「中はどうしたの?」入江紀美子は入り口で眺めている女性同僚に尋ねた。声をかけられた女性同僚は振り返った。「入江さん。あの応募に来た女の人ね、人の作品をパクッて面接しに来たのがバレて、チーフがそのまま彼女の面接資格を取り消そうとしたんだけど、逆切れして、今事務所で暴れてるのよ」「なるほど」ことの経緯を聞いた紀美子は人事部の事務所に入った。チーフは一人の女性と激しく言い争っていた。女性の顔立ちはなかなかきれいなものだが、露出度の高いかっこうをしていた。「入江さん、ちょっと助けて、この狛村さん、人の作品を盗用して面接に来たのに、問い詰めたら逆切れしてきたのよ」チーフが紀美子を見て、助けを求めてきた。「話は聞きました。もう帰ってください。MKは不誠実な人は永遠に採用しません」紀美子は狛村をはっきりと断った。「関係ないでしょ、誰よ、あんた。私にそんな口の聞き方するなんて、あんたに不採用と判断する資格があるとでも?この会社はあんたのものじゃないでしょ?」「私が誰なのかは、あなたと関係ありません。覚えておいてください。私がこの会社にいる限り、あなたのような小賢しいまねをして入社しようとする人、永遠に採用しません」「大口を叩くじゃない」女はあざ笑いをした。「覚えておきなさい!将来私がMKに入社したら、絶対にあなたに跪いて謝ってもらうから!」「そんな日がくるといいわね!」「警備を呼んで。この狛村さんに出て行って貰うわ!」紀美子はチーフに指示した。……夜。MKで返り討ちを喰らった静恵は電話をしながらバーに入った。「安心して、絶対になんとかしてあの会社に入るから」静恵は低い声で電話の向こうに言った。そして、彼女は電話を切り、カウンターに座りバーテンダーに酒を一杯注文した。この時、ある人が彼女の隣に座り込んできた。「静恵ちゃん!」静恵は振り返って隣に来た男の顔を見た。彼は彼女がこの前酒場で知り合った飲み仲間、八瀬大樹だ。男はいわゆるブサイクの部類に入るものだった。しかし彼は裏表社会においてそれなりの背景を持っているらしく、静恵は彼と何回か夜を過ごしていた。彼女は少し驚きながら言った。「大樹さん?帰ってきたの??」「なんだ、俺を見てそんなに緊張するなんて、ま
翌日、ジャルダン・デ・ヴァグ。ここは森川晋太郎の個人別荘だ。朝六時半頃だが、入江紀美子は起きて晋太郎に朝食を用意していた。彼女は、晋太郎の愛人になった日からここに住んでいた。それからは晋太郎の生活は彼女一人で世話をするようになった。彼女は晋太郎の秘書、愛人、そして使用人でもあった。男が起床した頃、朝食は既にテーブルの上に並んでいた。晋太郎がネクタイを締めながら階段を降りてくるのをみて、紀美子はすぐ出迎えにいった。「私が締めます、社長」晋太郎は手の動きを止め、紀美子がネクタイを手に取り丁寧に結び始めた。紀美子は170センチと長身の方だ。しかし晋太郎の前ではせいぜい彼の胸の高さだった。晋太郎は目を逸らし、紀美子の体が発する香りを嗅いだ。理由もなく、彼には欲の火が灯された。「できました……」紀美子が頭を上げた途端、後頭部を男の大きな手に押えられた。彼の舌はミントの香りを帯びており、蛇のように彼女の口の中に侵入してきた。別荘の中には急に曖昧な雰囲気が漂った。2時間後。黒色のメルセデス・マイバッハがMK社のビルの前に停まった。運転手は恭順に車を降り、ドアを開けた。数秒後、晋太郎は長い脚を動かし車から降りた。オーダーメイドの黒いコートは彼の落ち着いた気質を限界まで引き出していた。その強烈なオーラはまるで神の如く、周りの人はそのプレッシャーで逃げ出したくなるほどだった。晋太郎は細長い指でネクタイを緩めながら、手に持っている資料を隣の紀美子に渡した。その瞬間、晋太郎の深い眼差しが紀美子の少し腫れた唇に少し留まった。そしていきなり手を上げ、厚みのある指腹で彼女の口元を軽く擦った。「口紅、少しはみ出ている」そう言いながら、彼は親指ではみ出た口紅を拭きとった。温もりを感じるその触感は、紀美子の瞳を強く震わせた。一瞬、彼女は、今朝彼にソファに押えられ求められたことを思い出した。晋太郎の眼底に映っている自分のとり乱れた姿を見て、紀美子は慌てて気持ちを整理した。「ありがとうございます」心臓の鼓動は乱れていたが、彼女の声は落ち着いていた。晋太郎は手を引き、口元を軽く上げ、すらっとした体を翻して会社の方へ歩き出した。紀美子は浮つく心を必死に抑えながら、タブレッ
