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第9話 ヨロイグサの花言葉

Author: 花崎紬
「私は何も間違っていません……」入江紀美子は瞳を揺らしながら、森川晋太郎を見つめた。

「謝れと言っているんだ!」晋太郎の怒りは冷たく顔に出ている。「入江、同じことを何回も言わせるな!」

紀美子は怒り狂った彼の前では、すべての不満を飲み込むしかなかった。

そうだ、今は狛村静恵こそが彼の憧れなのだ。

紀美子はただの代替品、いつでも捨てられる玩具だ。

自分のどうでもいい言い訳はその憧れの悔しさと比べれば、実に取るに足らない。

「ごめんなさい」胸の痛みを堪えながら、紀美子は頭を下げて、泣きながら謝った。

静恵は晋太郎の懐に埋めていた顔を上げ、「晋太郎さん、もう入江さんを責めるのはやめて、全部私が悪いの……」

晋太郎は愛しんで静恵を抱きしめ、「まだ彼女の為に言い訳を言ってるのか。もう帰ろう」

二人は抱きしめ合いながらその場を離れたが、紀美子の目の中の涙は堪えきれなかった。

涙が、彼女の目から勢いよくこぼれ落ちた。

……

夕方。

紀美子は仕事を終え、病院に向かった。

ちょうど塚本悟が病室の前で看護婦に何かを指示しているのを見た。

紀美子は近づき、悟に軽く頷いて病室に入ろうとすると、彼に止められた。

「紀美子、お母さんは化学療法を終えて今寝たばかりだ、入らない方がいい」

「塚本さん、母の化学療法はもう第五期ですが、今の状況はどうですか?」紀美子は立ち止まり、声を低くして悟に母の病状を確認した。

「大丈夫だ、早期発見してすぐに手術を施したから、予想より早く回復している」悟は紀美子を慰めた。

話を聞いた紀美子は少し安心してすぐにお金の心配に移った。「治療費口座の残高はまだ足りています?」

「昨日2000万円を入れたばかりじゃないか」悟は少し驚いて聞き返した。

紀美子は戸惑った。

自分は決して一気に2000万円を出せない。

あの人だったら、或いは…

紀美子は慌てて携帯電話を手に取り、杉本肇に電話をかけた。

「入江さん」

「森川社長に言われて母の治療費を払ってくれたの?」紀美子は杉本に確認を取った。

「はい。晋様に『黙っておけ』と言われましたが、実は昨日病院についてすぐにお母さんの口座に2000万円を入れました」肇は答えた。

その話を聞くと、紀美子は無意識に携帯電話を握りしめた。

暫く躊躇ったあと、彼女は晋太郎に電話をかけた。「社長、今どこですか?」

「要件を言え」晋太郎は冷たく返事した。

「あの2000万円は、必ず返しますから!」紀美子は揺るがずに言った。

それを聞いた晋太郎は、まるで何かおかしな話を聞いたかのように鼻を鳴らした。

「ジャルダン・デ・ヴァグに来い」

それだけ伝えて、晋太郎は電話を切った。

紀美子は携帯電話を握って暫く考え込んでから、病院を出た。

ジャルダン・デ・ヴァグ。

紀美子が別荘に入ると、晋太郎が雇った使用人の松沢初江が迎えてきた。

「入江さんですよね?ご主人様は書斎です」

「分かったわ。会いに行く」紀美子は新しく来た使用人を見て少し驚いた。

階段を上がり、紀美子は書斎の扉を開いて中に入った。

書斎の中は真っ暗だった。

紀美子は無意識に明かりをつけようとしたが、指がスイッチに触れようとした時、なじみのある気配が包んできた。

彼女は相手の両腕に腰を強く抱きしめられ、体が丸ごと暖かい懐に引きずり込まれた。

鼻先からずっしりとした雪松の香りが漂ってきて、紀美子はそれが晋太郎の匂いだと分かった。

そして体が抱き上げられ、晋太郎が彼女を抱えてソファに近づいていることを感じた。

「社長!」紀美子は慌てて晋太郎から抜け出そうとした。「今日はお金を返すことの相談に来たんです!」

晋太郎は返事をしなかった。

紀美子をソファまで運び、体で彼女を押さえてから、晋太郎は低い声で「黙れ!」と命令した。

晋太郎の声が聞こえてきてすぐ、彼女はブラジャーのホックを外された。

晋太郎は大きな掌で彼女の顎を掴み、問答無用で激しくキスをしてきた。

「社長…」

「黙れと言っているんだ!」晋太郎は苛立った。

彼は紀美子の腰を腕で挟み、自分の太ももの上に乗せた。

ざらざらした指で彼女の唇を擦り、「話したいことがあるなら、まずは俺を満足させろ」

紀美子は軽く唇を噛んで、我慢して答えた。「分かりました」

行為が終わった後。

紀美子は体の痛みを我慢しながら、服で露出している部分を隠そうとした。

彼女はゆっくりと座り直し、落ち込んだ声で、「社長の憧れがやきもちを焼いてもいいのですか」

「お前が心配をすることではない」晋太郎は口に咥えたタバコに火をつけた。

「2000万円は、必ず返します」紀美子は服を着ながら言った。

「どうやって?」晋太郎は煙の輪を吐き出し、黒い霧に包まれた目つきで紀美子を睨んだ。「体で?」

羞恥を感じた紀美子は服をきつく握りしめ、「あなたには関係ありません」と言い返した。

「この金は後でお前への補償金から引く。お前は金がもらえればいいんだろ?」晋太郎は唇を寄せながら、挑発的な口調でからかった。「お前には疑う資格はない。従うだけだ!」

