長年にわたって罵られ続けた。それなら本当に一度、恩知らずになってみるのも悪くない。県大会で優勝してみせる。絶対に全国大会で一位を取る。そして、国家代表選手団に選ばれてやる。ここを出て、自分の本当の居場所を見つけてみせる。11、私は神様に恵まれたことはなかった。県大会は県庁所在地で行われる。この小さな町から県庁まで行くのには、かなりの時間と費用がかかる。父がくれた二千円、ずっと使わずに大切にしていたが、それでも全然足りなかった。指先が、祖母からもらったネックレスのペンダントをそっと触れる。これは祖母が私に遺してくれた唯一のものだった。祖母は亡くなる前、このペンダントを私の手に握らせてこう言った。「貯めた金はここに全部入ってるよ。清良、金が必要になったら、おばあちゃんのペンダントを売ってね。絶対にためらっちゃいけないよ。清良が数学者になるところを見たかった、もうできないみたいだ……でもおばあちゃん、天国から清良を見守っているからね……」おばあちゃん……おばあちゃん……涙が堰を切ったように溢れ、視界がぼやける。何度も何度も祖母の言葉を心の中で繰り返す。ペンダントを握る手に力が入っていく。その瞬間、私は完全に決意した。おばあちゃんの期待を絶対に裏切らない。優秀な数学者になるんだ。買取店に足を踏み入れたその時、神様が私に微笑むなんて、夢にも思わなかった。安奈が私を見つけ、目を輝かせながら言った。「私も県大会に行くの!一緒に行かない?」彼女の好意を拒むことはできなかった。握りしめたペンダントが、より一層重く感じられる。こんな小さな県城から県庁まで、17年かかった。そして試験会場に座った時、私は無意識に緊張していた。この数日、図書館でたくさんの問題を解いたが、それでも緊張は収まらなかった。これが私にとって唯一、母から離れる方法だったからだ。ペンのキャップを閉じた後も、手の震えが止まらなかった。試験が終わり、安奈は目を赤くしてこう言った。「絶対落ちたわ」そして私に抱きしめながら言った。「清良は絶対、全国大会に行ってね!」「清良?」背後から、聞き覚えのある懐かしい声がした。安奈は驚いたように声をあげた。「児島先生!」しかし、私は振り返ることができなかった
「私が本当に優勝者なの?」不安げに尋ねると、児島先生は微笑んで頷いた。「おめでとう、清良。君は見事に次の大会に進む資格を手に入れたんだよ!」その知らせはすぐに学校にも届いた。初めて授業に戻った日、母は授業中にもかかわらず、教室に飛び込んできた。授業中の先生を気にも留めず、クラス全員の前でこう叫んだ。「あんた、数学のテストはいつもぎりぎり合格するだけじゃないか!いったいどうやって大会に入った!」「もし疑いがあるなら、公式に通報して調査をしてもらってください」授業の先生は慌てて母を宥めようとした。「カンニングだなんて、清良が運が良かったのかもしれませんよ」そうだ、私のような長年ぎりぎりの成績を取っていた生徒の話は、信じられるはずがない。「諸谷さんも、こんな良い知らせがあったなら、どうしてお母さんに教えなかったの?君じゃなくて、校長先生から聞いたから、お母さんが怒ったのよ」「カンニングをする娘なんて、私にはいらない!」母はそう言い残し、学校を出てすぐに教育委員会と大会運営に私が不正をしたと通報した。母が私の味方をしてくれないことはわかっていたが、まさか私を追い詰めようとするなんて思いもしなかった。もし私が本当にカンニングしていたなら、彼女は正義感溢れる母親として称賛され、私は一生再起できないだろう。幸いなことに、私は完全に潔白だった。教育委員会と大会運営からの返答はどちらも、諸谷清良に不正の疑いはない、という内容だった。真っ白な紙に、私の潔白がはっきりと記されていた。私のこの成績は、全くもって正当なものだった。しかし、母は自分の過ちを認めるはずもなく、ただ授業の先生の「運が良かった」という言葉に乗っかるだけだった。だが、それでも別の声が聞こえ始めた。「清良は、これまで毎回数学のテストがぎりぎり合格点だ。一点も多くも少なくもなく、いつも同じだ。もしかして故意なものでは?」その言葉が放たれると、職員室は静まり返った。そうだ、何年もの間、問題の難易度に関係なく、私の成績は常に合格点だった。今さらそんな話をされると、まるで私がわざと点数をある程度に絞っていたかのように思えてしまう。その場には、息を呑む音が広がった。母の顔は青ざめていた。やがて、誰かがその静寂を破った。「