ウィーン、ウィーン入江紀美子はテーブルの上に置いている携帯電話の振動で現実に引き戻された。母の主治医の塚本悟からの電話を見て、慌てて出た。「塚本先生!母に何かあったのですか?」紀美子は心配して尋ねた。「入江さん、今病院に来れますか?」電話の向こうの声は明らかに何かがあるように聞こえた。「はい!今すぐ行きます!」紀美子は急いで立ち上がった。20分後。シャツ一枚の姿の紀美子は病院の入り口の前で車を降りた。冷たい風に吹かれ、紀美子は思わずくしゃみをして急いで入院病棟に向かった。エレベーターを出てすぐ、母の病室の入り口にレザーのジャケットを着ている男が見えた。男は口元にタバコをくわえていて、挑発的な口調で悟に話しかけていた。その男を見て、紀美子は両手に拳を握り、急いで病室に向かって歩き出した。彼女の足音が聞こえたのだろう、悟と男は振り向いた。紀美子を見て、男はクスっと笑った。「これはこれは、入江秘書様のお出ましか!」紀美子は悟に申し訳ない顔をして、そして男に冷たい声で伝えた。「石原さん、この間も言ったでしょ、借金の取り立てであっても病室まではこないように、と」石原はくわえているタバコのフィルターを噛みしめた。「お前のオヤジさんがまた消えちゃったんで、ここまでくるしかなかったんだ」「今回はいくら?」紀美子は怒りを抑え、石原に聞き返した。「そんなに多くないさ、利息込みで150万!」「先月までは70万だったのに!」「お前のオヤジに聞け。借用書はこれだ。お前のオヤジの筆跡は分かるよな?俺はただ借金の取り立てに来てるだけだ」石原はあざ笑いをして紀美子を見つめ、紀美子に借用書を見せた。紀美子は怒ってはいるが、反論する理由が見つからなかった。父はギャンブルにハマったろくでなしだ。しょっちゅう借金を作って博打に使い、ここ数年は借金が積もる一方だった。借金の返済日になると、この借金取りたちが母の病院に訪ねてくる。紀美子は怒りを抑えながら考えた。「分かったわ!」「金は渡すから!けど今度また病院まで取り立てにきたら、もう一銭も渡さないからね!」そう言って、紀美子は携帯電話から石原の口座へ150万円を送金した。金を受取り、石原は携帯を揺らしながら颯爽と病室
「うん、聞くわ」入江幸子は目を開け、天井を見つめて深呼吸をした。「紀美子、実はあなたは…」「幸子!」声と共に、一人の男が入り口から焦った様子で駆け込んできた。二人が振り返ると、男は既に近くまで来ていた。その男の体はタバコと酒の臭い匂いを発しており、髭は無造作に生えている。男は紀美子の反対側に座った。「どうだった?石原に酷いことをされなかったか?」「何をしにきたのよ!」幸子は嫌悪感を露わにして言った。「また迷惑をかけにきたの?」入江茂は舌打ちをしながら紀美子を見た。「紀美子、ちょっと席を外してくれないか?幸子にちょっと話してすぐ帰るから」紀美子は心配そうに母の方を見たが、幸子は彼女に頷いた。紀美子はしぶしぶと立ち上がり、厳しい眼差しで茂を見た。「お母さんを怒らせないで」茂は何度も頷いて答えた。紀美子は何度も振り返りながら病室を出た。病室のドアが閉まった瞬間、茂の心配そうな表情は消えた。「あのな、あんまり余計なこと喋るなよ」「もう紀美子を利用させない!」幸子は目から火が出そうなほどの厳しい表情で、歯を食いしばりながら答えた。「俺が金をかけて育ててやったんだから、借金の返済くらい、手伝ってもらうのは当たり前だろ?お前が大人しく口を閉じていればそれでいいが、もし何か余計なことを漏らしたら、紀美子に今の仕事を続けられなくしてやるからな!」「あんた、それでも人間なの?!」幸子は体を震わせながら拳を握り締めた。「そうだ、俺は悪魔だ。お前はその口をしっかりと閉じておけ。でないと、何が起きても知らんからな!」茂はその言葉を残し、振り返らずに病室を出た。ドアを開け、そこに立っている紀美子を見ると、茂はすぐに顔色を変えた。「紀美子、お父さんは先に帰るからな!今日の金はお父さんがお前から借りたことにしよう」それを聞いた紀美子が顔を上げると、茂は返事を待たずに行ってしまっていた。紀美子がため息をつき病室に戻ろうとした時、ポケットに入れていた携帯がまた鳴り始めた。森川晋太郎からだ。紀美子は少し緊張して電話に出た。「今どこだ?」電話から冷たい声が聞こえてきた。「ちょっと急な用事が…」紀美子は病室の中を眺め、声を低くして答えた。「狛村静恵のことでデ
