All Chapters of それだけが、たったひとつの願い: Chapter 101 - Chapter 110

120 Chapters

第百二話

 てっきり車でどこかのカフェに移動して、こみあった話になるのだろうかと予想していたからなんだか拍子抜けだ。まさかこんな端的な内容で、車の中で済んでしまうとは思わなかった。 だけど顔を見てきちんと謝罪することもできたし、ショウさんと話せて本当によかったと思う。 私のほうから会いに行くとなれば勇気がいっただろうから、来てくれたショウさんには感謝しかない。「話は終わりだ。着いたぞ」 見覚えのある場所を通り、ショウさんは車を静かに駐車場に停めた。「ここって……」「まさか、忘れたわけじゃないだろう?」 クイっと顎で前方を指し示し、ショウさんは先に車を降りてしまう。 ここにはもう来ることはないと思っていた。 懐かしさやつらさ、いろんな感情が目まぐるしく蘇ってきて私の胸を締め付ける。 私も車から降りてその建物を見上げた。「社長は売らなかったんだ。由依がいつでも戻ってこられるようにと頑なにここだけは守ってた」 連れて来られた場所は相馬さんが所有していたあのマンションで、初めて訪れたときと同じように今も優雅にそびえたっていた。 四年前、相馬さんの会社が大変なことになったときに、私が使わせてもらっていた部屋は売りに出されたのだと思っていた。 最上階で見晴らしも良く、手入れも行き届いているからすぐに売れたのだろう、と。 だけど私のために売られていなかったなんて今初めて知った。 今さらだけど相馬さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。「今は誰も使ってない。中に入ってみないか? 綺麗にしてあるから」 返事を待つことなく、ショウさんは私の手首を掴んでエントランスを抜けていく。 あの部屋に入るのは、いろんなことを思い出してきっと苦しくなってしまうから私にはまだ無理だ。懐かしいと本気で思えるくらいの年月が経たないと立ち入れない場所だと思う。「私はいいです」「来いって」 踵を返そうとする私の腕を取り、ショウさんはほとんど無理やりのように私を部屋に押し入れた。「ショウくん、自分で呼び出したくせに来るのが遅い!」 玄関に靴が脱いであると気づくのと同時にリビングから声が聞こえた。 未だに私の手首をつかむショウさんを不安げに見上げると、なぜだか穏やかな笑みを浮かべている。 手首は離されることはなく、そのままなだれ込むように部屋に上がり、ショウ
last updateLast Updated : 2025-01-31
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第百三話

「悪いな。遅くなった」「ショウくんが謝るなんて珍し………」 ジンが振り返りざまに私の姿を確認した途端、驚いて発していた言葉をピタリと止めた。「本当に……俺は悪い兄貴だ。お前がこの世で一番大切にしてる人を脅すようにして取り上げた」 私の手首を解放して静かに淡々と話し始めるショウさんに対し、ジンはなにがなんだかわからずに不思議そうな顔をしていた。「……なに言ってるんだよ」「四年前、お前たちを引き裂いたのは俺だ」 なにを今さら懺悔してるのだと言わんばかりにジンは呆れた表情をしていたけれど、ショウさんは眉間にシワを寄せ、いきなりその場にしゃがんで床に膝を折った。これは“土下座”と同じ行為だ。「俺は世間では敏腕マネージャーなんて言われてるが、兄としては最低だ。血も涙もない人間だと蔑まれても仕方がない」 いつも勝ち気で、愛はあったけれど言葉はぶっきらぼうな印象の人だったのに。こんなショウさんは初めて見る。「由依にもすまないと思ってる。四年前、ひどいことを言ってお前を傷つけた」「もういいんです」「それに、俺も約束違反なんだ」 ショウさんと同じようにしゃがみこみ、視線を合わせてみて初めてわかったが、彼の目に薄っすらと涙がにじんでいた。「覚えてるか? 俺とお前が四年前に最後に交わした約束」 もちろん覚えている。 ジンがまた自然に笑えるようにしてあげてほしいと、私が最後にお願いしたことだろう。「申し訳ないが……あれは俺には無理だ」「ショウさん……」「だから約束違反なのはお互いさまなんだよ」 この四年、映像や雑誌の中のジンは綺麗な笑顔を見せていたけれど、それはあくまで仕事上の顔で、撮影以外では笑わないのだと甲さんが話していたのを思い出す。「由依、お前がジンを元に戻してやってほしい。それはお前にしかできない」 ショウさんからまさかそんなことを告げられるとは思ってもみなかった。「ジンのそばに、いてやってくれないか」 ショウさんの瞳を通して悲痛な思いが伝わってきて、彼の本気の言葉に涙腺がじわりと緩んだ。「なんだよ、それ」 ショウさんの言葉を聞き、ジンがイラついた声をあげた。 腕組みをしたまま身体を横に向け、何度か私たちの方向に冷たい視線を寄こす。「俺と由依を引き裂いたかと思ったら、今度はくっ付けるのか。なんでも自分の思いどおりで、俺たち
last updateLast Updated : 2025-02-01
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第百四話

