兄が亡くなったのは、私と母が故郷に帰る途中のことだった。あのとき、私は兄と小川のそばで釣りごっこをしていて、ふと足を滑らせ川に落ちてしまった。兄は私を助けようと、迷いもなく川に飛び込んだ。泳ぎが得意でもなかった兄に救われた私は無事だったが、兄はそのまま命を落とした。それ以来、母は私を憎むようになった。母だけでなく、祖父も祖母も父も、皆が私を責めた。今では、新幹線で帰省すれば6時間で済む。かつてのように、緑の普通列車に18時間も揺られる必要はない。その長い道のりで、母に18時間も地面に跪かされていた。しかし、「あと30分で到着です」とアナウンスが流れたとき。私は無意識のうちに体がこわばり、動悸が止まらなかった。そんなとき、トイレに閉じこもる私を母が見つけた。母は冷たい目で私を見下ろし、清潔な服を投げつけると、勢いよくトイレのドアを閉めた。「さっさと着替えなさい。もう一度でもお漏らししたら、ただじゃ済まさないからね」私は震えながら、無意識にリュックに入っている果物ナイフに手を伸ばしていた。自分の体に再び漏らしてしまうのが怖くて、そのナイフを取り出していたのだ。やがてトイレを出たとき、顔は青ざめ、指先は冷たくなっていた。けれども母は、私の様子に気づくことなく、いつも通り私を連れて駅を出た。木漏れ日が母の背中にまだらに落ち、ゆらゆらと揺れていた。私はその背中をじっと見つめ、リュックのストラップをきつく握りしめた。そのとき、祖父の三輪車がガタガタと音を立てて近づき、私が反応する間もなく、祖父の乾いた手が私の髪をしっかりと掴んだ。「だから言っただろう、彼女の髪を丸坊主にしろって。なぜ言うことを聞かないんだ」「そのせいで剛史が期末テストで100点を取れなかったんだ」祖父は、怒りをそのままぶつけるように私の背中を強く蹴りつけた。激しい痛みが背中に広がり、私は思わず震えながら身を丸めて、母の後ろに隠れた。けれども母は、私の髪を乱暴に引っつかみ、祖父の前に引きずり出した。「お義父さん、本当に私のせいじゃないんです。学校が坊主頭を禁止しているんですよ」「坊主にできないって?それなら彼女に何の本を読ませるつもりなんだ。この忌々しい女め、海翔を死なせたことに加え、今度は剛史まで害しよう
家の門に着いたばかりで、すでに祖母がそこに立っていた。祖母の顔に刻まれた深い皺を見て、私は無意識に三輪車の手すりを握りしめた。母が深いため息をつき、うんざりした様子で私を見た。「叩かれるとき、ちゃんと手で顔を守りなさいよ」そう言いながら、母は三輪車からさっと降りた。私も震えながら、ためらうことなく車から飛び降りた。緊張のあまり、地面に足が触れると同時に「カチャッ」と音が聞こえたが、まだ痛みを感じる余裕もなかった。次の瞬間、祖母が持っていた棒が私の体に向かって振り下ろされてきた。「この恥知らずの悪魔め!あんたが私の大切な孫を殺したんだ、許さない!」祖母の声には絶望と悲しみがにじんでいた。その傍らで、祖父と母も涙をこぼしていた。彼らの顔に浮かぶ悲しみを見ながら、体がどんなに痛くても、私は一滴も涙をこぼさなかった。この儀式も、兄に救われたあの日から続く私の人生と同じく、どこか滑稽さが漂っていた。とはいえ、叩かれる痛みを我慢すればいい。毎年、お盆にはいつも打たれるのだから、私はもう慣れているはずだった。しかし、祖父が私を縄でしっかりと縛り、兄の遺体が見つかった川辺に連れて行かれたとき、私はとうとう我慢ができず、ヒステリックに泣き始めた。泣きながら母に許しを乞い、祖父と祖母にも赦しを求めたが、彼らは冷たく私を見下ろしているだけだった。そして、赤い布を巻かれた私の体をゆっくりと水面下へと沈めていった。水に浸った瞬間、息苦しさが襲ってきて、無意識に尿を漏らしてしまった。私はヒステリックに泣き叫び、苦しみの中で声を上げていた。その泣き声に重なるように、祖父や祖母、母も涙を流していた。「海翔、会いにきたよ」「海翔、会いたかった」「海翔、湖に留まってはいけない。早く生まれ変わらねば」ぼんやりとした泣き声が聞こえる中、恐怖で体が強張っていた私は、突然、無気力になった。私が生きているのは、兄のために罪を償うためのものにすぎない。泣く理由も、抵抗する意味もなかった。彼らが私を恨むのも当然だと思った。どれほどの時間が経ったのか、私はわからない。ただ、繰り返し水に沈められ、胸が破裂しそうになるまで続けられたその儀式が終わり、祖父が縄を解いて私を地面に投げ出した。
