あらためて考えれば、遊びに行こうとする子供にわざわざ言う言葉ではない。 かなり不自然なのに、当時の俺は子供だから「うん」と返事をしたあと走って家の外へ飛び出した。 帰ってきたら母がいなくて、家の中をくまなく捜しても見当たらない。「母さん!……母さん!!」 何度も日本語で呼びかけたが反応がなかった。 すると、寝室にポツンと父が居て、肩を落としたまま座っていた。「母さんは日本に帰ってしまった」 父が非情にも幼い俺に真実を告げる。 このとき、離婚がなんたるものかを知らない俺は、何年か経ってようやく事の次第を理解したのだ。 母が台湾の生活に馴染めずに悩んでいたかどうかは、本人からなにも聞いていないからわからない。 当時はただ母がいなくなってしまい、さみしくて悲しくてたまらなかった。 母に会いたくて、毎日のようにメソメソと泣いていた。 元々活発ではなかった俺は、それを機にますます内向的になった。 台湾のテレビで、日本の国営放送やアニメはもちろんのこと、バラエティーや歌番組なども放送しているから、外で遊ばなくなった俺は家で日本のテレビばかり見ていた。 テレビから流れてくる日本語を自然な形で耳に入れ、脳内へ流す。 母と話していた言語だから、俺にとっては半分母国語なのでなんの違和感もなかった。 日本語に接していないと、今まで母と話した会話も、母自身のことですらも、いつか忘れてしまいそうで怖かったのだ。 無意識だが忘れたくない想いが俺の中で強かったのだろう。 必死に日本語を聞き、母と過ごした日々と母自身を記憶に残そうとしていた。「ジン、外でキャッチボールしよう!」 学校の通学以外で外に出なくなった俺を、どうにかして連れ出そうとしてくれたのは薫平だ。「……しない」「じゃあ、ミニカーで遊ぶのは? 俺が大事にしてる真っ赤なスポーツカー、ジンにやるからさ!」 年齢が一歳違いなのもあり、どんなもので遊べば俺が喜ぶかはショウくんよりも薫平のほうがよく知っていた。 薫平は持ち前の明るさや天真爛漫さを持ち合わせているから、今思えば「お前がジンの元気を取り戻してやれ」とショウくんが薫平に言っていたのだろう。
Last Updated : 2025-01-05 Read more