ランニングの列がぴたりと止まり、周囲の視線が私と母の間を行ったり来たりしていた。私は人混みから歩み出た。母が私に数学を学ばせるわけがない。ましてや、私が数学の賞を取る姿など見たくもないだろう。「諸谷先生、忘れたの?私を家から追い出したのはそっちでしょ」「親子の間で揉め事があるのは普通のことよ。過ぎたことなんだから、もういい加減にしなさい」感情論で訴える、これは母の得意技だ。こう言われると、周りの知らない人たちはすぐに慰めの言葉をかけてくる。まるで、私が母との間にわだかまりを持つことが、全て私のせいに見えてくる。誰も知らない。私はこの何年も、生きることさえも苦しい日々を送っていたことを。母が「私の母」と名乗るのは、こういった時だけだということを。でも、今回は違った。児島先生が列の最前列から息を切らせて駆けつけ、私を守るように後ろに引き寄せた。「諸谷清良、この恩知らずめ!言っとくが、今日私と一緒に帰らないなら、これから先、一生大学入試なんか受けられないからな!」「身分証明書は渡さない!大会にも出場する資格なんかない!いくら天才でも、何の意味もない!」母は、私の急所を握りしめていた。どうすれば私を完全に壊せるか、よく分かっていた。手が震え出し、感情が溢れ出しそうになったその瞬間。児島先生が私の手をしっかりと握り、耳元でそっとささやいた。「信じて」「こちらの保護者様、特にご用がなければ、お引き取りください。さもないと、今すぐ警備員を呼びますよ。大事にしたくないでしょう?」母が何よりも気にしているのは体面。だからこそ、かつて父を追い求めて失敗し、病気の祖母を置いて町に出て行ったのだ。母は私を鋭く睨みつけた。「絶対に試験なんか受けさせないから!」体が力なく後ろに倒れた。私は彼女に生まれたというのに、あんなに私を期待してくれていたというのに、最初は確かに愛してくれていたはずなのに。いったい、いつからこうなったのだろう。人はいつか、親が自分を想像通りには愛していないことを受け入れなければならない。児島先生が私の手をしっかりと握り、その温もりで私は我に返った。「身分証明書は再発行できるし、臨時の身分証明書も出せる。それに、最悪の場合でも公式に事情を説明すればいい。君は絶対に最高の数
右手の感覚がだんだんと薄れていく。私は全力を振り絞って母を突き飛ばし、ふらふらと前へ走り出した。しかし、出血が多すぎて力が入らず、そのまま地面に倒れ込んでしまった。レンガを手にした母が一歩一歩私に近づいてくる。その顔には不気味な笑みが浮かんでいた。私の右手がここで折れてしまうと思った瞬間、通りがかった大学生たちが私に気付いた。母はその様子を見て立ち止まり、何事もなかったかのように後ろを向いて自転車に乗り、急いでその場を去った。きっと神様も私を哀れんだのだろう。偶然にも、その大学生たちは医学部の学生だった。彼らは誰かがすぐに120番通報し、他の人たちは簡単な応急処置をしてくれた。結果、手は助かった。しかし、しばらくの間、右手は使えない。児島先生が慌てて駆けつけ、ギプスで固定された私の右手を見て目を赤くしながら、涙をこらえていた。「無事でよかった、無事でさえいれば……」彼女は頭を下げた瞬間、素早く手を拭って涙を隠した。今年、私がずっと準備してきたコンテストは本当に手が届かなくなってしまった。麻酔がまだ効いているせいで、言葉を発するのも少し辛い。「児島先生、左手でも字は書けますよ」その瞬間、少しだけ安心した。母に閉じ込められていた幼い頃、何もすることがなくて、自分の手で遊んでいた。そのおかげで、私は左手も右手と同じくらい器用になったのだ。そして、母にこのことを話さなかった自分に、改めて感謝した。もし父が左利きだということを母に伝えていたら、私の左手ももう使い物にならなかっただろう。児島先生はもう我慢できず、私を抱きしめて大声で泣き出した。「辛いことはあるけど、いつか必ず幸せになれるよ。一緒に苦難を乗り越えましょう、清良ちゃん」15、児島先生は、私を轢いたのが母だと知ると、ためらうことなく警察に通報しようとした。しかし、私はそれを止めた。母との親子の絆に未練があるわけではなかった。ただ、この機会を使って自由になりたかったのだ。児島先生は母に連絡し、監視カメラの映像を使って脅迫した。母はすぐに病室に現れ、ギプスを巻いた私の右手を満足げに見つめた。「コンテストに出るなら私が送ってあげるよ?」その一言は、心を刺すような言葉だった。もし私が本当に右利きだけだったなら、今の私はその言葉を聞