夜、家に戻ると、屋内にはすでに明かりが灯り、笑い声が響いていたが、まるで自分だけがその場の茶番かのように感じた。しかし、茶番はまだ始まったばかりで、部屋の中から口論の声が聞こえてきた。「お義姉さん、別にあなたを責めるわけじゃないけど。悠香は昔、自分の兄を死なせただけじゃなくて、今でも有名校の近くにある家に住んでいるじゃない。お義父さんの言うことを聞いて、その家を私たちに譲ってくれないか?剛史こそが青葉家の継承者なんだから」女性の言葉が終わると、祖父の声が響いた。「はな、そもそもお前が私たち青葉家に嫁いできたのは、息子を産んでくれたからだ。それでかろうじて受け入れてやったが、今では海翔がお前の娘のせいで死んだんだぞ。お前がどう思おうと、その家は手放さなければならん」「それに、悟志は今、昇進したんだろう?給料も増えただろうから、今月から毎月100000円を剛史に送金して、剛史の学費に充てるようにしなさい」壁越しに内容ははっきりとは聞こえなかったが、もう十分に見慣れた光景だった。耳で聞かなくても、だいたいの状況は簡単に想像がつく。そして予想通り、部屋の中から母のヒステリックな怒鳴り声が響いてきた。「なぜ私と悟志が剛史を養わなきゃならないの?あの子は私たちの子供じゃないし、自分の家をあんたたちに譲るなんて、どうしてしなきゃいけないの?」「いい加減にして!私の息子が死んだことを利用して、私を操ろうなんて無駄よ!」母の怒鳴り声が途切れたあと、ドアの軋む音が聞こえた。ゆっくり顔を上げると、そこには母と視線がぶつかった。半分が影に沈んだ母の顔が一瞬止まったかと思うと、すぐにこちらに駆け寄り、私の首をがっしりと掴んだ。「このクソ女!あんたが海翔を死なせたせいで、私はこんな屈辱を受けなきゃならないんだ!」「私と父さんが、海翔に有名校に近い家を買うためどれだけ苦労してきたと思う?昼も夜も働いてお金を稼いで、やっとの思いで買った家なのに、あんたが海翔を死なせたせいで、今度はあんたの意地汚い叔母にまで家を奪われようとしている!」母の手が首に食い込む感覚に、私はただ頭を垂れ、何も抵抗しなかった。視線は足元へと落ち、パンツの裾から制御できずに黄色い液体が伝っていくのを見つめていた。呼吸が痛み出すほど締め付けられたとき、母は私
夜遅く、母に家の門前に置き去りにされた私は、身を縮めて眠りについたが、夢の中には兄の姿ばかりが浮かんでいた。兄は私を藁の山の中に隠れさせて、かくれんぼをしていた。石につまずいて倒れた私を見て、心配そうに抱き上げ、膝に乗せてくれた。私はクスクスと笑っていた。だが、そんな幸せな光景が一瞬にして消え、代わりに見えたのは、腫れ上がり原形を留めない兄の亡骸だった。胸の奥が痛みで震える。恐怖は鋭い刃のように、夢の中でも私の心を引き裂いていく。けれど、夜が終われば朝はやってくる。毎年の贖罪の旅も、いつかは終わるのだ。私は3日間を耐え抜いた。そしてようやく、帰途に就いた。帰り道では、行きのように失禁することもなく、それで母の機嫌もだいぶ良くなった。私も少し気持ちが軽くなった。家に戻ると、母は手提げかばんをソファに投げ出した。「私は麻雀をしに出かけるから、あんたは家でご飯を作って、父さんが帰ってきたら一緒に食べなさい」その言葉を残すと、母は一言も私に目を向けることなく、さっさと出て行った。急いで去っていく母の背中を見つめながら、私はまた手のひらを強く握りしめた。毎年、故郷での儀式を終えた後、母は5日間姿を消す。彼女がこの家から逃げたがっている理由も、私はよく知っている。この家には、どこにでも兄の痕跡が残っているからだ。私も逃げたいと思ったことがある。実際、昔は逃げようとしたこともあった。だが、母に見つかったそのとき、彼女は狂ったように私の首を絞めながら叫んだ。「悠香、お兄ちゃんはあんたが殺したんだ。あんたはどうして逃げられると思うんだ?