All Chapters of それだけが、たったひとつの願い: Chapter 61 - Chapter 70

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第六十二話

「ショウさんの言い分はもっともだよ。今回だけじゃなく、今後恋愛ドラマをやるなら常について回る問題だから、理由があるならちゃんと伝えておくべきだ」 たしかに恋愛ドラマにおいて、しかも主役でとなるとキスシーンは求められると思う。 私が今回書いた脚本にだってキスシーンは出てくるし、そこはヒーローとヒロインの想いが通じ合う重要な場面だ。 それをカットするとなると盛り上がりに欠けるし、見ているほうも消化不良になるだろう。 そんな思考をめぐらせていると、ふとジンと目が合った。「理由は特にない。よく知りもしない相手とキスしたくない。それだけ」 私のほうを見ながらポツリとつぶやくように言ったジンの言葉に、ショウさんは再びわかりやすく顔をしかめた。「ふざけるな。相手は女優だ。お互い“演技”でやるんだ。仕事だろう!」「だったら恋愛ドラマじゃなくて、刑事ものとかアクションものにしてくれよ」 威圧感のあるショウさんに対し、ジンはひるまずに真っ向から自分の意思を伝えた。「アクション? やったことないだろ。刑事? お前みたいな年の若い刑事がどこにいるんだ!」 アクションは、いきなりは無理だけれどがんばればやれないことはないだろう。 だけどジンが刑事には絶対に見えない。 こんなに若くて王子様みたいな容姿をしている刑事なんて、現実には存在しないだろうから。「アクションや刑事ものは今後いくらでもできる。時期が来たら嫌というほどやらせてやる。だが恋愛ものは今のお前にしかできないんだよ」 少し声のトーンを落としつつショウさんが諭すようにジンを見つめながら言った。 女性の胸をキュンとさせるような恋愛ドラマのキャストにはどうしても若い男女の俳優が求められるし、今のジンの年齢からするとやはり恋愛ドラマが最適だと思う。「ジン、お前はなんにもわかってないんだ。世の中には主役をやりたいと願っても叶わない俳優がどれだけいることか。ドラマの端役ですら出られない俳優も山ほどいる。お前はイケメンで、スター性を持って生まれてきた。それがどれだけこの世界で幸運なことか、全然わかってない」 ショウさんの言うとおりだ。 いくら芝居が好きで俳優という職業をやっていても、主役を演じられる人間はひと握り。 しかも恋愛ドラマの主役となれば、顔もイケメンでないと見ている人を魅了できない。 本当に限
last updateLast Updated : 2025-01-10
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第六十三話

「キスが握手やハグと変わらない?」「演技でする場合には、って話だ」「冗談だろ。……由依はどう思う?」 突然話を自分に振られ、驚いて心臓が大きくドキンと跳ねた。 ジンは私を射貫くように見つめるけれど、いったいなにを考えて私に意見を求めたのか、その理由はわからない。「わ、私は……」 紡ぎだした声はなぜか震えていた。「キスシーンは……あったほうがいいかな。視聴者も期待して見ている部分があるから」「由依もショウくんと同じ意見で、キスは握手やハグと同じ?」「……え?」 ジンと会話を交わしたことで、あの夜のキスを一瞬で思い出してしまった。 ジンの大きな手が私の頭を撫で、そのまま温かく包んでくれたあの日のことが脳内で鮮明によみがえる。 心の傷を手当てするように、ジンは私に寄り添ってくれていた。 やさしくそっと降ってきたような、あの温かなキスを私は忘れられないでいる。「気持ちがこもっていないなら、キスじゃないから」 私は膝の上で震える指先を隠すようにギュッと握りこぶしを作った。 それが例えドラマの中の演技であろうと、ジンがほかの誰かとキスしているシーンは正直見たくない。『スキャンダルなんか吹っ飛ぶくらいのドラマにしたい』 だけどこのとき、咄嗟にショウさんの言葉が頭に浮かんできて、今ここで私がジンの味方をするわけにはいかないのだと冷静になれた。 今後のジンの俳優人生がかかっている。 大げさかもしれないけれど、ジンのために今は彼を説得するのが最善だ。「想い合ってるふたりがするものが“キス”でしょ。お芝居でやるものは、お互いの肉と肉がただぶつかってるだけだよ」「つまり、握手やハグと変わらないと?」「…………」 突き刺さるようなジンの視線が怖くて、思わず目をそらして押し黙る。 ジンは怒っているみたいだけれど、だからといって私はどう返事をするべきか困った。 曖昧に、わからないと答えればよかっただろうか。 全面的にショウさんの肩を持つような言い方はまずかったのかもしれない。「わかった」 溜息と共にジンの消え入りそうな声が聞こえた。「でも、今後俺のドラマの脚本は全部由依に頼んでくれ。由依以外の脚本なら出ないから」 不機嫌そうな声でそう言い残し、ジンは事務所を出て行ってしまった。 しかし、最後の発言はまた波乱を呼びそうだ。
last updateLast Updated : 2025-01-11
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第六十四話

