All Chapters of それだけが、たったひとつの願い: Chapter 11 - Chapter 20

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第十一話

「あっちの部屋は鍵が付いてるし、俺に襲われるのが心配なら中から鍵をかければいいよ。それか、社長が住んでるマンションに泊めてあげたら?」「ダメだ。親子ほど年が違うとは言え、俺も一応男だからな」 今度は相馬さんとジンとの間で押し問答が始まってしまう。 なんだか私のほうが疲れてきて、暖かい部屋の布団で足を伸ばして眠れるなら正直どこでもいい気持ちになってきた。 ジンも社長も確かに性別は男性だけれど、姉と違って私のような色気のない女に間違っても変な気は起こさないだろう。「あの、私は向こうのお部屋でも全然構いません」 こうなるとどこだって同じで、選択肢も限られている。 だとしたら、再び行き場を求めてさまようよりも、ここに落ち着いたほうがいいはずだ。「由依……」 そばにいた姉が途端に心配そうな声を出した。「大丈夫だよ。最上階だし広くて綺麗だよね」 私はここを気に入ったふりをして笑ってみせたのだけど、姉を上手く騙せただろうか。「あっちの部屋、見せてもらってもいいですか?」 相馬さんに声をかけると隣の部屋へ案内してくれたが、姉はまだ不安そうな表情をしていた。 案内された部屋の中にはたしかにベッドが設置されており、広めの寝室といった感じだった。 エアコンもあるし、部屋全体が綺麗に清掃されている。壁に向かって机と椅子も置いてあったから、そこで本を読むなり勉強するなりできそうだ。「すごく広いですね。私はパソコンとスマホさえあれば大丈夫なので、十分です」 家を出るとき、私はいつも使っているノートパソコンだけは持って来た。 それさえあれば、私の娯楽なんてどうにでもなるのだ。「もちろんwifiは繋がるよ」 それは本当にありがたくて、ほかに足りないものはないから大丈夫だと相馬さんに微笑み返した。「由依ちゃん、申し訳ないけど今日だけ我慢してくれるかな。明日からはきちんと自分の家に帰るようにジンに話をするから」 リビングにいるジンには聞こえないような小さな声で、相馬さんが私に本当にごめんねと手を合わせた。 元はといえば姉が頼ってしまったのが発端だろうし、相馬さんが謝る必要はなにもない。 私も姉も、感謝こそすれ文句なんて言ったらバチが当たる。「香ちゃんは帰らないとね。お母さんのこと心配だろ」 相馬さんの言葉に、姉が渋い表情のまま「はい」と返事をした。
last updateLast Updated : 2024-12-21
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第十二話

「香ちゃんを車で送ったあと、僕がまたここに戻ってこられたらいいんだけど、ちょっとこのあとどうしても外せない仕事があって……」 相馬さんは腕時計で時間を確認しつつ、どうしたものかと考えこんでしまった。「私のことは気にしないでください。なにか困ったことがあれば名刺の番号に電話、ですよね」 電話をしなくてはいけないような非常事態は、この一晩で起こらないだろうけれど、相馬さんと姉を安心させるために今はそう言うしかない。「由依ちゃん、申し訳ない。あとで香ちゃんに由依ちゃんの番号を聞いておいて、僕からも気になったら連絡するからね」「わかりました」「それに、今日はジンもいるから。僕に電話しづらいことなら、ジンに言ってくれても構わないよ。彼は悪いヤツじゃないし、話し相手くらいにはなるかな」 じっと黙って聞いていたけれど、苦笑いする相馬さんにどう返事をしていいかわからずにさすがに困ってしまった。 私が不安だったり寂しかったらかわいそうだと、相馬さんが気を遣ってくれているのはもちろんわかっている。  だけど今日は特に精神的に打ちのめされていて、心の中がめちゃくちゃで、到底そんな気分ではないのだ。 初対面のジンと愛想よく喋る気力なんて私にはもう残ってはいない。 それでも相馬さんには、わかりましたと取ってつけたような笑みを顔に貼り付けた。 今の私には、そう振る舞うことしかできない。「由依、お母さんのことは私にまかせて。できるだけ早く由依が家に戻れるようにするから」 姉の口調は真剣だけれど、その瞳は不安でいっぱいだった。 結局、姉も今のところ具体的な解決策は思い浮かばず、どうしていいのかわからないのだろう。「お姉ちゃん、無理しないでね。身体に気をつけて」 軽く微笑み、肉付きのない華奢な姉の背中を玄関先でポンポンとさする。 姉は元々細身だけれど、また痩せたようだ。 相馬さんがこの部屋の鍵を私に渡すと、姉とふたりで玄関を出た。 その背中を見送り、扉がガチャリと完全に閉まると身体の力が抜けていく。 私は先ほど案内された部屋へ再び戻り、この空間がしばらくは私の住処なのだと考えたら、どうしようもなく泣きたくなってきた。 椅子に座り、両手で顔を覆うと涙が出そうになったけれど、それを払しょくするようにふるふると小刻みに頭を振った。 もうなにも考えられないし、
last updateLast Updated : 2024-12-22
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第十三話

