ヒロは私の提案に同意しなかった。彼は、「君は優等生だから、前科を残すわけにはいかない。もうすぐ大学入試があるし、君には明るい未来が待っているんだ」と言ってくれた。でも、ヒロは知らないのだ。私はもう、生きていくための全ての力を使い果たしてしまっていることを。もうこれ以上、苦しみ続けるのは嫌だ。涙が瞬く間に頬を伝って落ちていく。「ヒロ、先に皆を連れて逃げてくれない?お願いだから」ヒロの体が小さく震えたが、私の言った通り、遠くへと走り去っていった。その背中を見つめながら、私は微笑んで頬の涙を拭った。ヒロは昔からこうして優しくて、私が泣けばいつも私の頼みを聞いてくれた。泣きながら「一緒に物を盗んでほしい」と頼んだときも、顔が青ざめて怯えていたのに、私の願いを叶えるために、彼は泥棒になってくれた。思えば、なんて滑稽なことだろう。みんなに嫌われるこの泥棒の一団のリーダーは、結局のところ私なのだから。そうしてぼんやりと考えているうちに、警察に捕まってしまった。銀色の手錠が手首にかけられた瞬間、私は笑みを浮かべた。やっと終わるんだ。
警察署の窒息するような威圧的な雰囲気の中、警察官は怒りに満ちた顔で、なぜバイクを盗んだのかと私に問いかけた。私は冷静に周りを見渡し、何も言わなかった。警察署に来たのは初めてだったが、それは子供の頃を思い出させた。兄に抱かれながら、「お兄ちゃん、私の夢は将来警察官になることだよ」と、純粋に話していたあの頃。しかし今や、私の口角には嗤笑が浮かんだ。その夢は兄を死なせた罪の重さに押しつぶされ、遠く感じるばかりだった。1時間後、母がやってきた。私を見つけると、ためらいもなく平手打ちをくらわせた。「悠香、あんたは何てやつなんだ。食べさせてやって、着るものも与えてやったのに、盗みなんかして!」と母はヒステリックに叫んだ。その顔は、兄の亡骸が引き上げられた時の取り乱した母の顔と重なった。「悠香、このクズ!息子を殺しやがって!」私は手首の手錠を震わせ、頬のしびれる痛みを感じながらも、何も反応しなかった。ただ、母の怒りに満ちた顔をじっと見つめていた。その時、警察官が「子供を叩いたって意味がない。今すべきことは彼女をカウンセリングに連れて行くことだ」と声をかけた。警察の言葉が終わると、母の怒りの声が再び響いた。「カウンセリングだって?」言っている間に、母が駆け寄って私の髪を引っ張った。「悠香、あんたは一体いつまで私を苦しめるんだ!あんたが私の家を地獄にした。今度は狂人になって恥をかかせやがって…私は一体なぜあんたのようなクズを生んだのだ」私は痺れる頭皮の痛みを感じつつ、何も言わず、動くこともせず、ただ母の狂った顔をじっと見つめていた。本当は母にこう伝えたい気持ちもあった。心配しないで、すぐにでも命を捧げて兄に償うから。しかし、今はこの抑えた怒りと共に母に反抗することで、不思議な快感を感じていた。母がまるで私の髪をすべて引き抜こうとするかのように乱暴に引っ張っているその時。突然、父の声が響き渡った。「悠香、いつまでこんな無茶を続けるんだ。反抗期にも限度があるだろう」兄が亡くなってから父が私に言った、最も厳しい言葉だった。涙が自然にこぼれ落ちた。あの夜、父に傘を届けに行ったとき、隣人の佐藤さんと話しているのを聞いたことが思い出された。「あの時、どうして二人目なんかを産
ヒロ(一)悠香は死んだ。俺の目の前で、彼女は息を引き取った。彼女の身体は鮮やかな紅に染まり、最後に浮かべていた薄い微笑みが静かに消えていった。その笑みを見た俺は、絶望的に泣き叫んだ。自分の無力さが憎かった。彼女の命が尽きるその瞬間に、なぜ俺は彼女を引き止められなかったのか。異変に気づいていたのに、なぜ。悠香と出会ったのは十年前だ。全身に青あざをまとって天橋に座り、足をぶらつかせながら鼻歌を歌っていたあの時が始まりだった。俺は、彼女が川に飛び込むのではと心配になり、慌てて彼女を手すりから抱き下ろした。しかし、彼女はただ笑って肩を叩き、こう言ったんだ。