 私は脚本家ではないのだから、今後ジンが主役で出演するだろうドラマの脚本をずっと書けるわけがない。「最近のジンは反発してばかりですね」 最後はじっと見守っていた甲さんが苦笑いでつぶやくと、ショウさんは盛大に溜め息を吐き出した。「俺が頭割れそうなの、わかるだろ?」 今日だけ特別に虫の居所が悪いのなら心配しないのだけれど、なんだか長引きそうな様子がうかがえた。 数日だけでも日本にいるのなら、その間にジンにもショウさんにもリフレッシュしてほしいが、そんな雰囲気ではない。 事務所からの帰り際、一階へ向かうためにエレベーター機の到着を待ち、下から上がってきたそれに乗り込もうとしたところで中に人が乗っていて思わず視線を上げた。「あれ、由依ちゃんじゃないか」 偶然エレベーターで出くわしたのは、相馬さんだった。 部屋を借りている身だというのにイヴの日に会ったままそれっきりになっていて、私はすかさず深々と頭を下げた。「ご無沙汰していて申し訳ありません」「いや、それはいいんだけど。何かあった?」「そうではなくて……」 なにか困ったことが起こったわけではなく、今日はショウさんに脚本のことで呼ばれたのだと説明した。 どうやらそれについては相馬さんは概要しか知らされていなかったらしい。「あの……姉と母は、元気にしていますか?」 私がそう尋ねると、相馬さんは少し目を見開いて驚いた表情を浮かべた。「お姉さんから連絡は来てない?」「はい。忙しいんですかね」「お母さんの具合は、一進一退みたい。調子が良さそうなときにお母さんを連れ出して、僕の知り合いの病院の精神科で診てもらったんだ。入院の話も出てる」 てっきり姉から話をされていると思っていた、と言う相馬さんに、私はゆるゆると首を横に振った。 そんな重要な話どころか、姉からは全然連絡が来ていないのだ。 姉がどういうつもりなのかさっぱりわからないし、私とはもう縁を切るつもりでいるのではとすら思う。「施設も探してるんだよ。すぐには入れないかもしれないけど。お母さんにそこへ移ってもらえれば、お姉さんだって夜の仕事を辞めることができるから」「 ……姉はお店を辞めるんですか?」「うん。向いてないみたいだしね。だったら昼間に働いたほうがいいって僕が助言した」 相馬さんの目にはそう映ったらしいけれど、向いていない
last updateLast Updated : 2025-01-11
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第六十五話