16、大会が終わった後、児島先生は私を誰も知らない場所に連れて行ってくれた。私と彼女以外、その場所を知る者はいない。授業もオンラインに切り替えられた。もう一切のミスは許されない。大会の結果が発表されれば、母は私が左利きだといずれ知ることになるだろう。成績が発表されたその日。職員室の先生方が母に祝辞を述べていた。当然、母は信じなかった。「何を言ってるの?杨轻の右手は折れてるのよ、どうやって字を書くっていうの?きっと見間違いだわ」先生はすぐに母を連れて、学校の成績や他の細かい点まで丁寧に確認した。「間違っていません。清良は本当に天才だよ」母はふらつきながら、何度も「違う、違う」と呟いていた。そして、再び教育委員会や大会運営に報告し、今度は児島先生の塾が審査委員会を買収したと疑いをかけた。しばらくの調査の後、塾の潔白が証明された。母は次に機械のミスだと主張したが、職員は母に対して不耐煩な様子を隠さなかった。「あなたって母親資格じゃない?自分の娘が成功するのがそんなに嫌?」何度も検証されても、私の成績は潔白だった。最終的に、母はようやく私が左利きであることを知った。彼女の最初の反応は、私の左手も使えなくしてやろうというものだった。だが、彼女は私の居場所を見つけることができなかった。そこで、母は直接決勝戦の試験会場の外で待ち伏せすることにした。しかし、それくらい私やあ児島先生は想定していた。国家レベルの選抜試験がそんな簡単に邪魔されるはずがない。結局、彼女は私が数人の警察に護衛されながら試験会場に入る様子を、ただ見守るしかなかった。母が怒りで歯を食いしばる姿を見て、私は思わず笑ってしまった。そして、器用な左手を高々と掲げた。私は絶対に優秀賞を手にし、より高い表彰台に立つ姿を母に見せてやる。17、運命は再び私に微笑んだ。私は優秀賞を獲得し、東大への推薦枠を手に入れた。涙が自然とこぼれ落ちる。周りには、何度も大会に参加してきた同級生たちが並んでいる。もし安奈が教えてくれなかったら、私は東大に入るもう一つの道があることを永遠に知らなかっただろう。この瞬間、私は「視野が狭い」という言葉の意味を痛感した。他の人にとっての出発点に、私は17年かけてようやく辿り着いたのだ。だが、
父は緊張した面持ちで応接室に座り、時折手をズボンに擦りながら汗を拭っていた。それは、私が初めて父の顔に取り入るような笑顔を見た瞬間だった。私が部屋に入ると、彼はすぐに買ってきた一箱の牛乳を私に差し出した。「清良、父さんは君に頼みがあるんだ。君の妹は数学が特に苦手だから、時間があれば、教えてやってほしい」私は少し驚き、目を見開いた。父は数学の先生じゃなかったの?どうして妹の勉強を教えるのに私の助けが必要なんだろう。父は気まずそうに、薄くなった頭髪をかき上げながら答えた。「家族の間だと、うまく教えられないこともあるんだよ。君もわかるだろう、妹には厳しく言えなくてさ」胸が一瞬締めつけられた。昔、父は私を家からほうきで追い出し、石を投げつけ、口汚く罵倒していたことを覚えている。もし私が優秀賞を取っていなければ、父は決して自ら進んで私を「娘」と呼ぶことはなかっただろう。児島先生が言っていたことは正しかった。優秀賞を手にした今、出会う人々は皆親切に振る舞うようになった。私は父の申し出を断った。心の中にはまだ何か引っかかるものがあり、彼を許すことができなかった。過去のことをなかったことにするのは私にとって不可能だった。19、次に母に会ったのは、大学入学試験が終わった後のことだった。試験の結果が発表された翌日、学年で卒業パーティーが開かれた。洋行は市内でトップの成績を取り、東大には届かなかったものの、他の優れた大学には楽々と入学できる状態だった。母はこの上なく喜び、彼のことを誇らしげに話していた。「やっぱり洋行はすごいね!」「みんなで乾杯して、洋行の卒業を祝おう!」今日の卒業式は洋行だけのものではないはずだが、母の目には彼しか映っていないようだった。「諸谷先生、本当にすごいですね。娘さんが東大に推薦入学し、生徒が市でトップの成績を取るなんて!」その言葉が出ると、みんなの視線が私に集まった。母の顔色は真っ青になり、次に真っ赤になった。彼女は私の袖を引っ張り、小声で言った。「何しに来たの?ここは入学試験を受けた生徒たちのためのパーティーだ。あんたは歓迎されないわ」私は笑いながら答えた。「諸谷先生、私が優秀賞を取ったことはお祝いしないの?それも数学の優秀賞だよ」母の顔は青色