 放心状態でぼうっとしていると、コンコンとノックの音が聞こえたのでおそるおそるドアを開けてみる。 私の態度が気に入らないのか、扉の前に立っていたジンの眉間にはシワが寄っていた。「警戒心丸出しだな」 今日が初対面なのだから、それはある程度仕方ないと思う。いきなりフレンドリーな態度のほうがよほどおかしい。「もう一度言う。襲ったりしないから。手を出せば、いくらあの社長が温和でもきっと殺される」 襲わないと宣言してくれたのだから、それでいいのだけれど、彼の目力に圧倒された私は呆然としてしまった。「とりあえず、風呂入れば?」「……え?」 急に話題が変わり、今度はいったいなんの話なのかと不思議そうにジンを見つめた。「湯船に熱いお湯を張り直したから温まればいい。堅苦しい格好をしたままだと窮屈だろ。それを言いに来ただけだ」 彼なりに私に気を遣ってくれたのだろう。 言い方は淡々としていたけれど、私のためにお湯を張って準備してくれたのだから。 相馬さんの言っていた通り、彼は悪い人ではないのかもしれない。 それに、ジンに指摘されて、自分の格好がリクルートスーツのままだったと気がついた。 着替えるつもりだったのに、そんな時間すらなくアパートを出てきてしまったから、未だに就活用の戦闘服を着ていた。「バスルームにあるシャンプーとか、社長が高級ホテルみたいに洒落たやつを揃えてる。好きに使えばいい」「本当に使っちゃっていいの?」 目を丸くする私がおかしかったのか、ジンがフフッと声に出して笑った。「俺は遠慮なく使ってる。社長はそんなことで文句は言わない」「……ありがとう」 頭を下げてお礼を言うと、ジンは私の頭にポンと軽く手のひらを置いてから立ち去っていく。 その何気ない笑顔が本当に綺麗で、ドキンと心臓が跳ねた。 姉が用意してくれたボストンバッグの中身を見ると、下着や部屋着まで一通り詰め込んでくれていた。 とりあえず今使う分だけ引っ張り出して、バスルームへと向かう。 タオルの場所を探そうとしたが、高級ホテル並みにふかふかなものが、すぐにわかるようにきちんと積み重ねて置いてあった。 バスルーム自体も我が家とは比較にならないほど広くて、私には贅沢すぎる。
last updateLast Updated : 2024-12-23
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第十四話

