ出演が正式に決まったらしく、その打ち合わせや挨拶などで共に台湾に戻らなければならないから彼を迎えにきたのだ。「さっき事務所で由依の脚本を見た」 唐突にショウさんにそう告げられ、まるで裸を見られたみたいに恥ずかしくなった。「ラブストーリーは書けるか? 長編じゃなくても構わないから」 だけど次に発せられたショウさんの言葉は、まったく予想外のものだった。「ぼんやりとした淡いストーリーじゃなく、はっきりと恋愛模様がわかるテイストで」 真剣な表情のショウさんに、私は「時間さえもらえれば」と答えた。 手直しではなく、話を作るところから始めるのだから、さすがにすぐに書き上げるのは無理だ。 ショウさんの真剣さと迫力に負け、思わず承諾してしまったが、私にラブストーリーなんか書かせてどうするのだろう。 そうは思うものの、趣味の一環として書くことにした。 ジンも台湾に行ってしまうからしばらくいないし、夜はひとりきりで時間があるから。 ジンは台湾へ旅立ったあと、暇さえあればメッセージを寄こしていた。 内容はたわいもないことばかりなのだが、私も律儀に返事をしていて、これではまるで恋人同士みたい。 だけど私とジンは、あの夜キスはしたけれど、互いに気持ちを確かめ合ってはいない。 そもそも知り合ってから日が浅いし、あのキスだけで『恋人』と定義づけるのは絶対に違う気がする。 私が作ったお雑煮を食べていたときの、彼の屈託のない笑
last update最終更新日 : 2025-01-04
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第五十五話

 数年が経ち、ショウくんが日本の大学へ留学することを決めた。 ショウくんは大人になるにつれ、背格好も顔だちも人目を引くくらいのイケメンに成長していて、モデルをやらないかと街でスカウトされたらしい。 だけど自分は芸能人になるよりも育成のほうをやりたかったらしく、本格的に勉強を始めたそうだ。「ジン、俺みたいにモデルをやらないかと声をかけられても絶対に受けるなよ」「俺はないでしょ」「いや、絶対にあると言い切れる。だから忠告してるんだ。そんな話が来ても断れ」 日本に発つ前、ショウくんが俺に口酸っぱく言っていたけれど、そんなわけはない、どうせ冗談だろうと俺はこのとき流して聞いていた。「お前を育てるなら俺がやりたい。だから大人しくしといてくれ」 スカウトの人から声をかけられたら、とりあえず断ればいいのかと簡単に考えていた。 そうは言っても実際にそんなことは起こらず、俺はそのあとも普通に高校生活を送っていた。 ショウくんは大学を卒業すると台湾に戻って兵役に就いた。 俺は高校三年生になり、日本の大学に進学するために志望校を絞っている時期だったが、そんなときにクラスメートからとある誘いを受けたのだ。「俺さ、これに出ようと思ってるんだ。ジン、付き添いとして一緒に来てくれない?」 休み時間の教室で友人からペラリと見せられた紙は、なにかの応募用紙だった。「なにこれ。『十代限定・美男子コンテスト』?」 これにお前が出るのかと、微妙な顔で首をかしげると、友人は満面の笑みで首を縦に振った。「優勝するとハワイ旅行もらえるんだな」「おいおいジン、俺がまさか優勝するわけないだろ? 俺が狙ってんのはこっちだよ グランプリの優勝者には副賞としてハワイ旅行が贈られるらしい。 けれど友人の目当てはそれではないと言い、違うところをビシッと指さしたのだ。「入賞……カップ麺一年分?」 グランプリ(一名)、準グランプリ(二名)、入賞者(二名)にそれぞれ賞金や副賞が贈られる。 上位の三名にはほかにも豪華副賞が与えられるが、入賞者の二名にはカップ麺のみだ。「優勝は無理でもさ、五番に入ればいいわけだろ。たいして有名なコンテストじゃないんだからそれならいけそうだ」「そんなにカップ麺が欲しいのか」「だって一年分だぞ?」 俺は思わず声に出して笑い、付き添いなのだったらと一緒に
last update最終更新日 : 2025-01-05
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第五十話

 二十一年前、台湾人の父と日本人の母の間に、俺が生まれた。 悠菫(ヨウジン)という名は父親がつけたそうだが、母が『菫(すみれ)』の字を入れてほしいと父に頼んだらしい。 よく考えると、男の名前に花の漢字を入れたいだなんて不思議なのだが、母はすみれが好きだったのだろう。 住まいは台北市のはずれで、都会の喧騒から少し離れたところにある普通の一軒家に親子三人で暮らしていた。 すぐ近所に住んでいたのがショウくんの家族だ。 ショウくんには薫平(シュンピン)という四つ年下の弟がいて、男ふたりの兄弟だった。 ショウくんは俺よりも五つ年上で、薫平もひとつ年上だったから、物心つく前から俺にとってはふたりとも良き兄であり、年下でひとりっ子だった俺をいつもふたりが相手をしてくれた。 ショウくんは一番年上なだけあって、昔から賢くてしっかり者で面倒見がよかったけれど、薫平はショウくんと性格が真逆で、天真爛漫で明るくていつも元気いっぱいだった。 俺はというと、当時は引っ込み思案で何事にも物怖じする性格だったから、ふたりがそれぞれ正反対でも、俺にとってはどちらも尊敬できて敬愛する対象だった。「ジン、河川敷の原っぱででっかいカマキリを見つけたから一緒につかまえに行こ!」 そうやって家まで誘いに来てくれるのは決まって薫平で、俺は「うん」と元気よく返事をし、虫かごと網を持ってあわてて家を飛び出していた。 夏に虫取りをした記憶は、大人になった今でもまだ鮮明に残っている。 本当の三人兄弟のような仲の良い関係が永遠に続くと、このころの俺はそう思っていた。 しかし、人生は何が起こるかわからない。 まだ幼い俺の身に、突如不幸なことが起こった。 俺が七歳、薫平が八歳、ショウくんが十二歳の冬だ。―― 俺の両親が離婚した。『ジン、お父さんの言うことをよく聞いて、お利口にするのよ』 俺が聞いた母の最後の肉声がそれだった。 学校から帰ってきたあと、いつものように外に遊びに行こうとする俺を捕まえて母がそう言ったのを覚えている。
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