私を恨んできた長年の理由がすべて偽りだったことを、彼女は受け入れることができるはずがなかった。一瞬で、彼女は老け込んでしまったように見えた。再び彼女に会ったのは空港でのことだった。少し離れた場所から、彼女は私を見送っていた。私はその視線を無視し、児島先生に別れを告げた。違う。彼女はもう私の児島母さんになった。「東京に行ったら、しっかりと水分クリームを塗るのを忘れないでね」「金を節約しなくていいから、同級生たちとうまくやっていくんだよ……」安奈が来るまで、児島母さんは名残惜しそうに私と別れを惜しんでいた。生みの母に再び会ったのは、児島母さんに会いに帰国した時だった。今回は、私が留学生として海外に行く前に彼女に会いに行くためだった。児島母さんに心配をかけたくなかったからだ。これまで、私は指導教授についていろいろなプロジェクトに参加し、それなりの収入も得ていた。ネットで見た方法を真似して、金のネックレスをポテトチップスの箱に入れてプレゼントした。児島母さんの目には涙が浮かんでいた。そして、私はたまたま窓辺に立つ生みの母と目が合った。彼女は以前よりもずっと痩せて、老け込んでいて、かつての強気な態度は見られなかった。それでも、私は彼女に会いに外へ出た。「諸谷先生、家族と一緒にお正月を過ごさないの?生徒たちは来ないのか?」娘として、どんな言葉が彼女の心を最も傷つけるかをよく知っていた。「清良、私はあなたの母親よ」「私の母親は中にいるから、諸谷先生、もう無理しないで」彼女は私との関係を修復しようとしていた。しかし、私はその気にはなれなかった。傷は消えない。私は聖人ではない。すべてを水に流して許すなんてできない。22、交換留学を終えた後、私はさらに海外での研究を続けた。ある深夜の3時か4時ごろ、児島母さんから電話がかかってきた。「清良ちゃん、諸谷先生が告発されたの」告発したのは、彼女が最も自慢していた生徒、洋行だった。洋行が教育局に転職されて最初に行ったのは、母の過去の調査だった。かつて母のクラスの成績がなぜそんなに良かったのか。それは、彼女が生徒たちに3年間にわたってパワハラをしていたからだった。成績が悪く、遊び好きな生徒たちは、時には体罰を受けるこ
1、私が物心ついた時から、母は毎日のように私を連れて父を会いに行った。彼女は私を使って父を繋ぎ止めようとしていた。「その日のことはただの過ちだ!どうしてお前はこの子を産んで、俺に黙っていたんだ!」「産んだとしても、俺は彼女を認めるつもりはない!」母は私の腕を強くつねった。そして私は痛みに耐えきれず泣き出した。「彼女はあなたの娘なのに、どうしてそんなに酷いことをするの!」「酷いのはお前の方だ!俺とお前の間には最初から愛情なんてなかったんだ!子供を使って俺を繋ぎ止めようとしても、俺たちは幸せにならないし、俺はお前のことなんか全然好きにならない!」周りにはどんどん人が集まり、指さして囁く声が大きくなっていく。しかし、母はそれを全く気にせず、地面に跪いたままだった。私を強くつねったまま、「この役立たずが、使い物にもならないわ!」と叫んだ。私の泣き声はどんどん大きくなり、父はそれを無視して、早足で立ち去った。ほとんど走るような速さだった。母はその様子を見ると、私をつねるのをやめて立ち上がり、反対方向に向かって歩き出した。私は痛みを忘れて急いで母の後を追った。いつからだろう、父への愛情が母の心の中で憎しみに変わったのは。2、ここ数年、母は私に対して距離を保っていた。それでも私は母が大好きだった。母の誕生日に、私はゴミを集めて得たお金で彼女にイヤリングを買った。興奮して家のドアを勢いよく開けたが、リビングには母の生徒たちがいっぱい座っていた。母は私を一瞥し、冷たい声で言った。「自分の部屋に戻りなさい。彼らの勉強を邪魔しないで」そして、生徒たちに優しい声で「次の問題を見てみましょう」と言った。私は涙をこらえて、勇気を振り絞って「お母さん!お母さん!」と叫んだ。何度も呼んだが返事はなかった。生徒たちは全員、私をじっと見つめていた。母が振り向いて「うるさい!何度も言ったでしょう、授業を邪魔しないでって!私はあなたの母親じゃない!先生と呼びなさい!」と怒鳴った。涙が溢れそうになり、手に握ったプレゼントの箱をそっと置いて、私は部屋に走って戻った。部屋を出ると、プレゼントの箱がゴミ箱に捨てられていて、その上にはチョークの粉がたくさん付いていた。何も考えずに箱を拾い上げ、丁寧にその粉を拭き取