 憤るようにジンが声を荒らげたが、ショウさんは真っすぐにジンを見つめ返した。「ああそうだ。なんとでも言え。これは、弟を抜け殻みたいにした兄貴の償いだ」 ショウさんもきっとこの四年間苦しんだのだ。 どうがんばってもジンの笑顔が戻らなくなってしまったのは自分のせいだと、自責の念が拭えなかったのだと思う。別れてつらかったのは私やジンだけではない。「あれから四年も経ってるんだぞ?」「四年は長いな。だけどその年月が過ぎても、お前たちの気持ちはちっとも変わってないじゃないか」 ショウさんはそう言いながら膝を折る姿勢をやめて立ち上がった。「正直、別れたらお互いすぐに忘れるだろうと高をくくっていた。若い男女が付き合って燃え上がったとしても、そのときだけだろうと。だけどお前と由依は違った」 マネージャーとしてではなくやさしい兄の顔をして、ショウさんがふわりと微笑む。「本当に赤い糸で繋がってるのかもな」 すぐそばにいた私の肩をポンポンと叩き、ショウさんがそのまま玄関を出ていく。 ガチャリ、と扉が閉まる音がしたのを最後に、部屋が静寂に包まれた。「あの人ありえないよな」 しばらくしてジンがポツリとつぶやいた。「ショウさんは必死だったんだよ。ジンを全力で守ろうとしてた」 あのころのジンは週刊誌の紙面を騒がせ、記者とトラブルになり……さらに事務所も倒産危機だった。 そんな中、なんとかジンを守ろうとショウさんは躍起になっていて、手段を選んでいられなかったのだ。「なんで由依はそこまで物分かりがいいんだよ。損な性格だな。俺はそんなに守られなきゃいけないほど弱くないんだけど」 ぼやくような言い方をしたジンを見て、思わず笑みがこぼれる。ジンと話して笑うのは久しぶりだ。「あの……この前は助けてくれてありがとう。ちゃんとお礼を言えてなかったよね」 ペコリと頭を下げると、ジンが眉根を下げて微妙な顔つきになった。「あのときは、船内で顔色悪いって気づいた時点で休めって俺が言うべきだったんだ。そしたら海で溺れることもなかったのに。悪かった」 逆にジンに謝られてしまった。 船酔いをしていたのにそれを上森さんに告げずに働いたのだから、悪いのは私だ。「謝るのは私のほう。ロケのこともそうだし、四年前のことも」 目頭が熱くなって鼻の奥がツンとしてきたが、泣いてはいけないとグ
last updateLast Updated : 2025-02-02
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第百五話