 湯船に浸かると体の芯が温まって身も心も溶けそうになり、疲れが取れていくのがわかった。 いつもとは違うシャンプーの匂いをまといながらそっとバスルームから出ると、キッチンからカチャカチャと茶器の音がしていた。「由依も飲む? 紅茶、コーヒー、日本茶、烏龍茶があるけど」「あの、なんで私の名前……」「さっき社長たちがそう呼んでただろ」 それはそうだけれど、突然親し気に名前で呼ばれて戸惑ってしまった。「社長から聞いたと思うけど、俺はジン。よろしく」 ジン……短くて呼びやすいけれど、下の名前だろうか。 もしかしたら名前の一部を取ったニックネームかもしれないが、特にそれ以上は聞かなかった。「烏龍茶にしよう。本場のうまい茶葉があるんだ」 私の答えを待たずにジンは勝手に烏龍茶を淹れ始めた。きっと自分がそれを飲みたかったのだろう。 ジンのそばにおもむくと、急須からお茶の良い香りが漂っている。「ここに置いてあるもの以外に、冷蔵庫の中にも水とかジュースとか飲みものが入ってるし、自由にどうぞ」「私が勝手に飲んでもいいの?」「ああ。飲んだらその分補充されるから」 言われた意味がまったくわからなくて首をかしげた。 勝手に飲み物が湧いて出てくるわけではないのだから、誰かが冷蔵庫に入れてくれているはずなのに、と。「誰が補充してるの?」「社長に雇われてる人」 会話がかみ合っていないような気がして、幾分気持ちが悪い。自然と考え込むように、私は眉根を寄せてしまう。「要するに、部屋をメンテナンスしてくれる人がいるんだ。冷蔵庫の中身を補充したり、隅々まで掃除してくれる人」 キッチンの棚に何気なく目をやると、お店の商品の展示かと思うくらい綺麗に紅茶などが整頓されて並べられているし、ホコリひとつ付いていない。 ジンがここまで几帳面にひとりで掃除をしているとは思えないから、先ほどの説明通り、相馬さんが業者にお願いしているのだろう。 お茶の準備を終えたジンが茶器のセットを持ってリビングへと向かい、そのあとを追いかけるように私も続いた。
last updateLast Updated : 2024-12-23
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第十五話

 ふたりでリビングに敷いてあるフカフカのラグの上に腰を下ろす。 床暖房が効いていて心地よく、やさしい温もりに包まれている気分だ。「お茶、ありがとう」 淹れてもらった烏龍茶は、鼻に抜ける香りが良くておいしかった。「さっき社長から電話がきて、デリバリー頼んだって。なんとなくだけど豪華な飯が届きそうだよな」 相馬さんが気を遣って、ここに食べ物が届くように手配してくれたらしい。 爽やかな笑みを向けられると、私もつられて笑みを返してしまう。 ジンは本当に端正な顔立ちをしていて、見れば見るほどイケメンだと気づいた。「社長が俺から掃除の件を説明しとくように、って」「掃除?」「業者の人が定期的に来るから掃除と洗濯はしなくていいんだ。ゴミも分別して置いとけば出してくれるし、必要なものがあったら買っといてくれる」 やはり家事代行サービスのような感じなのだろう。 清掃だけでなく家事全般をお願いしているから、ジンが使っていても部屋がこんなに綺麗に保たれているのだ。「相馬さんに悪いよね」「社長もモデルルームが汚いとまずいし、いいんじゃないか」 だけど私たちの後始末を業者の人にさせるようで申し訳なく思うから、出来るだけ自分のことは自分でしようと心に決めた。「由依が出かけてる昼間に来てやってくれるから、帰ってきたら全部綺麗になってる」 あきらめて任せておけばいいとでも言いたげな彼の表情に、私はクスリと笑ってしまった。 なぜだかジンは不思議な空気をまとう人だ。「あなたがここを気に入る理由、わかる気がする。温かみのある部屋だもの」「だろ?」「なのに私が追い出すみたいで、ごめんなさい」 住んでいないとしても彼にとってこの部屋は快適な空間だったはずなのに、それを私が奪う形になるのだと複雑な気持ちになった。「母さんとなにかあったのか?」 なんでもないようなトーンで尋ねられたけれど、私は瞬間的にグッと喉をつまらせた。 昨日から今日にかけて出来たばかりの心の傷に触れられると、さすがに痛い。「由依の姉さんがそう言ってたしな。ただの家出なら社長はこんなに助けないだろうし、ワケありか?」 本質をつくような質問に私は絶句してしまい、しばし沈黙が流れた。
last updateLast Updated : 2024-12-23
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第十七話