そう言われた紀美子は、まるで無形の手に平手打ちされたかのようだった。

彼女は顔が暑苦しくて痛かった。

そうだ、彼女は彼から見ればただの金好きの女だ、清いことを言う資格はない。

暫くして、晋太郎は服を着て書斎を出た。

紀美子は床に散らかったティッシュを拾おうとしたとき、使用人の初江が入ってきた。

初江は紀美子の首にある沢山のキスマークを見て、気まずそうに部屋をでようとした。

「入ってきていいよ」紀美子は低い声で初江を呼び戻した。

彼女の尊厳はすでになくなっており、晋太郎の使用人に見られても平気だった。

初江は何も言わずに、ただ心配そうに紀美子を見てから、掃除にとりかかった。

初江と一緒に書斎を片付けてから、初江は壁に飾ってある絵を拭こうとした。

彼女は椅子を持ってきて、その上に登ろうとする途端、口から「いーーッ」と痛みを感じた声を発した。

紀美子は彼女の膏薬を貼っている膝を見て、彼女に「あなた足が不便そうだし、私が拭くから」と言った。

「大丈夫です、あなたにこんな仕事をやらせるわけにはいきません」初江は慌てて断った。

「大丈夫よ、はい」紀美子は彼女から掃除用の布を奪った。

そう言いながら、紀美子は椅子の上に立った。

「本当に申し訳ありません、入江さん」初江は感激した。

「大丈夫よ」紀美子は無表情に淡々と返事した。

初江は壁の絵を見ながら、「入江さん、この絵はリアルに描かれていますね」と感嘆した。

「ただ、絵に描かれている花はどれも見たことがありませんわ……」

紀美子は絵に描いている白い傘のような花を見て、「これはヨロイグサの花ね。花言葉は揺るがない、粘り強い、そして永遠の思念」と初江に説明した。

紀美子は初めて晋太郎の書斎の中に飾っているこの絵を見たときの反応は、初江と同じだった。

あの時は晋太郎も同じくこう説明をしてくれた。

紀美子は話ながら、絵のフレームが傾きかけているのに気づいた。

彼女はそれを安定させようとしたが、絵が重すぎて彼女の手から滑り落ち、床に落下した。

大きな音と共に、絵を覆っていたガラスが粉砕されて床中に飛び散った。

初江は驚いて「きゃあ!」と声をあげた。「入江さん、お気をつけて、割れたガラスが危ないですから。今掃除道具を持ってきます!」

「分かったわ」

紀美子は眉を寄せ、初江が掃除道具を取りにいってから、恐る恐る立ち上がった。

彼女は絵を持ち上げると、フレームが千切れそうになった。

一枚の写真がフレームの裏から落ちてきた。

紀美子の視線はその写真に惹き寄せられた。

写真の中には、一人の男性が女性の肩を抱え、二人は静かに海辺に立っていた。

女性は白いドレスを着ていて、長い髪は腰まで伸びていた。