「社長」入江紀美子は疑惑を抱えながら森川晋太郎の前に来た。「昨夜は何故帰ってこなかった?」「体の具合が悪かったからです」「具合が悪かった?口まで開けない状態だったか?まずは俺に報告することを忘れたのか?」晋太郎は更に厳しい口調で問い詰めた。「違います。薬を飲んで眠ってしまいました。わざと報告を怠ったのではありません。」「本当に眠ってしまったのか?それとも、他の男と寝ていて報告をしなかったのか?」晋太郎は無理やり目の中の怒りを抑え、声がますます冷たくなった。「えっ?他の男って?」紀美子は頭を上げて聞き返した。「その質問、君ではなく俺がするものではないか?」晋太郎は冴え切った目で紀美子を見つめ、挑発まじりに聞き返した。「入江さん?」まだ戸惑っていた紀美子は、優しそうな声が聞こえてきた。その瞬間、紀美子は思い出した。昨日晋太郎に電話を切られる前、塚本悟と話していた。もしかして晋太郎が言っている男とは、悟のことか。紀美子はこちらに向かって歩いてくる悟を見てから晋太郎の顔を覗いた。そこから説明してもすでに遅かった。悟は紀美子の傍で足を止め、針を抜いて血が垂れ続けている彼女の手を見た。「血が出ている、この時間なら、まだ点滴は終わっていないはずじゃない」それに気づいた紀美子は慌てて針の穴を手で塞いだ。「ありがとう、あとで処理しておくから」悟は自分の手を紀美子の額に当て、心配そうにため息をついた。「熱はひいたようだけど、まだ静養が必要だ」紀美子は晋太郎に誤解されたくないので、慌てて視線を逸らした。「分かってる」悟は仕方なく手をポケットの中に突っ込んで、ようやく隣で息を潜めている晋太郎に気づいた。「患者さんは静養が必要です。話は後にしていただけますか」悟は謙遜かつ礼儀正しい言葉遣いで注意した。「医者が体温計ではなく、手を当てるだけで患者の体温を正しく測るなんて初めて見た」晋太郎は冷やかしを言いながら、悟と目を合わせた。「臨床の経験を活かせば、患者さんの時間を節約できることもありますので」その会話を聞いた紀美子は緊張した。彼女は、悟が自分の為に晋太郎に抵抗しているのは分かっていたが、晋太郎が決して大人しく人の話を聞く人間ではないとも分かっている。
入江紀美子は手元の仕事を片付け終えた頃、まだ時間があったので、彼女はカバンを持って出社した。エレベーターを出ると、森川晋太郎と狛村静恵の姿が見えた。「入江さん、もう体は大丈夫なの?」静恵は心配そうな口調で話しかけてきた。「大分よくなったわ。心配かけてごめん」紀美子は晋太郎の顔を見ずに静恵に答えた。「いいのよ、あなたが早く治れば、社長のお仕事を肩代わりできるんだから」そう言いながら、静恵は長い髪を耳の後ろにまとめ、わざと耳たぶのホクロを見せつけてきた。「社長、後でお食事に行くとき、入江さんも連れて行きましょうか?」「いい、彼女はやるべきことがある」晋太郎は冷たく返事した。そう言って、晋太郎は静恵の腕をとり、エレベーターに乗った。紀美子は空気を読んで一歩下がり、何事もなかったかのような顔で二人の横を通っていった。午後8時。紀美子はまとめ終わったスケジュールを晋太郎に送った。疲れで割れそうな頭を揉みながら会社を出ると、杉本肇が少し離れた所に立っていた。「晋様に、入江さんを家まで送れと言われました」「大丈夫よ、自分で帰るから」紀美子は断った。「入江さん、ちょっと話したいことがあります」「なに?」紀美子は無気力そうに尋ねた。「晋様が、入江さんの体調が良くないので使用人を雇いました。その人が今、ジャルダン・デ・ヴァグで待っています」晋太郎は一体何をしようとしているのだろう、と紀美子は眉を顰めた。自身の憧れの人と一緒にいながら、私を手放さない。紀美子は心の中であざ笑った。自分はあの女と共に晋太郎に仕えるほど下賤ではない。彼女は再び断ろうとしたが、肇は声を低くして言った。「入江さん、狛村さんの身分はまだ確定していませんので、ご自分の為にも、もう少し抗ってみませんか?」「杉本さん、この世の中、感情なんかより、お金のほうがずっと重要だわ」紀美子は嘲笑気味に肇に言い放った。話を終わらせ、紀美子は肇の傍を通って帰っていった。「晋様、入江さんはジャルダン・デ・ヴァグに帰らないと断ってきました」肇は軽くため息をつき、後ろの席に座っていた晋太郎に報告した。晋太郎は唇をきつく噛みしめ、その様子は威圧感があった。「ならばもう永遠に帰ってこなくていい!明日あいつの
「私は何も間違っていない……」入江紀美子は瞳を震わせながら、森川晋太郎を見た。「謝れっつってんだ!」晋太郎の怒りは冷たく顔に出ていた。「同じことを何回も言わせるな!」紀美子は怒り狂った彼の前では、すべての不満を飲み込むしかなかった。そうだ、今は狛村静恵こそが彼の憧れなのだ。紀美子はただの代替品、いつでも捨てれる玩具だ。彼女のどうでもいい言い訳は、彼の憧れの言葉に比べれば、取るに足らなかった。「ごめんなさい」胸の痛みを堪えながら、紀美子は頭を下げ、泣きながら謝った。「晋太郎さん、もう入江さんを責めるのはやめて。全部私が悪いの……」静恵は晋太郎の懐に埋めていた顔を上げて言った。「まだ彼女の為に言い訳をするのか。もう帰ろう」晋太郎は愛しんで静恵を抱きしめた。