「中はどうしたの?」入江紀美子は入り口で眺めている女性同僚に尋ねた。声をかけられた女性同僚は振り返った。「入江さん。あの応募に来た女の人ね、人の作品をパクッて面接しに来たのがバレて、チーフがそのまま彼女の面接資格を取り消そうとしたんだけど、逆切れして、今事務所で暴れてるのよ」「なるほど」ことの経緯を聞いた紀美子は人事部の事務所に入った。チーフは一人の女性と激しく言い争っていた。女性の顔立ちはなかなかきれいなものだが、露出度の高いかっこうをしていた。「入江さん、ちょっと助けて、この狛村さん、人の作品を盗用して面接に来たのに、問い詰めたら逆切れしてきたのよ」チーフが紀美子を見て、助けを求めてきた。「話は聞きました。もう帰ってください。MKは不誠実な人は永遠に採用しません」紀美子は狛村をはっきりと断った。「関係ないでしょ、誰よ、あんた。私にそんな口の聞き方するなんて、あんたに不採用と判断する資格があるとでも?この会社はあんたのものじゃないでしょ?」「私が誰なのかは、あなたと関係ありません。覚えておいてください。私がこの会社にいる限り、あなたのような小賢しいまねをして入社しようとする人、永遠に採用しません」「大口を叩くじゃない」女はあざ笑いをした。「覚えておきなさい!将来私がMKに入社したら、絶対にあなたに跪いて謝ってもらうから!」「そんな日がくるといいわね!」「警備を呼んで。この狛村さんに出て行って貰うわ!」紀美子はチーフに指示した。……夜。MKで返り討ちを喰らった静恵は電話をしながらバーに入った。「安心して、絶対になんとかしてあの会社に入るから」静恵は低い声で電話の向こうに言った。そして、彼女は電話を切り、カウンターに座りバーテンダーに酒を一杯注文した。この時、ある人が彼女の隣に座り込んできた。「静恵ちゃん!」静恵は振り返って隣に来た男の顔を見た。彼は彼女がこの前酒場で知り合った飲み仲間、八瀬大樹だ。男はいわゆるブサイクの部類に入るものだった。しかし彼は裏表社会においてそれなりの背景を持っているらしく、静恵は彼と何回か夜を過ごしていた。彼女は少し驚きながら言った。「大樹さん?帰ってきたの??」「なんだ、俺を見てそんなに緊張するなんて、ま
翌日、ジャルダン・デ・ヴァグ。ここは森川晋太郎の個人別荘だ。朝六時半頃だが、入江紀美子は起きて晋太郎に朝食を用意していた。彼女は、晋太郎の愛人になった日からここに住んでいた。それからは晋太郎の生活は彼女一人で世話をするようになった。彼女は晋太郎の秘書、愛人、そして使用人でもあった。男が起床した頃、朝食は既にテーブルの上に並んでいた。晋太郎がネクタイを締めながら階段を降りてくるのをみて、紀美子はすぐ出迎えにいった。「私が締めます、社長」晋太郎は手の動きを止め、紀美子がネクタイを手に取り丁寧に結び始めた。紀美子は170センチと長身の方だ。しかし晋太郎の前ではせいぜい彼の胸の高さだった。晋太郎は目を逸らし、紀美子の体が発する香りを嗅いだ。理由もなく、彼には欲の火が灯された。「できました……」紀美子が頭を上げた途端、後頭部を男の大きな手に押えられた。彼の舌はミントの香りを帯びており、蛇のように彼女の口の中に侵入してきた。別荘の中には急に曖昧な雰囲気が漂った。2時間後。黒色のメルセデス・マイバッハがMK社のビルの前に停まった。運転手は恭順に車を降り、ドアを開けた。数秒後、晋太郎は長い脚を動かし車から降りた。オーダーメイドの黒いコートは彼の落ち着いた気質を限界まで引き出していた。その強烈なオーラはまるで神の如く、周りの人はそのプレッシャーで逃げ出したくなるほどだった。晋太郎は細長い指でネクタイを緩めながら、手に持っている資料を隣の紀美子に渡した。その瞬間、晋太郎の深い眼差しが紀美子の少し腫れた唇に少し留まった。そしていきなり手を上げ、厚みのある指腹で彼女の口元を軽く擦った。「口紅、少しはみ出ている」そう言いながら、彼は親指ではみ出た口紅を拭きとった。温もりを感じるその触感は、紀美子の瞳を強く震わせた。一瞬、彼女は、今朝彼にソファに押えられ求められたことを思い出した。晋太郎の眼底に映っている自分のとり乱れた姿を見て、紀美子は慌てて気持ちを整理した。「ありがとうございます」心臓の鼓動は乱れていたが、彼女の声は落ち着いていた。晋太郎は手を引き、口元を軽く上げ、すらっとした体を翻して会社の方へ歩き出した。紀美子は浮つく心を必死に抑えながら、タブレッ