 姉は姉でがんばっているのだ。 そう考えたら、連絡がなく離れて暮らしていても家族であることに変わりはないのだから、私もがんばらなくてはいけない。「あぁ、そうだ、由依ちゃんは就職は決まったのかな?」 心の中で気合いを入れた途端、相馬さんが無意識に私の傷をえぐった。「……いえ」「そうか。じゃあ僕もいろいろと知り合いに当たってみるよ」「大丈夫です。四月からバイトも掛け持ちして増える予定ですし、自分で就職先は探しますから」 あわあわと咄嗟に取り繕う私を見て、相馬さんが緩やかにほほ笑んだ。「あのマンションの部屋も、引っ越し資金が出来たらお返ししますので。でも……もうしばらくお借りしてしまうことになると思いますけど」「あそこは本当にいつまででも使ってくれていいんだ。気にしないで。ジンも台湾の仕事が忙しくなったみたいだから由依ちゃんひとりで好きに使ってよ」 私が今、精一杯強がっていることを大人である相馬さんにはすべて見抜かれているだろう。「無理しなくていい。僕を頼ってくれていいんだよ」 相馬さんはやさしい。温かい笑みと共に肩をポンポンとされたらなにも言えなくなってしまう。 懐が深くて、なんて大きな人なのだろう。姉が頼ってしまうのも無理はないと、わかってしまった。 出かけたついでに途中でスーパーに寄って食材の買い物をして、マンションに帰るとリビングに明かりが付いていた。「来てたの」 それはリビングのソファー座るジンの姿で、久しぶりに見る光景だった。 彼の部屋に畳んで置いてあった服を着ていて、なんだか懐かしい気持ちになる。「お茶でも淹れようか」 やはり私に対して怒っているのか、話しかけてもジンは反応しなかった。 だったら、ここに来ないで自分の家に帰ればいいのに。 私は返事を待たずにキッチンに向かい、お湯を沸かしながら買ってきた食材を冷蔵庫にしまった。 お茶を飲みながら話せば少しは機嫌が直るだろう。 甘いお菓子を一緒に出せば効果倍増かも、などと漠然と考えていたとき、気配に気づいてふと振り返る。 するとジンが無表情で私の真後ろに立っていた。「な、なに?」 突然のことに驚いて後ずさろうとした瞬間、彼は私の腰を捉えてグっと引き寄せた。 至近距離で見るジンの整った顔はすごい威力で、鋭い目力で射貫かれるともがくどころかピクリと身動きさえでき
last updateLast Updated : 2025-01-12
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第六十六話

 だけど今の彼の表情をうかがう限りでは怒りは消えている気がする。「由依がやれって言うなら、やるよ……キスシーン。ただ肉と肉がぶつかってるだけだと思って」「……ジン」「だけど俺は、好きな女としかキスしない」 はっきりと言い放たれた彼の言葉を聞いて涙が出そうになった。 今、私だけではなくて彼の頭の中にも、あの夜のキスが思い出されているはずだから。「キスは想い合ってるふたりがするものなんだろ? だから俺は、由依とキスがしたい」 そんな直接的な言葉を、妖艶な色気を纏わせながらジンが言う。 本当に吸い込まれそうなほど綺麗な瞳だと見惚れているあいだに、彼の唇が私のそれと重なった。「ごめんな。俺の仕事のせいで由依に嫌な思いをさせるかもしれない」 未だに唇と唇が触れ合うような距離でジンが切なくつぶやいたけれど、私はそれを否定するように小さく首を振った。「俺のこの気持ちは本物だから」 再び重なった彼の唇はやけどしそうなほど熱くて、すぐに私の唇と舌を溶かし、自然とふたりの吐息も熱を帯びる。 彼が私の髪に指を差し込んで後頭部を支えた。 唇が離れては触れ合うことを繰り返し、そのたびにキスの温度が上がって濃度が増していく。 抱き合って無心でキスをしたまま、いつの間にかリビングのソファーにふたりでなだれこんだ。いや、ジンが私を押し倒したのだ。 彼の瞳はいつもの妖艶さに加え、獲物をとらえる肉食獣に変わっていた。 首筋にキスを落とし、彼の右手が私の太ももを撫で上げる。 愛する人とキスをすると、幸せな気持ちになるのだと初めて知った。 だけどひとつになった今は、もっと幸せだ。 胸は締め付けるようにドキドキして壊れてしまいそうになるのに、温かい気持ちでいっぱいになる。 ジンは甘い声を上げる私をやさしく抱いた。 どうせ逃れられないのなら、この波にいっそ溺れてしまおう。 あのスキャンダル記事は本当なのか、そんな真偽はもうたしかめなくてもいい。 そう思えるほど、今の彼の純粋な気持ちを信じたかった。 私が単なる石ならば、彼は夜空で一番輝く星だ。 その星に手を伸ばしてみたら、今なら届くかもしれない。 誰もが惹かれる彼の“特別な光”に、私も魅せられてしまった。
last updateLast Updated : 2025-01-12
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第六十七話