二人は手を組んでその場を離れたが、紀美子は涙が止まらなかった。涙は、絶えず彼女の目から勢いよくこぼれ落ちてきた。……夕方。紀美子は仕事を終え、病院に向かった。病院に入ると、塚本悟が病室の前で看護婦に何かを指示していた。紀美子が悟に軽く頷き、病室に入ろうとすると、彼に止められた。「紀美子、お母さんは化学療法を終えて今寝たばかりだ。入らない方がいい」「悟さん、母の化学療法はもう第五期だけど、今の状況はどう?」紀美子は立ち止まり、声を低くして悟に母の病状を確認した。「大丈夫だ、早期発見ですぐに手術したから、予想よりも順調に回復している」話を聞いた紀美子は少し安心したが、やはり治療費のことを心配した。「口座に振り込んだ治療費は、まだ足りています?」「昨日2000万円を入れたばかりじゃないか」そう言われると、紀美子は戸惑った。自分に決して一気に2000万円など出せるわけがない。あの人だったら、或いは……紀美子は慌てて携帯電話を手に取り、杉本肇に電話をかけた。「社長の指示で母の治療費を払ってくれたの?」紀美子は杉本に確認を取った。「はい。晋様に『入江に黙っておけ』と言われましたが、実は昨日入江おばさんの口座に2000万円振り込んでおきました」その話を聞くと、紀美子は無意識に携帯電話を握りしめた。暫く躊躇ったあと、彼女は晋太郎に電話をかけた。「社長、今どこですか?」「要件を言え」
もしかして彼女こそが森川晋太郎がずっと探している憧れの人だろうか?いや、違う。その女の子が彼を助けた後急に行方不明になったと、晋太郎が言っていたのを覚えている。大人になった彼女の顔は、晋太郎でも分からない。明らかにこの写真の中の女性はその女の子ではない。ならば彼女は一体誰なの?入江紀美子は晋太郎の下で3年間働いた。その間、その女性のことを一回も聞いたことはなかった。しかしこの写真を見る限り、彼女は晋太郎の中ではかなりの地位を占めている。紀美子は虚ろな目をして写真を拾い、嫉妬が沸いてきた。彼女はもう晋太郎のことを十分知っていると思っていた。しかし今、自分が晋太郎のことを何も知らないことに気付いた。知っていることは、すべて彼が自分に知ってもらいたいことだけだった。彼の心の中には自分にために開けてくれる空白なんてものは一つもないようだった。無理もない。たかが愛人なのに、自分は何を期待しているのだろう。使用人の松沢初江が箒を持ってきた頃、紀美子は既に気持ちの整理ができていた。彼女は携帯電話を取り出し、額縁屋に電話をかけ、フレームを直してもらいたいと頼んだ。2時間後。業者は修理できたフレームを組み直し、絵を壁に掛けなおした。「お客様、フレームはこれで大丈夫でしょうか?」紀美子は絵のフレームを暫くチェックして、直してもらったものは前と殆ど同じなのを確認して安心した。「はい、これでいいです。おいくらですか?」「2万円になります」「はい」しかし紀美子が携帯で代金を払おうとすると、画面には残高不足の知らせが表示された。紀美子は一瞬思考が止まり、顔が真っ赤になった。彼女は自分が今月の給料を母の世話係の業者の料金と、父の借金を払ったのを思い出した。今この銀行口座にはもう1万円弱しか残っていなかった。業者は複雑な目線で紀美子をみた。その目線はまるで、「こんな豪邸に住んでいるのに、たった2万円の金も持ってないのか」と言わんばかりだった。「少し待ってください。今現金を持ってきますから」彼女は寝室に戻り、この金をどうすればいいかを悩んでいる時、ベッドの横のナイトテーブルに目線を落とした。紀美子はテーブルの引き出しから、200万円の現金が入った封筒を取り出した。そ
「犬が人に噛み付くのを事前に止められると思うか?」晋太郎は嘲笑するように言った。「俺の目には、お前なんてただの虫けらだ。手を出したければやってみろ。俺が死ぬのが先か、それとも俺がお前を踏みつけて二度と這い上がれなくするのが先か、試してみればいい」「森川社長は、あのヘリが爆破された時の絶望をもう忘れたのか?」その言葉に、晋太郎の黒い瞳が一瞬揺らいだ。頭の中に、ヘリコプターに乗っていたあの瞬間が鮮やかに蘇った。機内で起こったすべて、そして最後にパラシュートを背負い、急いで飛び降りたあの瞬間まで。その記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に脳内に映し出された。悟は、彼の苦しげな表情を見てさらに続けた。「思い出したか?それでもお前は、俺が手を出せないと思うのか?お前が帝都でどれほどの勢力が大きようが、俺はお前の命を奪うことができる」晋太郎は頭痛に堪えながら、血走った目で悟を睨みつけた。「俺に過去を思い出させたからって、お前を恐れると思うな!」