都内の閑静な住宅街の一角。豪邸が立ち並ぶ中に、一軒のこじんまりとした家があった。小さな庭と赤い屋根が印象的なこの家は、四月の初旬、桜が咲き乱れる中で慌ただしかった。「瑠香、待って! 今日から保育園だから!」私のその声に、一歳三か月の娘はさらに廊下を走るスピードを上げた。追いかける私と遊んでいるつもりなのだろうが、こっちは必死だ。「ねえ、お母さん! 瑠香を止めて!」ようやく転ぶことなく小さな段差を超えられるようになった瑠香は、毎日元気いっぱいだ。「ほーら、捕まえた」私の母、静江にすっぽりと抱っこされた瑠香は、楽しそうにキャキャと声を上げる。「彩華、今日十二時にお迎えでいいのよね?」専業主婦の母が心配そうに私に声をかける姿に、少し苦笑する。「うん、ごめんね。お願い。今日は慣らし保育だから早いの」「本当に私はいいのよ。瑠香を保育園に入れなくても。ねー、瑠香」その母の優しさはとても嬉しい。しかし、母にだって予定が入ることもあるだろうし、持病もある。あまり無理をさせたくないのが実情だ。「早めに迎えに行ってくれるだけで助かるから」そう言いながら、私と瑠香の部屋へ行き、クローゼットから久しぶりの洋服を取り出す。子育てに忙しかったこの一年は、Tシャツにジーパンという出で立ちだったが、今日はセンタープレスのブラックのパンツに、薄いブルーのインナー。それにジャケットを手にして階段を下りる。リビングに入れば、瑠香を子供用の椅子に座らせながら、一緒に朝食をとる両親の姿があった。東雲彩華、二十六歳。ブラウンの肩までの髪に、目はぱっちりとした二重だ。美人というタイプではなく、どちらかといえば幼く見えるかもしれない。身長は159㎝で、至って普通の体型だと思う。高校を卒業後、大学へと進学して、大手のKOWA総合システムに入社した。しかし、一年半前から出産のために産休を取っており、今日から久しぶりの出社だ。休みに入る前、シングルマザーとして出産をすることを一部の人に伝えてあり、その当時は多少噂にもなったし、父親が誰かという憶測もあった。今もその話が残っているかわからないが、戻ることに不安がないと言えば嘘になる。しかし、私は、一生懸命働いて瑠香を育てていかなければいけない。この一年、実家の両親に甘えてばかりだったのだ。今は父も働いているし、私たち二人を快く迎え
Last Updated : 2024-12-03 Read more