後ろ姿から見ると、二人は非常につり合いがとれていた。

その男性は晋太郎だ。紀美子は一目で分かった。

しかし隣の女性は誰だろう。

何故この写真が絵のフレームの中にあったんだろうか?

紀美子は少し考え込んだが、先ほど初江に説明した花言葉のことを思い出した。

ヨロイグサの花言葉は永遠の思念だ。

つまり、写真の中の女性が、晋太郎がずっと会いたがっている人?

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    花火の中には、「婚約おめでとう」という文字もあった。本来ならば静寂に包まれているはずの時間に、夜空には色とりどりの花火が上がっていた。紀美子の美しい顔はその光に包まれ、眠気が残る瞳の中には喜びがあふれていた。晋太郎は長くてしなやかな腕を伸ばし、紀美子の背後から彼女を抱きしめ、優しく尋ねた。「どうだ、気に入ったか?」紀美子は彼の胸に寄りかかり、眉間には心配の色を浮かべて言った。「こんなことして、近所迷惑にならないかしら?」「そんなこと、どうでもいい」晋太郎は言った。「俺はただ、みんなに知らせたかっただけだ、今日は俺たちの婚約の日だって」紀美子は口を開けかけたが、ちょうどその時、携帯が鳴った。その音は鳴り止むことはなかった。紀美子が呆然としながら携帯を手に取った。なぜこんな時間に誰がこんなにたくさんメッセージを送ってきたのか理解できなかったからだ。携帯を開くと、それは会社の社員グループだった。社員たちはみんな、彼女の婚約を祝っていた。婚約のことは佳奈にしか話していなかったが、彼女は口が堅いので、きっと誰にも言っていないはずだ。紀美子は不思議に思いながら返信した。「みんな、ありがとう。でも、どうしてこのことを知っているの?」「社長、ご存知ないんですか?トレンドが大変なことになってますよ!!」「社長、今、各メディアがあなたと森川社長の婚約のことを報じていますよ!」「本当に素晴らしいですね、社長!これでMKは私たちの大きな後ろ盾になりますね!」「その通りです!これから誰も私たちTycに対立することはできませんね」「正直、森川社長がこんなにロマンチックだとは思いませんでした!全市で花火なんて、すごすぎます!感動しました!」社員たちのメッセージを見て、紀美子は微笑みながら返信をした。「婚約式が終わった後、みんなで食事に行きましょう」「社長万歳!」「社長、最も幸せな花嫁になってくださいね!」「社長、婚約おめでとう!」「……」社員たちの祝福を見て、紀美子は心の中が温かくなった。彼女はチャット画面を閉じ、トレンドを開いた。トップに表示されていたのは、自分と晋太郎の婚約のニュースだった。彼女はこの数日間、晋太郎が何もしていなかったわけではなかったことに気が付