「いなくなった恋人を、俺が捜さないとでも思ったのか? あのあと俺がどれだけ心配したかわかるか?」 ジンが身体の向きを変え、正面を向きながら頭を下げたままの私に近づいた。「由依が行きそうなところは全部捜した。だけど見つからないから、甲くんに警察への捜索願と探偵を雇うのも頼んだ。……ま、それは甲くんがやってるフリだけしてたんだろうな。自分は居場所を知ってるんだから捜索願なんて出すわけがない」 私ばかりか、甲さんにも裏切られたという念が拭えないのだろう。 そんなジンを見ていたら胸が痛くなってくる。「私が悪いの。甲さんを巻き込んだ。本当なら甲さんとも連絡を絶って完全に消えるべきだった。だけどどうしてもできなかったの。姉や母の様子も気になったし、なにより……あなたのことが気になったから」 ジンは私の言葉を聞いても腹を立ててはいないようだったが、眉だけがピクリと動いた。「私はズルい女なの。自分から消えたくせに、あなたがどう過ごしているのか、元気にしているのかを知りたい欲が出て……」「それで四年間、ずっと甲くんと連絡取り合ってたのか?」 コクンとうなずくと同時に我慢の限界が来て、ポロリと涙がこぼれ落ちた。私はあわててそれを手の平で拭う。「俺はなにも知らなかったのに、由依は俺のことを知ってたなんてズルい」「ごめんなさい。ジンのことが好きだったから、どうしても知りたかった」 気がつくとジンが私の目の前まで来ていて、自分の両手で私の両手をそっと包んだ。「好きだった、って……すでに過去形か」 違う。過去形で言ったのは、当時の心境を言いたかっただけだ。「昔も今も、私が好きな人はひとりだよ」 遠回しに告白めいた言葉を言うと、またぽろぽろと涙がこぼれる。 だけど両手をふさがれていて今度はそれを拭うことができない。 そう思っていたら、ジンが右手を差し出して私の頬をやさしく撫でながら涙を拭った。「俺のこと、好きなのか?」「ジン……」「今現在の話だ。由依、ちゃんと言って。誰に遠慮もいらないし、ほかの人間のことなんて考えなくていい。俺を好きかどうか、それを聞きたい」 ずっと卑怯に逃げ続けてきた私だけれど、ジンの瞳が私を捉えて逃げることを二度と許してくれそうにない。 今でも気持ちが残っているのか確認したい、はっきりさせたいのだとジンの目力から伝わってくる。
last updateLast Updated : 2025-02-03
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第百六話

 今度は誰になにを言われようが、この気持ちはもう止めることができないと思う。 私たちはこの四年間気持ちを抑え続け、その上で再び磁石のように引き合ったのだからお互いに離れられない。 ジンが私の唇を深く奪い、強弱をつけながら翻弄する。 覆いかぶさるように攻められ、私の背中が弓なりになったところでジンが私の身体を抱き上げた。 昔私が使っていた部屋に向かい、綺麗に布団が敷かれてあるベッドの上にそっと降ろされる。 お互い気持ちを確かめ合ったばかりで、ふたりともこの流れを止める術を知らない。 ジンが自身の服を脱ぎつつ、私の首筋から胸元にかけて顔をうずめる。 裸になった彼の上半身は引き締まっていて、それを見ただけでドキドキして一気に顔や身体が紅潮した。 愛する人とひとつになる幸せを思い出した。 四年前もこうしてジンに抱かれ、私は幸せを感じていた、と。 ジンの目力と男の色気に誘われ、気がついたら私も夢中で求めていて、ジンの腕の中で悦びをかみしめる。 ―― 本当に幸せだ。「ショウくんが言ってた“四年前にした約束”ってなに?」 ベッドで腕枕をしながら抱き着き、自分だけが知らないのは理不尽だとばかりにジンが私に小声で問う。「ジンの笑顔を取り戻してください、ってお願いしたの」「……は?」「あのころのジンはいろいろあって笑わなくなってたから」 ジンが小さく溜め息を吐いたあとクスクスと笑った。「由依とショウくんって似てるかも。俺を笑わすことなんて簡単なのに、それにふたりとも気づかないんだから」 私とショウさんが似ていると自覚したことは一度もない。 だけど、ジンのことを大事に思っている部分は似ているのかもしれない。「ショウくんは最後に正解にたどり着いたみたいだな」「……正解って?」「由依がそばにいれば、俺はいくらでも笑えるってこと」 だからショウさんは『俺には無理だ。お前にしかできない』と言ったのだと合点がいった。「もう絶対離さないから。逃げるなよ?」「ジンが浮気したら逃げるかも」「は? 」 冗談めかして私が言うと、ジンは納得がいかない顔をして私の頬をもてあそんだ。「だって世間じゃ『抱かれたい男No.1』でしょ?」「だけど、その男が抱くのは由依だけだ」 そう言ってチュっと額にキスをされると、つい先ほどまでの情事を思い出して途端にカー
last updateLast Updated : 2025-02-04
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スピンオフ・ショウの恋 第一話