 大学を卒業し、四月からカフェに加えてアパレルショップでのバイトを増やしてそれなりに忙しく暮らしていると、季節はあっという間に五月になっていた。「なかなか連絡できなくてごめんね。お母さんのこと、なんて話したらいいのか迷っていたら電話できないでいたの」 バイトの合間の時間帯に、私は姉に呼び出される形でふたりでカフェで会った。姉の顔を見るのは五ヶ月ぶりだ。「由依、元気でやってた?」 私の様子をうかがう姉は、メイクがいつもより薄めだからか元気がないような印象を受けた。「私は大丈夫。それよりお母さん……具合悪いの?」 私の核心を突くような質問に、姉は困ったような笑みを浮かべてうつむいた。「施設にお願いしようと思ってる。治療をしながら身の回りのお世話をしてもらえるの」「……そう」 どうやら姉の口ぶりからすると、入れる施設を探している段階ではなく、もう決まったところに入所間近みたい。 相馬さんに相談して姉が決めたのだから、私は反対するつもりはないけれど、費用の面は大丈夫なのだろうか。「私ね、転職するの。相馬さんの系列会社で事務の仕事をする。お母さんが施設に入れたら勤め始める予定なのよ」 以前相馬さんが、母が施設に入れば姉は昼間に母の世話をしなくてよくなるから会社で働けると私に話してくれた。 すべては相馬さんのはからいだと思う。 なにからなにまでお世話になっている相馬さんに申し訳なく思いつつも、心から感謝した。「だから由依、もう少ししたら家に帰ってこられるよ」「………」「帰っておいで?」 なにも言わない私に同意を求めるように姉が顔色をうかがってきて、私は曖昧に笑って軽くうなずいた。 堂々と帰ればいいのだけれど、母が施設に行ったからといってそのタイミングで家に戻るのもなにか違う気がしたのだ。 それにあのマンションは、すでに私にとってはジンと会える特別な場所になっているから去りがたい。 その日、マンションに帰ると会いたかった人が来ていて、いつものようにリビングのソファーに座っていた。 顔を見るのは三日ぶりだけれど、ジンがここにいる光景が当たり前になっていて、まるでルームシェアをしているような感覚に陥る。 部屋で着替えを済ませてリビングに戻ると、ジンはなぜかぼんやりとしていた。「なにかあったの?」 そう声をかけたくなるほど、なんだか今
last updateLast Updated : 2025-01-13
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第六十八話

 私のほうへ視線を向けて力なく笑った彼を見て、予感は当たったのだと確信した。「ちょっとね。やっちゃったんだ、喧嘩」「喧嘩? もしかしてショウさんと?」 小さいころから今まで喧嘩はしてこなかったと言っていたけれど、初めてそういう状況になったのだろうか。 もちろん殴り合いの喧嘩ではなさそうだが、口喧嘩だとしてもジンにとってはかなりのダメージかもしれない。 そんなふうに思考を巡らせていると、意外な言葉が返って来て私は唖然としてしまう。「ショウくんとじゃない。……記者の人」 メキメキと音を立てて嫌な予感がした。「どういうこと?」 詳しい状況は私にはわからないが、どうやら例のスキャンダル記事の件で記者の人に囲まれてしまい、あまりにもしつこかったために咄嗟に言い返してしまったらしい。 そのことでまたショウさんに咎められたのだそう。 しかしあの記事が出てからもう二ヶ月も経っているというのに、未だに追いかけまわされるとは思わなかった。「ショウくんは記者を無視しろって。事実じゃないおかしな記事を書かれて、さらには追いかけまわされて、なんで言い返せないのか俺には意味がわからない」 ソファーの背もたれに頭を乗せて天を仰ぐジンを見ていると、すごく気の毒になった。 こちらも人間なのだからしつこくされたら腹が立って当たり前なのに。 だけどショウさんからすると、熱愛否定は事務所側から発信しているので本人からはもうなにも言うな、とのことらしい。 かける言葉が見つからずにジンの隣にポスンと座ると、彼がゆっくりと体を起こして私に抱き着いた。「ちょ、ちょっと」「由依……」 ハグをされている状態だから顔は見えないけれど、彼の声がやけに切なく耳に響く。「俺、ずっと日本で暮らそうかな」「……え?」「台湾に戻っても追いかけまわされるだけだし。……ここで由依と暮らしたい」 ジンの気持ちは少しだけどわかる気がした。 なにも悪いことをしていないのに、逃亡生活のようなことは誰だって嫌だし、そんなことが続けば精神的に疲れてしまう。「向こうでの仕事はどうするの? オファーが増えてるんでしょ?」「芸能の仕事は……やめてもいい」 それは冗談だと思えない声音で、ジンと視線が合ったが切なくて真剣なまなざしだった。「別にこのマンションじゃなくてもいい。うちの社長の息がかからな
last updateLast Updated : 2025-01-13
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第六十九話