ここにいて、お兄ちゃんの遺品を見て、自分がどれだけお兄ちゃんを惨めにしたか反省しろ!」それ以来、私は逃げるのをやめた。故郷での儀式に参加してから家に戻っても、いつも兄の姿が私の目の前に浮かんでいる。私はもう逃げる勇気がない。あのおかしい儀式のように、私の存在自体が、この家で兄のために贖罪するためのものであるかのようだからだ。心臓の痛みが胸に広がると同時に、胃のあたりにも痙攣するような痛みが襲ってきた。まるで鋭い刃で裂かれ、炎で焼かれているかのように、全身が痛みに包まれた。私は体を縮こまらせ、耐え切れない苦痛の中でふと、窓際に置かれた兄のカ
父が家に戻ったのは、私が夕飯を作り終える寸前だった。私の顔にある青紫の痕に気づいた父は、微かに眉をひそめた。「顔の傷を見せるなと言っただろう。町内会がまた騒ぎ出したらどうするつもりだ」私は手にしていたボウルを少し強く握りしめ、無意識に太ももの傷をつかんだ。ナイフで切った傷口から赤い血が太ももを伝い、白いタイルにいくつかの血の跡を残した。父の視線が一瞬、床に落ちたが、何事もなかったかのように冷たい顔で言った。「お母さんに伝えてくれ、俺は1か月出張に出る」そう言うと、父は急いで部屋に戻り、適当に荷物を詰め込んで、また急いで家を出て行った。「バタン」というドアの音が家中に響き渡った。かつては笑い声で満ちていたこの家は、再び冷たい静寂に包まれた。私の体もその無言の苦痛に耐えきれず、地面にぐったりと倒れ込んでしまった。思い出すのは、かつての家族4人での光景だった。父に抱かれ、公園で遊んでいたあの日。父は私のお尻をつまんで「お前はデブでずんぐりむっくりだな」と笑いながら言っていた。「俺の娘は世界一可愛い」とも。だが、兄が事故に遭ってからというもの、祖父母は私を様々な因習で罰していた。母はヒステリックに私を責め立て、「なぜ死んだのがあんたじゃないのか」と、怒りに満ちた言葉を浴びせてきた。ただ一人、父だけは私に厳しい言葉をかけたことがない。ただ私に会いたくないだけだ。一緒に食事もとらず、話すことも避けていた。父は本当に何もしていなかった。ただ、彼が毎日家を出るときに響くドアを叩く音が、なぜか私の心に痛みを引き起こし、体を震わせた。疼くて息が詰まる。まるで故郷に戻るたびに失禁してしまうかのように。今では父のそのドアを叩く音を聞くだけで、自然に吐き気をもよおすほどだ。そう思っているうちに、胃の中が暴れ始め、私はもう胃の痙攣に耐えられなくなり、トイレに駆け込んだ。五臓六腑が吐き出されるような苦しみの中でようやく落ち着き、震える体を便器のそばにぐったりと倒し、痛むお腹を抱えていた。もしも、父も母も、祖父母もこんなに私を憎んでいるなら。みんなの望む通り、兄のために命をもって贖罪しようか。
夜も更け、お腹の痛みがやわらいでいくのを感じた私は、マフラーで顔と頭を覆い、夜の静寂に紛れて家を出た。道端には金髪に染めた数人の少年たちがいた。私は慣れた手つきで、路上に停まっていたスクーターの鍵をペンチで開け、万能キーでエンジンをかけた。夜風に吹かれ髪が乱れる様子は、まるで兄が湖の中で私を助けてくれたときのあの乱れた髪のようだった。私はクスクスと笑い、開放感に満ちた笑いを浮かべた。それを見て、周りの少年たちも静かに微笑んでいた。とりわけヒロの目がじっと私を見つめる様子は、幼い頃の兄が私を見ていたときの優しい眼差しにそっくりだった。窃盗が終わると、私たちは湖のほとりへ向かった。彼らは私を褒め、じゃれ合いながら、「さすが学年一位の優等生だ。何を教えてもすぐ覚えるし、鍵開けもお手のものだな」と言ってくれた。私は軽く微笑みながらタバコに火をつけ、口から吐き出す煙が夜の空気に溶けていくのを眺めていた。これで私たちの窃盗は100回目だった。私が彼らと戦利品を分け合わず、ただ一緒に行動するだけだった。だから彼らは喜んで私を仲間に入れてくれていた。警察に見つかっても、絶対に私のことは口外せず、優等生の私が捕まることがないようにと先に逃がしてくれるとまで約束してくれていた。彼らも確かにそれをやり遂げた。100回の窃盗の中で、彼らは時々警察署の常連になっていた。