【スピンオフ・ショウの恋】「帰るの?」 俺がベッドから抜け出そうとすると、肩に細い手がしなだれかかる。「君はもう少し寝て帰ればいい」「酷い人ね。女優をホテルのベッドに置き去りにしようだなんて」「俺は明日から日本なんだ。準備もあるし仕方ないだろう」 女優というそのカテゴリーで合ってはいるが、落ち目になっていると自分で気づいていないのだろうか。「あなたの抱き方、素敵だったわ」「そりゃどうも」  柳 莉紋(リュウ リーウェン)……四年前に清純派で売り出し、人気を博したのはもう過去の栄光となっている。 モデルから女優に転身して以降、現場でワガママばかり言う彼女にスタッフは皆嫌気がさし、今は仕事が激減している状態だ。 演技が下手なくせに態度だけは誰よりも大きいとなれば、周りが離れていくのは当然だろう。  顔がかわいいだけなら、芸能人はほかにいくらでもいるのだから。 そのあたりをわかっていないのが、この女の浅はかなところだ。「日本から戻ったらまた会って?」 大きな瞳で俺をうるうると見つめてくるが、ベッドに寝そべっているせいか昔の清純な面影は皆無だ。  俺はシャツを羽織り、ボタンを留めながら作り笑いで微笑んだ。「俺の弟を今後は狙わないと約束するならね」「もちろんよ。そんなことしないわ」 従順でよろしい、と俺は彼女の頭を義務的にふわりと撫でた。  なんだか面倒なことになりそうだな……などと、ホテルを出てからふと思う。 一夜限り、もしくは何回かの逢瀬のあと自然消滅するつもりだが、彼女は俺が思っているよりしつこいかもしれない。  そんな嫌な予感が頭をよぎり、真夜中の台北の街で盛大な溜め息を吐きだした。 だけどこれで彼女がジンにちょっかいを出すことはないだろう。  だいたい、事の発端はそれなのだ。 アジアを股にかけて売れていくジンに、突然彼女は興味を抱いてすり寄ってきた。  熱愛報道でも出れば、自分にもまた世間が注目するのではないかと目論んだのだろう。  完全に売名行為じゃないか。 由依という恋人がいるのだからジンが相手にしないのはわかっているが、そういうことではない。  真実か否かが問題ではなく噂自体が困るのだ。 彼女がジンに接近するのを防ぐため、逆に俺のほうから接近した。  元々肉食なのか、男に飢えてい
last updateLast Updated : 2025-02-04
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スピンオフ・ショウの恋 第二話

「ショウさん、エマの仕事のことなんですが……」 台湾の事務所で仕事をしていたら、エマのマネージャーをしている後輩から相談を受けた。「ドラマの五番手くらいで、オファーが来たんです。主人公の友達役で」「いいじゃないか。エマが嫌じゃないなら受ければ」  高 嫣然(ガオ イェンラン)……英名は『エマ』。 二年ほど前にうちの事務所に移籍してきたが、売れっ子と呼ぶには程遠い22歳の若手女優だ。  俺が少しのあいだマネージメントしていた時期もあったけれど、ジンのことで忙しくてすぐに担当を今の後輩に任せた。 事務所の力や売り方も大いに関係するだろうが、ドラマの話がきても端役ばかりで、エマはなかなかブレークには至らない。  だけど普通はこんなものだ。  簡単にスター街道を歩めるジンのほうが珍しい。「雰囲気が地味ですからね。目立たないのがダメですよね」 エマはどこも整形などしていない天然美人だが、たしかに印象としては“普通”なのだ。 例えばロングの黒髪が印象的なアジアンビューティーだとか、顔が西洋っぽくてフランス人形みたいだとか、そういう特徴的な部分がない。 だけど仕事に対しては真面目だし、演技に関しても勉強熱心で性格が謙虚だから、主役に抜擢される大女優にしてやりたいと俺は心から思っている。  といっても、彼女のマネージメントから外れている俺がしてやれることは少ない。「いっそ、キャラを変えてみるのはどうですかね?」 いきなり後輩がわけのわからない発言をしてきて俺は首をひねった。  顔が笑っていないから、どうやら冗談で言ってるわけではなさそうだ。「おバカキャラとか!」「十代のアイドルじゃあるまいし、それじゃ普通に頭の悪い女になるだろ」 インパクトを与えたい気持ちはわかるけれど、頼むからおかしな方向にいかずに大事に育ててくれと思ってしまう。「あ! セクシー系でいくのはどうですか? 服もメイクも大人っぽくして胸の谷間チラチラ見せるようにすれば、もっと仕事が舞い込みますよね」「やめろ!」 聞いてられないとばかりに俺は話を遮った。「なんでですか?」「エマには合わないだろう?」 なにを考えてるのだと、あきれて溜め息が漏れた。  俺が今こいつを止めておかないと、そのうちエマはオールヌードにでもされそうだ。 ふと、事務所に貼ってある
last updateLast Updated : 2025-02-05
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スピンオフ・ショウの恋 第三話