「ま、答えたくないならいいよ。社長に聞いとく」 母親が精神を病み、私を見ただけで暴れるなんて知ったら、普通の人はかなり驚くだろう。それを初対面のジンに言えるわけがない。「ねぇ、ジンのお母さんって、どんな人?」 きっとやさしいお母さんだろうと想像が膨らんだ。 きちんと食事をしているかと電話でいつも息子を心配するような料理上手な人で、時には口うるさいしっかりとした母親のイメージが湧いた。 ジンがイケメンということは、お母さんも美人なのだろう。「どんなって……普通だったかな」「だった?」 なぜ過去形なのかと、反射的に聞き返してしまう。「七歳のときに別れたまま会ってないから、記憶が薄らいでる」 驚いた、というより私の想像とはまったく違ったから意外だった。「そんな顔すんなよ。ま、俺も家族に関しては十分ワケありだ」 お母さんについてそれ以上ジンに尋ねられなかったけれど、〝亡くなった〟という言葉はなかったから、生き別れかもしれない。今は離婚なんて珍しくない時代だ。「それより、由依の姉さんと社長って、どんな関係?」 相馬さんの存在を今日知ったばかりの私にそれを聞かれても困るけれど、私もすごく気になっていることだ。「年の差がありすぎだけど、付き合ってるのかな?」 ジンが烏龍茶をひと口飲み、柔らかい笑みを浮かべてそう言った。「私も知らないの。ところで相馬さんって独身?」「ああ、今はな。ずいぶん前にバツは付いてるみたいだけど」 相馬さんが元既婚者だとしても、今は独身ならとりあえず不倫にはならない。内心ホッとして口元が緩んだ。「年の差はあるよね。相馬さんはいくつ?」「えっと……四十四かな」「え?! 若い!」 てっきりまだ三十代だと思っていたのに、相馬さんは私の予想をはるかに超えた四十代半ばだった。「社長は若く見えるよな」 ジンの言うように見た目は相当若いけれど、あの落ち着いた紳士的な態度は四十代で納得だ。 しかし、相馬さんが四十四歳で姉が二十四歳だから、親子ほどの年の差がある。 ぼうっとそんなことを考えていたら、会話が途切れたタイミングで玄関のチャイムが鳴った。「デリバリーが来たな」 玄関先に向かったジンが、届けられたものを両手で抱えてリビングへと戻ってくる。 ふたり分にしては多そうな量だった。「絶対チキンだ」 包みを開けも
last updateLast Updated : 2024-12-24
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第十八話

「もしもし。……うん、届いた。ありがたくいただきます」 明るい声で相馬さんと話していたジンが、しばらくすると私に自分のスマホを差し出した。「社長が代わってくれって」 あわててスマホを受け取って耳に当てると、「もしもし」と低くてやさしい声が聞こえてきた。『由依ちゃん、 なにか困ってない?』「ありがとうございます。大丈夫です」 相馬さんの気遣いがうれしくて、電話なのにペコリと会釈してしまった。 これだけ至れり尽くせりなのだから、困ったことを探すほうが難しいくらいだ。『勝手だけど、夕飯をそっちに届けさせたからジンとふたりで食べて。キッチンにシャンパンやワインもあったと思うから、飲んでかまわないよ』「食事のことまですみません。お忙しいのにお気遣いいただいて感謝しています」『いや、謝るのは俺のほうだ。どこか外のうまい店に連れていってあげたかったけど、今日は難しくてね。だけど、由依ちゃんも今夜はゆっくりできる場所のほうがよかったかな』 姉に好意があるからという理由を差し引いても、妹の私にここまでしてくれるのだから相馬さんはやさしい人だ。 相馬さんみたいな人が父親だったらよかったのにと、ふと考えてしまった。 それなら我が家はみんな幸せだっただろう。『メリークリスマス。大丈夫、きっとこれからは由依ちゃんに幸せな毎日が訪れるよ』 その言葉が胸に響いて、目頭が熱くなってくる。 なにか救われた気がしたし、蒸発しそうになっていた魂が戻ってきたような気もした。 私が電話を終えてすぐ、ジンがキッチンから白い箱を持ってきて私の目の前に広げる。「これ、俺ひとりで食いきれないから、由依がいてよかった」 白い箱の中身は、イチゴとベリーがたっぷりと乗った豪華なクリスマスケーキだった。 これをひとりで食べるのはたしかに多すぎる。「このケーキ、めちゃくちゃうまいから。生クリームの甘さが絶妙」 イケメンのジンが言うと、まるでCMみたいでなんだかおかしい。 私は笑みを浮かべているはずだったのに、自分でも不思議なくらい急速に目に涙が溜まっていくのがわかった。「なんで泣くんだよ」 私の異変に気づいたジンが途端に血相を変え、あわてて笑みを引っ込めた。 涙の理由は、こんなにも素敵なクリスマスを送れると思っていなかったからだし、相馬さんやジンの温かさややさしさがうれし
last updateLast Updated : 2024-12-24
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第十九話