ウィーン、ウィーン入江紀美子はテーブルの上に置いている携帯電話の振動で現実に引き戻された。母の主治医の塚本悟からの電話を見て、慌てて出た。「塚本先生!母に何かあったのですか?」紀美子は心配して尋ねた。「入江さん、今病院に来れますか?」電話の向こうの声は明らかに何かがあるように聞こえた。「はい!今すぐ行きます!」紀美子は急いで立ち上がった。20分後。シャツ一枚の姿の紀美子は病院の入り口の前で車を降りた。冷たい風に吹かれ、紀美子は思わずくしゃみをして急いで入院病棟に向かった。エレベーターを出てすぐ、母の病室の入り口にレザーのジャケットを着ている男が見えた。男は口元にタバコをくわえていて、挑発的な口調で悟に話しかけていた。その男を見て、紀美子は両手に拳を握り、急いで病室に向かって歩き出した。彼女の足音が聞こえたのだろう、悟と男は振り向いた。紀美子を見て、男はクスっと笑った。「これはこれは、入江秘書様のお出ましか!」紀美子は悟に申し訳ない顔をして、そして男に冷たい声で伝えた。「石原さん、この間も言ったでしょ、借金の取り立てであっても病室まではこないように、と」石原はくわえているタバコのフィルターを噛みしめた。「お前のオヤジさんがまた消えちゃったんで、ここまでくるしかなかったんだ」「今回はいくら?」紀美子は怒りを抑え、石原に聞き返した。「そんなに多くないさ、利息込みで150万!」「先月までは70万だったのに!」「お前のオヤジに聞け。借用書はこれだ。お前のオヤジの筆跡は分かるよな?俺はただ借金の取り立てに来てるだけだ」石原はあざ笑いをして紀美子を見つめ、紀美子に借用書を見せた。紀美子は怒ってはいるが、反論する理由が見つからなかった。父はギャンブルにハマったろくでなしだ。しょっちゅう借金を作って博打に使い、ここ数年は借金が積もる一方だった。借金の返済日になると、この借金取りたちが母の病院に訪ねてくる。紀美子は怒りを抑えながら考えた。「分かったわ!」「金は渡すから!けど今度また病院まで取り立てにきたら、もう一銭も渡さないからね!」そう言って、紀美子は携帯電話から石原の口座へ150万円を送金した。金を受取り、石原は携帯を揺らしながら颯爽と病室
「うん、聞くわ」入江幸子は目を開け、天井を見つめて深呼吸をした。「紀美子、実はあなたは…」「幸子!」声と共に、一人の男が入り口から焦った様子で駆け込んできた。二人が振り返ると、男は既に近くまで来ていた。その男の体はタバコと酒の臭い匂いを発しており、髭は無造作に生えている。男は紀美子の反対側に座った。「どうだった?石原に酷いことをされなかったか?」「何をしにきたのよ!」幸子は嫌悪感を露わにして言った。「また迷惑をかけにきたの?」入江茂は舌打ちをしながら紀美子を見た。「紀美子、ちょっと席を外してくれないか?幸子にちょっと話してすぐ帰るから」紀美子は心配そうに母の方を見たが、幸子は彼女に頷いた。紀美子はしぶしぶと立ち上がり、厳しい眼差しで茂を見た。「お母さんを怒らせないで」茂は何度も頷いて答えた。紀美子は何度も振り返りながら病室を出た。病室のドアが閉まった瞬間、茂の心配そうな表情は消えた。「あのな、あんまり余計なこと喋るなよ」「もう紀美子を利用させない!」幸子は目から火が出そうなほどの厳しい表情で、歯を食いしばりながら答えた。「俺が金をかけて育ててやったんだから、借金の返済くらい、手伝ってもらうのは当たり前だろ?お前が大人しく口を閉じていればそれでいいが、もし何か余計なことを漏らしたら、紀美子に今の仕事を続けられなくしてやるからな!」「あんた、それでも人間なの?!」幸子は体を震わせながら拳を握り締めた。「そうだ、俺は悪魔だ。お前はその口をしっかりと閉じておけ。でないと、何が起きても知らんからな!」茂はその言葉を残し、振り返らずに病室を出た。ドアを開け、そこに立っている紀美子を見ると、茂はすぐに顔色を変えた。「紀美子、お父さんは先に帰るからな!今日の金はお父さんがお前から借りたことにしよう」それを聞いた紀美子が顔を上げると、茂は返事を待たずに行ってしまっていた。紀美子がため息をつき病室に戻ろうとした時、ポケットに入れていた携帯がまた鳴り始めた。森川晋太郎からだ。紀美子は少し緊張して電話に出た。「今どこだ?」電話から冷たい声が聞こえてきた。「ちょっと急な用事が…」紀美子は病室の中を眺め、声を低くして答えた。「狛村静恵のことでデ