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    晋太郎はうなずき、紀美子と一緒にリビングに入った。その時、子どもたちも階段を下りてきた。ちょうど朔也も電話を終えたところだった。彼は紀美子に言った。「G、これ、全部晋太郎の仕業だろう?結局は俺が手伝わなきゃならないなんて、まったく。君たち二人の婚約式なのに、まるで俺が主役みたいだ」紀美子は子供たちに小さなフォークを配りながら言った。「さっき、お酒のランクは高ければ高いほどいいって言ってたのは誰?」朔也はニヤニヤしながら言った。「俺さ!」「それで、お酒を変えた方がいいって言ったのは誰?」「それも俺さ」「じゃあ、なんでそんなことを言うの?」紀美子は呆れた。朔也は鼻を鳴らして言った。「俺は、ホテルが用意した酒なんて見向きもしないよ。晋太郎、お前も少しは気を使ってくれよ」「君が手伝ってくれるじゃないか」晋太郎は彼を一瞥した。「……まあまあ、俺はお前たち夫婦にはかなわないよ」朔也は言った。「夫……夫婦……」紀美子は恥ずかしくなり、慌てて一切れのリンゴを取って、朔也の口に押し込んだ。「もう、黙ってて!」「あまり準備できていないけど、怒らない?」晋太郎は紀美子を見て言った。紀美子はオレンジを差し出しながら言った。「全然。婚約のことは急に決まったから、まだいろいろなことが残っているじゃない。こんな小さなことは気にしないで」「これは小さなことじゃない」晋太郎は言った。「婚約式は一回だけだから」「分かった、あなたの言う通りにするわ」紀美子は仕方なく言った。「ママ」紀美子の言葉が終わると、ゆみがイチゴを食べながら顔を上げて聞いた。「ママ、今夜はちゃんと早く寝るんだよ?」「どうしたの?」紀美子は驚いて尋ねた。「早く寝ないと、明日元気が出ないよ」佑樹が言った。「ママ、きれいな花嫁になりたくないの?」紀美子は子どもたちに言われて耳が赤くなった。「まだ花嫁じゃない……」「明日婚約したら、もう婚約者だよ」念江が言った。「半分くらい花嫁だね」「こんなこと、誰に教わったんだ?みんな結構詳しいな」朔也は笑って言った。「ネットで調べたよ!ママ、今晩は早く寝ないと、明日元気いっぱいにならないよ!」ゆみはニヤリと笑って言った

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第873話 婚約式をする

    「この件は早くはっきりさせるべきだ」晋太郎は言った。「引き延ばすのは、佳世子にもお前にも良くない」「分かってるけど、どう言い出せばいいのか分からないんだ」晴は答えた。「藍子と子どものことから始めて、佳世子に対する偏見を最小限に抑えてみて」晴は少し黙ってから言った。「親に言えっていうことか?孫が藍子に殺されたって?それは無理だ!母は佳世子のお腹の子が俺の子じゃないと考えているんだ!」「それで、彼らが言ってるからって信じるのか?」晋太郎は冷笑した。「晴、お前、男だよな?」「そうだよ!だから俺だって藍子に会いに行ったんだろ!?」「それが?」晋太郎は嘲笑しながら言った。「お前は、佳世子に対する気持ちが深いと言いながら、彼女を弁護する勇気すらないのか?」晴は黙った。「とりあえず、明日の婚約式、来てくれ」晋太郎は立ち上がった。「婚約式?」晴は驚いて言った。「紀美子と俺の婚約式だ」晋太郎はデスクの席に着きながら言った。「全然情報が流れてないじゃないか。メディアには知らせたのか?」晴は目を見開いて言った。「メディアには、夜の12時に公開させるつもりだ」晋太郎は微笑んだ。「俺と紀美子の婚約のことを、みんなに知らしめるんだ」晴は晋太郎を見て、心から喜んだ。「よかったな、紀美子とやっと報われたな!」「お前もだろう」晋太郎は晴をじっと見つめながら言った。「晴、自問してみろ。今の佳世子の状況を見ても、彼女を選ぶのか?」「俺は、何があっても彼女と一緒にいる!」晴は迷わず言った。「彼女がどんな病気にかかってても構わない!俺が望むのは、彼女が俺の元に戻ってくることだけだ!」晋太郎は彼をじっと見て言った。「周りの目を、全て受け入れられるか?」「もちろん!」「将来的に感染のリスクがあることを、覚悟できてるか?」「もちろんだ!!」晋太郎は冷笑しながら言った。「なら、どうして親に言うことを先延ばしにしてるんだ?」晴は答えられなかった。「この件は俺には手伝えない。晴、お前は自分でやるしかない」晋太郎は忠告した。「分かってる……」晴は深いため息をついて言った。「時間を見つけて、親にはっきり話すよ」「忘れるな、藍子の裁判前