◇◇◇ 朝目覚めると知らない天井が視界に映り、私は昨日家を出たのだったと寝ぼけながらも自覚した。 なぜこうなったのだろう。昨日のことが夢みたいに思えたけれど、これは紛れもない現実だ。 ベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗ってからキッチンへと向かう。 仕切りがなく繋がった空間のリビングに視線を移すと、ジンが毛布にくるまってソファーで眠っていた。 そんなところで寝たら風邪をひくかもしれないと一瞬心配になったが、部屋は暖房がきいていて暖かいから大丈夫だろう。 とりあえずジンを起こさないように、静かにケトルでお湯を沸かした。 勝手に飲んでいいと昨日教わっていた個包装のドリップコーヒーとカップを拝借する。 やはり相馬さんに申し訳ないので、今後は自分で買い足そう。 食費だけなら私のバイト代でまかなえるし、なにからなにまでお世話になっていてはいけない。 ケトルを見つめつつお湯が沸くのをボーっと待っていたら、突然人の気配がして振り向く。 するとそこには、起きたばかりのジンの姿があった。「おはよう。ごめん、起こした?」「いいよ。俺は夜型だけど、今日は早めにここから脱出しないと捕まるから」 ジンの言葉を聞いて、まさか警察が捕まえにでも来るのかとおかしな妄想をしたものの、まさかそんなわけはないと思う。 朝っぱらから冗談を言ってるのだと軽く流していたら、ジンが洗面台のほうへ向かった。 リビングの分厚いカーテンを開けると、まぶしい朝日が差し込んだ。 今朝は雲ひとつない晴天で、窓の外は空気が澄みきっているのか景色がくっきりと見えた。タワーマンションの最上階からの眺めは、さすがに見事だ。 リビングに戻ってきたジンは、先ほど私が目にした人物とは別人のようにシャキッと目覚めていて、心なしか顔の彫りも深くなった気がする。 相馬さんが社長をしている『ポラリス・プロ』という芸能事務所は、素人には聞き覚えのない名前なので大手ではないのだろう。小さな個人事務所なのかもしれない。 とはいえ、ジンはそこに所属しているのだから芸能人だ。 特に二重瞼がキリッとしていて目力が抜群だし、笑うと左側の頬にだけ軽くエクボができるのが特徴的でカッコいい。 精神的に余裕がなかった昨日も彼をかなりのイケメンだと認識してはいたが、明るい朝日に照らされたジンを目にして私はさらに圧倒されてし
last updateLast Updated : 2024-12-25
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第二十話