 私がショウさんから呼び出しがあったのは、その翌日のことだ。 場所はポラリス・プロの近くにある落ち着いたカフェで、指定された時間に行くとすでにショウさんが待っていた。「お待たせしてしまってすみません」「いや、こっちこそ呼び出して悪い」 つぶやくように言ったショウさんの顔を、思わず見入ってしまいそうになった。 久しぶりに会ったけれど、目の下にわかりやすいほどはっきりとクマができていたからだ。 仕事で疲れているのもあるけれど、ジンが記者と喧嘩をしたと言っていたのをふと思い出し、その件で対応に追われて寝不足が続いているのではと想像がついた。「顔色が悪いですけど、お体大丈夫ですか?」「大丈夫じゃないね。胃に穴が開きそうだ。だからほら、今もコーヒーじゃなくて紅茶」 最初に笑顔を少しだけ見せてくれたから冗談で大げさな言葉なのかと思ったけれど、ショウさんは実際に紅茶を口にしていたし、「本当は水だけでもいいくらいだ」とつぶやく姿を目にすると、私は愛想笑いさえできなくなった。「ジンに邪魔をされたくなかったから事務所じゃなくてここに呼んだ。用件は、脚本のドラマ化の件」「あ、はい」 ショウさんは組んでいた脚を下ろし、少し伸びた黒髪をおもむろに掻き上げた。 こうして改めて見るとショウさんもなかなかのイケメンだけれど、その整った顔が少しばかり歪む。 要するにドラマ化の話はなくなった、という事だろう。申し訳なさそうにするショウさんに、私は小さく首を振って大丈夫だと意思表示した。「懇意にしているプロデューサーがいると言っただろ? その人が長編ドラマの話を逆に依頼してきたんだ」「長編……」「ああ。しかもジンが主役でね」 ショウさんの戦略では、足がかりとしてまずはスポットの短編ドラマでジンを売り込もうとしていた。 それがいきなり本格的な長編ドラマでの抜擢となれば、こちらとしては願ったり叶ったりだろう。「だから由依の脚本はまたの機会になる。すまない」 誠心誠意私に頭を下げるショウさんに、恐縮しながら「頭をあげてください」と私は言葉をかけた。「いいんです。長編ドラマに起用されるだなんてすごいじゃないですか」 やはり芸能関係の仕事をする人なら、誰もが惹かれるジンの魅力や特別な光に気づくのだ。 そう思うと、私まで自分のことのようにうれしくなった。「てっきり
last updateLast Updated : 2025-01-14
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第七十話