「社長」入江紀美子は疑惑を抱えながら森川晋太郎の前に来た。「昨夜は何故帰ってこなかった?」「体の具合が悪かったからです」「具合が悪かった?口まで開けない状態だったか?まずは俺に報告することを忘れたのか?」晋太郎は更に厳しい口調で問い詰めた。「違います。薬を飲んで眠ってしまいました。わざと報告を怠ったのではありません。」「本当に眠ってしまったのか?それとも、他の男と寝ていて報告をしなかったのか?」晋太郎は無理やり目の中の怒りを抑え、声がますます冷たくなった。「えっ?他の男って?」紀美子は頭を上げて聞き返した。「その質問、君ではなく俺がするものではないか?」晋太郎は冴え切った目で紀美子を見つめ、挑発まじりに聞き返した。「入江さん?」まだ戸惑っていた紀美子は、優しそうな声が聞こえてきた。その瞬間、紀美子は思い出した。昨日晋太郎に電話を切られる前、塚本悟と話していた。もしかして晋太郎が言っている男とは、悟のことか。紀美子はこちらに向かって歩いてくる悟を見てから晋太郎の顔を覗いた。そこから説明してもすでに遅かった。悟は紀美子の傍で足を止め、針を抜いて血が垂れ続けている彼女の手を見た。「血が出ている、この時間なら、まだ点滴は終わっていないはずじゃない」それに気づいた紀美子は慌てて針の穴を手で塞いだ。「ありがとう、あとで処理しておくから」悟は自分の手を紀美子の額に当て、心配そうにため息をついた。「熱はひいたようだけど、まだ静養が必要だ」紀美子は晋太郎に誤解されたくないので、慌てて視線を逸らした。「分かってる」悟は仕方なく手をポケットの中に突っ込んで、ようやく隣で息を潜めている晋太郎に気づいた。「患者さんは静養が必要です。話は後にしていただけますか」悟は謙遜かつ礼儀正しい言葉遣いで注意した。「医者が体温計ではなく、手を当てるだけで患者の体温を正しく測るなんて初めて見た」晋太郎は冷やかしを言いながら、悟と目を合わせた。「臨床の経験を活かせば、患者さんの時間を節約できることもありますので」その会話を聞いた紀美子は緊張した。彼女は、悟が自分の為に晋太郎に抵抗しているのは分かっていたが、晋太郎が決して大人しく人の話を聞く人間ではないとも分かっている。
入江紀美子は手元の仕事を片付け終えた頃、まだ時間があったので、彼女はカバンを持って出社した。エレベーターを出ると、森川晋太郎と狛村静恵の姿が見えた。「入江さん、もう体は大丈夫なの?」静恵は心配そうな口調で話しかけてきた。「大分よくなったわ。心配かけてごめん」紀美子は晋太郎の顔を見ずに静恵に答えた。「いいのよ、あなたが早く治れば、社長のお仕事を肩代わりできるんだから」そう言いながら、静恵は長い髪を耳の後ろにまとめ、わざと耳たぶのホクロを見せつけてきた。「社長、後でお食事に行くとき、入江さんも連れて行きましょうか?」「いい、彼女はやるべきことがある」晋太郎は冷たく返事した。そう言って、晋太郎は静恵の腕をとり、エレベーターに乗った。紀美子は空気を読んで一歩下がり、何事もなかったかのような顔で二人の横を通っていった。午後8時。紀美子はまとめ終わったスケジュールを晋太郎に送った。疲れで割れそうな頭を揉みながら会社を出ると、杉本肇が少し離れた所に立っていた。「晋様に、入江さんを家まで送れと言われました」「大丈夫よ、自分で帰るから」紀美子は断った。「入江さん、ちょっと話したいことがあります」「なに?」紀美子は無気力そうに尋ねた。「晋様が、入江さんの体調が良くないので使用人を雇いました。その人が今、ジャルダン・デ・ヴァグで待っています」晋太郎は一体何をしようとしているのだろう、と紀美子は眉を顰めた。自身の憧れの人と一緒にいながら、私を手放さない。紀美子は心の中であざ笑った。自分はあの女と共に晋太郎に仕えるほど下賤ではない。彼女は再び断ろうとしたが、肇は声を低くして言った。「入江さん、狛村さんの身分はまだ確定していませんので、ご自分の為にも、もう少し抗ってみませんか?」「杉本さん、この世の中、感情なんかより、お金のほうがずっと重要だわ」紀美子は嘲笑気味に肇に言い放った。話を終わらせ、紀美子は肇の傍を通って帰っていった。「晋様、入江さんはジャルダン・デ・ヴァグに帰らないと断ってきました」肇は軽くため息をつき、後ろの席に座っていた晋太郎に報告した。晋太郎は唇をきつく噛みしめ、その様子は威圧感があった。「ならばもう永遠に帰ってこなくていい!明日あいつの
「私は何も間違っていない……」入江紀美子は瞳を震わせながら、森川晋太郎を見た。「謝れっつってんだ!」晋太郎の怒りは冷たく顔に出ていた。「同じことを何回も言わせるな!」紀美子は怒り狂った彼の前では、すべての不満を飲み込むしかなかった。そうだ、今は狛村静恵こそが彼の憧れなのだ。紀美子はただの代替品、いつでも捨てれる玩具だ。彼女のどうでもいい言い訳は、彼の憧れの言葉に比べれば、取るに足らなかった。「ごめんなさい」胸の痛みを堪えながら、紀美子は頭を下げ、泣きながら謝った。「晋太郎さん、もう入江さんを責めるのはやめて。全部私が悪いの……」静恵は晋太郎の懐に埋めていた顔を上げて言った。「まだ彼女の為に言い訳をするのか。