「由依は今日、なにするんだ?」 見惚れていたら、淹れたてのブラックコーヒーの香りを楽しみながら不意にジンが尋ねた。「大学に行って求人の確認をしてから、カフェのバイトに行く」「授業もないのに大学へ行くのか。今日はクリスマスなのに、就活大変そうだな」 まだ内定ゼロの私にとって就活は死活問題で焦っているけれど、ジンにとっては完全に他人事なのだろう。「ジン、就活は?」「俺はまだ大学三年だしな」「もしかして私より年下?」 なぜかわからないけれど、てっきり同い年だと思いこんでいたので驚いてしまったが、ジンは二十一歳で、私よりひとつ年下だった。「ひとつ違いなら、同い年みたいなもんだ」 ジンがフッと口もとを緩めて笑った。「今後も芸能活動をしていくなら就活はしないよね。今も大学へ行きながら芸能の仕事してるの?」 ジンは間違いなくイケメンだけれど、申し訳ないが私はテレビや雑誌などにジンが出ている記憶はない。 芸能の仕事をしているとしても、なにかの雑誌に小さく載る程度のモデルだろうか。 もしくはドラマのエキストラか、どこかの劇団員か。 芸能人とひと口に言ってもいろいろあるし、私が知らないだけかもしれない。「仕事はちょこちょこと。ミュージックビデオの出演とか」「すごいね。誰のMV?」「由依の知らないアーティストだよ」 話に食いついてみたけれど、苦笑い気味にするりとかわされた。 彼がその映像にどれだけの時間映っているのか、露出度は詳しくわからない。 だけどMV出演なんてすごい仕事なのに、ジン本人はどうも言いたくなさそうに見えた。 もしかしたら、ほんの数秒しか映っていないことも考えられるけれど。 そんなふうに思考を巡らせていると、突然玄関のチャイムが鳴った。 朝早くから誰だろう、などと考えなくても、きっと相馬さんだ。 昨夜のご飯のお礼を改めて言わなくてはいけない。 相馬さんとジンのおかげで、身も心も凍えずに済んだのだから。「もう来たのか。やばい、絶体絶命だ」 室内にあるモニターでドアの前に立つ人物を確認すると、ジンはすぐに応答することなく両手で頭を抱えた。 よくわからないけれど、訪れたのは相馬さんではなさそうだ。
last updateLast Updated : 2024-12-25
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第二十一話

「どうしたの?」 私がそう声をかけると同時にピンポンともう一度チャイムが鳴り、間髪入れずにそれは何度か続いた。「え……誰?」 私がモニターを覗き込むと、知らない男性が鬼のような形相でチャイムを連打していた。 ジンが一緒だったからいいものの、私ひとりだったら相当怖い光景だ。「由依、ごめん。今から台風が来る」「……は?」「大丈夫。標的は俺だから」 どういう意味かさっぱりわからなくて、私がポカンとしたままでいると、ジンはフーッと息を吐きつつ観念したように玄関先へと向かった。 ガチャリと玄関ドアの開く音がすると同時にものすごい剣幕で怒鳴っている男性の声が聞こえ、その人物がリビングに近づいてきて、私は一瞬で身体が固まってしまった。 こんなに驚いたのはいつぶりだろう。 ジンが困ったような微妙な表情で戻ってくると、それに続いて大声を出していた男性が姿を現した。 長めの黒髪をしたその人は背の高いジンよりもさらに長身で、切れ長の瞳で整った顔立ちをしていた。 濃いグレーのコート姿もスタイリッシュで素敵なのに、怒っているので今は全部が台無しになっている。 私がなぜここまで驚いたかというと、見た目は日本人なのに男性がわめくように発している言語が日本語ではなかったからだ。「ショウくん、待った。日本では日本語の約束だろ」 笑いながらジンにそう言われた男性はカーッと顔を赤くさせたあと、さらに眉が吊り上がった。 平和に話し合うのが一番だから、とりあえずこれ以上怒らせるのはやめてほしい。「怒り心頭のときには母国語が出るんだよ!!」 この男性はおそらく外国人だろうから、日本語が話せるとしてもカタコトだと思っていたら、今度は流ちょうな日本語が飛び出したので私はまたそれに驚かされた。 ジンはこの男性のことを“ショウくん”と呼んだけれど、どこかで聞き覚えがある。 どこだったか、と記憶をたどると、昨日相馬さんとジンとの会話で出てきていた名前だと思い出した。「ジン、俺を怒らせるお前が悪…………」 その男性はリビングの隅にそっと立つ私の存在に気づいた途端、話の途中で言葉を詰まらせた。
last updateLast Updated : 2024-12-25
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