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第336話

Author: 似水
月宮が言った。「覚えてねぇな」

里香はますます疑問が膨らんだが、何も言えなかった。

「そう、わかったわ」

そう言って、里香は電話を切った。

月宮はスマホを見ながら、雅之に返しつつクスッと笑った。「一言もお前のこと、触れてなかったぞ」

雅之の顔がさらに険しくなり、「お前、そんなに暇か?」と睨みつけた。

月宮は軽く頷いて、「ああ、暇だよ」と笑った。

雅之は鋭い視線を送り、冷たいオーラが月宮に向かって放たれた。今にも殺しそうな勢いだ。

月宮は立ち上がり、「お前の奥さんが何も言わなかったからって、なんで俺が睨まれなきゃなんねぇんだよ?文句があるなら彼女に言えっての」と吐き捨てるように言い、そのまま立ち去った。

雅之は椅子に深くもたれかかり、苛立たしげにネクタイを緩めた。

里香が電話してきたのは、月宮に用があったからなのか?いつから彼女は、何かあると月宮を頼るようになったんだ?

やっぱり月宮をこのまま暇にさせちゃダメだし、里香も放っておけないな。

雅之はスマホを取り出し、ある番号に電話をかけた。「金を渡すから、会社をひとつ立ち上げて、里香をそこで採用しろ」

電話の向こうから、だるそうな声が返ってきた。「ボス、私今休暇中なんですけど......」

「お前の休暇を決めるのは俺だ」

「......」

その頃、里香はスマホを握りしめながら、なんとなく不安な気持ちになっていた。けど、かおるがどこにいるのかもわからず、ため息をついた。

その時、突然スマホが鳴り、画面を見た彼女は少し驚いた。

なんと、マンションの買主からだった。

「もしもし、聡さん?」

聡の明るい声が返ってきた。「小松さん、突然お電話してごめんなさい。実はすごく話が合いそうな気がして、もしよかったらコーヒーでもどうですか?」

里香はさらに驚いた。聡とはただの取引相手なのに、どうして突然コーヒーに誘うのだろう?

里香はストレートに聞いた。「聡さん、私、正直なタイプなんですけど、どうして私に会いたいんですか?」

聡は少しため息をつきながら答えた。「実はね、スタジオを開きたいと思ってて、場所を探してるんだけど、私、この街に詳しくなくてね。あなたに手伝ってもらえないかと思って」

彼女は少し間をおいてから、「もちろん、ただでお願いするつもりはないわ。ランチでもおごるから!」と言った。

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  • 離婚後、恋の始まり   第829話

    「わかった」 里香はかおるの手を軽く叩き、その考えをひとまず振り払った。 しかし、かおるはそれでも心配で、里香が本当に配信を始めるのではないかと気が気でならず、一晩中そばを離れずに付き添っていた。 里香が無鉄砲なわけではない。ただ、雅之は男性であり、権力も影響力もある。少々の批判を浴びたところで、大きなダメージにはならないし、話題を鎮めるのも造作もない。 けれど、里香は違う。彼女には何の後ろ盾もない。世間の目に晒されるわけにはいかないのだ。 今のネット民は気に入らないことがあれば、すぐに袋叩きにする。里香の温厚な性格では、そんな攻撃に耐えられるはずがない。彼女が傷つくところなんて、絶対に見たくない……! 夜になっても、二宮グループのビルは煌々と明かりが灯っていた。 広報部の山本マネージャーが緊急対応策を手にオフィスへ向かうと、中から激しい口論が聞こえてきた。 桜井はドアの前で立ち止まり、山本から書類を受け取ると、「もう戻っていい」と静かに言った。山本は小さく頷き、その場を後にした。 桜井は書類にざっと目を通しながら、ドアを押し開けて中へ入る。 オフィスの中では、佐藤が怒りに任せて机を叩き、険しい目つきで雅之を睨みつけていた。 「説明しろ!やっと沈静化したと思ったら、また騒ぎになってるじゃないか!お前にはこの問題を収める力がないようだな。株主総会を開いて、新しい社長を選出することを提案する!」 周囲の幹部たちも険しい表情で、誰一人として擁護する者はいなかった。 一難去ってまた一難。ネットの世論は完全に一方的になり、「雅之を糾弾し、娘を解放しろ」と叫ぶ声ばかりが飛び交っている。 雅之は革張りの椅子にゆったりと座り、怒りを露わにする幹部たちを静かに見渡した。そして、淡々とした口調で言った。 「新しい社長を選出したとして、それで?その後、この問題をどう処理するつもりですか?」 佐藤は険しい表情を崩さぬまま、「それはお前が気にすることじゃない」と突き放した。 しかし、雅之は続ける。 「当ててみましょうか?結局、すべての責任を僕に押し付けて、僕が辞職したと発表する。病院での暴行も、娘を隠したことも、すべて僕個人の行動で、二宮グループとは無関係だとするつもりでしょう?」