「あなたの名前は?そんなに心配するなよ。私、川には飛び込まないよ。だって、私はうちのだった一人の子供なんだから、死ぬわけにはいかないんだ」彼女の笑顔を見ながら、なぜか涙が込み上げてくるのを感じた。俺はそこで知ったんだ。世の中には、親のいない俺以上に不幸な人がいるんだと。その後、俺は時々悠香に出会うようになった。母親のために食事を運び、麻雀クラブへと足を運ぶ姿を何度も見かけた。負けを喰らった母親が熱々の麺を彼女の顔に叩きつけるのもまた、目の前で見た。その時初めて、親がいることが必ずしも幸せではないのだと知った。ある日、悠香が団地で宿題をしていた時、俺はつい声をかけてしまった。彼女は本当に賢くて、俺が何も言う前にこう言った。「さっき見てたでしょう?大丈夫だよ。母さんはただ、兄が亡くなってから心がとても辛くなっただけなんだ」彼女の淡々とした顔を見て、俺は拳をぎゅっと握りしめた。さっき、彼女の母親が熱々の麺を彼女にこぼしただけじゃなく、彼女自身が腕にボールペンを突き立てたのを見たからだ。しかし、俺はそれをあえて指摘しなかった。人にはそれぞれ心の奥底に傷がある。彼女にも俺にも、きっと。それから俺は、昔の同級生に話を聞いて、悠香のことをもっと知った。彼女は学年トップの成績を誇り、周囲の男子からも注目される存在で、笑顔が愛らしく、未来を期待されていた。そんな彼女に近づくのが恐ろしかった。でも、悠香は何度も俺の前に現れ、ビールを飲もう、タバコを吸おうと誘ってきた。俺は、彼女が腕をまた傷つけるのが嫌で、彼女の頼みを断る
ヒロ(二)悠香が亡くなった後、彼女の母親は精神病院に入院した。周囲の人々はみな彼女に同情していた。続けざまに二人の子供を失ったのだからと。しかし、俺には同情なんて微塵も湧かなかった。悠香が生きていた頃に味わったあの苦しみを、彼女の母親も当然、味わうべきだったからだ。俺はさらに、悠香が残した日記の一冊を、彼女の父親に送りつけた。悠香の心の奥底で、最も愛していたのは父親だったことを俺は知っていた。ある夜、悠香の父親が俺を訪ねてきた。四十代の男が、たった一夜で髪が真っ白になっていた。震える体で、彼は俺に訊ねた。「悠香は、どうやって生きてきたのか」と。俺は、悠香の生活をありのままに伝えた。トイレに隠していたナイフ、川辺に灰となって積もる吸い殻、迷信的な儀式で彼女に掛けられた赤い布、尿で濡れた新幹線の座席。彼は震えながら、まるで子供のように泣き出した。「悠香に対して、本当にひどいことをしてしまった。俺が間違っていた。悠香の兄を失った悲しみを、悠香のせいにするべきではなかった」だが、彼の涙を見ていると、俺の胸にはただ嘲笑と冷笑が浮かぶばかりだった。彼の涙なんて、俺には所詮偽物に過ぎない。俺は彼を決して許さない。悠香もきっと彼を許さないだろう。
ヒロ(三)七年後、俺は結婚した。娘が生まれた。ふわふわと愛らしい小さな子で、鼻先には悠香と同じ赤い小さなほくろがある。俺は彼女を大切に育てている。まるで、悠香への後悔を抱えながら愛情を注ぐかのように。妻は、俺の両親の墓の隣にある墓地に誰が眠っているのか尋ねたことがある。俺はただ「妹だ」とだけ答えた。深夜、悠香のことを思い出すたび、俺自身も彼女に対する感情がよくわからなくなる。愛情なのか、同情なのか、あるいは家族への情なのか……俺もよくわからない。ただ、悠香の命日になると、俺はどうしようもなく涙を流し、心が張り裂けそうなほど苦しむのだ。
ヒロ(四)十年後のある日、街で俺は悠香の父親に出会った。彼は紐で悠香の母親を縛りつけ、震える手で街角のゴミ箱を漁っていた。警備員が「この夫婦は本当に気の毒だ。子供を失って孤独な生活を送っている」と同情していた。しかし俺は冷ややかな表情のまま、ペットボトルを二人の前に投げつけた。この二人の結末は、まさに自ら招いた報いだと思ったからだ。