『ショウさんにご相談したいことがあって……』 ひと月ほど経ったころ、突然俺にそんな電話をかけてきたのはエマ本人だった。「俺に?」『はい。ショウさんに直接会って聞いてもらいたいことがあります』 仕事の相談をするならば、まず現在のマネージャーに言うのが筋なのに、なぜ俺に話すのだろう。  不思議に思ったものの俺はとりあえず了承した。「わかった。早速だが今夜はどうだ? ちょうど俺は予定があいてる」『私も大丈夫です』 俺たちは急遽夜に会うことにした。  レストランで食事をしながら彼女の話を聞いてやろう。 エマと会うのは数ヶ月ぶりだったが、レストランの席で変装に使っていたマスクと眼鏡を外した顔は、以前と変わらず綺麗なままだった。 女優だから美しいのは当たり前だけれど、エマには自然と惹きこまれそうになる不思議な魅力がある。  素の美しさ、と言うべきものだろうか。「ショウさん、相変わらずカッコいいですね。でっかい犬みたい」「犬? それ褒めてないだろ」 軽口を言う俺を見ながらウフフと笑い、長い髪を耳にかける仕草がかわいらしい。  冗談でも俺を犬に例えるのはエマかジンくらいのものだ。「なにを頼む? なんでもいいからいっぱい食えよ」「私、一応女優ですよ。太っちゃダメでしょう?」 体重や体型を気にするのは芸能人としては当然のことだが、エマはきちんと意識できている。「俺と飯を食うのは久しぶりだからいいだろ」「ブクブクに太っても知らないんだから」 エマは元々細いから、多少食べたくらいでブクブクに太るなんてことは体質的にありえない。  だけど夜に炭水化物を大量に、というのは気が引けるだろうから、俺は上質な牛肉のステーキを注文した。 彼女がそれを口に運んで満足そうな表情をすると、俺も心がなごんでいく。自分でも不思議な現象だ。「で、話って?」 ディナーも程よく進んだころに赤ワインを口にしながら尋ねると、途端にエマの顔から笑みが消えていく。  なにかタイミングがまずかっただろうかと思ったが、今日はその話を聞きに来たのだから仕方がない。「何か悩みでも?」 エマが泣きそうな表情を浮かべたのを目にし、俺は一瞬焦ってしまった。  泣かせるつもりなんか毛頭ないのだが、いったいどうしたのだろう。「あの……仕事のことで……」 言いにくそう
last updateLast Updated : 2025-02-06
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スピンオフ・ショウの恋 第四話