  • 離婚後、恋の始まり   第828話

    里香はドアを開けながら言った。「まだ分からない。彼に電話したけど、出なかったわ。でも、はっきりしてるのは、誰かが私たちを狙ってるってこと」 かおるも後に続いて部屋に入り、その言葉を聞くと眉をひそめた。「狙われてるのは雅之じゃないの?あなたには関係ないんじゃない?」 里香は少し唇を引き結び、「ただの直感だけど……そんな単純な話じゃない気がするのよ」とつぶやいた。 かおるは不安そうに言った。「もう、怖がらせないでよ。なんかどんどんややこしくなってない?」 里香は仕方なくため息をついた。「相手が何を企んでるのか、まだはっきりしない以上、しばらく様子を見るしかないわ。でも、私は大丈夫」 少なくとも、今のところ標的は雅之ただ一人だった。 かおるはスマホを取り出し、「月宮にも調べてもらうよう頼んでみる」と言った。 里香は肩をすくめ、「月宮と雅之って親友でしょ?放っておいても動かないわけないじゃない」と返した。 「それもそうね」 かおるはスマホを置き、肩を落としながらぽつりと言った。「なんか……急に無力感がすごい。私、何の役にも立ててない……」 里香は微笑み、「私たちは自分にできることをやるだけ。それが彼らにとって一番の助けになるのよ」と優しく言った。 前線が混乱しているなら、後方はしっかり支えなければならない。 さもなければ、前後から挟み撃ちにされるだけだ。 「うんうん、確かにそうね」 里香はふと、「ご飯食べた?」と尋ねた。 かおるは首を振り、「ニュース見てすぐ飛んできたのよ。それでうちの上司と喧嘩しちゃった……あのクソ上司、毎日毎日くだらない会議ばっかりで、本当うんざり」と愚痴をこぼした。 里香はそんな彼女の文句を聞きながら、なぜか少し気持ちが落ち着いた。「上司なんてそんなものよ。我慢するしかないわね」 かおるはソファにぐったりと倒れ込み、「だよねぇ……結局そうするしかないか」とため息をついた。 里香はキッチンへ行き、さっと麺を作ると、すぐにかおるを食卓に呼んだ。 食事を終えた後、二人はスマホを手に取り、事態の進展を見守る。 今回の二宮グループの対応も、前回と同じだった。 すぐに声明を出すことなく、しばらく様子を見るという方針。 不思議なのは、午

  • 離婚後、恋の始まり   第827話

    星野がスマホを手に、画面を見せながら里香に近づいてきた。ちょうど荷物をまとめていた里香は、その声に顔を上げ、首をかしげた。「どうしたの?」星野が見せた画面には、またしてもトレンドを独占している一本の動画が映し出されていた。動画の中では、中年の男女がカメラの前で涙ながらに訴えている。その背後に映るのは、まさに二宮グループ傘下の病院だった。中年の女性は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える声で叫んだ。「うちの娘が、あの大企業の社長の奥さんに車で轢かれて、腕を骨折したのよ!なのに、私たちは何も知らされなかった!娘はこの病院に閉じ込められて、私たちは会うことすら許されなかったの!前に、あの社長が私を殴ったのも、娘に会わせろって頼んだからよ!それなのに、連れて行かれるばかりで、もう一ヶ月以上も家に帰ってないのよ!親が娘に会いたいと思うの、そんなに悪いこと!?」隣にいた中年の男性も、怒りと無力感をにじませながら言葉を絞り出した。「たまたま体調を崩して病院に行ったら、そこで娘を見つけた……でも、一ヶ月ぶりに会った娘はガリガリに痩せ細ってて、骨折だって全然治ってなかった!それなのに、轢いた本人は未だに娘に会わせようとしないどころか、病院まで転院させたんだぞ!しかも、この病院には警備員がいて、俺たちは中に入ることすらできない!ただ娘に会いたいだけなのに、なぜ邪魔をする!?まさか、娘を実験にでも使ってるんじゃないのか!?娘を返せ!!」悲痛な訴え、怒りに満ちた表情、そして涙——カメラの前で「悲劇の親」を演じるには、これ以上ないほど完璧な姿だった。コメント欄には、早速「関係者」と名乗る人物たちが書き込んでいる。【あの日、病院で一部始終を見てたけど、二宮社長は横暴にも、この動画の女性を蹴り飛ばしてたよ。女性が警察を呼ぶって言ったのに、社長は「誰が見た?」って言い放って、誰も口を開けなかった。これが資本の力ってやつか】【私も見てたけど、あの夫婦はただ娘に会いたいだけだったのに、どうしてそんなに拒むのか、全然理解できない】【その女の子、私も見たけど、本当に痩せ細ってて痛々しかった……轢いたなら、ちゃんと賠償して治療すればいいのに、なんで親にすら会わせないの?】【上の奴ら、どこから湧いてきた「関係者」なんだ?あの夫婦が病院でどれだけひど