もう帰ろう」晋太郎は愛しんで静恵を抱きしめた。二人は手を組んでその場を離れたが、紀美子は涙が止まらなかった。涙は、絶えず彼女の目から勢いよくこぼれ落ちてきた。……夕方。紀美子は仕事を終え、病院に向かった。病院に入ると、塚本悟が病室の前で看護婦に何かを指示していた。紀美子が悟に軽く頷き、病室に入ろうとすると、彼に止められた。「紀美子、お母さんは化学療法を終えて今寝たばかりだ。入らない方がいい」「悟さん、母の化学療法はもう第五期だけど、今の状況はどう?」紀美子は立ち止まり、声を低くして悟に母の病状を確認した。「大丈夫だ、早期発見ですぐに手術したから、予想よりも順調に回復している」話を聞いた紀美子は少し安心したが、やはり治療費のことを心配した。「口座に振り込んだ治療費は、まだ足りています?」「昨日2000万円を入れたばかりじゃないか」そう言われると、紀美子は戸惑った。自分に決して一気に2000万円など出せるわけがない。あの人だったら、或いは……紀美子は慌てて携帯電話を手に取り、杉本肇に電話をかけた。「社長の指示で母の治療費を払ってくれたの?」紀美子は杉本に確認を取った。「はい。晋様に『入江に黙っておけ』と言われましたが、実は昨日入江おばさんの口座に2000万円振り込んでおきました」その話を聞くと、紀美子は無意識に携帯電話を握りしめた。暫く躊躇ったあと、彼女は晋太郎に電話をかけた。「社長、今どこですか?」「要件を言え」
もしかして彼女こそが森川晋太郎がずっと探している憧れの人だろうか?いや、違う。その女の子が彼を助けた後急に行方不明になったと、晋太郎が言っていたのを覚えている。大人になった彼女の顔は、晋太郎でも分からない。明らかにこの写真の中の女性はその女の子ではない。ならば彼女は一体誰なの?入江紀美子は晋太郎の下で3年間働いた。その間、その女性のことを一回も聞いたことはなかった。しかしこの写真を見る限り、彼女は晋太郎の中ではかなりの地位を占めている。紀美子は虚ろな目をして写真を拾い、嫉妬が沸いてきた。彼女はもう晋太郎のことを十分知っていると思っていた。しかし今、自分が晋太郎のことを何も知らないことに気付いた。知っていることは、すべて彼が自分に知ってもらいたいことだけだった。彼の心の中には自分にために開けてくれる空白なんてものは一つもないようだった。無理もない。たかが愛人なのに、自分は何を期待しているのだろう。使用人の松沢初江が箒を持ってきた頃、紀美子は既に気持ちの整理ができていた。彼女は携帯電話を取り出し、額縁屋に電話をかけ、フレームを直してもらいたいと頼んだ。2時間後。業者は修理できたフレームを組み直し、絵を壁に掛けなおした。「お客様、フレームはこれで大丈夫でしょうか?」紀美子は絵のフレームを暫くチェックして、直してもらったものは前と殆ど同じなのを確認して安心した。「はい、これでいいです。おいくらですか?」「2万円になります」「はい」しかし紀美子が携帯で代金を払おうとすると、画面には残高不足の知らせが表示された。紀美子は一瞬思考が止まり、顔が真っ赤になった。彼女は自分が今月の給料を母の世話係の業者の料金と、父の借金を払ったのを思い出した。今この銀行口座にはもう1万円弱しか残っていなかった。業者は複雑な目線で紀美子をみた。その目線はまるで、「こんな豪邸に住んでいるのに、たった2万円の金も持ってないのか」と言わんばかりだった。「少し待ってください。今現金を持ってきますから」彼女は寝室に戻り、この金をどうすればいいかを悩んでいる時、ベッドの横のナイトテーブルに目線を落とした。紀美子はテーブルの引き出しから、200万円の現金が入った封筒を取り出した。そ
「僕の言う通りだろ?あんたたちこそ、勝手にこっそりと付いてきたんじゃない」「おばさんが来るのを嫌がってるの?」「別に嫌だなんて一言も言ってない」佑樹は面白そうに跳ね回る佳世子を見て言った。「佑樹くん、佳世子さん、喧嘩はやめよう……」念江が困って仲裁に入った。念江の言葉に感動され、佳世子は心が温まったが、すぐにまたカッとなった。「佑樹、念江くんを見習いなさい!なんてひどい言い草なの!」「もうすぐこんな言葉も聞けなくなるんだよ」佑樹は面倒くさそうな表情をした。その話になると、佳世子は言葉に詰まった。「あんたたち……外に出てもちゃんと連絡を寄越してね」「それは僕たちが決められることじゃない」念江は重苦しそうに紀美子を見た。「お母さん、前もって言っておかなきゃいけないことがある」「どういうこと?」紀美子は不思議そうに尋ねた。「先生から、しばらくはお母さんと直接連絡を取れないけど、先生を通して状況は知らせると言われた」「どうしてそんなことするの?」