「いや」悟の端整な顔には、依然として薄ら笑みが浮かんでいた。しかし、その笑みの奥には、冷たい殺気が滲んでいた。「ただ、俺の力がお前より上だと教えてあげたかっただけだ。もし俺の条件を受け入れるなら、これ以上お前を追い詰めることはしない」「お前にそんなこと言う資格なんてない」晋太郎は歯を食いしばり、痛みを堪えながら吐き捨てた。悟は彼の言葉を無視して続けた。「この条件なら、お前も受け入れざるを得ないと思うよ」悟は晋太郎に向かって二歩近づいた。その浅い茶色の瞳には並々ならぬ決意が浮かんでいた。「お前は彼女のことを思い出せない。彼女にも、何も与えられないんだろう?だったら、俺に譲ってくれ。彼女を手放してくれさえすれば、俺は必ず彼女を連れてお前の前から消える。これだけが俺の願いだ」晋太郎は眉をひそめて目の前の男を見つめた。「誰のことを言ってるんだ?」「紀美子だ」悟は言った。「他には何もいらない。ただ紀美子だけが欲しい」紀美子を譲れと?その代わり、自分の安全と、元々自分のものだった全てを返してくれるだと?彼は自分を、女に頼って命を守ろうとする腰抜けだと思っているのか!?晋太郎は彼をしばらく見つめてから尋ねた。「そんなに紀美子が
肇は慎重に晋太郎の様子をうかがった。そして低くため息をつきながら言った。「晋様が私のことを覚えていないのがわかった瞬間、彼が記憶を失っていることに気づきました」美月は話題を変えた。「これから私は彼と一緒にMKにいるつもりなので、アシスタントとして何をすべきか、私に教えてください」肇はしばらく彼女を見つめた。美月は笑いながら尋ねた。「何か問題でも?」「いえ」肇は視線を外した。「あなたが晋様のそばにいるなら、きっと何でもできるでしょう」「私はまだあなたたちの会社の業務に触れたことがないのに、どうしてできると言い切れるの?」「あ……」二人の言葉が終わらないうちに、晋太郎の低い声が彼らの耳に入った。「話は終わったか?」肇はすぐにソファから立ち上がり、頭を下げて言った。「申し訳ありません、晋様」美月は扇子を煽りながら言った。「もう終わりましたよ。さあ、用件をどうぞ」晋太郎は肇を見つめて言った。「お前はずっと悟に付き従っているようだな」「そうです」肇の表情は次第に引き締まった。「私は、何か証拠を手に入れようと、彼のそばに潜入しています」「どうやってその話を信じろというんだ?」晋太郎は問い返した。それを聞いて、肇の胸は一瞬締め付けられた。昔は、晋様が最も信頼してくれていた存在だったのに。今となっては、晋様に疑われることになるなんて。しばらく考えた後、肇は納得した。晋様はもともと疑い深い人だ。今は記憶を失っている状態なんだから、自分を信じないのも当然だ。肇は晋太郎に向かって言った。「晋様、悟のそばにいる間に、彼がA国の子会社の機密を盗んだ証拠を手に入れました。ただ、今その証拠は私の手元にありません。もし私と二人で行くのが不安なら、この女性と一緒に行ってきます」「いいわ」美月は即座に立ち上がって言った。晋太郎は彼女を一瞥して言った。「随分と勝手に発言するようになったな」美月はいたずらっぽい笑みを浮かべた。「じゃあ、自分で行けばいいじゃない」「俺は仕事があるんだ。使い走りはお前の仕事だ」「行きたくないなら、そう言えばいいのに。言い訳しなくてもいいですよ」美月の声は大きくはないが、しっかりと晋太郎の耳に届いた。晋太郎は
「情報を深掘りできるかどうかはともかく、まずはこのことを記事にして発表します!」「私も行く!あんな美しい女性が帝都にいて、しかも戻ってきたばかりの森川社長のそばにいるなんて。きっと大きな話題になるわ!」記者たちは我先にと会社の入り口を後にした。エレベーターに乗り、オフィスの階に到着した。ドアが開いた瞬間、目の前の光景を見た晋太郎の胸には、なぜか懐かしさがよぎった。彼は皆の驚いた表情を横目に、誰の案内も必要とせず、体が覚えているままに以前のオフィスを見つけた。その時、アシスタントオフィス。肇は資料を抱えてドアを開けて出てきた。顔を上げ、ちょうど目の前にいる人物を見た。その顔を見た瞬間、肇は目を大きく見開いた。「晋……晋様……」肇は鼻の奥がツンと痛み、唇を震わせながら呼びかけた。その声を聞くと、晋太郎は足を止め、彼の方を見た。肇の目にたまっていた涙がこぼれ落ちた。「晋様……」肇は声を詰まらせながら言った。「やっと、あなたが戻ってきてくれました……」晋太郎は不思議そうに彼を見つめた。「お前は……俺に、呼びかけてるのか?」肇は呆然とした。彼は晋太郎をじっと見つめ、その目がまったくの他人のように見えることに気づいた。彼の胸は強く締めつけらた。「晋様、あなたは……」「杉本肇さんですよね?」