 エマは上目遣いで俺の言葉にじっと耳を傾けていた。「隠れて水面下でならいいと思うが、それでも週刊誌にかぎつけられない保証はないからな」「結局この仕事を続けているうちは隠れてコソコソするしかないんですよね」 まるで世界の終わりでもやってきたかのように、肩を落としながらエマはつぶやいた。  先ほどの嫌な予感が当たりそうだと思ったが、俺は覚悟を決めて真正面からエマに視線を送った。「好きな男でもできたのか?」 たとえ答えがイエスだとわかっていたとしても、そう聞くしかないじゃないか。「はい。私、その人と恋愛したいんです」 返事は予想したとおりで、俺は小さく息を吐いた。「恋愛?」「誰もが羨む恋じゃなくていいんです。普通の恋愛がしたい」 エマは女優だが、その前にひとりの女だ。  好きな男ができればデートもしたいだろうし、ゆくゆくは結婚も考えるだろう。「私は芸能界の仕事が好きです。CMだって雑誌だって撮影は楽しい。ドラマはもっと大きな役をやりたいって欲が私も人並みにはあります」 だったら恋愛は諦めろよ、と続けそうになって、俺は寸でのところで言葉を飲み込んだ。 考えて頭の中であれこれ天秤にかけるというのは、長年染みついた俺の悪い癖なのだ。「相手は誰だ? この業界のヤツだろう?」 学生時代の同級生というパターンもあるが、俺の予想では99%の確率で“芸能関係者”だと思う。  プロデューサー、ディレクター、スタイリスト、などの線は薄い。  エマが悩むくらいだから、相手の男はモデルや俳優やミュージシャンなど、表舞台の“演者”の線が濃厚だろう。「同じ業界はまずいですよね」「それは相手による」 例えば女たらしで有名な男だとしたらダメだろう。それは話にならない。  エマのイメージがガタ落ちになってしまう。 だけど、爽やかさを売りにしているイケメンモデルや好感度の高い俳優ならどうだろうか。  スクープされても美男美女カップル誕生だから、祝福ムードで世間に受け入れられるかもしれない。 そんな脳内シミュレーションをしたところで俺は頭が痛くなり、自然と小さくうなるような声が出た。  どちらにしてもモヤモヤというかムカムカしてきて、それがなぜなのか俺にも理由はわからない。「私ね、引退も考えてるんです」「恋愛のために引退するのか?」 も
last updateLast Updated : 2025-02-06
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スピンオフ・ショウの恋 第五話

「同じ業界だと恋愛しづらいですし。それにどのみち私はこのままがんばっても女優として芽は出ないと思いますから」「相手の男がそう言ってるのか?」 今のエマの言葉で俺はイライラやムカムカを通り越して、かなり怒りの感情が湧いてきた。「交際を続けるならエマが仕事を辞めればいいって、そう言われたのかと聞いているんだ」 だんだんと自分の口調が辛辣になっている自覚はあった。  女優として芽が出ないなどとその男に勝手に決められたくなくて、腹が立って思わず顔を歪めてしまう。 まさかこんな相談だとは予想外だった。  恋愛したいし、そのためには引退も覚悟の上だとエマがそこまで気持ちを固めているのなら、俺がなにを言っても無駄ではないか。 ジンのことがなければ、おそらく俺がずっとエマのマネージャーを続けていただろう。  だから担当を外れてからも気にかけていたのに。「いや、あの……その人が言ってるわけではないです。というか付き合ってもいないですから。私が好きになっちゃっただけなんです」「なんだよそれ。でもまぁ、時間の問題だろ。じきに付き合うことになるじゃないか。お前を振る男なんていやしない」 ほかに好きな女がいる男を除き、エマのほうから好きだとアピールをすれば大抵の男は落ちるだろう。  それをわかっていないところがエマらしい。「どこのどいつだよ」「………」 イライラと怒りの色を乗せる俺に対し、エマは対照的に困った表情になって押し黙る。「付き合うなら俺の前に連れてこい。会社の人間として俺が話をする」 今の言葉は建前で、単にエマが惚れた男がどんなやつかこの目で見てみたかった。  そんな欲求が俺の心の大半を占めていただけのことだ。「なんでそんなに怒るんですか?」 怒るつもりなんてなかったし、今の段階では会社の人間として怒る内容でもない。  ただ好きな男ができた、とエマは言ってるだけなのだから。「ショウさんです」「なにがだ?」「だから、私の好きな人はショウさんです」 この期に及んでなんの冗談だと思ったが、エマの表情は真剣そのものだった。  大きな瞳でじっと見つめられ、俺は一瞬で動揺してしまう。「や……あの……」 言葉にならない言葉を口にし、左手で口元を覆った。  まさかエマの好きな男が自分だと告げられるなんて、想像の範囲を超えて
last updateLast Updated : 2025-02-07
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