紀美子は焦って聞き返した。「修行しに行くんでしょ?パソコンも持ってるるのに、なぜ連絡できないの?」ちょうどその時、晋太郎が紀美子のそばに来て、会話を聞きながら説明した。「彼らは隆久に付いていくが、技術を学ぶためではなく、ある島に送られる」紀美子は驚いて彼を見た。「詳しくは部屋の中で話そう」10分後、一行は部屋に集まった。紀美子は焦りながら晋太郎の説明を待ち、佳世子と晴も驚いた表情で彼を見つめた。「島というのは、隆久が殺し屋を育てるために買い取ったものだ。ほとんど知られていない島で、外部との連絡は完全に断たれている」「もし情報が漏れると、島にいる者たちに大きな危険が及ぶ。隆久を狙う勢力も少なくない」「彼たちがまだ6歳なのに、そんな場所に送るの?隆久さんと相談して、もう少し段階を踏めないの?」晋太郎は彼女を見た。「島に入る連中がどんな年齢だと思う?」「少なくとも10代後半か20代じゃない?」佳世子が口を挟んだ。「おそらく佑樹や念江と同じ年齢だろう。殺し屋という稼業は、大抵幼少期から訓練を受ける」晴は眉をひそめた。「ああ、彼らの黄金期は20代から30代だ。30を超えると身体能力が大幅に低下する
子供たちが安心して眠れるよう、車内の照明は薄暗いナイトライトのみが残されていた。淡い光に照らされ、紀美子の憂いを帯びた澄んだ瞳が晋太郎の目に映り込んだ。最近の出来事で少し痩せた彼女の顔を見て、晋太郎の胸に痛みが走った。無意識に手を動かし、紀美子の頬に触れてしまった。その温もりを感じた瞬間、我に返った晋太郎は慌てて手を引こうとした。紀美子は素早く両手で彼の手を捕まえた。「晋太郎、あんた…もしかして……」彼女の目には驚きが浮かんでいた。「顔に着いてたゴミを拭いただけだ、何を考えてるんだ?」晋太郎はいつもの表情に戻ったが、紀美子の顔は見る見る赤くなった。「別に…何も考えてないわ」彼女は慌てて晋太郎の手を離した。そして、紀美子はきまり悪そうに視線をそらした。先ほどの彼の挙動を見て、彼女はてっきり晋太郎は記憶が戻ったと思った。紀美子はナイトライトの方を見つめた。もしかしたらこの光のせいで、錯覚したのかもしれない。「早く休め。着くまでまだ時間がかかる」晋太郎が言った。「少しでいいから、状況を教えて。でないと安心して休めないわ」紀美子は目を伏せた。「同じルートではない。俺は別件で出かけることにしてるから、同じルートで行くと疑われる」しつこく聞く彼女に、晋太郎は答えた。これで、紀美子は自分らが安全圏内にいることが確信できた。「あんたも少し休んで。私は子供たちを見てくるわ」彼女は安堵の息をつき、立ち上がった。「ああ」翌朝8時。紀美子たちが民宿に着いた途端、佳世子から電話がかかってきた。「紀美子、もう着いた?」佳世子は尋ねた。「ええ、ここ、空気がとてもきれいで気持ちいいわ」紀美子は周りの山々を見回しながら答えた。「私もそう思う!」佳世子はクスっと笑った。「どうして電話越しにここの空気がわかるのよ?」紀美子は笑いながら尋ねた。すると、紀美子の背後から佳世子が忍び寄り、笑いをこらえながら横に立った。「だって私の鼻は敏感だもの」「佳世子、あんたどうして……」突然現れた佳世子に、紀美子は驚いた。「どうして私も来たのかって?」佳世子は大笑いしながら電話を切った。「晴が晋太郎を説き伏せて、場所を教えもらったわ」紀美子が横
「悟が育てているのは、昔で言えば雇い主のためなら命をも捨てられる兵士だね」念江は真剣な口調で言った。「その通りだ」晋太郎は頷いた。佑樹は話を続けた。「つまり、お母さんがいる場所では悟は手を出さず、いない時は父さんを狙ってくる。だから、僕たちは今安全だけど、ボディガードたちは危険にさらされることになる」「俺のボディガードもただの飯食いじゃない」晋太郎は言った。「それに、出発させたのはボディガードだけじゃない。都江宴ホテルの従業員も何人か同行させている」「従業員?」佑樹と念江は不思議そうに尋ねた。「都江宴ホテルの従業員は全員殺し屋なのよ」紀美子は龍介から聞いた話を子供たちに説明した。しかし、二人はそれほど驚かなかった。前に隆久と話した時、晋太郎が「隆久は殺し屋並みの訓練をさせる」と言っていた。そして、隆久が否定しなかったことが何よりの証拠だった。都江宴ホテルの従業員が全員殺し屋だというのもあり得なくなかった。我に返った紀美子は、子供たちの知能がすでに自分の想像をはるかに超えていることに気づいた。こんなに優れた遺伝子を、自分の未練で引き止めていたら、彼らの人生を台無しにするところだった。――別荘。悟はボディガードから晋太郎側の情報を聞くと、上着を手に外へ歩き出した。「情報は確かか?」