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第872話 刑務所に行かなくて済む

    「他には?」念江も尋ねた。ゆみは両手を腰に当て、ため息をつきながら言った。「お兄ちゃんたちはかっこよくて、ゆみは可愛いって言ってた!」紗月が言った成仏のことについて、ゆみは口にしなかった。彼女はそれが何か分からなかったが、話してはいけないことだと分かっていたので、しっかりとその約束を守っていた。帰り道。ゆみは小さな手で紀美子の顔を何度もなぞった。紀美子は苦笑いしながら彼女を見た。「ゆみ、何をしてるの?」「おばあちゃんがこんな風に顔を触ってたの!ママを触りたかったけど、触れなかったみたい」ゆみは答えた。紀美子は驚いた。「おばあちゃん……そんなことしてたの?」「そうよ!」ゆみは紀美子の腕に飛び込んだ。「ママ、おばあちゃんは本当にきれいだったよ。長くて巻かれた髪が腰まであって、目はママと一緒だった!でも、おばあちゃんはずっと泣いてて、涙は赤かった」紀美子はゆみの話を聞きながら驚いた。どうして赤い涙が出るの?「おばあちゃんは、また会いに来るって言ってた?」紀美子は聞いた。ゆみは首を横に振り、目を閉じて言った。「ないよ。ママ、ゆみはちょっと疲れた……」そう言うと、ゆみは口を開けてあくびをした。「ママ、抱っこして。眠い……」紀美子はゆみを膝に乗せ、背中を優しく叩きながら寝かしつけた。MK。晋太郎は技術部の社員と会議をしていた。技術部長は晋太郎に資料を渡した。「社長、こちらが相手のファイアウォール突破回数です。MKの支社はすべて統計を取っていますので、ご確認ください」晋太郎は資料を受け取り、集中して目を通した。最後に見て、眉をひそめた。「A国のファイアウォールは、すでに8回も攻撃されたのか?!」A国の会社を除けば、他の支社の回数はどれも3回を超えていない。相手はかなりの情報を持っているに違いない。だからこそ攻撃を繰り返しているのだろう。「A国の技術部から何か連絡はあったか?」晋太郎は冷たく聞いた。「はい、彼らは8時間おきにファイアウォールの修復と暗号化を行っていると言っていました。すぐには突破できないだろうとのことです」技術部長は答えた。「向こうの副社長に連絡して、重要なファイルを速やかに多層暗号化するよう伝えてくれ。

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第871話 もう心配しないで

    紗月は周囲の人々を一巡して見渡し、仕方なくため息をついてからゆみを見た。「ゆみ、どうして言うことを聞かないの?」ゆみは無邪気に紗月に小さな手を差し出した。「おばあちゃん?」紗月はうなずきながら言った。「そうよ、ゆみはとても可愛いし、お兄ちゃんたちもとてもかっこいいわ。おばあちゃんはみんなが大好きよ」「おばあちゃん、どうして急に現れたの?」ゆみは尋ねた。紗月は優しく答えた。「ひいじいさんと一緒にいくために来たの」「行く?」ゆみは首をかしげて聞いた。「どこに行くの?」「ひいじいさんとひいばあさんが再び会える場所に行くのよ」紗月は言った。「嫌よ!」ゆみは小さな頭を振って言った。「おばあちゃんは綺麗で優しいから、ずっといてほしい!」「ダメよ。私たちには私たちの世界があって、あなたたちと一緒にいることはできないの。そうしないと、あなたたちが想像できない代償を払わなければならなくなるわ」「代償?」ゆみは理解できない様子で尋ねた。「どんな代償?おばあちゃん、どうしてみんなはあなたが見えないの?」紗月は目を伏せて言った。「おばあちゃんはもうこの世界に属していないから」そう言うと、紗月は腰をかがめ、ゆみの澄んだ瞳に静かに目を合わせた。「ゆみ、あなたが大きくなって、力を身につけたら、私を成仏させてくれるかしら?」ゆみはまだ成仏の意味が分からなかったが、それでもおとなしく頷いた。「分かったよ」紗月は満足そうに微笑んだ後、再び紀美子と翔太を見た。「ゆみ、おばあちゃんから伝えてほしいことがあるの。お母さんに、おばあちゃんのことを怒らないようにって。ずっと苦しませてごめんねって。それと、おじさんに、あまり遅くまで働かないようにって、体を大事にしなさいって、私はすごく心配なの。それから真由おばあちゃんにも、私は元気だから、心配しないでって伝えてね。それと……」そのあたりから、紗月の声は詰まってきた。彼女の目からは、血のように赤い涙が流れた。ゆみはこんな状況を見たのは初めてで、少し驚いた。しかし、目の前の人が自分のおばあちゃんだと分かっていたため、必死に冷静さを装った。「それと何?おばあちゃん?」ゆみは聞いた。「それと……」紗月は涙を拭った