「このクズ、またおしっこを漏らしたんじゃないの?」母の平手打ちが私の顔に当たるのを感じる。私は無意識にひざまずいた。「お母さん、ごめんなさい、わ、わざとじゃないの……私を叩かないで、私が悪かったの」けれども、私の願いは母に理解されることはなかった。彼女は顔を赤くして周りを見回し、私の髪を掴んで、再び平手打ちをした。「私がどんな罪を犯したら、こんなバカを産むことになるのよ。自分のおしっこさえ我慢できないなんて」頭皮にじんじんと痛みが広がり、私は無意識に座席の後ろに身を隠そうとした。けれども周りの乗客の好奇や侮蔑の視線が、鋭い刃のように私の自尊心を踏みにじるようだった。母は私の痛みには気づかず、自分も恥ずかしいと思ったのか、私の髪を引っ張り、トイレに向かって引きずっていった。「おしっこを我慢できないなら、この数時間、トイレの中にでもいればいい」そう言うが早いか、母は強くトイレのドアを閉めた。私の太ももには再び湿った感覚が広がっていった。私は自分の太ももを掴み、声も出さずに体を震わせながら泣いた。涙が頬を伝い、母に押されてトイレの便器にぶつかったときにできた傷を洗い流していく。私は無意識に自分を慰めた。「悠香、泣かないで、泣かないで、大丈夫だよ、痛くないから、痛くないから」しかし、私の尿意と同じように、涙も止められなかった。三年前から、故郷に向かう電車に乗ると必ず尿失禁してしまうようになってから、母は気が狂ったようになってしまった。かつて、彼女は私を全車両の乗客の前で土下座させて謝らせたこともある。さらに尿失禁を治そうと、私の頭を自分の尿で濡れた座席に押し付け、嫌悪と怒りの表情で「気持ち悪くないのか?」と私を問い詰めたこともある。その頃、私は反抗することができなかった。今回も私は反抗できなかった。理由なんてない。ただ、私の身には兄の命がかかっているから。
兄が亡くなったのは、私と母が故郷に帰る途中のことだった。あのとき、私は兄と小川のそばで釣りごっこをしていて、ふと足を滑らせ川に落ちてしまった。兄は私を助けようと、迷いもなく川に飛び込んだ。泳ぎが得意でもなかった兄に救われた私は無事だったが、兄はそのまま命を落とした。それ以来、母は私を憎むようになった。母だけでなく、祖父も祖母も父も、皆が私を責めた。今では、新幹線で帰省すれば6時間で済む。かつてのように、緑の普通列車に18時間も揺られる必要はない。その長い道のりで、母に18時間も地面に跪かされていた。しかし、「あと30分で到着です」とアナウンスが流れたとき。私は無意識のうちに体がこわばり、動悸が止まらなかった。そんなとき、トイレに閉じこもる私を母が見つけた。母は冷たい目で私を見下ろし、清潔な服を投げつけると、勢いよくトイレのドアを閉めた。「さっさと着替えなさい。もう一度でもお漏らししたら、ただじゃ済まさないからね」私は震えながら、無意識にリュックに入っている果物ナイフに手を伸ばしていた。自分の体に再び漏らしてしまうのが怖くて、そのナイフを取り出していたのだ。やがてトイレを出たとき、顔は青ざめ、指先は冷たくなっていた。けれども母は、私の様子に気づくことなく、いつも通り私を連れて駅を出た。木漏れ日が母の背中にまだらに落ち、ゆらゆらと揺れていた。私はその背中をじっと見つめ、リュックのストラップをきつく握りしめた。そのとき、祖父の三輪車がガタガタと音を立てて近づき、私が反応する間もなく、祖父の乾いた手が私の髪をしっかりと掴んだ。「だから言っただろう、彼女の髪を丸坊主にしろって。なぜ言うことを聞かないんだ」「そのせいで剛史が期末テストで100点を取れなかったんだ」祖父は、怒りをそのままぶつけるように私の背中を強く蹴りつけた。激しい痛みが背中に広がり、私は思わず震えながら身を丸めて、母の後ろに隠れた。けれども母は、私の髪を乱暴に引っつかみ、祖父の前に引きずり出した。「お義父さん、本当に私のせいじゃないんです。学校が坊主頭を禁止しているんですよ」「坊主にできないって?それなら彼女に何の本を読ませるつもりなんだ。この忌々しい女め、海翔を死なせたことに加え、今度は剛史まで害しよう