悟は再確認した。「はい、今の状況から分析すると、今朝の情報は彼が意図的に流したダミーかと」ボディガードが急いで後を追った。「奴は自惚れているのか、それとも俺をこれまでの相手と同じレベルだと見くびっているのか」悟は笑った。「社長の知略には誰も及びません」車に乗り込むと、ボディガードが言った。「おだてるな」悟の目つきは寒気を帯びた。「今すぐ晋太郎を始末しなければならない。紀美子の方はどうなっている?」「手配の者から、都江宴ホテルの前で晋太郎を見送っていたとの報告がありました。社長、途中で始末しましょうか?」「油断は禁物だ。晋太郎の手下もただ者じゃない。もう少し時機を待て」悟は注意した。「承知しました。すぐに連絡します」――1時間後、うとうとしていた紀美子は晋太郎の携帯の着信音で目が覚めた。彼女は子供たちの様子を確認してから、晋太
「なるほど」晋太郎は軽く頷き、興味深そうに頬杖をついて続けた。「他に補足はあるか?」「お父さんはボディガードに情報を流させて、計画を変更したと見せかけるんだ。僕たちと旅行に行くはずが、急用で一人で出張することになった。そして何人かのボディガードをお父さんに成りすまさせ、大勢の護衛を連れて出発させる」子供たちの分析を聞いて、紀美子は呆然とその場に立ち尽くした。彼女は茫然と晋太郎を見つめ、答えを待った。「隆久について行かせるのを許可したのは正解だったようだ」晋太郎が言った。「じゃあ、子供たちの分析は当たったの?」紀美子は尋ねた。晋太郎は頷いた。「ああ。俺は奴のターゲットを混乱させた。護衛なしで堂々と出かけるなんて、バカでも手を出さない。だが、俺が一人で護衛を連れて出かけるなら、君がいない時が奴にとって最高のチャンスだ」「違うわ!」紀美子はすぐに反論した。「あの時だって、悟は大勢の護衛を連れて銃を撃ちながら追ってきたじゃない!今回私がいるいないで何が変わるの?私がいるからって彼が手柔らかにしてくれるとでも?忘れないで、彼は龍介さんに爆弾を仕掛けて、こっそり私の会社に置いていたのよ!」「要するに、奴は龍介を殺すつもりはなかった」晋太郎は説明した。「君の会社を破壊したり、社員を傷つけるつもりもなかった」「どういう意味?」紀美子は呆然とした。「爆弾は偽物だった」晋太郎は話を続けた。「奴が本当に俺たちを殺す気なら、あの夜の船上で、君を一人で残しておけば良かった。俺が到着した時に爆弾を爆発させれば、奴にとって最も手っ取り早い選択だったはず」「じゃあ、その後の追撃は何だったの?」紀美子は驚愕して尋ねた。「あれは単に俺たちの注意をそらすための手法だ。人間は危険に晒されると、他のことに気を回せなくなる」紀美子はまだ混乱しており、悟が自分のために手を出さなかったなんて納得できなかった。紀美子の表情を見て、晋太郎は彼女がまだ理解していないのが分かった。そして彼は再び説明を始めた。「その件を遡ると、実は俺が奴を会社から追い出した時点に起因する。奴は俺が対抗措置を取ることを理解し、潤ヶ丘がどんな場所で、どんな強力なネットワークがあるかも把握してい
悟の計画は、晋太郎の帰還により砂のように崩れた。退路を考えていなかったことが、今の窮地を招いた。だが、彼はその状況をいつまでも続けさせるつもりは無かった。そう考えながら、悟は再び紀美子の資料を手に取った。子供たちを除くと、晋太郎の弱点は紀美子だけだった。……夜。晋太郎は紀美子と子供たち、運転手だけを連れ、都江宴ホテルを出発した。「ボディガードは本当に連れていかないの?」紀美子は周囲を見回して尋ねた。「後ろに大勢ついて回らないと護衛にならないのか?」晋太郎はシートベルトを調整しながら言った。紀美子はしばらく考えて、ボディガードたちはおそらく密かについてきているのだと理解した。だが普段なら派手に車列を組んでいたはずでは?いつもと違うのは、何か目的があるから?幾つかの疑問を抱えていたが、紀美子はそれ以上聞かなかった。代わりに、子供たちと一緒に晋太郎が用意したレゴで遊んだ。道中、紀美子は子供たちと遊びながらも、晋太郎に注意を向けていた。晋太郎は終始真剣な表情で何かのメッセージを返していた。誰かが話しかけない限り、彼は一言も発しなかった。「お母さん、お父さんは仕事で忙しいの?それともあの人の件?」念江もその状況に気づいて母に尋ねた。「お母さんもわからないわ」紀美子は首を振って答えた。「一緒に遊びに行くって言ったのに、一人で忙しそうにしてるなんて」佑樹は唇を尖らせた。「佑樹、急な旅行だったから、お父さんは処理しないといけない仕事が沢山あるのよ」佑樹の不満を察し、紀美子は慌てて説明した。「人のことを話すなら、聞こえないようにしたらどうだ?」突然、晋太郎の声が会話を遮った。紀美子は顔を赤らめた。確かに声を潜めていなかった。「用事を片付けていたが、もう終わった」晋太郎は携帯を置き、姿勢を正した。「他にも何かやってたんでしょ?」佑樹が容赦なく聞いた。 母の言い分はわかるが、ボディガードを連れていないのは不自然だ。今朝も襲われたし、普段ならもっと多くの護衛をつけるはずだが、後ろに誰もいないなんてあり得ない。高速で何かあったら、ボディガードはすぐに駆けつけられるのか?「何をしていたと思う?」晋太郎は佑樹を見て尋ねた。「ボディガ