  • 離婚後、恋の始まり   第826話

    里香が尋ねると、聡は「ちょっと個人的な用事を片付けてたんだよ」と言いながらオフィスに入ってきた。そして、にこにこと星野を一瞥し、里香に向かってウインクした。「どうした?私のこと、恋しかった?」軽口を叩く聡に、里香はうんざりしたようにため息をつき、サッと手を押しのけた。「ちょうど確認してもらいたい書類が山ほどあるの。さっさと仕事に取りかかって。スタジオの発展を妨げないで」「……」仕事バカめ……!だったら、もう少し遅く戻ってくればよかった。とはいえ、自分が何をしていたかは話さない方がいいだろう。もし知られたら、間違いなく怒られるし。せっかく雅之と里香の関係が少し和らいできたのに、ここで余計なことをしてぶち壊したら、歴史に名を刻む大罪人になってしまう。「はいはい、やりますよ。みんなはサボっててもいいからね?」聡は肩をすくめながら微笑み、くるりと踵を返してオフィスへ向かう。ただ、星野の横を通る際に、意味深な視線を送るのを忘れなかった。星野は軽く眉をひそめたが、特に相手にはしなかった。里香は視線をパソコンに戻し、ライブ配信を終了させる。これでひとまず、今回の騒動は収束するはずだ。その時、スマホの着信音が鳴り響く。画面を見ると、雅之からの電話だった。「もしもし?」電話に出ると、低く魅力的な声が耳に届いた。「ライブ、見た?」「うん、見たよ」すると、雅之はくすっと笑い、「僕の姿に惚れ直した?」と聞いた。「……」思わずスマホを見つめた。え、今なんて?動画の件について話すためにかけてきたのかと思っていたが、まさか最初に出てくる言葉が「僕、かっこよかった?」だなんて!呆れたようにため息をつき、「今回のこと、これで解決ってことでいいの?」と話を逸らした。だが、雅之は軽く笑いながら、「どうして質問に答えないの?ライブのコメント見た?みんな『イケメンすぎて許せない』って騒いでたぞ?」「……」「里香、本当にもう一度考え直さない?こんなイケメンの夫と離婚するなんて、本当に後悔しない?」「……」こいつ、何を言ってるんだ?「もう決めたことよ」ピシャリと言い放ち、ためらうことなく電話を切った。この男、本当にくだらないことばっかり……!二宮グループ・社長室。通話終了の画面

  • 離婚後、恋の始まり   第825話

    「桜井」「はい」桜井は即座にパソコンを開き、背後のスクリーンに映像を映し出した。「皆さん、まだ全貌を見ていませんよね?」そう言うと、記者たちの視線が一斉にスクリーンに向けられた。映像には病院の廊下が映し出されている。その中央付近、ある病室の前で、中年の男女が大声で怒鳴り散らしていた。そこへ、一人の若い女性が歩み寄り、二人と口論を始める。カメラの角度のせいで、彼女の顔は映っていない。だが、その直後、中年女性が彼女に手を振り上げるのがはっきりと映っていた。その瞬間、雅之が動いた。「これが、完全な映像です」桜井はタイミングよく映像を一時停止し、続けた。「うちの社長は、正義感から動いただけです。ネット上で騒がれているような暴力的な行為をしたわけではありません。本当に犯罪なら、警察が裁くはずです。皆さんの勝手な憶測ではなくね」映像を見終えた記者たちは、呆気に取られた表情を浮かべていた。こんな展開だったのか?これ、どう見ても正当防衛じゃないか?【ほら見ろ!あんなにイケメンなのに、横暴なことするはずないって思ってた】【最初から怪しかったよ!映像が短すぎたし、ここ数日やたら拡散されてたし、もしかしてこれは商戦?】【つまり、ライバルグループが社長を貶めるための戦略ってこと?】【でも、だからって手を出していい理由にはならなくない?相手は年上だし、もし怪我でもさせてたらどうするの?】コメント欄には、賛否さまざまな意見が飛び交っていた。雅之は立ち上がると、冷静に言い放った。「事実は目の前にある。それ以上話すことはない。疑問があるなら、直接警察に通報しろ」そう言うなり、彼は会議室をあとにした。記者たちは困惑していた。新たな情報を引き出せると思っていたのに、まさかの釈明会見。しかし、この映像が公になった以上、ネットの流れは確実に変わるはずだ。よほどの新たな展開がない限り。その頃、里香も配信を見ていた。雅之が冷静に対応する様子を見ながら、気づけば自然と微笑んでいた。あれほど面倒くさそうにしていたのに、結局は会見に出た。しかも、映像が流れている間、スマホをいじっていて無関心そうだった。つまり、この件は彼にとって大した問題ではないのだろう。そして里香の顔は映らなかった。名前さえも出

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