しかし私の姿が警察署に現れることは一度もなかった。警察に捕まり、刑期が少し延びることがあっても、誰も私の存在を漏らすことはなかった。思い出に浸っていると、ヒロが薬の瓶を取り出し、綿棒で私の頬にそっと触れた。唇の端に刺すような痛みと冷たさが伝わってくる。私はタバコを捨てて微笑み、顔を彼のほうに寄せた。何度も殴られたあとにヒロが薬を塗ってくれたことがあったが、もうその回数も覚えていない。兄が亡くなって以来、ヒロはいつもそばにいてくれたように感じる。私は彼がいつ現れたのも、どれだけ私のそばにいたかも覚えていない。ビールを開けて祝おうとしたそのとき、警笛の音が響き、皆の背筋が一瞬で緊張した。ヒロが私の手をぎゅっと握りしめた。「悠香、俺が連れて行くから。安心して、警察に捕まらせたりしない」月明かりの中に浮かぶ彼の横顔は、
ヒロは私の提案に同意しなかった。彼は、「君は優等生だから、前科を残すわけにはいかない。もうすぐ大学入試があるし、君には明るい未来が待っているんだ」と言ってくれた。でも、ヒロは知らないのだ。私はもう、生きていくための全ての力を使い果たしてしまっていることを。もうこれ以上、苦しみ続けるのは嫌だ。涙が瞬く間に頬を伝って落ちていく。「ヒロ、先に皆を連れて逃げてくれない?お願いだから」ヒロの体が小さく震えたが、私の言った通り、遠くへと走り去っていった。その背中を見つめながら、私は微笑んで頬の涙を拭った。ヒロは昔からこうして優しくて、私が泣けばいつも私の頼みを聞いてくれた。泣きながら「一緒に物を盗んでほしい」と頼んだときも、顔が青ざめて怯えていたのに、私の願いを叶えるために、彼は泥棒になってくれた。思えば、なんて滑稽なことだろう。みんなに嫌われるこの泥棒の一団のリーダーは、結局のところ私なのだから。そうしてぼんやりと考えているうちに、警察に捕まってしまった。銀色の手錠が手首にかけられた瞬間、私は笑みを浮かべた。やっと終わるんだ。
警察署の窒息するような威圧的な雰囲気の中、警察官は怒りに満ちた顔で、なぜバイクを盗んだのかと私に問いかけた。私は冷静に周りを見渡し、何も言わなかった。警察署に来たのは初めてだったが、それは子供の頃を思い出させた。兄に抱かれながら、「お兄ちゃん、私の夢は将来警察官になることだよ」と、純粋に話していたあの頃。しかし今や、私の口角には嗤笑が浮かんだ。その夢は兄を死なせた罪の重さに押しつぶされ、遠く感じるばかりだった。1時間後、母がやってきた。私を見つけると、ためらいもなく平手打ちをくらわせた。「悠香、あんたは何てやつなんだ。食べさせてやって、着るものも与えてやったのに、盗みなんかして!」と母はヒステリックに叫んだ。その顔は、兄の亡骸が引き上げられた時の取り乱した母の顔と重なった。「悠香、このクズ!息子を殺しやがって!」私は手首の手錠を震わせ、頬のしびれる痛みを感じながらも、何も反応しなかった。ただ、母の怒りに満ちた顔をじっと見つめていた。その時、警察官が「子供を叩いたって意味がない。今すべきことは彼女をカウンセリングに連れて行くことだ」と声をかけた。警察の言葉が終わると、母の怒りの声が再び響いた。「カウンセリングだって?」言っている間に、母が駆け寄って私の髪を引っ張った。「悠香、あんたは一体いつまで私を苦しめるんだ!あんたが私の家を地獄にした。今度は狂人になって恥をかかせやがって…私は一体なぜあんたのようなクズを生んだのだ」私は痺れる頭皮の痛みを感じつつ、何も言わず、動くこともせず、ただ母の狂った顔をじっと見つめていた。本当は母にこう伝えたい気持ちもあった。心配しないで、すぐにでも命を捧げて兄に償うから。しかし、今はこの抑えた怒りと共に母に反抗することで、不思議な快感を感じていた。母がまるで私の髪をすべて引き抜こうとするかのように乱暴に引っ張っているその時。突然、父の声が響き渡った。「悠香、いつまでこんな無茶を続けるんだ。反抗期にも限度があるだろう」兄が亡くなってから父が私に言った、最も厳しい言葉だった。涙が自然にこぼれ落ちた。あの夜、父に傘を届けに行ったとき、隣人の佐藤さんと話しているのを聞いたことが思い出された。「あの時、どうして二人目なんかを産