「後片付けは任せた」晋太郎はナイフをゴミ箱に投げ捨て、美月から視線を外した。「かしこまりました」美月は唇を引き締めて笑いながら答えた。晋太郎はオフィスを出て、紀美子と子供たちのいる客室に戻った。ドアを開けると、紀美子が二人の子供と旅行先を選んでいる最中だった。音に気づき、彼らは晋太郎の方を見た。「あの店員、白状したの?」佑樹が興味深そうに尋ねた。「そう簡単にはいかない」晋太郎は反対側のソファに座った。「奴の悟への忠誠心を甘く見ていたようだ」 「悟は人の心を操るのが上手い人だから、部下が忠誠を誓うのも当然でしょう」紀美子は言った。「で、行き先は決まったか?」晋太郎は話題を変えた。「田舎に行きたい」念江は携帯画面を晋太郎に見せた。「田舎?」晋太郎はてっきり彼らが海外や他の都会を選ぶかと思っていたため、少し驚いた。「どこの田舎だ?」「この辺りは行ったことがないけど、民宿がたくさんあるみたい。お母さんもこういうのどかな場所が好きだって言ってたよ」念江は携帯画面に指さしながら言った。「わかった。荷物を準備して、今夜出発だ」森の奥にある小さな荘園。ドアが開き、ボディガードが慌ててソファで資料を読む悟のもとへ駆け寄った。「社長、晋太郎たちは琢山方面へ旅行に行くとの情報が入りました」 悟は資料を握る手に力を込め、一瞬だけ感情が瞳をよぎった。 「二人だけか?」悟が少し首を傾げて尋ねた。「子供たちも同行するようです。社長、手配しましょうか?」「まだいい」悟は言った。「今手を出したら、子供たちを巻き込んでしまう」 「なぜそこまで子供たちのことを気にするのですか?」ボディガードは不思議そうに尋ねた。「余計なことを聞くな」悟は資料を置き、不機嫌そうに言った。「失礼しました。すぐに仕事に戻ります」ボディガードはハッとして姿勢を正した。ボディガードが去ると、悟は窓の外の景色を眺めた。 彼は子供たちのことを躊躇っているわけではなかった。たとえ今の状況でも、彼は紀美子が子供を失う姿を見たくないだけだった。彼の標的はあくまで晋太郎だけで、紀美子には……まだ未練があった。また、今すぐ行動を起こさない理由は、情報が簡単
晋太郎はメッセージを数通だけ読んで、ボディガードに携帯を返した。「美月にこの番号を調べさせろ」 ボディガードはすぐに美月と連絡を取った。晋太郎は再び店員を見て、冷たく笑った。「貴様のメンタルは想像以上のものだな」店員はきょとんとした表情を装った。晋太郎は立ち上がり、オフィスデスクの方へ歩み寄った。「貴様はずっと嘘をついている」彼はデスクの上にボディガードに用意させたナイフに指を滑らせながら言った。「俺は別に貴様の身元など調べていないし、親の話もただの試しだった。なのに貴様はわざと驚いたふりをして、俺の話に合わせた」店員の表情が徐々に固まっていった。晋太郎はナイフを手に取り、淡々と彼を見た。「そのやり取りのメッセージも、貴様が俺を騙すための芝居だ。貴様は賭けをした。俺が貴様の嘘に騙されるかどうかをな」「それに、レストランで貴様が長期間働いているなら、店長は即座に貴様をその場で叱責するはずだった。しかし、奴はそうしなかった。貴様があの店で働くようになってから、1週間も経っていないだろう!」晋太郎の分析を聞いて、店員の表情が次第に固まった。「なめられたもんだな!だが、これで終わりだと思うな」晋太郎は冷ややかに笑った。「こいつの目を隠せ」「何をするつもりだ?」反応する間もなく、ボディガードが取り出した黒い布で彼の目は覆われた。晋太郎はナイフを店員の左腕の内側に当てた。そこには、一本の黒い線だけのタトゥーがあった。晋太郎にナイフを当てられた部位から金属の冷たさが伝わり、彼の心拍数が一気に上がった。傍らの機械が激しい警告音を発した。「やはり俺の予想通りだった」晋太郎の黒い瞳に冷たさが浮かんだ。店員が返答する前に、晋太郎は素早くナイフを彼の腕に突き刺した。悲鳴がオフィス中に響き渡った。ちょうどドアの前に来た美月は、中の物音を聞くと、興奮した表情を浮かべた。彼女は楽しげに口角をあげ、ドアを押し開けた。晋太郎が店員の腕から、肉血がついた小さな黒い塊を取り出すと、美月は言った。「新型のマイクロ爆弾ですね?」「いつまでそこで見ているつもりだ?」美月は急いで近づき、途中で何枚ものティッシュを取った。晋太郎の横に来ると、彼女は慎重にそのマイクロ爆弾