 私が首をかしげると、ショウさんは参ったというように盛大な溜息を吐き出した。「せっかくのオファーなのに出るのは嫌だと。長編だと日本に来られなくなるとか、由依の脚本でないとダメだと言ったはずだとか、ワガママばっかり」 私から視線を外し、ガラステーブルを人差し指でコツコツと無意識に叩く様子がショウさんの苛立ちを表していた。「アイツは本当になんにもわかってない。これは喉から手が出るほどのチャンスなのに」 昨日のジンの『芸能の仕事はやめてもいい』という言葉が脳裏をよぎった。 もしかしてそれをショウさんにも言ってしまったのではないかと懸念したけれど、どうやらそれはまだ告げていないみたい。 単に今回舞い込んだ仕事が嫌だと拒否しているだけのようだ。 今がチャンスだと意気込むショウさんと、やる気をなくしているように思えるジンとでは、第三者である私から見ても確実に温度差がある。「このチャンスを掴むどころか、記者と口論なんかするし」「昨日ジンからそれはちょっとだけ聞きました」「そのことでまた週刊誌の紙面を騒がせてる。第二弾だ」 対応に追われる身にもなれ、と言わんばかりにショウさんは再び盛大な溜め息を吐きだした。 マスコミへの対応と、ジン本人への説得の両方で疲れてしまっているようだ。「昔は俺の言うとおりに素直に行動してたのにな」 ポツリとつぶやいたショウさんの表情に少しばかり寂しさの感情が乗っていて、実の兄のような顔つきに変わった。「ジンは今もショウさんのことを大切に思ってますよ」「そうかな。俺よりも大切にしたい相手が出来たんじゃないか?」 その言葉と同時に視線を差し向けられ、途端に居心地が悪くなった。 遠回しだったけれど、ショウさんの鋭い目を見れば本当に言いたいことがなんなのかわかってしまった。 だけど私はわざと気づかないフリをして話を元に戻した。「記者の人に言い返したことで、それをまた記事にされちゃったんですか?」「ジンの話によると、俺がいないひとりのときの仕事帰りを狙って記者が突撃取材してきようだ。そこでいきなり『日本にも同棲している恋人がいるみたいですが二股交際ですか?』と聞かれたらしい」「え?!」 てっきりドラマで共演した女優との熱愛報道の火種がまだ消えていないのだと思っていたけれど、今のショウさんの発言で頭が一瞬でパニックになっ
last updateLast Updated : 2025-01-14
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第七十一話

 静かな口調のショウさんとは対照的に、私の心臓はバクバクと早打ちが続いている。 同棲はしていないし、記事には虚偽が混じっているけれど、その日本の恋人とはどう考えても私のことだろう。「しつこく聞かれてジンが切れたんだ。『二股なんかするわけない! 誰と交際しようと俺の勝手だ!』と。その態度で記者を敵に回し、反撃とばかりに面白おかしく派手に書かれた。Harryは二股は否定したが恋人がいるのはたしかだとか、根っからの女好きだとか」「そんな……」 ショウさんの詳しい説明を聞き、私は唖然としながらも顔から血の気が引いた。「君の存在をチラつかされて頭にきたジンの負けだ」 ショウさんはそう言うけれど、記者たちがやったことはペンによる暴力だと思う。 あまりにも事実無根ならば名誉棄損で訴えてもいいけれど、おそらくマスコミはギリギリの範ちゅうで仕掛けているからショウさんは困っているのだろう。 そんな目にあっているジンが心配だ。「マスコミは俺がどうにかして押さえる」 ショウさんが力強く言うのだから、任せておけば本当になんとかしてくれそう。「ジンを守るのが俺の役目だからな」 ショウさんは有言実行という言葉が一番似合う人だと思う。 表向きは仲が悪くなったように見えても、ショウさんとジンはお互いに大切に想っている。 血は繋がっていなくとも、ふたりは兄弟のように切っても切り離せない関係だ。 マンションに帰ると明かりが付いていて、ジンがリビングのソファーに座りながらスマホを耳に当てて電話をしていた。「だから、ここは俺の大切な場所なんだよ!」 ジンが発する言葉の言い方が普段と違って少々荒々しい。 本気で怒っているわけではないけれど、イラついている感じだ。「ここは社長が管理してるマンションなんだから、なんとでも言い訳できるよ。記者には十分気を付ければいいんだろ?」 誰と電話しているかは尋ねなくてもショウさんだとわかったし、今口論している内容も先ほど私が聞いた話だと想像がついた。 自分の部屋に荷物と上着を置いてリビングに戻ると、ジンはもう電話を終えていた。「今の電話、ショウさん?」「ああ」「ここには来るな、って言われた?」 なぜ会話の内容がわかるのだ、とジンが目を見開いて驚いていた。 日本での同棲疑惑が囁かれているのだから、ここの場所がバレている可能性
last updateLast Updated : 2025-01-15
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