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第870話 見えない人

    入江紀美子を捉えても、渡辺野碩の目の中には特になんの感情も見えなかった。まるで全く知らない人を見ているようだった。随分経ってから、彼は突然思い出したように、無力に口を開いた。「来て」紀美子はゆみを佑樹に預け、ベッドの近くまで来た。渡辺翔太は立ち上がり、紀美子を先ほど自分が座っていたところに座らせた。紀美子が座った瞬間、野碩はゆっくりと長く息を吐いた。彼の目は、更に濁った。「悪かった」紀美子は特に何も言わず、ただ野碩に合わせて「うん」と返事した。「人間は……老いたら固執するようになるほか、はっきりと見えないことも……ある。わしの懺悔など……君は聞きたくもないだろうな……しかし……わしはやはり君に……謝りたいのじゃ……」紀美子は目を下に向け、低い声で返事した。「分かった、受け入れるわ」野碩は首を傾げ、紀美子を見つめた。そのまま暫くして、彼はゆっくりと笑った。「やはり親子……紗月とそっくりだ……」そして、野碩の視線は紀美子の後ろの子供達に向けられた。「あれは……君の子供か……」紀美子は頷き、子供達に「こっち来て」と示した。子供達が立ち上がり、ベッドの横に集まってきた。「曾祖父様と呼んで」紀美子は子供達に言った。「曾祖父様」子供達は声を合わせて呼んだ。「いいのう……いい子達だ」野碩は笑って返事した。そして、彼は深呼吸をしてから、疲れたかのように目を閉じた。誰もが声を出さず、静かに野碩が再び目を開けるのを待った。しかし、いくら待っても野碩の反応は見れなかった。彼らは慌てて横のバイタルサインモニターを確認するが、映っている生態情報は至って穏やかだった。真由が口を開こうとした時、ゆみはゾクッと身震いをした。皆の視線は一斉にゆみに集まった。ゆみは慌てて周りを見渡し、その視線は入り口の方向に向けられた。紀美子は緊張したまま娘の反応をじっくりと観察した。ゆみは柔らかい声で、入り口の方に向って口を開いた。「きれいなおばさん」その場にいる他の全員が、一斉に入り口を見た。「ゆ、ゆみちゃん、誰のことを言ってるの?」真由は驚いて尋ねた。「ゆみ、何が見えた?」翔太も険しい表情で尋ねた。紀美子は真っ先にゆみを抱き上げようとしたが、

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第869話 何をしに尋ねてきた?

