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第89話

私達は普段めったにこの部屋を使うことはなかった。しかし、使用人がきれいに掃除してくれていて、ほこり一つなかった。

シーツカバー等も三日に一回交換しているようだった。

ベッドの枕側にはウェディングフォトが飾られていた。レトロ調の写真で、腕の良いレタッチャーの技によって一切加工されたようには見えなかった。

江川宏がベッドに座ると、私は再び手を引っ込めようしたが、彼は握りしめて眉をひそめた。「離婚はまだ完全に成立していないのに、薬さえ塗ってもらえないのか?」

「……薬箱を取ってくるわ。じゃなきゃ何を塗れっていうのよ?」

私は仕方なく妥協するしかなかった。

そしてようやく彼は私の手を離した。「よろしくな」

引き出しから救急箱を見つけ、消毒液と軟膏を取り出して彼の前に立った。

額の傷は目を引くほど痛ましかった。私は少し頭を下げ、片手で彼の後頭部を支え、もう一方の手で血を拭き取った。

お爺さんは手加減しなかったようで、血を拭き取ってもすぐ新しい血が滲んできた。

私は見ているだけで痛くなった。「痛い?」

「痛い、とても痛い」

彼は私を見上げた。彼の瞳は黒曜石のように輝いていてまぶしかった。

私は気が緩んで、傷口に息を吹きかけながら消毒してあげた。彼は満足そうに「これで痛くなくなるよ。ありがとう、こんな妻がいるっていいな」と言った。

「私たちはもう離婚するでしょ……」

「君といるのに慣れちゃったんだよ」

彼は物寂しそうな表情で下を向き、長いまつ毛が垂れ下がった。その様子がどうも人畜無害な感じだった。

私の心も少しズキッとした。「大丈夫、これからゆっくり変えていけばいいわ」

いつかは必ず変わるから。

私も慣れてしまったことがあった。毎晩寝ているときは寝返りを打つと彼の腰を抱きしめ、彼の腕の中で眠っていたのだ。しかし、ここ最近は寝返りを打っても抱きしめる相手はなく、夜中に目が覚めて長い間ぼんやりとしてからまた眠りに入っていた。

多くの人々がこう言う。二人が別れることは難しいことではない。最も難しいのはお互いがいない生活に慣れることなのだと。

空っぽになった家の中で声をかけても、それに応えてくれる人はもういないのだ。

しかし幸いなことに、時間という痛み止めの薬が存在する。

いつかはまたそれに慣れてしまうのだ。

江川宏は黙っていたが、突然唇を動か
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