「ちょうど今日、あんたが同行してるから、あの店員は悟の指示で襲撃を仕掛けてきたと思う」考えれば考えるほど、紀美子は怖くなってきた。もしさっき晋太郎の反応が少しでも遅れていたら、きっとエリーに首を切られたボディガードと同じ運命をたどっていただろう。悟は暗闇に潜んでいて、いつ子供たちにまで手を出すか分からない。そう考えると、紀美子は子供たちに視線を向けた。彼らが早く隆久について行けば、もっと安全かもしれない。晋太郎は紀美子の手を握って慰めようとした。「余計なことは考えなくていい。この件は俺が解決する。君たちは明日の午前中までに、旅行の目的地決めて」晋太郎の冷静な表情を見て、紀美子はそれ以上何も言わなかった。午後1時半。食事を済ませ、晋太郎は一人でMKに向かった。オフィスの前に着くと、ボディガードが晋太郎にドアを開けた。 中では、瀕死状態に殴られた店員が血だるまになって倒れていた。「起こせ」晋太郎は彼を一瞥し、ボディガードに指示を出した。ボディガードは頷き、すぐに塩水を持ってきて実行した。傷口に塩水を流され、気絶していた店員は痛みで目を覚ました。「お願いです、逃してください!」彼は苦痛の叫び声を上げ、恐怖を堪えながら懇願した。「今更ここで助けを乞うなんて、覚悟を決めて俺を殺そうとしたんじゃなかったのか」晋太郎は冷たい目で彼を見下ろした。「何でも話します!だからお願いです!」晋太郎は冷たく笑った。本当に話す気なら、そんな言葉は出てこない。「ウソ発見器を持ってこい。こいつが嘘をついたら、その親を刺し殺せ」店員の顔は一瞬で蒼白になり、驚きのあまりしばらく声が出なかった。ボディガードがウソ発見器を装着し終えると、晋太郎は指で軽く肘掛けを叩きながら低い声で言った。「お前に聞くことは三つだけだ」店員は緊張で唾を飲み込んだ。恐怖で彼の心拍数が乱れ、機械は警告音を発した。「もう嘘の答を考え始めたのか」晋太郎は目を細めた。「準備させろ」そう言うと、彼はボディガードに指示した。ボディガードが頷こうとした瞬間、店員は慌てて呼び止めた。「待ってください!話します!本当のことを話します!」 「一つ目の質問だ。今日の襲撃計画はいつ指示された?」
そう言われると、佑樹と念江は慌てて紀美子の顔を見上げた。落ち着いている母の顔を見て、佑樹はほっと胸を撫で下ろした。「出発は来週の月曜日」「あと6日一緒に過ごせるけど、お母さん……休暇取れないの?」「とれるわ!」紀美子は迷わず即答した。「この6日間、お母さんがずっと付き合ってあげるわ」念江と佑樹は目を見合わせて笑った。「お母さん、父さんが旅行に連れて行ってくれると言ってたけど、行きたいところある?」「そうね、どこに行くか迷っちゃうわ……」紀美子は考え込むふりをした。「僕、いい提案があるんだけど……」念江が話し終わらないうちに、個室のドアが突然開き、男性店員がトレイを持って入ってきた。トレイの上にはアイスクリームが2つ乗っていた。「お客様、本日の特別サービスで、ご来店のお子様全員にアイスクリームをプレゼントしております」「ありがとう、テーブルに置いてください」紀美子は頷き、笑顔で答えた。店員は手に持っていたアイスクリームをテーブルに置いた。しかし、彼が手を引こうとした瞬間、紀美子の目に何かが光るのが見えた。それが何か確認する間もなく、店員の視線が晋太郎に固定された。紀美子の胸に不吉な予感が走り、すぐに叫んだ。「晋太郎、危ない!!」晋太郎が気づいた時、店員はすでにナイフを抜き、自分の首をめがけて素早く突き出してきた。彼は瞬時に目の前の皿を掴み、刃が首に届く直前で受け止めた。「カチャッ」と、お皿が割れる音が響いた。晋太郎はもう一方の手で店員の手首を素早く掴んだ。一気に力を入れると、店員の手は不自然な形に折れ曲がった。「ああっ――手が、手が!!」店員は悲鳴を上げた。晋太郎は息つく暇も与えず、立ち上がって店員の胸元に強烈な蹴りを叩き込んだ。その蹴りの衝撃で、店員はドアにぶつかり、ドアごと後方に倒れ込んだ。大きな音に、レストランの客全員がこちらを見つめた。店長も慌てて駆けつけてきた。床に転がったナイフを見た店長の顔色が一変した。店長は店員の状態など気にも留めず、すぐに晋太郎と紀美子に向かって頭を下げた。「申し訳ありません入江さん、森川社長、驚かせてしまい……こいつをすぐに処分いたします!」「結構だ」晋太郎は怒りを込めて制止した。「