美月が前に出て説明した。「彼のことは後で話しましょう。彼はどのオフィスに行けばいいのでしょうか?会長のオフィスです」「上、上の階です」肇はぼそっと呟いた。なるほど、吉田会長が急に去ったのは、晋様が戻ってきたからだったのか。見たところによると、晋様は記憶を失っているようだ。それでも……帰ってきた。それが何よりだ。美月は笑いながら言った。「肇さん、案内していただけますか?」美月の美しさに圧倒されながらも、肇は慌ててうなずいた。「は、はい……」彼の反応を見て、美月は思わず唇を緩めて微笑んだ。可愛い。三人は上の階に向かおうとした。しかし、エレベーターのドアが開いた瞬間、悟が彼らの前に現れた。晋太郎を見た悟の目は一瞬鋭くなった。晋太郎も同時に目を細め、黒い瞳に一抹の陰気が浮かんだ。しかし悟はすぐに元の表情に戻り、笑みを浮かべた。彼は手
佳世子は少し理解できない様子で尋ねた。「吉田社長、あなたは紀美子さんのこと、好きなんですよね?私と美月があなたを利用して彼を刺激しようとしているとしても、この機会に紀美子と仲を深めたいと思わないんですか?」「俺は紀美子に好意を持っているが、恋愛感情のためではない」龍介は率直に言った。「彼女に近づいたのも、娘のためだ」佳世子は少し考えてから言った。「紀美子があなたの奥さんにふさわしいと思って、こういうことをしたってこと?」「そうだ」龍介は坦然と言った。「紀美子は良い女性だ。俺たちは夫婦にはなれなくても、友達にはなれる。友達のために、手伝えることは喜んでする」佳世子は感動した。「吉田社長、あなたは本当に、私が今まで出会った中で最高の男性だわ」「そんなことはない」龍介は笑いながら言った。「今後俺が必要なら、前もって教えてくれればいい」「約束ですよ」「うん、約束だ」……帰り道、美月は険しい表情の晋太郎を見つめて言った。「どうしたのですか?」晋太郎は怒った目で美月を見つめた。「わざとやったんだろう?」「わざとって?」美月はわざと理解できないふりをした。「何のこと?」晋太郎は彼女をじっと見つめ、彼女が本当に困惑しているのを確認すると、やっと視線を外した。彼は今夜の出会いがあまりにも不自然だと感じていたのだ。しかし、どこがおかしいのか、上手く説明できなかった。何しろ、都江宴は誰でも入れるような場所ではない。美月が評判の良いあのレストランを選んでMKの株主と会うのは、理にかなっている。今夜は本当にただの偶然だったのか?そう考えながらも、晋太郎の脳裏にはまた紀美子の顔が浮かんだ。あの顔が、最近やけに頭の中に浮かぶ。どうしても忘れられない。しかし、彼女との間のことは、まだ何も思い出せなかった。しばらく沈黙した後、晋太郎は車窓の外を見ながら言った。「俺が以前住んでいた場所を調べてくれ」「はい」「それと、これからはほとんどの時間をMKで過ごす」晋太郎はまた言った。「はい」美月は少しうんざりしたように言った。「私を秘書にしたいなら、はっきり言えばいいのに」晋太郎は冷たく笑った。「二倍の給料でも不満なのか?」美月は髪
晋太郎は言った。「その顔は何だ?」「私?」紀美子は疑わしげに口を開いた。「今は私に聞くときじゃないでしょ。あなたがどうして女性用トイレにいるの?」彼は間違えて入ったんだろう、と紀美子は心の中で思った。晋太郎の視線は何度も紀美子の体をちらちらと見ていた。彼女の様子を見に行こうかどうか迷っていると、紀美子の携帯が鳴った。彼女は携帯を取り出し、龍介からの着信だとわかると、すぐに電話に出た。「龍介さん?」「大丈夫、ちょっと吐いただけ。今出るから」「わかった」そう言うと、紀美子は電話を切った。彼女は晋太郎の前に歩み寄り、怪訝そうに彼を一瞥した。「あなた、本当に女性用トイレを使うつもり?私は先に出るけど、変態扱いされないように気をつけてね」紀美子の言葉に、晋太郎の顔は真っ赤になった。「俺にそんな趣味はない!」紀美子の手がドアノブに触れた瞬間、晋太郎の言葉を聞いて彼女はまた首を傾げた。「じゃあ、ここで何してるの?」龍介がここにいることを知らない晋太郎は、どう説明すればいいかわからなかった。「君を探しに来た」とでも言えばいいのか?絶対無理だ。今の自分たちには何の関係もないし、自分に口を出す資格などない。そう考えると、晋太郎の心には後悔の念が込み上げてきた。一体何をしに来たんだ、俺は?彼が黙っているのを見て、紀美子は呆れてドアを開けた。外には龍介が待っていて、すぐに中の晋太郎の姿を目にした。彼は軽く眉をひそめた。「龍介さん、戻りましょう」龍介はふっと笑い、あえて紀美子に尋ねた。「森川社長はどうしたんだ?」紀美子が説明しようとしたが、晋太郎がなぜここにいるのか気づいた。女性用トイレと大きく書かれた看板を、彼が見逃すはずがない。彼は私たちがトイレで何かをしていると思い、その現場を押さえに来たんだろう!彼の中で、自分はそんな軽薄な人間なのか?紀美子はイライラし始め、思わず皮肉を口にした。「記憶を失うと変態になって女子トイレに入るようになるのね。龍介さん、気にしないで。個室に戻りましょう」記憶喪失と変態に何の関係がある?晋太郎は憤然としたまま紀美子の後ろ姿を見つめた。反論しようとしたその瞬間、一人の女性がトイレの入り口に現れた。中の男