    20分後、一行は病院に到着した。長澤真由は森川念江の手を、渡辺翔太は佑樹の手を取り、紀美子はゆみを抱えて病院に入った。ゆみは首を傾げて口を開いた。「お母さんが、ゆみに独立しなさいと言ってたじゃない?何で今は抱っこしてくれるの?」紀美子は暫く沈黙した。前回ゆみが病院でおかしくなってから、きつく抱きしめていないと何か良くないことが起きる気がして怖かった。「病院は広いからね。抱っこしてあげる」「わーい、やっぱりお母さんは優しいね!」ゆみは母の首に手を回して言った。「ゆみは今でも他の人が見えないモノが見えるの?」紀美子は笑みを浮かべて尋ねた。「お母さんは霊のことを聞いてるの?」ゆみは口をすぼめて暫く考えた。紀美子はやや驚いたが、そのまま頷いた。「見える時と見えないときがある……」ゆみは悔しそうに答えた。紀美子は、前回晋太郎が教えてくれたみなしさんからの伝言を思い出した。ゆみは今はまだ霊眼を開いている途中だ。そのせいか、ゆみは時々何かが見えるのだろう。「うん、お母さんは知ってるよ。後で病室に入って、何か怖いモノが見えたら、必ずお母さんに教えてね。いい?」「分かった。安心して。お母さん!」病室の入り口にて。真由はドアを押し開いて入っていった。病室の中、衰弱した様子の渡辺野碩はベッドに寝ていた。彼は両目を瞑っており、顔には酸素マスクを付けられていた。隣のモニターには彼の穏やかな心拍を映し出していた。野碩を見て、ゆみは戸惑った様子で母に尋ねた。「お母さん、彼があの冷たかったお爺ちゃんなの?」「何でゆみが知ってるの?」紀美子は驚いた。「皆知ってるよ!」ゆみは答えた。「ゆみもね」「うん、その人がお母さんの祖父、つまりゆみの曾祖父なの」「分かった」ゆみは頷いた。真由は念江をソファに座らせ、翔太も紀美子に座るように合図をした。そして、真由は野碩の近くにいき、体をかがめて呼んだ。「お父さん、皆がお見舞いにきたよ」真由の声が聞こえたからか、野碩はゆっくりと両目を開いた。彼は呆然と暫く天井を眺め、そして周りを見渡した。翔太を見ると、野碩の指は動いた。「おじいちゃん」翔太は近づいて野碩を呼んだ。野碩は目を閉じ、かすれた声で口

  • 会社を辞めてから始まる社長との恋   第868話 本当に行かなくていいの?

    入江ゆみは駄々をこねながら、父の懐に潜った。森川晋太郎は思わず口の端を上げ、真っ黒な瞳は愛に満ちた。「行きたくないなら行かなくていいよ」晋太郎の言葉を聞いて、ゆみはすっと目を開けて父を見つめた。「ほんと?本当に学校に行かなくていいの?」「うん、でも条件がある」「なに、条件って?」ゆみは大きくてきれいな目を光らせながら尋ねた。「どんな条件なの?」「携帯を預けるのと学校に行くこと、どっちを選ぶ?」そう聞かれ、ゆみはがっかりして肩を落とした。「やっぱり学校にいく。携帯を没収されるなんていや」「昨晩も結構遅くまで遊んでいたんだろ?」晋太郎は尋ねた。「そんなことないよ……」ゆみは口をすぼめて答えた。「お兄ちゃんがあそばせてくれないもん」「じゃあ、ぼく達が寝たと思ってこっそりと携帯を出して遊んでいたのは誰だった?」シャワールームから佑樹の声が聞こえてきた。ゆみが驚いて説明しようとすると、晋太郎に遮られた。「うーん、うそをつくようになったか。やはり俺は父失格だ」「えっ?」「違うの。お父さんのせいじゃない。ゆみが遊びに夢中だっただけ。お父さんは関係ない……もうこれから夜は遊ばないから!!学校にいくから!」ゆみは慌てて悔しそうに言った。「じゃあ、約束して」晋太郎は笑みを浮かべながら満足げな表情になった。1階にて。晋太郎が子供達を連れて降りてきたのを見て、紀美子は少し躊躇ってから口を開いた。「今日はこの子達を休ませよう」「どうして?」晋太郎は尋ねた。「子供達を連れて見舞いに行きたいの。まゆさんが、彼はもう長くないって……」「本当に会いに行くのか?」晋太郎は暫く考えてから尋ねた。「うん。恩や怨みなどもうどうでもいいわ」「情に弱いのはよくない」晋太郎は注意した。「分かってるけど、もう真由さんと約束してるから」「分かった」晋太郎はそれ以上言わなかった。「子供達に飯を食わせてからにして」「ちょっと甘やかしすぎてないかしら?」晋太郎がゆみを抱えて座るのを見て、紀美子は少し困った顔で言った。「ご飯を食べるくらい、ゆみは自分でできるじゃない」「女の子だから、少し甘えてやったって問題ない」「お母さん、そんなことを言っても無駄

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