龍介は淡々とした様子で言った。「森川社長には関係ないでしょう?」その言葉を聞いて、紀美子は頭が痛くなった。これって、認めたようなものじゃないか?しかし、今さら説明しても無駄だ。ウェイターはもう姿を消してしまっている。余計なことを言えば、かえってごまかしているように見えるだろう。紀美子は心の中でため息をついた。晋太郎は冷たい目で二人を見つめ、しばらくしてから再び口を開いた。「確かに、お前たちが何をしようと、俺には関係ない」そう言い放つと、彼は美月へと視線を移した。「案内してくれ」「せっかく会ったんだから、一緒に食事でもどうですか?」晋太郎は眉をひそめ、断ろうとしたが、佳世子が前に来て言った。「ちょっと、こんな偶然ある!?これはもう運命ってやつでしょ!一緒に食べようよ!」美月もすぐにそれに乗った。「それなら、お言葉に甘えて。行きましょう」「お前、まさかタダ飯にありつこうって魂胆じゃないだろうな?」「森川社長、私がご馳走するのに、馬鹿にしてるんですか?」佳世子は彼に尋ねた。「必要ない……」「そう、馬鹿にする必要はないよね?」佳世子は晋太郎の言葉をわざとらしく繰り返した。「さあさあ、私が案内するから」そう言うと、佳世子は龍介に向かって言った。「吉田社長、紀美子をトイレに連れて行ってくれませんか?」その言葉を聞いて、晋太郎の眉はさらに深くひそまった。胸の中にはイライラが押し寄せたが、彼は何も言えなかった。龍介はうなずき、紀美子と一緒にトイレに向かった。個室に入ると、佳世子はまたワインを注文し、彼らのグラスを満たした。美月は目の前の状況を見て眉を上げた。「入江社長はたくさん飲んだんですか?」「まあまあね」佳世子は笑いながら言った。「吉田社長はうちの紀美子を気遣って、たくさん代わりに飲んでくれたのよ」美月はわざと驚いたふりをして扇子を唇に当てた。「あの二人は……」「言わなくてもわかるでしょ?」その会話を聞いて、晋太郎はますます苛立ったようで、何度も個室のドアを見やった。そして、時折時計に目を向けた。彼らがトイレに行ってから、もう5分が経っていた。それを察した美月が、わざとらしく言った。「ねえ、入江社長と吉田社長、ま
「龍介さん、遅れてごめんなさい」佳世子は持ってきた2本の赤ワインをテーブルに置いた。「佳世子さん、今夜は一杯やるつもりだね」龍介の視線は赤ワインに注がれた。「一杯どころじゃないわ!」佳世子は紀美子の隣に座りながら言った。「全部飲み干さないと!龍介さんが好きな赤ワインを探すのに、結構苦労したのよ」「すまないな」龍介は笑って言った。「あんた、体は大丈夫なの?お酒飲めるの?」紀美子はテーブルの下で佳世子の裾を引っ張り、小声で尋ねた。「問題ないわ!龍介さんが明日出発しちゃうんだから、今夜はしっかり飲まないと。彼がが酒豪っていう噂はずっと聞いてたから、彼と勝負したかったの!」佳世子は考えがあった。とにかく、お酒を飲めば何でも話しやすくなる。アルコールは人を衝動的にさせる!酒をそれぞれのグラスに注ぐと、店員が料理を運んできた。「みんな酒の玄人だから、玄人の流儀で飲もう!」そう言って、佳世子は店員に持って来させたサイコロを龍介に渡した。「いいね。じゃあこれで行こう」龍介はサイコロを見て思わず笑った。紀美子も佳世子に引きずられて半強制的にゲームに参加した。何局か続けておこなったが、あまり上手ではない紀美子は負け続け、6杯も飲まされた。7局目でも、またもや紀美子が負けた。佳世子が彼女にワインを注ぐと、龍介は思わず口を開いた。「佳世子さん、私が代わりに飲んでもいいかな?」佳世子はまさにこの言葉を待っていたのだった。「いいわよ!ここからは、紀美子が負けたら全部あんたが飲んでね」紀美子は反射的に断ろうとしたが、龍介は先に「いいよ」と言った。佳世子はもともと酒場で遊ぶのが好きで、サイコロを振るのには慣れていた。ゲームが進んでいくと、ほとんど龍介が飲みほした。その時、店の外では、美月がとある人を連れ、晋太郎と一緒に入ってきた。入り口で、彼女は佳世子に、紀美子をトイレに連れて行くようとメッセージで合図を送った。トイレは廊下を通る必要があり、偶然を装って直接出会うことができるのだ。メッセージを読んだ佳世子は、一時的にゲームを中断し、頬を赤らめた紀美子に向かって言った。「紀美子、トイレに付き合ってくれる?」そして佳世子は龍介を見た。「龍介さんも行く?」龍
「午後はちょっと出かけるから、店の場所とかは後で送っておいて」「わかった」昼食後、佳世子は会社を出た。車に乗り、彼女はある番号に電話をかけた。相手の女性はすぐ電話に出た。「佳世子さん、やっと連絡をくれましたね。どこで会いましょうか?」「位置情報を送る。今からそこに向かって」20分後、佳世子はとある喫茶店に到着した。座ってすぐに、チャイナドレスを着た女性が彼女の前に座った。「佳世子さん、何を飲みますか?」遠藤美月は笑顔で尋ねた。「ラテでいいわ」注文を終え、美月は口を開いた。「佳世子さん……」「佳世子でいいわ」佳世子は遮った。「さんづけはよそよそしいから」「わかった」美月は言い直した。「佳世子、今日はあんたに相談したいことがあるの」「晋太郎のこと?」美月の妖艶な目には笑みが潜んでいた。「そう、あんたに一緒にしてほしいことがあるの。だって、社長が記憶を取り戻すスピードが遅すぎるんだもん」佳世子は眉をひそめた。「本当に謎だわ。どうしてあんたたちは紀美子と森川社長の過去のことを話さないの?話した方がいいんじゃない?そうすれば紀美子も近づきやすいのに」「もし私があんたにそれを話したら、あんたは信じてくれるの?」美月は間髪を容れずに彼女に反問した。佳世子はしばらく黙っていた。「……信じるのは難しいでしょうね。なんなら、相手と接触するように強制されているように感じるかも」「そうでしょ」美月は言った。「無闇に話しすぎると、逆効果なの。社長には、自分で入江さんへの感情を思い出させる方がいいわ」佳世子は前の話題に戻った。「で、私に何をしてほしいの?」「龍介さんを引き止めて、入江さんと龍介さんが会う機会を増やしてほしいの」美月は自分の考えを話した。佳世子は驚いた。「そうする理由は?」美月は手に持っていた扇子を開き、佳世子に向かって風を送った。「もちろん、男の独占欲を利用するためよ」「つまり、龍介さんを使って森川社長の紀美子への感情と独占欲を引き出すってこと?」佳世子は首を振って拒否した。「それは彼に失礼すぎるわ。龍介さんは紀美子が好きなのよ。それに、彼らが会っても、森川社長になんの関係があるっていうの」「もちろん、私が口
「違う」晋太郎は否定した。「だが、俺の同意を得て手配されたものだ」晴は頭を悩ませた。「なぜあんなことをしたんだ?あんたのその行動のせいで、紀美子は命を落とすところだったんだぞ!」晋太郎は窓の外の夜景を見つめた。「話せば長くなるから、止めておく」「???」どういうことだ?人の興味を掻きたてておいて、説明しないなんて!しかし、晴も敢えてそれ以上聞かなかった。晋太郎に詰め寄っても無駄だと理解していたからだ。話したければ、こちらから聞かなくても話してくれるだろう。反対に、話したくなければ断固として口を開かない。晴は話題を変えた。「佳世子から聞いたんだけど、MKに戻るんだって?」「ああ」晋太郎は頷いた。「今日、株式を買い戻した」晴は目を細めた。「君はいったいどれだけの金を持ってるんだ?そんなに簡単に買い戻せるものなのか?」晋太郎は冷たい目で彼を見た。「何をそんなに気にしてるんだ?」晴は笑った。「そりゃあ気になるだろ。あんたは一体どれほどの資産を持ってるんだ?」「それは、ノーコメントだ」晋太郎は答えるのを拒否した。捻くれ者!晴は心の中で呟いた。いつか彼の口から全て聞き出してやる!秋ノ澗別荘。悟はまた自分の部屋に閉じこもり、酒に溺れていた。月の光が彼の体に降り注ぎ、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。彼はグラスを持ち上げ、中の酒を一気に飲み干した。喉から胃にかけて辛さが広がり、目も赤く充血した。もう一杯注ごうとした時、彼は酒がすでに無くなっていることに気づいた。悟は、そのまま手に持っていたワインボトルとグラスをソファに放り投げた。窓の外の静かな夜景を見つめる彼の目には、明らかな悔しさが浮かんでいた。彼にはどうしても理解できなかった。なぜ晋太郎は生きて戻ってきたのか?あの事故で、彼は死ぬはずだったのに!もし彼が戻ってこなければ、紀美子はいつか自分と一緒になっていたはずだ。しかし、その唯一の希望も彼の出現によって完全に消え去ってしまった。彼に死んでもらうしかない……そう、晋太郎が死ねば、自分と紀美子には希望が生まれる。紀美子は自分のものだ。自分と一緒になるしかない。今の晋太郎の力量を考えると、彼に手を出す